校長室からの風(メッセージ)
風がやむ時 ~ 「校長室からの風」最終章
多良木高校の校長を拝命した時、「任重くして道遠し」(『論語』)の言葉が思い浮かびました。あの日から4年が立ち、閉校式を終えました。振り返ると充実した4年間だったと思います。
この「校長室からの風」は、多良木高校長に就任して始めました。私の思いや考えについて、生徒をはじめ職員、保護者の方、地域の皆さんなどに広く伝えると共に、閉校に向かう多良木高校が最後まで活気ある学び舎であることを発信し続けようという目的からでした。なぜ「校長室からの風」という名前にしたのか。それは、学校がいつも風通しの良いところであってほしいという願いがあったからです。たとえ微風であっても、校長室からいつも風が吹いていれば、その風は廊下を通り、職員室や教室や図書室等を巡り、窓から出てグラウンドや体育館等にも出て、そして球磨盆地へも広がっていくでしょう。そのような願いと期待を込め、4年間、「校長室からの風」を送り続けました。
しかし、その風もやむ時が来たようです。最後の学年の67人の生徒たちはそれぞれの進路先に旅立っていきました。閉校式を終えた学校では、日々、職員が整理と片付けに取り組み、膨大なモノの搬出作業を行っています。多くの県立学校が様々な備品や物品を受け取りに来ています。
生徒のいない学校を毎日歩きます。椅子も机もない教室はなぜか小さく見えます。反対に、掲示物もないがらんとした廊下は妙に長く見えます。生徒と言う主人公のいない学校の寂しさは言いようのないものです。そして、生徒がいないということは、私たち教職員の居場所もないことを意味します。「校長室から風」を送る使命も終わったようです。
来週には、私たちの専用の仕事机や業務用パソコンも運び出される予定です。時間は無情に過ぎ、気持ちは追い付きません。若人たちが笑顔で未来に向かって旅立ちました。それを見送った私たちにも、新しい旅が始まります。
「校長室からの風」をお読みいただき、誠にありがとうございました。
生徒の笑顔 ~ 「97年間の末っ子たち」
3月1日(金)の卒業式では涙を見せる生徒もいましたが、翌日の閉校式では生徒に涙はありませんでした。皆、明るく、笑顔でした。
閉校式で生徒代表挨拶を務めたのは古堀廉大君でした。ご両親が多良木高校卒業生である彼は、東京の中学校を卒業し入学してきました。そして、野球部と勉強の両立に取り組み、3年間自らを厳しく律し生活してきました。千人近い聴衆を前にしても、野球部のエースだった古堀君は動じることなく、立派な態度でした。挨拶の中で、多良木高校最後の学年として注目され続けたことへのプレッシャー(重圧感)に言及しながら、「全力を尽くしました」と述べたところが印象的でした。
生徒合唱『いつまでも』は、まさに閉校式の圧巻の場面でした。遠く離れても故郷を想う気持ちを、伸びのある声で生徒たちは心を込めて歌いました。その歌声に、会場では目頭を押さえる人の姿が多く見られました。ステージ上の67人の生徒たちは輝いて見えました。そして、歌い終わりピアノの後奏の間に、白い晒し布で「一生多高生」の文字をつくり、「私たちは、一生、多高生!」と力強く宣誓し、会場から惜しみない拍手が沸きました。閉校式においても生徒たちが主役となった瞬間でした。
歌『いつまでも』の作者である音楽家のタイチジャングルさんが閉校式に出席してくださいました。学校としては誠に有難いサプライズ(驚き)の出来事でした。式終了後、タイチジャングルさんから生徒たちに声を掛けていただき、一緒に記念撮影を撮ることができました。
閉校式後、生徒達はより明るく、元気で、お互い笑い合っていました。恐らく、彼らは「やっと多良木高校のアンカーとしてゴールテープを切った」という達成感に満たされていたのだと思います。そして、自分たちの言葉、歌声、立ち居振る舞いに、多くの同窓生や地元住民の方が感動されたことを実感していたのでしょう。彼らは「多良木高校97年間の末っ子たち」です。
愛すべき「末っ子たち」の皆さん、多良木高校に忘れ物はありませんか?
