校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

神輿を担ぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい

神輿をかつぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい
 

 「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、満面の笑顔で気勢をあげます。10月20日(金)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 わが国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人によって広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人の方たちが創られたと伝わっています。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず気持ちが和やかになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年10月20日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 継承者不足で地域の伝統行事が次々なくなっていっていると聞きます。しかし、適切に機会を設ければ、若者にとっては郷土芸能も伝統文化も新鮮なものに映り、興味をもって参加する姿が見られます。10月上旬に本校で開いた文化祭では、人吉市の鬼木臼太鼓踊り保存会にステージで踊りを披露していただきました。同保存会では小学生から高齢者までが一緒になって郷土芸能を継承されており、小学生たちの踊りも見事なものでした。

 高校生にとっては出会うものがすべて新しいのです。多くの出会い、多様な体験を用意するのが私たち学校の使命と考えています。


笑顔あふれた文化祭

笑顔あふれた文化祭

 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」が終わって一週間以上過ぎますが、まだ校内にはその余韻が残っているような気がします。テーマ「笑顔 ~キラリ輝く多高Smile」のとおり、生徒、職員、保護者そして来校された方々の笑顔あふれた文化祭となり、今でも生徒たちの「文化祭楽しかった」との声を耳にします。やはり、その要因は生徒会の生徒たちの頑張りにあったと思います。

 会長をはじめ生徒会の中核を担う執行部は13人です。通常、生徒会執行部は2年生の7月に組織され、翌年の7月の改選まで1年間担当します。しかし、下級生がいない今の生徒会執行部はこのまま来年度の閉校まで続きます。多良木高校の最後の生徒会なのです。来年度、3年生だけになる学校では従来型の文化祭は難しいでしょう。そのため、今年度の文化祭にかける生徒会の思いは熱いものがありました。執行部のメンバーの多くが体育系部活動の中心選手であり、部活動との両立に苦労したようですが、新生徒会が結成された7月から文化祭の企画、準備に取り組んできました。

 文化祭においてマルシェ(フランス語の「市場」)のような活気を創りだしたいと、クラスや保護者のバザーだけでなく、お菓子、アクセサリー、コーヒー等の専門店にお願いに行き、初めて二店舗、ご協力いただきました。企画、交渉とも生徒たちが行いました。また、「時をかけるトンネル」という企画で、ステージ会場の第1体育館入り口に古い学校生活の写真を展示したビニルハウス型トンネルを設けました。これは同窓生の方々に好評でした。そして、何より、ステージ発表の運営、進行に生徒会の生徒たちが全力で当たったため、ご出演いただいたゲストの方々から、「多良木高校生の皆さんは折り目正しい。」、「純真な高校生ですね。」等の賞賛の声をいただき、恐縮するほどでした。

 もちろん反省材料も多々あります。しかし、文化祭の体験をとおし、協同して大きな行事を創っていく喜び、醍醐味を生徒会の生徒たちは味わい、一回り成長できたと思います。多良木高校文化祭にご協力いただいた全ての方に深く感謝いたします。




よかボス宣言

よかボス宣言


 照れくさい話ですが、この度、「よかボス宣言」を行いました。働きやすく働きがいのある職場環境の実現を目指して、熊本県では蒲島知事を筆頭に「よかボス宣言」が行われ、県教育委員会でも宮尾教育長をはじめ各課長、地方機関の所属長が相次いで行っています。遅ればせながら、私も下記のとおり宣言し、その後、生徒会執行部の生徒たちと多良木高校玄関で記念写真におさまりました。

        「よかボス宣言」多良木高等学校長

私は、球磨の風土と歴史を愛し、多良木高校を誇りに思い、職員の仕事と生活の充実を願い、以下の事項を約束します。

1.私は、教育的愛情を持って生徒たちと真剣に向合い、充実した 
  仕事をする教職員を誇りに思います。

2.私は、家族を大切にし、家事や余暇などの生活も楽しめる教職員
  を応援しています。

3.私は、計画的に休みを取るなど、教職員が工夫してオンとオフの
  メリハリをつけるよう努めます

4.私は、教職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフス
  テージにおける希望や安心が実現できるよう、支援します。

5.私は、教職員と生徒たちと助けあい、励ましあい、ゴール(閉
  校)へ向かって元気に進みます


 


ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭

ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」

 10月6日(金)の午後から翌7日(土)にかけて1日半、多良木高校文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」を開催しました。来年度に閉校を控え、2、3年生だけでの文化祭ですが、2年生主体の生徒会は張り切って夏休み期間から準備に取り組んできました。学校としても少し背伸びをして、例年になく、多彩なゲストを招き、生徒たちが感動的な出会いができるよう企画しました。その1人が、2年前の卒業生の岩田麗(いわたあきら)さんです。

 岩田さんは、本校卒業後、お笑い芸人になる道を選び、大阪へ行きました。そして現在、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、「イワタアキラ」の芸名で若手芸人として研鑽を積んでいるところです。

 文化祭2日目の午前、岩田さんが体育館ステージに登場しました。生徒たちにとっては「ようこそ先輩」の気持ちです。岩田さんは、高校生の時、テレビのお笑い番組、動画等にいかに元気づけられたかという思い出から話を始めました。そして、人を笑わせる仕事をしたいと強く思い、最初は周囲の反対があったものの、自分が最も挑戦したかった道に進むことができたことに感謝していると語りました。2年前、私も岩田さんの進路希望を聞いた時は驚きました。しかし、本人の決意の固さを知り、前途を励ましたことを覚えています。

 トークの後、岩田さんがコントを披露してくれました。文字やイラストを描いた広用紙を何枚も使いながらのユニークな芸で、生徒たちは笑顔で聴き入っていました。孤高の道を進んでいる先輩の姿をとおし、生徒たちは夢を実現することの尊さと大変さの両方を学んだことと思います。私自身は、社会に送り出した卒業生が、たくましく自分で道を切り拓いている姿を目の当たりにして、感無量となりました。



「記憶」を「記録」する

「記憶」を「記録」する ~ 日本史Aの聴き取り学習発表会

 9月25日(月)、2年2組の日本史A選択者の授業において、戦争体験者からの聴き取りを基にした学習発表会が行われました。多良木高等学校の前身の旧制多良木高等女学校の同窓生の方々から、太平洋戦争中の体験談を7月に聴き取り、それを基に、さらに歴史を調べ5グループ(1グループ5人)で発表しました。当日は、聴き取りにご協力いただいた多良木高等女学校同窓生の方5人が来校され、生徒の発表をご覧になりました。また、ソウル大学校名誉教授の全京秀先生(文化人類学)、琉球大学の武井弘一先生(歴史学)、神谷智昭先生(民族学)にも参観いただき、評価コメントをいただきました。

 戦後72年となり、現代の高校生にとって太平洋戦争は歴史の世界です。身の回りにも戦争体験した方はきわめて少なくなってきています。教科書や歴史の本、あるいはテレビの映像でしか知らない戦争を青春時代に体験した同窓生の方々の話は生徒たちの気持ちを揺さぶったようです。

 生徒たちの発表を受けて、武井先生は「記憶」を「記録」することの大切さ、意義を強調されました。戦争や自然災害等どんな大きな出来事であっても、それが記録され伝えられなければ、忘れられていき、その惨禍は繰り返すのだと指摘されました。

 昨年4月に熊本地震が発生した時、私たち熊本県民の多くは「まさか、熊本でこんな大きな地震が起きるとは」と驚き、慌てました。行政も、一般県民も大地震の可能性について全くと言っていいほど予期していなかったのです。しかし、明治22年(1889年)、当時の熊本市でマグニチュード6を超える地下直下型地震が起き、甚大な被害が出ていたのです。その歴史が現代に継承されていなかったため、私たちは、地震への危機感がなかったのでしょう。

 どんなに苛烈な「体験」でも、当事者が亡くなれば次第に忘却されます。当事者から聴き取り、それを「記録」し、「伝える」営みが大切なのです。それが歴史を学ぶということなのです。



グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

 インターネットによって世界中の情報が飛び交い、マネー、物も国境を軽々と越えて地球上を流通するグローバル社会に私たちは生きています。人の移動も加速化し、もはやボーダーレス(境界なし)の世界と言えるでしょう。人類が初めて迎えたこのグローバル社会。多良木高校生の皆さんはまだ海外旅行の経験がある人も少なく、実感はないでしょう。しかし、皆さんが食べている食品、使っている製品の原材料の多くは海外からの輸入されたものです。皆さんも知らず知らずにグローバル社会に巻き込まれているのです。

 グローバル社会をどう生きていけばよいのかという問題について、生徒の皆さんが考える機会にしたいと願い、9月25日(月)に国際理解に係る特別講演を開きました。

 講師は、全京秀(チョン・ギョンス)先生。大韓民国、ソウル大学校名誉教授で、ご専門は文化人類学。現在は中国の貴州大学で教えていらっしゃいますが、アメリカ合衆国、日本などで幅広く研究・教育の活動をされています。当然、英語、日本語など多言語を操られる、まさに知の巨人とも呼ぶべき方です。今回は、秋の相良三十三観音の一斉開帳を見学に球磨郡へいらっしゃったタイミングで講演をお願いしました。演題は「グローバル社会と私」です。

 「英語でいうI、日本語でいう私、これを強くすること、心身の充実こそ、グローバル社会にあって最も大切なこと」と、全京秀先生は、日本語で、力強く生徒たちに語りかけられました。情報が爆発的に増え、真偽が見分けにくくなってきます。人々の価値観は多様化してきます。また、海外へ行けば、あるいは海外の人と一緒に仕事をすれば慣習や文化が異なります。これらの混沌とした社会の中で生きていくには、自分自身という中心軸がしっかりしていることが必要なのだと説かれました。また、英語、日本語、ポルトガル語などの習得にいかにエネルギーを使ったか、というお話も印象的でした。

 講演自体は30分ほどで切り上げられ、生徒たちに質問を求められました。積極的な学びの姿勢を重んじられる全京秀先生の教育観が示されたと思います。全京秀先生の旺盛な知的好奇心と若々しい行動力に生徒たちは感銘を受けたようです。 



インターンシップに臨む2年生を励ます

 9月12日(火)から14日(木)にかけて、2年生69人がインターンシップ(就業実習体験)を行います。今年も、この人吉・球磨地域の29か所の事業所(官公庁、店舗、保育園、工場等)のご協力によって実施できます。明日からインターンシップに臨む2年生を励ましました。
 

「明日からのインターンシップで、皆さんは就業体験を行います。わずか3日間体験したからと言って、その仕事のことがどこまでわかるか、それは疑問です。しかし、意味はあると私は思っています。私たちが見て、知っていると思っている仕事は実は表面だけです。その裏側にとても広く深い世界があって表面を支えているのです。

 例えば、学校の先生。皆さんは小学校、中学校、そして高校2年生と11年間、学校生活を送ってきました。だから、学校の教師の仕事はだいたいわかっていると思っているでしょう。しかし、皆さんが知らない部分がたくさんあるのです。私たちは教員免許を取るためには教育実習を学校で行うのですが、生徒の時には見えなかった業務がこんなにあるのかと驚いたものです。コンビニでもそうですね。お客として見るコンビニの世界はシンプルなものです。けれども、仕事として入ってみると、あのたくさんの商品はどこからくるのか、それをどう整理して管理しているのか、お金の管理はどうなっているのかなど大事な世界が広がっているのです。仕事とは社会につながっていて、実に多くの世界にネットワークが広がっています。皆さんは、明日からの三日間で、小さな窓から社会という巨大でとらえどころのないものを覗いてきてください。そして、社会とつながることに興味、関心を持ってください。

 さて、このインターンシップは地域のご協力によって成り立っています。今年度も29か所の事業所の方々が実習をお引き受けいただいたからこそ、実施できるのです。有難いことだと思います。昨年度、一昨年度、私は実習先を訪ね、「ご迷惑をおかけします」と挨拶して回りました。すると、そのすべての事業所の方が、「高校生がきてくれて活気が出ます」、「職場が明るくなります」、「自分も新人の頃を思い出しました。」など肯定的におっしゃってくださいました。地域で高校生を育てていこうというお気持ちの表れと思い、感謝しております。

