校長室からの風

ごあいさつ

 御船高校は、今年、百周年を迎える県下でも屈指の歴史と伝統を持つ学校です。本校は、普通科、普通科芸術コース、電子機械科を設置する学校で、地域の方々に支えながら、夢と志をもって社会や地域に貢献できる生徒の育成に努めています。本校の特色ある教育活動の一つであるロボットは、全国高等学校ロボット競技大会で、過去9回の優勝を誇り、全国に御船高校の名を馳せる活躍をしています。また、書道パフォーマンスの活躍をはじめ、芸術活動や部活動において、実績を上げています。先生方も教育愛にあふれ、熱心に指導してくれる学校です。「天神の森」を中心に豊かな自然環境とおおらかな気風、面倒見のよい教育集団のもと、学習に部活動に一生懸命励み、自分自身を磨き上げることができる学校です。高校生活にしっかりとした目的意識をもって夢の実現を目指す皆さんの入学を心待ちにしています。

                                           校長 廣瀬 光昭

令和2年度修了式 ~ 風がやむ時

 今年の桜は早いようです。3月24日(水)の令和2年度修了式の日、学校の桜は満開となりました。青空に桜が映えます。

 修了式実施に向けて、総務部を中心にそのあり方を検討し、2年生は体育館に入り、1年生は各教室にてオンラインで参加するという分散方式をとりました。2年生は個人間の距離を十分にとって、体育館のフロアいっぱいに広がり座ります。体育館での式の状況をカメラで中継し、その映像が各教室前方のスクリーンに映し出されます。

 表彰式及び修了式を2年生の皆さんと対面して実施できることは感慨深く思いました。一方、1年生の皆さんとオンラインでつながっていることも画期的でした。「With コロナ」(コロナウイルスと共にある)の中、このようなニューノーマル(新しい常態)を積極的に取り入れていかなければいけないと思います。この1年あまり、新型コロナウイルス感染症拡大で社会は翻弄されました。学校教育も大きな影響を受けました。しかし、長期化するコロナ禍において、何がどこまでできるのかが模索されています。2年ぶりに「春のセンバツ」(全国選抜高等学校野球大会)が甲子園球場(兵庫県)で開催されていることは、高校教育関係者にとは明るいニュースです。

 修了式の講話で、生徒の皆さんに対し、ペスト、コレラ、スペイン風邪などのこれまでの感染症パンデミックの事例から先人たちが何を学び、克服してきたかを話しました。そして、結びに、来年度は御船高校が創立100周年を迎えること、その節目に在校生であることの幸運を活かし、自分の可能性を発揮してほしいと伝えました。

 修了式を終え、私は大きな役割を果たしたような気持ちになりました。令和3年度の熊本県立高校教職員人事異動により、御船高校から16人の教職員が転・退任することとなりました。私もその一人です。本校で創立100周年を迎えられないことは誠に残念でなりません。しかし、伝統ある「天神の森の学び舎」で、可能性豊かな生徒の皆さんと出会い、保護者、同窓会、地域の方々から応援を受け、充実した日々でした。御船高校で勤務できたことを心から感謝しております。

 私たち教職員は、常に「中間走者」だと思います。前任者からバトンを受け、勤務期間の長短はあれども全力を尽くし、後任にパトンを渡すことが定められています。今は、生徒の皆さんのさらなる成長と御船高校の一層の発展を願うばかりです。惜別と感謝の思いを胸に離任します。

 2年間の「校長室からの風」は小さく弱いものだったと思いますが、その風もやむ時がきたようです。有難うございました。

 

最後の掃除

 3月17日(水)の午後は、1、2年生共に校外へ進路ガイダンス(各大学、熊本市総合体育館等)に出かけ、校内に生徒はいないはずでした。ところが、特別教室棟1階の廊下を歩いていると、美術教室の中から生徒の声が聞こえますので不審に思いドアを開けてみると、二人の生徒が体操服姿で掃除をしていました。二人とも3月1日に卒業した芸術コース美術専攻の女子生徒です。

 「最後まで、この教室で絵を描き続け、絵の具で床をずいぶんと汚したので掃除に来ました。」と答えてくれました。2月にこの「校長室からの風」で「最後まで受験生」のタイトルで紹介したとおり、芸術系大学の受験に備え、彼女たちは毎日のように登校し、この部屋で石膏像や果物などのデッサンを繰り返し、油絵の制作に取り組んでいました。すべての受験が終わり、志望校合格も確定したので、お世話になった美術教室を清掃しようと登校したそうです。

 体操服の二人は床に膝をつき、凝固している絵の具を金属製のへらで一つひとつはぎ取っていました。そして、洗剤を使い、その跡が消えるよう丁寧に床をタオルで磨いていました。その光景を見て、私は胸が熱くなりました。最後まで進路希望に向かって努力したこと、そして教室を整えて後輩に渡そうとする気持ちを私は称えました。

 「 一 掃除、二 信心 」という禅宗の言葉を聞いたことがあります。掃除とは結局、心を整え、磨くことにつながるのでしょう。わが国の学校教育においても古くから掃除は大切な教育活動と位置付けられています。卒業した学校の教室を掃除する生徒の姿を目の当たりにして、御船高校芸術コースの教育は「人の心」を育てていることを実感しました。

 客観的な美というものはありません。風景、人物、オブジェにしてもその客体を通して、美を創り上げていくには、観察者であり創作者である人の感受性と創造性が必要です。美は、その人の心が創るのです。だから、美術は人それぞれの個性が表れ、多様な表情を見せ、私たちを魅了するのでしょう。体操服姿で掃除する二人は、美術の技法の向上と共に豊かな精神を養ったことは間違いありません。新しい世界へ飛翔する前、大事なことを忘れなかったのです。

 令和3年度の高校入試の合格発表が3月16日に行われました。御船高校芸術コースは音楽・美術・書道の3専攻合わせた受験者が増え、ここ十年あまりで最も多い入学者が予定されています。「天神の森の学び舎」を羽ばたいていく先輩の皆さんが、時には羽を休めに母校に帰ってきて、後輩と交流してくれることを願っています。

 

3月11日 ~ 東日本大震災から10年

   午後2時46分、校内放送が流れ、私たち教職員は一斉に黙祷を捧げました。3月11日(木)を迎えました。東日本大震災の発生から10年が経過したことになります。今日は高校入試(後期選抜)の採点はじめ特別業務のため、生徒は家庭学習で、学校には職員だけがいます。いつもと違い、静かな御船高校です。国旗掲揚台では弔意を表す半旗を掲げました。

 2011年(平成23年)3月11日、マグニチュード9というとてつもない地震が発生し、巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合災害によって、東日本の多くの人々の命と暮らしを奪いました。テレビ中継の映像を通して、人も車も町も吞み込んでいく津波の凄まじい猛威、原子力発電所事故で拡散する放射能の底知れない恐怖を感じたことを今も生々しく記憶しています。あの日から、私たち国民一人ひとりは東北に、福島に心を寄せてきたと思います。

 前任校の修学旅行で、3度、私は福島県へ生徒を引率しました。太平洋岸のいわき市や県央部の二本松市などを訪ねました。被災者の方の体験談を聞いたり、復興の様子を見たりと防災学習に取り組みました。また、スキーをしたり、福島の食材を味わったり、地元の人と交流をして、福島の皆さんが健やかな日常を送っておられることを体感し、原発事故後の風評被害がいかに誤ったものであるかを学びました。今年度、御船高校2学年の修学旅行(東京)がコロナ禍で実施困難になった時、感染状況が比較的落ち着いていた福島や宮城、岩手等の東北の太平洋岸へ行くことはできないかと個人的に考えました。生徒たちと共に東日本大震災から10年たった現場に立ちたいと思ったからです。しかし、そんな私の願いはコロナ感染の第三波で打ち砕かれました。

 5年前、熊本地震が起こりました。本校のある上益城郡は震源であり、甚大な被害をうけました。地震列島とも言われるわが国において、地震災害は常にわが事なのです。いつ、平穏な日常が破られるかわかりません。「もしも」は、「いつも」の中にあるのです。熊本県の地震からの復旧、復興は着実に進み、この3月、待望の阿蘇大橋再建というニュースに接しました。

 しかしながら、福島県においては、放射線量が高い原発事故の関連地域は、いまだ帰還困難区域となっており、故郷に帰ることができない多くの人がいます。この重苦しい事実を直視し、これからも福島に心を寄せていきたいと思います。

 そして、近い将来起こるであろう南海トラフ地震などの大規模自然災害に備え、防災、減災に学校は地域と連帯して取り組んでいかなければならないと決意を新たにします。3月11日は、私たちにとって慰霊と決意の日だと思います。

                 弔意を表す半旗(御船高校)

3月1日 ~ 第73回卒業証書授与式

 3月1日(月)を迎えました。天気予報は曇りでしたが、良い方にはずれ、青空が広がり、清々しい朝でした。

 令和2年度熊本県立御船高等学校「第73回卒業証書授与式」の日です。卒業生は、普通科(芸術コース含む)111人、電子機械科59人、合計170人です。三か年皆勤の表彰者が25人います。熊本県での感染者は減少しましたが、依然、新型コロナウイルス感染症は終息しておらず、昨年に引き続き、卒業生と教職員、そして各家庭から原則1人の保護者の方と出席者を限定し、簡素な式典となりました。

