校長室からの風

2学期の終業式を迎えて

 2学期の終業式を迎えるにあたり、振り返ってみるとこの9月から10月にかけてラグビーワールドカップがわが国で開催され、ラグビーブームが巻き起こったことが思い出されます。にわかラグビーファンとなり、テレビ中継放送に見入った人も多かったのではないでしょうか?私は試合の面白さはもちろんですが、日本代表チーム構成メンバーに興味を惹かれました。日本代表チーム31人のメンバーには外国出身選手が15人。およそ半数です。ニュージーランド、南アフリカ、トンガ、韓国、オーストラリア、サモアなどの出身です。

 ニュージーランド出身で日本国籍を取得した主将、リーチ・マイケル選手は「このチームの良さは多様性だ」と表現しました。様々な言語と文化を背景に持つメンバーは、チーム内でお互いを理解し合い、結束力を高めていきます。生まれや育ち、文化的背景の違いを乗り越えて結束力を高めていったところに、ラグビー日本代表チームの強さがあったということでしょう。

 さて、多様性という言葉が出ましたが、私はつねづね御船高校の魅力は「伝統と多様性」だと思っています。伝統は、大正、昭和、平成、令和と変わらずこの地にあって地域の方から親しまれていることです。多様性は、電子機械科、芸術コース(音楽・美術・書道)、そして普通科の特進、総合のクラスがあり、それぞれ特色ある学び合いが行われていることです。皆さんの出身中学校は30校を超えており、この学び舎で多くの出会いがあります。

 「生物多様性」という言葉があるように、森も多くの種類の樹木があるほど健やかで強いそうです。御船高校は、個性豊かな生徒がたくさん集う人材の森のような学校でありたいと思います。

 午前9時から体育館で、表彰式、そして2学期の終業式を執り行いました。寒気の漂う体育館でしたが、節目の行事にふさわしく心身とも引き締まる思いがしました。そして、9時45分から大掃除に全校挙げて取り組みました。校庭で帚を持つ生徒たちの表情もどことなく解放感があるようで、晴れやかです。冬休みの楽しみを尋ねると、異口同音に「お年玉」と返ってきました。御船町在住の女子生徒は、地元の若宮神社(御船川沿い)に家族で初詣に行くのが慣習と答えてくれました。

 明日から冬休みです。生徒の皆さん、新年1月8日の始業式でまた会いましょう。令和元年も残り一週間。よいお年を。

 

 

 

提言する力を養う ~ 1学年「総合的な探求の時間」学習発表

   体育館で一斉に各グループのポスターセッションが始まると、活気が会場に溢れました。12月20日(金)の午後、1学年「総合的な探究の時間」(以下、略して「総探の時間」と云う)の学習発表会を開催しました。各クラスから2グループを生徒たちの相互評価で選出し、学年代表の12グループが体育館の各所に分かれ、「自分たちが住んでみたい町」のテーマで発表したのです。

 今年度の1学年の「総探の時間」は、1学期に上益城郡の産業や伝統文化を知る活動を行いました。それを踏まえ、2学期は自らが住む地域について知り、住みやすい、あるいは住んでみたい「まち」を考える学習に取り組みました。9月下旬には、実際に御船町でまちづくりに取り組んでおられる役場、観光協会、商工会の方をゲストティーチャーとして迎え、クラスごとにお話を聴きました。そして、御船町の課題に気づき、高校生なりの課題解決に向けた提言づくりを始めたのです。

 「総探の時間」は週に1時間しかありません。しかも、2学期は学校行事が多く、各グループで十分に調べ、課題解決に向けた学習の余裕はありませんでした。しかし、それでも高校1年生なりに提言することが大切だと考え、敢えて2学期の最後に発表会を設けたのです。9月のゲストティーチャーの方達をはじめ御船町議員さんや町おこしの団体の方など十五人ほどお見えになり、関心の高さがうかがえました。

 生徒たちの提言内容は、次のようなものでした。

・ 安全なまちづくりの観点から町中にグラデーションの街灯設置
・ 御船町キャラクターマスコットの「ふねまる」型のロボットをつくり、清掃及び防犯監視の機能を    持たせる

・  高校生が小グループをつくり一人暮らしのお年寄りを訪問し交流する
・ 町に小児科がないので小児科を誘致
・ 町を舞台とした映画製作 など 

 提言を聴かれた町の関係者からはやはり大人のご指摘、ご意見がありました。「費用対効果を考えていない」、「実際に町を歩いておらず、机上のプラン」、「自信がないのか、発表の声が全体的に小さい」などです。一方、「これらの提言の中から一つでも学校と町が協力して実現させよう」という声もありました。そして、全員の方から「このような取り組みを御船高校が始めてくれることを待っていた。」との歓迎の言葉を頂きました。

 県立高校とは言え御船町にある学校です。次代の地域社会を担う人材を養う使命が学校にはあります。コミュニティスクールとしての御船高校にご期待ください。 

 

「水」は先人からの贈り物

 先日、図書室を訪ねたところ、「冬休みに生徒たちに読書に親しんでほしい」という司書の先生の思いで、ライトノベルだけでなく、様々なジャンルの書籍がお勧め本コーナーに並べられていました。その中に、徳仁(なるひと)親王の著作『水運史から世界の水へ』がありました。平成31年4月にこの本が刊行され、翌月、徳仁親王は令和の新天皇として即位されました。学生時代から水運史を研究されてきた天皇陛下は、21世紀の世界の平和と繁栄は水問題の解決にかかっていると述べられ、水問題に強い関心を持たれています。そして、限りある水を「分かち合う」知恵の実践事例として江戸時代の明治(めいじ)用水(愛知県)や三分一湧水(さんぶいちゆうすい)と呼ばれる分水施設(山梨県)を紹介されています。

 『水運史から世界の水へ』を読みながら、12月4日にアフガニスタンで銃撃され非業の死を遂げた中村哲医師(享年73)のことを考えました。長年、パキスタンそしてアフガニスタンで人道支援に尽力されてきたペシャワール会代表の中村哲医師は福岡県出身ということもあり、熊本県でも講演を幾度もされています。20年ほど前、当時勤務していた高校の生徒達と共に熊本市でご講演を聴く機会に恵まれ、過酷な環境のもと信念を貫く姿勢に感銘を受けました。

 中村哲医師は、清潔な水がない悪質な衛生状態での医療活動に限界を感じます。また貧困問題の原点は水不足であることに気づきます。そして「100人の医師を連れてくるより、一本の用水路を作る方が多くの人を助けることができる」と考え、アフガニスタンの荒涼とした砂漠地帯での用水路建設事業に着手したのです。この用水路工事に当たって参考にしたのが、福岡県朝倉市の山田堰(やまだぜき)でした。江戸時代後期、大小の石を水流に対して斜めに敷き詰めることで筑後川から水田に水を引くことに成功した山田堰の手法を見習い、取水口の難工事を克服しました。そうして20㎞を超す長大な用水路を完成させ、周辺の砂漠を緑の農地に一変させました。

 ここ御船町にも江戸時代の用水路の遺産が継承されています。この「校長室からの風」で以前紹介しましたが、吉無田水源から水を引いた嘉永(かえい)井手です。幕末の木倉手永の惣庄屋の光永平蔵(みつながへいぞう)は、総延長28㎞に及ぶ大水路(用水路)の難工事を指揮しました。6年を要し竣工したこの難事業には地域の村々から農民が動員されました。重機もない当時、人力に頼った水利土木工事がいかに過酷なものであったか想像するしかありません。長い水路の途中、田代台地では873mものトンネルが穿(うが)たれました。「九十九(つづら)のトンネル」として今も顕彰されています。

 わが国の温暖湿潤気候とアフガニスタンのような砂漠地帯では条件は大きく異なりますが、江戸時代の先人の水利事業に対して改めて敬意を表します。

 水道の蛇口をひねればおいしい水が潤沢に出てくる生活に慣れた私たちですが、世界には安全な飲料水に恵まれない人々、干ばつで農業用水が不足し飢饉に苦しむ人々がいます。わが国の「水」は先人からの贈り物であることを忘れてはならないと思います。 

 

舞台で輝く瞬間 ~ 御船高校芸術コース音楽専攻発表会

    プログラムのフィナーレ、3年生の青山さんのピアノ独奏「渚のアデリーヌ」、そして平野さんの独唱「ああ愛する人の」は聴衆の胸を揺さぶるものでした。舞台で演奏する青山さん、歌う平野さんの姿は輝いて見えました。

 12月17日(火)、午後6時半から御船町カルチャーセンターにて「御船高校芸術コース音楽専攻 演奏会」が開かれました。音楽専攻は、3年が2人、2年が4人、1年が5人の計11人在籍しており、前半は11人全員がそれぞれ独奏、独唱を披露しました。そして、後半は卒業学年の3年生の二人の演奏、独唱が中心の構成で、途中、1・2年生の9人でアンサンブル演奏「美女と野獣」で会場の雰囲気を盛り上げました。

 3年生の青山さんはピアノ、平野さんはソプラノ独唱が専門ですが、プログラムの中では二人でピアノ連弾に挑戦し、息の合ったところを見せました。そして、プログラム終了後に二人で舞台に立ち、3年間の高校生活を振り返っての感謝の言葉を述べました。「音楽は時間の芸術」と言われます。他の美術・デザインや書道のように作品が残りません。その瞬間、瞬間に音や声は生まれては消え、二度と後戻りができません。瞬間の創造に賭ける集中力と日頃のレッスンの繰り返しが求められる芸術です。

 3年生の二人の舞台での輝きは、これまでの長い努力の時間が生み出したものです。そのことが尊いと思い、私自身も熱いものがこみあげてきました。

 卒業演奏会を兼ねた芸術コース音楽専攻発表会は心温まる余韻を残し閉幕しました。本校の芸術コースは平成16年(2004年)に設立され、今年で15年を迎えます。九州唯一の音楽大学である平成音楽大学が同じ御船町にあることが何よりの強みで、大学の先生方からご指導を受けたり、同大オーケストラの定期演奏会に出演させていただいたりと特別な学びができます。御船町は、恐竜の化石発掘で有名ですが、美術の町であり、音楽の町でもあるのです。現在の音楽専攻1年生の5人は自分たちで御船町の応援ソングを作詞、作曲したところ、町役場の商工観光課から応援していただき、ミュージックビデオ作製にまで至りました。

 本校の音楽科の岡田教諭は「芸術(音楽)は心の栄養」と語ります。また、前村講師は「音楽は最高のコミュニケーションツール」だと言います。芸術コース音楽専攻発表会では中学生の姿が観客席で目立ちました。御船高校芸術コースで好きな音楽を存分に学びませんか?皆さんの入学を待っています。

 

世界大会の臨場感 ~ 女子ハンドボール世界大会の学校観戦

  「2019女子ハンドボール世界選手権大会」が大詰めを迎えています。この週末に決勝が行われ、世界女王が決まります。半月前にこの「校長室からの風」で触れましたが、1997年(平成9年)に熊本県で「男子世界ハンドボール世界選手権大会」が開催されており、22年ぶりにハンドボール世界大会と私たちは再会できたことになります。御船高校は、生徒たちにスポーツの世界大会を体験させるべく、2回に分け学校観戦を実施しました。

 12月9日(月)、1年生を引率してパークドーム熊本(熊本市)に赴きました。12時30分からオーストラリア対中国の試合観戦です。当日は、小中学校、高校、特別支援学校等、四十数校の学校が来場しており、その中で御船高校はオーストラリアを応援しました。そして、二日後の11日(水)、2、3年生による学校観戦は、ロシア対スペインの強豪国同士の試合でした。優勝候補のロシアの好守にわたるパワフルなプレーは圧巻でした。本校はロシア応援であり、ロシア国旗の小旗を数多く用意し持参し、得点の度に生徒たちが小旗を振り声援を送りました。

 世界大会レベルのスポーツをライブで観戦できるまたとない機会に生徒たちは恵まれ、幸運だったと思います。インターナショナルな会場の雰囲気、試合前のセレモニー(各国の国歌斉唱、選手紹介等)への敬意など、その場に実際に参加することでしか得られない体験でした。そして、何といっても世界トップレベルのプレーに魅了されたことでしょう。

 ハンドボールは「走る、跳ぶ、投げる」のスポーツの3大要素がすべて含まれ、スピード感あふれる激しい攻防が絶え間なく続きます。球技の格闘技との異名も持ち、「ファウルではないか」と観ていて思うほどの迫力あるぶつかり合いが演じられます。歓声とどよめきが交錯し、観戦していて前後半それぞれ30分間が短く感じられました。多くの生徒がハンドボールのルールもわからないまま観戦したのですが、「面白かった!」とみな笑顔でした。

 22年前の男子大会同様、今回も熊本県単独での世界大会開催でした。会場に足を運んだ生徒の皆さんは、実に多くの人々が大会運営に当たっておられる様子を目の当たりにしたと思います。その中には、御船高校教職員の今田先生、渡部先生もいます。お二人は、大会組織委員会から競技役員として依頼を受け、大会期間中、大会運営に献身的に尽力されています。

   このような縁の下の力持ちのような多くの人の存在が、大会を支えているのです。このことを生徒の皆さんには気付いてほしいと思います。

 

「好き」の力を信じる ~ 御船高校芸術コース発表会

 御船高校には音楽、美術・デザイン、書道の三つの専攻からなる芸術コース(普通科)があります。熊本の県立高校では唯一の音・美・書の三領域そろった芸術コースです。各学年の4組がそれに当たり、66人の生徒が在籍しています。オンリーワンを目指す、きらきらと個性輝く生徒たちが集まっており、それぞれが好きなアート制作に取り組んでいます。現在、この芸術コースの発表会が行われているのです。

 美術・デザイン専攻と書道専攻の作品展を12月10日(火)から15日(日)まで熊本県立美術館分館4階展示室で開いています。昨日12日(木)に私も会場に赴きました。会場には、伸びざかりの表現力の結晶である作品群が並び、壮観で圧倒されます。

 会場の一角では、ホラーの短編映画が上映されています。7分の短い映像作品ですが、学校を舞台とした学園ホラー映画には高校生の感性が色濃く反映されています。出演者は本校生及び教職員です。御船高校の美術・デザイン専攻では、3年生で選択科目「映像表現」(2単位)があり、この科目履修生によって制作された短編映画なのです。このような「映像表現」科目を選択できる高校は県内には他にはありません。

 昨日は、3年生美術・デザイン専攻の3人の女子生徒が会場受付を担当していました。3人とも口数が多い生徒ではなく、どちらかというと内向的な性格かもしれません。しかし、彼女たちの作品は誠に雄弁です。自らの内なる声を表現したいというエネルギーが作品に満ち溢れています。創られた作品は、その人の身体の一部のようなものだと感じます。

 高校進学の時点で、芸術コースを選ぶ生徒は多くはありません。しかし、自らの「好き」という気持ちを拠りどころとして、少数派としての誇りをもって入学してきてほしいと思います。御船高校芸術コースは、自分の「好き」を磨き伸ばす場所です。スポーツであれ、文化活動であれ、自分自身が心から好きなことに熱中することは自己肯定感につながると思います。

  「A I」の時代を迎えた今だからこそ創造力や感性が求められる、と本校の芸術コースの職員たちは述べています。芸術コースの真価が問われる時が来たと言っていいでしょう。

 美術・デザイン専攻と書道専攻の作品展(県立美術館分館)は12月15日(日)までです。また、音楽専攻の発表会は12月17日(火)の午後6時30分から御船町カルチャーセンターで開かれます。どうか足をお運びください。

         

 

 

 

謎の八角形洞門 ~ 廃線遺構を訪ねて

   その絵を見たとき、描かれた場所がどこであるか見当がつきました。久しぶりに訪ねてみたいと思いました。その絵、本校美術・デザイン専攻3年の邑山(むらやま)君の油絵「昼下がりの洞門」を見たのは1学期の6月でした。この絵は第82回銀光展の文林堂賞を受賞した秀作です。山中の八角形コンクリートの遺構に光が当たって浮かび上がっている情景です。「ここはいったいどこなのだろう?」と周囲の職員がいぶかしがる中、私には思い当たる所があったのです。

 11月後半の休日、思い立って出かけました。御船高校から妙見坂トンネルを通り甲佐町に抜け、国道443号を南下し美里町に入り、小筵(こむしろ)の交差点近くの脇道を津留(つる)川沿いに下ると釈迦院(しゃかいん)川との合流地点に出ます。ここには江戸時代末期から大正、昭和初期に至る異なる時代の五つの石橋が架かる「二俣五橋」(ふたまたごきょう)があります。緑川水系には通潤橋(つうじゅんきょう)、霊台橋(れいたいきょう)といった国重要文化財指定の大規模な石橋をはじめ数多くの石橋があることで知られていますが、ここ「二俣五橋」も必見です。しかし、今回はここが目的地ではありません。自動車で行けるのはここまでで、あとは徒歩です。

 「二俣五橋」から津留川の右岸に渡り、山の斜面の細い道を上ります。幸い、フットパス(「歩く小径」という意味)として美里町によって整備されています。細い道を上りきると、車一台が通れるような平らな道が山腹につながっています。もちろん道路ではなく車は通れませんが、フットパスとして草も刈られ、歩きやすいものです。津留川の清流を右手に見下ろし、里山の風景がまことに目に優しく、心地よい道です。山中にどうしてこのような幅広い道があるのでしょうか?ここをかつて鉄道が走っていたと知ると合点がいくと思います。

 かつて大正時代から昭和中期まで、熊本市(南熊本駅)から上益城郡の嘉島、御船、甲佐を通り、下益城郡の砥用(ともち)まで熊延(ゆうえん)鉄道という私鉄が走っていました。九州山脈を越え宮崎県延岡市まで結ぶという雄大な構想は実現せず、モータリゼーションの波で昭和39年(1964年)に廃線になりました。廃線から半世紀を過ぎ、乗車経験のある方も少なくなりました。

 山中の平坦な道を五分も歩くと、邑山君が描いた洞門が見えてきます。八角形のコンクリート遺構が等間隔で7基連なっています。鉄道のトンネルであれば半円筒形でなければならないはずですが、間隔が空いており中途半端な構造となっています。その理由はいまだよくわかっていません。

 廃線となった鉄道遺構は寂しくも映りますが、この地域の近代化を支えた遺産であり、時代の証人とも言えます。邑山君はよく注目したと思います。

 歴史を知ると、見えないものが見えてくると思います。

   二俣五橋の風景      旧熊延鉄道線路跡      旧熊延鉄道トンネル跡

「走る、ひたすら走る、ゴール目指して」 ~ 第87回御船高校長距離走大会

 

    数ある学校行事の中で、生徒たちに最も歓迎されない行事が「長距離走大会」でしょう。長距離を走ることが得意だという人は少ないうえに、「きつく、苦しい」、「ただ走って何になる?」と生徒たちの不満は多いものです。しかし、長距離走大会は、生徒たちの心身に負荷をかける鍛錬行事です。鍛錬行事は近年の学校行事では少なくなり、長距離走大会(持久走大会)や強歩会などが各学校で実施されている状況です。

    御船高校の長距離走大会は、昭和7年(1932年)に始まり、旧制御船中学校以来続く伝統行事です。時代を超えて受け継がれてきたということは、成長期の若者に必要な行事であることを示していると思います。

    12月7日(土)、第87回御船高校長距離走大会を実施しました。男子は午前10時スタートでコース距離11.8㎞、女子は10分後にスタートし9.5㎞走ります。学校を出て国道445号を嘉島町方面に向かい、途中から田畑の中の農道に入り、高木地区のだらだら坂を上り、益城町から伸びてきている国道443号に出て学校へ帰ってくるコースとなります。

    全校生徒528人中、492人が参加しました。健康状況等で参加できない生徒は運営スタッフとして記録等の業務に当たってくれました。また、大勢の保護者の方々が、豚汁の炊き出し班とコース各ポイントでの交通安全見守り班に分かれご協力いただきました。師走らしい曇天で気温は低めでしたが、里山の集落の昔ながらの道や農道では、保護者や地元の皆さんの温かい声援を受け、492人全員が完走を果たしました。私はスタート地点、そして移動しながら2か所で応援し、最後はゴール地点で生徒たちを出迎えましたが、あらためて御船高校生のたくましさ、底力を感じました。

    社会は変化しても、学校での体育的鍛錬行事は意義があると私は思います。「きつい」と生徒たちが感じている時、身体と体が鍛えられているのです。スタート前は不安な表情を浮かべる生徒たちもいましたが、走りぬいてゴールした後、生徒たちはみな清々しい表情でした。何にも代えがたい達成感を味わったことでしょう。

   走る、ひたすら走る、ゴール目指して走る、ただそれだけのシンプルな行事ですが、きっと青春の特別なひとこまになったと思います。

 

「未来のための金曜日」講演会

 

 「未来のための金曜日」講演会を11月に2回開催しました。8日(金)に徳永明彦(とくながあきひこ)同窓会長(ダック技建(株)代表取締役)、そして29日(金)に熊本市の遠藤洋路(えんどうひろみち)教育長をお招きしました。

 徳永同窓会長は、「希望ある社会人」の演題で、御船高校卒業後に福岡県で就職して、やがて北九州市で会社を興され今日に至る半生を力強く語られました。高校時代は英語の勉強が苦手だったそうですが、大人になったら海外旅行をすることが夢で、それを実現し世界40か国を訪問されています。しかし、いまだに英会話が苦手で、生徒たちに英語の勉強の大切さを強調されました。また、学校と社会の違いの例として、学校の試験問題は正答が用意され、簡単な問題から解いていけばある程度の成績は得られるが、社会では正答がわからないうえに、難しい問題を解決しないと前へは一歩も進めない状況があると述べられました。

 遠藤教育長は、もともとは埼玉県のご出身で、文部科学省に入られ、その後公務員を辞して起業され、そして現在は政令指定都市(人口74万人!)の教育行政の最高責任者という重責を担われています。演題は「人生に正解はない」です。文科省からハーバード大学に研修留学に派遣され、得意と思っていた英語が通じなかったことや、毎日のゼミナール講義で進んで意見が言えず挫折感を覚えたこと、さらには闘病生活の体験など人生がいかに予測不可能なものかを切実に語られました。「人生に正解はない、のであれば、人生に不正解はありますか?」と最後に生徒から質問が寄せられました。それに対して、遠藤教育長は、「人生とは自分で決断して生きていくもの。だから、不正解があるとすれば、それは他人任せの生き方だと思う。」と明快に答えられました。

 「将来の夢」というものを持ちにくい時代になったと言われます。なぜなら社会の変化があまりに激しく、未来を予測することが不可能だからです。しかし、徳永同窓会長も遠藤教育長も、社会の変化に主体的に対応され岐路では自ら決断し、ダイナミックに人生を切り拓いてこられたことがわかります。

 これから地図なき進路に歩みだす生徒の皆さんにとって、未来を考える時間になった二つの講演会でした。「未来のための金曜日」になったと思います。

   

   徳永同窓会長の講演         遠藤教育長の講演

再び、世界大会が熊本で ~ 「女子ハンドボール世界選手権大会」開催

 私は35歳でした。福島譲二知事の時でした。1997年(平成9年)、熊本県で「男子ハンドボール世界選手権大会」が開催されました。当時勤務していた県北の高校の生徒たちを引率し、メイン会場のパークドーム熊本(熊本市)で試合を観戦しました。確かロシアとフランスの対戦だったと記憶していますが、定かではありません。とにかく、迫力あるプレーに圧倒されました。2m近い大男たちが走り、跳び、投げるのです。躍動的で力強いハンドボールの醍醐味に生徒、職員ともに魅了されました。また、世界大会のインターナショナルな雰囲気にも包まれて、得難い体験となりました。

 そして、今年2019年(令和元年)、「女子ハンドボール世界選手権大会」が熊本県で開催されるのです。来る11月30日(土)から12月15日(日)まで、24か国のチームが参加し、全96試合が熊本市、八代市、山鹿市にある5会場で行われます。大会のキャッチフレーズは「Hand in Hand ~ 1つのボールが世界を結ぶ」です。勝利への思いを込めた1つのボールが手から手へつながり広がっていくように、世界中の選手や応援する人々の間に、国境を越えた人の輪が作られていくことを願ったキャッチフレーズです。

 さて、日本中に感動を与えた「ラグビーワールドカップ2019」(9/20~11/2)はまさに国を挙げて開催したものです。それに対して、「女子ハンドボール世界選手権大会」は熊本県単独で開催します。22年前の「男子ハンドボール世界選手権大会」も県単独開催でした。もともと熊本県はハンドボールが盛んな土地柄ですが、それにしても世界大会を県単独で開くことは壮挙だと思いませんか。男子大会に続いて、再び女子の世界大会開催に挑む熊本県の志の大きさを生徒の皆さんに知ってほしいものです。そして、世界大会レベルのスポーツをライブで観戦できるまたとない機会に生徒の皆さんは恵まれます。

 期末考査が終了する12月2日(月)の午後、体育系部活動の希望者がメイン会場のパークドーム熊本でアルゼンチン対ロシア戦を観戦します。さらに、12月9日(月)に1年生全員、12月11日(水)に2、3年生全員がパークドーム熊本へ観戦に行く予定です。きっと世界大会の臨場感の中、ハンドボールのスピード感、迫力に惹きつけられることでしょう。

 11月30日(土)の開幕まであと少しです。チケット販売をはじめ大会前の盛り上がりに欠けているとの声も聞かれますが、私は心配していません。熊本県民の気質を考えると、いざ大会が始まれば必ず感動と興奮の輪は広がっていくと思います。22年前もそうだったからです。

 

地域と共に ~ 御船町災害ボランティアセンター設置運営訓練

 11月24日(日)午前、御船高校体育館を会場に「御船町災害ボランティアセンター設置運営訓練」を実施しました。主催は御船町社会福祉協議会で、御船高校は会場提供をはじめ積極的にこの訓練に関わりました。

 3年半前の熊本地震の時、多くの住民の方達が本校に避難してこられました。当時、対応に当たった職員は、学校は地域、コミュニティの拠り所であることを痛感したと語っています。県立高校といえども学校所在の地域の方々の支えなくしては成り立ちません。長い間、地元住民の方々に応援され、愛されて学校の伝統がつながっているのです。

 今回の訓練のお話が御船町社会福祉協議会から提案された時は、多くの生徒たちを参加させたいと考えました。ところが、当日は商業の検定試験と重なったうえ、11月27日(水)から2学期期末考査が始まるということで、ボランティア参加が25人に留まりました。しかし、この生徒たちは定期考査前にも関わらず自ら進んで参加しており、きっと近い将来、それぞれの地域の防災の担い手に成長してくれることでしょう。

