校長室からの風(メッセージ)

2018年10月の記事一覧

正門前の銀杏並木

正門前の銀杏並木 


 「正門前の銀杏並木が綺麗ですね。」と来校者の方からよく言われる季節になりました。先日は、朝、アマチュアカメラマンの方が撮影されている姿が見られました。多良木高校の正門前には銀杏並木があります。町道から分かれ正門までの80mほどの道に片側十本の銀杏樹が立ち並んでおり、今、黄緑色から鮮やかな黄金色に染まってきて、先週から落葉も始まりました。

 正門までのこの奥行の道がとても意味があると私は思っています。朝、登校する時、正門及びその先の校舎や体育館が見え、「さあ学校だ」と自然に意識が学校生活に切り替わる場所となります。夕方、下校する時、正門を出て心地よい疲れに包まれながら「さあ家に帰ろう」と気持ちが解放される場所になるでしょう。銀杏並木の道は、学校と外界をつなぐ不思議な空間と言えます。

 春夏秋冬、登下校の生徒を見守り続ける銀杏並木です。そして、この銀杏並木が最も華やかな装いを見せるのが秋です。毎年、大量の銀杏の落葉があります。一本の銀杏の樹木にいかにたくさんの葉がついているのかに驚きます。昨年まではサッカー部の生徒たちが自主的に朝掃除に出てきて、銀杏の落葉を掃き集めてくれていました。しかし、今年はサッカー部も活動を終えたため、時折、私たち職員有志で清掃を行っています。肌寒くなった朝、銀杏を竹箒で掃き集める感触は秋の風情を感じます。

 現校地に移転して50年、銀杏並木は生徒をはじめ来校者を出迎えてくれました。日が高くなり、銀杏並木の入り口側から正門の方を眺めると、「平和・勤労・進取」の校訓が大きく掲げられた第一体育館、そしてその背景には球磨盆地を囲む九州山地の山並みも遠望できます。この風景こそ、多良木高校を象徴するものではないかと思います。
 しかし、来年の秋はこの風景は見られないでしょう。閉校まであと5か月です。秋はゆっくりと深まっていきます。この秋は、銀杏並木が一層愛おしく、美しく思えます。


 


様々な世代の人と共に在る学校

様々な世代の人と共に在る学校 

 本校ほど保育園と交流している高校は稀ではないかと思います。近隣にある光台寺保育園の園児たちは、しばしば本校まで「散歩」にきて、広いグラウンドを駆け回ります。毎年の体育大会では園児に特別参加してもらい、高校生と一緒にダンスを踊ります。本校玄関には園児たちの絵画や工作品を展示する専用スペースを設けています。園児たちとの交流は日常的です。昨日の1023日(火)も、同園の12人の2歳児さんが保育士の方々に引率され「秋の遠足」で来校しました。玄関で出迎えた担当の生徒たちが、プレゼントのキャラクターシールを手渡し、歓迎しました。

 保育園児と交流する高校生の表情はいつも柔らかく優しいものです。兄弟が少なくなり、身近に幼児がいない環境の生徒も多い中、幼く小さき者と触れ合うことは、高校生に大切なものを思い出させる機会になっています。保育園児が来校する度に、清少納言の次の言葉を思い出します。

 「なにもなにも ちひさきものは みなうつくし」(枕草子151段)

 また、23日(火)午後には、本校福祉教養コース及び家庭クラブの生徒15人があさぎり町深田にある高齢者介護施設の「翠光園」を訪問しました。「翠光園」と本校の交流は長く、およそ40年続いてきました。福祉教養コースの生徒の介護実習、または2年次での職場体験実習(インターンシップ)で毎年お世話になってきましたし、同園に就職している卒業生が幾人もいます。

