校長室からの風(メッセージ)

2016年9月の記事一覧

野球部の二人のコーチ

野球部の二人のコーチ ~ 多良木高校野球部を支える地元の力  

 「多良木高校野球部の試合を見ていると、つい笑顔になり、やがて涙が出てくる」とある高校野球ファンが私に語られました。超高校級の選手は一人もいませんが、心の底から野球が好きという少年たちがひたむきにボールを追いかけ、いつもハラハラ、ドキドキさせる試合を展開します。残り2年で閉校の定めで、今の1年生が多良木高校の歴史のアンカーを務め、次年度以降に新しい部員は入ってきません。しかし、そのような寂しさを感じさせない明るい笑顔と大きな声を出す野球部員の姿は応援する人の胸を打つのでしょう。

 多良木高校野球部は本当に地域の力に支えられています。監督は、元多良木高校長で現在は多良木町教育委員会にお勤めの斎藤健二郎先生。67歳という現役の高校野球監督としては県内最年長の百戦錬磨の名将です。そして、この監督を支えるのが、馬場さんと尾方さんの二人のコーチです。馬場さんは50代前半、尾方さんは40代後半の年齢で、お二人とも多良木高校野球部OBであり、それぞれ地元で自営業をなさっておられます。

 お二人のコーチはほぼ毎日お仕事の合間を縫ってグラウンドに来られ、生徒たちを指導されます。学校から指導手当ても出すことができていないのですが、お二人は「後輩のために好きな野球を教えられるだから、こんな楽しいことはない」と言われます。長年、多良木高校野球部に関わっていらっしゃるため、多良木高校生の特徴や癖をよく知っておられ、一人ひとりに応じたきめ細かな指導をされます。

 馬場コーチは、豊かなユーモアのセンスで生徒たちの意欲を引き出される一方、地道なトレーニングを徹底されます。尾方コーチは、多良木高校時代、後にプロ野球で活躍した野田投手とバッテリーを組んだ方で、ノックが実に巧みで緊張感ある質の高い練習時間を創り上げられます。お二人は斎藤監督の野球の教え子でもあり、三人の息はぴったり合います。この他、近年の野球部OBの方が入れ替わりコーチの手伝いに来られ、まさに地元に支えられています。

 今日も放課後にはお二人の姿が野球場に見えることでしょう。そして、お二人の叱咤激励に対し、野球部員が懸命に応える熱い練習が繰り広げられます。


 


野球部を応援する謎の青年

野球部を応援する謎の青年 ~ なぜ多良木高校野球部を応援するのか 

 多良木高校野球部の試合会場で、その青年に気付いたのは昨年の春でした。野球部の試合の応援に行くと、スタンドでよく見かけるのです。多良木高校の応援団の近くの席に居る方なので、最初は卒業生だと思っていましたが、野球部の保護者の方たちによると、「卒業生ではない、多良木町や球磨郡出身でもない」、しかし「多良木高校野球部を応援したい大学生」とのことでした。 

 名前はTさんと云い、県北にある大学に在籍していて、とにかく多良木高校野球部を応援したい一心で熊本市の藤崎台球場、八代球場と駆けつけてくれる奇特な方で、次第に、この学生さんのことは野球部員や保護者の方、そして応援に来られる多良木町民の間で知られるようになりました。今年度に入ると、多良木高校野球部応援隊のシャツを着て、Tさんは野球部保護者の応援の輪に入って声援を送り、共に喜び、悔しがり、多良木高校野球部の応援席にはなくてはならない存在になりました。私も球場スタンドで会うたび、笑顔で挨拶を交わすようになりました。

 さて、今、秋の熊本県高校野球選手権大会の開催中です。去る9月25日(日)、県営八代球場で多良木高校野球部は水俣高校と2回戦を戦い、9対2で勝利しました。この試合でも、Tさんはスタンドに来て、私たちと一緒になって熱烈な応援をしてくれました。試合後、Tさんが私に、なぜ多良木高校野球部を応援するのかという理由を語られたのです。Tさんは旧蘇陽町(現山都町)出身で、熊本県立蘇陽高校の卒業生でした。蘇陽高校は生徒数の減少に伴い、「県立高等学校再編整備等基本計画」により、平成24年3月末日をもって61年の歴史に幕を閉じました。この最後の学年19人の一人がTさんでした。母校が閉校となる寂しさ、口惜しさを体験したTさんにとって、同じ定めの多良木高校野球部を心から応援したいとのことでした。「僕もこの秋は就職活動をしなければなりません。神戸で就職するつもりですので、甲子園で待っています。」とTさんが言われました。

 閉校まであと2年ですが、多良木高校野球部はTさんの思いも受けて夢の甲子園出場に向けて果敢に進んでいきたいと思います。


                                        
                         県営八代球場

 


