校長室からの風(メッセージ)

2017年10月の記事一覧

杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行

杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行   

 

 晴れ渡った秋空の下、阿蘇五岳の一つ、標高1321mの杵島岳(きじまだけ)に登り始めました。登山口の草千里ケ浜がすでに標高1100mを超えており、登山初心者向きの山と聞いておりましたが、登山道は急勾配で足に負担はかかります。けれども、生徒たちの笑顔は絶えません。

 登るにつれて視界が開け、生徒たちから歓声が上がります。雄大な眺望に思わず足が止まります。煙を噴き上げる中岳の噴火口が手にとるように近くに見え、草千里ケ浜が足元に広がっています。そして、阿蘇外輪山の切れ目の立野付近の山々には、昨年の熊本地震で発生した大崩落現場を望むことができます。畏怖すべき自然の造形力が胸に迫ります。ガイドを務める阿蘇火山博物館の学芸員の方の説明に生徒たちも真摯に耳を傾け、立野の崩落現場を見つめています。テレビのニュース等で幾度も見たはずですが、実際に肉眼で見る体験は得難いものでしょう。

 およそ45分で頂上に到着。熊本地震による斜面の崩壊跡や地盤のずれが生々しく残っています。かつての噴火口跡が頂上の北側に残っています。改めて、阿蘇山は生きて活動している山であることを認識すると共に、自然の脅威を痛感しました。

 PTAと学校の共同企画の2年生阿蘇研修旅行を10月27日(金)に実施しました。テーマは「防災教育」です。熊本地震の傷跡が残る阿蘇を訪ねる研修旅行の最大の目的は杵島岳登山でした。阿蘇火山博物館から強く薦められたプログラムでしたが、実際に生徒たちと登ってみて、その価値がよくわかりました。まさに百聞は一見に如かず、です。大自然の前では人はいかに小さい存在であるかを自覚します。しかし、この大自然と共生していかなければならない定めであることも感じ取ります。深い学びの研修旅行となりました。

 山々の斜面には薄の群生の一面銀色の世界が見られます。草原ではのんびりと草を食む阿蘇の赤牛、黒毛和牛などの牧歌的風景も見られます。活火山の中岳からは悠久の煙が上がっています。熊本地震による亀裂は未だ癒えませんが、一歩一歩、人の営みと自然の力の融合で阿蘇は復元に向かっていることを感じた旅となりました。


旧白濱旅館のリニューアル

旧白濱旅館のリニューアル   

 多良木町の校長会が1026日(木)に開かれました。普通、町教育委員会主催の校長会は町立小、中学校で行われるのですが、多良木町の場合は県立学校の球磨支援学校と多良木高校も加えていただき、地域の情報を共有できる貴重な場となっています。いつもは役場庁舎で開催されますが、今回は今月1日にリニューアルされた旧白濱旅館が会場で、興味深く館内外を見学できました。

 旧白濱旅館は、明治時代に旅館として創設され、記録としては明治41年までさかのぼります。東洋大学創始者で仏教哲学者の井上円了はじめ多くの文化人に愛用された旅館ですが、中でも大正8年に来訪した九条武子の宿として知られています。「九條武子殿御旅館」と墨書された大きな木製看板が保存されていることから、いかに旅館にとって名誉なことだったか偲ばれます。

 九条武子は浄土真宗西本願寺の門主の家に生まれ、大正時代を代表する歌人としても名高い人物です。仏教婦人会活動の一環として多良木を訪問しており、白濱旅館では本館の南側に九条武子の宿泊用に増築して迎えています。人吉球磨地域は、江戸時代、相良藩の方針で浄土真宗は禁制であり、明治になって解禁されました。本願寺としても布教活動に力を入れ、九条武子が訪問することになったのでしょう。

 旧白濱旅館が立つ場所は多良木町の中心地の国道219号沿いです。明治22年に町村制が敷かれ、多良木村の初代村長(多良木町となったのは大正15年)が札幌まで視察に赴き、当時としては破格の幅員が五間(約10m)の直線道路を整備しました。通称「五間(ごけん)道路」と呼ばれるこの広い道路沿いに旧白濱旅館は建てられたため、その後も道路拡張の必要はなく古い建物が残されたと云われます。けれども、3年前、私が多良木高校に赴任した時にはすでに旅館は廃業され、老朽化した建物だけが佇んでいました。