 卒業生総代の田中さん(電子機械科B組)が答辞の中で、3年間を振り返り、新型コロナウイルス感染が拡大し、高校総体や高校総合文化祭、そして工業高校生徒のモノづくりコンテスト大会などが相次いで中止または規模縮小となった時が最もつらかったと述べました。目標としていたものが突然失われことで、「やり場のない憤りを覚え、心が折れそうになりました。」と表現しました。高校生活の集大成である3年生において、数多くの行事や部活動の大会が失われ、存分に力を発揮できなかったことはさぞ悔しく、無念だったことと思います。

 しかし、3年生は気持ちを切り替え、逆境の中、自らの進路希望の実現に向かって挑戦しました。そして、それぞれの進路を切り拓き、今日を迎えたのです。困難な状況にあっても、リスクから身を守り、自分の本分を全うした体験は、これからの皆さんの生きる力になると私は信じます。   

 「この未曽有の災禍の向こうに、私たちの未来はあります。」と田中さん締めくくりました。この卒業学年は、中学2年生の春に熊本地震を体験しています。上益城郡が地震からほぼ復興を遂げた時期に、コロナパンデミックに巻き込まれました。地震、コロナ禍の不遇な時を過ごしたとも言えるかもしれません。しかし、この時期だったからこそ学べたことがある、と思ってほしいと願います。

 卒業式の最後は校歌斉唱ですが、今年は校歌のピアノ演奏を全員で聴く形をとりました。芸術コース音楽専攻2年の長元さんの独奏に合わせ、卒業生は心の中で校歌を歌ったのだろうと思います。

 マスクは着用していても晴れやかな表情が伝わる卒業生が、拍手の中、退場していきました。若人の旅立ちの日に立ち会える喜びをかみしめました。

 3月1日は私たち高校教職員にとって特別な日です。

 

2年ぶりの同窓会入会式

 2月下旬になり熊本県の新型コロナウイルス新規感染者が減少し、最近は0の日が多くなりました。喜ばしいことです。2月28日(日)、3年生が登校し、体育館で表彰式、卒業式予行、そして同窓会入会式が行われました。昨年は新型コロナウイルス感染者の急速な拡大を受け、同窓会入会式を中止しましたので、2年ぶりの開催となります。

 同窓会からは徳永明彦会長をはじめ6人の役員が来校されました。徳永会長は挨拶で、生徒たちに祝意を伝えられるとともに世の中に出ることの覚悟を語られました。

 「皆さんは、これまで学校で答えのある問題に取り組んできました。しかし、世の中には、答えのない問題がいっぱいあるのです。それをどう解決していくのかが大事なことです。問題に直面した時は、とにかく考える、前向きに考えることです。」

 徳永会長の言葉は生徒たちの胸に響いたと思います。

 続いて表彰が行われました。最初に天神賞(同窓会賞)が徳永会長から1組の井上さんに贈られました。天神賞は、学業成績が優秀で他の生徒の模範となるような努力をしてきた生徒に毎年贈られています。そして次に、特別奨励賞が3組の見﨑さんに贈られました。車いすで学校生活を送ってきた見﨑さんは、勉強とパラスポーツの両立に励み、卒業後もパラアスリートとしての活躍が期待されています。同窓会の皆さんの応援の表れだと思います。

 新型コロナウイルス感染予防の観点から、同窓会入会式はこれまでより短い時間で簡素に行われました。しかしながら、この秋、創立100周年を迎える節目の時に、コロナ禍の中、2年ぶりの同窓会入会式を実施できたことは意義あるものだったと思います。

 同窓会入会式が終わり、帰られる役員の方々が玄関で足を止められました。玄関ホールに掲げられている書道部3年生4人による卒業作品に見入られました。縦が約2m、横が約4mの大きな木枠に紙を貼り合わせ、朱、青、黄の色も散らし、生徒たちが考えた言葉が力強く墨書されています。

 「災禍の日々から学んだ 

  思いやりの行動  労いの気持ち  他者への配慮

  逆境を越え  新天地へ

  人生を切り拓く」

 明日、3月1日は卒業式です。

  

 

最後まで「受験生」

 2月に入り3年生は家庭学習期間に入りました。進路が確定した生徒は登校の必要がなくなり、自動車学校へ通ったり、自宅で進学先からの課題に取り組んだりして過ごしていることと思います。しかし、そのような中、大学受験に挑む一部の生徒たちは登校し、職員の指導を受け続けていました。先般、電子機械科の男子生徒が熊本大学工学部を推薦入試で合格を勝ち取るなど好結果が出ています。そしてまだ4組(芸術コース)の美術専攻の3人の女子生徒たちが毎日登校しています。

 3人の生徒たちは午前9時前後にそれぞれ登校し、体操服に着替え、特別教室棟1階の美術室でデッサン等に励みます。モチーフは美術の先生が設定することもあれば、生徒自分たちで作ることもあります。石膏像や果物、コンクリートブロックなど様々なモチーフが日替わりのように変わっています。昼休みをはさみ午後3時過ぎまでおよそ6時間、ひたむきに鉛筆、絵筆を動かし続けます。

 時折、私はこの部屋を訪ねてみます。邪魔してはいけないと最初は黙って見守っていますが、「集中力は30~40分が限界です」と言って生徒たちは各自で休憩をとるので、その時に対話します。3年間を振り返って、また将来の夢などを率直に語ってくれます。

 「コロナで臨時休校の期間は、自宅で絵を描いたり、粘土でモノづくりを楽しんで過ごしました。」

 「3年間、マイペースに好きな美術が学べました。御船の芸術コースに来て良かったなあと思っています。」

 「今が最も自由を感じます。」

 実は3人のうち2人は先週、受験を終え、結果待ちの状態です。もう1人の生徒は来週25日に国公立前期日程で受験予定です。受験は、結果を待つ間が最も不安な時期です。一人の生徒は特に不安を口にします。試験会場で他の受験生の作品が見え、その技量の高さに驚いたそうです。3人とも、希望と不安が混在した時間を一緒に過ごしているのです。先に受験を終えても、全員の受験が終了し結果が出るまで、3人とも美術室で絵を描き続ける気持ちでいます。それぞれ目標は異なっていても、同志としての強い結びつきを感じます。

 「人間は努力する限り、迷ったり不安になったりするものだよ。迷わぬ人間は怠惰な人間だと言えるよ。」と私は3人を励ましました。

 芸術コース(4組)は3年間メンバーが不変で、喜びも苦しみも連帯してきました。その連帯感を力に、3人は最後まで「受験生」であり続けています。

 

 

町の「記憶」を訪ねて ~ 変わりゆく風景のなかで

 久しぶりに御船川の南側(左岸)の本町通りを歩く機会がありました。現在の御船町は川の北側(右岸)が中心で、役場、警察、消防、小・中学校、大型商店等が集まり、コンパクトタウンの姿を見せています。御船高校もここにあります。しかし、昭和の中頃までは、御船川の南に沿った本町通りが、白壁の商家が立ち並び繁栄していたところです。この「校長室からの風」でも紹介した江戸期の豪商の林田家邸宅跡(現「まちなかギャラリー」)、明治期創業の池田活版印刷所など往時の賑わいが偲ばれる建物が残っています。

 今回は本町通りを上流方面へ歩き、御船川に架かる「思い出橋」を訪ねました。ここにはかつて美しい姿の2連アーチの石橋が架かっていました。江戸後期の嘉永元年(1848年)建造の御船眼鏡橋です。当時の町人たちの寄付によって造られました。「あの眼鏡橋が残っていたらなあ」と年配の御船高校同窓生の方々が今でも懐かしまれます。昭和63年(1988年)の水害で惜しくも流失してしまい、そのモニュメント(記念碑)が「思い出橋」のたもとに設置されています。

 また、「思い出橋」のすぐ近くに木造平屋建てで瓦葺(かわらぶき)の重厚感のある建物が残されています。ここが明治時代の旧裁判所庁舎です。明治期、熊本県内に9か所設置されたものの一つで、明治28年(1895年)に建造され、その後、御船簡易裁判所となり昭和46年まで使われました。今も公民館として現役の建物であり、国の登録有形文化財の指定を受けています。現在の御船町には簡易裁判所・家庭裁判所の出張所があるのみですが、かつては上益城郡の拠点として裁判所庁舎が置かれていたのです。

 昭和の前半までは木材をはじめ物資の流通に舟運が大きな役割を果たしました。従って、御船川沿いに商家や造り酒屋が軒を並べ本町通りが町のメインストリートでした。しかし、自動車の急速な普及(モータリゼーション)によって、交通・運輸の体系が変わり、町のあり方にも影響を与えました。昭和51年(1976年)に九州自動車道の御船インターチェンジ(IC)開設はその象徴的出来事と思います。本年4月オープンを目指し、御船IC近くに外資系の大規模商業施設の建設工事が大詰めを迎えています。店舗面積1万㎡、駐車台数は約800台という破格の規模です。また御船の景色は変わるでしょう。

 今も昔も御船は交通の利便に恵まれています。従って、町は変化しつつ発展していくのは定めです。しかし、変わりゆく中で、町の「記憶」とも呼ぶべき遺産を大切にしなければならないと思います。歴史の厚みがある町は何か懐が深く、生活をしていて情緒を感じます。

 

