学校生活ブログ
薬物乱用防止講話が実施されました
2月23日(木)6限目、LHRの時間を利用して、本校の学校薬剤師をされている中村 嘉久太先生に講師に来ていただき、1年生を対象とした薬物乱用防止講話を実施しました。
学校保健委員会が行われました
2月22日(水)学校保健委員会を行いました。
本校生徒の体力の現状や健康状況について保健主事、養護教諭からの報告がありました。続いて、生徒保健委員長が本年度の保健委員会活動について発表しました。
その後、『間食習慣(食生活)について』というテーマで、生徒保健委員会が行った天工生の間食習慣についてのアンケート結果を基に協議を行いました。
質疑応答の時間には、参加した生徒が校医の先生方に積極的に質問する姿も見られました。たくさんの指導助言を頂き、また、意見を交わしながら、協議することができました。
校医の先生方、育友会会長をはじめとした役員の皆様、お忙しいところ御出席いただきありがとうございました。
あけてぞ今朝は別れ行く ^^)♪
先週24日(金)、窓の施錠の確認のために夕方遅く校内を回っていたら、情報技術科1年のクラスに電気がついて、歌声が響いていました。女子生徒数名がアカペラで「蛍の光」を歌っていたのです。「あけてぞ今朝は別れ行く」という淡々と流れる七五調の歌詞、何ともしんみりとしてしまい暫く廊下で聞きこんでしまいました。
この歌、明治時代にスコットランド民謡の原曲に原詞とは全く異なる歌詞が当てられて唱歌になったことは広く知られているわけですが、卒業式でも2番までしか歌いません。哀愁を帯びた歌声を聞きながら、昔、テレビで3番、4番の歌詞の内容について聞いた時の驚きを思い出したところでした。何に驚いたか分かりますか?
改めてこの「蛍の光」についてWikipedia等で調べてみました。
1番の歌詞は、一途に学問に励むことを褒め称える中国の「蛍雪の功」の故事*に基づくものです。卒業式は3日後です。歌詞について整理しておくことは有意義と思いますので、以下に簡単にまとめておきます。
蛍の光窓の雪/書(ふみ)読む月日重ねつつ/いつしか年も過ぎ(杉の)戸を/明(開)けてぞ今朝は別れ行く
【現代語訳】 蛍の光や雪に反射して窓から差し込む月の光を使って/書物を読む日々を重ねていると/いつの間にか年月が過ぎ去っていき/今朝は杉でできた扉を開けてクラスメートと別れていく *東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この2人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世した。
この歌、掛け言葉(同音異義語を利用して、1つの言葉に2つ以上の意味を持たせて和歌の奥行きを深くしようとする技巧、今でいう駄洒落(だじゃれ)みたいなもの?)が巧みに使われていて、それが分かりづらさの原因になっているように思います。現代語訳を読むと「そういうことだったのか」と、もやもや感がとれるわけですが、生徒の皆さん方は2組の掛け言葉を見抜いていますか?
1組目は、「過ぎの遠」と(作詞家の)生家でしょうか、その家の「杉の戸」2組目は、年(朝)が「明けて」ぞ と杉の戸を「開けて」いよいよ旅立ちで、みんな別れて行く・・・、すなわち「明けて」と「開けて」です。
ひょっとして、中国の蛍は本が読めるほど点滅の間隔が長かったのかと突っ込み入れたくなる人もいるかもしれません。 ところで、この歌、3番4番とあり、特に4番の歌詞は、できた当時は次のようだったようです。
千島の奥も 沖縄も/八洲のうちの 護(まも)りなり/至らん国に 勲(いさ)おしく/努めよ我が兄(せ) 恙(つつが)無く
【現代語訳】 千島列島の奥も沖縄も/日本の支配下にある/日本の支配が届かない国には勇敢に/「仕事」をしてください男性のみなさん、どうぞご無事で
ところが、戦争に次ぐ戦争に伴う領土拡張等を受けて、出だしが当時の文部省の手によって何度か改変されているようです。 千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期)→千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)→千島の奥も台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲を受けて)→台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)
ここでは取り上げませんが、3番も「ひたすら力を尽くせお国のために」といった趣旨の歌詞が最後に出てきます。ということでこの歌、軍歌の色合いもあったのか?とか思ってしまうわけです。実際、「大日本帝国海軍では『告別行進曲』もしくは『ロングサイン』という題で海軍兵学校や海軍機関学校等の卒業式典曲として使われた」とありました。卒業式で2番までしか歌われない理由も納得です。調べてみると驚くことばかりです。 【校長】 |
冴え冴えとした冬の朝の風景 (^^♪
今朝の冷え込みは格別でした。
朝ぼらけ 宇治の川霧(かはぎり) たえだえに あらはれわたる 瀬々(せぜ)の網代木(あじろぎ)
冬の日の夜明け頃、目を覚まして外を眺めてみた。すると夜のとばりがうっすらと明けてくるとともに、川霧が徐々に薄らいでいき、宇治川名物の網代木(鮎などを取る竹や木で編んだ仕掛け)が見え始めてきた・・・といったところでしょうか。特に技巧もなく意味が分かりやすいうえに、「あ」の音が心地よく響き、体言止めが余情を誘うので好きな和歌の一つです。 そう言えば、私の知人など、わざわざその景色を見るために宇治まで訪ねていったと自慢話を聞いたことがあります。百人一首が縁で、平安時代と平成が繋がったということで、これまた凄いな・・・と思いました。
たった今、3限目のチャイムが鳴り、テスト3日目が終わった生徒たちがワイワイ言いながら帰っています。試験の出来はどうだったのでしょうか。 「霜が降りた日は晴れ」の観天望気のとおり、眩い青空が広がっています。明日の最後の考査を目指して、このポカポカ陽気の中、試験勉強に集中できるのでしょうか。いずれも気になります。 【校長】 |
228632→Happy Valentine's Day !(^^♪
今朝8時10分現在のアクセス件数は228632。 数字の並びをそのままにして、加減乗除の記号を入れてみたくなりました。22×8+6+32=214 今日2月14日は、学年末考査初日そして、バレンタインデー。 小中学校は「友チョコも含め校内持ち込み厳禁!」というところも多いようです。発達段階に照らすと無粋(ぶすい)とは言えないのかもしれません。 本校ではあくまでも生徒の良識に任せており、特に何も指導していないのですが、自らの高校時代の思い出と重ね合わせるに、特別な日であるだけにきっと様々なドラマが繰り広げられるのかもしれません?
【校長】 |
【美化委員会】校内美化コンクールを行いました!!
