校長室からの風(メッセージ)

2017年9月の記事一覧

「記憶」を「記録」する

「記憶」を「記録」する ~ 日本史Aの聴き取り学習発表会

 9月25日(月)、2年2組の日本史A選択者の授業において、戦争体験者からの聴き取りを基にした学習発表会が行われました。多良木高等学校の前身の旧制多良木高等女学校の同窓生の方々から、太平洋戦争中の体験談を7月に聴き取り、それを基に、さらに歴史を調べ5グループ(1グループ5人)で発表しました。当日は、聴き取りにご協力いただいた多良木高等女学校同窓生の方5人が来校され、生徒の発表をご覧になりました。また、ソウル大学校名誉教授の全京秀先生(文化人類学)、琉球大学の武井弘一先生(歴史学)、神谷智昭先生(民族学)にも参観いただき、評価コメントをいただきました。

 戦後72年となり、現代の高校生にとって太平洋戦争は歴史の世界です。身の回りにも戦争体験した方はきわめて少なくなってきています。教科書や歴史の本、あるいはテレビの映像でしか知らない戦争を青春時代に体験した同窓生の方々の話は生徒たちの気持ちを揺さぶったようです。

 生徒たちの発表を受けて、武井先生は「記憶」を「記録」することの大切さ、意義を強調されました。戦争や自然災害等どんな大きな出来事であっても、それが記録され伝えられなければ、忘れられていき、その惨禍は繰り返すのだと指摘されました。

 昨年4月に熊本地震が発生した時、私たち熊本県民の多くは「まさか、熊本でこんな大きな地震が起きるとは」と驚き、慌てました。行政も、一般県民も大地震の可能性について全くと言っていいほど予期していなかったのです。しかし、明治22年(1889年)、当時の熊本市でマグニチュード6を超える地下直下型地震が起き、甚大な被害が出ていたのです。その歴史が現代に継承されていなかったため、私たちは、地震への危機感がなかったのでしょう。

 どんなに苛烈な「体験」でも、当事者が亡くなれば次第に忘却されます。当事者から聴き取り、それを「記録」し、「伝える」営みが大切なのです。それが歴史を学ぶということなのです。



グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

 インターネットによって世界中の情報が飛び交い、マネー、物も国境を軽々と越えて地球上を流通するグローバル社会に私たちは生きています。人の移動も加速化し、もはやボーダーレス(境界なし)の世界と言えるでしょう。人類が初めて迎えたこのグローバル社会。多良木高校生の皆さんはまだ海外旅行の経験がある人も少なく、実感はないでしょう。しかし、皆さんが食べている食品、使っている製品の原材料の多くは海外からの輸入されたものです。皆さんも知らず知らずにグローバル社会に巻き込まれているのです。

 グローバル社会をどう生きていけばよいのかという問題について、生徒の皆さんが考える機会にしたいと願い、9月25日(月)に国際理解に係る特別講演を開きました。

 講師は、全京秀(チョン・ギョンス)先生。大韓民国、ソウル大学校名誉教授で、ご専門は文化人類学。現在は中国の貴州大学で教えていらっしゃいますが、アメリカ合衆国、日本などで幅広く研究・教育の活動をされています。当然、英語、日本語など多言語を操られる、まさに知の巨人とも呼ぶべき方です。今回は、秋の相良三十三観音の一斉開帳を見学に球磨郡へいらっしゃったタイミングで講演をお願いしました。演題は「グローバル社会と私」です。

 「英語でいうI、日本語でいう私、これを強くすること、心身の充実こそ、グローバル社会にあって最も大切なこと」と、全京秀先生は、日本語で、力強く生徒たちに語りかけられました。情報が爆発的に増え、真偽が見分けにくくなってきます。人々の価値観は多様化してきます。また、海外へ行けば、あるいは海外の人と一緒に仕事をすれば慣習や文化が異なります。これらの混沌とした社会の中で生きていくには、自分自身という中心軸がしっかりしていることが必要なのだと説かれました。また、英語、日本語、ポルトガル語などの習得にいかにエネルギーを使ったか、というお話も印象的でした。

 講演自体は30分ほどで切り上げられ、生徒たちに質問を求められました。積極的な学びの姿勢を重んじられる全京秀先生の教育観が示されたと思います。全京秀先生の旺盛な知的好奇心と若々しい行動力に生徒たちは感銘を受けたようです。 



