校長室からの風(メッセージ)

2017年12月の記事一覧

悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

 「卒業証書の和紙が透きあがりました。」とのご連絡を槻木の椎葉袈史さんから受け、年も押し詰まった1227日に今月二度目の槻木行きとなりました。この「校長室からの風」の12月6日版に「三椏(みつまた)の里、槻木」として紹介しましたが、槻木地域を訪ねるには細く曲がりくねった山道を走行し標高780mの峠を越えることになります。学校を出ておよそ45分で椎葉さん宅に到着。校章の鳩の透かしが見事に入った手すき和紙120枚を有難く受領しました。時間をかけての丁寧な手仕事の結晶であり、頭が下がる思いです。

 現在、槻木峠の通行は時間帯制限がなされており、帰りの時間まで少し余裕があったので、下槻木方面に足を延ばしました。下槻木は、東は宮崎県の西米良村、西は小林市須木地区にはさまれ、まさに県境の地域となります。ここには檜の一木造の弘法大師坐像(県指定文化財)を祭る大師堂があり、その境内には樹齢六百年と推定されるコウヤマキ(高野槇)や銀杏が立っています。どちらも高さ30mをこす巨樹で、その他に杉の大木も数本並び、壮観です。弘法大師像は応永19年(1412年)に制作されたことが台座に墨書されており、同じ時期にコウヤマキや銀杏も植えられたのではないかと想像できます。

 さらに、これらの巨樹の下に「悠久石」と呼ばれる巨大な丸石が鎮座しています。この「悠久石」は、平成187月の豪雨により下槻木地区の山腹斜面が崩壊し、その土砂の中から突如出現したものです。 直径140cm、重さ約4トンもの巨大な丸い石で、人工のものではなく、自然の造形美の神秘を感じます。砂岩が長い時間の中で風化浸食により割れ、流される途中で角が取れ、円形となった砂岩礫(さがんれき)と考えられるそうです。「千年の目覚め」と案内板にはありました。

 槻木は今や人口が120人余りの高齢者中心の地域ですが、大師堂の境内に佇むとこの地域の悠久の歴史に包まれる思いとなります。今年、30代前半の若い夫婦が槻木に移住してきてレストランを開き話題となりました。近い将来、休校中の小学校が再開できる日がくることを願いながら、再び峠道を越えて学校へ帰りました。


                    

                 悠久石                                                             

       右がコウヤマキ、左が銀杏、中央の杉の下に悠久石

門松を立てる

門松を立てる ~ 2学期終業式 ~

 
 多良木高校の正門に立派な門松が立ちました。1221日(木)、PTA有志の方々が朝から多良木町の山に入り竹を伐り出し、一日がかりで作業をされました。最後は野球部員も手伝い、午後4時には高さ3mの門松が完成しました。

 門松は、新しい年の神様が天から降りて来られる目標(「依代」(よりしろ)と言います)となるもので、正月飾りの代表です。竹が空に向かって伸びています。冬でも枯れない青々とした常緑樹の松の枝が飾られています。春を呼ぶ梅の木の枝も供えられています。「松竹梅」の縁起物がそろっているのです。さらに、赤い実の南天やカラフルな葉牡丹も添えられていて華やかです。伝統のものには意味があるのです。これで、私たちの学校も新年を迎える準備が整いました。

 翌日の1222日(金)は2学期の終業式です。夏の盛りの8月25日に2学期は始まりおよそ4か月、様々な行事を経て終業式の日を迎え、感慨深いものがあります。終業式の校長講話では、まず、神奈川県座間市のアパートで9人もの命が奪われた事件の報道を通して、ネット世界の闇の恐ろしさに言及しました。情報モラル、そして情報を正しく取捨選択、発信できる情報リテラシーの育成は学校に大きな責任があります。

 さらに、「誤りを指摘してくれる友達はいますか?」と問いかけ、誤りを指摘してくれるような友達こそ、真の友達であることを語りました。他者からの注意、助言を素直に受け入れられるかどうかで、皆さんのこれからは変わっていくこと、心の柔軟性がある高校生はより良い方向にきっと変わっていけることを伝えました。間もなく年が変わります。自分でも気づいている欠点、短所、悪い癖などを矯正していくには絶好の節目だと思います。

 皆さん、良いお年をお迎えください。


君たちは大きな高校生

君たちは大きな高校生

~ 校内駅伝大会 ~ 

 1221日(木)、澄み切った冬の青空のもと校内駅伝大会を開催できました。学校周辺の道路を男子は4.2㎞、女子は3.5㎞走り、それを5人で襷をつなぐもので、男女混合の25チームが出場しました。気温も日中は10度を超える絶好のコンディションの中、エントリーした全選手が完走し全チームが襷を繋ぐことができ、私自身は走っていないのですが、爽やかな達成感を覚えました。