 午前9時、「災害ボランティアセンター」の開所宣言から始まり、地元住民の方や御船高校生が災害ボランティア役として受付に集合しました。そして、オリエンテーションを受け、どんな仕事がありどんな人が何人求められているのかを知り(マッチング)、グループごとリーダーを決め、土嚢(のう)のひもを縛る体験やアルファ米による炊き出し訓練等が展開されました。生徒代表の3年生の野仲君(前生徒会長)は町福祉協議会スタッフの手伝いに回り、オリエンテーション係として落ち着いて地元住民の方にボランティア活動の注意点を説明していました。

 訓練はおよそ2時間で終了しました。ちょうど訓練中に雷雨となり、体育館から外に出ることができず、完全に屋内での訓練となりましたが、まるで災害を想像させるような悪天候は、訓練に緊張感を与えたと思います。地元住民の方たちをはじめ訓練のお手伝いにこられた上益城郡の各町、そして熊本市の社会福祉協議会の皆さんとも生徒たちは交流の機会を得ました。中には、「御船高校には初めて来ましたが、生徒の皆さんとお話して、中学生の息子を御船高校に入学させたいと思いました。」というような有難い感想を伝えられる関係者もいらっしゃいました。

 御船高校は大正、昭和、平成、令和とこの地にあって地域に支えられてきました。これからも地域と共に歩んでいきたいと思います。

 

御船高校への期待 

    秋も深まり、11月も後半となってきました。中学3年生の皆さんの進路志望が最終決定となる時期です。御船高校では、11月21日(木)、上益城郡内をはじめ各中学校の進路指導担当の先生方に集まっていただき、令和2年度生徒募集の概要説明および募集要項(願書含む)の配布を行いました。説明会はセミナーハウスで実施したのですが、会に先立ち、隣接の電子機械科実習室に中学校の先生方を案内し、生徒の学習、部活動の成果の一部を見学していただく機会を設けました。

 実習室では、芸術コース美術・デザイン専攻、そして書道専攻の生徒たちの作品を展示し、それぞれ専攻の生徒が作品解説を担当しました。また、マイコン制御部のロボット班によるロボット操作実演、そしてマイコンカー班によるマイコンカーの走行実演も生徒たちが行いました。見学された中学校の先生方は大変興味、関心を示され、生徒への質問や感想を述べられました。中には、出身中学校の生徒との再会もあり、「中学生の時に比べ、あまりに成長しているので驚きました!」と感激されている先生もおられました。

   御船高校は、モノづくりの面白さを追究する電子機械科、音楽・美術・書道を通じて創造力を養う芸術コース、多様な教科・科目を学びながら自らの進路を見つけていく普通科(特進クラス・総合クラス)と三つの特色ある学びの課程があり、それらが混然一体となり大きな学び舎となっています。即ち、多様性が魅力です。にぎやかで多彩な学校文化があり、五教科(国社数理英)中心の中学校の教育課程とは大きく異なります。

   33年高校の教職にあって感じることは、高校生の可能性は無限大ということです。高校3年間で大きく変わり、心身ともに成長していきます。近年は通信制高校も増え中学生の選択肢は広がっていますが、長く全日制高校に勤めている経験から、同世代が同じ学び舎で3年間共に過ごすことの教育効果は計り知れないものがあると思います。中学時代に必ずしも真価を発揮できず、不本意な学校生活を送った生徒でも、御船高校で新しいスタートを切ることができます。中学時代に欠席が多かった生徒が、本校ではほとんど欠席もなく、輝いて生活している生徒が幾人もいます。

   誰一人取り残さない、全員が参加して「わかる、できる」ための授業のユニバーサルデザイン化の実践、生徒一人ひとりを全職員で支援する体制づくり等の取り組みで、本校は生徒を伸ばします。

   中学校の先生方から御船高校への期待を寄せていただき、改めて本校の使命の重さを感じました。

 

学びの季節を迎えて

 文化祭「龍鳳祭」を11月15日(金)から16日(土)に開催し、にぎやかで多彩な御船高校の学校文化を発信できました。外部から特別ゲストを呼ぶことなく、生徒主体の手づくりの文化祭でした。そして、PTAバザーには50人を超える保護者の方が協力してくださり、肉うどんやカレーの調理・販売に加え、餅つき実演も行われました。また、地域の中学生や住民の皆さんが大勢来校され、笑顔の交流が見られました。

 一方、自分の夢を追い求める生徒たちは「龍鳳祭」に参加できず、それぞれのスポーツ、文化の大会に出場し、活躍しました。この「校長室からの風」で紹介した見﨑真未さん(2年生)は、11/17(日)に開催された「第39回大分国際車いすマラソン大会」のハーフマラソン部門において、1時間15分37秒の記録でカナダやロシアの有力選手をおさえ、優勝を飾りました。高校生パラ・アスリートの快挙を称えたいと思います。

 また、同じく11/17(日)に福岡市で開かれた「ジャパンマイコンカーラリー九州大会」に出場した本校マイコン制御部マイコンカー班(選手7人)も健闘し、アドバンスクラスで谷口君、カメラクラスで中村君が上位入賞を果たし、来年1月の全国大会進出(北九州市)を決めました。「マイコンカーラリー」とは聞き慣れない競技だと思います。私も10月20日(日)の県大会(八代工業高校)で初めて観戦しました。小さなコンピュータ(マイクロコンピューター)を搭載した車を自分たちで製造し、規定のコースをコンピュータで読取り自走するもので、最も出場者が多いアドバンスクラスは十数秒でレースが決着します。ロボット班と並び、本校電子機械科の面目躍如の部活動です。

 文化祭「龍鳳祭」を終え、校内の空気が変わりました。秋が深まり、学校全体が落ち着いた感じです。昨日の11月20日(水)には人権教育講演会を7限目に実施しました。今年度は水俣病問題をテーマとし、水俣市から胎児性水俣病患者で「語り部」(水俣病資料館)として活動されている永本賢二さんをお招きしました。次代の社会の担い手となる高校生に対する期待を込め、永本さんは支援者の葛西さんと対談形式で歩んでこられた道を語られました。水俣病問題から私たちが学ぶことはたくさんあると思います。人権意識や環境を大切にした社会のあり方など、改めて深く考える契機となりました。

 御船高校の象徴の「天神の森」の紅葉も見頃です。来週、11月27日(水)から2学期期末考査が控えています。生徒の皆さん、学びの季節です。

           人権教育講演会の様子

 

龍鳳祭(文化祭)を終えて

 

  「龍鳳祭」フィナーレの書道パフォーマンスの感動の余韻にいまだ包まれています。10月6日(日)、熊本城二の丸広場で開催された第1回熊本県高校生書道パフォーマンスコンテストで、御船高校書道部は優勝を飾りました。秋のお城まつりの一環として行われた行事で、会場には外国人観光客も多数いらっしゃったのですが、本校書道部の気合の入った、きびきびした動作、ダイナミックな筆遣いのパフォーマンスに魅了され、どよめきに似た歓声と拍手がわき起こったことを鮮明に覚えています。たとえ書かれてある文字の意味はわからなくても、御船高校生の書道パフォーマンスは外国の人の胸を打つのです。これが文化の力だと思いました。

    クールジャパン、「日本はかっこいい」と世界の人が称賛するものは、マンガ、アニメ、ファッション、和食、おもてなしと言われる細やかな接客サービス、そして茶道、華道、能楽、歌舞伎の伝統芸能など幅広い日本の文化です。

 文化は心の豊かさを生みます。例えば、喉の渇きをいやすだけならペットボトルのお茶を飲めば簡単です。しかし、急須に茶葉を入れ、お湯や冷水を適量そそいで、ゆっくり回し、茶碗に注ぎ、お茶の色や香りを楽しみながら一服する時間は心にゆとりと潤いを与えます。煎茶道の世界です。さらに抹茶を用い、作法様式に則った茶道の世界はもっと奥深いものがあります。

 「手仕事」や「手間ひまかける」といった麗しい日本語があります。労力や時間をかけてモノを創っていくと、唯一無二のものを生み出せます。1年4組のお化け屋敷は、大道具から小道具までこだわって製作されていました。美は細部に宿るのです。お化け屋敷がアートになっていたと思います。

    さて、文化祭に向けて、皆さんは生徒会、文化部、クラス、そして有志で取り組んで来ました。皆で協力して何かを創り上げることの難しさと面白さの両方を学んだと思います。そして、お互いの良さや個性をあらためて再発見したのではないでしょうか。普通科総合クラス・特進クラス、芸術コース、電子機械科とそれぞれ特色ある学びがあり、それらが混然一体となり御船高校という大きな学び舎となっています。御船高校の文化の森は皆さんが考えていたより多彩で奥行きのあるものだとこの文化祭で感じたと思います。 

    クールな文化祭でした。この「龍鳳祭」で御船高校の魅力を広く発信できたことを皆さんと共に喜び、講評とします。

 

「龍鳳祭」(御船高校文化祭)始まる

 令和元年の御船高校文化祭「龍鳳祭」(りゅうほうさい)が11月15日、爽やかな秋空の下、始まりました。校歌(昭和2年制定)の一節に「龍鳳となり雄飛せん」とあり、ここから本校の文化祭は「龍鳳祭」と呼ばれています。龍も鳳(ホウ、おおとり)も伝説の霊獣、霊鳥です。少年が大きく成長することを願った歌詞だと思います。

 今日は午前中、体育館で開会式に続き、2年生のインターンシップ(職場体験)発表、保健委員会の発表、1年B組制作の動画上映、そして吹奏楽部のコンサート等が行われました。明日の16日(土)は一般公開となります。大勢の皆さんのご来校をお待ちしております。

 開会式での校長挨拶を次に掲げます。 

 「令和元年の御船高校文化祭「龍鳳祭」の日を迎えました。テーマは「つなぐ ~ 次の時代へ」です。平成から令和へと時代は変わっても、「天神の森」の学び舎は、可能性豊かな若者と熱意ある教師の出会いの場であり続けます。そして2年後の創立100周年に向け、今、本校は新しい伝統を築こうと上昇気運に包まれています。

 さて、御船高校の文化の森は、学習発表、芸術文化の作品、そしてエンターテインメントの企画とカラフルでにぎやかなものになると思います。皆さん一人一人がこの文化の森を自由にめぐって、楽しんでください。きっと様々な発見と出会いがあることでしょう。

 御船高校は地域に開かれた学校でありたいと願っています。明日はきっと中学生はじめ多くのお客様が来校されることでしょう。皆さんの笑顔で迎えてください。そして、本校の魅力を伝えてほしいと思います。

 生徒の皆さんにとって、この二日間が特別な時間になり、私たちの学校、御船高校をもっと好きになることを期待し、オープニングの挨拶とします。」

 

 

 

 

弓道の試合を観戦して

   緊張感ある静寂の空間。きりりと絞った弓を放つと、矢が28mの距離を飛び、的に当たり「ターン」という乾いた音が鳴ります。応援している生徒からは「よし!」という大きな掛け声が起こります。的に当たらなかった時は、安土(あずち)と呼ばれる、的をかけた砂山の土手に矢は音もなく吸収されます。

 11月9日、植木弓道場(熊本市北区植木町)で全国高校選抜大会熊本県予選大会が開催され、御船高校から男子2チーム、女子1チームが出場しました。私は初めて弓道の公式大会の応援に赴きました。会場に到着して先ず驚いたのが、参加生徒数の多さです。男女とも各70チーム、その他、個人戦のみ参加があり、大勢の高校生で活気に満ちています。近年、高校の体育系部活動の入部者は減少しています。特に柔道、剣道の武道の競技人口の減少は著しいものがあります。しかし、弓道の顧問の先生に伺うと、高校の弓道部員数はむしろ上向いているとのことです。現代の高校生を惹きつける魅力が弓道にはあるのでしょう。

   選抜大会県予選では1チーム3人で一人四本の矢を射ます。総計12本中、男子は6本、女子は5本の的中が予選通過の条件です。男女とも普段の練習では十分に予選を通過できる結果を残していたのですが、それぞれあと一本及ばず、涙を呑みました。しかし、矢が当たらずとも、礼法にのっとり平然とすり足で退場する袴姿の選手たちの様子を見て、弓道の精神を感じました。メンタル面の大きく影響する競技であることをあらためて痛感しました。

    今回は予選通過ならなかった弓道部の生徒たちに次の詩を贈ります。若い頃に読んだ武者小路実篤の「矢を射る者」という詩の前半です。

 

 「俺の放つ矢を見よ。

     第一のはしくじった。

     第二の矢もしくじった。

     第三の矢もまたしくじった。

     第四、第五の矢もしくじった。

     だが笑ふな。

     いつまでもしくじってばかりはゐない。

     今度こそ、今度こそと

     十年余り

     毎日、毎日

      矢を射った (後略)」

 

「ようこそ先輩、教えて未来」講演会

  「ようこそ先輩、教えて未来」講演会を11月8日(金)午後に開催しました。各界でご活躍の本校同窓生の先輩をお招きし、高校時代や卒業後の様々な体験を通じて養われた勤労観、人生観を在校生に語っていただくものです。令和元年の今年は、昨年度、同窓会長に就任された徳永明彦氏を講師としてお招きしました。冒頭の校長挨拶を次に掲げます。

 

 今日は、皆さん達の「未来のための金曜日」です。

 英語のCharacterという言葉とPersonalityという言葉は、いずれも日本語では人の性格と訳されることが多いようですが、根本的な違いがあります。Characterは先天的、即ち生まれつき、持って生まれた気質、性格を指す言葉です。一方、Personalityは後天的、即ち経験や学習によって形成されていく人間性、人格と言うべき言葉です。皆さん達は今、このPersonality形成期にあります。若さとは柔軟性、精神の柔らかさです。様々な出会いによって変わり、成長していく豊かな可能性が皆さんにはあります。

 今年の「ようこそ先輩、教えて未来」講演会は、徳永明彦(とくながあきひこ)同窓会会長を講師としてお迎えしました。徳永会長さんは昭和41年3月に御船高校第18回生として普通科を卒業されています。高校時代はサッカー部に所属され、就職されてからも実業団チームで活躍されました。そして、平成11年に北九州市で自ら会社を興されました。空気調和・衛生設備の設計施工のダック技建株式会社です。代表取締役社長として重責を担われ、会社の発展に尽力されています。昨年度から御船高校同窓会長をお引き受けになり、学校の諸行事にも積極的にご協力いただいております。

 徳永会長さんとお会いする度、バイタリティあふれるお人柄に惹かれると共に御船高校に対する熱い母校愛を感じます。

 企業経営者としてご多忙な中、今日は北九州市から御来校いただき、「希望ある社会人」の演題で語っていただくことになります。深く感謝申し上げます。  

   徳永同窓会長さんとの今日の出会いが、生徒の皆さんのPersonality形成に大きな影響を与えるものと期待し、開会挨拶といたします。

 

「関西御船会」総会に出席して

    御船高校同窓会の「関西御船会」(藤原太門会長)の総会が11月4日(月)に大阪市梅田のホテルで開催され、同窓会長の徳永明彦氏、同窓会副会長で御船町長の藤木正幸氏と共に出席しました。会場には、甲佐高校同窓会の「緑友会」、矢部高校同窓会の「関西山都会」の代表の方もお見えでした。関西において同じ上益城郡出身者のよしみで親交を結んでおられるとのことです。

 総会終了後、三十余名の出席者で和やかな懇談会が始まり、皆さんから高校時代の思い出やこれからの御船高校への期待等を伺うことができました。ご出席の同窓生の皆さん全員が五十代以上でしたが、皆さんがそろっておっしゃるのは、かつての在籍生徒数の多さです。これは御船高校だけでなく、甲佐高校、矢部高校も同様です。御船高校が現在、全校生徒530人、各学年170~180人と報告すると皆さんが驚かれます。同窓生の皆さんが在籍された昭和の中期から後期、御船高校は千人規模の学校でした。昭和の終わりから平成の三十年間で地方の人口は一気に減少し、少子高齢化が急速に進んだのです。

 「関西御船会」の出席者の方々は、大阪市内をはじめ府下の堺市、枚方市、兵庫県の神戸市、西宮市等にお住まいです。すでに故郷の実家もなくなった方もおられます。実家がある方でも年齢を重ねるに従い帰省が減る傾向にあるそうです。お話しの中に、故郷が遠くなったという感傷も感じられます。しかしその一方でこの関西で数十年にわたってたくましく生き抜いてきたという自負、自信のようなものが感じられ、皆さんとてもバイタリティ(生気)にあふれておられます。

 懇談会を通じて、同窓生の皆さんの母校に寄せる思いをずしりと受け止めることができました。毎年、全国高校ロボット競技大会の応援に行かれている方もいらっしゃいます。また、帰省され熊本市の会合に参加された時、「御船高校は書道部が有名ですね」と言われ感激したと語られた方もいらっしゃいました。「学徒動員殉難の碑」をいつまでも大切にして欲しいとも言われました。

    同窓生の皆様には、帰省された折、ぜひ母校へお立ち寄りください。大正、昭和、平成、そして令和と時代は変わっても、天神の森の学舎は可能性豊かな若者と情熱ある教師との出会いの場であり続けます。本校は開かれた学校です。故郷を遠く離れた先輩方にこそ訪ねていただきたいと切に願っております。

 

 

共助の力 ~ 地域住民の方との合同避難訓練

 11月1日(金)の午前、秋晴れの下、近隣住民の方々との合同避難訓練(地震対応)を実施しました。校長挨拶文を次に掲げます。

 「今回は大地震が発生し、本校に住民の方も避難してこられるという想定の訓練でした。3年半前の熊本地震の時がまさにそうでした。多くの住民の方達が本校に避難してこられました。当時、対応に当たった職員は、学校は地域、コミュニティの拠り所であることを痛感したと語っています。

 御船高校は地域に開かれたコミュニティスクールです。非常時においても学校としてできる限りのことを行いたいと思っております。今日の訓練を契機に、地域の皆様とさらなる信頼関係を築いていきたいと思います。

 さて、生徒の皆さん、皆さんに伝えておきたいことがあります。それは、皆さん達高校生はもう守られる立場ではないということです。災害が発生した時、まず自分の命を自ら守ってください。そして次に周りの人を助ける側に回ってほしいと思います。皆さんはこれからの二十年余りが人生で最も体力ある時期となります。保護者もだんだん年を重ね、皆さんの気力体力には及ばなくなります。災害の時は、自分の安全を確保した上で、家族をはじめ周囲の子供たち、お年寄り、障害のある人達を助け支えてください。

 私達の国、日本は自然豊かな国であるがゆえに、様々な自然災害と共存する運命にあります。皆さんは、これからもきっと自然災害に出会うことになります。台風、集中豪雨による洪水、あるいは大地震かもしれません。それは避けられないことです。

 災害の時によく言われるのが三つの助け、公助、共助、自助です。公助は自衛隊や消防、警察のような公的組織力による救助です。最終的にはこれらに頼ることになるのですが、その前に共助、即ち地域コミュニティや学校、会社などの所属団体でどれだけ助け合えるかが鍵になると言われます。今日の訓練は共助の力を高めるためのものです。そして自助。自らが自分自身及び家族を助けることができるかです。

 皆さん達は熊本地震を経験しました。平穏な日常生活がいかに尊いものか、いったん災害に見舞われるとどんなに苦しく不便な生活を余儀なくされるのか、身をもって知っています。不幸な経験でしたが、この経験は皆さんの生きる力となります。やみくもに災害を怖がるのではなく、知識をもち準備もして、正しく恐れましょう。

 皆さんがこれから社会の防災の担い手として成長していってくれることを願い、挨拶を終えます。」

 

豊かな生活文化の継承 ~ 教室での煎茶道体験

 御船高校には茶道部とは別に煎茶道(せんちゃどう)部があります。部活動として煎茶道部がある高校は県内では本校を含め2校しかありません。皆さんは、煎茶道をご存知ですか?

 煎茶道は、江戸時代初期に明から渡来した禅僧の隠元(いんげん)によって伝えられたと言われています。従来の抹茶の茶道とは異なり、茶葉(玉露など)を用いる喫茶スタイルは江戸時代に広まっていきました。本校の煎茶道部の歴史は三十年ほどあり、東阿部流の太田翠展先生が長年にわたって御指導されています。現在、部員は1、2年生合わせて4人です。

 10月30日(水)の3、4限、1年1組の「家庭基礎」の授業において、生徒がこの煎茶道を体験学習する機会を設けました。今の高校生にとって、お茶と言えばペットボトル飲料であり、急須でお茶を飲んだことがほとんどない生徒もおり、憂うべき現状だと思います。茶葉を計り、急須に入れてゆっくりと回し、茶碗に丁寧にお茶を注ぐという所作を通じて伝統的な生活文化を実感させたいというねらいから煎茶道の特別授業となりました。

 太田翠展先生のご協力を得て、教室に敷物を用意し、生徒達はその周りにコの字型で座り、煎茶道具も生徒二人に一つ準備されました。普通教室ではありますが、落ち着いた雰囲気が醸し出されます。先ずは敷物の上で煎茶道部の生徒がお茶を点て、半島(はんとう)役の生徒がお茶とお菓子を運び、正座した代表生徒達がお茶を喫します。これを手本として、二人一組で机に座っている生徒達が見よう見まねでお茶を入れて飲んでいきます。今回はお湯を使わずに、冷たい水を用いての冷茶でした。

 和服の太田翠展先生が生徒達に急須の回し方、お茶碗での飲み方、茶巾(ちゃきん)の使い方など細やかに教えてくださり、最初は動作がぎこちなかった生徒達も興味関心をもって取り組んでいました。私にはとても甘く心地良く感じた冷茶の味でしたが、幾人かの生徒が苦いと反応していたことが気になりました。普段、糖分過多のペットボトル飲料に慣れているからではないかと思ったからです。

 お茶を飲むという簡単な行為ですが、敢えて一定の所作に則って時間をかけて味わうことで、えも言われぬ豊かな気持ちになります。これこそ先人が創り伝えてきた生活文化と言うものでしょう。

 教室の生徒達の表情が和やかで落ち着いたものに変化していきました。

 

「教師は授業で勝負する」 ~ 御船高校「授業のユニバーサルデザイン化」

 「教師は、授業で勝負してください!」

 昭和62年4月、熊本県公立高等学校教員に採用されての全体初任者研修において、時の県教育委員長の安永蕗子先生(1920~2012)が初任者の私達に語りかけられた言葉です。安永先生は歌人として名高く、後に宮中歌会始の選者をお務めになった方です。そのお言葉は鋭敏にして厳格で、凛とした響きで私の胸に迫り、33年経った今日も鮮やかです。その時、漠然とですが、「これから私は、教えるということを学び続けなければならないのだ」と覚悟した記憶があります。

 近年、高等学校の授業改革が喫緊の課題となっています。御船高校においても、昨年度から学校挙げて「授業のユニバーサルデザイン化」に取り組んでいます。生徒全員が参加する「わかる」「できる」授業づくりです。特に今年度はICT(情報通信技術)の積極的導入をテーマに掲げています。先週から今週にかけ研究授業公開期間ですが、昨日10月29日(火)はその集中日と位置づけ、チャレンジディーと名付けました。電子機械科が四つ、そして普通科が国語、数学、理科(生物)、地歴(世界史)の四つの研究授業を公開しました。

 授業の指導助言者に県教育委員会特別支援教育課、県立教育センター、そして県立高校のスーパーティーチャー(指導教諭)をお迎えし、御船町の本田教育長、御船小学校の中野校長はじめ校外から幾人もの参観者がお見えになりました。午後は生徒達を下校させ、教職員による分科会、全体会を行い、まさに全員で「教えることを学ぶ」一日となりました。全体会では、御船町教育委員会教育アドバイザーの吉見先生が豊富なスライド資料を駆使され、教師の視点ではなく「できるようになった」「わかるようになった」生徒の視点を重視した授業改革について具体的に解説されました。

 吉見先生は、この五年間、御船高校の授業を参観してこられました。年々、授業改善が見られ、生徒の学習姿勢や学習環境が落ち着いてきたと評価していただきました。しかし、「授業では間違っていい」という意識を生徒が持ち、お互いが認め合い、授業が教師と生徒との豊かなコミュニケーションの場になってほしいと要望されました。

 わかりやすい授業を追究して、書画カメラ、プロジェクター、パソコン、スクリーンなどICT(情報通信技術)を積極的に活用していますが、これらは小・中学校でも行われています。ICT(情報通信技術)は有効な道具ですが、わかりやすさよりも、生徒にわかりたいと思わせる事、即ち学習の動機付けが最も大切だと思います。御船高校のチャレンジは続きます。

 

全国高校ロボット競技大会に参加して

 決勝トーナメント1回戦での敗退が決まった瞬間、ある生徒は両手で頭を抱えて天を仰ぎ、ある生徒はフロアにしゃがみ込み、ある生徒は呆然と立ち尽くしました。勝敗が決まる時はいつも無情です。しかし、結果は受け入れなければなりません。審判の判定後、観客席に向かって「有り難うございました!」と朗朗と挨拶する姿は誠に潔いもので、私は胸を打たれました。

 第27回全国高等学校ロボット競技大会は、「集え、競え、次代を担う若き技術者たち!」のテーマのもと新潟県長岡市で10月26日(土)から27日(日)にかけて開催されました。会場は市庁舎も入る大型公共複合施設の「アオーレ長岡」のアリーナ(競技場)でした。御船高校は過去9回の全国制覇を誇り、高校ロボット競技の世界では知られた学校です。しかし、平成26年の宮城県大会を最後に優勝から遠ざかっており、今年こそV奪還を目指し、マイコン制御部ロボット班の生徒達と指導の職員は一体となり準備、練習に取り組んできました。そして、その成果を問うべく臨んだ大会だったのですが、厳しい結果となってしまいました。

 ロボット競技は、技術工作力をはじめ総合力が要求されるものです。規定条件下でロボットを製作し、3人一組のチームで制限時間3分内で用意されたコート上の課題をクリアしていきます。特に今回は、最後の難関として、新潟県の特別天然記念物「朱鷺(とき)」の飛来をイメージした課題があり、ロボットから輪を射出して所定のポール(棒)に入れなければなりません。大会に向けて、生徒達はロボットの調整、改良に努め、操作の練習を繰り返してきました。しかしながら、初日の公開練習時からロボット機器の不具合が発生し、不安定なまま競技に突入せざるをえませんでした。

