2016年4月の記事一覧
被災地に球磨の水を送る ~ 「熊本地震」支援活動
被災地に球磨の水を送ろう ~ 「熊本地震」被災地支援活動
4月20日(水)の朝、「熊本地震」の被災地の一つである西原村に水を送る支援ボランティアに多良木高校として取り組みました。多良木高校同窓生の方から、水不足で困っておられる西原村の避難所に水を運びたいとの協力依頼があり、学校として支援ボランティア活動を始めたのです。前日、全校生徒に「1㍑か2㍑のペットボトルに家庭の水道水を入れて持ってくるように」と呼び掛けました。当日朝、生徒だけでなく、保護者の方や、話しを聞きつけられた近隣の住民の方もペットボトルの水を持参され、およそ千㍑の水が集まりました。 午前8時半過ぎに、生徒会の生徒や1年1組体育コースの男子が中心となって、車に積み込みました。
多良木高校の「水」は約5時間かけて運ばれ、西原村小森の避難所である山西小学校に届けられました。被災された方々が大変喜んで受け取ってくださったそうです。ペットボトルの一部には、生徒会の生徒によるメッセージがマジックで書き込まれていたのですが、それを読まれた高齢のご婦人が涙を流されたそうです。
4月14日(木)の夜の大地震発生以来、甚大な被害が出ている「熊本地震」。ニュース映像で見る上益城郡、熊本市、阿蘇地域の被災地の様子には言葉を失います。現在、被災地では余震が頻発し、震災は長期化の様相を呈しています。出口の見えない状況で、被災者の方の疲労が心配されます。
この非常時、同じ県民として、「気持ちを一つにしよう」と4月18日(月)の臨時全校朝礼で生徒に語りました。今、高校生が被災地に赴くことは危険であり、現実的ではありません。しかし、今回のように運送手段さえ確保できれば、「水」という最も必要とされているものを、生徒一人ひとりが持ち寄り積み込むという簡単な行為で、被災地を応援することができます。遠隔地にいる高校生と被災者の方との気持ちをつなげることができます。今後も、地域の役場等と連携して、被災地に球磨の水を送る活動を続けていきたいと思います。
水を車に積み込む多良木高校生
気持ちをひとつに ~ 「熊本地震」にかかる緊急全校朝礼
「ただ今、黙祷を全員で行いましたが、多くの犠牲者、そしてまだ把握できていないほどの負傷者、家屋の被害など今回の地震災害は熊本県に大きな爪痕を残しました。益城町をはじめとする上益城郡、熊本市、阿蘇、宇城地方が受けている被害は甚大で、私たちの想像を絶するものです。同じ熊本県に暮らす者として、気持ちを一つにするため、こうして全校朝礼を行いました。
皆さんに二つのことを伝えます。
一つは、普通の生活のありがたさをかみしめよう、ということです。被災された方々が口をそろえて、「早く普通の生活に戻りたい」と言われている様子をニュース映像が伝えています。蛇口をひねったら水が出る、スイッチを入れたら電気がつく、お風呂に入れる、食事ができる、自分の部屋で眠ることができる、これらの普通の生活ができることは実は多くの人の力で成り立っているのです。それを普段、私たちは意識していませんが、いったん災害が起こるとそれらは瞬時に断ち切られます。今日、こうして多良木高校が平常の学校活動ができることを皆さんと共に感謝したいと思います。
もう一つは、自然災害を正しく恐れる、ということです。地震は、今の科学技術では予知不能でいつ起きるかわかりません。次はこの球磨郡で巨大地震が発生するかもしれません。しかし、その時パニックにならないよう、基本的な知識や心構え、準備をしておくことが必要です。自宅に、非常用の水、食料、懐中電灯が用意してあるか、家族で確認してください。学校は、平成22年度から耐震化工事を進めてきています。皆さんが主に生活する教室、体育館などは今回の震度6から7クラスの大地震にも耐えられます。しかし、大きな揺れが治まったら、各自でグラウンドへ避難しましょう。もし帰宅できない状況になっても、本校のセミナーハウス、平成7年度につくられ、耐震性に優れた建物ですが、ここに宿泊することができます。
結びに、もう一つ皆さんに伝えておきたいことがあります。災害が起きたとき、皆さんは弱者ではありません。子どもやお年寄り、障がいのある方を助ける方に皆さんはまわらなければなりません。東日本大震災の時にも、災害で多くのものを失い、落ち込んでいる大人に対し、気力、体力を備えた高校生がとても頼りになったそうです。
何が起こっても、自分の気持ちをしっかり持って、仲間同士助け合っていけば、困難を乗り越えることができるという覚悟で生活していきましょう。」