「ロマンです!」 ~ 電子機械科「課題研究発表会」

 3年生の学年末考査、通称「卒業試験」が1月27日(水)に終了しました。これで3年生は家庭学習期間に入るのですが、電子機械科の3年生は翌日も登校し、この1年間取り組んできた課題研究の発表会に臨みました。電子機械科の「課題研究」は生徒たちがそれぞれ班をつくり、各班で課題を設定し、担当の先生の指導を受けながら研究実践を行うものです。教育課程上は、2単位(週2時間)ですが、放課後や長期休業中にも自主的に活動してきました。

 会場は第5実習棟フロア。電子機械科3年A、B組それぞれ6班が持ち時間12分で発表し、質疑応答の時間もあります。先輩の発表を2年生が聴きます。

 今年の課題研究の主流は、プログラミングに関連したものとなりました。これは本校電子機械科の教育で重視していることであると共に、今の社会のトレンドとも言えます。人型ロボットPepper(ソフトバンク社から貸与中)に搭載する小学校英語学習用プログラムに挑んだ班。マイコン(マイクロコンピュータ、超小型コンピュータ)に独自のプログラミングを施しコース情報をセンサーで検知し走行するマイコンカーを改良していく班。人の操縦を必要とせず周囲の状況をセンサーで読み取り動く自立型ロボットを開発する班。体験入学する中学生に向けて楽しいプログラミング体験教室を準備した班。いずれも班員の力を結集して、トライ&エラーの連続だったプロセス(過程)が伝わってきました。

 このような中、モノづくりの原点を考えさせるユニークな発表が二つありました。A組のある班は、校内で故障しているモノ、放置されているモノの修理や解体の依頼を職員から受け、それに次々と取り組んだのです。故障した大型扇風機やリヤカーを修理しました。また運動場の老朽化した防球ネットをガス溶断で解体しました。これらの修理や解体は外部の事業者に委託すると多額の費用が掛かるものですが、生徒たちの学習活動の一環として学校自前で対応できました。また、B組のある班は、手作りの真空管アンプを製作しました。骨董品のイメージさえありますが、電極が入った中空の管である真空管を用いたアンプ(増幅器)は、半導体(トランジスタ)のアンプに比べ、温もりのある音が出ると今も根強い人気があります。「なぜ、敢えて真空管アンプを作ったのか?」という職員からの質問に対し、班員の生徒が「ロマンです。」と答え、会場は沸きました。

 卒業に向けての電子機械科独自の大事な行事が終わりました。3年生による課題研究発表は、後輩諸君(2年生)の探究心にきっと火を点けたことでしょう。

                  手作りの真空管アンプ

前期選抜の受検生の皆さんへ

 2月1日(月)、御船高校では前期選抜検査を行います。熊本県の公立高等学校では前期と後期の2回、選抜検査が行われることになっており、前期では各校独自の特色ある選抜検査を実施します。本校では、普通科芸術コース及び電子機械科でそれぞれ実技検査と集団面接が行われます。

 今年も前期選抜で多くの受検生の皆さんが御船高校を志望してくれています。音楽、美術・デザイン、書道の芸術分野に興味、関心を持ち、自分の「好き」や「得意」をもっと伸ばしていこうと志望してくれた受検生。また、モノづくりに興味、関心を持ち、モノづくりを通して知識や技能を身に付けていきたいと意欲ある受検生。皆さんの志に敬意を表します。そして、皆さんに「選ばれた学校」であることに私たち教職員は誇りを覚えます。

 受検生の皆さんにとって高校入試は不安と緊張の体験になるでしょう。今年は誰もが経験したことのない新型コロナウイルスのパンデミックの中、例年の受検生よりもその不安は大きいものと思います。先ずは、体調を整えること、これが受検生の皆さんに求められます。特別なことをするのではなく、日常生活を維持し、いつもの体調で試験当日に臨んでください。

 受け入れる側の私たちは、受検生の皆さんが安心して力を発揮できる環境づくりに努めています。様々な場所にアルコール消毒液を準備しておきます。検査室の清掃や除菌を徹底します。検査会場の換気にも気を配ります。発言する職員はマスクの上にフェイスガードも重ねて着用する予定です。

 試験当日、緊張した表情の皆さんをできることなら笑顔で迎えたいと思っています。しかしながら、試験を実施する私たちも緊張する日なのです。笑顔までは無理でも、努めて柔らかい表情で対応したいと心がけています。御船高校を志望してくれたことに感謝の気持ちを持ちながら。

 御船高校の正門を入ると前方に樹木の茂った一画が見えます。ここが「天神の森」と呼ばれる場所です。校歌にも登場する、本校の象徴(シンボル)と言うべきところです。中心にそびえる樹齢400年と伝えられる楠の巨木は冬でも青々とした葉を茂らせています。御船高校生はこの天神の森に見守られ学校生活を送っています。受検生の皆さんも、試験当日、天神の森と対面して、深呼吸をしてください。きっと落ち着き、「やるぞ」と力が湧いてくることでしょう。

 皆さんが入学する来年度、本校は創立100周年を迎えます。

 春、「天神の森の学び舎」で皆さんを待っています。

 

芸術コース作品展を鑑賞して

   「むしろ苦難の過程を味わい 新たな自分の糧とする」

 会場の入り口で、書道専攻の友田さん(3年生)の決意が込められた毅然とした書と対面します。御船高校芸術コースの美術・デザイン、書道の専攻者による作品展を1月19日(火)から24日(日)まで熊本県立美術館分館にて開催しました。私は最終日の午前に会場を訪ね、多彩なアートの世界を楽しみました。

 書道は、格調ある古典の臨書、流麗な仮名、そして自らの思いを表現する自作の言葉と変化に富んでいます。作品に使われている料紙も注目です。一週間前に「大東文化大学熊本県書作展」(熊本県立美術館分館)を見学し、その自在で奥深い書芸に圧倒されました。書の先達の高い技能や精神性に比べると、高校生の未熟さは一目瞭然です。けれども、未熟さは伸びしろがあることを示し、伸び盛りの高校生の作品は鑑賞者の創造力が働く余地がその分大きいと言えます。

 美術・デザインは、生徒たちの豊穣なメッセージを感じました。絵画を通じて一人ひとりの雄弁な自己主張があります。食品廃棄や温暖化、動物保護など社会問題に言及したポスター作品群は観る者に内省を迫ります。立体造形の作品はまことにユニークなものばかりでした。ハンバーガーの山が積み上げられた「明日からダイエット」は強く印象に残ります。また、大量の細い竹ひごによる造形作品の題名は「追憶」であり、倒壊していく廃屋をイメージしているのでしょうか?作者にそのモチーフを尋ねたくなります。

 会場の一角には、美術専攻3年生の選択科目「映像表現」で制作された短編動画が流されています。タイトルは「青春と一瞬」。屋上でトランペットの練習をする生徒の姿、書道の生き生きとした筆の動き、美術室で語り合う生徒の様子、手を握り合って階段を上がる女子生徒、公園で生徒たちが飛び跳ねる瞬間など短いカットの連続です。そして、5,6人の生徒たちが道路を走っていく場面でラストを迎えます。きっと彼らは未来に向かって疾走しているのでしょう。

 新型コロナウイルス感染拡大が止まらず、熊本県でも県独自の緊急事態宣言が出されています。このような非常事態の中、本展覧会を開催することに迷いはありました。しかしながら、十分に感染対策を講じておられる熊本県立美術館のご理解とご協力によって開催することができました。期間中の受付については、例年は生徒たちが交代で行うのですが、今年は芸術科の教職員が務めました。

 創作に取り組むことで成長してきた芸術コースの生徒たちにとって、自らの作品が熊本県立美術館に展示され、多くの方に見ていただくということはかけがえのない体験です。困難な状況下、芸術コースの教育の基本を守ることができたと思います。社会は閉塞感に覆われ、私たちは精神的にも大きな負荷がかかっています。このような時にこそ、芸術(アート)の力が必要ではないかと思います。

 

 

第1回「大学入学共通テスト」

 大学入学共通テスト(主催:独立行政法人「大学入試センター」)が1月16日(土)~17日(日)にかけて実施されました。全国でおよそ53万人、県内で約6600人が受験する大規模なもので、御船高校からは17人が挑みました。本校生の試験会場は熊本県立大学で、17人全員が受験する2日目の数学の時間帯に私も会場を訪ねました。初日は小春日和でしたが、2日目は冷たい風が吹いて気温が上がらず、会場は寒さと緊張感に包まれていました。

 例年と大きく様子が異なったのは、各高校の教職員の数がめっきり減少したことです。いつもの年なら、各高校の進路指導部や3年担任の職員が一団かたまりとなってそれぞれ待機している風景が今年は見られません。新型コロナウイルス感染対策で試験会場も「三密」回避が講じられており、高校側も職員数を自粛したのです。私も滞在時間を短めにし、受験生への励ましも控えめにしました。

 今回は、30年余り続いた「大学入試センター試験」に代わって、第1回「大学入学共通テスト」が実施された画期的な試験でした。私が高校の教職に就いて3年目に始まった「大学入試センター試験」は問題の質が年々向上し、マークシート形式でも暗記力だけでは解けないレベルの良問が多数を占めました。しかしながら、社会の急速な情報化やグローバル化に伴い、より一層の「思考力・判断力・表現力」を高校生、大学生に求める必要性が生まれました。このような背景から、国語と数学で記述式問題の導入、そして英語で「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測る英検などの民間試験活用が決まったのですが、受験の公平性、客観性などの大きな議論となり、いずれも一昨年に見送られました。このことは記憶に新しいところと思います。