本校では各学期の考査前1週間を利用して、校内美化コンクールを行っています。美化コンクールとは、各学年でクラス対抗の5S活動を競い合います。 美化委員会が中心となって、掃除中と放課後にチェックを行い、グラフ化して全校生徒に状況を知らせます。
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【2学年】2学年集会
[2学年] 学年集会
明日から学年末考査を控えた13日(月)の朝SHRの時間に、2学年集会を行いました。
まず、3学年主任より学年末考査に向けてのお話がありました。「人間性も大事だが、評定や欠席日数などの頑張りを示す『数値』を上げることが大事である」ということや、「これから3年生になるにあたって、部活動や学習などで学校全体をリードする役割を担ってほしい」、「就職・進学試験を皆で頑張る雰囲気、合格を皆で勝ち取り、喜びを共有する雰囲気を作ってほしい」など、3年生の心がまえについてのお話もあり、皆真剣に話を聞きました。
その後、3年生の卒業式に向けて「蛍の光」と「校歌」の練習をしました。歌に気持ちを込め、それが3年生に伝わるよう、しっかり練習をしたいと思います。
学年末考査を前に! 3年生のために校歌練習!
【3学年】消費者教育講演会
卒業は、消費者自立の第一歩
2月13日(月)、3年生の登校日にあわせて、上記の表題で消費者教育講演会を実施しました。講師は、熊本県金融広報アドバイザーの橋野君佳様です。1人暮らしを始める前に、「その商品は自分にとって必要なのか、よく見極めて!」「収入の1割は貯蓄をする」「うまい話は疑ってみる」「不要なものはきっぱり断る」「困ったときはすぐに相談。お金の問題は必ず解決できる」「局番無しの「188」で一番近い消費生活センターにつながる」など、これから役に立つ知識や消費者としての心構えなど、詳しく教えていただきました。
これまでは身近で見守ってくれる大人たちがいましたが、これからはそうはいきません。生徒たちが「消費者として自立する」ということを自覚する貴重な機会となりました。
前期(特色)選抜が無事終了しました
受検生の皆さん方は、早朝から緊張した面持ちで集まっていました。体育館に集合した後、受検会場へ移動。それぞれ力一杯集団面接に取り組み、ベストを尽くされたことと思います。ひとまずお疲れ様でした。
入試を終えて帰る受検生のホッとした笑顔がとても印象的でした。
選抜結果は、2月13日(月)に出身中学校の校長先生をとおして本人に通知されることになっています。また、3月15日(水)午前9時に、後期(一般)選抜の合格者と同時に、本校において受験番号で発表されます。
ただ、100名の定員に対して151名が出願しています。この志願倍率からすると、万が一…のことを考えて、次に向けてスタートする人もいるかもしれません。しっかり気持ちを切り替えることが大切です。
その際に、トップ画面の「中学生対象 天工Q&A」のQ10の後段にもありますように、「一度不合格だったということを理由に不利な取扱いを受けることは全くありません」ので安心して本校に再出願してください。
春には初々しい1年生が天工に新たな活気をもたらしてくれることを期待しています。
課題研究発表会に参加して (^^♪
3年生の課題研究の発表会を、全科とも少しずつ見学させていただきました。1年間の取組を、わずか10分程度の中で後輩たちにも分かりやすくプレゼン(発表)することはとても難しかったことと思います。しっかり練習されていると感じられる班、そうでもない班それぞれでしたが、課題設定の理由、取組経過、苦労した点、感想等を上手に盛り込み堂々と発表している班が思いのほか多いように見受けました。また、バックグラウンドミュージックを小さく流したり、効果的にアニメーション機能を使って聞き手の注目を集めたりなど、様々な工夫を凝らしたものがありました。さらには、フリップの付箋紙をめくって隠れていた文字が現れるというテレビの演出を最近よく目にし、一度はそんなプレゼンをしてみたいと私自身ずっと思っていたのですが、今回そのような演出をした班もあり、高度な技法に驚きました。 3年生の皆さん。進学にしても就職にしても今後プレゼンをする機会は多いはずです。中には、会社の命運をかけたプレゼンをすることになる人もきっといることでしょう。そういう良い点はどんどん取り入れ、プレゼンの技に磨きをかけていってほしいと思います。御指導いただいた先生方には大変お世話になりました。
ところで、どういう文脈だったか覚えていませんが、幸福論を扱った本に「日本人は課題を見つけそれを解決するための取組を行うことに幸せを見い出す民族である・・・」との一文を読み、思わず「そうだよね!」って頷いたことがあります。 その一文を念頭において、平成12年度から段階的に始まった学習指導要領で小・中・高校に入ってきた「総合的な学習の時間」(専門高校では「課題研究」で代替)のねらいを改めて読み直してみます。
横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにする。
何と小・中・高校同一文言で、課題を解決する中で身に付けた能力を、自己の生き方を考える態度まで繋ぐことを期待しています。なるほど、それがうまくいけば、その達成感に人は喜びや幸せを感じるんだろうな・・・、そう言えば不屈の闘志で様々な困難を解決していった無名の男たちを扱ったドラマ、プロジェクトXも凄い視聴率を集めていたな・・・と、漠然と納得してしまいます。
話は変わりますが、本校生の多くが就職する製造業の生産現場では、「カイゼン」活動が活発に行われていることを見聞きしている人も多いはずです。いわゆる「改善」のことで、作業効率の向上や安全性の確保などに関して、現場の作業者が中心となって問題点を見つけ、知恵を出し合いその解決をはかっていくものです。この概念は海外にも「kaizen」という英単語で広く普及し、とくにトヨタ自動車のカイゼンは有名で高く評価されています。 活動内容としては、3年生の皆さん方が1年間取り組んできた課題研究のイメージで捉えてもらっていいかと思いますが、課題研究ではそれほど強く言われなかったかもしれないことが一つだけあります。それは、どれだけのコスト削減に繋がったか、即ち結果を数字で表現するなど定量的であることが求められることです。 私自身昔、ものづくり企業に勤めていたことがあります。手元にわずか残っていた当時の資料にカイゼンの進め方が載っているものがありました。この手順はある意味、普遍的なものであり、課題研究でも同様なプロセスを踏んでいるはずです。入社を控えている3年生の皆さん方のために参考までに載せておきます。
問題提起(違和感即ち問題意識を感じる)→問題確認(問題を具体化・定量化し解決すべき問題を明確化する)→目標設定(問題が解決された状態を暫定的に決め、その測定手段を明確化する)→原因分析(問題の原因を特定)→改善策立案(原因を除去する解決策を複数立案)→改善策評価(複数の解決策から1つの解決策を決定)→実行計画作成(解決への段取りを考える)→実行(解決策を段取りに沿って進める)→評価(解決状況を評価し数値化する)
脅(おど)すつもりはありませんが、企業に入ったら勤務時間の内外を問わずこの「カイゼン」活動にかなりの時間を割かざるを得ないことが多いにありえます。特にプレゼンの前は、遅くまで残って練習をすることもあるはずです。職場の班単位で競うことが多く、指導役の班長さんがハッスルして若い社員を鍛えます。社長賞とか部長賞とか懸っていることも多く、報奨金まで出るので熱が入るのです。何歳になっても大変です!
