校長室からの風(メッセージ)

2015年6月の記事一覧

甲子園100年~野球部の推戴式に寄せて

甲子園100年 ~ 野球部の推戴式に寄せて


 
30年前、台湾をバスで旅行したことがあります。その時、嘉義(かぎ)という町で地元のガイドさんが、「昔、嘉義農林学校野球部は台湾代表で甲子園大会に出場して準優勝した。それを今も誇りに思う。」と語られました。その時私は、「戦前は台湾から甲子園に出場していたのか」と感慨に包まれました。

 日清戦争に勝利した日本は、清国から台湾を獲得し、日本領として統治することになります。明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)の日本の敗戦まで半世紀、台湾は日本領でした。したがって、戦前の夏の甲子園野球大大会(当時は高等学校ではなく中等学校でした)に、台湾から代表校が出場していたのです。そして、昭和6年(1931年)に嘉義農林学校野球部が準優勝という快挙を成し遂げたという史実を知りました。

 この記憶は、私の中では薄れかかっていたのですが、昨年、「KANO 1931海の向こうの甲子園」という映画が台湾で製作され、日本でも公開されて話題になりました。当時、台湾は日本よりも野球のレベルが低く、その中でも嘉義農林は弱小チームだったそうです。しかし、日本から赴任した先生が監督になり、日本人と台湾人の混成チームを鍛え上げ、快進撃が始まり、台湾代表となって海を渡り甲子園の決勝戦まで進むという劇的な物語となったのです。目標に向かって、日本人と台湾人というわだかまりを超え、団結して戦い勝利する姿も感動的でしたが、試合に勝った時、喜びを抑えた嘉義農林学校野球部の態度が深く印象に残りました。弱かった嘉義農林学校野球部は、負けることの悔しさ、悲しさをそれまで嫌と言うほど味わってきたため、負けた相手のことを思うと、派手な喜びを示すことができなかったのです。

 大正4年(1915年)の第1回全国中等学校野球大会から数え、今年は甲子園100年の記念の年です。100年の間に、嘉義農林学校野球部のドラマをはじめ幾多の物語、名勝負が繰り広げられてきたことでしょう。戦争による不幸な中断もありました。しかし、アマチュアの、しかもハイスクールのスポーツ大会に数万の観衆が押し寄せ、テレビ中継され、国民的行事になっていることに外国の人々は驚きます。日本が誇るスポーツ文化だと私は思います。

 全国高等学校野球選手権熊本大会に臨む野球部の皆さん。皆さんは、白球に青春を賭けています。一つのことに打ち込めることは幸せなことです。新チーム結成以来、強豪校相手にも互角の勝負をしてきました。内には秘めた自信があることでしょう。仲間を信じ、負けないという思いで戦ってください。甲子園100年の年、夢の甲子園出場に向け、誇りをもって皆さんを送り出します。



「日本遺産」の故郷

「日本遺産」の故郷

 「落ちつく先は 九州相良」という歌舞伎の名文句があります。江戸時代の人々にとっても、九州の山間に相良という殿様の治める地域があることは知られていました。相良氏は、鎌倉時代初期に源頼朝の命を受けて、遠江国(現在の静岡県)から人吉球磨の地に赴任し、以来、明治維新を迎えるまで700年の長きにわたって統治し、独自の文化と風土を創り上げました。熊本県内唯一の国宝である青井阿蘇神社(江戸初期)をはじめ、鎌倉、室町期の中世の文化財が数多く残り、江戸時代から始まった三十三観音巡りや臼太鼓踊りなどが伝えられています。歴史小説家の司馬遼太郎氏は、人吉球磨の地域を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と称えました。

 私たちの故郷である人吉球磨地域が、今年4月、日本遺産(Japan eritage)に認定されました。「相良700年が生んだ保守と進取の文化」として、他の17地域と共に文化庁が創設した日本遺産の初めての対象地域となったのです。その構成文化財には、青蓮寺阿弥陀堂、王宮神社、太田家住宅、百太郎溝、幸野溝など多良木町所在のものが幾つも入っています。これらの有形、無形の文化財は、私たちの日常生活に溶け込んでおり、普段は特別に意識をしない存在です。専門家や他の地域の人から見ると特別な歴史遺産が、ここ人吉球磨地域では日常光景の一つなのです。

 改めて、私たちの故郷である人吉球磨地域の豊かさと、それを創り、継承してきた先人達の営みに感謝の念を捧げたいと思います。観音堂の仏様(仏像)一つにしても、代々それを大切に守り伝えてきた人々の努力あってこそ、今に存在するのです。私たちは、過去からの先人達の贈り物を受けとめ、それを未来につなぐ責務があると言えるでしょう。

 多良木高校では、毎年、秋に強歩会という学校行事を開催し、人吉球磨地域の文化遺産を巡ります。今年も11月6日に実施予定で、日本遺産となった故郷を誇りに思い、生徒全員で歩きたいと思います。


         (平成26年度 強歩会「中山観音堂」にて)