 こうして最初の「大学入学共通テスト」を迎えたわけですが、各教科の問題は身近な題材を積極的に取り入れ、文章や語彙なども増え、特色ある傾向が見られました。受験生には読解力が要求される難度の高い試験になったのではないでしょうか?大学入試の変化は高校教育に大きな影響を与えます。生徒一人ひとりの学力を十全に評価できるパーフェクトな入試はあり得ないのかもしれません。けれども、共通テストと各大学が実施する個別の二次試験との組み合わせで、その理想を目指してほしいと願っています。

 コロナ禍の異例の受験風景でしたが、今年も大学受験独特の雰囲気に身を浸すことができ、高校の教員としての原点に立ち返ったような気持ちになりました。教壇を離れて久しいのですが、自らの専門教科・科目の「大学入学共通テスト」をじっくり解き、分析してみたいと思います。受験生には申し訳ないのですが、少しワクワクした気分です。

 

変化の時 ~ リモート授業の実践

    新型コロナウイルス感染拡大が止まりません。1月14日(木)、熊本県では県独自の緊急事態宣言が発令されました。このようなコロナ禍の中でも、現在のところ学校は通常の教育活動を行うことができています。生徒たちの学びを止めないために、感染対策を講じながら、「三密」を避けた教育活動の工夫に取り組んでいます。その鍵は、ICT(情報通信技術)の活用です。

 1月14日から家庭科の授業で「認知症サポーター養成講座」を始めました。2年生の電子機械科2クラス、1年生の普通科4クラスでそれぞれ連続2時間授業が6回実施されます。例年なら講師の方が来校され、対面式で講話、指導が行われるのですが、今回はオンラインでミーティングが開催できるアプリ「Zoom」を活用し、御船町地域包括支援センター(御船町役場内)、老人総合福祉施設「グリーンヒルみふね」と御船高校の教室を結びリモート授業を試みました。

 包括支援センターの方がコーディネーターとして講座の進行役、「グリーンヒルみふね」の吉本施設長が講師、そして教室では家庭科の教諭が生徒の支援に当たりました。パソコンとカメラで三者が結ばれ、教室には画像を拡大するスクリーンも設置し、講師の質問に生徒が答えたり、逆に生徒が問いかけたりと十分にコミュニケーションもできました。離れた三者がオンラインによってつながり、まさにリモートワーク(remote遠隔、遠い、work働く)が成立しました。

 学校現場でのICT活用はこの一年で急速に浸透しました。振り返れば、昨年4月~5月の臨時休校期間、在宅の生徒と学校をつないだのはメールや動画教材などICTの力でした。職員の会議出張もぐんと減りました。ウェブ会議システムでたいていは対応できるからです。

 長期化するコロナパンデミックの影響で、都市部においては企業のリモートワークが増加し、働き方が大きく変わろうとしています。自宅から会社のウェブ会議への参加や、他社との交渉を行う人が急増しています。主に上半身が映し出される特性上、画面で見栄えのするシャツやブラウス等のニーズが高まり、それらをレンタルする会社や販売する百貨店の業績向上が報道されていました。働き方が変われば、働く人のファッションも変化して当然です。

 これまで私たちが経験したことのない災禍に遭遇している今、私たちの仕事のあり方は変化の時を迎えています。変化することにリスクは伴いますが、旧来の方法のままいる方が遥かにリスクは大きいと思います。

 

冬でも熱い実習棟 ~ 技能検定実技試験

 「磨け、技能 目指せ、達人」のキャッチフレーズで知られる技能検定実技試験(熊本県職業能力開発協会主催)が、1月6日(水)の午前、御船高校の第4実習棟で実施されました。部門は「普通旋盤作業」です。旋盤は難度が高く、今回は本校から3年生2人(女子1人)が2級、1年生4人(女子1人)が3級に挑戦しました。2級はさすがにレベルが高く、複雑な設計図をもとに3時間で金属部品の加工を仕上げます。一方3級はより平易な設計図に従い2時間で課題に取り組みます。国家検定であり、熊本県職業能力開発協会から4人の職員の方が立ち会われて厳正に行われ、生徒たちが造り上げた部品を持ち帰られました。審査の結果、後日、合否の発表となります。

 技能検定実技試験を私は初めて見学しました。昨日までの練習と異なり、生徒たち(特に1年生)の緊張感がこちらにも伝わってくるようでした。会場の第4実習棟は本校では最も広く、旋盤はじめ工作機械が並んでおり、一見すると工場のようなところです。エアコン(暖房)はありません。冷たい空気の中、作業する生徒たちの吐く息が白く映ります。生徒たちにとって、時間が早く過ぎたものと思われます。これが本番の醍醐味です。

 技能検定試験の終了後、指導された先生と受検した生徒たちが実習棟で弁当を取りながら反省会を行いました。生徒たちは皆、手ごたえを感じていたようで、ある1年生の男子は、「練習の時より良くできました。集中できました。」と笑顔で感想を述べてくれました。

 今年度は、コロナパンデミックの影響で「高校生ものづくりコンテスト」や「ロボット競技大会」など各種のものづくりの技を競う県大会、全国大会等が相次いで中止となりました。そのような中、技能検定実技試験を本校で行うことができました。3年生の2人は春から技術者としての道を歩み始めます。その先輩たちと同じ場で実技試験に挑んだ1年生にとって、大きな学びの機会になったはずです。隣の第5実習棟では、同じ時間帯にマイコン制御部ロボット班の3年生が1、2年生の後輩に技能を教えていました。

 寒波が襲来し、学校も冷え冷えとした空気に包まれています。しかし、電子機械科の実習棟では作業服の生徒たちが目を輝かせ活動しています。そこには若者の熱気が感じられます。学校の元気は生徒が生み出すものなのです。

 

仕事はじめ

 新年明けましておめでとうございます。

 令和3年(2021年)1月4日(月)は仕事始めの日です。朝は冷え込みましたが、空は清々しく晴れ渡り、新春にふさわしい天候となりました。次第に気温も上がり日中は10℃を超えたと思われます。グラウンドには朝からサッカー部や野球部の生徒が出て、初練習を行いました。日差しの下、野球部は久しぶりにバッティング練習に取り組み、打撃音を高く響かせていました。

 体育館では午前中、男女バレーボール部が練習に汗を流していました。生徒たちが練習している間に、顧問の先生たちが調理室でお雑煮の用意をしていました。練習後にみんなでお雑煮を囲むという楽しい企画です。

 年末年始の6日間の学校休業期間、生徒の皆さんはどのように過ごしていたのでしょうか? 新型コロナウイルス感染の第三波の渦中であり、「Stay Home!」がより強く呼びかけられました。体育系部活動の生徒たちにとって、同好の友と好きなスポーツができる喜びはかけがえのないものです。今日はコンディションも良く、待ちに待った練習再開だったでしょう。皆、気持ちよさそうに身体を動かしていました。

 一方、校舎内は人影がまばらでしたが、2年1組は担任の先生の呼びかけで、クラスの学習会が開かれていました。3年生への進級を前にして、生徒たちの学習意欲、進学意欲が高まっており、頼もしく感じました。

 3学期は1月8日(金)からです。しかし、今日から多くの先生方が出勤され、学期の準備に当たられました。ある担任の先生は、ホームルーム(担任教室)を一人で黙々と整理整頓されていました。「新学期、生徒たちが気持ち良く学校生活が始められるように」との思いからです。ある電子機械科の先生は、実習棟の工作機械を点検されていました。「安全な実習のためです」と言われました。このように、私たち教職員は、生徒の皆さんの登校を心待ちにしています。

 いまだコロナパンデミックに世界は覆われ、閉塞感を感じます。しかし、コロナ危機にあっても、自分の目標を見据え努力を続け、軸がぶれない生活を送っている人が世界の大多数を占めます。だからパニックも起きず、社会は機能しているのです。

 年末年始の特別休暇は終わり、日常の生活が戻ってきます。逆境にあるからこそ、確かな生活リズムで一日一日を大切にしていきたいと思います。

 

年の瀬を迎えて

 12月28日(月)、冬休みですが、部活動の生徒の姿が多く見られます。青空が広がり温かい陽光が注ぎ、小春日和です。グラウンドや体育館で体育系部活動の生徒たちが気持ち良さそうに身体を動かしています。学校は明日から1月3日まで閉めることになるので、今日が学校にとっては今年最後の日となります。

 令和2年(2020年)は大変な一年でした。いまだ新型コロナウイルス感染は猛威を振るい、燎原の火のように衰える兆しがありません。不安な年の瀬です。しかし、あと数日で新年を迎えるということで、来年こそは新型コロナウイルス感染の終息を願う気持ちが高まってきます。旧年の災厄を払拭したいという思いは今も昔も変わりません。いや、医療をはじめ科学技術が未発達だった昔の人の方がより強いものがあったと思います。

 かつて「災異改元」(さいいかいげん)が歴史上しばしば見られました。大規模な自然災害(地震、火山噴火など)や疫病流行、天候不順による凶作、戦乱などの災いに見舞われた時、人心を一新するため、朝廷によって元号が変更されたのです。その反対が「祥瑞改元」(しょうずいかいげん)で何か世の中にとって吉事が起きた時に元号を改めました。歴史上有名な祥瑞改元の例は、和銅(708年)でしょう。武蔵国秩父郡(現在の埼玉県)から天然の銅が産出されたことを祝い、改元されました。

