多良木高校の剣道部物語
多良木高校の剣道部物語
今年度末に閉校が迫り、同窓生や旧職員の方が学校を訪問されることが増えてきました。先日は、旧職員の武井章先生(体育)が来校されました。「剣道の武井」と人吉球磨地域では令名が高く、かつて多良木高校に16年間在職され、剣道部の黄金時代を築かれた方です。御年80歳を迎えられていますが、今も人吉球磨剣道連盟会長職を務め、小学生相手に剣道の手ほどきをされる日々を送られており、背筋がぴんと伸び古武士然のたたずまいです。
武井先生の多良木高校での思い出話は、多良木高校剣道部全盛期のことに及ぶと一段と熱っぽくなり、その白眉が昭和55年(1980年)の女子剣道部の玉竜旗大会での全国優勝でした。前年、同大会で3位に入りながら、この年の県高校総体県予選では阿蘇高校(現阿蘇中央高校)に惜しくも敗れ全国高校総体(インターハイ)出場を逃していました。それだけに、玉竜旗大会にかける気持ちが強かったそうです。部員たちが日々の厳しい稽古を貫き、部のモットーの「平常心是道」を心がけた結果、優勝を果たすことができたと武井先生は往時を懐かしみ愉快に語られました。
戦国時代後半から江戸時代初期にかけての剣豪、丸目蔵人(まるめくらんど)は人吉藩相良家に仕え、タイ捨流を創始しました。晩年は一武村(現 錦町一武)に隠棲してお墓も残っています。そして古武道の一派としてタイ捨流は今も伝わっています。丸目蔵人の影響が多分にあるのでしょう、人吉球磨地域は剣道が盛んな土地柄です。その中で、まさしく剣道一筋に武井先生は生きて来られたのです。そして、多良木高校剣道部を鍛え、多くのたくましい人材を世に送られたのでした。
けれども、多良木高校剣道部は6年前に部員がいなくなり活動を止めました。4年前に私が赴任した時はすでに剣道部はありませんでした。これも時代の流れでしょうか。
しかし、女子剣道部の玉竜旗優勝は多良木高校96年の歴史の中でも燦然と輝いています。地域の普通の高校が全国大会で優勝したことは永く語り草となっています。現在も本校の玄関展示ケースに優勝記念の旗が飾られています。
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