そういうことで、企業在職中にカイゼン活動の経験があるからでしょうか。課題研究の発表会を聞いていると、ついこのような感慨に耽ってしまいます。それは・・・、加工貿易(原料や半製品を他国から輸入し、それを加工してできた製品等を輸出する貿易の形態)で立国することが宿命づけられた我が国の産業界(製造業の経営者たち)の要請で、カイゼン活動のための経験値獲得を期待されて、「総合的な学習の時間」などが学校に導入されたのではないかという思いです。深読みし過ぎでしょうか? 【校長】 |
)^o^( 卒寮式が行われました
今年度は34人の3年生が亀川寮を巣立ちました。
始めに西校長先生より、卒寮生に対し亀川寮で培った規則正しい生活習慣を、社会に出ても忘れずに頑張ってもらいたいと激励の言葉をいただきました。
在寮生代表の先輩方に対するお礼を込めた送辞
後輩たちへ期待を込めた答辞を述べる卒寮生代表
後輩たちから卒寮生へ記念品が贈られました
毎日おいしい食事を作っていただいた寮夫さんへお礼の品を手渡す卒寮生
最後は3学年主任の先生の音頭取りで万歳三唱で会を閉じました。
卒寮文集を読んで (^^♪
1月31日、午後4時から天草地域共同寄宿舎男子寮亀場寮で卒寮式が行われました。卒寮生一人一人について津田舎監長から短いコメントを頂いた後、後ろに御着席の保護者や寮父の大塚さんに対して卒業生が一言ずつお礼の言葉を述べていました。 卒寮生の足元には全部で41頁からなる卒寮文集が置かれていました。毎年これを読むのを楽しみにしているのですが、3カ年間、実に色々なことがあったことが行間から読み取れます。今年も幾つか名文がありました。 土木3年の松村君は「日本全国、いや世界、いや火星の寮を探しても亀川寮にかなう寮はないでしょう、銀河一楽しい寮で良かった・・・」とあり、楽しかったことや面白かったことがきっと多かったのでしょう。一方、機械3年B組の小林君は「最初の頃は早く寮を出たいとばかり思っていた・・・」とあり、辛いことや嫌なことを沢山経験したのだと思います。中には、土木3年の萩山君が清少納言の枕草子の中から「春はあけぼの」をもじって次のようにパロディ調に思い出を綴っており、愉快に読ませていただきました。 春はあけぼの。やうやう暖かくなりゆくこの季節、新しい出会いと生活を迎えることになり、我々3年生もこの寮を引っ張って・・・・・・。夏は夜。月の頃はさらなり、虫の声が美しく聞こえてくる時、寮でのレクレーションも増えてきて・・・・・・。秋は夕暮れ。夕日がさす頃、3年生は受験or試験の時期となり、良い成績ではなかった私は・・・・・・。冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにあらず。・・・・・・クリスマスの時の夜ご飯は豪華でとてもおかしく、いとをかし。・・・・・・ 枕草子で思い出します。これ、どの段から読んでも結構面白く読めるのですが、心の中に鬱屈したものを持っている時には、あまりにも屈託なくよいものをよい、面白いものを面白いと言って笑う筆者の姿勢についていけない気がします。事実、萩山君がパロディ化した第1段「春はあけぼの」からして、何かしら挑発的と思いませんか?得体の知れぬ反発を呼び起こすというか・・・。そんなことを考えたことありませんか。 文学作品というのは、読み手の精神状態を一顧だにせず書かれていますので、どれも少なからずそういうことはあるものですが、自由自在に現象や時間を切り裂いていく清少納言の感性についていけないひがみかもしれません。ただ、私以外の人がそういうことを話しているのを聞いて、自分一人だけではなかったのだと安心したことがあります。 ところで、昨日来の百人一首の話と直接は関係しませんが、清少納言は百人一首の中にも和歌が選ばれており、親子2代で入選している18組の中の一人でもあります。ちなみに、親子孫3代に渡って選ばれているのは唯一、71源経信(夕されば)-74源俊頼(憂かりける)-85俊恵法師(夜もすがら)だけです。しかし、清少納言から見てひいおじいちゃんに当たる清原深養父(きよはらのふかやぶ)が入選していることも考え合わせると、36[曽祖父]清原深養父(夏の夜は)-○-42[父]清原元輔(契りきな)-62[本人]清少納言(夜を込めて)の関係は、1代中ぬけの3代と言ってもいいかもしれません。 なぜこのような話を持ち出したかというと、清少納言のお父様、清原元輔は、熊本にとても縁がある方であることを言いたかったからです。生徒の皆さん、知っていましたか?三十六歌仙の一人にも数えられる清原元輔は、肥後の国司(今でいう県知事みたいなもの)として朝廷から任じられ、はるばる京都から赴任して、寛和二年(986)から正暦元年(990)までの間、肥後の国を治め、正暦元年に83歳でこの地で没しています。
清原神社から私が授かったパワーが土木3年の萩山君に伝わり、枕草子をパロディ化しようという気になったのなら凄い偶然です!? 【校長】
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百人一首競技県大会第2部最優秀賞受賞の報に接して (^^♪
27日(日)、本校生徒3人が熊本西高校で行われた小倉百人一首の県大会に参加していることは承知していましたが、校内で練習をしている様子を一度も目にしなかったこともあり、特に期待はしていませんでした(ごめんなさい!)。そういうこともあり、当日は城南地区高校駅伝大会が午後2時前に終わり、帰校後はグラウンドで練習をしていたソフトテニス部やソフトーボール部の様子を見守った後、借りてきたDVDを見ながら家でゆっくりしていました。県大会のことなどすっかり忘れて見入っていたまさにその時、「最優秀賞」を獲得したとの一報が入りました。2学期の終業式で認知症を例にお話した通り、最近は怖いぐらい偶然が重なること多いです。何とその時見ていたのは、競技かるたに青春を懸ける高校生の物語「ちはやふる」だったからです。これは一体どういう因果でしょうか!? それはともかく、電気科2年の原田君、山下君、渡邉君並びに御指導・引率をしていただいた原田先生、誠におめでとうございます。1週間前の修学旅行の時もかるた持参で練習をしていたと伺いましたが、その成果が見事に発揮できましたね。
かるた部。私は30年前、本県教師としてスタートを切った高校で3年間顧問をしていました。赴任当日、「是非かるた部の顧問をお願いします」と教頭先生から依頼され、とても困惑しました。前の顧問が異動になり、引き受け手がいなくなったと伺いました。当時、その高校は県大会で2、3位に常連する強豪校であったこともあり、「とても務まりません」と固辞しました。すると翌日、キャプテンが機械科の職員室を訪ねて来て、「このままでは廃部になります」と涙目で懇願されました。引くに引けない状況になったわけです。それからです。弓道部の初心者が藁俵を相手に所作の練習をするように、1年生部員と一緒になって一から百人一首の勉強を始め、数ヶ月後には練習のための札の読み上げで喉が枯れるまでになっていました。
ところで、本校はクラスマッチで百人一首の種目があり、毎学期それなりに盛り上がっていますから以下の説明は不要でしょうが、念のため。「小倉(おぐら)百人一首」、「小倉」とは北九州の小倉(こくら)のことではなく、京都の嵯峨の小倉山(おぐらやま)のことです。平安時代後期、藤原定家(さだいえorていか1162~1241)が、知り合いの人から、山荘の障子に貼る色紙の作成を依頼され、飛鳥時代の38代天智天皇から鎌倉時代の84代順徳院まで、およそ450年間の中から100人の歌人の優れた和歌を一首ずつセレクトし、年代順に色紙にしたためて贈ったそうです。その作業を行った山荘が、秋の紅葉が綺麗で、今はすっかり修学旅行のメッカになっている渡月橋(とげつきょう)で有名な京都の嵐山の近くにある小倉山にあっからそう呼ばれています。