 御船高校の生徒及び職員は最後まで努力し続けました。機器の不具合が判明し、長岡市内で材料を購入し、ホテルに帰ってから簡単なコースを廊下に設け、職員と生徒が調整作業に没頭しました。諦めないその姿勢を見ていたので、1回戦敗退が確定しても私は充実感のようなものに包まれていました。

 また、今回も「東京御船会」、「関西御船会」など多くの同窓生の皆様が遠路、長岡市の大会会場まで応援に駆けつけてくださいました。何と御礼を申し上げてよいかわからないほど感激しました。敗退が決まった後も、部長の上田君(3年)はじめ生徒達を温かく励ましてくださり、心より感謝申し上げます。

 全国大会に出場した2台のロボット「御船A天神」と「御船B龍鳳」は無念にも動きを止めてしまいましたが、これが新たな始まりです。不死鳥の如く、御船高校は次のロボットを創り出していきます。そして、来年の全国大会を目指します。前進あるのみです。

 

「動員学徒殉難の碑」慰霊祭での校長挨拶

 「本日、御船町副町長 野中眞治様、御船高校同窓会長 徳永明彦様、そして「天神きずなの会」の皆様をはじめ関係各位のご出席のもと、令和元年度の「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を開催できますことは、本校にとって誠に意義深いものがあります。

 本年、4月をもって平成の世が終わりました。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに安堵しています。」との天皇陛下(現 上皇陛下)のお言葉に多くの人が胸を打たれました。かつて我が国において戦争の時代がありました。

 昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争の期間、学校も戦時体制に巻き込まれました。旧制の県立御船中学校の男子生徒たちは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして25日、アメリカ軍爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10人の生徒が亡くなりました。さらに翌年2月には、福岡の飛行機製作工場での過酷な労働の中、1人の生徒が病気で亡くなりました。

 戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難の碑が建立されました。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行ってきています。

 時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるためにこの「動員学徒殉難の碑」はあります。今日の式典には、全校生徒を代表し生徒会の生徒達が出席しております。志半ばで斃れた先輩達の魂に、後輩の皆さんは守られていることを知っておいてください。

 去る9月16日に、長年「天神きずなの会」のお世話役として御尽力されると共に本校華道部を御指導いただいた村上諫先生がお亡くなりになられました。今日、この場に村上先生のお姿が見られないことは、私どもにとって痛恨の極みです。しかしながら、きっと先生も空から見守っておられることと思います。

 本校は大正11年(1922年)に創立され、今年度で98年となります。大正、昭和、平成にわたって熱意ある教師の薫陶を受け、多くの人材が育ち、世に巣立っていきました。平成から令和へと時代は変わっても、「天神の森の学舎」は、可能性豊かな若者と情熱ある教師の出会いの場であり続けます。

 結びに、創立百周年に向けて、御船高校はさらなる飛躍を目指すことをこの碑前にてお誓い申し上げ、御挨拶といたします。」

令和元年10月25日

熊本県立御船高等学校 27代校長 粟谷雅之

 

 

絵のお医者さんがやってきた ~ 被災絵画の公開修復展

 「絵のお医者さんがやってきた ~ 岩井希久子・熊本地震被災作品公開修復展」が、10月26日(土)から11月4日(月)まで御船町恐竜博物館「交流ギャラリー」で開催されます。これに先だって内覧会が10月14日(月)に開かれ、見学してきました。

 「絵のお医者さん」とは絵画保存修復家のことを指し、我が国の第一人者である岩井希久子さんがいらっしゃいました。岩井さんは熊本県出身で、これまでゴッホ、モネ、セザンヌなど数々の名画の修復を手がけてこられました。そして、今回、岩井さんが修復に取り組まれるのは、旧制御船中学校(現 御船高校)出身の画家である田中憲一氏(1926~1994)の作品群です。

 田中画伯は、この「校長室からの風」で既に紹介した旧制御船中学校の伝説の美術教師、冨田至誠の教え子の一人です。中学校卒業後は絵の道ではない進路を目指していた田中氏でしたが、「田中、君の色彩(いろ)は良かったがね」との冨田先生の一言が重く心に響き、後に美術教師、画家となり、絵の道に傾斜していきました。そして、晩年は故郷御船町で「くまもとミフネ美術工芸倶楽部」を結成し、地域の文化活動発展に寄与されました。

 平成28年の熊本地震は、震源地(益城町)に隣接する御船町に大きな被害をもたらしました。すでに田中画伯は故人となっておられましたが、御船町滝川の田中画伯の旧アトリエは全壊し、そこにあった作品群は大きなダメージを受けました。そこで、「くまもとミフネ美術工芸倶楽部」の会員をはじめ有志の方達が一か月後に現場に駆けつけ、屋根の瓦をはぎ隙間をつくって作品を一点ずつ搬出されたのでした。このことは、田中憲一画伯がいかに地域の方々に慕われていたか、そしてその作品は地域のかけがえのない文化財と認識されていたかを示すものだと思います。その後、救出された絵画は、御船町の協力も得て筑波大学(芸術系)及び絵画保存修復家の岩井希久子さんの手によって修復が始められたのです。

 今回の「絵のお医者さんがやってきた ~ 岩井希久子・熊本地震被災作品公開修復展」は、田中憲一画伯の甦った絵が披露されると共に、岩井希久子さんによって実際に絵画が修復されている様子を会場で見学することができます。岩井さんに御挨拶したところ、「絵画に関心がある高校生の皆さんに見に来て欲しい」と私に言われました。誠に有り難い機会と思います。

 御船高校芸術コース美術・デザイン専攻では、10月30日に2年生、11月1日に1年生と3年生が授業の一環として展覧会を見学することにしました。岩井希久子さんのプロフェッショナルのお仕事ぶりに生徒達は感銘を受けることでしょう。

 

「未来の授業」に挑む ~ 人型ロボットのプログラミング

 「How are you?」「わーっ!」

 人型ロボットのペッパー君が英語を話すと、児童の歓声が起こりました。ペッパー君の傍らに立つ御船高校電子機械科3年の二人の生徒も笑顔です。

 10月15日(火)の午後、御船町立御船小学校の3年生を対象とした英語の授業を参観しました。ソフトバンクグループ(株)が開発した人型ロボットのペッパー君を御船町教育委員会が無償で借り、そのペッパー君に搭載するプログラムを御船高校電子機械科の生徒が作り、実際に小学校の英語の授業で用いてみる事業に今年度取り組んでいます。企業、町教育委員会、県立学校、そして町立小学校が協力して、それぞれの持ち味を発揮して、「未来の授業」を創ろうというプロジェクトです。

 町教育委員会からお話しがあった時、チャレンジングなプロジェクトだとは思いましたが、高校生の学習活動が地域社会貢献につながれば、「自分たちが学んでいることは社会に役に立つ」という有用感を生徒たちが覚えるに違いないと考え協力することにしました。電子機械科の3年生には「課題研究」(2単位)という科目があります。グループを作って、それぞれテーマを設定し1年間かけて研究するものです。今年度、一つのグループ(6人)が、ペッパー君のプログラミングを研究テーマに選び、担当の緒方教諭が指導することになりました。小学校の授業で、ペッパー君が基本的な英語を話すことができるようなプログラムを組んでいったのです。

 来年度(2020年度)から、全国の小学校では、プログラミング教育と英語教育が本格的に導入されます。御船小学校では、先駆けて今年度から実施することになり、その促進のため町教育委員会がソフトバンクグループ(株)から人型ロボットのペッパー君の貸与を受けました。そして、ペッパー君に搭載するソフト開発で御船高校電子機械科の出番となった次第です。

 教室に人型ロボットがやってきて、日本語、英語を話して子どもたちの授業を手伝うと言えば、「未来の授業」のイメージですが、今回はそのレベルまではいきませんでした。生徒達が作ったプログラミングでは、児童との対話はできません。ロボットが人と対話できるようになるにはAI(人工知能)が必要になりますが、それはまだ手が届きません。従って、決められた言葉を話す、そして若干の手振り、身振りができる段階にとまっています。しかも、ロボットが話すタイミングは、傍らの生徒がロボットにタッチして知らせる仕組みです。

 御船高校電子機械科の課題研究グループの生徒にとっては幾つもの「課題」が残った授業でした。しかし、「未来」はすぐそこまできています。

 「未来の授業」を創るのは間違いなく君たちなのです。

 

小・中・高・大の連携 ~ 御船町でしかできない教育

 「御船町の教育の特色は、小学校、中学校、高校、そして大学の連携です!」と藤木町長、本田教育長が日頃から声を大にして言われています。市を除く自治体で、小学校から大学(平成音楽大学)までそろっているのは熊本県内で御船町だけです。「小・中・高・大の連携」はこの地域の強みであり、魅力だと私も思っています。そして、その実践が重要だと考え、取り組んでいるところです。

 10月11日(金)、御船中学校において研究発表会が開かれました。研究主題は「『熊本の学び』による学力の向上」で、午前中は公開授業、午後は分科会、全体会が行われました。御船高校から御船中学校まで徒歩10分の近さです。この日は特別時間割を組み、できるだけ多くの教職員が参加できるよう配慮し、私も含め19人が御船中の研究発表会に参加しました。御船中を訪ねる度に感心することが、ノーチャイムで学校生活が行われている点です。授業の開始、終了等の合図のチャイムが一切鳴りません。生徒自らが「時間を守り、主体的に行動する」ことが日々の生活で養われていると思います。高校でもできないのか、思案中です。社会(3年生)、英語(1年生)、理科(3年生)の授業を参観しましたが、生徒に考えさせる時間を設け、話し合い活動を取り入れられるなど思考力、判断力を育成しようというねらいが伝わってきました。御船高校の教職員にとって、貴重な研修の機会になったと思います。

 また、10月15日(火)には、平成音楽大学こども学科3年の学生5人が来校し、御船高校3年の家庭科「保育」の授業で多彩なパフォーマンスを披露してくれました。平成音楽大学は九州唯一の音楽系大学で、御船町滝川の丘の上にあります。御船高校から自動車で10分の所です。本校の芸術コース音楽専攻の生徒たちは、同大学音楽科の先生方から高いレベルの指導を特別に受けることができます。そして今年度から、同大学のこども学科との交流も始めました。

 幼稚園教諭、保育士を目指す学生たちは、さすがに歌も楽器も巧みで、表情が明るく豊かです。幼児と同じく高校生達も魅了され、歌、演奏、エプロンシアター、スケッチブックシアターとプログラムを楽しんでいました。5人の大学生の中の唯一の男子は御船高校の卒業生で、自在に楽器を演奏し、保育園実習がいかに充実したものであったかをユーモア交えて後輩に語ってくれました。このこども学科との交流は次年度以降も続けていきたいと思います。

 「小・中・高・大の連携」が掛け声に終わらず、実践を深めて「連携」から「連帯」へとより強い結びつきを目指していきたいと考えています。

 御船町でしかできない教育、御船町だからこそできる教育があるのです。

  平成音楽大学こども学科3年生によるパフォーマンス(御船高校の家庭科の授業)

  

 

思いはひとつ ~ 御船街なかギャラリー・ミーティング

   「御船街なかギャラリー」はとても趣のある施設です。この「校長室からの風」で以前紹介しましたが、もともとは江戸時代後期に建てられた町屋で、豪商の林田能寛(はやしだよしひろ)の商家(「萬屋」)でした。白壁土蔵造りの酒蔵や商家が次々と消えていく中、往時の町並みを伝える建物として御船町が所有し、今は交流施設として町観光協会が運営されています。太い梁や柱のある主屋をはじめ離れや庭園、さらには二つの大きな蔵もあります。

 10月10日(木)、2学期中間考査が終わった日の午後、生徒会執行部の生徒と担当の教職員等で「御船街なかギャラリー」に向かいました。育友会(PTA)役員と生徒会の生徒たちが話し合う「御船街なかギャラリー・ミーティング」を実施するためです。初めての試みで、御船高校同窓生(高校36回生)の藤木正幸(ふじきまさゆき)御船町長にも特別に参加していただきました。

 「御船街なかギャラリー」の主屋和室において、藤木町長、生徒会生徒15人、保護者代表7人(育友会役員)、そして私達教職員4人が大きな車座となって、次のような内容で意見交換を行いました。

 ① 御船町の魅力、御船高校の魅力は何か

 ② 御船高校をどんな学校にしていきたいか

 ③ 親としての思い(保護者側)

 ④ 子としての思い(生徒側)

 ⑤ 創立100周年に向けての抱負

 藤木町長は53歳、御船町のリーダーとして活躍されています。野球に熱中していた高校時代の思い出を気さくに語られ、生徒会の生徒は親近感を抱いたようでした。目標となる大人の存在を身近に感じることは、高校生にとって貴重な体験だと思います。

 御船高校の魅力について、生徒たちからは、「様々な人がいる、個性的な人がいることの楽しさ」、「一人ひとりが主役になれる学校」という意見が出ました。また、女子生徒からは「御船高校の女子生徒の制服はおしゃれで人気」との発言もありました。保護者からは、「カバン等の細かい規制がなく、自由度がある」、「自主性が認められている」という感想が出た後、「生徒には自由の中の責任を意識して欲しい」という意見が出ました。また、校外での生徒のちょっとした言動が学校の印象をマイナスにするという苦言もありました。

 生徒、保護者、同窓生(町長)、そして教職員が、御船町の歴史遺産の場で和やかに語り合った1時間でした。みんなの思いはひとつです。創立100周年に向け、御船高校をもっと魅力ある学校にしていきたいということです。

 

挨拶が響きあう学び舎に

 

 「おはよう!」「おはようございます!」

 朝から御船高校正門付近で爽やかな挨拶が響き合います。10月8日(火)から10日(木)までの中間考査期間に合わせ、育友会(PTA)の挨拶運動が実施されました。朝7時50分~8時20分の30分間、保護者の方々が7~8人正門付近に並んで立たれ、登校する生徒たちに声を掛けられました。私も三日間校門に立ち、生徒たちを迎えました。

 本校生の登校手段は大きく四つに分かれており、決して広くはない正門付近が朝は混雑します。最も多い自転車通学生が次々とやってきます。単車通学生も現在120人ほどいて、正門前で停車し、単車を押しながら校門に入ります。バス通学生は、御船町役場前のバス停で降り、約10分歩いてきます。そして残りは保護者の車による送りです。

 多くの生徒は笑顔で登校してきますが、中には保護者や職員が声をかけても挨拶が返ってこない生徒もいます。それでも表情が柔らかい生徒は安心します。うつむぎ加減で表情が硬い生徒は気になります。朝の登校状況を見ると、その生徒のことがひと目で分かるような気がします。

 年度当初、そして2学期が始まる時に、職員の方から生徒に積極的に声を掛けていこうと申し合わせをしました。校舎内、校庭など場所を問わず、先に声をかけるようにしています。挨拶の大切さを私達職員が行動で示し、生徒たちを日常生活の中で少しずつ変えていこうと努めています。コミュニケーション能力は先ず挨拶からです。自ら挨拶ができ、生徒同士の挨拶が響き合うような言語環境を御船高校で創り上げていきたいと願っています。

 時々、職員室に「○○先生はいますか?」と言って入ってくる生徒がいます。その場に居合わせれば「○○先生はいらっしゃいますか?」と私は教えます。相手や場面において適切な言葉遣いができる大人になってほしいのです。敬語の必要性が軽視される風潮があるのは残念なことです。敬語は、人と人との「相互尊重」が基盤にあります。人間関係やその場の状況に応じた自らの気持ちを適切な言葉で表現する力を身につけなければ、敬語は使えません。敬語を使う力は簡単には身につかず、学校生活、そして家庭生活を通じて時間をかけて養っていくものだと考えています。

 敬語を丁寧につかう高校生に出会うと、本物の教養を感じます。

 

地元の食材を味わう ~ 郷土料理講習会

 

 調理実習を行っている生徒たちはとても生き生きしています。男子も女子もぎこちない調理の手つきですが、地元御船町の食生活改善員(愛称はヘルスメイト)の方々の御指導で料理ができあがっていきます。高校生からみると祖母に当たるご婦人方の段取りは見事なものです。最近のビジネスは「時間対効果」が重視されますが、料理の達人の方の段取りはさすがで、限られた時間内に整っていきます。

 10月7日(月)の3・4限目、2年2組(36人)の家庭総合の時間は郷土料理講習会でした。本校家庭科の毎年恒例の行事で、御船町健康づくり支援課のご協力を得て、5人のヘルスメイトさん達に来校していただき、地元生産の農産物の調理法について実際に学ぶものです。今年は、地元で「御船川」と呼ばれる野菜「水前寺菜(すいぜんじな)」を使い、献立は、「御船川」とベーコンのソテー、いきなり団子汁、「御船川」を混ぜた牛乳かん(薄い紫色)、そしてご飯でした。調理技術を高めること、食材を通じて郷土理解を深めること、さらには地域の方との交流など幾つもの教育効果が期待される特別な体験活動となりました。

 人生の達人とも言えるヘルスメイトのご婦人方の料理の手際の良さを見ていて、私は「ブリコラージュ」というフランス語を連想しました。「ブリコラージュ」とは、近年、文化人類学で使われる用語で、「その場で手に入るものを寄せ集めて、それらを基に試行錯誤しながら新しいものをつくる力」を意味し、もともと近代文明が発達する以前の人間社会では、この「ブリコラージュ」こそ生きる力であったと言われます。食事も道具、生活するための空間なども、身の回りにある材料を使って何とか創り、人間は生きてきたのでしょう。ヘルスメイトのご婦人方が伝達される郷土料理には、生きる力の基本的技能が貫かれています。

 生活の基本は「衣・食・住」ですが、このうち最も大切な「食」について、手作りの難しさと喜びを現代の高校生が少しでも感じとってくれればと願います。できあがった料理を生徒と共に味わいながら、私は自らの中学、高校時代を顧みました。私の世代は、家庭科を履修するのは小学校までで、中学校では女子は家庭、男子は技術を学び、高校では女子が家庭科、男子は武道(剣道・柔道)と分かれていたのです。家庭科の男女共修が始まったのは中学が平成5年(1993年)、高校は平成6年(1994年)でした。すでに私は高校教師でした。

 中学校、高校と私は最も大切なことを学んでこなかったと後悔しています。

 

熊本城で書く ~ 高校生書道パフォーマンスコンテスト

 

                         「この道は未来への滑走路

                             助け合い励まし合い

                        一歩一歩踏みしめ

                              飛躍

                        いざ翔び立て

                        私達の郷土熊本

                                 御船高校 書道部」

   書き上げられた大きな紙(縦3.5m、横5m)が生徒たちの手で立てられ観衆に披露された時、会場からどよめきに近い歓声と拍手がわきました。御船高校書道部の9人の生徒は、顔を斜め上にあげ、きりっとした表情で対面にそびえる熊本城天守閣を見つめていました。天下の名城と対峙する形の袴姿のりりしい女子高校生。お城には袴姿の高校生が似合う、と思いました。

 10月6日(日)、熊本城二の丸広場の特別ステージで、「秋のくまもとお城まつり」の一環として、初めて高校生書道パフォーマンスコンテストが開催されました。実行委員会から9月上旬に県高等学校文化連盟書道専門部にお話しがあり、高校生文化活動の発信の機会としてこれ以上の場はないと協力することになりました。そして、今回、7校が書道パフォーマンスコンテストに参加したのです。

 3年半前の熊本地震で被災して修復工事が行われてきた熊本城の天守閣ですが、ようやく大天守の外観修復が完了し、前日の10月5日(土)から特別公開が始まりました。小天守の修復工事は継続中で、付近は鉄骨と足場が組まれ、大小のクレーンが動いています。しかし、中心の大天守が外観をあらわし、漆喰壁の輝く白と屋根瓦の黒の対比が目に鮮やかです。澄んだ秋空のもと圧倒的な存在感です。

 修復進む熊本城において、伸び盛りの高校生たちが勢いある書道パフォーマンスを披露し、それぞれの言葉でお城、そして熊本にエールを送りました。5番目に登場した御船高校書道部は部員9人と参加7校では最少ですが、まさに少数精鋭です。熊本出身の音楽グループのWANIMAの曲「ともに」に合わせ、最初の挨拶から気合いの入った大きな声を発し、全員できびきびした動作と流れる筆遣いを見せ、スピード感で観衆を魅了したのです。

 最後に、司会者のインタビューを受けた部長の村田さんが、熊本地震からの復興の願いを込めて書き上げましたと力強く述べ、見事に締めくくりました。

 御船高校書道部は最優秀賞の栄冠を獲得しました。  

 

時代の風の推進力 ~ 高校生パラ・アスリート 

  「練習すれば練習するほど記録が伸びるのが魅力です!」と車いすマラソンのことを見﨑(みさき)さんは熱っぽく話します。一方、「坂道を上らなければならない時はとても苦しく、腕が上がらずに車いすが前に進まない感じです」と競技の本質も語ってくれます。

 御船高校2年生の見﨑真未さんは中学時代に交通事故に遭い、日常を車椅子で過ごすことになりましたが、本校入学後に車いす陸上に出会いました。御船高校陸上部員として、筋力トレーニングは他の部員たちと一緒に行いながら、熊本県車いす陸上競技連盟に所属し、水・金・土・日は車いす陸上競技の選手達と県総合運動公園等で練習する日々です。持ち前の負けん気の強さで、ハードな練習を重ね、肩をはじめ上半身が強化され、着実に記録が伸びています。

 去る8月に開催された「はまなす車いすマラソン」(札幌市)のハーフの部(マラソンの半分の距離)で優勝。9月末に実施された「第31回全国車いすマラソン大会 ハーフの部」(兵庫県丹波篠山市)でも優勝を飾りました。そして、来る10月12日(土)から開かれる「第19回全国障害者スポーツ大会」(茨城県)の熊本県代表選手として車いす陸上競技の100mと1500mに出場することになりました。10月1日(火)、全校朝礼の時に、体育館で見﨑さんの全国大会壮行会を開きました。そして、10月3日(木)、御船高校同窓会の役員方が来校され、全国大会出場を祝っての奨励金が校長室で伝達されました。

 ハーフマラソンをはじめロード(一般道路)の長距離を得意とする見﨑さんにとって、全国障害者スポーツ大会では久しぶりの競技場内のトラックでの短距離で、戸惑いはあるそうです。しかし、全力を尽くしたいと力強く抱負を述べました。

 学校生活と車いす陸上競技の両立に向け懸命に努力する彼女は御船高校にとっては大きな存在です。彼女の頑張りを、生徒と職員の全員が知っており、心から応援しています。その応援の輪は同窓会、地域の人々と広がっています。

 「私はまだまだメンタルが弱いんです。一緒に練習する先輩から、もっとメンタルを強くと言われています。」と見﨑さんは語りました。約21㎞のハーフマラソンを一人で走行することがいかに大変なことか、私たちには分かりません。上り坂をあえぎながら前へ前へと車いすを推進しようとする見﨑さんの姿を想像するしかありません。

 来年は「東京2020パラリンピック」の年です。パラスポーツへの人々の関心、注目度は今高まっています。見﨑さん、時代の風をうけ、推進力にしてください。東京の次はパリでパラリンピックが予定されています。

 熊本県を代表するパラ・アスリートがいることは御船高校の誇りです。

 

地域を知る ~ 1学年「総合的な探求の時間」

 

 金曜日の6限目、1年生は「総合的な探究の時間」です。現在の2年生までは「総合的な学習の時間」でしたが、新しい学習指導要領実施に伴い、今年度の新入生から「総合的な探究の時間」と変わりました。教科を横断し、総合的な学習活動を行う点は同じですが、「探究」という言葉が示すように、課題解決に向け仮説を立て、情報を収集し、調べていく過程(プロセス)が重視されることになります。自ら課題を見つけ、その課題の解決に取り組むことで、自らの進路や生き方も考えることにつながるものと期待されます。

 9月27日(金)の1年生の「総合的な探究の時間」には多くのゲストティーチャー(外部講師)がお見えになりました。1学期は上益城郡の産業や伝統文化を知る活動を行いました。それをふまえ、2学期は自らが住む地域について深く知り、住みやすい、あるいは住んでみたい「まち」を考えることがテーマです。そこで、実際に御船町でまちづくりに取り組んでいらっしゃる方々に説明や生徒へ助言をお願いすることにしたのです。

 1組 御船町企画財政課 藤本様

    住みよい御船町づくりの総合計画等について説明されました。

 2組 御船町企画財政課 高橋様

    町の人口増加に向け「移住・定住」の取り組みを述べられました。

 3組 御船町企画財政課 後藤様

    企業誘致の取り組みを紹介されました。

 4組 御船町観光協会 丸山様

    御船しあわせ日和(地元住民有志の組織)の活動を話されました。

 A組 御船町商工観光課 作田様

    町の振興における観光の役割を説かれました。

 B組 御船町商工会青年部 永本様

    商工会青年部の活動を伝えられました。

 授業の後半では、生徒たちが班をつくり、それぞれのゲストティーチャーの話をうけての話し合い活動を展開しました。誰もが住みやすい町にするにはどうすればよいのか? 産業、福祉、教育、交通、人口など様々な観点から長い期間をかけ検討されている事実に直面しました。高校生が好む商業施設ができれば解決できるような単純な問題ではないことを理解したようです。

 先ず、自分たちの地域を知ること。これが一歩目です。3割の生徒は上益城郡外から通学していますが、学校のある御船町について考えることは汎用性があります。家庭と学校だけでなく、地域社会という世界が広がっているのです。 

 生徒たちに新しい扉を開いてあげること。これが「総合的な探究の時間」のねらいと言えるかもしれません。今後学習が深まり、生徒の職業観や人生観が徐々に変容していくことを期待しています。

 

目指せ、V奪還! ~ 全国大会に向けて準備するロボット部

 

    最近、放課後は電子機械科の第3実習棟2階によく行きます。ここで、マイコン制御部ロボット班の部員たちが、一か月後の全国大会に向け準備の山場を迎えているのです。大会には2チーム出場しますが、本番用のロボット2台はほぼできあがりました。今、最後の調整に努めています。生徒に言わせれば「足回りに工夫した」とのことで、自信作のようです。

    全国大会を想定して作られたコートでは、練習用ロボットを使い操作の練習が繰り返し行われています。1チーム6人編成ですが、本番ではフロアに3人が出て、ロボットを動かすことになります。時間を計って操作の練習に取り組む生徒たちは、声を掛け合い、本番さながらに真剣です。操縦用コントロールボックスを持ち、ロボットを動かす担当の生徒は「細かい動きがまだまだです。」と語りました。毎日、十数人の生徒が出入りして、ロボットの調整、操縦の練習等を分担しており、部屋には緊張感がみなぎっています。