 昨日は、生徒達の軽快なダンス披露から始まり、用意してきた紙芝居やクイズ等で80人近い入所者の方々と交流しました。最後、生徒達が手作りのカラフルな紙製メダルをお年寄りの首にかけて回ると、握手してその手を離さない方もいらっしゃり、生徒の中には感極まり涙を流す者もいました。交流会の閉式で入所者代表として御挨拶された方は百一歳のご婦人で、ひ孫のような高校生に対して感謝の思いを力強い言葉で述べられました。

 多良木高校は3年生67人の小さな学校です。しかし、地域の保育園児からお年寄りまで様々な世代の人々と共に在る学校であることを誇りに思います。



最後の神輿 ~ 多良木町恵比須祭りへの参加

最後の神輿 ~ 多良木町恵比須祭りへの参加


 
「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿(みこし)をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、笑顔で威勢よく神輿を担ぎます。秋晴れの1020日(土)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 我が国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人に広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人たちによって創られたと言われます。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず和やかな気持ちになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年1020日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 今年度末で閉校を迎える本校にとって、最後の神輿となりました。生徒の神輿を中心に例年になく保護者や同窓会の方も数多く歩かれました。味岡建設本社を出発し、およそ1時間半かけて2㎞を練り歩き、終着の「石倉の広場」に到達しました。ここで、来年度から新たに神輿を担ぐことになる多良木中学校の生徒に、多良木高校の生徒から法被や足袋の一式を渡す「引き継ぎ式」を行いました。地域の伝統行事に中学生が主体的に関わることは郷土愛を育むことにつながると思います。本校にとって後顧の憂えが一つなくなりました。




俳優の中原丈雄さんからのメッセージ

「良い仕事をするために、つらい経験がある」 

~ 俳優の中原丈雄さんからのメッセージ ~


 高い演技力と重厚な存在感を発揮し、多くの映画、テレビドラマ等に出演されている俳優の中原丈雄さんは人吉市のご出身です。強い郷土愛の持ち主で、球磨郡の観光大使を務めておられ、しばしば帰省され地域の行事に登場されます。実は、中原さんの御母堂は多良木高等女学校を卒業されており、本校に対して特別な親近感を抱いておられます。この度、多良木町役場の御尽力を得て、本校最後の生徒たちに中原さんからエールを送って頂く場が実現しました。

 1020日(土)の午前、本校第1体育館において、「これからの時を生きる」の演題でトーク&ライブが開かれました。本校の生徒・教職員に加え、保護者や地域の方々も参加されました。前半のトークでは、若い劇団員としての下積み生活の中でも、俳優になるという夢を持ち持ち続けたことを語られました。印象に残った言葉を二つ紹介します。

 「これから、つらいことにたくさん出会う。けれども、良い仕事をするために、つらい経験をしていると考えてほしい。」

 「昨日負けても、今日勝つと思えばいい。今日負けても、明日は勝とうと思えばいい。」

 後半のライブでは、音楽仲間の方と結成しているバンドで再登場され、中原さんはエレキギターを奏で、1950年から1960年代に英米でヒットしたポピュラーソングを軽快に披露されました。中原さんは俳優が本業ですが、絵画も個展を開くほどの腕前で、音楽の才能も豊かな方です。

 あふれんばかりの能力に恵まれた方ではありますが、40代までアルバイトをしなければ俳優だけでは生活ができなかったという長く厳しい体験が土台となり、現在のベテラン俳優ができあがったという真実は、来春に巣立っていく生徒たちにとって何よりの励ましになったでしょう。


多良木高校の剣道部物語

多良木高校の剣道部物語  

 今年度末に閉校が迫り、同窓生や旧職員の方が学校を訪問されることが増えてきました。先日は、旧職員の武井章先生(体育)が来校されました。「剣道の武井」と人吉球磨地域では令名が高く、かつて多良木高校に16年間在職され、剣道部の黄金時代を築かれた方です。御年80歳を迎えられていますが、今も人吉球磨剣道連盟会長職を務め、小学生相手に剣道の手ほどきをされる日々を送られており、背筋がぴんと伸び古武士然のたたずまいです。