話を戻します。私はこのようにかるた部顧問をきっかけに、次第に万葉集や古今・新古今和歌集と歌の世界が広がっていきました。そして、「日本人は国ができる神代の頃から、大いに泣き、大いに歌ってきた民族だったんだ」ということを知りましたし、平安王朝以後の和歌の中に、花や月、紅葉のうつろいに心を託して歌う美意識を、武士が覇権を握り戦乱の世では、いかに美しく死に際を飾れるかという辞世の歌に心を奪われていきました。 凝り性なのかもしれません。次第に、いにしえの歌人たちにも興味をもち始め、例えば百人一首の編纂をした藤原定家とはどういう人だったのかといったことを調べるようになりました。生徒の皆さん、百人一首では「97来ぬ人を・・・」と女性の身になって詠んでいますが、その定家、どのような人だったか知っていましたか?当時の様々な記録から浮かびあがる定家像は、そばにいたらまず仲良くしたくないタイプの人だったようです。頑固で我が強く、プライドが高くて才能はあるけれど、自分が信じる歌の道が正しいと信じて疑わず、それに抵触するとなれば時の帝(後鳥羽院)にすら暴言を吐いていたようで、宮中に出入り禁止になった記録も残っています。世渡りが下手だったんでしょうね。
現在はネットを検索すると、Wikipediaを始め玉石混淆・百花繚乱の何十・何百ものサイトが瞬時に出てきて、様々な知識をたやすく得ることができるわけですが、当時はそんな環境はありませんでした。アナログ真っ盛り。県立や市立の図書館だけが頼りでした。苦労はしましたが、色々調べるうちに、歌人同士の繋がりが点から線、面となっていくのは至福のひと時でした。 また、例えば「(90嘆けとて・・・の西行など)この歌人にはもっといい歌があるのに、なぜ定家はこちらを選んだのだろうか」と考えたり、「有心美」(深い情趣の中に風雅な余情をたたえ、妖艶な美しさを追求する優美な歌体のこと)などと難しい言葉で評される定家の美学ですが、実は白フェチだったのか?と思いを巡らせたりと・・・。(2白妙の衣干すてふ、4白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ、6置く霜の白きを見れば、15我が衣手に雪は降りつつ、29初霜の置きまどはせる白菊の花、31吉野の里に降れる白雪、37白露に風の吹きしく、64朝ぼらけ宇治の川霧、76雲居にまがふ沖つ白波、91鳴くや霜夜のさむしろに、97焼くや藻塩の:このように約1割の歌が白を連想させ、先述のように97は定家の作です)
そうこうするうちに、そんな定家を育てた父、藤原俊成(としなりorしゅんぜい:1114~1204)はどういう人だったのかと興味を持つに至ったのは自然の成り行きでした。後鳥羽院、式子内親王、藤原良経・・・といった新古今時代の主だった歌人の師匠で「和歌界のゴッドファーザー」と言ってもいいと思います。(詳細はここでは省略します) そしてついに、この歌に出会いました。これは、定家の母であり父俊成の最愛の妻であった美福門院加賀(みふくもんいんのかが)が亡くなり、後に残された俊成が、忍ぶ恋から始まり熱烈な恋愛の末に成就させ、夫婦として共に歩んできた道を振り返り、涙にくれているのがその背景です。
まれに来る 夜半も悲しき 松風を たえずや苔の 下で聞くらむ この歌がつくられた事情などを説明する詞書(ことばがき)によると、一周忌の夜、俊成は妻が眠る墓所にあえて宿をとり、記憶の中の妻と再会するように一夜を過ごした時の歌とされています。春とはいえ、私のようにたまに訪れる夜でも、冷える夜の風が松の枝を吹き鳴らすばかりだ。亡き妻は苔(こけ)むした墓の下でこんな悲しい音を毎夜聞いて、ひとりでねむっているのか・・・。
この歌は、私が最近の短歌まで含めてこれまで出会った数ある挽歌(死者をいたむ歌)の中でも最もかなしいものです。 生徒の皆さん方は、お墓参りに行ってもまだ自分のお墓を意識することはないかもしれません。しかし、ある程度の年齢になり、多くの人を見送り、墓に参拝もするうちに(まだまだ旺盛に日々活動をしている時かもしれませんが)、ふと目を閉じるといつかは自らの命も終わりをつげ、墓石の下にねむることに思いをはせる日がきっとくることと思います。人生で最も大きなかなしみは、長年連れ添った伴侶に先立たれてしまうことだと言われています。現代でもそのストレスが健康に及ぼす影響に警鐘を鳴らす心理学者は多数いるわけですが、いかがでしょう。この歌、胸がふさぎませんか?
定家は父俊成が48歳の時の子どもとされています。俊成は前妻との間に子どもが授からず養子をとっていたようですが、加賀との間に後継ぎになる定家が生まれ、その喜びはいかほどであったか想像に難くありません。(何とその養子は、いたたまれなくなったのでしょう。定家の誕生後出家しています。そのことはさておいて)父俊成のこのような豊かな情感を定家が受け継ぎ、両親から深く愛されて育った定家だからこそ、百人一首ができあがったのかと思うと、色々なことがすっきり納得できます。 ちなみに、定家自身も母が死んだ年の秋、以前住んでいた所に行って、次のような歌を残しています。
たまゆらの 露も涙も とどまらず 亡き人こうる 宿の秋風 玉のような草木の露も私の涙も、ほんのしばらくの間もとどまらないでこぼれ落ちるよ。亡き母を恋しく思って過ごすこの宿に吹く秋風のために。 母が亡くなったとき定家は31歳、俊成は79歳でした。かたや母、かたや妻、同じ人を亡くした悲痛な心の調べ、どちらも心に突き刺すように迫り来ます。
俊成・定家の時代から900年近い歳月が流れ、時代の変遷とともに歌の詠みぶりが変わっても、普遍のことがあるように思います。一つは、歌は喜びを高らかに歌い上げることも多々ありますが、かなしみの器(うつわ)として用いられることが多いということです。そしてもう一つは、かなしむ人を美しいと思う日本人の感性です。歌の中に秘められた思いを想像し、共感して涙をもよおす心、これは感性がなせるものでしょうが、これもまた美しいと思います。 今、これを書きながら思い出したことがあります。数年前NHK紅白で歌われ、日本中が涙した「千の風になって」という新井満さんの歌です。「私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています・・・」という喪失の悲しみいやす死者からのメッセージ、この詩のルーツはアメリカにあるそうですが、昔から洋の東西を問わず人はお墓の前で亡き人を偲んで泣いていたのでしょう。殺伐とした現代だからこそ、皆さん方にはそのようなかなしむ人を美しいと思う感性を高めてほしいと願っています。
最後にこのことも。これまであまり百人一首など興味なかった人たちへ。本校生が最優秀賞を受賞したこの機会に、日本が世界に誇る文化遺産ともいえる百人一首の世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか。和歌はわずか三十一文字ですが、その中にあらゆる感情を打ち込んでくる力業ですので、そこに含まれる情報量はもの凄く多いです。ちょっと気のきいた人なら一つの和歌を題材にして小説がかけてしまう位の情報量といってもいいと思います。一つ一つが短編小説と言ってすら過言でありません。きっと楽しいはずですよ!