   第27回全国高等学校ロボット競技大会(全国産業教育フェア新潟大会の一環)が10月26日(土)、27日(日)に新潟県長岡市で開催されます。マイコン(マイクロコンピュータの略)と呼ばれる小さなコンピュータの制御(コントロール)によって動くロボットを操作して、制限時間内に規定の課題をクリアしていく競技で、モノづくりの技術やアイデア、チームワークで競われるものです。

 この全国高等学校ロボット競技大会において、御船高校はこれまで九度の優勝を果たしています。初優勝は平成16年の広島大会でしたが、それから4連覇を成し遂げ、「ロボットの御船高校」の名前は一躍広まりました。その後も優勝を重ね、平成26年の宮城大会で9回目の全国制覇を達成しました。これはひとえに電子機械科の教職員の熱心な指導とマイコン制御部ロボット班の生徒たちの努力が合体した成果であり、誠に誇りに思います。

 しかしながら、その後は熊本地震の被災もあり、優勝から遠ざかりました。けれども、昨年の山口大会では3位入賞し、復活の手応えを職員、生徒共につかみました。今年こそ悲願の十度目の全国制覇に向けて、生徒たちの意気があがっています。

 まだ一か月あると私には思えるのですが、生徒たちは、もう一か月しかないという気持ちだそうです。「焦っています」と言いながらも、生徒たちの眼は輝いています。何かに熱中する高校生の姿を見ていると、こちらも元気がわいてきます。彼らが目指しているのは、学校近くの飯田山ではなく、日本一の富士山なのです。準備と覚悟が全く違います。高い目標を持ち、それに向け努力することで高校生は飛躍的に成長します。これから一か月、マイコン制御部ロボット班の生徒たちを応援していきたいと思います。

 

あとから来る者のために ~ 教育実習

 「先生と呼ばれる喜びと、その責任の重さを感じた二週間でした。」と教育実習生の水町さん(平成音楽大学音楽学科4年)が職員朝会で挨拶されました。9月9日(月)から20日(金)まで2週間、水町さんは教育実習に取り組まれました。19日(木)の2限目、1年A・B組(電子機械科)の音楽選択者対象に研究授業が行われました。「ボディパーカッションでリズム表現を工夫しよう」という主題で、生徒たちは楽器ではなく自らの身体の部位を叩きリズムを表現します。四つのグループに分かれての発表では、それぞれ創意工夫した表現がありました。生き生きと活動する生徒たちの様子を見て、水町さんの指導力の高さを実感しました。

 教員免許を取得するには、実際に学校で教育活動を体験する「教育実習」が原則必要となっています。教員になるために誰もが通る関門と言えます。母校で実習することが一般的で、水町さんも御船高校普通科芸術コース音楽専攻を卒業し、現在、平成音楽大学音楽科でファゴットを専門的に学んでいます。生徒たち、特に音楽専攻者にとっては先輩が教育実習に来てくれたことは大きな影響を受けたことでしょう。音大の学生として、音楽の面白さや奥の深さ等について熱心に伝えたもらったことは、学校として誠に有り難いことです。

 また、教育実習生の存在は、教職員にとっても貴重な刺激となります。自らの若き実習生の日々を思い出し、教師として初心に返ったような気持ちになります。さらに、教育実習生が高校生だった頃に指導した職員にとっては更に感慨深いものがあります。水町さんの担任は残念ながら他校へ異動していますが、副担任、または教科を指導した職員が数多く留任しています。当時、英語を教えたS教諭は、「本当に立派に成長していて、嬉しかった」と私に思いを伝えられました。まさに、論語で云う「後生畏るべし」です。年若い者は努力しだいで、どんなにも優れた人物になりうることを大人は畏(おそ)れなければならないのです。「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」という言葉もあります。

 高校生が進学し、母校へ教育実習に帰ってきて、改めて教師という仕事の魅力を認識して、教職を目指していくというのは理想の流れなのです。私たち教師は、自分よりも「大きな者」をつくっていく使命があります。

 教える者が一番教わります。水町さんも教育実習を通じて、音楽教育についてさらに深く学んだことでしょう。この経験を原動力に教職を目指していってほしいと期待します。そしてまた、フレッシュな教育実習生の姿に自分の将来を投影した御船高校生が幾人もいたであろうことを信じています。

 

御船の母なる源流 ~ 吉無田水源

  「御船町の宝物ですよ!吉無田水源は!」と御船町観光協会前会長の永本文宣氏が私に言われた言葉は深く印象に残っています。吉無田水源は御船町の大字田代地区にあり、御船高校から一般道を走行し約17~18㎞の距離です。阿蘇の南外輪山の南麓にあたり、一帯はゆるやかな高原で「吉無田高原」と呼ばれます。水源のある場所は標高およそ600mで、豊かな国有林に囲まれていて、車から降りると清爽感に包まれます。御船の町の中心部とは気温が7~8度くらい違うのではないかと地元の人は言われます。

 水源の脇には水神社が建立されており、水を汲みに来た人は神社に参り、ポリタンクを抱えて水汲み場に降ります。説明板によると毎分8トンの清水が湧き、私も手で掬(すく)って飲んでみましたが、甘みが感じられる澄んだ水です。この吉無田水源には先人の計り知れない労苦の物語があります。

 江戸時代後期、上益城郡の水不足解消のために肥後藩(細川家)は、この地一帯に大規模な植林を奨励しました。江戸時代の行政区では御船の大部分は木倉(きのくら)手永(てなが)に属していましたので、木倉手永の領民が力を合わせ植林に従事しました。文化12年(1815年)から延々と続き、慶応3年(1867年)まで52年間に及び、植林352万本の大事業が成し遂げられたのです。これによって大規模な藩有林(官山)ができあがり、水源涵養林(かんようりん)としての機能を発揮することになりました。樹木は雨水を効果的に吸収し水源を保つと共に、山地の土砂崩れを防ぐ機能も持っています。山に木を植えることの大切さは今も昔も変わりません。

 幕末の木倉手永の惣庄屋の光永平蔵(みつながへいぞう)は、植林事業の成果を活かすべく、吉無田水源から水を引き、総延長28㎞に及ぶ大水路(用水路)の難工事を指揮しました。嘉永6年(1853年)に起工し、安政6年(1859年)に竣工したこの難事業には地域の村々から農民が動員されました。現代のように重機もない当時、人力に頼った水利土木工事がいかに過酷なものであったか想像するしかありません。長い水路の途中、田代台地では873mものトンネルが穿(うが)たれました。今も、「九十九(つづら)のトンネル」として地元の人々によって顕彰されています。

 先人たちの大規模な植林と嘉永井手(かえいいで)と呼ばれる水路建設のおかげで、その後、現在に至るまで御船は水不足に悩まされたことはありません。現在の社会を造ってくれたのは歴史なのです。このことを私たちは忘れてはいけないでしょう。

    (参考)手永(てなが)とは江戸時代の肥後藩で設けられた行政区画制で、数村から数十村で構成され、責任者として   惣庄屋が置かれた。郡と村の中間に位置する。

教師として、創作者として ~ 御船高校芸術科教職員の活躍

 

 幾何学的に組まれた金属製の細い板が銀色に輝く、斬新なデザインの不知火文化プラザ(宇城市不知火町)。ここは美術館と図書館がある複合文化施設です。美術館の秋の企画展「楽しむ空間 書に遊び 絵に想う」を休日に訪ねました。御船高校芸術科の二人の職員の作品が展示してあり、招待券を頂いたのです。

 弘孝昌教諭(美術)の造形作品「monument」が、最初のフロアに展示されていました。縦120㎝、横284㎝の大きな作品で、木の枝、ポリスチレンフォーム(発砲プラスチックの一種)、アクリル板などの材料が使われ、墨の表現が山水画を思わせるものでした。題名「monument」はモニュメント(記念碑)です。きっと作者の心象風景が造形化されアートと成ったのでしょう。私の貧しい語彙では表現できない作品ですが、観る者を引きつける磁場のような力があり(これが芸術でしょう)、作品の前でしばらく佇んでいました。撮影を願い出たのですが、館員の許しは得られず、ここに画像を載せることができず残念です。

 フロアを進むと、古閑雄介教諭(書道)の書が三点展示されていました。古閑静盦(せいあん)の号を持つ書家で、若くして日展入選を果たし、今や熊日書道展委嘱書家です。「能動」の書は、その字義のとおりダイナミックな力が感じられるものでした。論語の一節の「後生畏るべし」の章句も、教育者としての思いがみなぎる書でした。そして「大徳」の書は、少し力を抜いた闊達な表現でした。書は人なり、です。日頃から書道部の生徒に対して、「技術よりも心の持ち方が大切だ」と指導されている古閑教諭の信条が迫ってくるようでした。

 会場にはその他多くの絵画、書の作品が展示されており、不知火美術館所蔵のマナブ間部(まべ)の鮮やかな色使いの作品も目を引きました。マナブ間部(1924~1997)は不知火町出身でブラジルに渡り、画家として大成し、ブラジルと日本との文化交流に大きな役割を果たした人です。しかし、弘孝昌教諭の造形作品、古閑雄介教諭の書も同じフロアに展示されて、遜色はありません。そのことに私は同僚として大きな誇りを覚えました。

 弘教諭が指導する美術部、古閑教諭が指導する書道部は、今や熊本県の高校文化活動のトップを走っています。教育に全力を傾けながら、自ら創作者としての活動も続ける両教諭に心から敬意を表します。両教諭を目標に、美術の本田崇教諭、黒田香陽講師、書道の緒方美樹講師もそれぞれ創作活動に鋭意取り組み、公募展に出品されています。

 教師として、創作者として、御船高校芸術科の教職員の活躍は、何よりも生徒たちに還元されていくと信じています。

                                                               宇城市不知火文化プラザ(美術館・図書館)

「それいけ、矢部高校・御船高校合同チーム!」 ~ 秋の熊本県高等学校野球大会

   「暑い中、選手も頑張ります。私たちも暑いところで応援しましょう!」と矢部高校野球部の保護者の方が大きい声を掛けられました。あまりの強い日差しのため、試合開始までネット裏の屋根の下に陣取っていた矢部・御船高校野球部の保護者の皆さんや私たちは意を決し、炎天下の1塁側スタンドに移動しました。

   9月16日(月)の祝日、12時半から山鹿市民球場で「第145回九州地区高等学校野球熊本大会」初戦プレーボール。35度近い暑さの中での観戦となりましたが、気温以上にグランド、スタンド共に熱気あふれる試合の始まりでした。矢部高校と御船高校の1、2年生野球部員はそれぞれ3人と8人で、単独ではチームがつくれません。従って、夏の大会が終わって3年生引退後は、両校で合同チームを結成しました。今回の県大会には55チームが出場していますが、そのうち3チームが合同チームです。

   合同チームと言っても、普段は一緒に練習はできません。矢部高校と御船高校は同じ上益城郡内にありますが、両校は27㎞も離れているのです。日頃の練習は別々で、土日の練習試合が合同練習に当たります。そのため、守備の連携プレーや攻撃のサインプレーの練習不足は否めません。試合前の練習においても、守備はぎこちなく、観ていて不安をいだくものでした。初戦の相手の人吉高校は部員が30人を超え、夏の県大会予選でも3回戦まで進出しており、試合前のきびきびとした練習の様子を見ても苦戦必至と思われました。

   しかし、いざ試合が始まると、矢部・御船高校合同チームはよく打ちました。ヒットの数は人吉高校を上回りました。けれども、守備面の不安的中でミスが続き、失点も重なりました。先制するも逆転され、同点に追いつくも、突き放され、最後は7対11で敗れました。選手わずか11人での精一杯の試合だったと思います。ピンチにおいて、矢部高校と御船高校の選手同士お互いを励まし合い、エラーをしてもかばい合い、よく意思の疎通を図っている光景が見られました。暑さで体力を消耗しながら、少ない人数で最後まで全力プレーする選手の姿に、スタンドで応援していた私たちは胸が熱くなりました。スタンドの保護者の声援も人吉高校にひけをとらないものでした。試合終了後、私は矢部高校の保護者の皆様に応援の御礼を申し上げました。ある保護者の方が「ようやったばい」と目に涙を浮かべながら言われました。この一戦で両校の保護者同士の絆がとても強まったようでした。

   最後に11人の選手達の健闘をねぎらいましたが、選手達は負けたことを心底から悔しがっていました。この敗戦から選手達が学んだものは大きいと思います。

   合同チームが結成されてまだ2ヶ月です。これからの躍進に期待したいと思います。「それいけ、矢部高校・御船高校野球部合同チーム!」

 

3年生を励ます ~ 3年生就職激励会

 

    集まった約80人の生徒たちの表情は真剣そのもので、全員が顔をあげ、集中力を感じました。9月11日(水)の7限目、3年生の「就職希望者の激励会」を本校セミナーハウス1階の研修室で開催しました。公務員は各種試験がすでに始まり、9月22日(日)には上益城郡の自治体等職員採用試験(町役場、消防)が御船高校を会場に実施される予定です。そして、一般企業の就職試験は9月16日(月)から解禁となります。3年生にとっていよいよ進路を決める秋到来です。

    激励の言葉として、私は最初に自立の意義を説きました。

    「皆さんは、これまで小学校、中学校、高校と12年間学校教育を受けてきました。その目標を一言で表すなら、大人として自立(独り立ち)するためです。この先、進学する人はまだ自立するとは言えません。なぜなら学費の多くを保護者が負担されるからです。しかし、皆さんは就職し、自ら収入を得るようになります。経済的に援助を受けずに生活できることが自立の一歩です。ちなみに皆さん、給料はもらうものではなく、自ら稼ぐものです。その気持ちを忘れずにいてください。」

    次に、自分自身の3年担任時代を振り返り、それまでになかった新しい仕事に興味を持ち、挑戦していこうとする高校生の姿勢に驚かされたエピソードを伝えました。

   「いつの時代においても、新しい扉を開いていくのは若者です。大人の私たちは一つ前の時代の思考回路です。しかし、皆さんは違う。皆さん達が就職し、仕事をしていくことから令和という新しい時代は動き始めます。」

    そして、生徒の皆さんを支えている3学年の職員の仕事ぶりを紹介しました。学年主任をはじめ6人の担任教諭は、かつての未熟な3年担任だった私とは比較にならないくらいの教育的情熱と見識を有しています。この夏休み期間、生徒たちの調査書を一枚一枚つくり、チェックし仕上げていきました。校長の私が最終決裁をするのですが、質問するとそれぞれの生徒の長所や、なぜこの企業を志望するのか等を丁寧に説明してくれ、頼もしい限りです。

    結びに、次のように生徒に語りました。聴く態度がみな立派で、きっと正面から受け止めてくれたことと思います。

    「皆さん、自分のために一生懸命になってくれる人がいることは幸せなことだと思いませんか。まだ見ぬ多くの人々、様々な物語が、皆さんを待っています。自立へのわくわくした期待感、そして新しい世界へ挑戦するという気持ちを持って、就職試験に臨んでください。皆さん全員の進路達成の日まで、御船高校全職員で支えることを約束し、励ましの言葉とします。」

 

 

筆をふるう ~ 熊本県高等学校揮毫大会

 

 「揮毫」(きごう)とは、筆をふるうという意味の言葉です。日常生活では耳にしなくなった言葉ですが、書道の世界では健在です。9月7日(土)、宇土市民体育館において、第25回熊本県高等学校揮毫大会(熊本県高等学校文化連盟書道部会主催)を開催しました。県内各地から40校、335人の生徒が出場し、1階アリーナで一斉に筆をふるう光景は壮観でした。

 書道は一人でもできます。しかし、やはり、志を同じくする者が集い、競い合い、高め合う場が必要だと思います。本大会は3年生が出場できる最後の大会です。書道に親しむ高校生にとって、本大会はこの夏の活動目標だったと思います。夏にどれだけ汗を流して取り組んだか。この大会は夏の練習成果が発揮される場と言えます。大会に臨む生徒たちの緊張感が伝わってきました。

 開会式において、代表生徒(八代清流高生)による宣誓がありましたが、紋切り型ではなく、印象的なエピソードが盛り込まれていました。それは、中国の高校生と交流の機会があり、現在の中国では使われていない漢字を臨書する日本の高校生に対し敬意を表された話でした。書道が、漢字という連綿と続く文化の集積の上に成立していることを示すエピソードと言えます。

 揮毫、すなわち生徒たちが筆をふるう実時間は午前10時から正午までの2時間です。この間は、各学校の顧問教師も2階席から見守ることしかできません。臨書部門は練習してきた書を作品に仕上げますが、創作部門は当日に課題の書が提示され、その中から選びます。漢字では李白、王維の五言絶句、七言律詩、仮名は古今和歌集、与謝蕪村の句、そして漢字仮名交じりでは、近代の短歌、俳句、詩句が課題でした。

 御船高校からは書道部15人が参加しました。それぞれが集中して紙に向かい、筆をふるう姿は頼もしく映りました。書き終えて2階席に上がってきた生徒たちは「緊張して最初は筆が震えました」、「2時間では時間が足りません」など口にしていましたが、充足感が皆の表情に浮かんでいたと思います。

 審査結果が出たのは午後5時を回っていました。御船高校は三つの部門(全8部門)で1位を取り、団体で準優勝の立派な成績を得ました。熊本県高校書道界では、御船高校書道部はすでに名門と呼ばれる存在です。本大会で3年生は引退しますが、2、3年生による新しい部活動がさらなる伝統を創っていくことでしょう。

 

一年生の優しい心情 ~ 高校生川柳コンクール応募作品から

 2学期が始まりまだ4日目です。夏季休業中の1年生国語科の宿題に「川柳」作成があったようです。提出された作品を第15回全国高校生川柳コンクール(福岡大学主催)に学校として応募することとなりました。その作品を国語科の先生に見せてもらい、生徒たちの素直な心情に触れ、温かい気持ちになりました。プール、海水浴、かき氷、花火といった夏の定番の季語が多く登場し、それぞれの夏休みを満喫したことがわかります。

 一方、希望と不安を抱えて臨んだ一学期の高校生活のことや友人、家族への思いが吐露された句も少なくなく、私はこちらの作品群に心惹かれるものが多くありました。その中から五つ紹介します。

 

 「友人へ  出会ってくれて  ありがとう」

 入学して出会った友人はかけがえのない存在で、その友人のお陰で毎日の高校生活が充実したものになっていることが伝わってきます。

 

 「教室へ  入った瞬間  まじ好きだ」

 登校し教室へ入ると、クラスメイトの笑顔が迎えてくれる明るい雰囲気。このクラスで一緒にがんばっていこうという前向きな気持ちが表現されています。

 

 「妹が  初のおつかい  いってきます」

 まだ小学校低学年でしょうか、幼い妹が初めて一人でお遣いに出かけます。「いってきます」のういういしい声に、姉として自然にわき起こる愛情です。

 

 「祖母の家  好物片手に  会いに行く」

お盆休みに家族で田舎のおばあちゃんの所を訪ねたのでしょう、その情景が目に浮かぶようです。

 

 「ありがとう  日頃言えない  この思い」

 お弁当の用意、車での送迎など保護者の皆さんの日頃の御苦労を生徒はわかっているのです。感謝の気持ちを秘めているのです。言葉に出せないだけです。

 

 保護者の皆さん、生徒たちは日々成長していますよ。信じてください。

 

「OWS」日本選手権に挑む

   「OWS」と聞いた時、何の頭文字か最初は分かりませんでした。この4月に御船高校に赴任した時、「OWS」の県内トップクラスの選手がいると職員から聞きました。その生徒は3年1組の江原奈穂さんです。

    OWS(オープンウォータースイミング)は、海や川、湖といった自然の中で行われる長距離水泳競技です。プールとは違い、天候、水質、あるいは潮の流れなど自然条件の影響を受けることから、一般の水泳競泳よりもタフな体力と専門的な技術が必要とされます。来年の「2020年東京オリンピック」において「マラソンスイミング」(10㎞)の名称で東京のお台場海浜公園で実施されることから今、注目のスポーツです。

    小学生の時から地域のスイミングクラブで水泳を始めた江原さんは、荒木コーチの指導のもと力をつけてきました。御船高校入学後も、荒木コーチが本校水泳部の指導も担われ、400m、800mの自由形で九州大会出場を果たしました。そして、もともと長距離を得意としていたこともあり、荒木コーチの勧めでOWS競技に取り組み始めたのです。この6月の鹿児島県の阿久根市、そして7月の「世界遺産の島」屋久島で開催されたOWS競技大会(5㎞)でそれぞれ3位に入賞し、上位大会の国体、日本選手権への出場が決まったのです。

    9月2日(月)の2学期始業式後、江原さんの壮行会を開催しました。江原さんは、今月11日、茨城県で開催される国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」に熊本県代表として出場します。さらに22日、千葉県房総半島の館山海岸で開催される日本選手権に出場します。

   「江原さん、あなたのレベルになると、もうあなたしか知らない世界があると思います。海の水は世界中に通じています。スポーツに国境はないと言います。もっと広い世界まで進んでいってくれることを期待します。」と私は励ましの言葉を贈りました。全校生徒の前で、江原さんは、「熊本県代表としてがんばってきます」ときっぱり決意を述べました。高い目標に挑むアスリートらしく、内に闘志を秘め、輝く眼が印象的でした。国体、そして日本選手権(オーストラリアの世界選手権大会につながる)とさらなる大舞台に挑む高校生スイマーを全校挙げて応援したいと思います。

 

新しいALTの紹介 ~ ALTの新任式開催

 「私の名前はマシュー・ディーツです。アメリカのミネソタから来ました。大学で生物を専攻しました。趣味は料理です。御船町は美しい所です。」

 マシュー先生の流ちょうな日本語の挨拶に私は驚きました。本格的に日本語を学習し始めて3ヶ月ほどと聞いていましたが、全校生徒の前で立派な日本語のスピーチを披露したのです。歓迎の挨拶を生徒会長の田中美璃亜さんが行いましたが、後半は英語のスピーチに挑戦し、マシュー先生も笑顔になりました。

 ALT(Assistant Language Teacher)の先生の新任式を、9月2日の2学期始業式後に体育館において実施しました。吹奏楽部がアメリカ合衆国の国歌の歓迎演奏を行いました。

 アメリカ合衆国は50の州(State)がありますが、マシュー先生はミネソタ州の出身です。ミネソタ州はカナダと国境を接し、多くの湖がある自然豊かな所だと聞いています。マシュー先生は、大学でBiology生物学、History歴史学、そしてコンピュータサイエンスなどを学ばれましたが、歴史学の先生からJET (Japan Exchange Teaching)プログラムを紹介され、日本にとても関心を持ち、ALTとして働きたいと来日されました。

 マシュー先生は、6月に大学を卒業されたばかりのフレッシュマンです。ちなみにアメリカの標準的な大学は9月に入学し、6月に卒業を迎えます。日本の学校は明治時代以来4月入学、3月卒業の仕組みをとっていますが、欧米の多くの国では学校は9月入学となっています。毎年、ALTが7月に離任し、9月に新しく赴任となるのは、このような学校制度の違いが背景にあります。

 マシュー先生は日本で新しいことをたくさん学びたいと意欲的です。急速に日本語が上達中なことは今日のスピーチで証明されました。趣味はラグビーと料理だそうです。大学時代にラグビーの選手として活躍され、がっちりとした体格のナイスガイです。

 生徒の皆さん達から積極的に先生へ話しかけ、対話を楽しんでくれることを期待します。  

 

御船高校杯中学生ロボット大会の開催

 

 

 「第14回御船高校杯中学生ロボット大会」を、8月2日(金)の午後、熊本市南区田井島にある大型商業施設「ゆめタウンはません」3階の交流スペースにおいて開催しました。熊本市及び上益城郡から7中学校11チーム、およそ50人の中学生が参加してくれました。

 御船高校はこれまで全国高校ロボット大会で9回の優勝を誇り、ロボット競技においては全国に知られた高校です。中学生にもっとモノ作りの面白さを知ってもらいたいとの願いから、中学生ロボット大会を開催してきました。もちろん本校の力だけでは実施できず、毎回、大学や企業のご協賛を頂いています。昨年までは本校の実習棟で行ってきましたが、中学生ロボット大会の様子を広く発信したいと考え、今年は校外に出て、「ゆめタウンはません」のご理解を得て開催することになりました。その結果、多くの中学生保護者の皆さんや買い物中の市民の方にご観覧いただくことができました。

 主役の中学生の皆さん達が、チームで一生懸命にロボットを動かし競技する姿がまことに爽やかでした。きっと顧問の先生の指導を受け、ロボット制作から操作習得に時間をかけて準備し、練習してきたことでしょう。しかし、それでも、本番はハプニングがつきものです。最初からロボットが動かない、思いどおりにロボットを操作できず、決められたアイテム(空き缶、牛乳パックなど)をゴールまで運ぶことができないことが続きます。中学生の皆さんは動揺しながらも、何とかロボットを動かし、競技を続行することに全力を尽くします。観覧の方々から温かい拍手が送られました。

 中学生の皆さん、失敗してもいいのです。「失敗」とは「こうやったらうまくいかないということをわかった」経験と言えます。成長とは、トライ(挑戦)、アンド、エラー(失敗)の繰り返しです。「接続不良にならない配線はどうすればよいのか?」、「アイテムをつかみやすくするためにはどんな工夫が必要か?」と、課題を自ら見つけ出し、問いを発していくことが大切なのです。

 大会運営を御船高校電子機械科の2年生と3年生の有志が担いました。話しを聞くと、彼らの中には、この御船高校杯中学生ロボット大会への出場を契機に、御船高校電子機械科への進学を決めた者もいます。今回参加した中学生の皆さんの中から、御船高校志望者が現れることを期待します。そして、参加者全員が、これからもモノ作りに関わり続けていくことを願ってやみません。

 「御船高校のロボットはすごい」と中学生の憧れの目標であり続けるため、本校のロボット部は今日も汗を流しながら秋の全国大会を目指しています。

 

教師も学ぶ夏です ~ 夏休み便り

 朝、校長室の窓を開けると蝉時雨(せみしぐれ)に包まれます。空を見上げると入道雲が浮かんでいます。日中の最高気温は35度前後まで上昇し、グラウンドに立てばじりじりと熱気が足下から湧いてくる感じです。今や小・中・高校の教室にはエアコンが完備され、夏でも涼しい環境で学習できるのですが、やはり盛夏を迎えてみると夏休みは必要だなあと実感します。7月31日をもって夏季の課外学習の期間が終わり、8月に入ると校内の生徒の姿は減りました。