 しかしながら、歴史的には「祥瑞改元」よりも「災異改元」の方がはるかに多いのです。645年の「大化」以来、今日の「令和」に至るまで248の元号があります。元号は天皇(大王)が即位するにあたり、時間も支配するという観点から代始(だいはじめ)改元が本来のあり方ですが、災禍に襲われた時、改元によって時間の連続性をいったん絶ち、リセットする社会的効果は大きいものがあったのでしょう。先人たちの切迫した思いが「災異改元」から読み取れます。

 明治維新の1868年(明治元年)に一世一元(いっせいいちげん)の制が定められ、天皇一代の間に一つの元号を用いることと決まりました。新年は令和3年です。新型コロナウイルスのパンデミックで世界が覆われ、希望を見失いがちだったこの一年。多くのものを失いましたが、その中でも学んだものもあったはずです。そのことを大切にして、新年に臨みたいと思います。

 結びに、年末年始の休みもなく、コロナウイルス感染者の治療に献身的に当たっておられる医療従事者の皆さんに心から感謝の気持ちを捧げます。

        御船高校正門に生徒会役員によって門松が立てられました 

 

 

 

最後のクラスマッチ

 「皆さん、人生最後のクラスマッチです! 楽しい思い出を作りましょう!」

 前生徒会長の田中美璃亜さん(3年B組)の挨拶で、3年生のクラスマッチが始まりました。クラスマッチは学校特有の行事です。クラス(学級)対抗で主にスポーツ活動を競うもので、学校には欠かせない年中行事と言えます。クラスの団結心を養い、チームスポーツを通じてコミュニケーション力を高めあう目的があり、教育的意義も大きいものがあります。そして、何より生徒たちにとっては楽しみな行事で、学校生活に変化を与えます。

 しかし、新型コロナウイルス感染拡大によって、今年度は体育大会、長距離走大会、クラスマッチとスポーツに係る学校行事を中止してきました。本来なら体育大会は3年生がリーダーとして牽引する晴れの場であったのですが、その機会は失われました。このまま何もできずに3年生は卒業することになるかと危惧していたのですが、体育科を中心に企画、準備し、12月23日(水)に3年生だけのクラスマッチ開催を実現できたのです。

 3年生にとって最後のクラスマッチです。3限目から6限目の授業を3学年6クラスだけクラスマッチの時間にあて、1、2年生は通常授業を行いました。競技種目は男子がグラウンドでサッカー、女子は体育館でミニバレーです。天候も味方してくれ、晴天で日中は気温も上がりました。

 さすがは3年生で、サッカー部と女子バレーボール部の生徒による審判のもと円滑に試合が運営され、プレーの技術も高いものがありました。もちろん珍プレーも続出しますが、一生懸命だからこそ珍プレーが生まれるのであり、温かい笑い声や歓声が響きました。スポーツが得意でない生徒は応援や写真撮影に回り、声援を送る姿も爽やかでした。

 バレーボールを追いかけ体育館の床で転げる女子生徒やサッカーで競り合って転倒し体操服が土で汚れる男子生徒の姿を見ていると、熱いものを胸に覚えました。このように思う存分エネルギーを発散する場(学校行事)を3年生は待っていたのだと思います。彼らは、コロナパンデミック下の様々な制約の中、辛抱し、我慢し、自らの進路実現に向け、努力を続けてきたのです。

 時間ほど確かに過ぎ去るものはありません。大変な1年であった令和2年(2020年)も残り一週間。3年生のクラスマッチという学校本来の輝きを少しだけ取り戻すことができたことは、御船高校にとって大きかったと思います。

 

コロナ禍の中にあっても ~ 熊本県高等学校書道展

 第56回を数える熊本県高等学校書道展が12月15日(火)から20日(日)まで熊本県立美術館分館(熊本市)で開催され、最終日には表彰式を行いました。

 今年は新型コロナウイルス感染拡大という未曽有の事態に私たちは直面しました。学校教育も大きな影響を受け、文化活動の面においても、6月の熊本県高校総合文化祭が中止、8月の全国高校総合文化祭高知大会は生徒の参加ができませんでした。そして、12月に予定されていた全九州高校総合文化祭熊本大会も大幅に縮小され、書道部門の生徒たちの参加は叶いませんでした。社会的に、また日常の生活でも様々な制約を受け、生徒の皆さんは思うような活動や成果発表ができなかった一年だったと思います。それだけに、年の最後を締めくくる熊本県高等学校書道展(高書展)の開催実現は、私たち関係者にとっては特別な意味を持つものでした。

 書道に親しむ高校生にとって、この高書展は大きな目標だと思います。今年の高書展には県内46校から218作品が出品されました。コロナ禍で出品数が減少するかと懸念したのですが、例年と変わらないものでした。各校の展示スペースに制限があるため、多くの学校で選考会が行われており、実際にはさらに多くの生徒が大会に参加しています。その中から厳正な審査の結果選ばれた受賞者20人が表彰式に招かれました。受賞者の皆さんは、緊張の色を浮かべながら、晴れ晴れとした表情でした。最優秀賞の8人は、来年8月に開催される全国高校総合文化祭和歌山大会に熊本県代表として推薦されます。最優秀賞に坂口さん(2年)、優秀賞に坂井さん(1年)と御船高校から二人の受賞者を出したことは大きな喜びです。

 コロナパンデミックという困難な状況の中でも、多くの高校生が創作に励んできたのです。逆境においても、熊本の高校生は弛(たゆ)みない努力を続け、文化活動をおこなってきたという証が、「高書展」会場に並ぶ作品群です。不遇な一年だったことを微塵も感じさせない、若いエネルギーが作品に満ち広がっているのです。このことを誇りに思います。

 コロナ禍にあっても、軸がぶれず精進してきた多くの高校生の成果に触れることができ、「後生畏(こうせいおそ)るべし」(論語)の言葉が浮かびました。

 自分が打ち込めるものを持っている若者は、どんな時も強いと思います。

 

作品に賭ける思い ~ 全九州高校総合文化祭

   2千人を超える高校生が熊本に集い、全九州高等学校総合文化祭熊本大会が12月11日(金)から13日(日)に開催されるはずでした。しかし、新型コロナウイルス感染対策を最優先に考え、大幅に規模が縮小し、内容も変更されました。私が部門長を務める書道部門はじめ多くの部門で各県から生徒の皆さんを招くことは断念しました。8年に一度回ってくる九州の高校生たちの文化祭が失われたことは返す返すも残念でなりません。

   書道部門では「生徒の皆さんが集まることができないのであれば、その作品を集め、審査しよう」との方針で各県の高等学校文化連盟の書道部会に呼びかけました。どの県も趣旨にご賛同いただき、九州8県それぞれで、制限時間などの諸条件を同一にした揮毫(きごう)大会を開くことにしました。本来なら、県代表の生徒たちが熊本に集結して、一堂に会し、その場で筆を競うのが揮毫大会のあり方ですが、実施期日や場所は各県に任せたのです。そして、各県代表の作品10点を郵送もしくは持参していただき、それを審査することとしました。

   12月12日(土)、熊本マリスト学園中学・高等学校において、7県の高校書道の専門委員長の先生方をお迎えしました。感染者が多く出ており、警戒レベルも高いはずの福岡県や沖縄県からも来ていただきました。審査に先立ち、主催県の代表として私から「生徒の皆さんを集めての大会が開催できず、誠に申し訳ありません。」とお詫びを申し上げました。それに対して、出席の皆さん方から「この状況では仕方がなかった」、「このような形で揮毫大会を開いていただき感謝します」等の温かい言葉を頂きました。

   各県の代表の先生方に何か覚悟のようなものを感じました。それは、生徒たちに、コロナ禍の不遇な時期に巡り合ってしまったと嘆かせないため、教師ができることは何でもやるという気迫のようなものです。コロナ第三波の渦中、県外出張することはリスクがあります。それでも、生徒たちの作品を持参し、熊本まで来られた先生方の使命感に頭の下がる思いでした。

   全九州高等学校総合文化祭熊本大会「書道部門揮毫大会」の審査は九州各県の専門委員長8人によって厳正に行われました。実際に熊本に集まり交流が叶わなかった分、作品に賭ける生徒の皆さんの思いはより強いものがあったと思います。一点一点の作品から書き手のエネルギーが立ち昇っているように私は感じました。

   生徒の皆さんの代わりに、作品がその人格を背負い、熊本に来てくれたのです。

                   審査風景

防災の担い手に ~ 防災訓練

 12月10日(木)の午後、防災訓練を実施しました。コロナ禍で今年度は多くの学校行事を中止してきましたが、防災訓練は中止することはできません。なぜなら、学校にとって最も大事な「安全」に係るものだからです。感染症パンデミックの中にあっても自然災害は起きます。7月の熊本県南部の豪雨災害がそうでした。自然災害はいつ、どこで、どんな形で起きるかわかりません。だから、防災の備えが必要なのです。

 今年度の防災訓練は、地震が起こり火災も校内で発生したという想定での訓練でした。例年、全校生徒が避難場所としてグラウンドに集まっていましたが、今年は、密集を防ぐため学年ごとに避難経路を分け、3年は体育館、2年は駐車場、1年生はグラウンドとしました。そして、集合・点呼後にそれぞれ講話を行いましたが、3年生には校長の私が「社会人としての防災意識」のテーマで話しました。その中で、地域の消防団活動への関心を持つように語りましたが、その一部分を次に掲げます。