 多良木高校は高等学校としては小さな学校かもしれません。学校は小さくても、多良木高校生は小さい高校生ではありません。可能性豊かな大きな存在です。この球磨郡を元気にする、大きな役割をもっています。それぞれの事業所の方々は、皆さんが来ることを待っていらっしゃいます。感謝と謙虚さを忘れずに、三日間の実習をやり抜いてください。新しい出会いがたくさんあることを願っています。」

「海のまち、山のまち」交流会 ~阿久根市との交流事業

 鹿児島県阿久根市と多良木町との「海のまち、山のまち」交流事業の一環として、阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校との野球、女子バレーのスポーツ交流を9月9日(土)に行いました。今年度は本校がお迎えする番であり、午前中に交流試合、そしてお昼から町保健センターにて交流会を開きました。6年目となる交流行事も本校にとっては今年が最後になります。交流会の終わりに校長として御礼のご挨拶をしました。

 「東シナ海に面した明るい海のまち、阿久根市から西平市長様、木下市議会議長様をはじめ行政、議会、観光連盟の皆様方、そして坂口校長先生を筆頭に鹿児島県立鶴翔高等学校の先生方、生徒のみなさんをお迎えし、「海のまち、山のまち」交流会を行うことができましたことを皆様と共に喜びたいと思います。

 九州山地に囲まれ、多くの寺社、仏像が悠久の歴史を今日に伝える山のまち、多良木。熊本県立多良木高等学校は、大正11年にこの地に創立以来、名前のとおり多くの良い木、人材を輩出することに努めて参りました。しかしながら、平成に入って以降、地域の人口減少、少子化に伴い、入学者が減り続け、来年度平成31年3月をもって閉校の定めとなりました。近年は、町立高校と呼んでも過言ではないほど、地元多良木町から厚いご支援をいただいてまいりましたが、その中でも、この鶴翔高等学校との交流は特筆すべきものでした。在籍生徒数が少ないからこそ、生徒の交流体験を増やしたい本校としては、県外の高等学校を訪問し、お迎えするという相互交流の機会は誠に得難いものでした。青春の体験は記憶に深く刻まれます。この6年間の交流を体験した多良木高校生は阿久根市のこと、鶴翔高校のことをいつまでも忘れないだろうと思います。

 結びになりますが、三つの高校が統合され今年で13年目を迎えられる鶴翔高等学校には、校名のように未来永劫、大きく飛翔されていくことを期待いたします。また、阿久根市の皆様方には、6年間、本校の生徒たちに有意義な交流体験の場を与えていただいことに深く感謝を申し上げ、十分に意は尽くせませんが、御礼の御挨拶といたします。6年間、誠にありがとうございました。」


 阿久根市の西平市長による始球式          女子バレーボールの交流戦

山を楽しもう ~ 体育コースの市房登山

山を楽しもう ~ 体育コース生徒の市房山登山

 「頂上だ。やったー」の歓声が生徒たちの間に広がります。九州でも屈指の高峰である市房山(1721m)の頂上に到達した時の達成感、成就感は言いようのないものでした。登り始めて4時間が経過していました。

 体育コース2年生の3日間の市房キャンプの中日、8月31日(木)に市房山に挑みました。今年は、登山ガイドを坂梨仁彦先生に依頼し、先導をお願いしました。坂梨先生は、長年にわたって熊本県の県立高校の生物の教諭として教鞭をとられ(今春定年退職)、植生、鳥類に造詣が深い方です。加えて、登山の専門家で、高校の登山部の指導に当たってこられました。市房山には通算80回を超える登山歴を持っておられます。

 午前9時に山麓の市房キャンプ場(標高が約600m)を出発。鳥居のある登山口から登り始めます。イチイガシをはじめ豊かな照葉樹林帯が続きます。やがて、千年杉と言われる巨大な杉が幾つも現れ、4合目の市房神社に着きました。市房は古来、球磨の人々の信仰の対象として崇められ、神の山として大切にされてきて、現在は国定公園として保護されているため、希少な植物の宝庫となっていると坂梨先生から説明がありました。

 市房神社を過ぎると、急傾斜が続き、丸太の梯子をよじ登ったり、樹木の根をつかんでバランスをとったりと本格的な登山となります。しかし、生徒たちはたくましく進んでいくため、私は遅れないよう必死です。6合目の馬の背と呼ばれる急峻な地形を過ぎ、7合目付近で、珍しい鳥「ホシガラス」が空から舞ってきてブナの樹にとまりました。坂梨先生から説明があり、全員で立ち止まってしばし注目。標高が上がるにつれ、樹高が低くなります。8合目を過ぎると馬酔木(あせび)に覆われています。鹿が増え、多くの植物を食べますが、毒のある馬酔木は避けるため、繁殖しているようです。

 午後1時に山頂に立ちました。ガスが立ち込め、眺望には恵まれませんでしたが、充足感に浸り皆で弁当を開きました。下りは、急斜面での根や石が足に負担となりましたが、およそ3時間で無事にキャンプ場に帰着。霊山の清らかな空気に包まれ、多彩な植生に触れ、変化に富んだ登山道に一喜一憂した7時間の挑戦でした。生徒と苦楽を共にでき、かけがえのない晩夏の一日でした。 



 

山に学ぼう ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

「山に学ぼう」 ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

 多良木高校2年1組体育コース24人は8月30日(木)から9月1日(金)にかけて水上村の市房山キャンプ場でキャンプをしながら様々な野外活動に取り組みます。特に2日目は一日かけて市房山(1721m)に登ります。古くから霊峰として球磨の人々の信仰の対象であった神の山は、今も希少な植物や蝶、鳥が生息する「宝の山」です。学校を出発する生徒たちに、私は、富松良夫の詩『山によせて』を紹介して、送り出しました。

 富松良夫(19031954)は宮崎県都城市の人で、幼少の頃に脊椎カリエスに罹り障がいのある生を送りましたが、宮崎県から鹿児島県にまたがる霧島連山を愛し、山を主題とした詩を多く創り、「霧島の詩人」とも云われます。その作品の中から『山によせて』を選び、山に学ぼうと呼びかけました。

  『山によせて』         富松 良夫

 ひかりの箭()をはなつ朝

 山は霧のなかに生まれ
 むらさきの山体は
 こんじきの匂ひをもつ

 
 あたらしい日を信じ

 あたらしい世界のきたるを信じ
 さらに深い山の発燃(はつねん)を信じ


 にんげんの哀(かな)しさも

 国の面する悲運のかげも
 世界の精神的下降の現実も
 わすれはてるわけではないが


 いまこのあざやかな

 朝のひかりにおぼれ
 悠々と非情の勁(つよ)さにそびえている
 山に学ぼう
 


                                   市房山キャンプ場でテント設営する多良木高校生

 

 

変化の潮流の主人公になってほしい ~2学期の始業に当たって

変化の潮流の主人公になってほしい ~ 2学期の始業に当たって

 多良木高校の2学期は8月25日(金)に始まりました。新ALTの新任式、7月から8月にかけての各種大会、コンクール等の表彰式、そして始業式を行いました。式において、生徒の皆さんに私は、変化の潮流の主人公になってほしいと語りかけました。

 この夏季休業中、故郷の八代市に帰省し、外港で海に浮かぶ巨大な豪華客船を見ました。世界2位の規模をもつクアンタムオブザシーズという豪華クルーズ船で、中国上海から来ており、4千人を超える中国人観光客を乗せていました。まさに海を移動する大きな豪華ホテルに私は圧倒されました。八代港へ寄港する豪華客船の数は年々増え、今年は70回になるだろうとの予測です。仮に1回に4000人の乗客があれば、年間に28万人もの中国人観光客がこの多良木町からおよそ90キロ下流の港にやってくるのです。この巨大な豪華客船のことを、八代の人は平成の白船と呼びます。

 江戸時代末期、それまで風の力で進む帆船しか知らなかった日本人の前に、蒸気機関で動く、鉄板の大型船、すなわち黒船が現れ、欧米の文明の力に圧倒されます。そして幕末の動乱が始まり、江戸幕府は倒れ明治維新となります。平成の巨大な白船は、私たちに時代が大きく変わろうとしていることを告げる存在です。急速な科学技術の進展と情報化によって社会は大きく変化しています。人工知能AIは将棋や囲碁の名人に勝利します。人が運転操作しなくても走る自動運転の自動車が一般道を走る日も近いでしょう。このような変化に私たちはついていけるだろうかと不安になります。しかし、私のような中高年はついていけないかもしれませんが、皆さん達若者は、この変化がチャンスです。

 黒船到来で揺れる幕末の日本において、このままではだめだ、欧米列強に後れをとって日本は植民地になってしまうと危機感をいだき、奮起して新しい国づくりに活躍した志士たちは10代、20代の若者でした。世の中が大きく変わってしまったと驚く私のような中高年をしり目に、変化の潮流の中で皆さんたちは主人公となってこの社会を変えていってほしいと期待します。

            

表彰式の様子

新しいALTの紹介(新任式)

 8月25日(金)、2学期の始業式に先立ち、新しいALTの新任式を行い、私のほうから次のように日本語と英語で紹介しました。

「新しいALTの先生を紹介します。アイルランド共和国から来られたチャールズ先生です。

New ALT is Mr Charles Edwin Merchant from The Republic of Ireland.

チャールズ先生は、高校時代に第二外国語で日本語を勉強して、日本にとても興味を持たれ、ALTとして日本で働くことを希望されました。

Mr Charles studied Japanese as the second foreign language at high school. So, He was interested in Japan and He wanted to work as an ALT in Japan.

 チャールズ先生は日本語が上手で、とてもフレンドリーな方です。皆さんと話すことを楽しみにされています。どうか、皆さんの方から積極的に話しかけてください。

 He can speak Japanese well. He is  very friendly . He is looking forward to talking with you. Please speak to him actively .

 ところで、皆さんはアイルランドの首都がどこか知っていますか?

そう、ダブリンです。

By the way, do you know where the capital of Ireland is?

It is Dublin.

 私は、大学生の時に、アイルランドが生んだ大作家のジェイムズ・ジョイスの「ダブリン市民」という有名な小説を読み、深い感銘を受けました。

I read a famous novel the Dubliner written by James Joyce in my  university days.  I was deeply impressed by this novel.

 この小説を読んで、私はいつかアイルランドに行ってみたいと思いました。しかし、その希望は実現していません。

 I read this good novel and  I would like to visit Ireland someday, but that hope has not yet come true.

 アイルランドの人と一緒に仕事をするのは私にとって初めてです。とてもわくわくしています。

It is the first time to work with the Irish . I am very excited.

 私は英語の教師ではありませんが、できるだけ英語でチャールズ先生とコミュニケーションをとりたいと思っています。皆さんもそうしてください。

 I am not an English teacher, However ,as much as possible,I would like to communicate with Mr Charles in English. Everyone,Please do so like me.