 夏季休業も十日ほど過ぎました。毎日のように御船高校生の活躍のニュースが飛び込んできています。3年生の樋口君はプロサッカークラブ「ロアッソ熊本」のトップチームへの昇格が決まり、新聞報道されました。樋口君は学校の部活動ではなく、小、中、高校と「ロアッソ熊本」のクラブチームに所属し活動してきたのです。そしてついにサッカー界最高峰のJリーグ(現在「ロアッソ熊本」はJ3リーグ)の選手となる夢が見えてきたのです。また、7月30日(火)には、熊本県吹奏楽コンクール高校小編成部門で御船高校吹奏楽部(15人)が南九州大会出場を決めました。2年ぶりの県代表となり、翌日、喜びの表情で部員の皆さんが校長室に報告に来てくれました。

 生徒の皆さんはどのように夏休みを過ごしていますか?夏休みはスポーツや文化活動など自ら好きなことに熱中できます。何かに熱中することは、自己肯定につながると私は思います。一人ひとりが学期中にはできないことに熱中して欲しいと願っています。令和元年、2019年の夏は二度と来ないのです。

 さて、夏季休業中ですが、御船高校の先生たちも頑張っていますよ。2、3年生の担任は生徒、保護者の方との三者面談、そして3年生は就職や推薦入試の準備指導、1年生の担任は家庭訪問に回っています。そして、それぞれの専門教科の研修会に参加し、自らの授業力や指導力の向上に励んでいます。それに加え、今年の夏は全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の「南部九州総体2019」(熊本・宮崎・鹿児島・沖縄)が開かれています。熊本県でも7競技が開催されており、バドミントン競技(八代市)には本校から林田先生と松本先生、剣道競技(熊本市)には蔵土先生と高宮先生が出向かれ、大会運営に関わっておられます。

 教師は自分よりも「大きな者」を育てていかなければなりません。自分並みでは次代につながりません。従って、自分自身を向上させるために研修(研究と修養)が求められるのです。生徒の皆さんと職員で競い合い高め合えば、御船高校はさらに活気ある学校になるでしょう。今から2学期が楽しみです。

     7月26日(金)の「中学生体験入学」での本校職員の模擬授業風景

ようこそ御船高校へ ~ 中学生体験入学

    令和元年度の熊本県立御船高等学校「中学生体験入学」を7月26日(金)午前に実施しました。7月24日(水)の異例の遅い梅雨明け以後、日中の最高気温が35度近くに迫る猛暑が続いていますが、それに負けない御船高校の生徒及び教職員の熱意でもって、中学生220人及び保護者・教職員の皆さん50人をお迎えしました。

 午前9時開会と共にオープニングアトラクションとして、本校が誇る吹奏楽部の演奏と書道部の書道パフォーマンスを披露。いきなり御船高校の芸術の力を全開し、中学生たちを引きつけることができたと思います。そして、生徒会長の挨拶、生徒会役員によるパワーポイントを使って大型スクリーンで学校紹介と続きました。この「中学生体験入学」は生徒会はじめ生徒が前面に出て、運営を行っているところが特長なのです。校長挨拶もありません。私自身も不要だと考えています。御船高校生の生き生きとした姿を中学生に見てもらうことが一番の目的と言えるでしょう。「あんな高校生になりたい」、「この先輩達と一緒に高校生活を過ごしたい」と中学生に思ってもらいたいと考え、企画した「中学生体験入学」なのです。

 参加者を6班に分け、それぞれを生徒会の生徒たちが引率して、授業体験、書道・美術の芸術作品の観覧、電子機械科の実習体験等に回ります。特に実習棟における電子機械科の実習体験は、旋盤、溶接、ロボット等の実演を生徒たち自ら行い、説明も担当しました。2年生女子3人が、「工業女子よ来たれ」と盛んに女子中学生にアピールしている姿が印象的でした。また、芸術コース専攻を希望している中学生は、高校生の支援のもと美術室でのデッサンや書道室での制作に挑戦しました。

 中学校とは違う学びの広さ、深さ、そして施設・設備等の充実した教育環境に中学生達は眼を輝かせ、知的好奇心をもって様々なプログラムに取り組み、その真摯な姿勢は実に爽やかでした。

 中学生の皆さん、改めて御船高校の魅力を四つあげます。 

 一  伝統と信頼があります

 一  多くの出会いが待っています

 一  一人ひとりを伸ばします

 一  他校にはない体験活動が豊富です

  来春、天神の森の学舎で皆さんと出会えることを待っています。

 

「伝統」と「多様性」が御船高校の魅力です。

 7月19日(金)に1学期終業式を終え、夏季休業期間に入りました。この4月に赴任した私にとって、1学期は、発見と気づきの連続でした。本校は、幅広い学びの中から自らの進路を探していく普通科、音楽・美術・書道を通して創造力と感性を磨く芸術コース、そしてモノ作りの面白さを追求する電子機械科とそれぞれ異なる教育課程があり、個性きらめく生徒の皆さんが共に学校生活を送っています。平成から令和に時代が変わっても、天神の森の学舎は可能性ある若者と熱意ある教職員の出会いの場であり続けます。

 御船高校の魅力は、「伝統と多様性」だと私は思います。生徒たちは可能性豊かで、一人ひとりが自分探しの個性的な旅をしていると感じます。そして、御船高校生を地域の方や同窓生の皆さんが温かく見守っておられます。熊本県で最も歴史ある洋画公募展の「銀光展」(今年で82回)において、3年4組の木村さんの作品が最高賞に選ばれました。芸術コース美術専攻の生徒としてこれまで学んできた見事な成果です。学生、社会人含めての最高賞を高校生が受賞したことは新聞でも報道されました。そして、この記事をご覧になった同窓生の方からご丁寧な封書が学校に届きました。昭和28年3月ご卒業(御船高校5回生)の大先輩の方で、後輩の木村さんの受賞をたいそう喜ばれ、展覧会に足を運びたいと綴られていました。木村さんを校長室に呼び、この祝意のお手紙について伝えました。木村さんにとっても自信になる出来事でしたが、多くの同窓生や地域の方々を喜ばせる快挙だったのです。

 銀光展の最高賞だけでなく、この1学期、書道部、写真部、水泳部の活躍をはじめ、少林寺拳法同好会の躍進や個人的に取り組んでいる吟詠剣詩舞での全国高校総合文化祭への出場(3年女子)、同じく個人的な挑戦の自転車競技での九州高校総体への出場(1年男子)など相次ぎました。この夏季休業においても、地域の空手道場に通っている2年男子の世界大会出場や、御船町ライオンズクラブの推薦を受け3週間の台湾ホームステイに出かける2年男子など自ら意欲的に進路を切り開く御船高校生が数多くいます。

 そしてきょう7月23日(水)、吹奏楽部が熊本県吹奏楽コンクールの小編成部門で金賞を受賞しました。会場の県立劇場でその演奏を体感した私は、とても15人とは思えない迫力あるサウンドに魅了されました。

 御船高校の魅力は、「伝統と多様性」です。中学3年生の皆さん、来る7月26日(金)は御船高校体験入学の日です。天神の森の学舎への来校を心から待っています。

 

「私たちの学校」という気持ちで ~ 1学期終業式を迎えて

 

 7月19日(金)に御船高校は1学期の終業式を迎えました。大掃除の後、午前9時20分から表彰式、ALT(外国語指導助手)のディラン先生の退任式を行いました。そして、生徒たちはそれぞれの教室に戻り、午前10時15分から放送による終業式を実施しました。体育館の暑さ対策のためです。

 校長講話を放送室で行いましたが、生徒の顔が見えず、マイクに向かって一人で話すことの難しさを感じました。私の講話は次のようなものでした。 

 皆さん一人ひとりが私にはまぶしく見えるほど、高校生は可能性の塊です。高校教師として長年仕事をしてきた私は、高校生の計り知れない可能性にいつも驚かされてきました。だから、皆さん達には、勝手に自分の限界を設けて欲しくありません。「どうせ自分なんか」と自分の可能性を否定するマイナスの言葉は使って欲しくないのです。挑戦もしていないのに諦めている人が多いように思います。失敗したっていいではないですか。「失敗」とは「こうやったらうまくいかないということがわかった」ことを学ぶ経験です。どんなことがあっても、自分だけは自分自身を信じていてください。好きでいてください。

 休み時間や放課後に、私は努めて校内を巡るようにしています。皆さんと挨拶を交わしたり、短い時間でも対話したりすることが楽しみです。しかし、残念なことがあります。駐輪場周辺や部室の近くにジュースの空き缶やお菓子のゴミ袋などがよく落ちているのです。皆さんは自分の部屋にジュースの空き缶を捨てますか? 大人の中にも、自動車や自分の部屋などのプライベート空間は清潔を保つ一方、道路や公園のトイレにタバコの吸い殻や空き缶を放置する人がいます。本来は、多くの人が使用する公共の空間こそ、プライベートな場所より大切にしなければならないのではないでしょうか。

 御船高校は私たちの学校です。1年生も入学して3ヶ月余りこの学舎で生活してきました。単なるモノや道具であっても、長い時間使い続けると愛着を感じます。長年乗っている自転車は、もう単なるモノ(無機物)ではなく、自分の相棒のようになり、「こいつはよく走ってくれるんです」という表現をします。生徒の皆さんにとって、家庭の次に御船高校は心の拠り所と言える場所になって欲しいのです。「私たちの学校」という気持ちを持てば、学校というみんなの空間をさらに大切にすることでしょう。 

 令和元年、2019年の夏休みは二度とありません。生徒の皆さん、一日一日を大切に過ごしてください。

 

ALTのディラン先生を歌で送る

   ALT(Assistant Language Teacher)のディラン先生が2年の任期を終え、1学期末で御船高校を退任されることとなりました。この2年間、ディラン先生は、英語をわかりやすく教えられると共に、母国のアイルランド共和国をはじめヨーロッパ等の国々のことを授業で紹介されました。生徒たちはいつもディラン先生の授業を楽しみにしていました。

 7月19日(金)の1学期終業式の日、体育館において、ディラン先生の退任式を行いました。ディラン先生のスピーチは、最初に英語、次に日本語で次のようなことを語られました。

  「日本に来る前は、日本の生活のことは全く分からなかった。日本の高校生はシャイ(恥ずかしがり屋)で静かだと思っていた。けれども、御船高校の生徒は明るく元気の良い生徒が多く、生徒たちの幸せそうな顔を毎日見ることが幸せだった。御船町に住み、御船高校で教えたことを忘れることはないだろう。」

   ディラン先生のスピーチの後に、生徒会長の田中美璃亜さん(2年B組)が生徒代表の感謝の言葉を述べ、花束を贈呈しました。そして、ステージにコーラス部の生徒6人が登壇し、音楽の岡田先生の指揮、前村先生のピアノで、アイルランドの歌「ダニー・ボーイ」(別名:ロンドンデリーの歌)を合唱しました。アイルランドの民謡は旋律が優しく、明治時代から日本人には親しまれてきました。特に、1913年(大正2年)に発表されたこの歌は、戦場に息子を送った母の思いが表現されていて、その切ないメロディと歌詞は国境を越えて共感を呼び、我が国でも歌い継がれてきています。花束を持ったまま壇上の椅子に座り、コーラス部の歌声にじっと耳を傾けるディラン先生。目頭を幾度か押さえる様子が見られました。異国の地で聴く祖国の民謡はディラン先生の心に深く響いたことでしょう。

   最後は全校生徒及び職員による校歌斉唱を行い、拍手の中、ディラン先生は生徒たちの間を通って、体育館を退場されました。

   アイルランドは、地理的には遠く離れた島国です。しかし、かつて明治24年から3年間、アイルランド人の父とギリシア人の母を持つラフカディオ・ハーン(帰化して小泉八雲となる)が熊本の青年達に英語を教えたことから、熊本とアイルランドの関係は早くから始まりました。ハーンが住んだ家は今も熊本市に記念館として保存公開されています。また、市民有志によって「熊本アイルランド協会」という団体も結成されています。人と人との出会いによって、国と国との関係が始まるのです。私たちにとって、アイルランドはディラン先生の国として特別な存在になることでしょう。

 

御船町の本町通り歴史散歩 ~ かつて御船に県庁があった

 

   「御船町に県庁があったことを知っていますか?」と、御船高校に赴任した私に藤木町長が言われました。続けて、「但し、たった二日間ですが」と笑って付け加えられました。

 時は明治10年(1877年)2月のことです。西郷隆盛率いる薩摩軍が北上して、政府軍の立てこもる熊本城を包囲しました。西南戦争の始まりです。お城の近くにあった熊本県庁は2月19日に避難し、郊外の御船に仮県庁を置いたのです。しかし、この一帯も混乱しており、結局、21日には御船から仮県庁は出て行きます。「御船の二日県庁」と語り伝えられるゆえんです。仮県庁はその後も県内を転々とし、4月16日に熊本城近くの元の場所に戻りました。なお、田原坂の戦いで政府軍に敗れ、熊本城の包囲網を解いた薩摩軍は、4月に御船付近で数次にわたって政府軍と戦火を交えます。特に最後の4月20日の戦いは激しく、政府軍が御船町を占領することで、薩摩軍は山道を矢部方面へ撤退していきました。その後、二度と薩摩軍が熊本平野に戻ってくることはありませんでした。

 「県庁跡」は御船川左岸の本町通りです。ここはかつて御船の商業の中心だったところで、漆喰の白壁の建物前に「史跡 熊本県庁跡」の白い標柱が立っています。背後の建物は、築100年以上の歴史的建造物の「池田活版印刷所」(明治33年創業)です。こちらは今も鉛活字を使った昔ながらの手法で印刷を手がけておられます。先日、本校の美術科の職員等と訪問したところ、5代目店主の吉田典子さんが懇切丁寧にご案内してくだいました。店内は、インクの匂いが漂い、大量の鉛活字の棚や黒光りする印刷機が存在感を示しています。名刺やノートを手に取ると、活版印刷による味わい深い凹凸感がありました。今後、美術コースの生徒の見学やワークショップを実現したいと思います。

 池田印刷所の隣が「御船街なかギャラリー」です。もともとは江戸時代後期に建てられた大きな町屋で、豪商の林田能寛(はやしだよしひろ)の商家(「萬屋」)でした。白壁土蔵造りの酒蔵や商家が次々と消えていく中、往時の町並みを伝える建物として御船町が所有し、現在は交流施設として観光協会が運営されています。太い梁や柱の趣ある主屋をはじめ離れや庭、さらには二つの大きな蔵があり、御船高校芸術コースの書道や美術の学習成果発信の場として活用できないか検討しているところです。

 令和の世にあっても活版印刷が行われていたり、江戸後期の商家建築が活用されていたりと御船町の本町通りは奥が深い場所です。歩いていると歴史をさかのぼっていくような感覚に包まれます。皆さんも歩いてみませんか?

 

選手10人の入場行進 ~ 夏の全国高校野球熊本県大会

 

 「御船高等学校」と球場にアナウンスが響きました。御船高等学校野球部の選手10人の入場行進です。キャプテンの久佐賀君が校旗を持ち、その後ろに3人ずつ3列で9人の選手が続きます。バックネット裏に座っていた私の周囲では「あれ?御船はたった10人かな?」という声がしましたが、私は気になりませんでした。本校野球部は部員不足で悩まされ、常に少人数で取り組んできて、7月7日(日)の第101回全国高等学校野球選手権熊本大会開会式を迎えたのです。二日前、学校のグラウンドで入場行進の練習をする選手達に、「少人数でもキラリと光る行進をしよう」と励ましたところです。

 藤崎台球場は、県内の高校球児にとっては「熊本の甲子園」のような場所です。樹齢七百年の七本の大楠(国天然記念物)が外野席後方から見守る伝統ある球場に、御船高校単独チームとして入場行進ができたことを誇りに思っています。今年は第101回大会。テーマは「新たに刻む、ぼくらの軌跡」です。少子化に伴う高校生減少によって高校球児も減っています。また、熱中症の危険性も高まり、真夏の大会運営における安全性の確保が求められています。

 しかし、様々な困難がある中、高校野球のひたむきさ、最後まであきらめない姿勢などは観る人に元気を与えます。そして、6月上旬に県高校総体・総合文化祭が終わることで大部分の3年生が部活動を引いた後、野球部だけが1ヶ月余り練習に汗を流し、3年生にとって部活動の総仕上げの意味もあり、他の生徒たちの熱い応援もあります。夏の高校野球は国民にとっても風物詩のようなもので、我が国独自の学校文化と言えると思います。

 御船高校野球部の初戦は7月8日(月)の第2試合(県営八代球場)となりました。当日は、電子機械科1年生(A・B組)の鹿児島県の川内発電所見学の引率が早くから予定されており、抽選結果の日程を残念に感じました。開会式後、選手達には「1回戦を突破したら応援に行けるから、勝ってくれ」と檄を飛ばしました。しかしながら、結果は熊本高校に大敗を喫したのです。たった二人の3年生の久佐賀君(捕手)と内村君(投手)が最後にバッテリーを組んだことを後で知り、少し救われた気持ちとなりました。

 勝った時よりも、負けた時の方が学ぶことは大きいと言われます。本校の3年生の皆さんの多くは十分に力を発揮できず、部活動の終わりを迎えたことでしょう。しかし、高校生としてこれからが本当の勝負です。皆さんには無限の未来が広がっています。敗戦の悔しさをエネルギーに変え、一人ひとりの進路実現に向けて挑戦していってほしいと期待します。後ろを振り返る必要はありません。夢、希望、目標は前方にしかないのです。 

 

音楽のチカラ ~ 平成音楽大学ブラスオーケストラ演奏会

 

   今年の熊本県の梅雨入りは記録的に遅く6月26日(水)でした。その後、断続的に雨が降り続き、今週は九州全域で大雨となり、7月3日(木)は豪雨災害の発生が予測されたため、臨時休校としました。前日から期末考査が始まっており、午前中で考査が終わる予定でしたが、生徒の登下校の安全最優先の観点から、当日朝の6時半に休校の判断をしました。結果的には、上益城郡及びその周辺の雨量は心配されたほどではありませんでしたが、「空振り」でも良かったと思っています。近年の気象災害の状況を見ると、経験や前例は通用しなくなっています。私も三十年以上、高校の教員として働いてきました。自分の経験から学ばなければなりません。しかし、それだけでは全く足りないことを痛感する毎日です。

 さて、大雨で臨時休校となった7月3日(木)の夜、平成音楽大学「ブラスオーケストラ2019演奏会」が熊本県立劇場コンサートホールで開催されました。平成音楽大学は九州唯一の音楽大学で、御船町滝川の御船川左岸の高台にあります。創設者の出田憲二先生(故人)は御船高校の卒業生であり、かつて同窓会会長も務められました。平成16年、本校に音楽・美術・書道の芸術コースが設けられた背景に、同じ町の平成音楽大学の存在がありました。現在も、音楽コースの生徒たちは授業の一環として同学において専門の楽器、歌唱等の指導を受けています。音大の一流の先生方から直接指導を受けられることは、御船高校芸術コースの大きな魅力だと考えています。

 平成音楽大学からの御案内をいただき、7月3日(木)夜の演奏会に本校の音楽教師と共に出席しました。雨天にもかかわらず、コンサートホール(収容1810席)の席の多くが埋まりました。よく知られたクラシック音楽からスタートし、1964年の東京オリンピックマーチ(作曲:古関裕而)、作曲家の小林亜星の数々のヒット曲と続きました。そして、ラデツキー行進曲(J.シュトラウス)、出田敬三学長が作曲され、広く県民に親しまれている「ユアハンド マイハート」、「おもいで宝箱」でクライマックスを迎えました。平成音楽大学ブラスオーケストラと陸上自衛隊西部方面音楽隊の共演、同学の女性合唱団「平成カンマーコール」、これに子ども学科の学生によるダンス等も加わり、圧巻でした。そして、このすべてをリードされるのが指揮者の出田敬三学長です。まさにマエストロの称号を贈りたい自在の指揮をされました。

 「音楽のチカラ」。この言葉を出田学長はよく使われます。熊本地震の被害を受けた平成音楽大学はこの夏、ニューキャンパスとしてよみがえります。その祝祭のような演奏会の熱気に包まれ、鬱陶しい梅雨の季節であることを忘れることができました。「音楽のチカラ」です。

 

校庭の石碑

 

 御船高校に赴任してきた4月の春休み、校庭を歩いていて体育館前の芝生の石碑が目につきました。高さは1m50㎝程度で、上部にブロンズ(青銅製)板がはめ込まれ、「孝忠」と文字が大きく刻まれ、続いて十行ほど漢文があります。台座の説明版を読むと、「昭和八年十一月十日」、「熊本懸立御船中学校長」の「古賀重利」が建造したことがわかります。いったいこの碑は何だろうと思い、幾人かの職員に尋ねましたが、皆知りませんでした。中には、「校庭に石碑?そんなものがありましたか?」と逆に尋ねてくる職員もいました。私は赴任した直後で、新鮮な気持ちで校内を歩いていたから目にとまったのでしょう。この例が示すとおり、視野に入っていることと認識していることは大きく違います。意識して見ないと、私たちは多くのものを見落とすものなのです。

 さて、この石碑の由来について、その後調べてみました。御船高校の創立90年誌、創立80年誌には見当たりませんでしたが、70年誌に紹介されていました。この記事の中に「誰にも顧みられることなく校庭にある」との表現がありますので、当時から関心が払われないものだったのでしょう。実は、この石碑は、幕末の勤王の志士、宮部鼎蔵(みやべていぞう)に関するものでした。

 皆さんは、宮部鼎蔵を知っていますか?幕末の歴史に興味、関心のある人にとっては有名な人物でしょう。幕末をテーマとした映画やドラマ、小説等では、池田屋事変で新選組に斬られる勤王の志士として登場します。宮部鼎蔵は熊本藩士(細川家家臣)で、文政3年(1820年)に現在の御船町上野で生まれています。幕末の動乱の中、朝廷中心の勤王思想の志士として活動し、吉田松陰(長州藩)とも交流がありました。文久2年(1862年)に上京する際、決死の覚悟だったのでしょう、弟の春蔵に対して、「親に孝、朝廷に忠」という自らの遺訓の書を託したのです。2年後、京都の池田屋に同志といるところを襲われ、宮部鼎蔵は斃れました。享年45歳。

 旧制御船中学校の古賀重利校長(第5代)は、御船の先人である宮部鼎蔵の遺訓の言葉「孝忠」に、朝夕、生徒にも接して欲しいとの願いから、この碑を校庭に建てられたようです。この「孝忠」碑の元となる碑が、宮部鼎蔵の出身地の上野地区にあると聞き、先日、梅雨の合間を縫って訪ねました。御船高校から国道、県道で約8㎞離れた御船町上野に「鼎春園」(ていしゅんえん)があります。大正2年(1913年)、宮部鼎蔵と弟の春蔵の遺徳を敬慕する地元住民によって整備された公園です。高さ5mの宮部鼎蔵顕彰碑、春蔵の歌碑と共に、鼎蔵の「孝忠」碑がありました。古賀重利校長もここを訪ねたのでしょう。

 御船高校は創立以来1世紀近く、変わらぬ場所にあります。先人の思いが幾層にも重なっている学舎であると、「孝忠」碑を見て思います。

 

  御船高校校庭の「孝忠」碑    鼎春園の「孝忠」碑

先人の「自治」の精神から学ぶ

 

 前回の「校長室からの風」の続編になります。同じ上益城郡内の山都町にある矢部高校を先日訪問した際、近くの国重要文化財の石橋「通潤橋」を見学したことは触れました。大規模な石橋と周囲の田畑と調和した美しい景観に胸を打たれましたが、もう一つ印象に残ったものがありました。「通潤橋」の見学路に、この石橋の建設責任者である布田保之助(ふたやすのすけ)の銅像が立っていますが、傍らに遺訓の碑があり、「勤勉・勤労・自治」と刻まれていました。その「自治」という言葉に強い印象を受けたのです。

 江戸時代の熊本藩(細川家)の地域行政の仕組みを少し解説します。上益城郡には藩士が務める郡代がいて、その下に手永(てなが)という熊本独自の行政単位がありました。手永とは郡と村の中間にあたり、数村~数十村から構成され、このトップが惣庄屋(そうじょうや)と呼ばれ、各村の庄屋を統括しました。惣庄屋は言わば地域住民のリーダーと言えます。

 布田保之助は矢部手永の惣庄屋として、水不足に苦しむ白糸台地に水を引くため難工事の末、水路橋としての「通潤橋」を江戸時代末期の安政元年(1854年)に完成させました。現代の感覚であれば、これほどの大規模なインフラ(社会生活の基盤)整備は公共工事で行われるべきと考えますが、当時は違いました。熊本藩の許認可を得たうえで、あくまでも事業主体は矢部手永であり、責任者は布田保之助なのです。藩のお墨付きを得た事業ではありますが、財政支援はほとんどなく、布田保之助を筆頭に地域住民(農民)が心血を注いで取り組んだのです。布田保之助の徹底した自治の精神が「通潤橋」を創り上げたことはもっと知られてよいことだと思います。

 「通潤橋」に象徴されるように、江戸期は地域住民にとって道路や橋、用水路の築造は自分たちで行うことが原則でした。御船町にもその好例が遺されています。江戸後期、御船町の大部分は19の村から成る木倉(きのくら)手永でした。幕末の木倉手永の惣庄屋は光永平蔵(みつながへいぞう)という人物でした。光永平蔵は吉無田水源から水を引き、途中873mに及ぶ隧道(トンネル)を掘削する難工事を経て御船地域の田畑を潤す井手(用水路)を整備しました。

 また、御船の豪商(酒造、米穀商等)の林田能寛(はやしだよしひろ)は日向往還の難所の八勢川の岩場に眼鏡橋架橋を発起し、藩の許可を得て自らの資金を投入して安政2年(1855年)に完成させています。八瀬の石橋は県指定文化財として今も端正な姿を留めていることは以前の「校長室からの風」で記したとおりです。

 「通潤橋」、「八瀬の眼鏡橋」をはじめ農業用水として今も活用される光永平蔵の嘉永井手(かえいいで)などの遺産は、自分たちの地域は自分たちの手で創り上げるという先人の「自治」の精神を後世の私たちに伝えてくれます。 

 

御船から矢部への道

 

 先日、出張で同じ上益城郡内の矢部高校(山都町)へ行きました。本校のある御船町は古くから上益城郡の中心地で、江戸時代は熊本の城下町から延びた日向往還が御船から山地に入り、矢部郷を通って日向国(現在の宮崎県)へ抜けていました。現在は御船町から国道445号を走行し、山都町(やまとちょう)へ向かいます。右手に御船川が車窓から見え隠れし、道は上り坂で次第に谷が深くなります。