  「災害の時によく言われるのが三つの助け、公助、共助、自助です。公助は自衛隊や消防、警察のような公的組織力による救助や自治体による支援です。最終的にはこれに頼ることになるのですが、その前に共助、即ち地域コミュニティや会社、学校などの所属団体でどれだけ助け合うかが鍵になると言われています。

 皆さんは、消防団を知っていますか?公務員の消防士がいる消防署と異なり、消防団は全国の市町村に配置され、会社員、自営業、学生など仕事や学業の傍ら、活動できます。手当は出るようですが、公的なボランティア活動と言っていいと思います。18歳以上であれば入団できます。一定の訓練を受け、日常の防災活動、そして火災や災害が発生すれば現場に駆け付けて消防士や警察官と連携して住民誘導や警戒活動に当たります。少子高齢化が進む地域において、この消防団活動は、住民の安全、安心を守るために益々重要になってきています。これから社会へ出る皆さんに消防団活動への関心を持ってもらいたいと思います。」

  今の高校3年生は中学生の時に熊本地震を体験しました。日常生活がいかに尊いものか、いったん災害に襲われるとどんなに苦しく不便な生活を余儀なくされるのか、身をもって知っています。不幸な経験でしたが、この経験はきっとこれからの人生において役に立ちます。地域社会の防災の担い手に成長していってくれることでしょう。

 

企業の皆さんと共に ~ 産業教育振興会

 12月8日(火)午後、上益城・宇土・宇城地区の企業の代表の方10人ほどを御船高校にお迎えしました。そして、電子機械科3年生の実習の様子を実習棟でご覧いただきました。内容は、①4サイクルエンジンの分解・組み立て、②電子計測、 ③CAD製図、④シーケンス制御です。各企業は、運輸、ソフトウエア、化学、金属製造など異なる分野の方達ですが、どの実習も興味深くご覧になり、教員や生徒に質問されていました。皆さんが評価されたのは、電子機械科の実習がまとまった時間が確保されていること(1サイクルが3時間)、少人数で実習していること(10人前後)でした。一方、一部の工作機械など設備が老朽化している点は懸念されていました。

 そして場所をセミナーハウスに移し、熊本県産業教育振興会「上益城・宇土・宇城地区支部会」を開催しました。産業教育振興会とは、産業界と教育界(高校)が一体となり、地域における実践的教育や職業体験を通じて、次世代の地域産業を担う人材育成を図ることを目的に結成されています。「上益城・宇土・宇城地区支部会」は、この趣旨にご賛同いただく10社の企業の皆さんと、専門高校及び専門学科を有する5高校(矢部、甲佐、松橋、小川工、御船)で構成されています。年に1回、企業の皆さんと高校が一堂に会し、協議する場を持っており、今年度は御船高校が当番校でした。

 御船高校はじめ5高校全て、2年生で就業体験実習(インターシップ)を実施しています。各企業・事業所のご協力により実際に仕事の現場に赴き、数日から1週間程度(日数は学校及び学科で異なる)、体験するものです。このインターシップの教育効果は誠に大きいものがあります。この体験で、生徒たちは、働くこと、社会人になることを深く考えるようになり、進路意識が高まります。この日、企業の皆さんからも、「受け入れた生徒たちは真剣に取り組む」、「指導する社員にとっても新鮮な刺激になる」、「人材発掘の場にもなっている」等、インターンシップに対してはとても肯定的なご意見がだされ、安堵しました。

 また、高校で身に付けていてほしい力として、「学び続けるための基礎、基本」や「コミュニケーション力」を企業側が共通して挙げられました。そして、業種を問わず、女子生徒の採用に積極的な姿勢を示されたのが印象的でした。

 「少子高齢化が進む中、一人ひとりの高校生は地域の宝です。一緒に大事に育てていきましょう。」と上益城・宇土・宇城地区支部会の住永金司会長(熊本交通運輸株式会社代表取締役社長)がまとめられました。銘記したいと思います。

 

卒業コンサート

 開演を知らせるブザーが鳴り、観客席の照明が次第に暗くなります。一方、ステージはより明るくなり、まるで暗い海に浮き上がる光の舞台のようです。久しぶりにコンサート開演の雰囲気を味わいました。コロナ禍の中、御船高校芸術コース音楽専攻生の演奏会を立派な音楽ホールで開催できることに感慨深いものがありました。

 12月8日(火)、御船町カルチャーセンターのホール(500席)で、午後6時から御船高校芸術コース音楽専攻演奏会が開かれました。この演奏会は、3年生にとっては卒業コンサートとなります。芸術コース音楽専攻生にとっては毎年恒例の大きな行事ですが、今年は開催できるか心配の声がありました。秋になり新型コロナウイルス感染の第三波が起こり、この熊本でも警戒レベルが上がりました。しかし、御船町カルチャーセンターのご理解もあり、主催者の学校側が感染対策を十分に講じるということで演奏会実現に漕ぎつけたのです。音楽ホールで演奏できるかできないかは、生徒たちの気持ちが大きく違ってきます。

 当日、会場の受付では、音楽専攻者だけでなく芸術コースの他の生徒達も協力し、来場者の検温や連絡先記入、誘導などが行われました。観客席は一つおきに座り、30分に一回は換気が行われました。生徒と教職員による手作りの演奏会であり、当事者として感染対策に努めたことは大きな意義があったと思います。

 音楽専攻生は3年生4人、2年生5人で、9人全員がステージに立ちました。第一部では9人の専門とする楽器のソロ演奏です。第二部では、アンサンブル、合奏、合唱で、第一部では緊張気味だった生徒たちの表情も和らぎ、笑顔が出るようになりました。特に2年生5人によるアンサンブル(ハンドベル、合唱)は軽快なダンスを披露し、弾むようなパフォーマンスで会場の雰囲気を一変させました。最後の合唱「桜の雨」(作詞・作曲 森晴義)は卒業がテーマであり、2年生のピアノで8人が気持ちを一つにしっとりと歌い上げました。

 エンディング、3年生4人を代表し、酒井さんと井藤くん(唯一の男子)が挨拶してくれました。3年間の思いがこもり、仲間をはじめ指導者、保護者への感謝の言葉で締めくくられ、印象深いものでした。

 音楽専攻の皆さん、楽器ができるということはとても素敵なことです。楽器はあなたたちの身体(からだ)の一部となっています。これからも音楽があなたたちを支え、励ましていってくれるでしょう。

 寒い夜でしたが、心温まる演奏会でした。

 

マララさんからのメッセージ

 皆さんはマララ・ユスフザイさんを知っていることと思います。高校の英語の教科書にも登場します。パキスタンで生まれたマララさんは、少女の頃から女子の教育を受ける権利を訴え、15歳でイスラム原理主義の武装グループに銃撃されました。この事件を機に家族とイギリスへ移り住みました。そして17歳でノーベル平和賞を史上最年少で受賞しました。マララさんは、イギリスの名門オックスフォード大学で学び、今年の6月に卒業を迎えたのです。

 しかし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な感染流行)によって、卒業式は中止となりました。女子が学校教育を受けることを認めない人々がいる国で命の危険にもさらされ、それでも女子教育の大切さを訴え続けてきたマララさんにとって、学校教育の総仕上げである大学の卒業式が失われたことはどんなに悔しく、無念であったことかと想像します。

 けれども、マララさんは自らのホームページで、パンデミックによって同じように卒業式を失った世界中の学生に呼びかけます。

「Don’t be defined by what you lose in this crisis,

But by how you respond to it.」

(あなたがこの危機によって何を失うかによって定義されてはいけません。

そうではなくて、それにどう対応するかによって定義されなさい。)

 何を失ったかよりも、この危機にどう対応し、前に進んで行くかが重要なのだとマララさんは強調しているのです。そして、「これまでの教育で身に付けてきた知識や技術を持って、私たちは社会に出る時です。より良い世界を創っていきましょう。」とメッセージを締めくくっています。

 コロナ危機を変化する機会ととらえるマララさんの前向きなメッセージは、世界中の若い世代を勇気づけていると言われます。

 このマララさんのメッセージを、御船高校生の皆さん、とりわけ、修学旅行の中止が決まった2年生の皆さんに伝えたいと思います。 

 

                        師走の御船高校の校庭風景

阿蘇の「震災遺構」が伝えるもの ~ 育友会研修旅行その2

    立野渓谷を望む「数鹿流崩れ(すがるくずれ)」の現場に立つと、足がすくむ思いになります。対岸の崖には、平成28年(2016年)4月の熊本地震によって崩落した阿蘇大橋(長さ200m)の橋桁(はしげた)の一部が引っかかる形で残存しています。その他の大部分はおよそ百m下の黒川に落ち、多くがいまだ土砂に埋まっているのでしょう。振り返って見上げると、北外輪山の大規模山腹崩壊の跡が恐ろしいほどの迫力で姿をとどめています。幅200m、長さ700mの規模で急斜面が崩壊し、樹木や土砂がJR豊肥線の鉄路及び国道57号の道路を押し流し、立野渓谷に落ちていきました。熊本地震の阿蘇地域での被害を象徴する場所です。近くにある名勝「数鹿流滝」にちなんで、この大崩落は「数鹿流崩れ」と命名され、石碑及び説明版、展望用の駐車スペースが整備されています。

