校長室からの風(メッセージ)

2018年1月の記事一覧

フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の目的の一つとして、東日本大震災からやがて7年になる福島県の現状を知ることがありました。初日の午後4時半過ぎに田村郡三春町にある「コミュタン福島」(福島県環境創造センター)を訪問しました。通常の開館は午後5時までなのですが、職員の皆様のご配慮で開館時間を20分延長していただき、見学することができました。

 「コミュタン福島」は初めて訪ねましたが、360度全球型シアターをはじめ想像以上に充実した施設であり、放射線や福島県の環境問題について視覚的、体験的に学習できる内容となっています。職員の方の説明、ガイドも親切でわかりやすく、原子力に依存しない安心、安全な持続可能な社会づくりに向けた取り組みを理解できます。もっと時間をかけて生徒たちに学ばせたい研修施設だと思いました。生徒たちも興味、関心をもって見学する姿が印象的でした。

 また、二本松市岳温泉の「陽日の郷あづま館」に宿泊しましたが、夜、女将さんの鈴木美砂子さんによる震災講話を聴くことができました。地震よりも、津波による東京電力福島原子力発電所の事故による影響がいかに甚大だったかを当時の体験を通して語られました。双葉町、大熊町等からの避難民を旅館で受け入れたこと、放射線への恐怖で従業員の方が辞めて県外へ去っていかれたこと、一時は旅館廃業も覚悟したことなどの鮮烈な体験談を生徒たちも真剣に聴いていました。「東京電力福島原子力発電所の事故は、天災ではなく人災だと私は思っています。」との女将さんの言葉は重く響きました。

 「陽日の郷あづま館」の夕食、朝食は過分な御馳走を頂きました。福島県産のお米は全量全袋を対象に放射性物質検査が行われているとのことで、食の安全について徹底されていることを知りました。福島の米、食材への自信、プライドのようなものを感じる御馳走でした。

 現在でも福島県の環境や食品に関して風評被害があるようです。ネットで根拠のない私見を述べている人はきっと実際に福島を訪ねたことがないのだろうと思います。帰還困難地域を除いて、フクシマでは人々が郷土に愛着をもって健やかに暮らされています。そして、頂いた食事は格別に美味しく感じました。


 

             「コミュタン福島」で見学する生徒たち

「旅行は大変だけど、面白い」~修学旅行

 

「旅行は大変だけど、面白い」 ~ 2年生修学旅行


 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の引率をしてきました。天候にも恵まれ、予定通りの行程で全員元気に帰ってくることができました。これも生徒一人ひとりが自らの健康管理に努めた結果だと思います。最終日、鹿児島空港に降り立ち、午後5時頃に九州自動車道の「えびのSA」で解団式をしました。霧島連山が見える絶景の広場で、まだ修学旅行の興奮冷めやらぬ生徒たちに向かって、「旅行は大変だけど、面白いもんだろう?」と語り掛けると、皆が頷いてくれました。
 初日の東京から福島県二本松市岳温泉までの300㎞余りの距離をバスで約4時間かけての移動。長旅でした。二日目の「あだたらスキー場」では多くの生徒がスキーに悪戦苦闘。午後は強い雪が降り、雪国の厳しさも実感しました。三日目の東京での班別自由研修では様々なアクシデントが起きて戸惑い、混乱したようです。列車を乗り間違う、駅の出口を誤り迷う、路上の執拗なキャッチセールスに恐怖を覚える等。しかし、それぞれの班でトラブルを解決して門限の午後7時半までには全員無事にホテルへ帰ってきました。

 家庭、学校を中心とした日常生活と大きく異なり、旅行は思いもよらぬ出来事に遭遇し、予定通りに進まないことがよくあります。初めての体験、出会いも続きます。長時間の移動で身体的に疲労も蓄積するでしょう。しかし、大変だからこそ、面白いのです。大変な目に遭わないと、真の面白い体験は得られないと云えるのではないでしょうか。昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言われるのは、きっと旅は人を成長させるからだと思います。

 修学旅行期間中、私がこれまで知らなかった生徒たちの一面を知ることが多々ありました。きっとクラスメイトや親友同士であっても、お互い新たな発見があったことでしょう。修学旅行によって2学年全体の絆がさらに強まったように感じます。

 

                                   あだたら高原スキー場(福島県二本松市)

                                   


 

 


それいけ、三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

  それいけ三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

 人吉・球磨地域の急速な少子高齢化に伴う入学生徒数減少が要因で、多良木高校は来年度で閉校を迎えます。一方、今年度、南稜(校名は同じ)、球磨中央(旧球磨商業)が開校しています。多良木高校サッカー部は、秋の大会を最後に3年生が引退し2年生5人が残り、南稜高校サッカー部と合同練習を重ねてきました。今後は両校で合同チームをつくり大会に出場するのです。ところが、南稜高校のサッカー部も部員が少ないため、球磨中央高校にも声を掛け、この度の県下新人サッカー大会には南稜から5人、球磨中央から1人、多良木から5人とぎりぎり11人(イレブン)で臨みました。初めての球磨郡の三高校合同チームの誕生です。
 1月14日(日)、熊本市の熊本北高校グラウンドにて同校との1回戦でした。大規模校相手で、かつ完全なアウェー状態でしたが、三校合同チームは溌剌とプレーして大いに見(魅)せ場をつくり、応援の保護者や私たち教職員を喜ばせてくれました。リードされながらもあきらめず、後半はむしろ三校合同チームの運動量が相手を上回り、あと一歩というところまで迫りましたが、非情のホイッスルでタイムアップ。2対3の惜敗でした。最後まで勝つ気持ちで戦ったことが伝わる熱い試合で、選手たちに感謝の拍手を送りました。