 しかし、町の黎明期を物語る歴史的価値が重視され、多良木町は全面的に修復工事に取り組み、リニューアルオープンの運びとなったのです。国道沿いの建物(「明治棟」)は町民が様々なことに活用できるコミュニティスペースとなり、南側の建物(「大正棟」)は簡易宿泊もできる施設として利用されることになります。旧白濱旅館の近くには昭和16年に建造された旧多良木高等女学校講堂(現在は町民集会所)など歴史的建造物が幾つも残っています。地元では、歴史を感じながら街を歩こうと「ブラタラギ」のキャッチフレーズで呼びかけが行われています。


 

 

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂  

 後半になると風雨が次第に強くなりました。横から吹き付ける風に傘を持つ手に力が入ります。グラウンドの選手たちは、全身ずぶぬれになりながら、懸命にプレーを続けます。サッカーの熊本県選手権大会2回戦。場所は熊本県立東稜高校運動場。熊本市立必由館高校相手に多良木高校イレブンは厳しい戦いを強いられていました。前半に2失点、後半さらに1失点して0対3となり、後半も終盤の時間帯となっていました。

 多良木高校サッカー部は3年生6人、2年生5人の11人ぎりぎりでこの試合に臨んでいました。この大会をもって3年生は部活動を退きますので、今後は多良木高校単独チームでの出場は困難になります。多良木高校サッカー部の単独チームとしては最後の試合なのです。その重みは選手たちも、応援する保護者の方々、そして私たち教職員もわかっていました。

 後半も残り10分ほどになった時です。キャプテンでフォワードの西君(3年生)が相手ゴール前に巧みなドリブルで切り込み、シュートを決めました。多良木高校応援団から歓声があがります。「よし」、「あきらめるな」と保護者の方から声が飛びます。監督の中山教諭からも、「時間はある、一つ一つのプレーを丁寧に」と大声で指示が出ます。ここから、試合の流れが変わり、多良木高校の選手たちの動きが俄然良くなりました。

 残り5分を切ったところで、多良木高校が再びシュートを決め、2対3。1点差となります。「いけるぞ」の声があがります。選手たちも最後の力を振り絞って走り、懸命にボールにからみ、攻め込みます。その姿を見ていると、私は胸が熱くなりました。

 試合終了を告げる審判の笛が鳴り響き、選手たちはがっくり膝をつきました。多良木高校サッカー部単独チームとしての試合は終わりました。交代要員もいない11人での戦いでしたが、最後まであきらめない、多良木サッカーの真骨頂を見せてくれたと思います。試合直後は雨と悔し涙で濡れていた選手たちの顔にも、しばらくして笑顔が戻りました。練習の成果を出し切ったという満足感が漂うアスリートの清々しい表情でした。



神輿を担ぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい

神輿をかつぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい
 

 「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、満面の笑顔で気勢をあげます。10月20日(金)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 わが国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人によって広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人の方たちが創られたと伝わっています。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず気持ちが和やかになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年10月20日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 継承者不足で地域の伝統行事が次々なくなっていっていると聞きます。しかし、適切に機会を設ければ、若者にとっては郷土芸能も伝統文化も新鮮なものに映り、興味をもって参加する姿が見られます。10月上旬に本校で開いた文化祭では、人吉市の鬼木臼太鼓踊り保存会にステージで踊りを披露していただきました。同保存会では小学生から高齢者までが一緒になって郷土芸能を継承されており、小学生たちの踊りも見事なものでした。

 高校生にとっては出会うものがすべて新しいのです。多くの出会い、多様な体験を用意するのが私たち学校の使命と考えています。


笑顔あふれた文化祭

笑顔あふれた文化祭

 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」が終わって一週間以上過ぎますが、まだ校内にはその余韻が残っているような気がします。テーマ「笑顔 ~キラリ輝く多高Smile」のとおり、生徒、職員、保護者そして来校された方々の笑顔あふれた文化祭となり、今でも生徒たちの「文化祭楽しかった」との声を耳にします。やはり、その要因は生徒会の生徒たちの頑張りにあったと思います。