 武井先生の多良木高校での思い出話は、多良木高校剣道部全盛期のことに及ぶと一段と熱っぽくなり、その白眉が昭和55年(1980年)の女子剣道部の玉竜旗大会での全国優勝でした。前年、同大会で3位に入りながら、この年の県高校総体県予選では阿蘇高校(現阿蘇中央高校)に惜しくも敗れ全国高校総体(インターハイ)出場を逃していました。それだけに、玉竜旗大会にかける気持ちが強かったそうです。部員たちが日々の厳しい稽古を貫き、部のモットーの「平常心是道」を心がけた結果、優勝を果たすことができたと武井先生は往時を懐かしみ愉快に語られました。

 戦国時代後半から江戸時代初期にかけての剣豪、丸目蔵人(まるめくらんど)は人吉藩相良家に仕え、タイ捨流を創始しました。晩年は一武村(現 錦町一武)に隠棲してお墓も残っています。そして古武道の一派としてタイ捨流は今も伝わっています。丸目蔵人の影響が多分にあるのでしょう、人吉球磨地域は剣道が盛んな土地柄です。その中で、まさしく剣道一筋に武井先生は生きて来られたのです。そして、多良木高校剣道部を鍛え、多くのたくましい人材を世に送られたのでした。

 けれども、多良木高校剣道部は6年前に部員がいなくなり活動を止めました。4年前に私が赴任した時はすでに剣道部はありませんでした。これも時代の流れでしょうか。

 しかし、女子剣道部の玉竜旗優勝は多良木高校96年の歴史の中でも燦然と輝いています。地域の普通の高校が全国大会で優勝したことは永く語り草となっています。現在も本校の玄関展示ケースに優勝記念の旗が飾られています。


 

最後の部活動 ~ サッカー、バスケットボール、駅伝

最後の部活動 ~ サッカー、バスケットボール、駅伝


 7月の甲子園大会県予選で野球部が敗退した後、多良木高校のグラウンド及び体育館における部活動は休止状態となりました。しかし、10月に入り、部活動が再開されました。この時期、各競技の秋の県大会が開催されるため、本校から三つの部が出場することになったのです。今年度で閉校する本校には3年生しか在籍しておらず、3年生で単独チームが結成できるのは10人の部員がいる男子バスケットボールだけです。男子サッカーと駅伝(陸上部)は南稜高校と合同チームとなります。就職の内定、上級学校の合格と進路が決まった生徒を中心に練習を再び始めました。

 多良木高校サッカー部は部員5人ですが、南稜高校と合同チームを組んでもぎりぎりの11人の状況です。しかし、6月の県高校総体1回戦での逆転負けの雪辱に燃え、10月6日の1回戦(会場:鹿本農高)に大勝しました。そして、13日の2回戦(会場:鹿本商工高)では天草工業高校相手に互角の試合を展開し、2対2のまま延長でも決着せずPK戦で勝つという劇的な幕切れとなりました。合同チームながら、人吉球磨地域で小・中学校からサッカーをしてきた仲間であり、絆は強く、最後まであきらめないたくましさを見せてくれました。

 また、男子バスケットボールも13日に大会(会場:熊本市)に臨み、1回戦は快勝しました。生き生きと躍動し、出場した選手全員がシュートを決める圧巻の内容でした。2回戦では強豪のシード校に敗れましたが、多良木高校単独チームとして輝きを放ったと思います。試合後、バスケットボールをやりきったという達成感漂う選手たちの表情が爽やかでした。

 サッカーの合同チームは20日の3回戦に挑みます。そして、同じく南稜高校と合同チームを組む男女の駅伝は27日に県高校駅伝大会に挑みます。それぞれ自分が選んで続けてきたスポーツで完全燃焼をしてほしいと期待します。

 今月、束の間ですが、放課後、グラウンド・体育館で生徒たちが汗を流して活動し、元気ある声が響きました。多良木高校は最後まで活力を失いません。


            2回戦を勝利した南稜・多良木サッカーチーム