 御船町滝尾の下鶴地区には、国道と平行して石橋「下鶴橋」(しもづるはし)が残っています。明治19年(1886年)、御船川に合流する八瀬川に架橋されたもので、橋の長さは25m、幅が約6m、今日もなお生活道路として現役の橋で、ここを通りかかると車を止め、しばし眺め、風雪に耐えてきた石の手すりに触れたくなります。

 御船町七滝を過ぎると国道は山都町に入ります。九州中央自動車道(高速道)は九州自動車道の嘉島ジャンクションで分かれ、御船町を通り、山都町の「山都中島西インターチェンジ」まで開通しています。延伸工事が進行中で、山都町の矢部インターチェンジまでの開通を目指しています。最終的には県境を越え、宮崎県延岡市までの九州横断ルートとなる計画です。このため、工事用トラックが頻繁に通行しています。矢部への道は急な坂やカーブを繰り返しながら上っていきますが、この道を毎日単車で御船高校まで通学している生徒のことを思うと交通安全を願わずにはいられません。

 御船高校を出発して約40分で矢部高校に到着しました。走行距離は27㎞。この付近の標高はおよそ450mあり、熊本平野の東端に位置する御船高校からかなり上ってきたことがわかります。同校のある山都町は平成17年に上益城郡矢部町と清和村、そして阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生しました。矢部高校は旧矢部町の中心地の浜町にあります。この浜町は江戸時代の国絵図を見ると、上益城郡の山間部の交通の要地です。御船から上ってきた日向往還が浜町を通り、馬見原(まみはら)の宿(旧蘇陽町)を経て、日向国に入っていました。

 矢部高校の近くには、日本最大級規模の石橋「通潤橋」(つうじゅんきょう)があります。石橋の宝庫と呼ばれる上益城郡の緑川水系ですが、その代表格の偉容は何度見ても胸に迫るものがあります。竣工は安政元年(1854年)、橋の長さ76m、川面からの高さ20mの巨大な石造アーチの水路橋です。当時の矢部郷の惣庄屋の布田保之助(ふたやすのすけ)によって建造され、今や地域の誇りの国重要文化財です。3年前の熊本地震やその後の大雨によって被害を受け、一部が修復工事中ですが、その圧倒的存在感は健在です。

 江戸期の先人の偉大な遺産を前に、上益城郡の地理的な広さや歴史的な豊かさを感じずにはいられませんでした。同じ郡内の高校への出張でしたが、小旅行のような気持ちに包まれました。

                                     

                                               下鶴橋(御船町)      通潤橋(山都町)

熊本県高校生ものづくりコンテスト

   第16回熊本県高校生ものづくりコンテストが6月16日(日)に開催され、会場校の玉名工業高校(玉名市)を訪ねました。同校は初めてでしたが、最初に充実した実習棟に目を奪われ、工業教育に最高の環境が整っていることを実感しました。ものづくりコンテストの会場校にふさわしい施設・設備の学校でした。さらに、「工業人たる前に よき人間たれ」のスローガンが校内の随所に掲示され、職員の皆さんが着用されている揃いのTシャツにもこの言葉がプリントされていました。技術だけでなく、挨拶や掃除、教室や実習室の整理整頓を重視されていることが伝わってきます。

   熊本県高校生ものづくりコンテストは、工業系学科及び総合学科に学ぶ高校生に目標を与える場を提供し、技術・技能の継承の推進を図り、本県そして我が国の産業発展を支える人材の育成を目指すことを目的に開かれています。

第16回の今回は次の8部門の競技種目が実施されました。

◇ 旋盤作業   11校11人参加      ◇ 電気工事   10校10人参加

◇ 電子回路組立 7校7人参加    ◇ 化学分析   3校6人参加

◇ 木材加工   5校5人参加    ◇ 測量     6校18人参加

◇ 家具工芸   3校6人参加

◇ 自動車整備  2校3人参加(*この種目だけ会場は開新高校)

 いずれも各学校の代表生徒が練習を重ねて準備して臨んでいます。各会場には緊張感が漂い、限られた時間の中で高い集中力を発揮する生徒たちの熱気が伝わってきて、観る者の胸を打ちました。

 御船高校からは電気工事に3年男子の託麻君、旋盤作業に2年女子の田中さんが出場しました。彼らは放課後、土日と繰り返してきた練習の成果を見事に発揮し、制限時間内で課題をやり遂げました。審査の結果、託麻君は惜しくも4位、田中さんは見事に3位入賞を果たしました。上位は紙一重の競い合いだったようです。全体的に女子生徒の入賞が増えていることが注目されます。

 付加価値の高い製品が求められる中、我が国のものづくりの現場力が落ちていると聞きます。若者の製造業離れが言われて久しいものがあります。しかし、エネルギーを注ぎ込み真剣にものづくりに格闘する高校生がいるのです。当日は県商工観光労働部の担当者や産業界の方、また保護者等が観覧されました。スポーツ(高校総体)、文化活動(高校総文祭)とは違う高校生のもう一つの技術の祭典があることを多くの県民の皆さんに知って欲しいと思います。

「授業は本当に難しい」 ~ 御船高校授業研究期間

 

  「授業は本当に難しい。何年経験を重ねても難しいものだ。」と、かつて同僚だった先生の言葉がよみがえります。県内でも指導的存在のベテランの先生でした。当時の私の拙い授業を参観され、その後の授業研究会で発された言葉であり、20年ほど前のことですが、今も記憶に残っています。

 御船高校では6月4日(火)から14日(金)にかけて「授業研究期間」と位置づけ、すべての授業を公開し職員がお互い自由に参観すること、そして各教科から代表1人が指導案を作成しての研究授業を実施することの二本立てで取り組みました。本校では昨年度から、「授業のユニバーサルデザイン化」(だれひとり取り残さない、わかりやすい授業)を目指しており、今年度はICT(Information Communication Technology 情報通信技術)の積極的・効果的活用を実践テーマに掲げています。

 今回、私が参観した書道、国語(現代文)、数学、音楽、公民(現代社会)の研究授業はいずれもパソコン、プロジェクター、スクリーンの3点セットをはじめ書画カメラ(書道の授業)などが活用され、それぞれの職員の工夫が見られました。期待通り、生徒の授業への興味、関心を引き、授業に臨む集中力も高まる傾向にあります。しかし、生徒自身がもっと主体的に学習活動を行っているか、また教師と生徒、さらには生徒間の対話が生まれているかについては授業で差が見られました。

 従来の高校の普通科目の授業は、どうしても教師の説明が長くなり、教師から生徒への一方通行の「教える」だけが主流でした。これを大きく変えていかなければならない時に来ています。知識や簡単に答えの出るものは今やAI(人工知能)が担う時代です。答えの出ないものに取り組んでいける論理的思考力や創造力、そして協働の姿勢などが求められているのです。疑問を持つ、自ら問いを立てることができるといった主体的な学習姿勢をいかに養っていくかが高校教育の大きな課題となっています。

 本校の教職員の格闘は続いています。「教えるは学ぶの半ば」という言葉があります。人に教えることは自分の力量不足やあいまいな点がはっきりするから、半分は自分の勉強になるのだという意味です。授業実践を重ね、お互い評価しあい、職員も研鑽を積んでいます。生徒同様、教師もまた学校で成長していくものなのです。

 

 

ものづくりの情熱 ~ 熊本県高校生ものづくりコンテストに向けて

 

    放課後によく電子機械科の実習棟へ足を運びます。旋盤をはじめ多くの工作機械がならび、独特のオイル臭もする空間で生徒たちがそれぞれの作業に没頭している姿を見ることができます。最も活気あるグループがロボット部の生徒たちです。常時10人前後の生徒たちが時に話し合いながら、ロボットづくりに取り組んでいます。秋の全国大会(新潟県)での優勝を目指しており、高い目標を掲げている彼らのモチベーションは高いなあといつも感じます。

    一方、個人で黙々と時間を忘れたかのように作業を繰り返している生徒がいます。熊本県高校生ものづくりコンテストに出場する3年生の託麻君と2年生の田中さんです。託麻君は電気工事部門に出場予定で、2時間の規定時間内に木製パネル盤上に電気配線を作り上げることが課題です。担当の吉迫先生がマンツーマンで指導に当たられ、時間を計っての演習で高い集中力を発揮しています。田中さんは本校の少ない工業系女子です。県全体では工業高校で学ぶ女子生徒は増加しているのですが、本校電子機械科では1年生は71人中ゼロ、2年生は61人中3人、3年生は67人中2人という状況です。田中さんは旋盤作業部門に出場予定で、担当の山下先生と二人三脚で準備中です。

   「とても肉眼ではわからない精密さが求められますが、ぴたりと数値通りの結果がでたときは、やったあと思います。」と田中さんは旋盤加工の魅力を語ってくれました。山下先生によれば「田中さんの向上心が素晴らしい」とのことです。まだ2年生なので、最終目標は3年次での優勝ですが、今回も目標を3位入賞に置いているとのことです。

   「実践の上に理論が生まれ 理論が実践を効果的にすると共に 実践が理論を発展させる」との先達の言葉が実習棟の壁に大きく掲げられています。そして「定位置還元」のスローガンのもと作業に集中できる環境が整っています。この実習棟(ラボラトリー)で、御船高校電子機械科の生徒たちはものづくりの難しさと奥の深さを体得していくのでしょう。何か、武道における「道場」のようにも映ります。

 第16回熊本県高校生ものづくりコンテストは来る6月16日(日)、熊本県立玉名工業高校と開新高校を会場に開催されます。本校の生徒が出場する2部門の他に木材加工、電子回路組立、測量、家具工芸、化学分析、自動車整備の計8部門で高校生の技術・技能が競われます。期待したいですね。

 

 

 

交通の要地、御船 ~ 舟運、街道から高速道へ

 

 アメリカに本社がある外資系の会員制大型ショッピングセンターが2021年(令和3年)春に御船町の九州自動車道御船インターチェンジ近くに開業するニュースが先日メディアで報じられ、話題となりました。同社の出店は九州では3番目(これまでは福岡県内に2店舗)で、協定締結の際に同社が御船町を選んだ理由として、交通の利便性と立地条件の良さを挙げていたことが印象に残りました。御船町は、熊本県のほぼ中央に位置し、県庁所在地の熊本市中心部からおよそ15㎞の距離です。そして、なんと言っても町内に三つの高速道路のインターチェンジ(九州自動車道の御船IC、小池高山IC、九州中央自動車道の上野吉無田IC)がある交通の要地なのです。

 歴史的に見ても御船町は古くから交通の要地と言えます。現代の私たちは交通と言えば道路のみを考えがちですが、近代以前の交通において河川交通すなわち舟運がとても重要な役割を果たしていました。御船町には御船川が流れており、西隣の嘉島町で一級河川の緑川と合流します。江戸時代、肥後(熊本)屈指の商港であった川尻とは川の道で約20㎞の距離でした。川尻との舟運が盛んに行われ、御船は上益城郡きっての物資集散地(町)として繁栄したのです。「御船」という地名の由来は諸説あるようですが、古くから舟運の拠点であったことを示しているのでしょう。近代に入って舟運の時代は終わりましたが、それでも昭和30年代頃まで河口から運搬船が御船町の中心地域まで上ってきていたと聞いたことがあります。地形的に熊本平野の東端に当たる地域までは舟運が可能だったのでしょう。

 また、かつて日向往還(街道)が御船を通っていました。江戸時代の肥後の四街道(豊後・豊前・薩摩・日向)の一つで、日向(ひゅうが)すなわち現在の宮崎県延岡へ向かう街道です。城下町の熊本から嘉島、御船、矢部(現山都町)を通り日向へと抜けるルートです。日向往還は御船高校がある木倉(きのくら)付近までは平坦部ですが、ここから山間部へと入り道が険しくなります。

 今も旧往還の面影が残っている場所があります。その筆頭が八瀬(やせ)眼鏡橋とその近くの石畳です。御船川の支流の八瀬川にかかる石橋で、安政2年(1855年)に御船の材木商である林田能寛が私財を投入し、肥後の石工で名高い種山(現八代市東陽地区)の技術者たちが架橋しました。橋の長さは62mに及び県内に残る石橋で最長です。風雪に耐えた風格ある石橋と、今にも江戸時代の旅人が現れてきそうな石畳を見ていると、昔も今も社会を支えるのは交通だとの感慨を覚えます。

 

「計る」ことの大切さ ~ 電気計測器の寄贈

 日置(ひおき)電機株式会社代表取締役社長の細谷和俊(ほそやかずとし)様をはじめ同社員の方3人が6月6日(木)に来校されました。同社(本社は長野県上田市)は電気計測器を中心に高品質の製品開発・製造で発展を続けておられ、企業理念に「人間性の尊重」「社会への貢献」を掲げ、東日本大震災、そして熊本地震で被災した工業高校の支援事業に取り組まれています。この度、御船高校に対し、次の製品のご寄贈を賜ることとなりました。

 ・ 放射温度計         1台
 ・ タコハイテスタ(回路計)  1台
 ・ クランプオンハイテスタ   2台
 ・ バッテリハイテスタ     1台
 ・ 絶縁抵抗計         1台
 ・ 持続ケーブル        1本
 いずれも工業教育においては貴重なものであり、誠に有り難いご支援です。

 本校電子機械科のラボ棟(実験実習棟)において、同科の3年生67人と職員で出迎え、贈呈式を執り行いました。細谷社長様からは、「高校生の皆さんに物作りの楽しさを知って欲しい。そして、かつての技術立国日本を取り戻すために将来活躍して欲しい」と励ましの言葉を頂きました。贈呈式の後、日置電機株式会社の社員の方による「電気測定の基礎知識」のセミナーが30分ほど行われ、生徒にとっては貴重な学習の機会となりました。

 考えてみると、温度計、体重計、血圧計など私たちの生活においても客観的なデータを知る計測器は不可欠な存在です。従って、これが科学技術や電気・ガス・水道などのインフラ(社会基盤)の維持、発展にいかに重要かが容易に想像できます。

 電気計測器は私たち一般人が購入消費する製品ではありませんので知名度は高くありませんが、日置電機株式会社のような企業は社会から必要とされ続けている存在です。近年、我が国のモノ作りへの信頼を揺るがすような事案が大企業と言われるところでも起きています。しかし、社会生活の根本の安全を守る計測技術開発にたゆまぬ努力を続けておられる企業を知ることができたことは、電子機械科の生徒たちにとって幸運だったと思います。

 

 

和敬清寂の世界に浸る ~ 熊本県高校総合文化祭(その2)

   部活動において、その生徒の普段は見られない輝く場面、秀でた点を発見して驚くことがよくあります。「この生徒は、こんな面があったのか」と人物観の修正を迫られる時は、教師にとって生徒の豊かな可能性を知る時にほかならないのです。今年の熊本県高校総体、そして総合文化祭において、そのような喜びの体験を幾度も味わいました。中でも、総合文化祭初日(5月31日)、県立劇場の茶道部のお茶席での出会いは忘れがたいものがあります。

 書道、美術、写真等の展示作品を見て回っていた私は、偶然、本校茶道部顧問の野崎先生と会い、御船高校担当のお茶席に御案内いただきました。幸運でした。茶道部は裏千家の岩永師範の御指導のもと、3年生9人、1年生1人の計10人で週1回活動しています。赴任して2ヶ月の私にとって茶道部員との初めての出会いが、県高校総合文化祭のお茶席となったのです。名誉にも正客(しょうきゃく)となり、他の相客15人の方と一緒に座敷に招かれました。

   亭主は御船高校3年2組の田上知奈さん、半東(はんとう)が同じクラスの澤村愛さんです。二人とも制服です。半東とは茶事が円滑に進むように亭主をサポートする役で、お菓子や亭主が点てたお茶を客に運びます。お客の人数が多いため、相客には控えの水屋で点てられたお茶が運ばれますが、正客の私には亭主が点ててくれます。亭主の田上さんと相対座して、お点前を間近で見ることができました。

   裏千家の風炉(ふろ)の薄茶平手前で私たちはもてなされました。亭主の田上さんは幾つもの手順を落ち着いて進め、まことに優美なお手前を披露しました。相客にお菓子やお茶を運ぶ部員も楚々とした所作でした。日常の学校生活では決して見ることのできない立ち居振る舞いであり、御船高校生の未知の姿を「再発見」した思いとなりました。

   座敷の床の間には「清流無間断」(清流は間断無し)の掛け軸がありました。この軸を見て、「和敬清寂」という茶道の精神を表した言葉を思い出しました。もともとは禅宗の言葉です。言葉通りまさに和やかで亭主と客が敬いあう対等な関係が生まれ、清らかで静かな空間に包まれて、心地よいひとときでした。

   我が国の伝統文化の持つ型の強さ、奥深さは計り知れないものがあります。令和の高校生にも茶道に親しんでほしいと願っています。

 

「解は無限 導け青春方程式」 ~ 熊本県高等学校総合文化祭(その1)

 

   令和元年5月31日(金)の午前、熊本市の「えがお健康スタジアム」で開催された熊本県高等学校総合体育大会総合開会式に御船高校は生徒、教職員の60人で臨みました。生憎の雨に見舞われましたが、生徒はよく辛抱し笑顔で入場行進、そして開会式に参加しました。

   終了後、私は県立劇場へ移動し、午後からの熊本県高等学校総合文化祭総合開会式に出席しました。オープニングを御船高校書道部10人による書道パフォーマンスが飾り、縦4m×横6mの巨大な紙の中央に「全速前進」と墨書、上部に緑色の墨で「青春エネルギー」と書き上げました。動きは気迫に満ち、10人が息を合わせて作品を創り上げた時は、会場のコンサートホール(1000人収容)でどよめきに似た歓声があがり、割れんばかりの拍手が送られました。

  「令和」は、天平文化(奈良時代)の大宰府での和歌の宴にちなむ元号であり、多くの人が心を寄せ合い文化を創り上げるという願いが込められています。英訳すると「Beautiful harmony」(美しい調和)となり、先般、国賓として来日したトランプ米大統領もスピーチでそのように表現していました。御船高校書道部の書道パフォーマンスはまさに「ビューティフル ハーモニー」にふさわしいものでした。

 高校総合文化祭総合開会式の生徒代表あいさつを担った熊本市立筆由館高校3年の今村美咲さんは、千語近い挨拶文を暗唱し、かつ感情豊かに語って会場をうならせました。そして、スピーチと言えば、2日目の弁論発表(演劇ホール)において、県立盲学校の松下賀雅人君の「呼吸(ブレス)を感じて」の豊かな表現力には圧倒されました。

 5月31日(金)から6月1日(土)にかけて、県立劇場のコンサートホールと演劇ホール、そしてホワイエや地下大会議室等で高校生の日頃の文化活動の成果の発表が続きました。合唱、吹奏楽、バトントワリングのような華やかな舞台芸術から理科研究や書道・美術・写真の作品展示までまことに多彩です。高校生の文化活動のにぎわいが会場に横溢していました。

 高校総合文化祭は高校総体に比べるとメディアや県民の方々の関心が低いようで、残念でなりません。スポーツに負けないエネルギーがあふれています。そして実に多様な興味、関心の広がりが文化活動にはあります。まさに、今年のテーマにあるように文化活動は「解は無限」なのです。

 

92歳の先生

 

 

 御船高校華道部を指導していただいている村上諫(いさむ)先生は、旧制御船中学校20回生(昭和21年3月卒業)で、御船町に隣接する甲佐町にて長く花き農家を営まれる一方、「花の美しさを広く伝えたい」と池坊華道師範免状をとり活動してこられました。御年92歳になられます。

 一昨日、電子機械科の3年B組の「家庭総合」の授業でフラワーアレンジメント講習を企画し、その講師として村上先生に来ていただきました。授業の冒頭、戦争中の過酷な勤労学徒動員の体験を語られたあと、的確に作り方のポイントを示されました。3年B組は男子が圧倒的に多いクラスで(男30、女2)、フラワーアレンジメントはほとんどが初体験でしたが、日頃から物作りに慣れていることもあり、段取りよく進め、手仕事の楽しさを味わっていました。

 また、昨日は華道部の指導で再び来校されました。村上先生の御指導のもと、華道部員が学校玄関に四鉢の作品をつくり展示しました。華やかでそれぞれ趣のある作品の前に立つと、花をとおして生徒たちが伝えたい心が感じられます。これから来校者の目を楽しませることでしょう。

 村上諫先生に対し、今年度の「文化部(華道部)外部指導者委嘱状」を校長としてお渡ししました。ご高齢をおして来校され、ひ孫のような生徒に華道を教えられる村上先生には頭が下がります。今や我が国は高齢者の活躍する時代ですが、それにしても92歳にして高校生に定期的に指導される方は希ではないでしょうか。

 「人も生け花も経験を重ねるごとに成長する」というお考えを村上先生は持っていらっしゃいます。芸の道は無限なのでしょう。本校だけでなく、甲佐町の公民館や甲佐小学校においても生け花を教えていらっしゃいます。

 村上先生のような偉大な先輩との交流によって、生徒たちは御船高校の伝統を意識しているものと思われます。そして、長く生きることは素晴らしいことだと感じていることでしょう。昔話に登場する賢者の翁の風貌を村上先生に重ねたくなります。2年後の創立100周年の式典においても、村上先生が生けられたお花を壇上に飾りたいと願っています。さらなるご長寿を願わずにいられません。

 

母校の思い出の中に故郷がある ~ 東京御船会(その2)

 

 5月26日(日)に出席した御船高等学校同窓会の「東京御船会」(東京都千代田区霞ヶ関「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催)について昨日の「校長室からの風」で触れました。しかし、まだ私の気持ちが十分ではなく、その続きを記したいと思います。

 熊本県人は、出身高校への愛着が強い県民だと言われます。しかし、高校(旧制中学)を卒業して半世紀以上経過し、故郷遠く首都圏で生活をされていても、同窓のつながりを重んじ、母校愛を語られる方々との出会いに私は感銘を受けました。「東京御船会」に出席してからすでに2日立っていますが、いまだにその余韻に包まれています。

 御船高校の三綱領「誠実・自学・自律」について語られた方がいらっしゃいました。高校を卒業して上京し、懸命に働き、やがて会社を興し経営者として現在も活躍されている70歳台の先輩は、この三綱領を実現できているか今も自分に問いかけられるそうです。中でも最も難しいと思われるのが、三つ目の「自律以て己を処す」だそうです。そして、後輩の高校生達へ「三綱領の一つでいい、高校生活の支えにしてほしい。」とメッセージを送られました。

 故郷を離れ首都圏で働き、生活してこられたことを誰一人後悔されていません。胸を張って生きてこられた方たちです。けれども、年齢を重ねるにしたがい、望郷の思いは強くなられるそうです。しかし、たまの帰省は親族、知人の葬儀が多く、過疎が進んだ故郷を目にすると寂しいと言われます。「私にとっての故郷はわいわいにぎやかだった高校時代の思い出の中にあります。」とある方は言われました。高校時代は誰にとっても夢と希望のある伸び盛りの時期です。ことに戦後の復興、高度経済成長の時代は我が国が右肩上がりの社会情勢でした。その時代の青春には今以上の輝かしい未来があったと想像します。

 首都圏では、孫が通学している小学校にふらり出かけると不審者のように見られる、と苦笑しつつ話された方がいらっしゃいました。私は、皆さんにお伝えしたいと思います。今度、帰省された時は、ぜひ御船高校へお立ち寄りください、校長室にいらしてください、と。

 天神の森の学舎は元の場所に変わらずあります。御船高校は開かれた学校です。故郷を遠く離れた先輩方にこそ訪ねていただきたいと切に願っています。

 

母校は遠くにありて思うもの ~ 東京御船会

 

 御船高等学校同窓会の「東京御船会」が、5月26日(日)、東京都千代田区霞ヶ関の「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催されました。「東京御船会」(久米政文 会長)は首都圏在住の旧制御船中学、御船高校卒業生の方から成り、今年で第20回の節目の総会・懇親会でした。

 同窓会長の徳永明彦氏、同窓会副会長で御船町長の藤木正幸氏、関西御船会副会長の井上英春氏と共に校長の私もご招待をうけ、末席を汚しました。出席者は総勢56人。最高齢は旧制中学19回卒業の野口政止氏で満90歳、卒寿を迎えられた大先輩でかくしゃくとされています。会の冒頭、同級生が長崎県大村の軍需工場で米軍爆撃を受けて亡くなられた殉難を悼む詩を朗々と吟詠されました。昭和19年10月25日の出来事ですが、野口氏をはじめ同級生の方々にとって生涯忘れがたい痛恨事であり、志半ばで斃れた旧友の分まで昭和、平成、令和と生き抜いてこられた気骨を感じます。

 出席者の多くは70歳台から80歳台の先輩方で、皆さんの母校へ寄せる熱い思いには胸打たれました。飯田山の向こう側から山道を歩き、毎日2時間かけて通学された方。家庭の経済状況が苦しく家では幼い弟妹の世話や家業の手伝いがあるため、学校の授業ですべて頭にたたき込んで帰るしかなかった方。卵を食べられる事が何よりのご馳走で、いつも空腹を覚えながら高校生活を送った方。令和の今日から見ると考えられない厳しい時代ですが、皆さんがそれぞれ強調されたのが恩師との出会い、同級生との友情といった人と人のつながりの大切さでした。そのつながりが原動力となり年に1回、故郷を遠く離れた東京での同窓会を催されているのです。

 高校4回卒業の江本彌太郎氏は、昭和24年に陸上の県大会で100mを11秒0で走られたそうです。当時、陸上部員が40人ほどいて、400mリレーチームは全国大会出場を決めたそうですが、学校に遠征予算がなく教員は引率できず、生徒4人で会場の栃木県宇都宮市まで列車を乗り継いで行かれたとのこと。何とも牧歌的な話に驚きました。

 「御船高校を頼みますよ。」、「秋のロボットの全国大会は応援に行きます。」等の温かい励ましのお言葉を数多くいただきました。戦後の復興、高度成長と我が国を支えてこられた先輩方のたくましさ、そして情の厚さを強く感じました。会場の霞ヶ関ビルは我が国の高層ビルの先駆けで、高度経済成長のシンボルです(昭和43年竣工)。眼下には首相官邸や国会議事堂、そしいて皇居の深い森が見えます。故郷ははるか遠くに在ります。しかし、自分に恥じない生き方を貫いてこられた先輩方は、我が国の中心に集い、熱い思いを母校に送っておられるのです。