安全・安心な学校づくり ~ 「熊本地震」発生
安全・安心の学校づくり ~ 「平成28年熊本地震」発生
平成28年4月14日(木)の午後9時半近くでした。職員住宅の部屋で寛いでいた私は、携帯電話の地震発生情報メール音に驚き、その直後の大きな揺れに動揺しました。夜の静寂(しじま)を破る突然の地震。揺れは数十秒で治まりましたが、その後も余震が続き、不安な夜を過ごすことになりますが、その頃、震源地の益城町や熊本市では震度6から7の激震に襲われ、7人の方が亡くなり、多数の負傷者、そして建物の損壊と大惨事が発生していたのです。被災地では慟哭の情景が広がっていると思うと、胸が痛みます。気象庁は「平成28年熊本地震」と翌日に発表しました。
人吉・球磨地方は最大震度3程度で済んだため、被害はほどんどありませんでした。多良木高校も、翌日は平常の教育課程を実施でき、テレビ画面に映る益城町や熊本市の惨状が同じ県内のものとは思えませんでした。しかし、地震の脅威をまざまざと思い知らされた次第です。
学校は安全、安心な場所でなければなりません。多良木高校では平成22年度から校舎の耐震化工事を計画的に進めてきました。すでに、生徒が主に学校生活を過ごす教室棟、理科棟、そして体育館等は完了しています。残る昇降口棟と玄関棟の耐震化工事を今年度行う予定で、これで全て終わることになります。昇降口棟の工事に先立ち、教室棟から第1体育館への仮設渡り廊下も竣工して、生徒が利用しています。
耐震化工事期間中は、安全面に最大限配慮すると共に、生徒の学校生活への影響をできるだけ防ぐ方針で取り組みます。今回の「熊本地震」を受け、生徒諸君にとっても改めて耐震化工事の重要性を認識してもらえるものと思います。地震、台風など大自然の脅威はいつ顕在化するか、人智の及ぶところではありません。5年前の東日本大震災の時に、私たち日本人は、自然の猛威に対し、畏れ、おののいた体験を持ちます。その体験が次第に風化してきたように感じてきた今、「熊本地震」が発生しました。大地震の前に無力感を覚えますが、やはり、災害への不断の備えに努めることが私たちの責務です。
安全な学校であってこそ、安心して生活できます。耐震化工事をはじめ、今年度も安全・安心な学校づくりに努めたいと決意を新たにしました。
輪になって食べよう ~ 対面式
輪になって食べよう ~ 対面式
新入生と2、3年生との対面式を4月12日(火)に第1体育館で行いました。生徒会の計画、運営で行われるもので、今年度は新たな企画として、「多良木高校○×クイズ」を実施した後、カレーライスの昼食を全校生徒で楽しみました。カレーライスは、前日から家庭科の先生方の指導のもと有志生徒が準備しました。最初は全校生徒204人と職員で、体育館で大きな車座となっての昼食を考えたのですが、クラスの親睦を重視して、クラス毎で輪になっての食事となりました。今年度は各学年2クラスですから、6つの輪が体育館にでき、その輪に担任、副担任等がそれぞれ入り、和やかな昼食風景となりました。
古来、祭礼の時に食事を皆で一緒になってとる行為は、神の前に集団が一致結束することを誓う儀式でした。今回、生徒全員で一堂に会して昼食を取ったことは、新入生が名実共に多良木高校生になったことを示す行事でもあるのです。そういう意味では、生徒会は、まさに古式ゆかしい対面式を実現したことになります。
「環に端無し」という言葉があります。環(輪)に端はありません。クラスで一つの輪になることは終わりのない友情を築くことにつながります。6つの輪を眺めながら、一人ひとりに心地よい居場所のあるクラスをこれから創ってほしいと願いました。
最後の入学式 ~ アンカーへの期待
「新入生の皆さん、皆さんは多良木高校の期待と注目のアンカーです。アンカーを走ることで他の学校ではできない多くの特別な体験ができ、同窓会や地域の方々の熱い応援を受けることでしょう。皆さん、一緒に走り、三年後に感動のテープを切りましょう。
多良木高校は地域と共に在ります。日本遺産にも認定された歴史豊かでおもてなしの文化が息づく人吉、球磨地域全体が学びの場です。
《中略》
さて、式典の最後に、二年生、三年生の先輩諸君と私たち教職員、そして同窓会の方々とで高らかに校歌斉唱を行います。人吉出身の音楽家として名高い犬童球渓作詞の校歌であり、昭和三年に作られました。以来、およそ九十年にわたって世代を結び、歌い継がれてきました。多良木高校の精神とも言うべきこの校歌を新入生の皆さんにつなぎます。歌詞は古文調で少し難しく感じると思いますが、高校生活を送る中で次第に意味がわかり、多良木高校の精神を身に付けていくことでしょう。歓迎の校歌斉唱を心で受けとめてください。
