謎の八角形洞門 ~ 廃線遺構を訪ねて

   その絵を見たとき、描かれた場所がどこであるか見当がつきました。久しぶりに訪ねてみたいと思いました。その絵、本校美術・デザイン専攻3年の邑山(むらやま)君の油絵「昼下がりの洞門」を見たのは1学期の6月でした。この絵は第82回銀光展の文林堂賞を受賞した秀作です。山中の八角形コンクリートの遺構に光が当たって浮かび上がっている情景です。「ここはいったいどこなのだろう?」と周囲の職員がいぶかしがる中、私には思い当たる所があったのです。

 11月後半の休日、思い立って出かけました。御船高校から妙見坂トンネルを通り甲佐町に抜け、国道443号を南下し美里町に入り、小筵(こむしろ)の交差点近くの脇道を津留(つる)川沿いに下ると釈迦院(しゃかいん)川との合流地点に出ます。ここには江戸時代末期から大正、昭和初期に至る異なる時代の五つの石橋が架かる「二俣五橋」(ふたまたごきょう)があります。緑川水系には通潤橋(つうじゅんきょう)、霊台橋(れいたいきょう)といった国重要文化財指定の大規模な石橋をはじめ数多くの石橋があることで知られていますが、ここ「二俣五橋」も必見です。しかし、今回はここが目的地ではありません。自動車で行けるのはここまでで、あとは徒歩です。

 「二俣五橋」から津留川の右岸に渡り、山の斜面の細い道を上ります。幸い、フットパス(「歩く小径」という意味)として美里町によって整備されています。細い道を上りきると、車一台が通れるような平らな道が山腹につながっています。もちろん道路ではなく車は通れませんが、フットパスとして草も刈られ、歩きやすいものです。津留川の清流を右手に見下ろし、里山の風景がまことに目に優しく、心地よい道です。山中にどうしてこのような幅広い道があるのでしょうか?ここをかつて鉄道が走っていたと知ると合点がいくと思います。

 かつて大正時代から昭和中期まで、熊本市(南熊本駅)から上益城郡の嘉島、御船、甲佐を通り、下益城郡の砥用(ともち)まで熊延(ゆうえん)鉄道という私鉄が走っていました。九州山脈を越え宮崎県延岡市まで結ぶという雄大な構想は実現せず、モータリゼーションの波で昭和39年(1964年)に廃線になりました。廃線から半世紀を過ぎ、乗車経験のある方も少なくなりました。

 山中の平坦な道を五分も歩くと、邑山君が描いた洞門が見えてきます。八角形のコンクリート遺構が等間隔で7基連なっています。鉄道のトンネルであれば半円筒形でなければならないはずですが、間隔が空いており中途半端な構造となっています。その理由はいまだよくわかっていません。

 廃線となった鉄道遺構は寂しくも映りますが、この地域の近代化を支えた遺産であり、時代の証人とも言えます。邑山君はよく注目したと思います。

 歴史を知ると、見えないものが見えてくると思います。

   二俣五橋の風景      旧熊延鉄道線路跡      旧熊延鉄道トンネル跡