 霞が関ビル

「魂の表現」に触れる ~ 浜田知明「回顧展」

 

 御船高校の前身の旧制御船中学校は美術教育で知られていました。東京美術学校(現東京藝大)出身の気鋭の美術教師、富田至誠先生の薫陶を受け、多くの俊英が輩出しました。その一人が、国際的にも有名な版画家・彫刻家の浜田知明氏です。昨年、百歳の天寿を全うされた浜田氏の業績の回顧展「特別展 わすれえぬかたち」が熊本県立美術館で開催されています。

 偉大な先輩の回顧展で学ぼうという目的で、本校芸術コースの美術・デザイン専攻の生徒たちの県立美術館研修を企画し、その1回目の1年生研修を5月14日(火)に実施しました。1年生15人と美術科教諭、そして私の17人が育友会(PTA)所有のバスで県立美術館本館(熊本城二の丸)を訪ねました。美術館では初めに林田学芸員にわかりやすく解説していただき、作品観賞の視点を生徒たちは持つことができました。

 大正7年、御船町髙木で生まれた浜田知明氏は、昭和5年に旧制御船中学校入学、そして1年早い飛び級で卒業し昭和9年には東京美術学校油絵科に合格するという俊才でした。その後、アカデミックな具象画には満足せず、サルバドール・ダリのシュールレアリズム(超現実主義)の影響を受けます。そして、日中戦争に兵士として従軍。この過酷な戦争体験が、戦後、有名な「初年兵哀歌」シリーズ(銅版画)として結実します。

 戦争の残虐性、軍隊の非人間性の体験から生まれた作品の数々は、具象的ではない分、作者のメッセージが強く伝わってきます。そして、反戦や社会批判の次元にとどまらず、人間の営みの本質をえぐる作者の「魂の表現」(林田学芸員の言葉)に圧倒されます。生徒たちは、戦場の死体や極限状態にある兵士の表現を食い入るように見つめていました。今回の特別展では228点の作品が展示されてあり、浜田氏特有の人間社会を風刺したユーモラスな作風のものも少なくなく、多様な「人のかたち」を終生追い求められたことがわかります。

 「戦場での残酷な死体を描いてあっても、それがグロテスクではない。なぜだろう?」、「とっても興味がある作品がありました。忘れられません。」と鑑賞後に生徒たちは感想を述べました。館内では、生徒たちは実に熱心に学ぼうという姿勢が見られ、私語はほとんどありませんでした。さすがは美術専攻の生徒たちだと私は感服しました。

 16日(木)に2年生17人、17日(金)に3年生13人の美術専攻の生徒たちが偉大な先輩の作品群と対面します。彼らの感想が楽しみです。

 

新時代の風が吹いた体育祭

 

 5月12日(日)、風薫る五月晴れのもと、令和元年の熊本県立御船高等学校体育祭を開催しました。テーマは「一意奮闘、新時代をかける船高の風」。

 体育祭は3人の団長によるユーモアあふれる選手宣誓から始まりました。生徒たち一人一人が自ら動き、ほぼスケジュール通りに進行し、御船高校の力を結集して創り上げることができたと思います。早朝から最後まで多くの保護者、地域の皆様にご声援を送っていただき、深く感謝しています。言いようのない達成感が全校生徒及び職員の間に広がっています。

 プログラムはどれも見応えがあり、生徒たちの一生懸命さが伝わってきました。ゴール目指して疾走する姿は躍動感あふれ爽やかでした。結果は1位2位…と表れますが、自分の走りができたかどうか、自己評価が一番です。御船川下り、ムカデ競争や5人6脚競走、台風の目などの技巧種目は、参加者が気持ちを一つにしないとできないものです。チームワークの難しさを生徒たちは体験したのではないでしょうか。そして、リレーはやはり体育祭の華です。抜きつ抜かれつ、声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。走る姿は、まさに「新時代をかける風」でした。

 また、団対抗応援合戦は各団の強い思いが伝わってきました。応援団員の袴姿も凛々しく、きびきびと、かつ流れるような動きの演舞は誠に見事で、春休みから練習を重ねてきた成果が発揮されたと思います。そして、美術専攻の生徒が中心となって作成した各団のパネル画は、芸術コースを持つ御船高校らしい完成度の高さで、観客を魅了しました。

 ラストの全校エール「新時代への叫び」は胸に迫るものがありました。豊かな可能性を持つ生徒たちに新時代、令和を任せていいと思いました。今日、確かに御船高校では新時代の風が吹きました。御船高校は帆をあげ新時代へ船出をしたと言っていいでしょう。

 

 

 

飯田山に見守られ

 

   今日は5月11日。土曜日ですが、御船高校は登校日で、明日の体育祭に向け最後の練習、準備に学校をあげて取り組んでいます。十連休明けで今日が5日目。生徒達の疲労も蓄積しているようですが、各団の団長はじめ応援リーダーたちは声をからして団の生徒たちを指導しています。体育祭への生徒たちの思いの強さが伝わってきます。まさに、今年の体育祭のテーマ「一意奮闘」そのものです。

 グラウンドで体育祭の練習に奮闘する生徒たちも見守っているのが飯田山(いいださん)です。お椀を伏せたような山容で、標高は431m。益城町の飯野(いいの)地区にありますが、本校のグラウンドから間近に見えます。飯田山と言えば、昔、熊本市の金峰山(きんぽうざん 標高665m)と背比べをしたが負け、もう高さのことはいいださん(飯田山)と言ったという伝承で知られます。

   古くから上益城の人々には親しまれている山ですが、この山の中腹に常楽寺(じょうらくじ)という天台宗の古刹があります。このお寺には興味深い伝説が残っており、開山(寺院の創始者)は日羅(にちら)と伝わっているのです。日羅は、古代の肥後芦北地域の豪族出身で、大和政権と朝鮮半島の百済との外交に関わった伝説の人物です。その日羅の名がなぜ開山として伝えられているのか詳しいことは不明ですが、常楽寺の歴史の古さや格式を示すものと言えるでしょう。鎌倉時代の名僧、俊芿(しゅんじょう)が常楽寺で修行した史実から、創建は平安時代末期と推定されています。

   先日、常楽寺を訪ねてみました。林道で同寺まで自動車で行くことができます。歴史ある山寺の風情が漂っています。同寺から飯田山山頂まで歩いて30分ほどです。山頂からの眺めは広く、御船川、緑川、熊本平野、そしてかつて背比べをしたと言われる金峰山などが一望でき、誠に爽快な気分になります。熊本平野の多くは江戸時代以降の干拓や土地改良で開けたことを考えると、この飯田山付近が古代文化の栄えた所という説もうなずけます。

 今日、日中の気温は25度を超えました。青春の汗を流して体育祭の練習をしている御船高校生の姿を飯田山は笑顔で見守っているように感じます。

 

 

令和の学校生活スタート

 

 5月7日(火)。風薫る爽やかな青空のもと、令和元年の学校生活がスタートしました。新元号「令和」となり一週間が過ぎています。天皇陛下の退位、そして即位に伴う特別な祝日が入ったため、4月27日(土)から5月6日(月)まで十連休という異例の長期休暇となりました。平成から令和に時代が変わる時を高校生として迎えたこと、そして十連休の体験について、生徒たちは永く記憶することでしょう。

 昭和から平成に時代が変わったとき、私は高校教師2年目でした。昭和天皇崩御に伴う時代の転換だったため、国民が喪に服し悲壮感が漂ったことを覚えています。今回は大きく異なります。平成の天皇陛下が上皇となられ、次の天皇陛下に円滑に皇位継承をされたため、国中が祝賀ムードで、期待と希望で新しい時代を迎えました。

 今日5月7日が令和の学校生活の始まりです。最初の学校行事が5月12日の体育祭です。テーマは「一意奮闘 ~ 新時代をかける船高の風 ~」。生徒会を中心に昨年度3学期から準備が始まりました。春休みから応援団演舞の練習が盛んに行われています。そして、この連休中、各団のパネル作成も進みました。体育祭は電子機械科、芸術コース、普通科と全校生徒が一体となってつくりあげるものです。

 生徒の中には足が速い人、そうでない人、運動が得意な人、苦手な人などそれぞれでしょう。しかし、体育祭は陸上記録会ではありません。様々な種目、そして役割があります。体育祭への関わり方はみんな違っていいのです。大事なことは、協力することです。みんなで取り組むことで御船高校の一体感が生まれることでしょう。

 午後、赤・青・黄の三団が団長を中心に団別の練習を開始しました。これから5日間競い合い、12日(日)の体育祭本番で新時代到来の風が吹くことを期待しています。皆さんの時代「令和」はいよいよ始まったのです。

 

 

凛とした高校生剣士たち ~ 城南地区高校体育大会

 4月26日(金)、城南地区高校体育大会が開催されました。今年は、主に八代市や宇城市を会場に行われ、本校からは陸上競技、テニス、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、サッカー、弓道、卓球、柔道が参加しました。また、水泳部が芦北町営プールでの競技に臨みました。そして、剣道競技のみが御船高校で開かれました。校長として赴任し三週間あまりの私にとって、本校の部活動生の活躍を広く見て回りたいところでしたが、会場校の責任者として剣道競技を終日観戦しました。

 剣道競技には男子団体8校、女子団体4校、そして男女個人戦に計29人が出場しました。近年、剣道、柔道等の武道系部活動の生徒が減少しています。もともと高校生が減少していることに加え、県内にプロチームのあるバスケットボールやサッカーといった球技に生徒が集まっていると言われます。しかし、そのような状況の中でも、自ら剣道を選んだ生徒たちが集結しました。その姿は「剣士」と呼ぶにふさわしい凛々しいもので、他の競技にはない様式美を感じさせます。

 男子団体は芦北高校、女子団体は八代白百合学園高校が優勝。個人戦では男女とも秀学館高校の生徒が頂点を極めました。どの試合も熱戦で、一瞬で技が決まるため、観る方にも集中力が求められます。御船高校は男子団体が出場しましたが、初戦で八代東高に敗れました。しかし、果敢に攻め込む姿勢が印象的でした。二人が出場した個人戦では共に初戦を突破し見事でした。

重い防具を身につけ、夏の暑さと冬の寒さに苦しめられ、試合では孤高の戦いとなる剣道。その厳しい道を敢えて歩んでいる高校生剣士を私は心から称えたいと思います。

 剣道、柔道、弓道、茶道、華道と我が国伝統の文武の習いには「道」という言葉が付きます。それは果てしないものです。心・技・体の統一を求めての長い道のりなのです。高校生剣士の皆さんはまだその道を歩き始めたばかりです。今日の城南大会で実力を十分に出せなかった人もいるでしょう。不本意な結果に落ち込んだ人もいるかもしれません。しかし、「道」は長いのです。「あの時、負けたことが自分を成長させた」と思える日が来ます。

 凛とした高校生剣士の立ち居振る舞い、瞬間の技の美しさに魅了された一日でした。

 

新しい文化の時代の幕開け ~ 新元号「令和」に寄せて

「力強い字ですね。墨書の迫力が良いですね」と来校された専門学校の先生が言われました。御船高校の玄関には、書道部の3年生が卒業作品として取り組んだ大きな書が飾られていて、お客さんを迎えます。生徒は卒業していっても、彼らの思いが込められた言葉は残り、学校の文化を醸成しています。

 新元号「令和」が4月1日に発表され、大きな反響を呼びました。元号の出典が従来の中国の古典ではなく、初めて我が国の古典に求められたこと、そしてその典拠が奈良時代に編纂された「万葉集」であることが話題になりました。天平文化(奈良時代)の太宰府において、長官の大伴旅人(おおとものたびと)を中心に官僚たちが梅花の宴で歌を詠んでいる場面から「令和」という元号は生まれました。

 「初春令月、気淑風和   梅披鏡前之粉、蘭香珮後之香」

 (初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、

  梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす)

                                            *「万葉集」巻五

 この情景から、「心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が新元号にはあると安倍首相は語られました。およそ千三百年前の歌が21世紀の今日まで伝えられていることは我が国が誇ってよい文化と言えます。

 時を超え、大切な言葉が先人より後から来る者のために継承されています。そもそも元号がその典型でしょう。大化の改新(645年)の「大化」以来、我が国の歴史と共に続いています。グローバル社会の今日にあって、先進国が利用しているキリスト教に因む西暦で十分という考えもあるでしょう。しかし、年数の羅列ではなく、そこに時代の索引(インデックス)のような元号が名付けられることは大いに意味があると考えます。まさに文化的な装置であり、多くの日本人が支持する所以だと思います。

 新元号「令和」の発表は、改めて言葉の大切さ、古典や伝統文化の意義を私たちに教えてくれたと思います。軍事力、経済力といったハードパワーと違い、文化というソフトパワーはあまり目立ちません。けれども、「令和」の時代、新しい豊かな文化を創造することを指針として、学校教育に取り組んでいくべきではないでしょうか。

 芸術コースを擁する御船高校の時代が来たと思っています。

 

 

「令和」を書く ~ 御船高校書道部「書道パフォーマンス」

 

         「新たな時代の幕開け

          先人の歩みに感謝し

          未来は私たちの手で切り拓こう

          平成から令和

                  御船高校書道部」

 

 御船高校書道部10人(2、3年生)が力強く書き上げ、その大きな紙(縦3.5m、横5m)を披露した時には思わず熱く胸にこみ上げてくるものがありました。平成31年4月1日(月)、熊本朝日放送(KAB)で夕方に放映された「新元号書道パフォーマンス」です。この番組録画を、4月20日(土)に開催した育友会(PTA)総会に先立って体育館で上映し、保護者の皆さんと一緒に観る機会を得ました。

 凛とした袴姿の書道部員たちが「はい!」と声をあげ、太い筆で自分の担当の文字や絵を書いていきます。その動きはダイナミックで躍動感に満ちています。そして流れるように次の書き手につながっていきます。背景に華やかな桜の枝を描き、自分たちで考えた冒頭の言葉を力強く書き、ひときわ大きく「令和」の文字が浮かび上がりました。きびきびとしてさわやかな高校生による書道パフォーマンスであり、テレビ放映を通して県民の方々に高校生の文化活動の成果が伝わったものと思います。

 御船高校には普通科芸術コースがあり、音楽・美術・書道のそれぞれを専攻する生徒たちが創造性と感性を日々磨いています。中でも、近年、書道専攻の生徒たちが属する書道部の活躍がめざましく、様々な行事から声がかかり、高校生としては全国レベルの技能を発揮しています。その活動が評価され、昨年度は「熊本県民文化賞」を知事から頂きました。そして、4月1日、新元号の発表に合わせて、テレビ局から出演依頼があったのです。

 新しい年号の令和は、人々が心を合わせて文化を創っていこうという意味が込められているそうです。出典は初めて国書の「万葉集」から採られています。「万葉集」は8世紀の中頃の奈良時代(天平文化)に編まれた歌集です。皇族、貴族から農民たちが詠った東歌(あずまうた)、防人(さきもり)の歌まで当時の幅広い社会階層の人々の歌、約4500首が収録されています。

 新しい時代の幕開けです。これからの時代の担い手となる高校生が新元号「令和」を高らかに書き上げたことは象徴的な出来事と思えます。

 

保護者の皆さんと共に ~ 育友会(PTA)総会開催

 

   4月20日(土)の午前、御船高等学校の育友会(PTA)総会を開催しました。多くの保護者の方々に参加いただき、総会を行い、続いて各クラスに分かれて学級懇談会、そして午後には新役員さん方の会議が開かれました。総会での冒頭の校長挨拶を次に掲げます。

 

「本日は育友会総会に御出席いただき、誠に有り難うございます。

   本校は、4月8日に180人の新入生を迎え、全校生徒534人で今年度をスタートしました。ロボットをはじめものづくりの面白さを追求する電子機械科、音楽・美術・書道を通して創造性と感性を磨く芸術コース、幅広い学びの中から自らの進路と夢を探していく普通科。御船高校はテクノロジー(技術)とアート(芸術)の両翼をもつ総合力ある全日制高校です。職員全員が教育的情熱をもって、生徒一人ひとりの豊かな可能性を引き出すことに全力を尽くします。

 また、本校は「開かれた学校づくり」に努めます。保護者の皆様をはじめ地域の方々が学校行事等に大勢足を運ばれ、生徒の活動を応援していただきたいと願っています。一方、学校の方からも積極的に学習成果を地域社会及び県全体に向かって発信し、御船高校の魅力を伝えていきたいと思っております。

 なお、来る5月12日(日)に体育祭を実施します。テーマは「一意奮闘 ~  新時代をかける船高の風 ~」です。生徒会を中心に生徒たちが主体的に準備に取り組んでおり、全校練習も本格的に始まりました。どうか、ご家族で御観覧くださるよう御案内申し上げます。

 最後になりますが、お子様のことで何か気になることがありましたら、遠慮なく担任や学年主任、または部活動顧問などに御連絡いただきたいと思います。ご家庭は、やはり生徒諸君にとって寛げる居場所であってほしいと思います。不満や愚痴、弱音を聞いてあげてください。3年前の熊本地震でもクローズアップされましたが、悩みやストレスを自分一人で抱え込まずに、友人、家族、専門家に援助を求める力こそ、現代に生きる私たちには必要だと云われます。私たち職員も、生徒の変化を見逃さないよう注意し、「気付き、寄り添い、つなぐ」の姿勢で、ご家庭と密接に連携を取っていきたいと思います。

    保護者の皆様の願いと学校が目指すものは同じだと思っております。本校の教育活動への御理解と御支援を改めてお願いし、挨拶といたします。」

 

 

富田至誠先生と教え子たちの物語

 御船高校校長室は美術ギャラリーの雰囲気があります。文化功労者の井手宣通(いでのぶみち)(旧制御船中3回卒)、日展審査員・会員の坂田憲雄(さかたのりお)(旧制御船中6回卒)といった大家の油絵が壁にかかっているのです。さらに、本校セミナーハウスには、世界的版画家の浜田知明(はまだちめい)(旧制御船中9回卒)の作品も飾ってあります。そうそうたる画伯、芸術家を輩出してきた本校の貴重な証と言えるものです。

 「美術教育の御船」の名は、かつて全国にとどろいていました。それは一人の美術教師の赴任から始まりました。その名は富田至誠(とみたしせい)先生。熊本県鹿本郡鹿本町(現在の山鹿市)に生まれ、東京藝術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に学んだ富田先生を、旧制御船中学校初代校長の岩口石蔵(いわぐちせきぞう)先生が招聘されました。芸術の最高学府で学んだ若き俊英を開学時に招いた岩口校長の見識に敬服します。

 富田至誠先生は大正11年の創立以来、戦後の御船高校時代まで27年にわたって美術教育に精魂を注がれ、この間、多くの芸術家を世に送られたのです。昨年百歳で逝去された浜田知明氏は、生前、富田先生から励まされた時のことを次のように回想されています(浜田知明「私の学生時代」より)。

 「『目的に向かって一生懸命やれ。』私は今もその時の先生のお言葉と、めがねの奥のやさしいまなざしを昨日のようにはっきりとおぼえている。」

 美の群像の歴史を誇りに思います。旧制御船中学校以来の美の伝統は脈々と今日まで続いています。平成16年には普通科に芸術コースを設け、音楽・美術・書道をとおして感性を磨く教育を展開しております。

 教師は自分よりも「大きな者」を育成しなければなりません。富田至誠先生とその教え子たちの物語は、教育の原点を教えてくれます。

 

 

「恐竜の郷」、御船町

 御船高等学校が立地する御船町(みふねまち)は熊本市の東の近郊にあり、古くから交通の要衝として知られ、上益城(かみましき)郡の中心地として栄えてきました。九州自動車道の御船インターチェンジから約3㎞で中心街に来ますが、最初に来訪された人は、いくつもの恐竜のオブジェ(物体作品)に驚かれることでしょう。そして、町役場の隣には平成26年(2014年)にリニューアルオープンした「御船町恐竜博物館」があり、目を引きます。

 御船町と恐竜の関わりは、昭和54年(1979年)に町内で肉食恐竜の化石が発見されたことから始まりました。その後、白亜紀後期の御船層群という地層から多数の恐竜化石が産出され、現在においても盛んに発掘調査と研究がなされています。私は20年ほど前、旧館時代の「恐竜博物館」を見学したことがあるのですが、このたび御船高校に赴任が決まり、春休み中に新しい「恐竜博物館」を訪ねてみました。県内外から多くの家族連れの観覧者で賑わっていました。

 館内の展示は一新されており、そのスケールと充実した内容に魅了されました。特に「恐竜進化大行進」と名付けられた立体的な骨格展示は圧巻で、迫力があります。そして、恐竜の世界にとどまらず、生命の誕生から人類の進化、さらには地球の環境変動に至るまで深いテーマが示されていて、見応えがあります。さらに、「オープンラボ」の考え方にもとづき、研究作業室や標本作製室等も通路から見学できるようになっています。

 「わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう」という大きな命題を考えながら、「恐竜博物館」を後にしました。

 恐竜だけでなく、御船町にはその他、教育・文化資源が豊富です。しかも、九州屈指の音楽大学「平成音楽大学」も存在しているのです。小・中・高(御船高校)・大学の連携が実現できる地域です。より「開かれた学校」づくりに努め、「御船高校でしかできない学習体験」、「御船高校だからできる教育」を進めていきたいと思います。

 

忘れてはならない歴史 ~ 動員学徒殉難碑

 御船高校の正門を入った左手に白い石造の碑が立っています。そして11人の若者の姿がレリーフ(浮き彫り)されています。動員学徒殉難碑です。

 今月末をもって平成の世が終わります。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに安堵しています。」との天皇陛下のお言葉に多くの人が胸を打たれました。かつて我が国において戦争の時代がありました。

 特に昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争の期間は、学校も戦時体制に巻き込まれました。当時の旧制御船中学校の男子生徒たちは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして25日、アメリカ軍の爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10人の生徒が亡くなりました。さらに翌年2月には、福岡市の飛行機製作工場での過酷な労働の末、1人の生徒が病気で亡くなりました。

 戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難碑が建立されたのです。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行ってきています。『とあまりひとり』と題された追悼誌も編纂され、校長室に残されています。

 時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるためにこの碑はあります。そして、志半ばで斃れた先輩達の魂が、後輩の生徒の皆さんを見守っていることになります。

 朝、出勤し、動員学徒殉難碑の前を通るとき、私は粛然とした気持ちに包まれ、頭を下げます。今年度も、「安全、安心な学舎であらねばならない」と強い決意を固めています。

 

「天神の森」の学び舎の新しい物語が始まります ~ 平成31年度入学式

 春爛漫の4月8日(月)午後、180人の新入生が熊本県立御船高等学校へ入学してきました。本校は大正11年(1922年)創立ですから、今年度で98年目です。すなわち新入生が3年になった時、御船高校百周年を迎えるのです。まさに最高の時を得て、本校を選び入学してきてくれた生徒たちです。これから「天神の森」の学舎での高校三カ年が始まります。

 御船高校の正門を入ると、正面に楠の大木を中心に樹木が群集している光景が目に迫ってきます。この一画を「天神の森」と呼びます。本校が創立されるはるか昔、16世紀の戦国時代後半、御船城(現在はその一部が城山公園となっています)の守護神として四方に祭られた聖なる森の一つで、もともとは東の天神(あまつかみ)と称されました。以来、五百年近くこの地にあり、歴史を見つめてきました。

 「天神の森」は本校のシンボルであり、この森に見守られ、大正、昭和、平成にわたって熱意ある教師の薫陶を受け、多くの人材が育ち、世に出て行ったのです。平成から令和へと時代は変わっても、「天神の森」の学舎は、可能性豊かな若者と情熱ある教師の出会いの場であり続けます。ロボットをはじめものづくりの面白さを追求する電子機械科、音楽・美術・書道を通して感性を磨く芸術コース、幅広い学びの中から自らの進路と夢を探していく普通科。御船高校は生徒の皆さん一人ひとりの個性を存分に発揮できる学舎です。

 進級した2年生、3年生と合わせて534人の生徒たちの物語が始まります。

 この4月1日に第27代校長として赴任した私にとっても新しい旅が始まる思いです。前任校(多良木高校)に引き続き、学校ホームページを活用し「校長室から風」を発信していきます。学校がいつも風通しの良いところであって欲しいと願い、たとえ微風でも校長室から風を発信し続けたいと思っています。その風が廊下を通り、職員室や教室、体育館等を巡り、窓から抜けてグラウンドへ出て、その風が地域へ広がっていくでしょう。そのような期待を込めて、これから、「天神の森」の学舎の物語を私の思いと共に風に乗せたいと思います。

 

二年間お世話になりました。

校長の西澤賴孝です。このたびの人事異動で玉名高校に転勤することになりました。御船高校在勤中は、生徒の皆さんはもちろん、保護者の皆様、地域の皆様、同窓会の皆様に一方ならずお世話になりました。この場を借りて感謝申し上げます。

御船高校は母や伯父・叔母の出身校であったため、同窓会や地域の皆様にもたいへん良くしていただきました。おかげで私も安心して学校経営に取り組むことができました。近隣の御船中学校や平成音楽大学との連携はもちろん、町主催の各種ボランティアなど、地域に根差した教育活動も実施することができ、少しは御恩返しができたのではないかと思います。

生徒にも、御船高校や御船町の歴史等を紹介し、母校や地元への理解と愛着を持たせるよう努めてまいりました。伝統に裏打ちされた「誇り」を抱くよう、いろんな場面で熱く語ってきたつもりです。二年後に控える「創立百周年」に向かって意識を高めていってほしいと思います。

御船高校の今後の発展とお世話になった皆様の御多幸を祈っております。

本当にありがとうございました。

平成31年3月28日        

熊本県立御船高等学校 第26代校長 西澤賴孝

卒業作品展やってます。

御船高校普通科芸術コースの美術・デザイン専攻と書道専攻の卒業作品展を、熊本市中央区花畑町にある崇城大学ギャラリーで開催しています。同時開催として、1・2年生の合同発表会も兼ねています。私も昨夕行ってみましたが、見れば見るほど味わいのある作品ばかりで、気が付けば一時間ほど見入ってしまいました。本校芸術コースの生徒の力作を皆さんもぜひご覧ください。開催期間は2月10日までです。

 

城南地区駅伝大会の応援に行ってきました。

2月3日(日)、球磨郡あさぎり町で行われた「平成30年度熊本県高等学校城南地区新人駅伝競走大会」に行ってまいりました。本校からは陸上部のみならずサッカー部や野球部、バスケ部やバレー部などの生徒の混合チームで出場しました。前日に試走をして、充分にコースを把握した上で本番に臨みました。あいにくの冷たい雨の中でのレースとなりましたが、立派に走り切り、女子が12位(15チーム中)、男子が20位(28チーム中)でした。選手の皆さん、お疲れさまでした。