学校は最後の春休み中です。もう忘れ物を取りに行けない時が近づいています。
閉校式を終えて ~ ピアノの上の一輪のバラ
千人近い人々が集い開催した多良木高校閉校式から一夜明けての3月3日(日)は朝から雨でした。この日は、半世紀にわたって人吉球磨地区から初の甲子園出場の夢を追い続けた多良木高校野球部の閉部式が行われました。最後の学年の選手たちとOBとの送別試合は中止され、閉部式だけを午後1時から第一体育館で実施しました。最後のチームの選手及び保護者、OB、歴代の監督やコーチ、そして野球部応援隊の皆さん等、150人ほどの参加がありました。
多良木高校は体育系部活動が盛んだったことで知られます。昭和43年に現在地に移転し、広大な敷地と充実したスポーツ環境が整備されていくに伴い、陸上競技部のオレンジ旋風、女子剣道部の全国大会優勝、バレーボール部の躍進など輝かしい成果が相次ぎました。そして、近年では、甲子園出場に挑戦し続けた野球部は地域社会に元気と希望を与える存在として注目の的でした。地域の小規模校野球部の果敢な戦いを、多くの高校野球ファンが応援してくれました。永年、監督として指揮をとってこられた齋藤健二郎監督も感無量の様子で、閉部式において熱く思い出を語られました。
この日は、学校を訪ねる同窓生の姿も目立ちました。3月2日(土)の閉校式に合わせて、学年同窓会や部活動の集まりが多良木町や近隣で幾つも開かれており、改めて懐かしの校舎に別れを告げに来られたのでしょう。
また、学校の閉校業務の一環として、音楽室と第一体育館にあるグランドピアノの運び出し作業もこの日に行われました。卒業式と閉校式が終わるまで二台のグラウンドピアノは必要なものでした。音楽室は教室棟3階にあり、専門の運搬業者に委託し、小型の重機で吊り下げトラックに乗せるという大掛かりな作業となりました。体育館のピアノは老朽化が著しく廃棄され、音楽室のピアノは球磨支援学校へ移管され、そこで活用されることになっています。
運び出し作業の立ち会いで音楽室へ行ったところ、グランドピアノの上に、一輪のピンクのバラと「ありがとうございました」と記された紙が置かれていました。10年間、このピアノを弾き、音楽の授業や文化祭・式典で合唱指導に当たってきた本校音楽教師の惜別の思いに胸が打たれました。
バラが置かれた音楽室のグランドピアノ
閉校式
自動車が次々に正門から入ってきます。保護者と職員が協力して、駐車する車は野球場に、送りの車は乗客を降ろしたあと出口へ誘導します。旧職員、同窓生、そして地元住民の皆さんが続々と会場の第一体育館に集まってこられました。
平成31年3月2日(土)、多良木高校閉校式の日です。午後2時の開会時点で出席者は九百人を超え、最終的には960人に達し、1階フロアに用意した800の席では足りず、2階にも席をつくり、さらには立ち見状態の人も出ました。97年間の歴史を閉じる学校へ寄せる思いの強さ、深さを感じずにはいられませんでした。
創立50年に当たる昭和47年度には全校生徒数1150人を数え、最大規模を誇りました。同年、水上分校(水上村)も開校しました。昭和40年代から50年代にかけて、在校生が千人規模でした。その後、人吉球磨地域の急速な少子化に伴い、生徒数が減少し、平成2年には水上分校も閉校、ついには本校まで閉校するに至ったのです。久しぶりに全盛期に匹敵する人数が集い、体育館をはじめ校舎、グラウンドなど学校全体が喜んでいるようにも見えました。本来、学校は人が集い、活気あふれる場所なのです。