 多良木高校と南稜高校はおよそ6㎞離れています。放課後、両校交互に訪ねて合同練習です。球磨中央高校は南稜高校から約10㎞離れています。三校での練習は難しく、試合でも連携不足の面は露呈しましたが、それでも三校の選手たちのファイトは衰えず走り回りました。

 お互い、高校は違えど、元は球磨郡の小学校、中学校でサッカーをしてきた仲間です。球磨スピリットとでも言うのでしょうか、泥臭くてもがむしゃらにボールに向かっていくたくましさを感じます。南稜、球磨中央には4月に新入部員も入ってくるでしょう。球磨郡合同チームが熊本市内の大規模校を倒すことも夢ではありません。朝夕、氷点下の気温が続く球磨郡ですが、そんな寒気を吹き飛ばすホットなスポーツニュースでした。


          試合終了の挨拶をする三校合同チーム(赤のユニホーム)

 

 


 

歴史の大きな流れの中で

歴史の大きな流れの中で

 今年は西暦2018年、平成30年です。歴史の面では、明治維新150年ということで注目されています。西暦1868年は元号で言えば慶応4年でした。前年の10月に徳川幕府は朝廷に政権を返上、いわゆる大政奉還を行い約260年続いた徳川幕府の時代は終わりました。そして正月3日、京都近郊の鳥羽伏見で、薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍と旧幕府軍が戦って新政府軍が勝利し時代は大きく動きます。4月には旧幕府側は江戸城を戦わずして新政府軍に引き渡し、7月には江戸は東京と名称が変わりました。9月に慶応4年は明治元年に改元されたのです。そうして一世一元の制が定められます。一代の天皇御在位の間は一つの元号とするもので、それまでは不吉なできことや大きな災害が起きると元号を頻繁に変えており、中には一年で変わった例もあります。ちなみに最初の元号は大化です。西暦645年の大化の改新で知られています。

 一世一元の制によって、明治、大正、昭和、そして平成と続いてきましたが、現在の天皇陛下は来年の4月30日に退位され上皇となられ皇太子が即位されます。平成の世は31年で終わることが決まりました。平成は私たち大人の時代でした。
 昭和天皇が昭和64年1月7日早朝に崩御され、元号が平成に変わった時、私は高校教諭2年目でした。以来30年、熊本県の教育公務員として働いてきましたが、人間一人が体験できる世界とは非常に限られたものだと実感しています。もっと広い世界がある、出会っていない多くの人がいる、私の知らない物語があることはわかっています。自分の経験などは誠に小さいものでしかありません。だからこそ、人は学び続け、本を読み、旅をして新しい扉を開けていく努力をしていくものでしょう。歴史を勉強する意義もそこにあると思います。

 私たちは誰しも歴史と言う時間の流れの中間ランナーなのだと思います。前のランナーからバトンを受け取り、次のランナーに渡していく存在としてあるのだと思います。平成という時代を大人として生きてきた私には、次の時代を生きる生徒の皆さんにバトンを渡さなければいけない責任を感じています。


          雪景色の九州山地(1月11日多良木高校からの遠望)
 

今年も挑戦の年 ~ 3学期始業式

今年も挑戦の年 ~ 3学期始まる

 1月9日(火)、3学期の始業式です。そして、生徒、職員が体育館に一堂に会し、多良木高校の1年が始まりました。冬休み中、人影が少なかった学校は実に寒々とした様子でした。しかし、こうして生徒たちが登校すると、学校は活気づきます。生徒たちは学校にとって「血液」のような存在で、生徒達が動き出すことで学校は生き生きとしてくるのです。

 年度当初から体育系部活動の生徒たちは元気です。仕事始めの1月4日(木)に出勤したところ、早朝からバスケットボール、サッカー、野球と部員たちが30人余り登校しており、寒さをものともせず練習を始める姿に若い力を感じました。1月7日(日)、県下新人バスケットボール大会が熊本市で開催されました。多良木高校男子バスケットボール部は選手9人、マネージャー1人の少人数ですが、強豪校相手に最後まで負けないという気迫で熱い試合を展開しました。来る14日(日)にはサッカーの県下新人大会が行われますが、多良木、南稜、球磨中央の初めての3校合同チームで臨みます。また、13~14日には全国で約58万人が受験する大学入試センター試験が実施されますが、本校から3年生7人が挑みます。

 今年は西暦2018年、平成30年です。現在の天皇陛下が来年の4月30日に退位され平成は31年で終わることが決まっています。新しい元号は今年中に発表されると云われています。平成はあと1年4か月で終わりますが、多良木高校もあと1年3か月で閉校です。しかし、新しい元号の時代は、間違いなく今の高校生たちが主役、主人公になります。多高生の皆さん、新しいことに挑戦して、次々と扉を開いていってください。皆さんには未知の世界が待っています。

 多良木高校は閉校の時まで新しいことに挑戦し続けたいと思います。