教師として、創作者として ~ 御船高校芸術科教職員の活躍
幾何学的に組まれた金属製の細い板が銀色に輝く、斬新なデザインの不知火文化プラザ(宇城市不知火町)。ここは美術館と図書館がある複合文化施設です。美術館の秋の企画展「楽しむ空間 書に遊び 絵に想う」を休日に訪ねました。御船高校芸術科の二人の職員の作品が展示してあり、招待券を頂いたのです。
弘孝昌教諭(美術)の造形作品「monument」が、最初のフロアに展示されていました。縦120㎝、横284㎝の大きな作品で、木の枝、ポリスチレンフォーム(発砲プラスチックの一種)、アクリル板などの材料が使われ、墨の表現が山水画を思わせるものでした。題名「monument」はモニュメント(記念碑)です。きっと作者の心象風景が造形化されアートと成ったのでしょう。私の貧しい語彙では表現できない作品ですが、観る者を引きつける磁場のような力があり(これが芸術でしょう)、作品の前でしばらく佇んでいました。撮影を願い出たのですが、館員の許しは得られず、ここに画像を載せることができず残念です。
フロアを進むと、古閑雄介教諭(書道)の書が三点展示されていました。古閑静盦(せいあん)の号を持つ書家で、若くして日展入選を果たし、今や熊日書道展委嘱書家です。「能動」の書は、その字義のとおりダイナミックな力が感じられるものでした。論語の一節の「後生畏るべし」の章句も、教育者としての思いがみなぎる書でした。そして「大徳」の書は、少し力を抜いた闊達な表現でした。書は人なり、です。日頃から書道部の生徒に対して、「技術よりも心の持ち方が大切だ」と指導されている古閑教諭の信条が迫ってくるようでした。
会場にはその他多くの絵画、書の作品が展示されており、不知火美術館所蔵のマナブ間部(まべ)の鮮やかな色使いの作品も目を引きました。マナブ間部(1924~1997)は不知火町出身でブラジルに渡り、画家として大成し、ブラジルと日本との文化交流に大きな役割を果たした人です。しかし、弘孝昌教諭の造形作品、古閑雄介教諭の書も同じフロアに展示されて、遜色はありません。そのことに私は同僚として大きな誇りを覚えました。
弘教諭が指導する美術部、古閑教諭が指導する書道部は、今や熊本県の高校文化活動のトップを走っています。教育に全力を傾けながら、自ら創作者としての活動も続ける両教諭に心から敬意を表します。両教諭を目標に、美術の本田崇教諭、黒田香陽講師、書道の緒方美樹講師もそれぞれ創作活動に鋭意取り組み、公募展に出品されています。
教師として、創作者として、御船高校芸術科の教職員の活躍は、何よりも生徒たちに還元されていくと信じています。
宇城市不知火文化プラザ(美術館・図書館)