御船高校選手の力走です。

 

くまもと県民文化賞をいただきました。

1月21日、熊本県庁の知事応接室にて「第29回くまもと県民文化賞」の表彰式が行われ、本校書道部が「夢部門」を受賞しました。全国総文祭で文部科学大臣賞を受賞したことをはじめとして多くの大会で部員が入賞したこと、書道パフォーマンスの活躍が顕著だったことで、高等学校文化連盟から推薦していただいたのです。授賞式には渕上悟美さんと興梠莉桜さん、顧問の古閑先生と私が出席して、蒲島県知事から御祝辞をいただきました。書道部のみなさん、受賞おめでとう。これからも技術を高め、多くの方々を喜ばせる活動を行ってください。

 

センター試験が近づいてきました。

昨日のニュースで、県内の私立高校の入試が始まったと報道されていました。これから高校入試・大学入試などの入試が続きますね。本校は推薦入試等ですでに合格を勝ち取っている人が多いのですが、今からが勝負の人もいます。いよいよ本番が近くなってきました。風邪をひかないよう健康管理には気をつけてください。手洗いとうがいは頻繁にすること。焦らずにいきましょう。これからの一ヶ月でかなりのことはやれます。御船高校で学んだことが発揮できるよう、自分自身を信じて、今、すべきことをまっしぐらにやってください。結果は必ずついてきます。 

 みなさんに次の言葉を贈ります。 

「朝顔が、朝、美しく花を咲かせるには、咲く前の闇の暗さと冷たさが必要である。」

  今がまさに「闇の暗さと冷たさ」を感じる時です。今を乗り切れば、必ずあなたの朝顔は見事な花を咲かせるでしょう。

 がんばれ、3年生! 私たち職員は心の底から君たちを応援しています。

師走も大活躍の船高生。

12月も半ばになり、二学期も残すところあと一週間。この土日もいろいろな行事で御船高校生の活躍が見られました。16日(日)、「九州中央自動車道開通式典」が10:00より御船小学校の体育館で行われましたが、蒲島県知事をはじめ、国会議員・県会議員の先生方、関係市町村の皆様など、そうそうたる方々の前で、わが御船高校書道部は堂々とパフォーマンスを披露しました。来賓のみならず出席の地域の皆さんからも大きな拍手とお褒めの言葉をいただきました。いい活躍の機会を与えていただき、国土交通省の皆様には感謝申し上げます。
同じ日、昼からは御船高校のセミナーハウスで、「第10回337-Eレオクラブ年次大会」が開かれ、本校生徒会が中心となって運営・発表を行いました。レオクラブとは、ライオンズクラブの青少年育成プログラムのことで、地域社会の青少年に指導力と経験、機会を提供することで、奉仕の心を持った人間性豊かな人材を育成することを目的にしている団体です。各地域の取組発表や意見交換などを経て、本校参加者もリーダーとして大いに成長したと思います。
夕方は熊本市内の県立美術館分館に移動し、「平成30年度第54回熊本県高等学校書道展表彰式」に出席し、熊本県書道部会長として表彰を行ってきました。今回の高書展には県内45校、222点が出品されており、その中から選ばれた最優秀賞8点、優秀賞12点、奨励賞40点を表彰しました。御船高校からも、黒岩愛さんと那須知夏さんが最優秀賞、川上日鶴さんが優秀賞を受賞しました。展示されていたどの作品にも、日頃の練習の成果が表れていて見応えのある書道展でした。


個性豊かな船高生

11月16日(金)~17日(土)は、御船高校の文化祭「龍鳳祭」でした。芸術コースや文化部の日頃の活動の成果発表や、クラス発表、食品バザー、有志によるステージ発表など、楽しい中にも見応えのある充実した文化祭だったと思います。写真部のプロジェクションマッピングを背景にパフォーマンスを披露した書道部の取組も斬新で面白かったし、1年電子機械科の実際に乗れるジェットコースターにも驚きました。私も34年教員をやっていますけれども、模型ではなく実際に乗れるジェットコースターを文化祭で見たのは初めてです。その他にも、恒例のお化け屋敷も大人気でしたし、食品バザーも大盛況でした。この日は天気も良く、学校外からも中学生や一般の方が大勢見えられ、学校の中も大賑わいでした。おいでいただいた地域の皆さん、朝早くからバザー等の準備をしていただいた保護者の皆さん、お忙しい中餅つきに参加してくださった藤木町長様、本当にありがとうございました。



職員バンドも、ホーンセクションを加えた新しいスタイルに挑戦しました。

書道パフォーマンスの活躍

9日(金)に御船を会場に、平成30年度第57回熊本県高等学校保健体育研究大会が開かれ、本校で公開授業がありました。その研究大会のアトラクションでも書道パフォーマンスを披露し、拍手喝さいを浴びましたが、昨日、熊本市の「ゆめタウンはません店」でも書道パフォーマンスを行い、多くの買い物客から拍手をもらいました。昨年度四国で行われた「書道パフォーマンス甲子園」に出場して以来、このように出演依頼が増え、生徒たちも大忙しですが、多くの人に自分たちの技術を見てもらうことが生徒たちの励みにもなっているようです。

新しい演出も加わり、内容も進化していました。

関西御船会の皆様、ありがとうございました。

11月4日(日)、大阪で行われた「関西御船会」に出席をしてまいりました。前日がグランメッセで物産フェアがあり、ロボットの応援をしていたものですから、大阪には日帰りの強行軍になってしまいました。熊本からは同窓会の川野光恵最高顧問や藤木正幸御船町長も出席されており、東京からも東京御船会の久米政文会長が来られていました。私は、現在の御船高校の様子や部活動等の活躍を紹介させていただきましたが、会員の皆様の母校に対する熱い思いをひしひしと肌で感じました。三年後の100周年にむけてのお話も出て、若手会員との連絡の手段など今後の課題についても協議されていました。アトラクションでの詩吟やカラオケ、ビンゴゲームなど、笑いの絶えない和気あいあいの関西御船会でした。

関西御船会の皆さん、お世話になりました。

「殉難の碑」慰霊祭校長講話より

「殉難の碑」校長講話                      
 おはようございます。本日、10月25日は私たち御船高校にとって忘れてはならない大切な日です。御船高校の前身である旧制御船中学の生徒だった方たちが学徒動員先でアメリカ軍の空襲に遭い、帰らぬ人となった日です。御船高校では、この亡くなった生徒たちを慰霊するため、正門の左手に「殉難の碑」という石碑をたて、毎年10月25日に慰霊祭を行ってきました。今日は、この「殉難の碑」の慰霊祭が行われる日です。その由来を少し、お話をしたいと思います。
 歴史の授業で勉強したと思いますが、明治維新後、日本は「富国強兵」政策を邁進し、日清戦争や日露戦争に勝ち、アジアをリードする存在になりました。そしていつの間にか「神の国日本は絶対負けぬ」という信念を国民の大部分が持つようになっていきました。1941年(昭和16年)12月8日、日本はハワイのアメリカ艦隊を奇襲攻撃し、いわゆる太平洋戦争が始まりました。これから先は皆さんも知っているとおり、日本軍は最初のころこそ連戦連勝で破竹の勢いでしたが、次第に工業生産力に勝るアメリカにじりじりと追い詰められ、南方の島々で日本軍は敗退し、敵の沖縄上陸を許し、広島と長崎に原爆を落とされ、1945年8月15日、連合国に無条件降伏をしたのです。

 この戦争で、実に多くの尊い命が犠牲になりました。今から73年前のことです。

 この太平洋戦争末期、戦局が悪化した日本では、労働力不足を補うために、学徒動員として、中学校や女学校の生徒たちが軍需産業や食料生産に動員され働いていました。当時、本校でも学徒動員が行われており、飛行場の整備作業や飛行機製造工場で働いていましたが、昭和19年10月20日、本校生徒500人が長崎県大村にある東洋一の軍需工場へ出動しました。工場到着後、数日かけて入所式、訓練、作業場所の配置が行われ、10月25日が作業開始の第1日目となりました。その日の午前11時頃、にわかに空襲警報のサイレンが鳴り響き、アメリカの戦略爆撃機B29が次々と襲来し、爆弾の雨を降らせました。猛爆約1時間、爆撃後の工場は凄惨なもので、眼を覆う有様でした。この爆撃で、生徒たちが避難した防空壕のひとつが直撃弾を受け、10人の尊い命が一瞬にして亡くなりました。

 こうして長崎県の大村で10人の生徒が亡くなり、また、福岡では1人の生徒が病気で亡くなりました。戦後、昭和39年にこの10人の非業の死が新聞で特集されたのをきっかけに、「亡くなった生徒たちを懐かしい母校に帰してやりたい」と同級生を中心に慰霊碑を建てる運動が始まりました。多くの人たちの思いや努力が形となり、昭和40年10月25日、あの爆撃からちょうど21年後、「殉難の碑」が完成して、除幕式が行われました。それから毎年10月25日には、当時の同級生が集まられ、慰霊式が行われています。「殉難の碑」は、御影石に亡くなった11人の姿を浮き彫りにしたレリーフがはめ込まれています。皆さんも、ぜひ、足を運んでください。皆さんと同じ若さで亡くなり、再び御船の地へ帰ることのできなかった11人を偲び、その冥福を祈ってもらいたいと思います。

 先の戦争で亡くなった日本人は、300万人以上と言われています。熊本県の人口が約180万人ですから、その数がどれくらいか想像してみてください。その中で民間人の死者は約80万人、およそ3人に1人の割合でした。戦争は兵士だけではなく、赤ん坊や子供、母親、老人など武器を手にしていない多くの人の命も奪う、大変悲惨なものです。

 今、私たちを取り巻く世界情勢は決して安心できるものではありません。テロや核兵器開発など、問題がたくさんあります。

 戦争は紛争を解決したり、自己主張したりする手段ではありません、決してかっこいいものでも勇ましいものでもありません。悲惨なものです、家族の命、友達の命、そして、愛する人の命を奪う残酷なものです。

 日本が終戦以来、約70年にわたって戦争を経験することがなかったのは、わが国の平和を願う国民の意志の力によるものです。私たち自身が、戦争のない幸せな国を築いていかなければなりません。

 そのため、政治に関心を持ち、世の中の動きをしっかりと見定めていくことが大切です。現在は、法律の改正により、満18歳以上の人が選挙に参加することができるようになっています。自分のしっかりした意志を持って、政治に参加し、平和な未来を築くことが今を生きる私たちの責務であります。

 生徒の皆さんはもちろん、私たち教職員も実際の戦争の体験はありません。こうした機会に戦争についてしっかりと考えるとともに、今、心おきなく高校生活を送ることのできる幸せ、ありがたみをかみしめなければならないのだと思います。

  最後に、再びあのような悲劇を繰り返さないために、平和の誓いを新たにするとともに、当時の激動の時代をひたすらに生き、今の御船高校の礎を築いていただいた先輩方に恥じないよう、みなさんの一人一人が、御船高校としての誇りを持ち、全力で高校生活を送っていってくれることを期待します。頑張ってください。

 以上をもって「殉難の碑」の講話を終わります。
                                    H30.10.25  校長 西澤賴孝  


 

育友会研修旅行に行ってきました。

つくばから戻った次の日、10月21日(日)から一泊二日で、育友会の研修旅行に行ってきました。今回は、山口県周南市で行われている「全国高等学校ロボット競技大会」(本校も毎年出場していて過去9回優勝している大会です。)の視察と、県立山口高校を訪問し、向こうのPTA役員の方々と情報交換をすることが目的でした。ロボット全国大会に到着したのは昼前、ちょうど予選が終わったころでした。129チーム中、予選通過は48チームでしたが、御船高校Aチームは2位で、Bチームは33位で予選を通過していました。その後、決勝トーナメントで、Bチームは2回戦で惜敗。Aチームは強豪校を次々に破り、準決勝へ。途中、操縦型ロボット、自走型ロボットの両方が完璧に課題をクリアした時には、御船高校応援団のみならず会場から感嘆の声があがりました。結果は優勝した富山県立砺波工業高校に僅差で負け、3位という結果になりました。優勝を逃したのは残念でしたが、「御船高校ここにあり!」の存在感は全国に示せたと思います。東京や大阪、熊本からたくさんの同窓会の方たちが応援に駆けつけてくださり、育友会の皆様と合わせ総勢60名を超える応援団でしたが、皆さん御船高校の活躍に感動されていました。応援ありがとうございました。




次の日は、県立山口高校に学校訪問をし、PTA活動の情報交換と、熊本地震のときから続く両校の縁を確認し合いました。熊本地震のときに山口高校は、PTAが主体となって御船高校と連携しボランティア活動をやってくれています。

旧制県立山口中学講堂前で山口高校PTAの方たちと。

つくばで研修を受けました。

教職員等中央研修(校長研修)を受講してまいりました。10月14日(日)に熊本から羽田経由で茨城県つくば市にある研修所に到着し、月曜日から金曜日の夕方まで、一週間、朝から晩まで、みっちり勉強してまいりました。内容は「文部科学省による教育政策の動向」「学校・家庭・地域との連携」「学校組織マネジメント」「学校ビジョンの構築とリーダーシップ」「リスクマネジメント」「カリキュラムマネジメント」「研修プログラムの開発と実践的応用」「教育改革実践家による特別講義」など。全国屈指の講師陣によって講義・演習・協議の形式で行われたこの研修は、私の校長としての知見を深めてくれただけでなく、各都道府県の校長たちと切磋琢磨することで、全国に知己を得ることができました。派遣してくださった熊本県教育委員会に感謝申し上げます。今後、いろんな研修会等で、学んできたことを熊本県の教職員に還元していきたいと思っています。

各都道府県の校長先生方、有意義な時間をありがとうございました。

書道で文部科学大臣賞を受賞!

全国高等学校総合文化祭が長野県で開催されました。御船高校からは美術、書道、写真、吟詠剣詩舞で出場し、それぞれ素晴らしい作品や演技を披露したところですが、書道部門において、中野寧々さんの作品が「文部科学大臣賞」を受賞しました。これは、全国からの300点に及ぶ出品の中の最優秀作品に選ばれたということです。本日、新聞社の取材がありました。中野さんは、作品にかける思いや受賞の瞬間の気持ちなどを落ち着いて答えていました。中野さん、本当におめでとう。よかったね。

顧問の古閑先生と。中央が中野さん。

残暑お見舞い申し上げます。

8月も後半となりましたが、相変わらず厳しい暑さが続いております。8月1~2日は県民交流館パレアで九州地区工業高等学校長協会総会・研究協議会熊本大会がありました。熊本工業高校の井上校長先生を中心に運営を行いましたが、充実した内容で、各県からの参加者も大満足だったと思います。5日にはホテルキャッスルで御船高校同窓会総会が大盛況のうちに開かれました。本校は、3年後に100周年を迎えますので、同窓会の皆様とは益々連携をとってまいりたいと思います。7日は育友会主催の進路研修会に参加し、株式会社LIXILと久留米工大に行ってきました。住宅機器メーカーLIXILの品質管理と従業員の労働環境整備の充実と、久留米工大の地域貢献の取組に感銘を受けました。

12日は御船町の「があーっぱ祭り」に参加してきました。生徒たちと山車を引いたり、保護者の皆さんと夜の巡回をしたりして1日中楽しかったです。


ボランティアで参加してくれた生徒の皆さん・保護者の皆さん、
おつかれさまでした。

オールスター戦に行ってきました!

毎日、暑い日が続いています。昨晩はウインブルドンとワールドカップで夜中まで盛り上がっていました。高校野球も目が離せない状況です。御船高校は1回戦で球磨工業に6-0で負けましたが、シード校相手によく戦いました。日頃の練習態度を含め、成長の跡が見られます。今後を期待したいと思います。
さて、この土日は生徒部活動の激励に行ってきました。まず土曜日は、藤崎台県営野球場で行われた「プロ野球オールスター戦2018in熊本」のオープニングセレモニーに書道部がパフォーマンスをしました。満員の大観衆とセ・パ両リーグの名だたる選手の前で、濟々黌高校吹奏楽部の演奏に合わせ、堂々と二枚の大書を書き上げました。球場だけでなく二の丸で行われていたパブリックビューイングの観客たちからも大きな声援をいただきました。私もグラウンド内に入らせてもらいましたが、プロ野球選手を間近に見ることができて感激でした。

日曜日は、熊本テルサで「裏千家学校茶道合同茶会」が開かれ、本校茶道部が御点前をするというので行ってきました。和服姿のお客さんたちの中には見知った方もおられ、茶の心得のない私はちょっと緊張しましたが、堂々と振る舞う御船高校茶道部の生徒たちを見て、頼もしく感じました。

このほかにも、現在、水泳の九州大会に本校水泳部の江原さんが出場しています。レベルの高い戦いになっているようです。頑張ってほしいと思います。

ものづくりコンテスト報告

なんとか台風をくぐりぬけ熊本に帰ってきた翌日の6月17日(日)、熊本県立玉名工業高校を会場に開催された「第15回熊本県高校生ものづくりコンテスト」に行ってまいりました。御船高校からは旋盤作業部門に電子機械科3年松野君、電気工事部門に電子機械科3年松永君が出場しました。それぞれの課題を、制限時間の中でいかに精巧に仕上げるか、技術の戦いです。どの高校からも精鋭が出場し、レベルの高いコンテストとなりました。本校から出場した二人も、落ち着いてテキパキと作業を進めており練習の成果が表れていたと思います。審査の結果、旋盤作業部門の松野君が銅賞になりました。二人ともおつかれさまでした。


上が旋盤の松野君、下が電気工事の松永君。

PTA沖縄大会報告

6月14日(木)から6月16日(土)まで、育友会の皆さんと第62回九州地区高等学校PTA連合会大会沖縄大会に行ってまいりました。総会では、元御船高校育友会会長の佐藤様が感謝状を受賞されました。分科会では「進路指導とPTA活動」に参加をして、各県の事例発表を聞きましたが、本校育友会の田上様が質問するなど、活発な協議がなされました。そのほか、日本こどもみらい支援機構の武藤杜夫氏の記念講演も感動的で、「人間力」を子供に身に着けさせる取組の体験など、大変参考になりました。帰りがちょっと台風で心配しましたが、無事に帰熊。育友会の皆さん、お疲れさまでした。

沖縄県宜野湾市「沖縄コンベンションセンター」にて。

進路のしおり(巻頭言より)

「社会に出て必要とされる力」
                校長  西 澤 頼 孝

「キャリア教育」とよく言いますが、「キャリア」という言葉は、もともと荷馬車が道を通ってできる「轍(わだち)」を指すものでした。現在、学校教育において「キャリア」と言う場合、「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」(文部科学省)ということになるのですが、私なりに解釈すると「キャリア」とは、「進学や就職を含めた、自立した個人の人生の積み重ね」のことかなと思います。「人生とは自分の居場所を探す旅」というようなことを以前話したことがありますが、よりよい人生を送るには、「学ぶこと」や「働くこと」への意欲を持ち、社会人・職業人として通用するために必要な能力を身につけることが必要です。人にはそれぞれに個性があり、一人ひとりの人生のあり方は違っていて当然です。何に興味があり、将来どのようになりたいのか、そのために高校時代の今やらなければならないことは何か、とにかく自分自身を見つめていくことが「キャリア」を考え始める第一歩です。

高校を卒業して上級学校に進学をする人、すぐに就職をする人、それぞれの道はありますが、最終的には「就職」をすることになると思います。「就職」はゴールではなく、その後に始まる社会人としての人生のスタートです。みなさんが、就職後、会社や組織において、生き生きと自分らしい人生を歩むことが最も重要であり、そのためにはみなさん自身が納得して進路を決定することが大切です。そして、就職試験では自らの就労観、価値観、体験、展望など、自らの考えを「伝える」ことが求められます。いわゆる「コミュニケーション能力」ですね。

 今年の4月。新年度のスタートに当たり、多くの会社で新入社員の入社式が行われました。各業界で人手不足が深刻化する中、新入社員は会社にとって貴重な戦力です。入社式で、各会社の社長さんは、失敗を恐れず挑戦する姿勢や、自ら考え行動する力を新入社員に強く求めたそうです。熊本日日新聞社と地方経済総合研究所(熊本市)が県内主要企業を対象にしたアンケートの結果から、学歴より、人と意思疎通を図る力や行動力といった「人間力」を重視して採用を決める傾向が強かったことがわかりました。アンケートでは、採用で重視することとしないことを複数回答で答える方式で行われましたが、「重視すること」のトップは、「コミュニケーション能力」(81%)、2位が「協調性」(64.6%)、3位「積極性」(58.3%)、4位「チャレンジ精神」(55.1%)と続いたそうです。会社としては、与えられた仕事だけをやる人材よりも、チャレンジ精神を持って、顧客や取引先ときちんとコミュニケーションが取れる人材を求めているということですね。もちろん、社内でのあいさつや、社会人としての基本的な礼儀が必要不可欠であることは言うまでもありません。

 今年度、本校教育の重点目標として「コミュニケーション能力の育成」をあげています。自らの「言葉」や「態度」を見直して、相手の気持ちを考えつつ自分の考えを正確に伝える力を持つことで、望ましい人間関係が構築できる人物になるよう努力してほしいと思います。
                                       (平成30年6月)


 


 

東京御船会報告

先日、東京霞ヶ関で開催された「東京御船会」に出席してまいりました。国会議事堂や首相官邸がすぐ下に見える霞ヶ関ビルの35階を会場にして、約70名の会員と来賓が集い、第19回定期総会・懇親会が行われました。最初に、旧制中学19回卒の野口政止さんの献吟があり、太平洋戦争末期、学徒動員中に亡くなられた旧制御船中生徒たちへの追悼がなされました。第14代犬塚義雄校長が同級生の死を悼んで作られたという「学友の追悼詩」は、今聞いても胸に迫るものがあります。
 
  「殉死した学友の六十六回忌に当たり」
 無定の人生夢幻の如し    君達殉難して六十六年
 凛々しき紅顔今も眼にあり  秋空果てなく心蕭然
 
私は、現在の御船高校の様子を話しましたが、みなさん故郷・母校への関心は高く、後輩たちの活躍をとても喜んでおられました。御船高校百周年まであと3年。同窓会の皆様も、いつまでもお元気に御船高校を見守っていただければ幸いです。


野口政止さんから貴重なお話をうかがいました。

一ノ瀬追い上げ2位!!

5月20日の日曜日にくまもと県民テレビ(KKT)で放映されていましたのでご覧になった方もいらっしゃると思いますが、本校出身の一ノ瀬優希選手が「中京テレビ・ブリヂストン・レディース」で2位になりました。21日の熊本日日新聞にも掲載され、さっそく校内の「一ノ瀬選手応援掲示板」で本校生にも紹介しました。新聞によると、7位でスタートした一ノ瀬選手は、8バーディー、1ボギーで2位に追い上げました。ツアー通算3勝の一ノ瀬選手は、4年前に痛めた左鎖骨のせいで左手親指を痛めるなどして、ここのところ満足のいくプレーがなかなかできないでいたけれども、今大会は完全復活の手ごたえが感じられるものだったそうです。良かったですね、一ノ瀬選手。私たちもうれしいです。これからもますます頑張ってください。御船高校の後輩たちも応援しています。

頑張れ一ノ瀬優希選手!

4月15日(日)、2018KKT杯バンテリンレディースオープンに行ってまいりました。御船高校出身の一ノ瀬優希選手を応援するためです。今年はマイコン制御部ロボット班の生徒15名と職員5名で参加しました。前日から雨と風が強く、必ずしも理想のコンディションとは言えない中、一ノ瀬選手は予選を突破し、最終日に臨みました。結果は、スコア226で51位と、本人にとっては残念だったようですが、応援する生徒たちにとっては、大舞台で活躍する先輩の姿やギャラリーのマナーの良さなど、勉強になるところも多かったようです。御船高校は今後も一ノ瀬選手を応援していきます。頑張れ一ノ瀬選手!

平成30年度のスタート

御船高校に赴任して丸一年が過ぎました。今年度もよろしくお願いいたします。
年度末に17名の先生方が退職・転出され寂しい思いをしていましたが、新たに15名の先生方をお迎えして、平成30年度がスタートしました。4月9日(月)には、新任式・始業式・入学式と立て続けに式典があり、気持ちも新たになったところです。始業式では、今年の重点目標「コミュニケーション能力の育成」について話しました。自らの「言葉」と「態度」を見直し、相手の気持ちを推し量り自分の考えを適切に伝えることで、望ましい人間関係を築いてほしいと考えたからです。「コミュニケーション能力」は社会に出てからも必要不可欠なものです。
入学式では、熊本県議会議員の大平様、御船町長の藤木様、同窓会長の住永様、育友会長の河地様から御祝辞を賜り、184名の新入生も、歴史と伝統のある御船高校の生徒となったことに自覚と誇りを覚えたことと思います。勉学に、部活動に、高校生らしくはつらつと毎日を過ごしてもらいたいです。

卒業式を終えて

本日、3月1日(木)、未明までの春嵐がうそのように静まり、うららかな春の日差しの中、「平成29年度熊本県立御船高等学校第70回卒業証書授与式」を行うことができました。県議会議員増永慎一郎様、御船町長藤木正幸様をはじめ、多くの御来賓および保護者の皆様に御列席いただき、普通科107名、電子機械科52名の生徒が御船高校を巣立ちました。本校で学んだ三綱領「誠実」「自学」「自律」の精神は、これからの人生の中で大きな道標となることでしょう。卒業生の皆さんの前途が、健やかで幸多きものであることを心から願っております。



育友会の皆様からお花をいただきました。
ありがとうございました。

御船中学校の研究発表会に参加して

2月17日(土)、御船中学校で開催された学力充実研究発表会に、本校職員10名とともに参加してきました。御船中は、吉見和洋校長先生のリードのもと、ユニバーサルデザインの視点に立った指導方法の改善に取り組んでおられます。今回の研究発表会でも「すべての生徒が楽しく『分かる・できる』授業づくり」の実践が、公開授業やフォーラム、シンポジウムを通して発表されました。「思考ツール」を活用し、生徒同士の「学び合い」や「リフレクション(省察)」を取り入れた授業は、ややもすると教師主導の講義型授業になりやすい高校の教員にとって、大変参考になるものでした。近くに御船中学校があることを幸いとし、本校職員の指導力向上を目的とした中高連携を、今後さらに深めていきたいと思っています。