 これで私の挨拶を終わります。これからチャールズ先生に自己紹介をお願いします。

 my greeting is over . Mr Chrles Please introduce yourself from now.」


                               新ALTのチャールズ先生に歓迎の言葉を述べる生徒会長

アイルランドから連想すること ~ アイルランド人のALT着任

アイルランドから連想すること ~ アイルランド人のALT着任

 新しいALT(外国語指導助手)のCharles Edwin Merchantさん(男性)が着任され、8月9日に校長室でお会いしました。「チャールズ先生です。よろしくお願いします。」と流暢な日本語での挨拶には驚かされました。高校時代に第二外国語で日本語を学び、それから日本のことに興味、関心が高まり、ALTとして日本で働くことを希望することにつながったそうです。チャールズさんはアイルランドから来ました。ALTの出身国は、USA、イングランド、カナダなどが多く、アイルランド人のALTは私にとって初めてです。

 アイルランドという国名を聞いて連想するのが、アイルラン出身の作家ジェイムズ・ジョイス(18821941)の作品『ダブリン市民』です。アイルランドの首都ダブリンを舞台とした短編小説集で、中でも「死せる人々」は印象深く心に残る物語です。30年前の大学生の頃に読み、感銘を受けました。

 また、熊本市には、熊本アイルランド協会があり、熊本とアイルランドとの交流活動を行っています。「熊本市になぜアイルランド協会があるのか?」と疑問を持たれる人もいるでしょう。それはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の存在に由来します。『怪談』をはじめ諸作品で日本の伝統文化を欧米に紹介したラフカディオ・ハーンの父親はアイルランド人で、ハーンは幼少期をダブリンで過ごしているのです。ハーンは明治24年に熊本へ赴任し、第五高等中学校(熊本大学の前身)で教鞭をとり(英語を教授)、明治27年まで熊本で生活をしています。軍都として発展しつつあった熊本の街には違和感を抱きながら、「簡易で、善良で、素朴な」熊本の人々の精神をハーンは高く評価しました。ハーン一家が住んだ家は「小泉八雲旧居」として熊本市に保存されています。

 このように、ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』の読書体験やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と熊本の関係を思い起こすと、アイルランドに対して私はとても親近感を抱きます。初めてアイルランド人と一緒に仕事ができるということで、何かわくわくします。新ALTのチャールズさんはとてもフレンドリーな方ですから、きっと生徒たちもすぐに親しむことでしょう。


 


多高野球部が愛される理由 ~ 野球部の地域貢献

多高野球部が愛される理由 ~ 野球部の地域貢献

 毎夏、多良木町と交流している北海道の南幌町(なんぽろちょう)の小学生10人が来町し、本校にも宿泊します。本校にとっても毎年恒例の行事となっています。そして、この交流事業で大活躍するのが野球部です。

 7月30日(日)、多良木町の中心部から北の山間部に向かって車で15分ほど走り、休校中の宮ケ野小学校校舎を訪ねてみました。この日は南幌町の小学生と多良木町の小学生の交流会が予定されていて、多良木町役場の方々が山女魚の塩焼きとそうめん流しの昼食の準備を行っておられました。そして本校の野球部員がそれを手伝っていたのです。18人の選手は野球のユニホームを着て、6人の女子マネージャーは学校の体操服で、それぞれ動き回っていました。そうめん流し用の竹筒を作ったり、小学校前の渓流で山女魚の血を抜いて洗い竹串をさしたり等、活発に立ち働いていました。その健気な様子を見て、私は思わず笑顔となりました。「高校生のみんながよくやってくれていて、感謝です。」と役場の方から御礼の言葉もいただきました。

 夕方、本校のセミナーハウスに会場を移し、女子マネージャーがカレーライスを作り、両町の小学生の夕食会。夜は本校の体育館で野球部選手たちも交じってのビーチボールバレーのレクリエーション。「こんな経験は多良木高校野球部ならではだね。」と私が声を掛けると、生徒たちは笑顔で「はい」と返事をしました。

 本校野球部の齋藤監督は多良木町の社会教育指導員を務めておられるため、積極的に野球部員にボランティア活動を呼び掛けられます。南幌町の小学生との交流行事をはじめ町の文化祭や科学展(サイテク祭)の設営準備、公園の清掃活動、町の駅伝大会への参加など年間を通して野球部員が地域のために身体を動かし、汗を流しています。

 他者のため、公のため、無償の気持ちで働く野球部の生徒たちは輝いています。その姿を知っている地域の方々が、いざ大会となると本校野球部を応援するために球場に駆け付けてくださるのです。多良木高校野球部が地域に愛される理由は日頃の活動にあると思います。


 


 

多くの来校者でにぎわう ~城南地区県立高校PTAビーチボールバレー大会

多くの来校者 ~城南地区県立高校PTAビーチボールバレー大会


 7月29日(土)、多良木高校で城南地区県立高等学校PTAビーチボールバレー大会が開催され、12校19チーム、参加者総数190人の方が来校されました。開会式での校長の歓迎挨拶を掲げます。

 「皆さん、ようこそ多良木高校へお越しいただき、有難うございます。八代・芦北・水俣の学校の皆さんには遠く感じられたことと思います。本校が位置する多良木町、そして東側の湯前町、水上村などこの地域は球磨郡の中でも上球磨、あるいは奥球磨と称しており、ここより東にはもう熊本県の高校はありません。本校から車で15分ほど国道219号を走ると湯前町横谷峠にさしかかり、宮崎県西米良村に入ります。

 多良木高校は、上球磨の拠点、多良木町に大正11年に創立され、戦前は高等女学校の歴史を持ち、戦後、新制の普通高校となり、「多くの良い木」の名前のとおり、人材を輩出してきました。昭和40年代には学年8クラスを有し、水上村には水上分校を持っていました。しかし、その後、この地域の少子化、人口減が急速に進み、平成2年に水上分校がなくなり、とうとう本校までもが来年度、平成31年3月をもって閉校の定めとなりました。今年度は新入生はなく、現在2、3年生の計136人が在籍しております。

 しかし、小さくともキラリ輝く存在でありたい、最後まで地域と共に歩み、体育部活動をはじめ活気ある学校でありたいと願い、保護者のご支援のもと生徒と職員が一体となって様々な活動に取り組んでいるところです。多くの方に閉校前の多良木高校に来ていただき、その様子を記憶してほしいとの本校PTAの熱い思いから、この城南地区親睦ビーチボールバレー大会も実現しました。

 城南地区高等学校のPTAの皆様にお願いがあります。現在の2年生69人が多良木高校のアンカーとして部活動に励んでおり、野球、陸上、サッカー、男子バスケット、女子バレー、女子アーチェリーの6つの体育系部活動が来年度まで活動します。本校は平成3年に体育コースが設けられたこともあり、二つの体育館、300mの陸上トラック、専用の野球場とスポーツの施設・設備が充実しており、宿泊できるセミナーハウスもあります。どうか、部活動の練習試合や合同練習等で御来校いただき、本校の生徒と一緒に活動していただけないかと願っております。本日も宮崎県の都城の高校が野球の練習試合に来てくれています。それぞれの学校の部活動でご検討いただきたくお願い致します。

 小規模校のため、PTAのスタッフも少なく、不行き届きな点も多々あるかと心配しておりますが、笑顔と歓声あふれるレクリエーションになることを願い会場校校長挨拶といたします。」


 

 


語り継がれる戦争体験

語り継がれる戦争体験 ~ 同窓生の方からの聴き取り学習

「戦争中の女学校生活で楽しみは何でしたか?」との生徒の問いに、多良木高等女学校の同窓生の方は「楽しみなんてなかったよ。」と語られ、質問した生徒の表情が引き締まりました。7月25日(火)の午後、2年生の「日本史A(近現代史)」選択者25人が、多良木高等女学校同窓生の方から戦争体験を聞き取る学習活動を行いました。

 多良木高校は大正11年(1922年)創立当初から「平和・勤労・進取」の校訓を掲げていますが、その沿革を振り返ると「平和」の時ばかりではありません。昭和12年に勃発した日中戦争、そして昭和16年の太平洋戦争開戦と昭和前期は過酷な戦争の時代が続きました。その時代に当時の多良木高等女学校で学ばれた先輩方の高齢化は進み、80代後半から90代にさしかっておられます。そして本校自体が来年度で閉校です。従って、同窓生の方から戦争体験を聴く機会は今しかないと考え、地域の同窓生の方々の協力を得て、日本史選択者の聴き取り学習の場が実現しました。

 当日は、昭和19年度から昭和21年度にかけての卒業生10人の同窓生の方に御来校いただきました。その他、同窓生の方と親交のある第一高等女学校(現第一高校)、八代高等女学校(現八代高校)、そして戦争中に熊本市健軍の三菱重工熊本製作所(軍需工場)で勤労動員の体験を共有される熊本中学校(現熊本高校)の卒業生の方(唯一の男性)も加わっていただきました。生徒たちが各5人の5班に分かれ、班にそれぞれ2~3人入っていただき、戦争中の体験、当時の思い出や考えていたことなどを生徒たちに1時間ほど語っていただきました。

 戦争中の女学生と現代の高校2年生はおよそ70歳の年齢の開きがあります。しかし、生徒たちは事前に準備していた質問項目だけでなく、同窓生の方のお話に興味を持ち、予定していた時間を超えて対話が続きました。個々人の体験が語り継がれ、記録されることで、それは歴史となります。教科書の記述で学んだ知識をもとに、同窓生の方の体験談、証言を聴くことで、生徒たちは戦争と平和について深く考えさせられたことでしょう。


 


ともに汗を流して ~ 夏の除草作業

ともに汗を流して ~ 夏の除草作業

 気温35度の猛暑日が連日続いている今日この頃ですが、7月25日(火)の朝、保護者の方々のご協力も得て校内の除草作業に取り組みました。本校は300m陸上競技トラック、野球場等とスポーツ施設が充実していることもあり、学校敷地は6万5千㎡を超えています。在籍生徒数が現在は2学年136人であり、普段の清掃活動でも校庭やグラウンド等には手が回りません。夏季休業に入り、夏草がさらに生い茂ってきたため、除草作業を実施しました。

 当日朝7時に、保護者有志の方、体育系部活動員をはじめ生徒有志、そして教職員とおよそ百人が集まり、約1時間、除草作業を行いました。少しでも涼しい時間帯にと計画したのですが、無情にも7時を過ぎると夏の太陽の日差しは容赦なく、身体から汗がとめどなく流れ出ます。保護者の中には出勤前にご協力いただき、作業が終わると急いで職場に向かわれる方も少なくありませんでした。そのような保護者の姿はきっと生徒たちの気持ちを揺さぶったものと思います。

 草を抜きながら生徒たちと、「雑草のたくましさについて」や「自宅で草取りをするか」など様々な会話をしました。日本の学校において、掃除の時間は特別な教育的意義があると思います。今でも掃除機などの便利な道具はあまり使わず、雑巾、箒、モップ等のアナログな用具で地道に取り組みます。除草剤も原則使わず、手作業で草を抜くのが学校の掃除風景です。生活する場所を清潔に整えることは人として当然の作法であり、生活の基本であるという考えが日本人にはあると思います。掃除の時間はそのことを児童、生徒たちに体得させる大事な教育の場なのです。

 欧米から赴任してくるALTやアジアの教育関係の訪問者が、日本の学校のユニークな点として「児童生徒と一緒に教職員が掃除をすること」を挙げますが、私たちからすると、一緒に掃除をしないことの方が奇異に思えます。ともに汗を流して草を抜き、少しでも自分たちの学校を整えていこうという意識の連帯こそが、教育だと考えるのです。


 



それいけ野球部 ~ 夏の大会ベスト8進出

それいけ野球部 ~ 夏の選手権大会ベスト8進出

「あきらめない夏」を掲げて、第99回全国高等学校野球選手権熊本大会に臨んだ多良木高校野球部は、毎試合、筋書きのない熱いドラマを創りながら、準々決勝、ベスト8に進出しました。

 1回戦の大津高校戦は攻守ともにかみ合い9対0で快勝。2回戦の専大玉名高校戦は緊迫した試合展開で、1対1のまま延長戦に入り、11回裏、主将の若杉君のセンター前ヒットでサヨナラ勝ち。1,2回戦とも2年生エースの古堀君の好投が光りました。

 古堀君は東京都大田区の中学校を卒業して多良木高校に入学してきました。ご両親は多良木高校の同窓生で、高校はご両親の故郷で学びたい、そして強い公立高校野球部で野球に打ち込みたいという本人の意志で、本校を選んでくれました。あさぎり町の祖父母の家に住み、毎日、およそ10㎞の道のりを自転車で元気に通学しています。古堀君のような「孫ターン」の生徒は同学年に他に2人いて、それぞれ板橋区、足立区の中学校から本校に入学し、陸上部とバスケットボール部で活動しています。彼らの存在は、少子高齢化が進む地域に活気をあたえるものです。

 3回戦の八代東高校戦は、前半2対5とリードを許しながらも8回表に一気に5点を奪い逆転。古堀君を救援した3年生の城本君が気迫のピッチングを見せ7対6で勝利しました。8回の逆転劇の時の多良木高校側スタンドは歓喜と興奮に包まれました。多高校野球部の試合には、多良木町をはじめ地域の多くの方々が足を運んでくださいます。有志の「多良木高校野球部応援隊」はじめ、野球部を応援する「じじばばの会」というお年寄りの会もあります。卒業生、そして卒業生の保護者も今年は特に多く応援に来られています。

 閉校が来年度に迫りながら、それを感じさせない野球部の活躍に卒業生はじめ地域の方々が喜んでおられることを感じます。多良木高校野球部の試合はいつもハラハラドキドキの展開です。炎天下、こんなにも多くの人が一喜一憂し、勝っても負けても涙し、世代を超えて校歌を合唱する光景が見られるのは多良木高校ならではと思います。