 長距離走を苦手とする生徒は多く、内心は走りたくないと思った人もいたことでしょう。しかし、次に待っている人がいる、アンカーの選手にとってはゴールにみんなが待っているという思いが、きつくとも走りぬく力になったのだと思います。いきなり長い距離は走れません。これも体育の持久走の授業の成果だと思います。準備して練習を重ねれば、全員が長距離を走ることができるようになるのです。多良木高校生の持っている大きな可能性を再認識しました。

 11月4日、熊本県高校駅伝大会が熊本県総合運動公園陸上競技場をスタートゴールにして開催され、多良木高校も男女とも出場しました。陸上部員を中心にサッカー部、女子バレー部、ソフトテニス部、野球部などから選手を集め、オール多良木のメンバーで臨み、力走を見せました。沿道の駅伝ファンから「多良木、がんばれ」の熱い声援が飛びました。多良木高校が各種スポーツ大会で健闘したというニュースが発信されることで、地域の元気につながっています。

 多良木高校は規模としては小さな学校ですが、生徒達は小さな高校生ではありません。一人ひとりが大きな可能性を有し、地域にとって大きな役割を担っている高校生たちです。そのことを私はいつも誇らしく思っています。


       

        駅伝大会でスタートする1区のランナー

スポーツが教えてくれること

スポーツが教えてくれること

~ クラスマッチ、支援学校とのスポーツ交流 ~ 

 2学期のクラスマッチ(男女ともバレーボール)を1220日(水)に実施しました。現在、2年生(2学級)と3年生(2学級)の計4クラスですが、それぞれA、B、クラスによってはCまでチームを作って臨みましたので、男子が11チーム、女子が9チームとなり、白熱したクラスマッチとなりました。男子は3年1組Aチームが優勝。本校には男子バレーボール部がないため、いったい誰がうまいのか興味を持って観戦しましたが、3年生体育コースの生徒たちが貫録を見せました。また、女子は2年1組Aチームが優勝。女子バレーボール部のキャプテンとエースアタッカ-のいるチームが他を圧倒しました。

 バレーボールが苦手な生徒も少なくありません。しかし、皆、一生懸命にプレーしており、ミスしても笑顔でかばい合い、お互い声を掛けている姿を見ると温かい気持ちに包まれます。スポーツには競技スポーツとレクリエーションスポーツの二つの面があります。勝負を競い、記録更新を目指す競技スポーツは高校生にとっては部活動の場です。一方、運動が苦手な生徒にも、身体を動かす喜び、スポーツを通した交流の楽しさを体感してもらい、生涯にわたってスポーツに親しんでいってほしいと願います。

 スポーツはコミュニケーションを促進する大きな力を持っています。本校では毎年2学期に球磨支援学校高等部の皆さんとスポーツ交流を行っています。今年も1128日に本校グラウンドでティーボールを実施しました。笑顔と歓声あふれる交流の場となりました。支援学校高等部の皆さんは、毎年このスポーツ交流を心待ちにしているそうです。その理由は、広々としたグラウンドで思い切り運動ができること、そして同年代の高校生と交流できる喜びがあるからだそうです。本校の生徒たちも自然体で一緒にスポーツを楽しんでいました。

 障がいがあってもなくても、運動が得意だろうと苦手だろうと、様々な違いはあっても人はみな対等だということを、スポーツは教えてくれます。


 


自助・共助(互助)・公助 ~ 火災避難訓練

自助、共助(互助)、公助

~ 火災避難訓練 ~ 

 球磨盆地を取り囲む山々の中でもひときわ高い市房山(1721m)が初冠雪。古くから信仰の山であり、頂上付近に冠雪した姿はより神々しく映ります。冬本番です。寒くなると火が恋しくなります。本校でも空調暖房に加え、事務室や家庭科職員室では灯油ストーブを出しています。しかし、空気が乾燥して火災の危険性も高まる時期でもあるため、毎年12月上旬に火災避難訓練を行っています。

 本年度の火災避難訓練を12月11日(月)の4時間目に実施しました。理科の実験中、化学室で火災発生の想定での訓練です。火災は恐ろしいものです。高温の炎、有毒ガスを含む煙に私たちは対処できません。日頃厳しい訓練を積まれ、そして火災に対応した装備を身に付けたプロの消防士に消火を任せるしかないのです。私たちができることは、先ず「逃げる事」、避難です。そして通報です。これが自らを助ける「自助」です。しかし、まだ小火(ぼや)程度で、自分の安全を確保したうえで、初期消火ができる場合もあります。