いよいよ高校生活が始まります。今の初々しい気持ちが原点です。学校は学びをとおした人間成長の場であります。皆さん、一日一日を大切にしていきましょう。」
肥薩線「山線」に乗る ~ 明治の鉄道遺産を訪ねて
肥薩線「山線」に乗る ~ 明治の鉄道遺産を訪ねて
人吉・球磨地域にある五つの県立高等学校は、いずれも鉄道の駅から徒歩10分以内の位置にあり、通学にはとても便利な条件を備えています。自動車社会の今日においても、鉄道の安定性、公共性は何物にも代え難いものがあります。くま川鉄道、JR肥薩線に時折乗車する機会がありますが、車窓風景を楽しみながら、安心して列車の揺れに身体を委ねることができます。
人吉・球磨地域は昨年「日本遺産」(文化庁)に認定された歴史豊かな地域で知られますが、実は、明治や大正の「鉄道遺産」が多く残っていることでも有名です。高校の校長として地域のことをより深く知りたいと願い、春休みの半日を使い、肥薩線の人吉駅から吉松駅までの往復列車の旅を体験しました。
熊本県八代市から鹿児島県霧島市(隼人駅)までを結ぶ肥薩線は明治42年に開通した路線ですが、中でも人吉駅から吉松駅(鹿児島県湧水町)の35㎞の区間は、21カ所のトンネル(隧道)がありスイッチバック、ループ線など難所の山越え路線で名高く、鉄道ファンから「山線」と親しまれています。
人吉駅を出発した観光列車は、急勾配の山線をゆっくりと進みます。明治末期に造営、開業されたままの姿を残す大畑(おこば)駅、矢岳(やたけ)駅、真幸(まさき)駅と停車します。どの駅も山間の無人駅ですが、温かみのある木造で、塵一つ落ちておらず、地元の方が大切に守っておられることが伝わってきます。また、矢岳と真幸の間にある矢岳第一トンネルは肥薩線の最長(2096m)のトンネルですが、明治42年開業以来、石造りの堅牢な姿で百余年も現役として存在していることに驚かされます。併せて、山奥での大工事は資材運搬をはじめ大変な労苦があったことが想像に難くありません。
矢岳第一トンネルの人吉側には、当時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫で「天険若夷」(てんけんじゃくい)、吉松側には、鉄道院総裁・後藤新平の揮毫で「引重致遠」(いんじゅうちえん)の扁額が取り付けられています。これらの言葉をつなぐと「天下の難所を平地であるかのように工事したおかげで、重い貨物であっても、遠くまで運ぶことができる」という意味になるそうです。
人吉駅から吉松駅までの肥薩線、通称「山線」を約3時間掛け往復してみて、鉄道遺産に込められた明治の先人の気概、志に触れることができ、何か厳粛な思いに包まれました。
肥薩線矢岳駅(明治42年開業)
学校の桜
学校の桜
4月1日、多良木高校に新たに6人の教職員の方が転入してこられました。坂本道彦教頭先生、緒方真代先生(国語)、高山裕先生(地歴)、事務の宮原雄翔先生、吉田七海先生(商業)、学校図書館事務職の松本麻衣子先生です。今年度の多良木高校の教職員は全員で30人となります。仲間と一緒にこれから1年間、苦楽を共にしていくことになります。職員室の座席のレイアウトも一新され、学校もいよいよ動き出しました。
学校は3月末から4月初めにかけて人事異動と新学期の準備等と最も慌ただしい時期となります。そのため職員はゆっくり花見もできにくい状況です。しかし、学校には必ず桜があります。およそ日本の学校で校庭に桜が一本も植えられていない所はないでしょう。私たち教職員の花見は校庭の桜です。桜の花を見て、旅立った卒業生や入学してくる新入生を思い、新年度が始まることを実感します。
桜は日本人にとって特別な花です。冬を越え、ようやく到来した春の象徴であり、しかもその開花期間は短く、惜しむように愛でることになります。社会の国際化に伴い、日本の学校入学時期を世界の大勢に合わせて9月入学にしたらどうかという議論が久しく行われてきました。しかし、多くの支持が得られずにいる要因として、校庭の桜のもとで新入生を迎えたいという日本人の心性があるのではないでしょうか。
多良木高校の校庭にも桜が幾本かあります。この週末に満開を迎えましたが、昨夕からの雨でもう散り始めました。本校の入学式は4月8日です。入学生が桜の花を見ることはできないでしょう。はらはらと散る桜を見て佇んでいると、古歌に言う「しづ心(静心)なく花の散るらむ」の心境となります。
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