 

3年生よ狭き門より入れ ~ 3年生進路激励会

3年生よ、狭き門から入れ ~ 3年生進路激励会

 高等学校卒業予定者の就職試験が9月16日(金)から始まります。今年度の3年生64人のうち29人が就職を目指しています。進学希望者についても、大学のAO入試(自己推薦型入試)が9月中旬から随時始まります。これまで本校で学んできたことの集大成として、進路実現の時を迎えます。就職試験解禁の一週間前の9月8日(木)の6時間目に3年生全員が視聴覚教室に集合し、進路志望の達成に向けての激励会が行われました。この場で、私は大きく次の三つのことを伝えました。

 一 自分のルーティンを大切にしよう

   試験が近づいたからといって特別なことをするのではなく、確立された
   自分の生活リズムを守り、心身を整えて本番に臨んで欲しいのです。

 二 進路実現へのモチベーションを高めよう

   だんだん試験が近づくと、不安になったり、他人と比較して焦ったりと
   動揺しがちです。しかし、そのような時こそ、志望している企業、学校

   のホームページを閲覧して、半年後はここで働いている、学んでいる
   自
分の姿を思い描き、やるぞという意欲をかき立てて欲しいのです。

 三 量は質を高める

   進路実現に魔法はありません。勉強も面接も日々の繰り返しの中でコ
   ツ
をつかみ、自分のものになっていきます。絶対的な勉強時間や面接
   の練
習時間が最後は支えてくれます。量は質を高めてくれると信じ、
   試験当
日まで地道な努力を続けて欲しいのです。

 今の3学年は近年にないほど出席率が高い学年です。ほとんど欠席する者がいません。多少、体調が思わしくなくても学校に来る生徒達です。即ち、自分の生活のルーティンをしっかりと確立しているのです。これは最大の強みでしょう。きっとそれぞれの狭き門をくぐり、自分の進路を切り拓いていってくれることと期待しています。


                進路激励会で代表生徒による誓いの言葉


 

多良木高等女学校の先輩

多良木高等女学校の先輩 ~ 勤労動員の青春

 昭和20年3月に多良木高等女学校を卒業された大先輩のお二人が、先日、校長室を訪ねてこられました。湯前町在住の東さんと岩木さんで、御年88歳ですが、かくしゃくとして誠にお元気です。東さんは今でも自動車の運転をなさり、軽自動車を自ら運転し岩木さんを乗せて来校されました。戦争中、沖縄から多良木に疎開され、多良木高等女学校で学ばれた方について琉球大学の歴史の先生が調べておられ、依頼を受けた私が高等女学校時代の思い出話を伺いたいとお願いしたのです。

 終戦から71年となり、遙かな歳月の彼方ですが、お二人の記憶は鮮明で、まるで昨日のように高等女学校時代のことを語られました。お二人は小学校を終え、昭和16年4月に多良木高等実科女学校に入学されました。多良木高等実科女学校は裁縫、調理等の家政科を中心とした教育課程で、地域社会における良妻賢母の育成を目指し、4年制、1学年定員は100人でした。昭和18年に実科女学校から高等女学校に名称が変更されました。沖縄から疎開してきた同級生のこともよくおぼえていらっしゃいました。

 そして、お二人にとって最も強く印象に残っていることは4年生になって赴いた勤労動員でした。戦局が悪化し、女子学生が軍需工場で働くことになり、多良木高等女学校の4年生は、昭和19年10月から学校を離れ、熊本市健軍にあった三菱航空機製作所で働いたのです。東さんは航空機部品の組み立て、岩木さんは工作機械の旋盤担当で、全員が「神風」の鉢巻きを締め、防空ずきんを着用しての作業の日々でした。昭和20年になると日本の空をアメリカ軍が支配し、連日のようにB29爆撃機の空襲を受けました。軍需工場は特に標的にされ、爆撃により多くの工場の職員、勤労女学生が命を落としました。

 昭和20年3月、工場の寮において、勤労動員の女学生合同の卒業式が行われました。終戦後も、多良木高等女学校同級生の絆は強く、定期的に同級会や親睦旅行をされてきたそうです。やはり、生死を共にした勤労動員体験がお互いを強く結びつけていたのだろうと語られました。

 戦後の学制改革により高等女学校はなくなり、新制多良木高校も昭和44年に現在の地へ移転しました。その時、高等女学校時代の旧正門も新校舎の野球場入り口に移しました。体験談を語り終えられた東さんと岩木さんは、帰られる際、この旧正門である古い石柱をなでて懐かしがっていらっしゃいました。

                   多良木高等女学校時代の旧正門