ボランティア ~自然体で取り組む高校生

ボランティア ~ 自然体で取り組む高校生

 「とっても楽しいです!」とボランティア活動している生徒が目を輝かせ答えてくれた。6月6日(土)に多良木町民体育館で開かれた人吉球磨特別支援学級合同運動会(上・中球磨ブロック)に、42人もの多良木高校生がボランティアとして参加し、児童・生徒たちの支援や運動会の運営補助に当たった。

 今年で第45回となるこの運動会への本校からのボランティア参加者数としては、恐らく過去最高だろう。「多良木高校からこんなに多くの生徒さんがお手伝いをしてくれて心強いです。」と大会関係者から感謝の言葉を戴いた。

 ボランティアの生徒たちの様子を見ると、小学生、中学生に寄り添い、笑顔で一緒に運動会を楽しんでいる。男子生徒には小学校低学年の児童達がまつわりついている。5月23日(土)の球磨支援学校の運動会にも10人の生徒がボランティアとして参加したが、その時も同じ光景だった。ボランティアの生徒たちの姿は、何かをしてあげている、という感じではなく、とても自然な態度であった。

 小規模校だからこそ交流の幅を広げたいと学校としては考え、小学校での本の読み聞かせや運動の支援、地域の教育、福祉活動へのお手伝い等、年間を通して数多くのボランティア活動の機会を用意し紹介しているが、多良木高校生は、実に積極的に参加する。そして、自然体で取り組んでいる。その姿を目の当たりにして、ボランティアが若い世代に定着していることを実感する。

 「ボランティア(Volunteer)」という言葉は、義勇兵という語源の英語であり、自ら進んで社会のために活動を行うことを示す。もともと日本にも「奉公」や「奉仕」といった類似の言葉はあったが、「ボランティア」には自発性や無償性といった意味合いが強く含まれており、用語として広まった。特に、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の時に全国から自発的に集まり被災地の復興を手伝う人々をとおして、ボランティアの力が社会に認識され、この年を「ボランティア元年」と呼ぶこともある。当時、私が担任していたクラスの男子生徒の父親は、春休みになると(阪神・淡路大震災は1月17日に発生)仕事を休み男子生徒を連れて神戸市へボランティアに赴かれた。確か1週間ほど父子で瓦礫の撤去作業に従事されたと記憶している。会社のボランティア休暇制度もその後次第に整備された。

 阪神・淡路大震災から20年の時間が経った。様々な問題が社会にはあるが、自然体でボランティア活動に取り組む高校生を見ると、この国の未来に大いなる希望を抱く。


 

スポーツマンシップでいこう(高校総体)

「スポーツマンシップでいこう」


 「スポーツマンシップでいこう」の大会スローガンのもと、第43回熊本県高等学校総合体育大会(「高校総体」)が5月29日(金)から6月1日(月)にかけて開催された。「スポーツマン」とはスポーツをする男性という狭い意味ではなく、女性も含めて「スポーツをする人」と広く捉えているのだろう。

 多良木高校からは、陸上(男・女)、サッカー(男)、バレーボール(女)、バスケットボール(男・女)、ソフトテニス(男・女)、アーチェリー(女)の各競技に出場した。私自身、各会場を巡り、キラリ輝く多高生を応援できた。

 サッカーは5月23日(土)から先行開催されたが、24日(日)の熊本北高との2回戦は、残り3分で同点ゴールを決めて追いつき、延長戦でも決着がつかず、最後はPKで敗れるという劇的な試合となった。最後まであきらめずにプレーした選手達に拍手を送りたい。

 「うまかな・よかなスタジアム」で競技する陸上部員の姿は普段よりも大きく見えた。立派なスタジアムは高校生を成長させると感じた。また、バレーボール、バスケットボールともに強豪校に敗れたが、チーム一丸となり持っている力を発揮する姿はすがすがしかった。そしてソフトテニスでは、特に女子の試合が印象に残った。昨年度の後半、部員不足でチームとしてほとんど練習できていなかったが、この高校総体に照準を合わせ出場に漕ぎ着けた。女子団体1回戦では、男子部員の声援を受け3ペアともに松橋高校と互角に戦い、1-2の惜敗であった。選手達は「自分たちはやればできる」と大いに手応えを感じたのではないだろうか。

 アーチェリー競技を初めて観戦できた。会場は宇土市アーチェリー場。競技人口が少なく、女子団体は本校を含め3校しか出場していない。他の競技会場に比べ、観覧者も少なく、寂しい雰囲気だった。加えて、私が訪れた5月30日(土)は冷たい雨が降り続く最悪のコンディションであった。しかし、生徒たちは雨に濡れながらも、70m先の的を目がけて、一本一本の矢に気持ちを込め、自分の世界に集中していた。静かな空気の中に張り詰めた緊張感があり、自分が選んだスポーツに取り組むプライドさえ伝わってきた。

 ルールを守り、審判に敬意を示し、正々堂々と公正に勝負を競い、勝っても負けても相手を称える、それがスポーツマンシップだ。多高生がスポーツマンシップで高校総体を戦い抜いたことを誇りに思う。