そして、県大会で最優秀賞に輝いた3君へ。百人一首に関してはかなりの力を持っているものと思います。でも恋の歌が43首もありますよね。どれにも属さない雑が19首、春夏秋冬それぞれの季節を題材にした歌が数首ずつ、それ以外には旅情を詠んだ歌や離別を詠んだ歌もあるわけですが、とにかく恋歌が多過ぎます。私もそうでしたが、そのうちに食傷気味になりかねません。そこで提案です。パロディや応援歌を作ったり、後朝(きぬぎぬ)の歌であれば返歌を作ったりするなど新しい楽しみ方を広げてみてはいかがでしょう。勿論、古語ではなく俵万智さんが広めたような口語短歌でOKです。そうは言っても、電灯も暖房も布団も自動車もない時代の妻問婚の逢瀬は、実際、想像することすら難しいのですが・・・。ひょっとして返歌を贈られた平安の歌人たちが目を覚ましたりして!? できれば百人一首を踏み台にして、古典の世界に一気に飛び出してほしいと願っています。異空間の劇を見ているようで、それでいて私たちの祖先をぐっと身近に感じられるようになるはずです。伊勢物語なんか最高です。今日、助動詞の活用など難解で煩雑な文法の解説には全く触れず、現代語訳だけで十分に楽しめる本がたくさん出版されています。本校の図書館にもまぁまぁ揃っているようですし、読みたければリクエストすれば入れてもらえるはずです。
百人一首には格別の思い入れがあるので、今日はとんでもなく長くなってしまいました。ここまで読んでくださりありがとうございました。 【校長】 |
小倉百人一首競技大会 最優秀賞獲得
第38回熊本県高等学校小倉百人一首かるた競技大会が1月28日(土)に行われ、電気科2年の3名が出場しました。昨年は決勝戦でわずか1枚差で敗れてしまったので、今年は雪辱を果たすべく試合に臨みました。1試合目の練習試合では、昨年敗れた東稜高校Aに7枚差で敗れ、気を引き締めました。2試合目、真和高校A戦は40枚差、3試合目、矢部高校C戦は43枚差で勝利しました。4試合目の決勝戦は、1試合目に敗れた東稜高校Aとの試合でした。お互いに声をかけ合い、集中力を持続させて最後は10枚差で勝利し、最優秀賞を獲得しました。 今回出場した3名は、普段はソフトテニス部で頑張っています。1試合80分の4試合という長時間の中、日頃のソフトテニス部で培ったチームワークを発揮できたのが勝因です。
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すくすく園ボランティア
冬季休業中に行われた「天草地域療育センターすくすく園のボランティア」に参加した12名の生徒達にお礼の手紙が届きました。生徒達は楽しみながら頑張っていた様子でした。
すくすく園ボランティアに参加して(生徒感想)
すくすく園では10人程の小学生くらいの子ども達がいて、それぞれ割り振られた子ども達のお世話をしました。ボランティア内容は子ども達と遊具で遊んだり、お菓子作りをしたりする事で、子ども達と楽しく活動ができて良かったです。活動は3時間程度でしたが、園の先生方が優しく教えてくださったのであまり緊張せずに子ども達と遊べました。
またこのような機会があればぜひ参加したいです。
すくすく園でのボランティア活動は長期休業中にあります。また他にも子どもと触れ合うボランティアを募集中です。多くの生徒の参加を待っています☆
原付免許取得三者面談
本日は、1年生の生徒・保護者を対象に原付免許取得三者面談が体育館で行われています。生徒指導部の職員から本校の内規について説明があっています。本校では誰でも免許の取得はできますが、内規をしっかりと守るということが条件です。内規は命を守るために作られているものですので、しっかり納得した上で免許取得を考えてくれればと思います。
熊本県赤十字献血センター所長賞」(優秀賞)を受賞
1月24日(火)に、熊本県赤十字血液センターより事業部長の武藤様ほか2名の職員の方が本校を訪問され、校長室にて表彰状並びに副賞の授与式が行われました。受賞作品は、卒業後に天草を離れ独り立ちする覚悟を詠んだ次の句です。 古里を 出る覚悟持ち 霜を踏む
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大〆の授業 (^^♪
3年生は明日1月26日から学年末考査に入りますので、今日が高校最後の授業日になりました。先生・生徒共々、きっと感慨深いものがあるはずです。 私自身は、セレモニー的に行われていた大学教官の最終講義は別として、高校の最後の授業はほとんど記憶がありません。しかし、今でもその日の天気まで思い起こせるのが一つだけあります。それは国語の授業です。まだうら若い先生でしたが、人生についてしんみりと考えさせられる内容を最後の授業の教材にされました。伊勢物語の最終段(ついに行く道)です。この中に出てくる「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」を紹介して解説と鑑賞をされたのです。 これは「ちはやふる・・・」の百人一首で有名な在原業平(825~880)が、病気で伏せたときに詠んだ歌とされています。人は皆死ぬということは誰でも知っているわけですが、それがいよいよ自分の身になっての驚きと嘆きを詠んでいます。人が必ず行かねばならない道(死)なのだとは聞いて知っていたのだが、こんなにも突然その時がこようとは思いもよらなかったなぁ。人の明日はわからないものであり、そうしたことがあると分かっていたなら、また別の生き方もあっただろうに・・・といったところでしょうか。特に技巧がないので、今を生きる私たちが普通に読んでも分かりやすく、それだけに強い印象が残ります。 助動詞の活用とかが苦手で、いつの間にかなるべく関わらないようなっていた古文の授業の受け方を「時既に遅し・・・」と、この時ほど悔いたことはありませんでした。 そんな私も教職に就き、「やはり教師としては、最後の授業や最後の課外というのは生徒たちにとって後で思い出してもらえるくらい印象的であって欲しいものだ」と常々考えていました。どんな展開になるのだろうかと、いつもより緊張しながら職員室を出ていたことを思い出します。 以下の写真は教頭先生に撮ってもらった各科の最後の最後、6限目の大〆の授業の様子です。気のせいか、生徒たちはいつもよりしみじみと授業を受けているように思います。 M3A(家庭基礎 中野先生) M3B(課題研究:最後の点呼の様子) E3(実習:課題研究発表会) C3(土木施工 手嶋先生 テスト前の自習) そして、保護者の皆様方にとってはお弁当作り、本日が実質的に最後になりました。親子共々しんみりしたものがあることでしょう。大変お世話になりました。 【校長】 |