               3回戦の試合前


インターハイ壮行会 ~ 全校生徒の寄せ書きで送る

インターハイ壮行会 ~ 全校生徒の「寄せ書き」で送る

 
 7月14日(金)は多良木高校にとって節目の日です。この日が1学期終業式の日であると共に、いくつもの行事を実施しました。先ず、ALTのジョセフ・ランザ先生の退任式。イングランドから赴任したジョー先生は、1年間の任期を終え、この1学期末で帰国されることになりました。身体を鍛えることが好きで、放課後、第2体育館のトレーニングルームで筋トレに励む姿が印象的なジョー先生は生徒たちにとても人気がありました。

 続いて、「南東北インターハイ2017」の陸上競技100m、200mに出場する三浦恵史君(3年)の壮行会。同窓会の味岡峯子副会長にもご出席いただきました。そして、全校生徒が布に寄せ書きを行い、それを生徒代表が贈って激励しました。小希望校ならではの心温まるメッセージです。三浦君にとっては何よりの励ましとなったことでしょう。
 先日の7月8日、熊本市で開催された国体最終選考会において、少年の部100mで10秒75の自己ベストで優勝し、愛媛国体の県代表にも決まっています。着実に自己記録を更新して成長を遂げている三浦君を頼もしく思います。「熊本 多良木」の名前を背負い、アスリートの祭典のインターハイで自分の力を最大限に発揮してほしいと期待します。

 終業式を終え、午後、体育部活動のキャプテンやマネージャー等を集めて、教職員との合同の救急法講習会を第1体育館で行いました。上球磨消防組合消防本部から隊員の方に来ていただき講師をお願いし、心臓マッサージやAEDの使い方についての研修に取り組みました。安全こそが部活動の大前提です。自分たちの命は自分たちで守るという心構えを持っていてほしいと思います。

 ようやく昨日7月13日に南九州は梅雨明けしました。明日から夏季休業。多高生には大いに汗を流し、身体を動かしてほしいと思います


 


地震を知る ~ 阿蘇火山博物館の池辺館長のご講演

地震を知る ~ 阿蘇火山博物館の池辺館長のご講演

 今年度から、多良木高校は地域の方と一緒に防災活動に取り組むこととなりました。「防災型コミュニティスクール」です。昨年まで学校だけで防災学習、そして避難訓練等を実施してきましたが、昨年の熊本地震の体験をとおして、改めて地域との連携の大切さを知り、今年度から全ての県立高校は防災型コミュニティスクールとなったのです。

 その最初の取り組みとして、7月4日(火)の午前、地震に関する講演会を開催しました。本校が位置する多良木町六区からも区長さんをはじめ20人余りの方々が来校され、生徒及び教職員と共に一緒に聴講されました。学校と地域の方が共に学ぶことが、コミュニティスクールの第一歩です。

 講師は公益財団法人阿蘇火山博物館館長の池辺伸一郎先生で、演題は「地震を知る」です。池辺先生は、長年、同館の館長を務めておられ、火山及び地震の専門家でいらっしゃいます。お話は、(1)地震のメカニズム、(2)熊本地震について、(3)人吉球磨地域の断層、(4)自然災害から身を守る、の四つの項目に沿って進み、プロジェクターでスクリーンに投影された図、資料を使われ、とても具体的でわかりやすいものでした。

 また、「地球は生きている、火山活動、そして地震について予知はできない」、「地球が何を考えているかわからない、地球科学の分野はまだわからないことが多い」と専門家ならではの謙虚な表現が印象に残りました。そして、地震、火山噴火、台風などの危険な自然現象(Hazard)は日本列島で生きていく以上、避けようがない、しかし、自分が生活する地域のハザード(Hazard)の理解を深めることで、防災、減災に結び付け、生活に多大な被害が生じる災害(Disaster)が起こらないよう努力すべきだと結ばれました。

 熊本地震で阿蘇地域は大きな被害を受け、池辺館長の阿蘇火山博物館も復旧の途上にあります。火山及び地震の研究者としての使命感と復興に挑む気概が込められた、内容豊かなご講演でした。「地震を知る」という初めの一歩を多良木高校は地区の住民の方々と共に踏み出すことができました。



阿蘇への震災復興支援旅行

阿蘇への震災復興支援旅行 ~ 阿蘇を応援

 「今の多良木高校生に特別な体験をさせたい」とのPTAと私たち教職員の思いが合致して、閉校に向けてのPTA特別予算による研修旅行が実現。場所は阿蘇地域。昨年の熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇地域の復旧・復興の状況を現地に赴き実際に見て学ぶ旅行です。

 6月30日(金)、3年学年全員、貸切バス2台で朝7時30分に学校を出発。断続的に雨が降る中、九州自動車道の小池高山ICで降り、益城町の中心部を通りました。昨年の熊本地震で震度7の地震に二度も襲われた町で、町の中心に更地が目立ちました。大津町から先は国道57号もJR豊肥線も震災以来不通になっており、大規模農道(通称「ミルクロード」)を上り二重峠から下って阿蘇の赤水地域へ入りました。阿蘇地域の高校生で大津町や熊本市方面に通学する者は朝夕この峠の迂回路を通っていることになります。

 阿蘇山上には3本の登山道路が通じていますが、現在、通行可能はJR阿蘇駅前からの坊中線のみです。およそ10㎞の道のりをバスはゆっくり上っていきます。阿蘇ならではのスケールの大きい草原の風景が車窓から見え、生徒は歓声をあげます。また、震災で崩れ落ちた山肌や痛んだ道路の工事風景も目に入ります。午前11時頃、草千里に到着。阿蘇火山博物館に入り、地震の仕組みや阿蘇の被災状況の説明を受け、阿蘇のカルデラ形成の模擬実験も見学。

 午後からは杵島岳トレッキングの予定でしたが、悪天候のため断念。レストハウスで昼食を取ってバスで山を下り阿蘇市宮地の阿蘇神社へ移動。熊本地震で崩れた楼門の修復工事の様子を見学した後、境内をはじめ門前参道の湧水を見て回りました。この湧水は熊本地震でも枯れることなく被災した人々を助けたそうです。カルデラの中で暮らす阿蘇の人々は、噴火や地震という自然の脅威にさらされる一方、豊富な水や温泉、そして風光明媚な景色などの素晴らしい自然の贈り物に囲まれています。火山との共生です。

 熊本地震の影響で阿蘇を訪ねる観光客や研修旅行の児童生徒は減少していますが、今回、震災復興を支援する目的で多良木高校として訪ねてみて、一歩一歩、復旧復興が進んでいることを実感できました。

                         

阿蘇登山道のバスからの草原風景

          阿蘇神社門前町での水基(湧水所)巡り

瞬間の世界に挑む ~ 陸上100競技


瞬間の世界に挑む ~ 陸上100m競技

 3年1組の三浦恵史君が熊本県高校総体陸上100mで優勝したことで本校も脚光を浴びました。三浦君の快挙を伝えた新聞記事には「多良木高校として32年ぶりの優勝」とありました。改めて、男子100mの歴代優勝者を調べてみると、確かに昭和60年に「西 和任」選手が10秒90で優勝の記録が残っています。さらに遡ると昭和49年に「田代博志」選手が11秒2で優勝しています。県高校男子100m優勝者は昭和25年から記録が残っていますが、多良木高校は今回の三浦君を含め3人の優勝者を出しています。

 多良木高校の『創立80周年記念誌』等によると、「田代博志」選手が優勝した昭和49年は、多良木高校陸上部が県高校総体で大活躍し、南九州大会に21人もの選手が進み、その年のインターハイに8人が出場するという輝かしい成績でした。当時の多良木高校陸上部のユニフォームがオレンジ色だったことから、「オレンジ旋風」と称えられたという逸話が伝えられています。

 このような先輩たちの汗と夢の伝統を受け継ぎ、今年の三浦君の走りがあったと思うと感慨深いものがあります。43年前の田代選手の記録が11秒2、32年前の西選手の記録が10秒90、そして今年の三浦君が10秒81と並べると、100m競技で1秒、いや10分の1秒、100分の1秒を短縮することがいかに至難のことかよくわかります。瞬間の世界に挑む短距離ランナーたちの苦闘が想像されます。

 「南東北インターハイ」に向けて三浦君は練習を再開しました。自己ベスト記録更新を目指し、孤独で厳しい自分との闘いです。その後ろ姿を見ながら、多良木高校陸上部の歴史のアンカーとなる2年生たちも練習に取り組んでいます。平成31年3月の「閉校」というゴールに向け、走り続けます。

 

 

         南九州大会100m2位(三浦君)を示す電光掲示板

インターハイへの道

インターハイへの道

 陸上競技でインターハイ(全国高校総体)に出場するには二つの階段を登らなければなりませ。先ず県高校総体で6位以内に入り県代表となること、そして次に南九州四県(熊本、宮崎、鹿児島、沖縄)の南九州大会で6位以内の入賞を果たすことが求められます。今年度の南九州大会は熊本市の県民総合運動公園陸上競技場で6月15日(木)から18日(日)にかけて開催され、多良木高校から3年の三浦恵史君が100mと200mに出場しました。

 熊本県高校総体100mで優勝した三浦君は、16日(金)に予選、準決勝を勝ち上がり、決勝でも力強い走りを見せ、沖縄県の選手に続き2位でゴールに飛び込みました。記録は10秒81。さらに200mは圧巻でした。17日(土)の予選、準決勝を勝ち抜き、18日(日)午前の決勝に進みました。三浦君は県高校総体では3位だったため、私たちは何とか6位以内に入ってほしいと祈るような思いでスタンドから見守りました。連日30度近い暑さの中での競技が続き、疲労も心配されました。しかし、200m決勝では、闘志あふれる表情で力走し4位でゴール。記録は22秒02。100mも200mも自己ベストと並ぶ記録で、インターハイ出場を決めたのです。

 走り慣れている熊本の競技場で開催されたという地の利もあったかもしれません。しかし、南九州各県の代表選手と競うハイレベルな大会で、自分の力を最大限に出し切った三浦君の強さには脱帽です。南九州大会での三浦君の走りは、「戦う」という迫力が感じられました。

 インターハイ(全国高校総体)という高校アスリートの祭典への出場資格を自らの力で勝ちとった三浦君。三浦君にとっては、一つ山を越えるとまた次の高い峰があり、さらなる高峰が先に続いているようなものですが、それを次々と制覇しながら、より高みを目指して成長を遂げている姿に感嘆します。

 今年のインターハイは「南東北総体2017 ~ はばたけ世界へ」として陸上競技は山形県天童市で7月29日から8月2日にかけて開かれます。遠い山形の地に向け、若きアスリートは闘志を燃やし走り続けます


高校総体が終わって

高校総体が終わって

 毎年思うことですが、高校総体が終わると学校の空気が大きく変わります。野球部を除く多くの3年生が部活動を退き、進路に向けての学校生活に切り替わるからです。放課後に進学対策の課外授業も始まります。そして部活動は2年生が中心となります。本校の場合、1年生は在籍していませんので、2年生が多良木高校の部活動の最後の担い手となるのです。

 今年も高校総体では多くのドラマがありました。6月2日(金)の総合開会式(県総合運動公園陸上競技場)で陸上部と女子ソフトテニス部の生徒と共に入場行進をしました。スタンドから見ていた陸上部マネージャーの女子生徒が、「行進の息がみんな合っていて、涙が出そうになりました。」と語ってくれました。午後は、女子バレー部と男子バスケットボール部の1回戦を応援しました。それぞれベストを尽くし、最後まであきらめないプレーで見る者の胸を熱くしてくれました。試合後、女子バレーの選手たちは全力を出した後のすがすがしい表情でしたが、バスケットボール男子の3年生たちはコートで号泣していました。

 3日(土)は、宇土市で開催された女子アーチェリーを応援しました。選手たちは自分との戦いに集中していました。そして、午後から翌4日(日)にかけては「えがお健康スタジアム」において陸上競技の醍醐味を満喫しました。三浦君の100m優勝、200m3位の快挙には部員や顧問職員に歓喜の輪が広がりましたが、部の目標であった400mリレー、1600mリレーでの南九州大会出場を逃し、選手たちは地面を叩いて悔しがる姿が印象的でした。この悔しさはきっとこれからの学校生活の原動力になると思います。