閉校式は、多良木高校の伝統と精神を十分に発揮した内容であったと思います。女学校時代の卒業生の東キヨ子さん(90歳)は、戦争中の学徒勤労動員の思い出を張りのある声で朗々と語られ、聴衆を引き付けられました。近年の卒業生で地元の郵便局で働く椎葉響弥君(22歳)の簡潔で力強い言葉は、次代の球磨郡を担う頼もしさが感じられました。また、在校生代表の古堀廉大君は、最後の多良木高校生として全力を尽くしたと述べ、会場から惜しみない拍手を受けました。そして、最終学年の67人の生徒全員がステージに立ち、生徒合唱曲「いつまでも」を歌い、「一生多高生」と白の晒し布を使ってメッセージをつくって「ありがとうございました!」と挨拶し、多くの人の涙を誘いました。クライマックスは、会場全員での校歌斉唱でした。
多良木高校の集大成の場となった閉校式は、そこに立ち会った人々の記憶に永く留まることでしょう。その記憶と共に私たちはこれから生きていきます。
最後の卒業式
若人の旅立ちに立ち会えることは、教職員冥利に尽きると思います。毎年3月1日の卒業式では心が震えるような感動を覚えます。しかし、今年の卒業式はさらに特別なものとなりました。
平成31年3月1日(金)、多良木高等学校最後の卒業式を行いました。多良木高校97年の最終学年の生徒であり、言わば最終走者(アンカー)として先輩方がつないできた襷を受け、この3年間走ってきました。そして、私たち教職員も伴走してきたことになり、感慨もひとしおです。「97年の末っ子」に当たり、最後まで甘えたところがあり、愛すべき生徒達でした。
昨年までの卒業式では見送る在校生がいましたが、今年は地域の住民の方々が大勢出席され、席を埋めていただきました。そして、保護者、職員と一緒に「蛍の光」を合唱し、卒業生を送ることができました。閉式後、退場する生徒を住民の方たちが両側から囲み、一人一人に花束を渡される光景は胸に迫るものがありました。また、今年の卒業式には15人の社会人聴講生の方にもご出席いただきました。科目「情報処理」を生徒と一緒に1年間学ばれました。人生経験豊富な社会人の方々と共に学んだことは、生徒にとって貴重な経験となったはずです。
卒業生へ贈る式辞で、特に私が気持ちを込めて伝えたかったのは次の部分です。
「来月で平成の世が終わります。平成に代わる新しい元号の時代は、皆さんが主人公です。多良木高校は明日九十七年のゴールを迎えますが、皆さんの未来はそのゴールの先に広がっています。未来に向かって新たな挑戦が始まるのです。」
最後の卒業式では、バイオリン、チェロの弦楽器の演奏が響き、例年にない格調が漂いました。人生の新たな段階へと進む卒業生の姿を見送り、喜びと感傷に浸り、少しの間、時間がとまったような感覚になりました。
私たち教職員一同、この生徒たちに出会えたことに深く感謝しています。
アンカーの皆さんへ
「新入生の皆さん、皆さんは多良木高校の期待と注目のアンカー(最終走者)です。アンカーを走ることで他の学校ではできない特別な体験ができ、同窓会や地域の方々の熱い応援をうけることでしょう。皆さん、一緒に走り、三年後に感動のテープを切りましょう。」(平成28年度多良木高校入学式)
平成28年4月の入学式で私はこう呼びかけました。閉校する学校と承知していながら、敢えて本校を志望してくれた生徒の皆さんの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」、「多良木高校でしかできない教育」を私たちは目指しました。あの日から3年。予想していた以上の大勢の方のご支援を受け、地域と一体となって行事を創り、生徒の皆さんは多高生としての元気を発信してきました。アンカーとしての使命を立派に果たしたと思います。
アンカーの皆さんは、母校が閉校するという切実な体験をしました。平成に入って人吉球磨地域の少子化が急速に進み、入学者数が減少したことが多良木高校閉校の要因です。人吉球磨地域だけでなく、この状況は全国を覆っています。少子高齢化そして人口減少という大きな社会構造の転換に我が国は直面しています。平成の三十年間の社会を担ってきたのは私たち大人ですが、平成の先の時代の主人公は皆さんです。人口が急激に減少する社会が待ち受けています。この国に明るい展望はないのでしょうか?