大寒の頃 (^^♪
冬の最も寒い時期を大寒というそうです。漢字を見ただけでもとても寒そうです。ニュースによると、暦の上での今年の大寒は修学旅行生が帰校した1月20日だったようです。 その春を迎える前に、「学年末考査」という関門が待ち受けています。そのような皆さん方に・・・
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【2年生】修学旅行団情報5日目17:20現在
1月20日(金) 17:20現在
修学旅行団は、学校に到着しました。
1月20日(金) 14:50現在
熊本空港に到着しました。ここ熊本空港で、解団式を行いました。
この後、熊本空港を出発して、学校へ向かいます。
1月20日(金) 11:30現在
羽田空港で出発を待っています。
1月20日(金) 10:25現在
1月20日(金) 9:40現在
修学旅行最終日は浅草寺仲見世通り散策から始まりました。
1月20日(金) 8:15現在
朝食の様子です。昨日までの疲れもありますが、元気に食べていました。
【2年修学旅行団】16:45現在
【2年修学旅行団】16:35現在
【2年生修学旅行団】16:15現在
その後、大矢野サンパールで途中下車、休憩です。
【2年修学旅行団】15:50現在
大矢野サンパールで途中下車、休憩となります。
【2年修学旅行団】5日目15:00現在
今後、途中の状況もホームページにアップします。
送迎のご協力よろしくお願いします。
【2年生】修学旅行団情報
家にお菓子やいろんなものが送られます。
明日の浅草観光が最後ですのでいろんな経験をしてきます。
【2年生】修学旅行団情報4日目12:10現在
自主研修中の生徒の様子です。楽しく過ごしているようです。
1月19日(木) 9:25現在
生徒たちは班ごとに、自主研修を行っています。
乗りなれない電車に乗るのも不安そうでした。
Suicaを購入して、恐る恐る「ピッ」して喜んでました。
1月19日(木) 7:20現在
朝食の様子です。
今日は自主研修が行われます。班別に行動し、19:30までにホテルに戻ってくることになっています。
初任者研修の教科研修が行われています
研修1は研究授業となっており、本校の浅野先生が「スポーツと経済」という内容の授業を視聴覚室にて行いました。生徒たちは、スポーツの経済波及効果について考えていきました。主にオリンピックを例に授業は進められましたが、熊本県でも2019年にはラグビーワールドカップや女子ハンドボール選手権が開催されることもあり、これらを例えにした話にも生徒は興味を示していました。
今後も終日研修2~4まで実施される予定です。
【2年生】修学旅行団情報3日目21:20現在
1月18日(水) 21:20現在
ホテルの様子です 。
1月18日(水) 20:40現在
修学旅行団はお台場に到18:30頃に到着しました。
これからお台場のダイバーシティでそれぞれが夕食をとりました。
買い物も楽しそうにしていました。
現在8時40分に千葉のホテルに着きました。
明日の自主行動に向けて本日は早く休みます。
1月18日(水) 15:40現在
修学旅行団は、バスで東京に向かっています。
車窓からの写真です。
1月18日(水) 14:30現在
スキー研修が終わりました。閉校式の様子です。
修学旅行団はこの後、日光市を離れて、東京(お台場)に向かいます。
そこで夕食をとり、20:50にホテル到着の予定です。
1月18日(水) 11:55現在
スキー研修2日目です。天気もよく、スキー日和です。
みんな上達が早く、リフトにも乗り、ゲレンデの上から滑っています。
修学旅行3日目現在
買い物も楽しそうにしていました。
現在8時40分に千葉のホテルに着きました。
明日の自主行動に向けて本日は早く休みます。
青年森林協力隊ボランティア
「青年森林協力隊を終えての感想」 情報技術科3年 藤川 司くん
私は今回、初めて「青年森林協力隊」に参加しました。主な活動は幼苗に巻きついた蔓切り、枝打ち、木材の集積など自分にとって初めて体験するものばかりでした。作業についての説明の中で、「林業はただ加工するための木を育てているだけでなく、日陰を作る雑木を切ったり、新しく木を植えることで森林の環境や生態系を守る役割も担っている」とおっしゃっていたのが印象的でした。
実際に作業をして、改めて自然の中で感じる心地良さや山を守っている林業の存在に気づくことができました。身近にある自然への感謝を忘れず大切にしていきたいと思います。
【2年生】修学旅行団情報2日目20:30現在
1月17日7(火) 20:30現在
1日の終わりは明日の計画を伝えるために、班長会議を行います。
班長は責任重大ですが、修学旅行団を支える要の仕事を頑張ってくれています。
1月17日(火) 12:25現在
午前中のスキー研修の様子です。
1月17日(火) 9:30現在
スキー研修が始まるようです。研修の前にクラス毎の写真撮影も行われました。
開講式も終わり、いよいよゲレンデに向かいます。
1月17日(火) 8:20現在
修学旅行2日目の朝を迎えました。
生徒たちは7:30から朝食をとり、更衣をして、スキー研修に向かいます。写真は朝食の様子です。
あまくさ自然学校ボランティア
今年は「初めての釣り!キャンプ」と「ピザ&スイーツ!キャンプ」がテーマでした。また来年が楽しみです。
【2年生】修学旅行団情報1日目20:00現在
1月16日(月) 17:10現在
19:15頃にすべての科がホテルに到着しました。
到着後、更衣や荷物の整理等を行い、ちょっと遅めの夕食を取っています。
1月16日(月) 17:10現在
修学旅行団は、栃木県日光市にある「いろは坂※」を走行しています。
秋には沿線の紅葉が美しい有名な場所ですが、今は写真の通り雪景色です。ホテルまではもう少しのようです。
※下り専用の第一いろは坂と登り専用の第二いろは坂に分けられ、この二つの坂に存在する48のカーブをいろは48音に例えており、
個々のカーブには音に対応する文字板が建てられています。二つの坂道はふもとと山頂でそれぞれ合流し、ふもとの馬返(うまがえし)から
中禅寺湖への登り方向を第二いろは坂と言い、「い」から「ね」までの20のカーブが、中禅寺湖から馬返への降り方向を第一いろは坂と言い、
「な」から「ん」までの28のカーブがあります。
1月16日(月) 16:40現在
修学旅行団は各クラス毎の施設見学、研修を終えて宿泊地に向かっています。
その車窓から見えた富士山です!!