 県高校総体という大きなイベントが終わり、6月6日(月)から学校は平常授業の日課に戻りました。3年生の女子4人で最後の高校総体に臨んだソフトテニス部は、放課後に部室の清掃と整理に取り組んでいました。かつては全国大会にも出場したソフトテニス部ですが、2年生がいないため閉校の1年前にその活動に終止符が打たれることになったのです。ゴール(閉校)が一歩一歩近づいてくることを感じます。


          男子バスケットボールの試合(東海大学)


 

多良木の意地と誇りの走り ~ 県高校総体陸上男子100m優勝

多良木の意地と誇りの走り ~ 県高校総体陸上男子100m優勝

 6月3日(土)、午後4時20分、県高校総体陸上競技会場の「えがお健康スタジアム」(熊本市)は緊張感ある静寂に包まれました。注目の男子100m決勝を迎えたのです。決勝を走る8人の走者の中に多良木高校3年の三浦恵史君がいます。スタンドから見つめる私も自然と体に力が入ります。「オンユアマーク」の掛け声があり、号砲、そして大歓声。スタートから飛び出した三浦君は勢いをさらに加速させ、10秒81の自己ベストタイムでゴールに飛び込みました。会心のレースでした。スタンドを駆け下りて、選手退場ゲートで三浦君と握手。いつも冷静な三浦君も、満面の笑顔を見せました。しかし、その後の記者からのインタビューには、すぐ平静さを取り戻し、落ち着いて対応する姿がありました。この時、「多良木の意地と誇りを胸に走りました。」と三浦君が答えるのを聞き、胸が熱くなりました。
 三浦君は、体格は決して大きい方ではなく、むしろ小柄と言ってよいでしょう。入学してきた時は県のトップレベルの選手ではありませんでした。しかし、陸上部顧問の富﨑教諭の指導を受けながら、黙々と練習に取り組み、記録を伸ばしてきました。2年次の秋の新人大会では3位に入り、九州大会出場を果たして自信を付けたようです。今年度に入ると10秒台の記録を次々と出し、好調を維持して高校総体に臨みました。周囲の期待が高まる中、見事、結果を出した三浦君の実力には驚かされます。競技直前は、いつも一人で気持ちを集中させ、近寄りがたい張りつめた空気が身辺に漂っています。普段の学校生活でも、決しておごらず、浮かれず、自分自身をコントロールできる賢さと意志の強さを持っている生徒です。
 男子陸上100mの優勝は、多良木高校にとっては32年ぶりの快挙であり、三浦君で三人目となります。多良木高校の伝統を感じると共に、閉校まで2年となった今だからこそ大きな価値のある優勝だと思います。学校に元気を与えてくれた三浦君の走りを称えると共に、南九州大会での更なる活躍、そして全国高校総体(インターハイ)への出場を願ってやみません。    


 


ツクシイバラの自生地を訪ねて

ツクシイバラの自生地を訪ねて

 
 昨日の日曜日、高校総体サッカー1回戦を戦う多良木高校イレブンを球磨工業高校グラウンド(人吉市)で応援。3対1で逆転勝利をおさめ、2回戦進出を決めました。部員は12人で、1人怪我をしているためぎりぎりの11人で試合に臨んでの劇的な勝利でした。生徒の頑張りに満たされた気持ちになった私は、多良木への帰途、錦町からあさぎり町にかけての球磨川の河川敷の「ツクシイバラ自生地」を訪ねました。
 ツクシイバラは野生バラの一種で、九州を意味する筑紫(ツクシ)と茨(イバラ)を合わせた名前です。5月下旬から6月上旬にかけて、薄いピンクや白の花を咲かせ、球磨の風物詩となっています。1917年(大正6年)に当時の旧制人吉中学校教諭の前原勘次郎氏がこの地で発見し、今年は100年に当たります。熊本県の絶滅危惧種に指定されている植物ですが、地元の方々の保護活動によって今年も野趣に富むツクシイバラの花を見ることができます。
 錦町木上(きのえ)の球磨川河川敷ではミニコンサートも行われ、多くの見学者でにぎわっていました。傍らを流れる球磨川の清冽な水、周囲の山々の瑞々しい万緑、そして素朴なツクシイバラの群生に包まれると、球磨郡の風土の豊かさをしみじみと実感します。これからの100年、いやその先も長きにわたってツクシイバラの自生が続くよう念じました。


 



自生のツクシイバラの花

いざ高校総体、総文祭へ

いざ高校総体、総文祭へ

 一昨日からの中間考査が今日5月25日(木)の午前で終わり、全校生徒が体育館に集まって第45回熊本県高等学校総合体育大会(高校総体)・第29回熊本県高等学校総合文化祭(総文祭)の選手推戴式を行いました。昨年は、「熊本地震」の影響で総文祭は中止となり、高校総体も総合開会式は行われず、競技会場を県内全域に分散しての開催でした。高校生のスポーツと文化の祭典が通常通りに開催できることを有難く感じます。

 本校からは、高校総体に男子サッカー、男子バスケットボール、女子ソフトテニス、女子バレーボール、陸上(男女)、アーチェリーの6競技に、総文祭には書道と華道の二つの部が参加します。昨年は、高校総体開催時期に入梅が重なり、屋外競技は雨にたたられた印象があります。サッカーは雨の中、まさに泥だらけの試合でした。陸上競技も雨が降り続き、厳しいコンディションのもと行われました。今年は選手一人ひとりがより力を発揮できるような良好な気象条件を望みたいと思います。

 多良木高校の高校総体は来る5月28日(日)のサッカーの1回戦、ソフトテニスの個人戦から始まります。ソフトテニス部は部員が3年生4人であり、この高校総体を最後に部の活動は停止となります。総体にかける生徒たちの思いは深いものがあるでしょう。

 6月2日(金)に2年ぶりに実施される高校総体総合開会式で入場行進の旗手を務める恒松朋樹君(陸上部)に校旗を私から授与しました。選手を代表して女子バレー部キャプテンの高尾美喜子さんが決意の言葉を述べてくれました。

最後に野球部全員が太鼓を叩き、威勢の良い激励をしてくれ、会場は大いに沸きました。

 昨日からの雨も朝方には上がり、選手推戴式を終えた頃には強い日差しが照り始めました。さあ、高校総体、総文祭に向けて元気を発信です。



魅せた体育大会

魅せた体育大会

 雨で一日順延となった体育大会を5月14日(日)に開催しました。3学年そろっていた昨年までと異なり、3年生と2年生の2学年136人による体育大会でしたが、生徒一人ひとりが進んで動き、競技、演技も一生懸命さが伝わり、大会運営も円滑に進み、どのプログラムを見ごたえあるものでした。

 また、保育園児とのダンスや玉入れ、老人会の方々とのグラウンドゴルフ、そして保護者の方も参加しての綱引きや男女混合リレーなど交流プログラムも充実しており、地域に開かれた体育大会となりました。

 特に本校体育大会のハイライトとして午前中最後のプログラム「キラリ輝く多高生」は、全校生徒が参加して、男子による伝統の多高体操、女子のダンス、そして体育コース生徒による集団行動、種目別の演技(縄跳び、マット運動、跳び箱)と1時間にわたる多彩な内容で、今年も大いに観衆を魅了しました。きびきびした動き、力強さ、柔軟性、そして豊かな表現力と多高生の力を存分に発信できたと思います。体育コースの生徒たちは、高い身体能力を発揮するだけでなく、個性を加えて高校生のユーモアと明るさをアピールし、魅せる演技に成功しました。

 御観覧頂いた保護者、地域の方々からも「昨年までとそん色ない盛り上がり」、「生徒数は減っても元気があった」、「生徒の出番が多くて楽しめた」等、多くの賞賛の言葉をいただきました。多高生全員の力で創り上げた体育大会として誇っていいと思います。

 ゴール(閉校)まで2年。多良木高校は最後まで元気を発信し続けていきたいと思います。


                                     体育コース生徒による集団演技

体育大会開催

 5月14日(日)、第67回体育大会を開催しました。本来は前日13日(土)に予定しておりましたが、雨天の影響で一日順延となりました。開会式の校長挨拶を次に掲げます。

「風薫る五月の日曜日、多良木町副町長の島田保信様をはじめ多くのご来賓の方、そして保護者、地域の方々に御臨席いただき、熊本県立多良木高等学校第67回体育大会を開催できますことを生徒の皆さんと共に喜びたいと思います。

本日も出演される光台寺保育園の園児の皆さんから可愛いテルテル坊主を頂いていたのですが、雨の影響で一日順延となり今日の開催となりました。しかし、これで良好なコンディションのもと、生徒の皆さんは思い切ってパフォーマンスができるものと思います。

 今年の体育大会のテーマは「多魂情 ~ 熱く強く勇ましく」です。土にまみれてもいい、多少の演技のミスがあってもいい、皆さんの若さと勢いで押し通してください。

3年と2年の2学年による体育大会です。人数が少なくなった分、皆さんの競技種目への出番が多くなります。存分に力を発揮してください。併せて、大会の運営も皆さんが担います。責任をもって自分の役割を果たすことを期待します。今日の体育大会が、笑顔と歓声あふれるものになることを願っています。

 結びになりますが、ご観覧の皆様には、全校生徒136人に対するご声援をよろしくお願いして、開会の挨拶といたします。」
 

介護職員初任者研修課程の開講式

 5月9日(火)の2限目、福祉講義室において2年生福祉教養コースの「介護職員初任者研修課程の開講式」を行いました。その冒頭の校長挨拶を掲げます。

 「介護職員初任者研修課程の開講に当たって、2年1組福祉教養コースの皆さんに、気持ちのうえで一度初心に立ち戻ってほしいと思います。中学3年生の進路を決めなければならない時に、皆さんたちが、多良木高校福祉教養コースを志望した理由は何だったのでしょうか。その時の気持ち、即ち初心に戻ってほしいのです。

 高校は様々な学科・コースがありますが、普通科、農業、工業、商業、体育コース等ではなく、この福祉教養コースを選んだ時の決意を思い出してください。きっと、福祉に関する専門的な知識と技術を身につけられること、そして、介護福祉施設や病院、保育園等での多くの実習に魅力を感じて志望したのだと思います。
 福祉のことを学びたいという皆さんは、心優しい人たちです。けれども、優しさだけでは介護はできません。プロとして働くには専門性が必要です。その専門性の土台となる資格が介護職員初任者研修課程です。何事も基礎が大切です。少々我慢して基礎を身につける時期が必要なのです。基礎をしっかり学び、この課程を修了して自信を付けてください。

 これから1年間、医師、看護師、介護福祉士など医療、福祉の現場の専門家の方々が来校され、講義してくださいます。学ぶ内容は易しくはありません。だからこそ学びがいがあります。一人で学ぶのではありません。同じ志を持った14人で学びあい、教えあい、高めあっていってください。

 1年後を楽しみにしています。皆さんは、必ず「キラリ輝く多高生」に成長しているでしょう。」


バレーボールの魅力

バレーボールの魅力

 4月28日(金)、第34回人吉・球磨地区合同体育大会が開催され、多良木高校では陸上競技とバレーボール競技が実施されました。陸上が個の力の競い合いであるのに対し、バレーボールはチームの戦いで対照的でした。本校第1体育館で繰り広げられたバレーボール競技を観戦して、改めてその魅力に引き付けられ、時間が立つのを忘れるほどでした。

 男子バレーボールは、球磨工業と南稜の2校が参加し、戦いました。男子はジャンプ力があり、滞空時間が長く感じられ、まるで垂直に叩き込むようなスパイクの威力は目を見張るほどです。コートに叩き付けられたボールが2階席までバウンドすることもあり、男子のプレーはダイナミックで迫力があります。

 男子バレーボールは近年競技人口が減り、大会に参加する高校も少なくなってきているようです。かつて1972年(昭和47年)にミュンヘンオリンピックで日本の男子チームが金メダルを取った頃は、男子バレーの人気は高いものがありました。当時、私は小学生でしたが、その熱気を覚えています。スポーツの人気も消長があります。かつての人気がなくても、好きなバレーボールに没頭する男子生徒に心からの声援を送りました。