そんなことはないと私は思います。生徒数が減少する多良木高校はどんな学校づくりを進めてきたでしょうか?近隣の高校や支援学校と積極的に連携すると共に、地域に開かれた学校として社会人聴講生を受け入れ、地域住民の方と一緒になって学校行事を創り、保育園児から高齢者の方まで幅広い交流をしてきました。そのことで学校の活力は維持され、地域の人々の拠り所としての学校の存在価値を発揮してきました。この多良木高校での高校生活はきっと人口減少社会を打開するヒントになると思います。
子どもから大人まで世代を超えた結びつき、外国人の方や障害のある方とも自然体での共生、このようなことがこれからの社会では益々重要になるでしょう。地域の皆さんに励まされ、見守られ成長してきた多良木高校のアンカーの皆さんこそ新しい社会の担い手になる資質を豊かに持っていると信じます。
生徒合唱「いつまでも」
「思い出している 川に映った夕日
あふれる水の 音とやさしい風
思い出している グラウンドに咲いた花
どこまでも延びる 緑と山の陰
忘れたくない 涙でもう何も見えない
もどかしい 何もできない
だから伝えたい それでも変わらない ふるさとの広い空を
どんなに離れていても いつも想ってます」
(原詞:タイチジャングル)
歌「いつまでも」は、熊本地震復興支援ソングとして、シンガーソングライターのタイチジャングルさんが創られました。故郷への思いが込められた美しいバラードのこの曲に本校の音楽教師が惹かれ、多良木高校最終年度の生徒合唱曲に選びました。歌詞の一部を多良木高校に合わせてアレンジすることをタイチジャングルさんからご諒解を得て、昨年12月に開催した最後の文化祭において生徒・職員の全員で合唱しました。そして、来る3月2日の閉校式においても、生徒が合唱します。
タイチジャングルさんの原詞も、山々に囲まれた人吉盆地、そして球磨川と豊かな自然と温かい風土に育まれてきた多良木高校の情景を彷彿させる世界です。抒情的な旋律の中に、故郷へ寄せる瑞々しい心性が表現されています。熊本地震からの一日も早い復興を願って創られたこの歌には、固有の場所を超えた普遍性があるように思います。
2月に入って二日登校日があり、生徒は体育館のステージで「いつまでも」の合唱練習をしました。まだまだの出来ですが、練習の歌声を聴いているだけで胸が熱くなりました。3月2日(土)の多良木高校閉校式において、この「いつまでも」の生徒合唱と全員による校歌斉唱がクライマックスとなるでしょう。
「いつまでも」の合唱練習風景
最後の大掃除
「ただ今から、地域の皆さんと一緒に大掃除を始めます!」との私の挨拶で、2月19日(火)の午後、多良木高校最後の大掃除を行いました。家庭学習期間に入り2回目の登校日であった生徒達を中心に、教職員、保護者有志の方、そして本校所在の多良木町6区と近隣の7区、8区の住民の皆様にもご参加頂いての大掃除となりました。生憎の雨のため、外庭の掃除はできず、卒業式及び閉校式の会場となる第一体育館を中心に、校舎のトイレや廊下、正面玄関の清掃に取り組みました。
近年、生徒数が減少する中、本校はより開かれた学校として、地域と連携した学校行事作りに努めてきました。体育大会や文化祭には大勢の地元の住民の方が足を運ばれ、生徒に熱い声援を送ってくださいました。また、生徒達も福祉の実習やボランティア活動等で積極的に地域社会に出て、公民館でのレクレーション活動、グラウンドゴルフ、郷土料理と様々な交流を重ねました。多高生は、地域の方々に見守られ、励まされ、成長してきたのです。
欧米では、教会が中心となりコミュニティーが形成されています。一方、わが国では明治以来、学校が人々の拠り所として町の中心にあると言われます。「学校と共に」という人々の気持ちが反映しているのだと思います。多良木高校は創立以来97年間、いつの時も地域と共にありました。大掃除のお話を地域の区長さん達にお願いしたところ、「声をかけてくれてうれしい」とまで言ってくださいました。地域の皆さんの学校だと意識してくださっていることを誠に有難く思います。
約一時間の大掃除終了後、第一体育館に全員集まり、記念写真を撮りました。
体育館を出ると、雨が上がり薄日が射していました。この日は、二十四節気の一つの「雨水」(うすい)に当たるそうです。水がぬるみ、草木の芽が出始める頃と言われます。雨上がりの校庭に立つと、温かい土の匂いが漂っていました。来週は弥生三月です。
