校長室からの風(メッセージ)

2016年8月の記事一覧

宮沢賢治の故郷を訪ねて

宮沢賢治の故郷を訪ねて ~ 岩手県花巻市

 宮沢賢治(18961933)の故郷である岩手県花巻市をお盆休みに訪ねてきました。7月に本校で宮沢賢治文学の朗読会(朗読:矢部絹子さん)を開催し、現在は、10月の文化祭での発表に向けて生徒有志が「銀河鉄道の夜」の朗読劇の練習に取り組んでいます。私自身、もっと宮沢賢治のことを深く知りたいと思い、花巻を訪問したのです。

 5年前に東日本大震災が発生した後、多くの人が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を改めて声に出して読み、心の拠り所にしたと言われます。今年が生誕120年の節目の年ということもあり、新幹線の新花巻駅の近くにある「宮沢賢治記念館」は駐車場が満車になるほど多くの来館者でにぎわっていました。花巻市は人口が約10万人の都市ですが、緑豊かな平野にあり、市街地の東を北上川が流れ、静かで澄んだ空気に包まれています。宮沢賢治は、自分の文学世界の中で、故郷の花巻を基にして理想郷「イーハトーブ」を創り上げています。

 宮沢賢治ゆかりの地を終日かけて巡りましたが、最も印象に残ったのは岩手県立花巻農業高校でした。宮沢賢治は、大正時代に4年余り同校の前身の農学校で教壇に立ち、化学、土壌、肥料等について教えているのです。この教師時代を振り返って次のような断章を残しています。

 「この四ヶ年がわたくしにとってどんな楽しかったか

  わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした

  誓って云うがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」

 宮沢賢治がいかに教師生活を愛していたかわかる言葉です。加えて、教師時代に生徒の愛唱歌を作詞しているのです。この歌は、「花巻農学校精神歌」としても今日も歌い継がれています。この歌詞の一節「マコトノクサノ タネマケリ」の文字額が、花巻農業高校の校舎玄関の上に大きく掲げてありました。

 しかし、宮沢賢治は農学校を辞め、自ら農業を実践する傍ら、在郷の若手農民に農業を教える私塾「羅須地人協会」を営みます。ここで教科書として書かれた「農民芸術概論綱要」の冒頭に、宮沢賢治の思想の到達点を表す次の言葉が記されています。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」


 病に倒れるまで一人で自炊し暮らした「羅須地人協会」の建物が花巻農業高校の敷地に移築されています。木造2階建ての簡素なもので、内部は往時のままに復元されています。玄関脇の黒板には、有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と板書されています。花巻農業高校の生徒達は、この建物のことを「賢治先生の家」と呼んでいます。近くには、帽子、コート姿でうつむき加減に思索にふける宮沢賢治の銅像も立っています。

 花巻農業高校には100年前の賢治先生の精神が息づいていました。


                     岩手県立花巻農業高校にて

            

 

 

2学期始業式(8月25日)

8月25日(木)、2学期始業式での校長挨拶を次に掲げます。

「南米大陸で初めて開かれたリオデジャネイロ夏季オリンピック大会。今週月曜日に17日間の日程を終えて終了しました。皆さんも様々な競技のテレビ中継、あるいは特集番組に見入ったことでしょう。皆さんにとって、最も印象に残った場面、シーンは何でしょうか? 私が最も印象に残ってことを話します。

 それは開会式で参加国が入場する場面で、最後は開催国すなわちブラジルが行進することになっているのですが、最後から2番目に「難民選手団」の10人が入場してきた姿に、目を奪われました。オリンピックは各国の代表として参加し、国別に競う大会です。ところが、今回、オリンピックの歴史で初めて、どこの国にも属さない「難民」としての選手団が認められたのです。10人の選手は、それぞれ中東のシリアやアフリカの南スーダン、コンゴといった、国が内戦状態でスポーツをする環境にはないため、国外に逃れた人達です。彼らは国の代表としてではなく、個人のアスリートとしてオリンピックに参加したのです。平和の祭典と言われるオリンピックに、「難民選手団」として参加しなくてはならない人達がいるということは、あらためて国際平和の難しさを感じました。4年後の東京オリンピックの時には、「難民選手団」が存在しないのか、それとももっと増えているのか、大変気になるところです。4年後に向けて国際社会に与えられた宿題と言ってよいでしょう。

 もう一つ印象に残った事は、大活躍し、金メダルを取った日本選手の多くが、優勝後のインタビューで、コーチへの感謝の気持ちを伝えていたことです。これまで、怪我や不調、スランプなどがあったなか、コーチを信じてきてよかった、支えてくれたコーチに感謝です、というコメントを多くの選手がしていました。オリンピック選手のようなきわめて秀でた運動能力に恵まれた人達でも、いやそういう人達だからこそ、一人でできることは限られている、自分一人ではやっていけないのだということを実感しているのでしょう。
 ちなみに、私たち日本人はコーチという言葉を指導者という意味で使っていますが、英語のコーチ「
Coach」の本来の意味は馬車です。馬が引いて乗客を運ぶあの馬車です。目的地に乗客を迷わずに連れて行く馬車「コーチ」の言葉が、目標に向けて教え励まし、目標達成に導く指導者という意味に変化し今日広く使われるようになったのです。