 女子バレーボールは、人吉、球磨中央・球磨商業、南稜、そして多良木の4校が参加し、白熱した試合の連続でした。女子バレーの魅力は6人全員で懸命にボールを拾い、つなぎ、返すチームワークにあると思います。打ち合い(ラリー)が続き、緊張感ある攻防はまことに見ごたえがありました。

 多良木高校女子バレーボールチームは、部員10人(1人はマネージャー)という出場チームの中で最小人数ながら、全員の力を結集して接戦を制し、優勝を果たしました。ミスをしても、リードされても、慌てず諦めずお互いを信じて果敢なプレーをやり抜いた生徒たちを頼もしく思います。高校総体まであと1か月です。この最高のメンバーでバレーに打ち込む時間はそう多くは残されていません。限りある時間を惜しみ、バレーボールを心の底から楽しんでほしいと願います。


 

人吉・球磨地区合同体育大会

 4月28日(金)、人吉・球磨地区合同体育大会を五つの高等学校をはじめ各会場で開催しました。多良木高校では、陸上競技と男女バレーボールが実施されました。多良木高校での開会式の挨拶を掲げます。


 「平成29年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、このような絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。

 春の季語に「山笑う」という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が冬の眠りから覚め、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。

 昨年は、熊本地震の影響でこの大会は中止となりました。今年で第34回となる伝統の行事をあたりまえに実施できる喜びをかみしめたいと思います。

 皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。今、皆さんが立っている300mトラックの陸上グラウンドからは後のオリンピック選手や日本記録保持者が誕生しています。また、皆さんの目の前に広がる野球場からはプロ野球選手も育ちました。皆さん一人一人も豊かな可能性を持っていることと思います。日頃の練習の成果を今日、ここ多良木高校で存分に発揮してください。

 皆さんはアスリートです。ルールを守り、審判に敬意を表し、そして勝っても負けても相手を称えるというアスリート精神をもって競技してください。

 応援の生徒の皆さんは、輝いている選手の姿に惜しみない拍手と声援を送ってほしいと期待します。

 皆さん達は、この人吉・球磨地区の高校生です。今日の大会が、お互いをもっと知り、高め合っていく場となることを念じ、挨拶といたします。」



PTA総会開催(4月22日)

平成29年度熊本県立多良木高校PTA総会での校長挨拶


「本日はPTA総会に御出席いただき、誠に有り難うございます。

 本校は、この春、新入生を迎えることができませんでしたので、在籍が3年生、2年生の2学年となります。3年生67人、2年生69人、全校生徒136人です。学校の使命は明快です。3年生67人全員の進路実現と卒業、そして2年生69人全員の学力向上と進級です。これから多良木高校は前例なき期間に入ります。3学年そろっていた昨年度までとは異なり、すべてが例年通りにはできません。従って、一つ一つの行事について創意工夫に努め、生徒の「出番」の多い、より充実したものになるよう取り組んでいきたいと思います。

 また、在籍生徒数が少ない分、生徒たちの交流人数を増やすように努めます。本校は「地域に根ざし、地域に開かれた学校づくり」を目指しております。これまで以上に、地域社会及び他の学校との交流に力を入れ、出会いと交流を重ねることによって生徒一人一人の社会性やコミュニケーション能力を養っていきたいと思います。 

        ≪ 中略 ≫
 お
子様のことで何か気になることがありましたら、遠慮なく担任や学年主任へ御連絡いただきたいと思います。ご家庭は、やはり生徒諸君にとって寛げる居場所であってほしいと思います。不満や愚痴、弱音をできるだけ、ご家庭で聞いてあげてください。熊本地震でもクローズアップされましたが、悩みやストレスを自分一人で抱え込まずに、友人、家族、専門家に援助を求める力こそ、現代に生きる私たちに重要だと云われています。私たち教職員も、生徒たちの変化を見逃さないよう注意して、「気付き、寄り添い、つなぐ」の姿勢で臨み、ご家庭と密接に連携を取っていきたいと思います。

 保護者の皆様の願いと学校が目指すものは同じだと思っております。「今の多良木高校だからこそできる教育」に取り組みます。学校の教育活動への御理解と御支援を重ねてお願いして、私の挨拶といたします。」



「夢」の実現に向けて ~ 3年生進路ガイダンス

「夢」の実現に向けて

~ 3年生進路ガイダンス ~

 4月19日(水)、1日かけて3年生の「夢実現 進路ガイダンス2017」を開催しました。午前中は全体講話、奨学金の説明、進路別の説明、そしてグループで一般常識テストに取り組む時間と続き、午後は多良木町民体育館に移動し、大学・短大・専門学校の各ブースの相談会に各自で参加しました。それぞれの学校の説明を真剣に聴いている生徒の様子を見ながら、私は青年教師の頃を思い出しました。

 20代から30代にかけて10年連続で担任を持ち、その内、3年生担任を4回経験しました。進路面談では、思いがけない生徒の考え、志望を聞き、虚をつかれた思いになったことが幾度もありました。25年前、トリマー(ペットの美容師)になりたいと言った女子生徒がいましたが、私はその時、トリマーという言葉を初めて聞き、どんな仕事をするのか逆に生徒に尋ねた記憶があります。また、男子生徒が「高校の家庭科の教師になりたい」と語った時も驚きました。そして、驚いた自分の意識の古さを恥ずかしく感じたものです。男女共同参画社会となり、平成6年に高校の家庭科が男女共修となったわけですから、男性が家庭科教師を目指すことは少しもおかしいことではないのです。

 30年間の高校教師生活を顧みると、やはり若者が常に新しい世界を切り開いていくものだと感じます。現代社会の変化は激しく、有名な大企業でさえ数年先の業績の見通しが立ちません。人々のニーズに応じて次々と新しい仕事が出現しています。その一方、ロボットや人工知能(AI)の発展により消えていく仕事もあります。

 自分の進路を考えるということは、どんな仕事に就きたいか、どんな学校へ進学したいかと具体的に問いながらも、最終的には「自分はどう生きたいか」という大きな命題に向かい合うことが大切だと思います。


                             グループで一般常識問題に取り組む


 

あの日から1年 ~ 熊本地震発災1周年

あの日から1年

~ 熊本地震発災1周年 ~

 4月14日です。最大震度7を記録した熊本地震の発生からちょうど1年となります。夜の静寂を破る携帯電話からの緊急警報とほぼ同時に襲った激震の記憶はいまだ生々しいものがあります。熊本地震は未曽有の被害をもたらし、多くのかけがえのない命が失われました。依然、4万7千人余りの人々が県内外の仮設住宅等で仮住まいの不自由な暮らしをされており、道路や鉄道等のインフラ(社会基盤)の修復も道半ばです。熊本地震の前より良い状態をつくる創造的復興(Build  Buck  Better)を熊本県は目指し、国をはじめ多くの支援を受けて復旧、復興に取り組んでいるところです。

 今日、発災から1年という節目に際し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、午前10時、県主催追悼式に合わせて生徒及び職員の全員で黙とうを捧げました。顧みると、熊本地震が発生するまで、私たち県民の間では「熊本で大きな地震が起きることはない」という根拠のない楽観があったと思います。従って、「まさか」の災害となってしまったのです。今生きている私たちが大地震を体験していないというだけで、「熊本に震災はない」という思い込みと油断に陥っていたのでしょう。6年前の東日本大震災の教訓も生かすことができなかったことは残念でなりません。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。私たちは歴史に学ぶことができませんでした。1889年(明治22年)には、金峰山地震と呼ばれる熊本市直下型地震が発生して甚大な被害を受けています。また、このたびの熊本地震の発生源は布田川・日奈久断層帯でしたが、この球磨人吉地域にも人吉盆地南縁断層帯があり、湯前町、多良木町、あさぎり町、錦町、人吉市に広がっています。1968年(昭和43年)には宮崎県えびの市が震源の「えびの地震」が発生し、人吉市周辺で大きな被害が出ています。

 豊かな恵みを与えてくれる一方、時に脅威の存在となる自然と私たちは共存するしかありません。歴史から謙虚に学び、知識を持ち、災害を正しく恐れる態度が求められています。


               弔意を表す半旗

青春とは叱られる季節

 4月10日(月)の午前、第一体育館にて平成29年度一学期始業式を行いました。校長挨拶の一部分を次に掲げます。

 「年度初めにあたり、「叱る、叱られる」ということを改めて皆さんに考えてほしいと思います。誰もが叱られるのは嫌です。大人になっても叱られるのは嫌なものです。しかし、皆さんは、学校生活で、部活動で、あるいは家庭で、叱られることが多い日々でしょう。なぜ叱られるのか。それは皆さんがまだ成長できるからです。
 永田和宏という方がいます。70歳を超えた科学者(細胞生物学)で京都大学名誉教授であり、歌人としても知られています。この方がこんな短歌を詠んでいます。

「もうわれを叱りてくるる人あらず 学生の目を見据えて叱る」

 名誉も地位もきわめた永田教授を叱る人は大学にはいません。そのことの寂しさ、空しさを実感しているのです。そして、これから成長していく若い学生に期待を込め、その目を見据えて叱っているのです。私たち教職員は、永田教授のように偉くはありませんが、思いは同じです。皆さんにもっと成長してほしい、伸びてほしいという教育的愛情を胸に叱るのです。そのことをわかってほしいと思います。青春とは叱られる季節なのです。

 全校生徒136人の多良木高校は今日から動き出します。お互い一日一日を大切にしていきましょう。これで平成29年度初めの私の話を終わります。」



多高生のちょっといい話

 この春休みに私が見聞きした多高生のちょっといい話を三つ披露します。

 一つ。サッカー部の皆さんが、春休み中も玄関や事務室・職員室前の廊下を掃除してくれました。春休み中も学校は多くのお客さんがありましたが、お蔭で、さっぱりした環境でお客さんを迎えることができました。

 二つ。野球部のマネージャーの皆さんが、先週の金曜日、雨の中、第二体育館正面の階段を掃除してくれました。あの階段は雨ざらしのため、黒いシミや緑の苔のようなものがたくさん張り付いていたのですが、雨の中、合羽を着て、ブラシを使い綺麗にしてくれました。

 三つ。先週のある日、学校の近くで、体調不良のため歩いては休み、歩いては休みの状態の高齢のご婦人がいらっしゃいました。そこを通りかかった新2年の女子生徒の人が「大丈夫ですか」と声を掛けしばらく介助に当たったそうです。やがて娘さんが車で迎えにこられ大事には至らなかったのですが、翌日、そのご婦人がお礼に来校されました。その女子生徒に私が話をしたところ、本人は特別のことをした意識がなく、自然体で女性に寄り添ったことを知りました。そこが爽やかで私自身もとても良い気持ちになりました。

 この三件の行為をおこなった皆さんに対し、心から拍手を送りたいと思います。以上の三つは私が見聞きしたもので、他に私が知らない、多高生のちょっといい話はたくさんあると思います。みなさんの行いをだれかが見ています。もし誰も見ていなくても、自分自身は見ています。多高プライド。皆さん、誰も見ていない時こそ、自分に恥じないふるまいをしていきましょう。


高等女学校の教科書に想う

高等女学校の教科書に想う

 多良木高校の前身の多良木高等女学校時代の教科書2冊を同窓生の方から寄贈いただきました。いずれも昭和21年3月に印刷、発行された「中等被服一」と「中等物象一」で、当時は国定教科書であったため、著作発行者は文部省となっています。

 最初に驚いたのが、「物象」という教科名です。「物象」とはどんな内容なのかと頁をめくると、物体に働く力、液体・気体の圧力、熱などの物理の内容でした。教育史を調べてみると、太平洋戦争中の昭和17年(1942年)に中学校(旧制)と女学校の「理科」が「物象」と「生物」に分けられたことがわかりました。そして、昭和22年(1947年)、現在の男女共学の中学校制度になると再び「理科」に戻りました。高等女学校は同年に募集停止となっていますので、最後の「物象」教科書と言えます。

 「被服」の教科書を読むと、日常生活の服装のありかた、服の手入れ、そして手縫い及びミシン縫い等について図解入りで丁寧に説明されています。その中の一節に「今わが國は、大きな新しい時代を前にして、はげしい努力を續け、苦難に堪へてゐるのです。」とあり、終戦の翌年という世相を反映しています。

