球磨工ブログ

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今日の1枚(2020.1.10)

 

 技能検定「建築大工3級」の合格を目指して放課後の練習が冬休み前から続いています。これだけの生徒が鑿を叩いていると凄いです。熱気に圧倒されます!

 

 

 ある生徒は今の思いを次のように綴っていました。

 

 資格取得のためのお金など、自分で負担できる分を稼ぎたいと思って冬休みのアルバイトを考えていました。しかし、2月に受ける建築大工の資格取得に向けて、冬休みは毎日学校に出て練習に取り組むため、今回は諦めることにしました。・・・・・(途中省略)・・・・・この資格は高校入学時に絶対に取りたいと思っていたので、毎日の練習にやりがいを感じながら取り組めています。より多くの資格取得や部活動、勉強など、今必死に頑張ることが将来の自分のためだと感じます。

 

 心から応援しています。頑張ってください!

 

 

3学期が始まりました

本日より、3学期が始まりました。

朝から30分の大掃除で校舎内を清めた後、

始業式を行いました。

3学期始業式校長講話の後、

 教務主任からは「チームで働く力(Teamwork)」についてのお話がありました。(詳しくは本日生徒に配られた教務だより1月号に載っています。)

有名なバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンが残した言葉を紹介してくださいました。スポーツに励む生徒が多い本校生の心に響いたことと思います。

 進路指導主事からは、先日トヨタ自動車から発表された「Smart City」について挙げられ、

工業高校では各分野でのスペシャリストを目指して教育をしているが、これからの社会では、いろいろな分野の知見を広める努力をしましょう、というお話をされました。

 生徒指導主事からは全国高校サッカーを観戦し、分析会議に参加されたお話をされました。

時々外の世界を見てみると、新たな発見がある。しかし、日々を頑張り、悩んだりしておかないとその発見に出会えないのではないか、というお話をされました。

 

午後からは、校内検定まとめテスト(球磨工独自で作成している、基礎学力を身につけるための取り組み)が行われ、いよいよ3学期の授業が始まります。

 

2学期クラスマッチを行いました

2学期のクラスマッチを行いました。

競技は、バレーボール、サッカー、ハンドボールです。

3年生にとっては最後のクラスマッチとなりました。

 

土曜、日曜と人吉は雨が降り、サッカーやハンドボールの外競技が実施できるのか心配しましたが、晴天となりましたキラキラ

球磨工業高校のクラスマッチ、毎回かなり気合いが入っています。

3年生は休日に練習したチームもあるようです!

女子も男子と一緒にプレイします。パワフルなアタックを見せてくれましたキラキラ

決勝戦はこの盛り上がりです。

昼休みの時間に生徒会執行部の皆さんは得失点差などを計算し、午後の試合に備えます。

クラスマッチを運営してくれた生徒会執行部、準備や審判をしてくれたバレーボール部、サッカー部、ハンドボール部のみなさん、お世話になりましたにっこり

T先生と応援団。

優勝チームはクラスマッチの閉会式で表彰しました。

明日は2学期最後の終業式です。

今日はしっかりと体を休めてほしいと思います。

 

 

水俣病の教訓を伝える 

 

 水俣病の教訓を伝える高等学校訪問事業における講演会が、全学年・職員を対象に、本日6限目に実施されました。水俣病に関する正しい知識と理解を図り、偏見や差別を持たない心を育て、また環境問題について意欲的に関わろうとする態度や能力を育成することを目的としています。

 

 講演の前に、県環境生活部水俣病保健課保健企画班主事の古閑莉沙子様より、発病までの社会的背景や、熊本県民のみでも48,000人に健康被害が出ている現状。それは身体的被害だけではなく、偏見や差別など社会的な被害も大きなものであることなど概要の説明があり、起こる前に防ぐこと、起こった後に広がらないようにすることの重要性、また、正しい知識を持ち、人の命・健康・環境を守るために努力する力を身につけることの大切さについて話していただきました。

「水俣病の教訓を伝える」。講師は、相良村・緒方医院の緒方俊一郎先生です。ご多忙の中ありがとうございました。

 緒方先生の大学の後輩でもあられ、先日アフガニスタンの地で凶弾に倒れられた、ペシャワール会の中村哲先生の志であった『恕(思いやり)』についてのお話から始まりました。水俣病発生までの地理的・医学的見地からのお話や、医学生時代からのご自身と水俣病との関わりの歴史。相良村四浦にあるJNC(旧チッソ)第二発電所のこと。球磨地域でも水俣病と推測される患者を診察された経験など、遠隔地で起きた問題ではないことなどをお話しされました。水俣病が公式確認された昭和31年(1956年)から今に至るまで、認定された患者と今現在も未認定のまま健康被害に苦しんでおられる方が相当数いらっしゃることなどから見ても、水俣病という公害が、社会にもたらしたものは甚大であることを再認識する機会となりました。