大掃除の後の集合写真
閉校記念誌の完成
多良木高等学校閉校記念誌が完成して、2月14日(木)の午後、印刷会社から本校へ納品されました。サブタイトル「人生(よ)の幸福(さち)やがて茲(ここ)に生れん」は校歌の一節から取ったもので、表紙の墨書は本校書道担当の土肥先生にお願いしました。表紙写真は、学校正面玄関を斜めの角度から撮り、裏表紙は九州山地を背景に二棟の体育館と校舎が写っています。どちらも爽やかな白雲と広い青空が印象的な明るい仕上がりになっています。
この閉校記念誌は昨年の1学期から同窓職員を中心にチームをつくり作成に取り掛かりました。同窓会とPTAからも担当の方が編集作業に加わっていただきました。そして、編集方針として「写真集」を目指そうということになりました。本校には戦前の女学校時代の古い写真が少なかったため、同窓生や地域の方に御協力を呼び掛けたところ、貴重な写真や資料の御寄贈、御寄託が相次ぎました。現存する最古の卒業アルバムは昭和8年「熊本縣立多良木實科高等女學校」卒業のものです。卒業生は47人。針やミシンでの裁縫や調理の実習、そして農作業、修学旅行などセピア色の写真から昭和初期の青春が伝わります。
大正11年(1922年)に上球磨地域の九ケ村組合立の女学校として創立、戦後の学制改革で男女共学の高等学校として再出発、施設拡充のため昭和43年に現校地に移転、平成に入って生徒数が減少するも地域にとって大きな役割を果たしてきた学校でした。平成31年(2019年)に閉校となり、97年間の歴史に幕を下ろしますが、いつの時代も地域と共に在った学校でした。
閉校記念誌の冒頭部分では、県教育委員会の宮尾教育長、歴代の校長先生方の玉稿が並びます。そして20頁から185頁まで「多良木高等学校思い出の97年」として、主に卒業アルバムからの生徒写真が卒業年次ごとに続きます。ページをめくりながら、写真の中の女学生、高校生の視線の先には何があるのだろうと考えました。それはやはり「未来」だったのだろうと思い至りました。多良木高校は、若人たちが未来に向かって夢を育んだ学び舎だったのです。
卒業を間近に控え ~ 学校評議員会
学校評議員とは、開かれた学校づくりのため、学校運営について意見や助言をお願いする方たちです。本校では、町の教育委員、中学校長、元PTA会長、地域の商工会代表、同窓会代表と5人の方が務められ、年間を通して授業や学校行事を参観していただいています。そして、年度末の2月に学校評価をお願いしているところです。
多良木高校最終年度の学校評議員会を2月13日(水)に校長室で開催しました。前半は、代表生徒と評議員さんとの懇談の時間です。毎年恒例となっているもので、生徒は、1組の体育コースから畑野君、福祉教養コースから税所さん、2組から森屋さんの3人です。
高校3年間を振り返り最も印象に残ることを話してほしいとの評議員さんからの要望がありました。畑野君は、体育コースとして2年次に挑んだ市房山キャンプ(2泊3日)を挙げました。体育コース24人の団結力が強まった行事だったと述べました。税所さんは、校外での実習体験(保育園、老人ホーム等)を挙げました。そして、実習先の施設で「多良木高校がなくなるのはさびしかねえ」と多くのお年寄りから声を掛けられたと話しました。森屋さんは、2年次に出場した県高校英語スピーチコンテストを挙げ、語学においては伝える気持ちが大切であることを学んだと語りました。
三人とも、学年が上がるにつれ先輩たちが卒業して生徒数が減り、空き教室が増えていく状況には寂しいものがあったと述べました。評議員さん達からは、「閉校するとわかっていて、多良木高校に入学してくれて本当に有難う。」と感謝の言葉があり、最後は涙ぐまれる方もいらっしゃいました。
「最終学年」、「多良木高校のアンカー」と3年間注目されてきた67人の生徒達です。きっと内心は、そのことが重荷になったこともあったでしょう。後輩もいる、普通の高校生でありたいと思ったこともあったでしょう。しかし、地域の方々から見守られ、励まされ、ここまで来ました。3月1日(金)の卒業式では、畑野君、税所さん、森屋さんの3人が卒業生を代表して「決意の言葉」を述べることになります。彼らの晴れ姿が今から楽しみです。
学校評議員さんと代表生徒との懇談
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