 昭和21年3月と言えば、敗戦という未曽有の危機からまだ半年余りであり、相当の社会的混乱の時期だと想像できます。しかし、その状況下にあって、高等女学校の教科書が国によって整然とつくられていたのです。「被服」は縦14.5㎝、横21㎝の右綴じ、「物象」は縦19㎝、横13㎝の左綴じで、両方とも糸による和綴じ、黒い厚紙で背表紙が付けられています。現代の教科書に比べるとまことに質素な作りですが、戦後の新しい教育の象徴に見え、健気で愛おしく感じます。

 また、もっと胸に迫ることは、女学校時代から七十年もの間、教科書を大切に所持してこられた同窓生の思いです。この教科書の裏表紙には、御尊父の手による生徒名が達筆な墨書で記されています。御嬢さんが女学校に合格された喜びが伝わってくるかのようです。その御尊父の愛情の記憶と共に古い教科書は今日まで伝わってきたのでしょう。



桜咲く校庭

桜咲く校庭

 4月3日(月)、多良木高校の平成29年度の始動の日です。この日に合わせるかのように校庭の桜も咲き始め、穏やかな春風の中、3分咲き程度の花が揺れています。中でも、正門近くの国旗掲揚台近くの桜は、来校者を歓迎するかの如く優美です。

 今年は例年になく桜の開花が遅れ、全国的なニュースとなっています。熊本県も大幅に遅れ4月1日に気象庁の開花宣言がなされました。平年であれば、満開の時期です。球磨郡の桜の名所で知られる水上村の市房ダム湖周辺の1万本の桜も開花が遅れ、先月末の村の「桜まつり」開催の時点では全く花は開いていませんでした。

 桜は日本人にとって春を象徴する特別の花であり、開花の知らせを聞くと、心がざわざわと浮き立つから不思議です。桜の季節になると必ず口ずさむ俳句があります。

 「さまざまの ことおもいだす 桜かな」(芭蕉)

 私たちは桜の花に「凝縮された時間」を見ているのでしょう。四季が巡り、再び春となり、ふと立ち止まって桜の花を愛でながら、過ぎた時間を思い返すのかもしれません。

 この春、多良木高校には新入生はいません。閉校まで2年となり、2年生、3年生の136人が学校生活を送る前例ない期間に入ります。人事異動に伴い、6人の職員が転出しました。しかし、新たに3人の職員を本日迎えました。校庭の桜は、新しい同僚を歓迎すると共に、春休み期間も毎日練習に励む部活動の生徒たちに対し優しく微笑んでいるかのような風情です。


 

平成28年度修了式にあたって

 3学期終業式及び平成28年度修了式を3月17日(金)に第1体育館で行いました。校長挨拶の一部を次に掲げます。

 「皆さんは、一時の感情の赴くままにしゃべり、あるいはネットに書き込んで、後悔したことはありませんか? 防ぐ方法は一つ、ちょっと立ち止まることです。感情的になっている時に、自分の意志で立ち止まることができるか、どうかです。あまりに自分中心になっていないか振り返るために、ちょっと立ち止まってください。
  古代中国の思想家である孔子の教えをまとめた「論語」という本に次のような戒めがあります。

  「師曰く 人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。」

  人が自分のことをわかってくれないと嘆き心配するより、自分が人のことを理解しようとしていないことを心配しなさいという意味でしょう。

  外交官として世界各地の大使館で長年活動された方が興味深いことをインタビューで述べておられました。外交とは、日本を代表し国益のため相手国と交渉し国と国との関係をより良いものにしていく難しい業務ですが、日本の外交官は相手国との交渉において、目指す点数があるという箇所に特に興味を持ちました。外交官は100点や90点は目指してはいけないそうです。では何点を目指していると思いますか?51点が目標だと云われました。残りの49点は相手国にあげると。外交交渉で100点や90点を日本側がとったら、それは日本にとっては完全勝利かもしれないけれども、相手国の反感、反発をかい外交は中断してしまう。かといって50点対50点では事態が変わらないまま平行線です。だから、51点がベスト。1点づつ積み重ねていって、時間をかけ関係を改善していくという粘り強い姿勢で外交に取り組んできたと云われました。
  これは国と国との関係、外交のお話ですが、人と人との関係を考えるうえでも示唆に富むと思い、皆さんに紹介しました。

 結びになりますが、1年間、皆さんと共に多良木高校で過ごすことができ、教師として本懐だと思っています。感謝の思いです。」

 


学級もチームです ~ サッカークラスマッチ

学級もチームです

~ サッカーのクラスマッチ ~

  昨年度まで、3学期は短いうえに行事が多く(修学旅行、高校入試、卒業式等)、クラスマッチを実施していませんでした。しかし、今年度は本校が入試を実施しなかったこともあり、少し余裕ができ、初めて3学期のクラスマッチを3月16日(木)に行いました。
  種目は男女とも6人制ミニサッカーです。
サッカーは、ゴールキーパーを除いて、自由に動かせる手を使わず、足でボールをコントロールしなければならない面白いスポーツです。さすがにサッカー部員は、ボールが足にくっついているかの如く自在に操りますが、一般の生徒はボールコントロールに苦労します。特に女子生徒はボールを制御できず悪戦苦闘する姿がしばしば見られ、微笑まししい限りです。

  サッカーの醍醐味はシュートを決めることでしょう。しかし、ゴールを決めた人だけがヒーロー、ヒロインではありません。パスをつないだ人、守備に徹した人、身を挺してゴールを守ったキーパーなどチーム全員が役割を果たすことで勝利につながります。サッカーのクラスマッチを通して、生徒諸君は改めてチームワークの大切さを体得したことと思います。

  今回のサッカーに限らず、クラスマッチにおいては、たとえミスした人がいても笑顔で励まし、支えあう姿がとても爽やかです。クラスマッチではミスや失敗はなく、すべて場を和ませる珍プレーだと云えると思います。

  学級も一つのチームです。自分とは異なる性格や様々な個性を持った人がいるからこそ学級は面白いのです。そして、お互いのミスや失敗、誤解などをクラスマッチの時のように笑って許しあえる雰囲気を醸成していってほしいと願います。本校はクラス替えがなく、3年間同一クラスです。世界中に無数の高校生がいる中、同じクラスになったという奇跡に近い偶然を大切にしてほしいと思います。そして、ひとりがみんなを、みんながひとりを大切にするクラスであってほしいと期待します。



英語の公開授業

英語の公開授業

  「国際会議において有能な議長とはどういう者か。それは、インド人を黙らせ、日本人をしゃべらせる議長である。」というジョークがあるそうです。国際会議に出席した経験がない私には真偽のほどはわかりませんが、日本人が自ら意見を述べたがらない特性を示す卓抜なジョークだと思います。社会が急速にグローバル化する中で、異国人とのコミュニケーション能力は益々重要になってきています。しかし、なぜ日本人は積極的にコミュニケーションができないのか? その最大の要因はやはり語学力にあると云われます。国際会議のみならず、異国人との交流には世界共通語となっている英語が必要です。ところが、一般の日本人の英語力は実践的ではなく、日常会話も難しい状況です。

  しかし、近年、学校の英語教育は変化してきています。旧来の文法重視の「読み書き」学習から、「読む、書く、聴く、話す」の4領域のバランスを大切にして、コミュニケーション能力を養う学習にシフトしてきています。また、2020年から完全実施される新学習指導要領では、小学校5・6年で「英語科」の導入が決まり、現在実施されている外国語活動が小学校3・4年へと移ります。

  小学校の「英語科」設置だけが注目されていますが、大事なことは、小学校、中学校、そして高等学校でどの程度まで英語力を伸ばしていくかだと思います。3月6日(月)の6時限目に、多良木高校1年2組において中村教諭による英語の公開授業を行いました。今年度、英語科は授業改革に取り組んでおり、中村教諭はタブレットを操作してスクリーンに文字や写真等を効果的に表示して、生徒を引き付けると共に、生徒同士でペアになって学習活動をさせるなど生徒の主体的な学習活動を導きました。

  公開授業には、多良木中学校の英語の先生2人をはじめ多良木町教育委員会からも数多く参観に来ていただき、授業後の意見交換会も意義あるものとなりました。次年度からは、多良木町の三つの小学校の先生方も入り、小・中・高が連携して公開授業を行うことになりそうです。多良木高校生が、将来は国際会議で自分の考えを堂々と述べることができることを目標にしています。


                   英語の公開授業(1年2組)

卒業式

 弥生3月1日(水)、多良木高校において第69回卒業証書授与式を挙行し、64人の卒業生の旅立ちを祝福しました。式辞の一部を次に掲げます。

  「さて、昨年四月に熊本地震が発生し、県内各地に未曽有の被害をもたらしました。私たちは普通に日常生活ができる有難さをかみしめると共に、助け合うことの大切さを知りました。自然は私たちの生活に豊かな恵みを与えてくれる一方、時に猛威を振ることがあります。これからも自然と共存していかなければならない私たちは自然災害を避けることはできません。しかし、災害が起きたとしても、皆さんはもう弱者ではありません。いつどこで、何があっても自らの命を守り抜くと共に、子どもやお年寄り、障がいのある方を助けてください。そして地域社会の復旧、復興の担い手となることを期待します。

  熊本地震関連の報道の中で特に印象に残ったものがあります。それは、熊本市内の多くの小学校が避難場所となり、避難生活を送る人々に対して、熊本市のFMラジオ放送局「シティエフエム」がリクエスト曲を募ったところ、最もリクエストの多かった歌は小学校の校歌だったそうです。各校区の被災者の方たちは母校の校歌を聴くことで、傷ついた心を癒し、少しずつ元気を取り戻していったと云われます。学校は地域の拠り所であり、それぞれの人生の原点でもあることを思わせるエピソードだと思います。

  本校の校歌は昭和3年につくられ、歳月を超え、世代をつないで歌い継がれてきました。皆さんも、学校行事で、または部活動で繰り返し歌ってきました。校歌は多良木高校の精神と言えます。今日、卒業生一同の三年間の思いの籠った校歌斉唱を期待しています。」




答辞を読む卒業生代表の鶴本君

卒業生へ ~ 2年後、多良木高校で待っています

           卒業生の皆さんへ ~ 2年後、多良木高校で待っています

  皆さんはこの三年間で心身ともに目を見張るほど成長しました。入学した頃の少年少女の面影はなく、今や大人になろうとしています。皆さんの入学と共に多良木に赴任してきた私にとって、高等学校の教育課程を皆さんが修了し、晴れて卒業の日に立ち会えることはこのうえない喜びです。若人の旅立ちに関わることができるのは教師の本懐です。 

  高校時代、校則や決まり事、あるいは私たち教職員の指導を壁のように感じ、不満や窮屈さを感じたかもしれません。しかし、卒業してしばらく時間が経つと、その壁が皆さんを守っていたことに気付いてくれると思います。これからは、自分の中で「これだけは許せない」というものを持ち、自らを律してください。

  この先、失敗することも多いでしょう。けれども、失敗しないと学べない事があるのです。失敗してもいい、ただし、失敗を隠してはいけません。

  さて、皆さんは十八歳で選挙権を得ましたが、成人は二年後です。その時、各市町村で成人式が挙行されます。そのような公の式典ではありませんが、多良木高校でも成人の集いを催し、喜びを皆さんと分かち合いたいと思います。

  平成三十一年一月四日(金)の午後、母校に集まってください。二年後の再会を楽しみにしています。


                               3月1日(水)第69回卒業証書授与式


ダンス、ダンス、ダンス ~県高校ダンス発表会

ダンス、ダンス、ダンス

~ 県高等学校ダンス発表会 ~

  他者とコミュニケーションをとる時は、言葉が絶対的なものだと私たちは思っています。ところが、実際には言語(言葉)よりも非言語によるコミュニケーションの比重が大きいと言われます。非言語コミュニケーション(Non verbal Communication)とは表情、しぐさ、行動、装いなどですが、確かにそう云われると日常生活で思い当たることがあります。「目は口ほどに物を言う」ということわざもありますね。そして、改めて非言語コミュニケーションの素晴らしさを実感したのが、2月11日(土)の熊本県高等学校ダンス発表会でした。