1月16日(月) 15:40現在
J2はジブリの森美術館で、デザインアートについて学んだようです。
1月16日(月) 15:15現在
C2が東京ゲートブリッジ(左)、日本水準原点標庫(右)を見学している様子です。
他にも豊洲新市場や2020年東京オリンピック建設予定地を車窓から見学した模様です。
1月16日(月) 15:14現在
M2Bが東京メトロの車両整備を見学している様子です。
1月16日(月) 14:35現在
修学旅行団は各クラスに分かれて、施設見学を行っています。
M2AがJALの工場を見学している写真です。
1月16日(月) 10:45現在
修学旅行団はこれから飛行機に乗り込む模様です。
11:05分発のANA644便で羽田空港に向かいます。到着は12:40予定です。
【2年生】修学旅行団が出発しました!!
7:00からの出発式に備えて、2年生がまだ暗い早朝から登校してきました。本日も昨日に続き、大変寒い中でしたが、柔道場で凛とした雰囲気の中で出発式を行うことができました。 怪我なく楽しい思い出を沢山作って、帰ってくることを願っています。 |
【3学年】 みだしなみ講座
1月12日(木)LHRの時間を利用して、上記講座を開講しました。本校では、卒業後、全体の約8割が新社会人になります。TPOに合わせたスーツの着こなし、選び方のポイント、ネクタイの結び方の実演などを専門的な立場から、講師の方にお話をいただきました。
3年生から選ばれたスーツモデルの登場に会場は大いに盛り上がりました。モデルの生徒たちは、恥ずかしさの中にも、これまでとは違う自分を発見したようでした。
生徒を代表して土木科の佐々木智紀くんが「スーツの着こなしの基本を学ぶ貴重な機会になりました」とお礼の言葉を述べました。
修学旅行の荷物輸送が行われました
いよいよ来週の月曜日から2年生が修学旅行に出発します!本校では、事前に荷物だけ輸送して修学旅行を迎えます。それに伴い、本日は早朝から荷物の輸送が行われました。大きすぎるようなスーツケースを持ってくる生徒もいれば、小さなスーツケースにコンパクトにまとめている生徒もいたりと様々でした(^^)2年生の皆さんは体調管理に十分注意して、修学旅行を万全の体調で迎えられるようにしてくださいね!
どんどやに行ってきました (^^
本校同窓会長の江崎様から、「明日11時半から瀬戸小学校でどんどやをするから来られませんか」と1月6日(金)にお誘いを受けました。7日は特に何も予定がなかったので、「小学生以来何十年かぶりに、どんどやの炎を眺めて無病息災を祈るのもいいのかな・・・」と思って行くことしました。
「天工生も一人位来るかな・・・」と微かに期待しましたが、誰も来ずちょっと残念!古老が小学生に、「どんどやの火に当たると風邪をひかないよ」とか教えていましたので、皆さん方の分まで気持ちを込めて火に当たってきました。 ぜんざいを御馳走になって帰りました。 |
3学期がスタートしました!
始業式後には生徒会退任式・認証式が行われました。
まずは、生徒会退任式が行われました。この1年間、生徒会役員として活躍してくれた旧生徒会の皆さん、大変お疲れ様でした!各行事等の準備や委員会活動など大変なこともたくさんあったと思いますが、皆さんのおかげで何事もうまくいったのだと思います。ありがとうございました!!(^0^)/
次に生徒会認証式が行われました。今回、”いじめ対策委員会”が新設されましたが、これは生徒たち自身の手で”いじめを許さない取り組み”を行うために設置された委員会です。
本日認証を受けた新生徒会役員は計35名となります。天草工業高校をさらに良くしていくためにしっかり頑張ってくれると思います!活躍に期待しています!!
(^O^)屋外トイレ、土木科実習棟1階トイレ使用開始!!
県産材の杉材、ヒノキ材をふんだんに使用した明るく、清潔感溢れるトイレです。
生徒の皆さん、先生方、末永く大切に使ってくださいね。
【土木科実習棟1階トイレ】
*実習棟1階トイレは入り口でスリッパに履き替えてくださいね。
【屋外トイレ】
*屋外トイレは入り口のマットでよく靴の泥を落として建物内に入ってください。
年越しの準備が出来ました(^^)
来年も天工高にとって良い年でありますようにとの願いを込めて、
玄関入り口に吊るしました。
生徒諸君、保護者の方々、職員、地域の方々、世界中の人々が
2017年良い年でありますように!!
門松を飾りました!
学校は冬休みに入り、部活動や課外等で登校する生徒だけで、いつもより静かな校内となっています。今年も残り少なくなりました。そこで、もうすぐ新しい年を迎えるということで、本校職員で正門前に門松を飾りました。
ところで、なぜ門松を飾るのでしょうか? ちょっと調べてみました。
元々お正月とは、万事の始まりという意味合いがあり、お正月になるとわたしたちの一年を見守ってくださる“歳神様”と呼ばれる神様が、それぞれの家を訪れると考えられてきました。昔から歳神様が訪れた家には幸運が舞い降りると言われており、わたしたちは自分の家が歳神様を迎え入れるのにふさわしい神聖な場所だということを示し、歳神様が迷わずに自分の家に降りてきてもらえるようにと、目印として門松やしめ飾りなどの正月飾りを飾るようになったそうです。
また、門松は生命力・不老長寿・繁栄の象徴とされていた松の木を、長寿を願う貴族たちの行事を元に、平安時代の末から鎌倉時代にかけて広がったとも言われています。
年末に慌ただしく大掃除を行うのも、もともとは歳神様をお迎えするための礼儀として始まりました。今でこそ大掃除は、新年をキレイな家で気持ち良く迎えるためだとか、年が明けてから年始回りに訪れる来客のためだというふうに考えられているかもしれませんが、本来は歳神様をお迎えするためだったのです。そう考えると、大掃除もきちんとしないといけないのかもしれませんね。
今年も残り5日となりました。この1年間、皆様方には本校のホームページをご覧いただき、大変お世話になりました。また、来る平成29年もよろしくお願いします。
それでは、よいお年をお迎え下さい。
2学期が無事終了しました!
