校長室からの風(メッセージ)

2018年4月の記事一覧

最後の五高校体育大会 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

最後の「五高校体育大会」 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

 4月27日(金)、爽やかな快晴のもと、人吉球磨地区合同体育大会が開催されました。これは、この地区の五つの高等学校(人吉、球磨工業、球磨中央・球磨商業、南稜、多良木)の体育系部活動の対抗試合であり、会場は各高校をはじめ人吉市スポーツパレス、山江体育館等で行われます。多良木高校では、陸上競技とバレーボールが開催されました。本校が今年度で閉校するため、来年度からは通称の「五高校大会」ではなくなります。本校のグラウンドで行った開会式における校長挨拶を次に掲げます。

 「平成30年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。

春の季語に『山笑う』という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。

 皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。多良木高校は平成31年3月をもって閉校します。遠く大正11年創立以来、綿々と引き継がれてきたバトンが、最終走者である今年度の3年生に渡されました。この67人のアンカーが多良木高校のゴールに向かって、今、走っています。最終年度の本校のテーマは『ゴールに向かって、挑戦!』です。高校生には『挑戦』という言葉がよく似合うと思います。

 多良木高校で行われる最後の人吉球磨地区合同体育大会です。親しまれてきた『五高校大会』という通称も来年度から使われることはありません。時の流れと共に人も風景も変わっていきます。しかし、今日、この多良木高校で、勝利に向かって、記録に向かって挑戦する皆さんの姿は、いつまでもお互いの心の中に残ることでしょう。

 今日の大会が、参加した全ての生徒の皆さんの記憶に永くとどまることを念じ、開会の挨拶といたします。」


 



15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

 「IT用語は全くわかりません。基礎から学びたい。」、「パソコン初心者です。もっと上達したい。」など15人の方がそれぞれ受講の動機を語られました。皆さん学ぶ意欲に満ち溢れておられます。4月25日(水)午前、科目「情報処理」の社会人聴講開講式を本校で行いました。これから1年間、水曜日の2限・3限の授業において、3年2組の文系1コースの生徒18人と一緒に科目「情報処理」を学習されます。

 「地域に開かれた学校」の理念のもと、今年度も科目「情報処理」の社会人聴講生を募集したところ、これまでで最多の15人の応募がありました。急速な社会のIT化に伴うコンピュータへの関心の高まりに加え、多良木高校の最終年度であるという状況も要因でしょう。受講者の中には、ご自身が、または子どもさんが本校卒業生である方が3分の2ほどいらっしゃいました。

 社会人聴講生の方の多くは中高年世代であり、物心ついた時にはすでにインターネット環境の生活であったデジタル世代の高校生とは著しい差異があります。しかし、例年、社会人聴講生の方々の存在は生徒に大きな影響を及ぼしています。先ず、その学びの姿勢です。教師の説明を一言も聞き漏らすまいと熱心に聴講され、コンピュータ操作に没頭される姿は生徒の刺激になります。そして、コンピュータ操作に関しては生徒が社会人聴講生の方を教える場面が多く見られるのですが、教えることで自分の知識不足やあいまいな点がはっきりするようで、まさに「教えるは学ぶの半ば」を生徒は体験しています。

 多良木高校は最後まで挑戦しようと「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを生徒に始業式で呼びかけました。年齢を重ねていても新たな学びの挑戦をされる15人の社会人聴講生の姿から生徒たちは大切なことを学ぶことでしょう。67人の3年生だけが在籍する閉校の年度に、15人の人生経験豊富な社会人聴講生の方に加わっていただき、学校はさらに活気が生まれます。

 聴講生の皆さん、1年間、共に学んでいきましょう。そして、生徒との交流を楽しんでください。


 


「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

 4月14日(土)、和水町体育館で県女子バレーボール選手権大会が開催され、多良木高校女子バレー部を応援に行きました。上天草高校相手に一点を取り合う白熱した試合となり声援にも力が入りましたが、惜しくも敗れました。選手6人というぎりぎりの人数での健闘に私は熱い思いに満たされ会場を後にし、同町の「金栗四三(かなぐりしそう)の生家跡」を訪ねてみました。