  67回を数える伝統のダンス発表会は、今年は熊本県立劇場演劇ホールという最高の舞台環境で開催されました。参加17校の一つとして多良木高校も出場、しかも最多の40人で臨みました。高等学校体育連盟ダンス専門委員でもある体育の境先生の熱意によって出場が実現しました。

   多良木高校チームのテーマは「仲間 ~ 仲間との思い出、つながり、一体感」です。限られた時間での練習しかできず、県劇のステージという檜舞台で40人という大人数の息が合うのか心配しながら観客席から見つめていましたが、生徒たちは伸び伸びと、まるで学校の体育の授業中かのように自然な動きを披露し、持っている力を十分に出し切ったパフォーマンスでした。

  また、他の高校チームもそれぞれの特色を発揮し、観客を魅了しました。最優秀賞の熊本北高校の洗練された表現力、優秀賞の専大玉名高校の華やかさ、鹿本高校の強いメッセージ性には目を見張りました。入賞こそ逃しましたが、八代清流高校の男子3人による楽しさ全開のダンスには会場から大歓声が上がりました。

  振付け、衣装、音楽など全てを話し合い、試行錯誤して創っていくダンスには、高校生の瑞々しい感性としなやかな全身の動き、そして多彩な表情などが凝縮されています。そこに言語(言葉)はありませんが、何よりも雄弁に若者の可能性の豊かさを物語っており、観ていて溜息が出るほどでした。


                       写真は「エンジョイ多良木ディ」(2月4日)での2年生有志のダンス

多高生の青春物語 ~ エンジョイ多良木デイ

多高生の青春物語

~ エンジョイ多良木デイ ~

  「うーん、この生徒にはこんな面があったのか」と、ステージで歌や演技など次々とパフォーマンスを繰り広げる生徒たちを目の当たりにして、何度もうならされました。生徒の学習及び文化部の活動の成果発表の場として2月4日(土)に行事「エンジョイ多良木デイ」を開催しました。3年生を送る予餞会も兼ねました。ステージ発表も展示もすべて第1体育館で行い、昼食は保護者のご協力を得て、全員でカレーを教室でいただきました。館内はストーブが必要な寒さでしたが、プログラムが進むにつれ、生徒たちの熱気が充満しました。

  開会宣言を兼ねた書道部のパフォーマンスから始まり、音楽選択者による計12曲の歌が披露されました。クラスで、グループで、デユェットで、そしてソロと変化に富み、いずれも生徒たちは生き生きと歌をとおし自分を表現していました。1年生の男女のデユェット歌唱は笑顔があふれ、歌う楽しさが聴く者に伝わり、最も歓声があがりました。また、ボランティア部の労作である全校生徒及び職員による手話による合唱ビデオ、保健委員会のリラクゼーションビデオ、2学年のインターンシップ(職業体験)発表、茶道部のお点前実演と多彩なプログラムが続き、観覧していて時間が短く感じられました。

  その後の有志発表では、バンド、漫才、ダンスがあり、それぞれ生徒の個性が輝いていました。そして、午後の2年1組の劇は観る者を抱腹絶倒させるもので、ストーリーはよくわからないのですが、場面ごとの面白さで勝負というものでした。この劇のためにセミナーハウスで合宿して準備したというクラスの気迫が込められていました。

  圧巻はフィナーレの全校合唱です。東日本大震災を背景に生まれた「群青」、友へ感謝の気持ちを伝える「マジありがとう」、そして「校歌」です。卒業を控えた3年生は感極まっている様子でした。全校生200人の歌声が胸にずしりと響き、歌の力に感嘆しました。多高生の明るさ、純粋さなど青春の輝きを眩しく感じた一日でした。


                     フィナーレの全校合唱

校門前での町長選挙候補者の演説

校門前での町長選挙候補者の演説

~ 多良木高校型主権者教育 ~

  多良木町町長選挙が1月31日(火)に告示され、現職と新人の二人が立候補され、2月5日(日)投票日まで選挙戦が始まりました。4年に一度の地元の首長を選ぶ大事な選挙です。この機会を生かし、18歳選挙権を有している3年生に町長選挙との接点を持たせ、主権者意識を高めたいと考えました。そこで、両陣営に主権者教育の趣旨を説明し協力をお願いしたところ、快諾いただき、告示日の午後、多良木高校校門前において、両候補者による演説が行われることとなりました。

  多良木高校3年生64人のうち多良木町町長選挙有権者は20人です。しかし、町長選挙候補者の生の演説を聴く機会は恐らく初めてであり、これから地域の担い手として成長していく3年生には貴重な体験となります。

  当日は卒業考査最終日で、3年生は午前で放課となり、校門付近に希望する生徒およそ40人が集まりました。校門と町道を隔てたスーパーの駐車場から新人、現職の候補者がそれぞれ15分間、「若い世代への期待」や「2年後に閉校する多良木高校施設の利活用」等について生徒たちに熱く訴えられました。演説を聴く生徒たちの表情は真剣で、聴き終えて「貴重な機会となった。」「もっと具体的な政策を聴きたい」などの感想を述べていました。

  近年、若い世代の投票率の低下が問題となっています。「政治には関心がない」、「どうせ自分が一票入れたところで変わらない」等、関心の低さや主体性のなさが指摘されています。日頃から、私は、生徒たちに「未来を変えるかもしれない力を君たちは持っている」と語っています。そして、先ず身近な問題から関心を持つこと、さらに自分が生まれ育った故郷にどうあってほしいのか思いを選挙であらわしてほしいと願っています。

  学校で学んだことをいかに社会とのかかわりにつなげていくかが大切です。そのためには、今回のような実際の選挙と関わる場を設けることは学校の役目だと思います。地域の方々と一緒になって若い主権者を育てていきます。多良木町町長選挙において多くの「青き一票」が投じられることを期待します。


           多良木高校校門で町長選挙候補者の演説を聴く3年生

 

 

明るい海辺の駅伝大会

明るい海辺の駅伝大会

~ 熊本県高等学校城南地区新人駅伝大会(天草大会) ~

 天草に春を呼ぶ高校城南駅伝大会が1月28日(土)に開催され、多良木高校も男女ともに出場しました。会場は、本渡運動公園陸上競技場をスタート・ゴールとし、海沿いに大矢崎、茂木根、そして男子は佐伊津漁港方面まで走って折り返すコースで、女子5区間12㎞、男子6区間20㎞で競います。大会直前まで厳しい寒さが続き、インフルエンザも流行し、前日に天草市に着いた各校の選手の中に発熱する生徒が続出しました。多良木高校も、女子の1年生の選手がインフルエンザの症状を呈し、急きょ保護者に迎えに来てもらうというハプニングがありました。

 しかし、大会当日は雲一つない青空が広がり、気温も上昇し日中は15度を超える温かさに恵まれました。多良木高校は、陸上部の生徒を中心に、サッカー、バレーボール、ソフトテニス、野球の応援選手を加えての「オール多良木」のメンバーで臨み、インフルエンザで欠場した女子選手の分もチームワークで補いました。男子は26チーム中6位(入賞)、女子は18チーム中9位といずれも力強い走りで襷をつないでくれました。

 コース途中に険しい坂があり、この区間を走る生徒の負担は大きく、苦しい表情を見せながら、歯を食いしばって走ります。次の走者に襷を渡し終えた後、倒れこんでしばらくは起き上がれない選手たちの姿には胸を打たれます。

 懸命に走る選手を応援しながら、車で各中継地点を巡りましたが、海の輝きをはじめ明るい風光にすっかり魅了されました。特に、男子第1と第5中継所の茂木根(本渡)海水浴場の眺望は素晴らしく、しばし、生徒たちと共に「藍より青い」と形容される天草の広々とした海を眺めて過ごしました。キリスト教を中心に豊かな南蛮文化はこの海から入ってきて、天草の独特の歴史と風土を創ったのだと感慨に浸りながら、水平線を見つめました。

 天草の眩しい海辺を走ったことは選手たちの記憶に鮮やかに刻まれ、青春の思い出を彩ることになるでしょう。


 


修学旅行団の解団式の言葉

修学旅行団の解団式の言葉

  「皆さん、たくさんのお土産とそれ以上の数多くの思い出と共に故郷に帰ってきました。四泊五日の行程を無事に終え、全員元気に帰ってくることができたことを皆さんと共に喜びたいと思います。

  振り返ると、様々な景色や旅の場面が思い浮かびますが、特に私の印象に残っていることを二つ挙げます。一つは、出発日の1月16日(月)の朝、6時の学校集合に一人の遅刻もなかったことです。まだ暗く、冷え込みの厳しい朝でしたが、全員が見事に集合したことはとても頼もしく思いました。修学旅行に行きたいという生徒の皆さんの意欲と、旅行に行かせたいという保護者の方々の思いが合わさって全員集合が実現したと思います。

  もう一つは、旅行4日目の1月19日(木)の班別の東京自由研修において、19時50分のホテル到着時間までに全ての班が笑顔で帰ってきたことです。列車に乗り間違える、駅の出口に迷う、あるいは路上のキャッチセールスに付きまとわれるなど、小さなトラブルに次々と遭遇したことでしょう。しかし、各班のチームワークを発揮して解決し、大きなトラブルに発展することを防ぎ、限られた時間の中で観光を楽しむことができたのです。皆さんたちのしなやかな行動力を心強く思いました。

  皆さん一人ひとりが旅行を楽しみながら、さり気なく友達を気遣い、団体行動に協力した結果、体調を崩す人もなく充実した修学旅行になったと思います。名前だけの団長でしたが、皆さんと一緒に旅行ができ、私も満ち足りた思いに包まれています。

  結びになりますが、修学旅行の主人公である皆さんに寄り添い支えていただき、安全かつ円滑に導いてくださった旅行のプロであるツアーコンダクターの石井さんに厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございます。

  それでは皆さん、家族の待つ自宅へ、感謝の気持ちを持って笑顔で帰りましょう。」


                   浅草寺境内にて(東京台東区)

 


福島への修学旅行出発

福島への修学旅行出発

  1月16日(月)から2年生67人と修学旅行に行きます。多良木高校の修学旅行は2年前から福島と東京を巡るコースと決めています。多良木高校にとって最後の修学旅行になる来年も福島を訪ねます。どうして福島県を訪れるのでしょうか。スキーは長野県でもできます。しかし、東日本大震災そして福島第一原子力発電所事故という未曽有の困難に見舞われた福島県の今の様子を直接見て、現状を知ることは未来を担う高校生にとって大きな意義があると考えるからです。福島の今、そして未来を見るための修学旅行です。

  昨年4月、熊本県でも大きな地震が発生し、日常のあたり前の生活ができることがいかに幸せであるかを実感しました。東日本大震災発生からやがて6年となり、震災に関する報道に接することも少なくなりました。福島県の人々は、地震、津波に加え、福島第一原子力発電所事故と三重苦に襲われました。沿岸部の双葉町、大熊町、浪江町、富岡町などは未だに放射線量が高く、帰還困難区域となっている所があります。一方、福島県内の多くの地域では復旧・復興が進み、放射線量も九州と変わらず、健やかな日常生活が行われています。しかしながら、風評被害で農林水産業や観光面で苦しんでいると言われます。

  実際に福島県を訪れ、正しく理解し、若い感性でもって共感してほしいと願います。福島県は、全国の都道府県で三番目に面積が広く、沿岸部から内陸、そして山間部と多様で豊かな風土があります。先ずは初日、「浜通り」と言われる沿岸部の拠点のいわき市を訪問し、水族館「アクアマリンふくしま」で環境学習を行います。そして「中通り」の県中央部へ移動し、岩瀬郡天栄村の羽鳥湖スキー場で2日間スキーを楽しむ予定です。

  昨年秋、「群青」という合唱曲を全校生徒で歌いました。福島県南相馬市立の小高中学校で2013年に生まれた歌で、福島第一原発事故によって多くの生徒及びその家族が全国に離散するという悲しい出来事を背景につくられました。今思えば、「群青」を全校合唱したことは、修学旅行の何よりの事前学習となったのではないでしょうか。「群青」の旋律、そして歌詞を思い出しながら、私たちは福島へ旅立ちます。 


           グランディ羽鳥湖スキーリゾート(福島県岩瀬郡天栄村)