 全校生の避難が完了した後、上球磨消防署の消防士の方のご指導で消火器を使っての初期消火の訓練を行いました。さらにその後、本校の体育科の上原教諭、中山教諭、富﨑教諭の三人が消火栓操法を実演しました。三人の教諭は多良木高校の職員消防チームとして、11月に上球磨消防署で開催された屋内消火栓操法大会に出場しました。この大会には役場や学校、そして介護施設等の事業所など15チームが参加しました。このように現場の人たちで協力し合い初期消火に努めることが「共助(互助)」と言えるでしょう。三人の教諭のきびきびとした消火栓操法の動きに生徒たちは注目していました。

 火災や災害の際、消防署や役場など公的な救援である「公助」を待つだけではなく、その前にどれだけ「自助」、「共助(互助)」ができるのかが重要だと思います。防災避難訓練、火災避難訓練と学校行事が続きましたが、生徒たちには、この「自助」、「共助(互助)」の意識を高めてほしいというのが一番の狙いです。


 




消火栓操法を実演する体育科の三人の教諭

献血ボランティア

献血ボランティア

~ 「人間を救うのは、人間だ。」~
 

 12月8日(金)、熊本県赤十字血液センターから医師、看護師などスタッフの方が献血バス等で来校されました。多良木高校は青少年赤十字活動協力校として、毎年師走に献血ボランティア活動を行っています。先ず1限目相当時間に、後藤善隆医師から「献血セミナー」として生徒に講話を行っていただきました。

 会場の第1体育館は気温が低く冷たい環境でしたが、ユーモアを交えながらの後藤医師のわかりやすく親しみやすい語りに生徒は熱心に聴き入っていました。難病の子どもが輸血してもらうことで少しでも豊かな最期を懸命に生きる映像が流され、血液とは「命をつなぐバトン」という言葉が胸に迫りました。後藤医師が改めて、「献血」という言葉の巧みさに言及されたことも印象に残りました。自らの血液を無償で活用してほしいと誰か不特定の人にささげる「献血」という行為はまさにボランティアそのものだと強調されました。

 2限目以降、年齢や体重等の条件を満たした3年生44人が献血に協力しました。今の3年生の中には看護師や作業療法士等の医療従事者を目指して大学、専門学校に進む生徒が10人ほどいます。赤十字血液センターの看護師さんをはじめスタッフの方々の仕事ぶりに接することは生徒にとって学びの一歩となったことでしょう。

 さて、日本赤十字社のスタッフの方の名刺には「人間を救うのは、人間だ。Our world , Your move.」という言葉が印字されています。深い意味のある言葉だと感じます。国内の大規模災害現場、あるいは国外での災害、紛争地域での支援活動に率先して赴かれる日本赤十字社の方々の精神と行動に心から敬意を表します。


 


地区住民の方との合同防災避難訓練

住民の方との合同防災避難訓練 

 12月7日(木)の午後、本校としては初めて地元住民の方との合同防災避難訓練を実施しました。今年度、全ての県立高校が防災型コミュニティスクールとなったことからの取り組みです。本校が位置する多良木町六区の区長さん方と6月から4回協議し準備してきました。本校防災主任の上原教諭が区長さんと綿密に打ち合わせをして避難訓練の計画を作り、この日を迎えました。私も県から支給された防災服を着用し緊張感をもって臨みました。

 午後1時50分、地震発生を知らせる模擬音響を校内放送で流し、訓練開始です。一時避難場所の校庭に生徒は午後2時に避難完了。今回の地震が大規模であり近隣に大きな被害が出ているという想定で、第二段階に移ります。地区の公民館に避難されている住民を迎えに行く住民誘導班が車いす5台を携え出発。また、逃げ遅れている人がいないか確認する地域見回り班が5グループに分かれ出発。残った生徒と職員で第1体育館を二次避難所として設営開始し、椅子や布団、災害時用備蓄の水、乾パンを用意しました。さらに、災害時に手軽に食べられるα米の用意を女子生徒10人が調理室で行いました。

 午後2時30分頃、地区の公民館から住民の方が生徒たちに誘導されて来校。高齢の方、歩行が不自由な方の5人は生徒支援の車いすでの移動でした。そして、体育館入り口の受付で氏名を記入していただき、救護班の健康観察によって①体調良好、②体調不良、③病院搬送待機に区別し、体育館内のそれぞれのエリアに案内しました。しかし、およそ50人の住民の方々が来校されたため、この受付付近が混雑し、少し混乱が生じました。

 午後2時50分、準備ができたα米を係の生徒が住民の方、次に生徒に配布して防災避難訓練は終了。午後3時、体育館内で、訓練を視察された多良木警察署、上球磨消防署、そして六区区長の長田さんから講評があり、散会となりました。師走の平日にも関わらず、50人もの住民の方々がご協力頂いたことに深く感謝申し上げます。「高校生と手をつないで学校まで避難してきたので心強かった」、「高校が近くにあることは頼もしい」等の感想を住民の方からいただきました。初めての試みでしたが、所期の目的は達成できたと感じました。多良木高校は、閉校まで地域と共に在り続けたいと思っています。