インターンシップに臨む2年生を励ます

 9月12日(火)から14日(木)にかけて、2年生69人がインターンシップ(就業実習体験)を行います。今年も、この人吉・球磨地域の29か所の事業所(官公庁、店舗、保育園、工場等)のご協力によって実施できます。明日からインターンシップに臨む2年生を励ましました。
 

「明日からのインターンシップで、皆さんは就業体験を行います。わずか3日間体験したからと言って、その仕事のことがどこまでわかるか、それは疑問です。しかし、意味はあると私は思っています。私たちが見て、知っていると思っている仕事は実は表面だけです。その裏側にとても広く深い世界があって表面を支えているのです。

 例えば、学校の先生。皆さんは小学校、中学校、そして高校2年生と11年間、学校生活を送ってきました。だから、学校の教師の仕事はだいたいわかっていると思っているでしょう。しかし、皆さんが知らない部分がたくさんあるのです。私たちは教員免許を取るためには教育実習を学校で行うのですが、生徒の時には見えなかった業務がこんなにあるのかと驚いたものです。コンビニでもそうですね。お客として見るコンビニの世界はシンプルなものです。けれども、仕事として入ってみると、あのたくさんの商品はどこからくるのか、それをどう整理して管理しているのか、お金の管理はどうなっているのかなど大事な世界が広がっているのです。仕事とは社会につながっていて、実に多くの世界にネットワークが広がっています。皆さんは、明日からの三日間で、小さな窓から社会という巨大でとらえどころのないものを覗いてきてください。そして、社会とつながることに興味、関心を持ってください。

 さて、このインターンシップは地域のご協力によって成り立っています。今年度も29か所の事業所の方々が実習をお引き受けいただいたからこそ、実施できるのです。有難いことだと思います。昨年度、一昨年度、私は実習先を訪ね、「ご迷惑をおかけします」と挨拶して回りました。すると、そのすべての事業所の方が、「高校生がきてくれて活気が出ます」、「職場が明るくなります」、「自分も新人の頃を思い出しました。」など肯定的におっしゃってくださいました。地域で高校生を育てていこうというお気持ちの表れと思い、感謝しております。

 多良木高校は高等学校としては小さな学校かもしれません。学校は小さくても、多良木高校生は小さい高校生ではありません。可能性豊かな大きな存在です。この球磨郡を元気にする、大きな役割をもっています。それぞれの事業所の方々は、皆さんが来ることを待っていらっしゃいます。感謝と謙虚さを忘れずに、三日間の実習をやり抜いてください。新しい出会いがたくさんあることを願っています。」

「海のまち、山のまち」交流会 ~阿久根市との交流事業

 鹿児島県阿久根市と多良木町との「海のまち、山のまち」交流事業の一環として、阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校との野球、女子バレーのスポーツ交流を9月9日(土)に行いました。今年度は本校がお迎えする番であり、午前中に交流試合、そしてお昼から町保健センターにて交流会を開きました。6年目となる交流行事も本校にとっては今年が最後になります。交流会の終わりに校長として御礼のご挨拶をしました。

 「東シナ海に面した明るい海のまち、阿久根市から西平市長様、木下市議会議長様をはじめ行政、議会、観光連盟の皆様方、そして坂口校長先生を筆頭に鹿児島県立鶴翔高等学校の先生方、生徒のみなさんをお迎えし、「海のまち、山のまち」交流会を行うことができましたことを皆様と共に喜びたいと思います。

 九州山地に囲まれ、多くの寺社、仏像が悠久の歴史を今日に伝える山のまち、多良木。熊本県立多良木高等学校は、大正11年にこの地に創立以来、名前のとおり多くの良い木、人材を輩出することに努めて参りました。しかしながら、平成に入って以降、地域の人口減少、少子化に伴い、入学者が減り続け、来年度平成31年3月をもって閉校の定めとなりました。近年は、町立高校と呼んでも過言ではないほど、地元多良木町から厚いご支援をいただいてまいりましたが、その中でも、この鶴翔高等学校との交流は特筆すべきものでした。在籍生徒数が少ないからこそ、生徒の交流体験を増やしたい本校としては、県外の高等学校を訪問し、お迎えするという相互交流の機会は誠に得難いものでした。青春の体験は記憶に深く刻まれます。この6年間の交流を体験した多良木高校生は阿久根市のこと、鶴翔高校のことをいつまでも忘れないだろうと思います。