 会長をはじめ生徒会の中核を担う執行部は13人です。通常、生徒会執行部は2年生の7月に組織され、翌年の7月の改選まで1年間担当します。しかし、下級生がいない今の生徒会執行部はこのまま来年度の閉校まで続きます。多良木高校の最後の生徒会なのです。来年度、3年生だけになる学校では従来型の文化祭は難しいでしょう。そのため、今年度の文化祭にかける生徒会の思いは熱いものがありました。執行部のメンバーの多くが体育系部活動の中心選手であり、部活動との両立に苦労したようですが、新生徒会が結成された7月から文化祭の企画、準備に取り組んできました。

 文化祭においてマルシェ(フランス語の「市場」)のような活気を創りだしたいと、クラスや保護者のバザーだけでなく、お菓子、アクセサリー、コーヒー等の専門店にお願いに行き、初めて二店舗、ご協力いただきました。企画、交渉とも生徒たちが行いました。また、「時をかけるトンネル」という企画で、ステージ会場の第1体育館入り口に古い学校生活の写真を展示したビニルハウス型トンネルを設けました。これは同窓生の方々に好評でした。そして、何より、ステージ発表の運営、進行に生徒会の生徒たちが全力で当たったため、ご出演いただいたゲストの方々から、「多良木高校生の皆さんは折り目正しい。」、「純真な高校生ですね。」等の賞賛の声をいただき、恐縮するほどでした。

 もちろん反省材料も多々あります。しかし、文化祭の体験をとおし、協同して大きな行事を創っていく喜び、醍醐味を生徒会の生徒たちは味わい、一回り成長できたと思います。多良木高校文化祭にご協力いただいた全ての方に深く感謝いたします。




よかボス宣言

よかボス宣言


 照れくさい話ですが、この度、「よかボス宣言」を行いました。働きやすく働きがいのある職場環境の実現を目指して、熊本県では蒲島知事を筆頭に「よかボス宣言」が行われ、県教育委員会でも宮尾教育長をはじめ各課長、地方機関の所属長が相次いで行っています。遅ればせながら、私も下記のとおり宣言し、その後、生徒会執行部の生徒たちと多良木高校玄関で記念写真におさまりました。

        「よかボス宣言」多良木高等学校長

私は、球磨の風土と歴史を愛し、多良木高校を誇りに思い、職員の仕事と生活の充実を願い、以下の事項を約束します。

1.私は、教育的愛情を持って生徒たちと真剣に向合い、充実した 
  仕事をする教職員を誇りに思います。

2.私は、家族を大切にし、家事や余暇などの生活も楽しめる教職員
  を応援しています。

3.私は、計画的に休みを取るなど、教職員が工夫してオンとオフの
  メリハリをつけるよう努めます

4.私は、教職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフス
  テージにおける希望や安心が実現できるよう、支援します。

5.私は、教職員と生徒たちと助けあい、励ましあい、ゴール(閉
  校)へ向かって元気に進みます


 


ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭

ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」

 10月6日(金)の午後から翌7日(土)にかけて1日半、多良木高校文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」を開催しました。来年度に閉校を控え、2、3年生だけでの文化祭ですが、2年生主体の生徒会は張り切って夏休み期間から準備に取り組んできました。学校としても少し背伸びをして、例年になく、多彩なゲストを招き、生徒たちが感動的な出会いができるよう企画しました。その1人が、2年前の卒業生の岩田麗(いわたあきら)さんです。

 岩田さんは、本校卒業後、お笑い芸人になる道を選び、大阪へ行きました。そして現在、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、「イワタアキラ」の芸名で若手芸人として研鑽を積んでいるところです。

 文化祭2日目の午前、岩田さんが体育館ステージに登場しました。生徒たちにとっては「ようこそ先輩」の気持ちです。岩田さんは、高校生の時、テレビのお笑い番組、動画等にいかに元気づけられたかという思い出から話を始めました。そして、人を笑わせる仕事をしたいと強く思い、最初は周囲の反対があったものの、自分が最も挑戦したかった道に進むことができたことに感謝していると語りました。2年前、私も岩田さんの進路希望を聞いた時は驚きました。しかし、本人の決意の固さを知り、前途を励ましたことを覚えています。

 トークの後、岩田さんがコントを披露してくれました。文字やイラストを描いた広用紙を何枚も使いながらのユニークな芸で、生徒たちは笑顔で聴き入っていました。孤高の道を進んでいる先輩の姿をとおし、生徒たちは夢を実現することの尊さと大変さの両方を学んだことと思います。私自身は、社会に送り出した卒業生が、たくましく自分で道を切り拓いている姿を目の当たりにして、感無量となりました。