 熊本地震以来、鉄道は不通が続き、熊本市と阿蘇地域を結ぶ道路は、北外輪山の二重(ふたえ)峠の迂回路となり、人々の暮らしや観光産業に大きな影響を与えてきました。しかし、ようやくこの8月に鉄道、10月に国道57号が復旧し、阿蘇地域と熊本都市圏の往来がスムーズになりました。そして、来春には新しい阿蘇大橋が元の場所から約600m下流に架け替えられる予定で、巨大橋梁の工事が急ピッチで進められています。新阿蘇大橋が完成すれば、国道57号から国道325号で南阿蘇方面とつながります。熊本地震から四年半が立ち、創造的復興が実感できます。しかし、私たちは「阿蘇大橋が落下した!」というニュースを知った時の衝撃を忘れることができません。この自然災害の脅威を次代に伝えていくために、「数鹿流崩れ」が震災遺構として整備されたことの意義は大きいと思います。

 「数鹿流崩れ」の現場から、東側に回って黒川を越え、南阿蘇村河陽の台地上に残る旧東海大学校舎を私達は訪問しました。ここも熊本地震の震災遺構です。東海大学農学部として地震前は約800人の学生がキャンパスライフを送っていました。しかし、この校舎下を断層が走っており、激震が襲われました。敷地内に隆起した地表地震断層は樹脂で固められ、当時の亀裂や横ずれが生々しく残っています。校舎(1号館)は室内に鉄骨がむき出しになるなど甚大な損傷を受けていますが、全体に補強され、外部の回廊から見学できるようになっています。ガイドの方から丁寧な説明を受け、理解も深まりました。

 熊本地震の体験から得られた教訓を後世に伝えるため、熊本県は、震災被害の拠点を「震災遺構」として整備し、それらを巡るフィールドミュージアムの構築を進めています。防災教育の観点から大変有益だと考えます。次は高校生の皆さんと共に赴きたいと思います。

 

 

阿蘇で育つ珈琲(コーヒー) ~ 育友会研修旅行

 皆さんは珈琲(コーヒー)の産地と言うと、どんな場所が思い浮かびますか? 中南米(ブラジル、ジャマイカ等)、ハワイ、東南アジア(インドネシア)、アフリカなどの熱帯・亜熱帯地域のイメージがあるのではないでしょうか? 私がそうでした。そのため、冷涼な気候の阿蘇にコーヒーファーム(珈琲農園)があると知って関心をもち、一度現地を訪ねたいと思っていました。

 11月28日(土)、御船高校育友会(PTA)役員研修旅行(参加者10人)で、阿蘇を訪ねました。例年の研修旅行は県外の先進校を視察していますが、今年度はコロナ禍の中、日帰りで近場の阿蘇地域の訪問となりました。その最初の目的地が南阿蘇村河陽にある「後藤コーヒーファーム」でした。

 手作りの木製看板を背に、オーナーの後藤至成氏が笑顔で出迎えていただきました。元高校教諭(農業科)で、阿蘇をこよなく愛され、定年退職後は南阿蘇で農業を通じて、地域振興に取り組んでいらっしゃる方です。「なぜ、阿蘇でコーヒーなのか?」ということについて後藤氏が熱く語られました。まず、世界の高品質コーヒーは山岳地帯の厳しい環境で生育していることを強調されました。例えば、「ブルーマウンテン」という有名なブランドコーヒーがありますが、ジャマイカのブルーマウンテン山脈(標高2000m級)の山岳地帯で栽培されています。強い日差しを好まず、寒さに強い性質のコーヒーに阿蘇地域の気候は適しているのです。また、阿蘇は湧水が豊富で、このおいしい水で味わう阿蘇珈琲は新しい特産品になる可能性を持っていると説明されました。

 後藤氏は農業科教諭の頃から阿蘇でのコーヒー栽培に着手され、3年前の定年退職を機にファームを設立され、現在、有志農家の方たちと阿蘇珈琲プロジェクトチームを結成され、本格的な商品化、ブランド化に向け尽力されています。日本のコーヒー消費量は増大する一方ですが、そのほとんどが輸入珈琲であり、国産コーヒーの拡大が必要との思いも原動力だったそうです。

 「後藤コーヒーファーム」は年間通しての路地栽培ではなく、冬場は施設栽培方式をとり、温度調整に気を配られています。ハウスの中に入ると、約60本のコーヒーの樹が林立し、葉が茂り、一部にはコーヒー特有の真紅の実が付いていました。樹木の多くにオーナーの名札が付いていました。多くのコーヒーファンが阿蘇珈琲の可能性に期待している現れでしょう。

 一杯のコーヒーには人をつなげる力がある、後藤氏は語られました。阿蘇の土壌で育ったコーヒーの豆を収穫、精製、焙煎、そして抽出と手をかけて、私たちが香り高い味わいを楽しめる日は近いと思います。

「後藤コーヒーファーム」と後藤氏

 

「モノづくり」の楽しさを伝える ~ 「つくって、あそぶ メカトロ王国」

 

 3連休の中日の11月22日(日)、熊本市南区田井島にある大型商業施設「ゆめタウンはません」3階レストコーナー(休憩広場)では、モノづくりに興じ喜ぶ多くの児童、幼児の姿が見られました。子どもたちを教え、サポートするのは御船高校電子機械科3年の生徒達20人です。「つくって、あそぶ メカトロ王国」という御船高校電子機械科の主催行事を実施しました。

 アルミパイプやアルミブロックでアニマル(動物)型模型を作成します。昨年の全国大会に出場したロボットでプラスチックの羽を飛ばし、的当てをします。釘で張られた導線の迷路を両極の付いた棒で進んで行くゲームは、線に触れるとブザーが鳴ります。金属のクリップの付いたお菓子を、磁石付きアームのロボットを動かし釣りあげます。また、パソコンでは、ブロックタイプの入門プログラミングを学びます。ただゲームや体験をするのではなく、なぜこうなるのかという原理、仕組みを生徒たちが子どもたちに説明し、できるだけ、子どもたち自身に作らせ、操作させます。それによって、子どもたちの眼は輝き、完成した時や操作が上手にできた時は、付き添いの親御さんと共に歓声が上がっていました。

 お孫さんを連れて来場された初老の男性の方から、「最初は大学生の皆さんかと思いました。高校生なんですね。みんな落ち着いていらっしゃる」とお褒めの言葉をいただきました。今回、運営に協力している生徒たちは皆3年生です。御船高校電子機械科でこれまでモノづくりに取り組み、トライ&エラーを繰り返し成長してきました。モノづくりの面白さも難しさも十二分に分かっています。小学生や就学前の幼児たちに寄り添い、モノづくりの楽しさを伝えられることに大きな喜びを感じているようでした。

 御船高校電子機械科は、モノづくりを通じての社会貢献活動の一環として、例年、中学生ロボット大会や小学生のモノづくり体験等を行ってきました。しかし、今年度はコロナ禍の影響で、これまでは何もできないままでした。そこで、11月の3連休の機会を利用し、昨年の中学生ロボット大会会場である「ゆめタウンはません」のご協力を得て「つくって、あそぶ メカトロ王国」を企画したのです。コロナ禍が続く中、何かを行うことは常にリスクが伴います。しかし、何もしないでいることは、また別の面でリスクが生まれるとも言えます。

 実習服で生き生きと動き、児童や幼児と交流する3年生の姿を見て、これは電子機械科にとって教育上必要な行事だったと思いました。

 

「学校再発見」の文化祭 ~ 令和2年度龍鳳祭

 御船高校の文化祭は「龍鳳祭(りゅうほうさい)」と呼ばれています。校歌(昭和2年制定)の一節「龍鳳となり雄飛せん」から採られた名称です。巷では新型コロナウイルス感染の第三波が懸念される11月13日(金)、令和2年度「龍鳳祭」を開催しました。

 例年とは大きく異なり、規模を縮小し半日開催、そして保護者をはじめ校外からの見学者を入れないという異例の形式となりました。また、密集、密着を防ぐために、原則、学級単位で動くというルールを設けました。体験型の催し物には人数制限をかけるため事前に整理券を出しました。開会式(一斉放送)で「決められたルートを通り、決められた時間、決められた場所での見学、体験」と生徒会からの呼びかけがあったとおりです。このように様々な制約があっても、生徒会、そして私達職員にとっても、文化祭の実施にはこだわりました。今年度、これが全体として初めての学校行事だったからです。

 ホームルーム(教室)にいる間は、動画視聴の時間です。見学、体験には学級単位で動いて回ります。体育館ではスペースを十分に取り、1学年普通科のモザイクアート、手作りアクセサリー展示、的当てのアトラクションのコーナーが設けられました。また、2学年普通科の「総合的な探究の時間」の発表が掲示されました。特別教室棟では、美術、書道、写真、華道等の作品が展示され、観る者を引き付けました。2年4組(芸術コース)の特設スタジオも出現し、手作りの手腕を発揮しました。そして、電子機械科の実習棟では、ロボットやマイコンカーの実演が行われました。普段、実習棟に足を踏み入れたことのない普通科の生徒たちにとって、電子制御でロボットが動き、マイコンカーがコースを疾走する様子は新鮮な驚きで、歓声があがっていました。