 結びになりますが、三つの高校が統合され今年で13年目を迎えられる鶴翔高等学校には、校名のように未来永劫、大きく飛翔されていくことを期待いたします。また、阿久根市の皆様方には、6年間、本校の生徒たちに有意義な交流体験の場を与えていただいことに深く感謝を申し上げ、十分に意は尽くせませんが、御礼の御挨拶といたします。6年間、誠にありがとうございました。」


 阿久根市の西平市長による始球式          女子バレーボールの交流戦

山を楽しもう ~ 体育コースの市房登山

山を楽しもう ~ 体育コース生徒の市房山登山

 「頂上だ。やったー」の歓声が生徒たちの間に広がります。九州でも屈指の高峰である市房山(1721m)の頂上に到達した時の達成感、成就感は言いようのないものでした。登り始めて4時間が経過していました。

 体育コース2年生の3日間の市房キャンプの中日、8月31日(木)に市房山に挑みました。今年は、登山ガイドを坂梨仁彦先生に依頼し、先導をお願いしました。坂梨先生は、長年にわたって熊本県の県立高校の生物の教諭として教鞭をとられ(今春定年退職)、植生、鳥類に造詣が深い方です。加えて、登山の専門家で、高校の登山部の指導に当たってこられました。市房山には通算80回を超える登山歴を持っておられます。

 午前9時に山麓の市房キャンプ場(標高が約600m)を出発。鳥居のある登山口から登り始めます。イチイガシをはじめ豊かな照葉樹林帯が続きます。やがて、千年杉と言われる巨大な杉が幾つも現れ、4合目の市房神社に着きました。市房は古来、球磨の人々の信仰の対象として崇められ、神の山として大切にされてきて、現在は国定公園として保護されているため、希少な植物の宝庫となっていると坂梨先生から説明がありました。

 市房神社を過ぎると、急傾斜が続き、丸太の梯子をよじ登ったり、樹木の根をつかんでバランスをとったりと本格的な登山となります。しかし、生徒たちはたくましく進んでいくため、私は遅れないよう必死です。6合目の馬の背と呼ばれる急峻な地形を過ぎ、7合目付近で、珍しい鳥「ホシガラス」が空から舞ってきてブナの樹にとまりました。坂梨先生から説明があり、全員で立ち止まってしばし注目。標高が上がるにつれ、樹高が低くなります。8合目を過ぎると馬酔木(あせび)に覆われています。鹿が増え、多くの植物を食べますが、毒のある馬酔木は避けるため、繁殖しているようです。

 午後1時に山頂に立ちました。ガスが立ち込め、眺望には恵まれませんでしたが、充足感に浸り皆で弁当を開きました。下りは、急斜面での根や石が足に負担となりましたが、およそ3時間で無事にキャンプ場に帰着。霊山の清らかな空気に包まれ、多彩な植生に触れ、変化に富んだ登山道に一喜一憂した7時間の挑戦でした。生徒と苦楽を共にでき、かけがえのない晩夏の一日でした。 



 

山に学ぼう ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

「山に学ぼう」 ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

 多良木高校2年1組体育コース24人は8月30日(木)から9月1日(金)にかけて水上村の市房山キャンプ場でキャンプをしながら様々な野外活動に取り組みます。特に2日目は一日かけて市房山(1721m)に登ります。古くから霊峰として球磨の人々の信仰の対象であった神の山は、今も希少な植物や蝶、鳥が生息する「宝の山」です。学校を出発する生徒たちに、私は、富松良夫の詩『山によせて』を紹介して、送り出しました。

 富松良夫(19031954)は宮崎県都城市の人で、幼少の頃に脊椎カリエスに罹り障がいのある生を送りましたが、宮崎県から鹿児島県にまたがる霧島連山を愛し、山を主題とした詩を多く創り、「霧島の詩人」とも云われます。その作品の中から『山によせて』を選び、山に学ぼうと呼びかけました。

  『山によせて』         富松 良夫

 ひかりの箭()をはなつ朝

 山は霧のなかに生まれ
 むらさきの山体は
 こんじきの匂ひをもつ

 
 あたらしい日を信じ

 あたらしい世界のきたるを信じ
 さらに深い山の発燃(はつねん)を信じ


 にんげんの哀(かな)しさも

 国の面する悲運のかげも
 世界の精神的下降の現実も
 わすれはてるわけではないが


 いまこのあざやかな

 朝のひかりにおぼれ
 悠々と非情の勁(つよ)さにそびえている
 山に学ぼう
 


                                   市房山キャンプ場でテント設営する多良木高校生