今回は少し長めの冬休みに入ります。ちょっと羽目を外しやすい時期でもあります。交通マナーに気をつけ、SNSの使い方にも気をつけ、楽しい冬休みにしてくれればと思います。
新年を新たな気持ちで迎え、3学期の学校生活も充実したものにできるようにしたいと思います(*^_^*)
2学期最後の表彰式が行われました
ソフトボール部 | 第11回全九州高等学校男子ソフトボール秋季大会熊本県予選会 | 準優勝 | M2A | 有田 海斗 | |
第35回全国高等学校男子ソフトボール選抜大会熊本県予選会 | 第3位 | ||||
第11回全九州高等学校男子ソフトボール秋季大会 | 優勝 | ||||
水泳部 | 平成28年度熊本県秋季選手権水泳競技大会 | 男子50m自由形 | 第2位 | J2 | 金子 奈希 |
男子50m平泳ぎ | 第2位 | ||||
男子100m自由形 | 第2位 | ||||
男子200m個人メドレー | 第2位 | ||||
ソフトテニス部 | 平成28年度全九州高校新人ソフトテニス熊本県予選大会 | 男子ダブルス | 第2位 | C2 | 田中 佑磨 |
E2 | 小川 和滉 | ||||
ハンドボール部 | 平成28年度第45回九州高校選抜ハンドボール選手権大会熊本県予選大会 | 男子の部 | 第4位 | M2B | 富永 聖也 |
土木科 | 第3回日本大学全国高等学校土木設計競技 | 優秀賞 | C2 | 草積 奈央 | |
平成28年度熊本県公立学校善行児童生徒 | C3 | 永田 健人 | |||
平成28年度学校保健及び学校安全表彰 |
海外インターンシップ報告会
1日目に行ったデトロイトのヘンリーフォード博物館では、産業・工業・生活に関わる歴史や人種差別について知ることができたそうです。
2日目には、平田機工のニューハドソン工場でロンド社長の話を聞くことができ、「何事にも興味をもつこと、何事にも怖がらないこと、心を広く持つこと」の3つが大切だということを教えていただけたそうです。
3日目には、シカゴ建築リバークルーズをしたそうです。トランプタワーやコーンタワーなど多くの建物を見ることができたそうです。また、近代建築の三大巨匠と呼ばれるフランクロイドライトの自宅兼スタジオを見学し、こだわり抜いた自宅を見ることができ刺激になったそうです。シカゴ科学産業博物館では、第二次世界大戦と人体の世界のブースを主に見たそうです。科学と人類の進化について学べ、命の尊さについても考える機会になったそうです。
4日目には、ボーイング社エベレット工場を見学したそうです。日本とは違いすぎるほどの工場の大きさに驚いたそうです。工場では一度に20機作れると聞き、世界規模を実感したそうです。
5日目には、リンドバーグ高校とマイクロソフト社の見学をしたそうです。私服で実習を行う様子を見て、日本の高校との違いに驚いたそうです。マイクロソフト社では、日本人社員の高松様より、「考えることをやめないことが大切」という話を聞くことができたそうです。
この海外インターンシップで多くのことを学び、見て、感じてこれたようです。報告を聞いていた生徒たちも新たな刺激になったのではないかと思います。
とても立派な発表でした。梅田君ありがとうございました!
年末年始の交通事故防止運動出発式に参加しました
式は本渡中学校空手道部による見事な演舞で始まり、最後に白バイ隊員を先頭にしたパトロール出発で終了しました。参加した生徒たちも交通安全に対する意識を高めることができました。
【亀川寮】クリスマス会
【亀川寮】クリスマス会
12月20日(火)の夕食はステーキ、夜令の時間帯には毎年恒例のクリスマス会が開催されました。寮長、副寮長を中心にビンゴゲームが行われ、ささやかな景品や図書カード、おやつが配られました。終始、和やかな雰囲気の中にアットホームな楽しさがあり、最後には全員ショートケーキをもらって各部屋へ戻りました。
クラスマッチの結果報告です!
☆結果☆
総合優勝 1年 機械科1年B組
2年 電気2年
3年 機械科3年A組
クラスマッチが行われます!
クリスマスをお題にした折句 (^^♪
3日前、出張で熊本に向かっていたら、ラジオから「クリスマスをお題にした折句を募集します」と聞こえてきました。「えぇ?折句ってラジオで普通に募集するほど有名で、そんなに簡単にできるの?」と半信半疑で聞いていました。生徒の皆さんは「折句」を知っていましたか? この場合、簡単に言えば、五七五七七のそれぞれの頭にクリスマスという5文字を折り込めというものです。その番組では次の一首を例示していました。
薬指 リングをそっと 滑らせて まだあと5分 少し泣きたい
くすりゆび りんぐをそっと すべらせて まだあとごふん すこしなきたい
このリング、どちらに滑らせているのでしょうか?外す方向なら何ともやるせない歌だな~とか思いつつ、そういえば、俵万智さんの短歌集の中にも一首、折句が紹介してあったことを思い出し、帰ってから本を引っ張り出しました。次の歌は田中章義さんという十代の歌人の予備校時代の作品なんだそうです。
クリスマスりんりん響く鈴の音を全く無視してスタディーハード
キーワードを隠すたわいもない言葉遊びのようですが、いざ作るとなるとそれがどうしてとても難しいのです。高校の時、伊勢物語の中で折句を学んだ際に、恋の機微にすっかり高揚した大学出たての若い先生が「なつやすみをお題にした折句の歌を作ってらっしゃい」と宿題にしたので、やってみたことがあります。
……ん~。………んっ!?……ん~ん。………はぁ
といった感じで、2~3時間格闘しましたが結局できませんでした。
折句に限らず、すべての仮名を一文字ずつ使ったいろは歌やショパンの黒鍵のエチュード(右手がピアノの黒い鍵盤だけを弾く曲)もそうですが、こういう技巧がすらすらできる人って一体どういう頭をしているんだろうとホントに感心・感服してしまいます。だから、ラジオでアナウンサーが「いつでもどこでも、眠れない時、眠りながら、歩きながら、雨を見ながら、待ち合わせの間にも作れますよ!」と、いとも簡単な感じで喋っておられるのを聞き、「本当かな~?」って思った次第です。
ところで、私の「折句」との出会いは、前述のように平安時代きってのプレイボーイ、在原業平の自伝的物語とされている伊勢物語の授業中です。ネットで改めて調べてみたらまさしく次のようなお話で、それを習った頃の教室の匂いまで懐かしくよみがえりました。
昔、ある男(=在原業平とおぼしき主人公)が都への未練を残しつつ関東の方への旅を続け、三河の八橋(今の愛知県知立市のあたり)に着いた。その沢のほとりの木蔭に馬から降りて座って、乾飯(かれいひ:水やお湯で戻して食べるドライライス)を食べた。 その沢に、かきつばた(菖蒲やあやめに似た植物)がとてもきれいに咲いていた。それを見てある人が、「かきつばたという五文字を各句の頭に置いて、旅の心情を詠みなさい」と言ったので、男が次のような歌を詠みます。
からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ (現代語訳:着て馴れ親しんだような妻が都に居るものだから、はるばるとこんなに遠くまで来てしまった旅を悲しく思うのです)
最後に、乾飯の上にポロポロと涙が落ちて、乾飯はふやけてしまったのだった、という何とも切ない落ちまでつくという物語です。 「切ない」で思い出しましたが、クリスマスの俳句として次の句を新聞の歌壇面で目にし、「そういうこともあったよな・・・」と中島みゆきの「時代」よろしく胸が一杯になったことがありました。
行くあての ないクリスマス 髪を切る
HPバナーでは、クリスマスの贈り物やメッセージ交換が話題になっていましたが、皆さん方もクリスマスにちなんで、折句に挑戦するなり、一句ひねって恋心を歌に託して相手に贈ってみませんか。 そうそう、作った句は今のあなたの青春の一頁です。大事に保管しておきましょう。 |