      
        住民の方にα米を手渡す生徒たち

 


三椏(みつまた)の里、槻木

三椏(みつまた)の里、槻木(つきぎ) 

 多良木高校の卒業証書は三椏(みつまた)を原料とした手すき和紙で作られています。今年度の卒業証書の和紙製作の依頼に、多良木町槻木(つきぎ)地区を訪問しました。槻木地区は多良木高校から南におよそ20㎞離れたところにあります。多良木町の南の端に当たり、地図で見るとこの地区だけが宮崎県域にぐいと入り込んでいます。槻木地区は住民が120人ほどで高齢化率は77%に達し、住民自らが「限界集落」と称される所です。

 槻木を訪ねるのは容易ではありません。県道143号を球磨盆地側から上り、曲がりくねった細い道を走行し、標高780mの槻木峠を越えなければなりません。途中、木材を積んだトラックに出合うと離合ができず、道幅の広い場所までバックしなければならず、運転に神経を使います。しかも、現在は、峠付近が工事中で、日中、通行できる時間帯が規制されているのです。けれども、訪ねる度に素朴で清らかな山里の風情に魅了されます。

 手すき和紙を作っていらっしゃるのは椎葉袈史さんです。お仕事は林業で、ご自分の山を槻木に所有されています。昨年度まで多良木町教育長を務められました。椎葉さんの手すき和紙の一番の特徴は、原料が三椏(みつまた)である点です。一般的に和紙の原料は楮(こうぞ)ですが、楮より三椏の方が上質のものができるそうです。三椏は育ちにくいとも言われますが、槻木地区の土壌や気候が合うのか、昔から自生しています。今は、椎葉さんが自分の山をはじめ植樹されており、やがて槻木は「三椏の里」と呼ばれることになるかもしれません。

 椎葉さんのご自宅の庭にも三椏が育っています。三椏は枝が三つに分かれることからその名称がおこり、高さは大人の背丈ほどが一般的で、最大でも2mくらいだそうです。ご自宅の三椏は枝ごとにちょうど蕾が付いていました。花は春先に咲くとのことです。手すき和紙作りもこれからが佳境だそうです。多良木高校の卒業証書用に、校章の鳩の絵柄を透かしで入れて頂いています。「この透かしの技がうまくいかない」と椎葉さんは笑っておられましたが、地元の三椏で作られた手すき和紙の卒業証書を卒業生に手渡す日が待ち遠しく思われます。

          椎葉袈史さんと三椏の木(左肩後方)

 

事故の怖さを実感する交通安全教室

事故の怖さを実感する交通安全教室 

 12月5日(火)、2学期期末考査最終日。この冬一番の強い寒気に球磨地域は覆われました。冷たい風が吹く中、午後、多良木高校グラウンドで「スタントマンを活用した交通安全教室」を開催しました。熊本県警察本部とJAくま(球磨地域農業協同組合)の共催によるもので、参加者は本校生(2,3年)と球磨支援学校高等部の皆さんです。高等部の生徒の皆さんは、先週も本校野球場でティボールを楽しむスポーツ交流を行っており、二週続けての来校です。

 この交通安全教室の特色は、スタントマンによる交通事故の迫真の再現です。日頃トレーニングを重ねているスタントマンだからこそできる身体を張った危険な演出となります。歩行者と自転車、自転車と自転車、自転車と自動車といった幾つものパターンによる交通事故の再現が行われ、その度に被害者役のスタントマンは身を投げ出し、道路に転倒します。迫力ある事故シーンを見学していくことで、改めて、私たちは交通事故の恐ろしさを実感していきます。そして、生徒の皆さんが事故の怖さを正面から受け止めることによって、日頃の「まあ大丈夫だろう」という甘い認識や油断を捨て、交通安全に関してより慎重に注意深くなるように変化を期待するものです。

 私たちが暮らす人吉球磨地域は、犯罪や災害が少なく、人情も厚い平和な故郷です。しかし、最も心配されるのが交通事故です。今年度、多良木町やあさぎり町で交通死亡事故が続いていることは憂慮されます。生徒たちの話を聴くと、自転車でスピードを出しすぎた時、不用意に角を曲がる時、あるいは信号のない横断歩道を渡る時など「ヒヤリ」・「ハット」の経験が多いようです。生徒の皆さん達には、絶対に交通事故の被害者に、もちろん加害者にもなって欲しくありません。

 交通事故は一瞬で起きます。事故を防ぐにはどうすればよいのか。およそ一時間半の交通安全教室は、「どんな事故も基本的な交通ルールを守っていれば防ぐことができる」というメッセージを伝えていました。