 生徒の皆さんの右手に、後方に、多良木高校の情熱あるコーチの方がそろっておられます。多良木高校のコーチ陣は皆さんの可能性を引き出し、きっと目標に向かって導いていってくれます。1学期以上に、先生方を頼ってください。多良木高校コーチという馬車に安心して乗ってください。

 結びになりますが、2学期は今日8月25日に始まり12月22日に終業式を迎えますので、およそ4ヶ月の長きにわたります。一日一日を大切にしていきましょう。一日一日の積み重ねで、学力をはじめ様々な力を養い、大きく成長できる学期です。特に3年生は、これからの人生の歩む道を決める大事な学期です。自分の弱さに妥協せず、狭き門から入るという覚悟で取り組んで欲しいと願っています。これで2学期始業式の挨拶とします。」


新ALTの紹介(校長挨拶)

 「新しく赴任されたAssistant Language TeacherJoseph Lanza(ジョセフ ランザ)先生を紹介します。

 ジョセフ先生は、イングランドから来られました。

 ところで、私たち日本人はイギリス、イギリスと言いますが、正式にはイギリスという国名はありません。私たちがイギリスと呼ぶ国は、正しくはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のことです。このUnited Kingdom 連合王国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つの国から構成されます。その中で最も人口が多く、面積も広いのがイングランドです。イングランドは、サッカーのワールドカップには一つの国として出場しますが、オリンピックには単独では出ず、United Kingdom 連合王国として参加します。

 では、「イギリス」という呼び名はどこから生まれたのでしょうか?どうも、「イングランド」という英語が江戸時代にポルトガル語やオランダ語で日本に紹介され、発音変化して、エゲレス、イギリスになったと言われます。そして、United Kingdom 連合王国、この連合王国を私たち日本人は総称してイギリスと呼ぶようになりました。イングランドとUnited Kingdom 連合王国の両国の関係を知っておいてください。 話しが少し脱線しました。
 さて、ジョセフ先生は学生時代から日本語及び日本文化に関心を持ち、秋田県の国際教養大学で6週間、日本語学習の短期留学の御経験もあります。8月3日に熊本に来られ、多良木町久米にある教職員住宅に住み、日本の生活を始められました。この夏休み期間、君たちが使っている英語の教科書等を調べ、英語科の先生と打合せを重ね、教材研究に取り組まれており、皆さんと学習することを楽しみにされています。皆さんの方から、積極的に英語で話しかけ、英会話を楽しんで欲しいと思います。

 では、ジョセフ先生から挨拶してもらいます。」


キャプテンラストの精神で ~ 新チームキャプテンへの期待

キャプテンラストの精神で ~ 新チームのキャプテンへの期待

 夏季休業中も、多良木高校の野球場、グラウンド、体育館等では生徒達の元気の良い声が飛び交い、活気があります。また、恵まれた体育施設を有していることから、多くのチームが練習試合や合同練習に来てくれています。例えば、8月2日から4日にかけ大津高校陸上部が来校し、セミナーハウスを利用して本校陸上部と合同合宿を行いました。8月2日には福岡県内の2つの高校野球チームが来校し、本校を含め3校での練習試合を展開しました。また、8月9日には女子バレーの合同練習試合を本校で主催し、熊本市の第二、東稜の2校をはじめ球磨人吉地域の3校と合わせて5校が来校し、終日、汗を流しました。

 この時期、どの部活動も3年生が退き、1、2年生主体の新チームに移行して夏の練習、合宿等に臨んでいます。新しくキャプテンに任命された生徒が校長室に挨拶に来てくれます。その時に新キャプテンに「キャプテンラストの精神で頼むよ」と語ります。キャプテンとは本来、英語で船長を意味します。船長は、常に船と共に在り、もし船が難破して沈むことになっても乗客や船員を先に降ろし、自分は最後まで船に留まる責務があります。それだけの強い責任感があってこそ船員達もキャプテンに従うのです。従って、部活動においても、練習の後片付けや部室の整理などを下級生部員に任せるのではなく、最後まで自ら責任を持つ姿勢をキャプテンに望むのです。キャプテンが最後までチームと共に在るという姿勢を見せれば、きっと他の部員も協力してくれることと思います。

 新チームのキャプテンとなった生徒たちはみなとても良い表情をしています。急に大人になったかのような強い意志と自覚を感じます。大事な役割を任されたことによって若者は大きく変化します。キャプテンラストの精神で、多良木高校部活動の新チームのキャプテン達は自らの役割を全うしてくれることと期待しています。

大津高校陸上部と合同練習