 和水町は2006年(平成18年)に三加和町と菊水町が合併してできました。体育館を出て菊池川を越え北に向かい、旧三加和町の中林という地区に金栗四三の生家跡が残っています。今では住む人もなく老朽化した家屋ですが、隣接して「体力 気力 努力」の文字が刻まれた石碑と説明版が立っています。 

 日本マラソン界の父と称えられる金栗四三は、この地で1891年(明治24年)に生まれました。旧制玉名中学校(現玉名高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)で学び、1911年(明治44年)の第5回オリンピックのストックホルム大会にマラソン選手として出場し、日本人最初のオリンピック選手の栄誉に輝いています。その後もマラソンで二度のオリンピック出場を果たすと共に、陸上長距離界の指導者として箱根駅伝の創設に関わるなどの足跡を残しました。後半生は熊本県に帰り、1983年(昭和58年)に玉名市で亡くなりました。

 今、金栗四三が脚光を浴びています。来年度のNHK大河ドラマの主人公に決まり、すでにその撮影がスタートしています。生家跡周辺には幟端が立ち並んでいましたが、当日は小雨が降っていたこともあり、見学者は私一人でした。里山に囲まれた静かな集落で、金栗四三が生まれ育った明治時代半ばと風景があまり変わっていないのではないかと思えます。金栗四三の座右の銘である「体力 気力 努力」の力強い言葉を目にし、約130年前にこの地から一人の韋駄天が走り出したことを思うと胸に迫るものがあります。

 なお、あまり知られていませんが、金栗四三は東京高等師範学校を卒業後、地理の教師として働きながらマラソン選手として活躍しています。体育ではなく地理の教師だったのです。海外のオリンピック大会に出場することは、地理の教師として世界を実際に見る絶好の機会だったことでしょう。


 


             金栗四三の「体力 気力 努力」の石碑と生家跡

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

 多良木高校にとって最終年度が始まりました。平成30年4月9日(月)の1学期始業式には本校のアンカー(最終走者)となる3年生67人が全員出席。「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを掲げて本校は動き出しました。そして午後、NPO法人「カタリバ」によるキャリア学習活動プログラムの「カタリ場」を3年生全員が第1体育館で実践しました。

 「カタリバ」は2001年から全国的に活動している教育NPO法人です。特に中、高校生に対して、教師や保護者の縦(タテ)の関係でなく、同級生や友人の横(ヨコ)の関係でもない、少し年上の大学生という斜めの関係の対話を通したプログラムで、進路意識に火を点す「カタリ場」という学習活動を展開していることで知られています。まだ本県では実践例は少ないのですが、私はかねてからこのプログラムに関心を持ち、カタリバ熊本支部の方との協議や昨年9月に実施された益城中学校での「カタリ場」の見学を通し、先輩も後輩もいない最終学年の始業式の日に狙いを定め、実施することにしたのです。

 今回は、北九州のカタリバが主体となり、熊本、大分からも大学生が集まり総勢27人のスタッフが前日には来校され、本校のセミナーハウスで合宿し事前研修をされました。そして、4月9日(月)午後1時にプログラム開始。第1体育館で生徒たち2人~3人にスタッフ1人が付かれ、「今の自分の生活の満足度」、「今頑張っていること、挑戦していること」、そして自分の「良いところ、もっと伸ばしたいところ」等を語り合いました。さらにグループに分かれ、「先輩の話を聴く」コーナーへ移動します。中学の時にいじめられた、高校では目標がなく無気力だった等、大学生が自らを率直に語る体験談に真剣に聴き入っていました。

 約2時間、「カタリ場」において、自分自身のこと、そして将来のことを真剣に生徒たちは語り合うことができました。「カタリバ」スタッフの方々の周到な準備と熱意が生徒の気持ちを引き出してくれたのです。プログラム終了後、体育館を退場する生徒たちの表情は何かすっきりしていて、輝いていました。「3年生になったなあ」と私は感じました。これからの成長が楽しみです。

           

  
              「カタリ場」で大学生と語り合う3年生

 

 

Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし

ever ending challenge ~ 挑戦に終わりなし


 熊本県立多良木高等学校にとって最後の年度が始まりました。平成31年3月をもって本校は96年の歴史を閉じます。遠く大正11年の創立以来、引き継がれてきたバトンが最終走者(アンカー)の3年生67人に渡されました。

 このアンカーを走る生徒たちは、閉校するとわかっていながら、「それでも多良木高校に行く」と2年前に入学してきてくれました。彼らの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」を行い、「多良木高校でしかできない特別な体験」を通して充実した高校生活を送ることができるよう、教職員一同、使命感をもって取り組んでいきたいと思います。

 「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを年度当初に掲げました。多良木高校は、生徒も教職員も最後まで挑戦する姿勢で臨みます。閉校という重い定めに対して、同窓生や地域の方々には無念の思いや失意、そして喪失感が渦巻いていることでしょう。学校の歴史には終止符が打たれます。
 しかし、この最後の学年の生徒たちには無限の未来が待っています。多良木高校閉校の1か月後には元号が変わります。平成に代わる新しい時代において、アンカーの生徒たちは間違いなく主人公になっていくのです。彼らの挑戦はゴール(閉校)を越え、その先の未来まで続いていきます。
ever ending challenge(挑戦に終わりなし)です。

 最後の年度、県立学校教職員22人、PTA団体任用職員1人、同窓会委託売店職員1人の計24人で、67人の生徒を支援します。これまで応援してきてくださった地域の皆様への感謝を胸に、生徒と教職員が一体となって全力疾走していきたいと思います。

 最終年度において、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 




「くま川鉄道」に乗ろう

 

「くま川鉄道」に乗ろう 


 今、「くま川鉄道」の沿線は春爛漫です。散り始めた桜と目に眩しい黄色の菜の花が車窓を彩ります。「くま川鉄道」は球磨川に沿って、ゆっくりした速度で落ち着いた感じで走ります。春のローカル列車は趣があると思います。

 「くま川鉄道」は人吉・球磨地域にはなくてはならない公共交通です。JR肥薩線と人吉駅で接続しており、人吉温泉駅から人吉盆地の東端にあたる湯前駅(湯前町)まで約25㎞を結んでいます。平成元年から人吉球磨地域の市町村と民間会社の出資による第3セクター方式で運営されていますが、もともとは旧国鉄の湯前線で、大正13年に開通した歴史があります。乗客の8割は通学する高校生だと云われ、本校の生徒の内、およそ4分の1が列車通学です。この人吉・球磨地域にある五つの県立高校はいずれも「くま川鉄道」の駅から徒歩10分以内に位置しており、安定した鉄道運行が通学に大きな役割を果たしていることを私は赴任以来実感しています。

 普段は自動車に頼っている生活ですが、人吉市での会合や県立学校での会議の際には私も努めて「くま川鉄道」に乗るようにします。乗車する度に発見があり、情趣を覚えます。例えば、「くま川鉄道」の線路はほぼ一直線となっています。球磨川に沿って人吉盆地を西から東へ伸びた路線であり、気持ちが良いほど真っ直ぐな線路が続いています。また、「田園シンフォニー」と呼ばれる観光列車の車両が通勤通学時間帯にも運行しており、木材を使用した温かみのある車内で寛ぐことができます。「観光列車で通学できるなんて、君たちは幸せだよ。」と列車通学生にはよく話をします。また、歴史ある路線で、古い駅舎、鉄橋等が幾つも残っています。特に、湯前駅は大正13年の開業以来、変わらぬ佇まいを見せています。

 学校を支えてくれている大事なインフラ(社会基盤の施設)であると共に、「くま川鉄道」には物語があり、この人吉球磨地域には欠かせない豊かな風景の一部となっているのです。大人の皆さんも時には「くま川鉄道」に乗車し、心地よい揺れに身をまかせ、故郷の四季の情景に浸ってほしいと願います。
     
               
          まっすぐに伸びる線路(多良木駅付近から湯前方面)


湯前駅駅舎(大正13年築造)