 御船高校は、モノづくりの面白さを追究する電子機械科、音楽・書道・美術を通じて創造性を養う芸術コース、そして様々な学びの中から自らの進路を見付けていく普通科(特進・総合)と多様な学びが共存しています。日頃は異なる学びに取り組んでいる船高生が、学校行事や生徒会活動等で交流し、一体となり「チーム御船」の力を発揮するところが本校の強みなのです。

 僅か半日の文化祭でした。けれども、平常の授業日とは異なり、生徒たちの笑顔や歓声が満ち溢れる、特別な時間となりました。御船高校の多様性を生徒たち自身が再発見した文化祭だったのではないでしょうか。

 学校行事は生徒を成長させるものです。龍鳳祭を実施して良かったと思います。

 

 

探究する力 ~ 熊本県工業高校生徒研究発表会

 第32回熊本県工業高校生徒研究発表会が11月11日(水)に熊本大学「工学部百周年記念館」(熊本市中央区黒髪)で開催されました。県内の県立工業高校及び工業系学科を有する高校の10校が参加しました。

 工業の専門科目に「課題研究」があります。御船高校の電子機械科でも3年次に2単位設定しており、生徒たちがグループごとに分かれ、モノづくりに関する広い題材の中から、指導する教師と共にテーマを立て、その改善、改良に取り組む学習です。今年度の本校の課題研究の代表に選ばれたのは、「Pepper(ペッパー)の有効活用」(指導:緒方教諭、3年A組の男子5人)です。

 ペッパーは(株)ソフトバンク社が開発した人型ロボットです。このペッパーが昨年度から御船町教育委員会に貸与され、小学校の英語の授業に活用できるようプログラミンを本校の電子機械科で担当してきました。昨年度は御船小と小坂小で実際にペッパーを活用しての英語の授業が行われ、電子機械科の生徒たちが課題研究で取り組んだプログラミングの成果が発揮されました。

 今年度の3年生はさらに分かりやすい英語学習の助けになるようプログラミングの改良を図ったのですが、コロナ禍でこれまでのところ小学校でのお披露目はできていません。しかし、そのプロセスを発表しました。重量が約30㎏もあるペッパーを会場に運び、ステージ上で実演させ聴衆の関心を引き付けての研究発表ができたと思います。

 今回も10校それぞれの特色が遺憾なく発揮され、聴きごたえがあり、そのレベルの高さに幾度もうなされました。最優秀賞は球磨工業高校(建設工学科)の「逃げろ! 防災の在り方についての探究」でした。球磨川本流へ流れ込む支流の影響を現地測量や水流実験から検証し、バックウォーター現象の危険性を指摘するなど球磨川の治水の在り方について警鐘を鳴らす内容でした。しかも、この研究活動の最中、人吉・球磨地域は「令和2年7月豪雨災害」に襲われたのです。生徒たちの危機感は的中したことになります。予断や偏見のない、高校生の純粋な探究心が成せる高い研究成果に私は脱帽の思いでした。

 この熊本県工業高校生徒研究発表会は平成と共に始まり、回を重ねてきました。年々、内容のレベルが上がり、プレゼンテーションのスキルも向上しています。今年度は、新型コロナウイルス感染防止のため、「ものづくりコンテスト」はじめ工業系の各種行事は軒並み中止となりましたが、会場の熊本大学のご協力により、感染防止対策を徹底することで実施することができました。

 素晴らしい会場で、生徒たちが学習成果を発表できたことに心から感謝します。そして、今後一層、社会に目を向けた旺盛な探究心を生徒に養っていく必要性を痛感した一日でした。

 

8か月待った出番 ~ 「ブルック像」除幕式

    「想定外の自然災害

  未知のウイルスの脅威

  先の見えない苦難の日々

  私達は何を考え行動する

      私達の未来をこの手で掴め

  どんなに困難でも

  愛に溢れる未来を信じて

                   御船高校書道部」

 御船高校吹奏楽部の演奏に合わせた、書道部員14人の書道パフォーマンスは会場の聴衆を引き付け、自分たちで考えた言葉をダイナミックに書き上げました。音楽、そして書道部の生徒たちの気合の入った声が澄んだ秋空に響き渡り、「ブルック像」除幕式が始まりました。

 熊本県出身の漫画家、尾田栄一郎氏の『ONE PIECE』のキャラクターであるブルックの銅像(立像)除幕式が11月8日(日)、御船町恐竜公園で開催されました。平成音楽大学のある御船町は音楽の町づくりが行われており、音楽家であるブルックが似合う町として選ばれました。御船高校の吹奏楽部と書道部のパフォーマンスが幕開けとなり、御船中学校吹奏楽部の演奏、そして平成音楽大学学生による音楽とダンスパフォーマンスと続き、「音楽家ブルック像」の誕生を歓迎しました。

 「今、熊本は厳しい状況です。ルフィー(『ONE PIECE』の主人公)が持つ無限の楽天性が復興には大切です。そして、心の復興には音楽が必要です。」と来賓の蒲島知事が述べられました。その言葉のとおり、御船町で学ぶ中・高生、大学生が、明るい未来を呼び寄せるような、溌溂とした芸術活動を発信してくれました。式後、書道部と吹奏楽部の代表生徒がブルック像を囲んでの知事や町長等との記念撮影に臨みましたが、満面の笑顔で輝いて見えました。

 「緊張はしませんでした。この場に参加できることが楽しくて仕方ありませんでした!」と生徒たちが弾んだ声で話してくれました。本来は今年の3月に「ブルック像」除幕式が予定されていました。しかし、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、延期されていたのです。8か月の間、この日の出番を生徒たちは待っていたのです。その思いが生徒たちの原動力になったのでしょう。

 『ONE PIECE』は諸外国で翻訳され版を重ね、人気が広がっているそうです。「ブルック像」除幕式は世界にライブ配信(インターネット)されました。日本の文化力、いわゆるソフト・パワー恐るべしです。ネット配信された除幕式の光景の中で、きっと御船高校生の文化パフォーマンスも国境をこえて人々の気持ちを掴んだことでしょう。

 

変革が進む高校の授業スタイル ~ 一斉公開授業

    御船高校では現在2週間の公開授業週間中です。その中でも、各教科の研究授業が11月4日(水)に集中しました。

 2限目の1年A組(電子機械科)の「国語総合」では古典の『伊勢物語』の授業でした。主人公(男)からの和歌に対して、女の気持ちを想像し生徒たちが返歌を創り、発表するという内容でした。心情を想像し、和歌を創り、発表するという生徒の主体的な学習活動が展開されました。

 3限目の2年B組(電子機械科)の「物理基礎」では、「仕事と力学的エネルギー」という単元を取り扱い、電子機械科の専門科目である「機械設計」の内容との共通点に気づかせる授業でした。普通科目の「物理基礎」の学習が工業系の専門科目の理解につながっていること、おし進めて考えれば、あらゆる学びは関連していることを生徒が実感する学習でした。

 5限目の1年2・3組(普通科)の選択「書道」では、古典「曽全碑」を題材に隷書(れいしょ)の成立を学ぶものでした。隷書体で「有志」という文字を書くのですが、この指導にICT機器が効果的に使用されました。先生の書き方がカメラを通じてスクリーンで映されます。そしてその映像は、その後も再生が続き、生徒たちは時々顔をあげ、書き方の手本を確認できるのです。

 6限目の1年1組(普通科)の「家庭基礎」は、契約の成立や契約上のトラブルを避ける方法を学習しました。高校生にとって身近な事例として、原付バイクの購入、あるいはタイヤ交換のケースなどを取り扱い、生徒に考えさせ、意見を発表するという学習活動でした。

 チョーク&トークとかつては高校の普通教科の授業スタイルが揶揄(やゆ)されたことがあります。しかし、今は違います。近年のICT(情報通信機器)の学校への普及、活用によって、授業は大きく変わりつつあります。御船高校では、2年前から、「誰もが分かる」、授業のユニバーサルデザイン化を掲げ、授業改善に取り組んでいます。特にICTの積極的活用を心掛けています。

 別の日に行われた2年A・B(電子機械科)の選択「地理A」では「生徒二人に1台のノート型パソコンを提供し、「デジタル地球儀」のGoogle Earth(グーグルアース)を使う授業でした。このソフトウエアは世界の衛星画像が立体的に利用できます。平面の地図帳と違い3次元の地理世界に生徒が触れます。

 デジタル機器の効果的な使い方はまだ大きな課題です。数年後には高校でも生徒一人に1台のタブレットを使っての授業が始まると予想されます。変革期の高校の授業ですが、その目的は生徒を誰一人取り残さないことです。

 

 

自分の強みは何か ~ 進路実現への挑戦

   「〇〇社から内定頂きました!」、「〇〇大学に推薦合格しました!」等の吉報を携え、喜色満面の3年生が校長室に報告に来てくれています。喜びを分かち合うと共に残りの高校生活への助言を贈ります。一方、不調に泣く生徒たちもいます。特に今年はコロナ禍の影響で就職状況が厳しく、求人数及び採用者数が減り、最初の採用選考で涙を呑むケースが目立つようです。

 希望の企業から採用内定を得られなかった生徒の落胆と失意は大きいものがあります。確かに、希望の企業から選ばれなかった現実は受け止めなければなりません。その企業が求める資質、適性の面で不十分だったのか、他校の受検者の方が成績優秀だったのか、原因は幾つか考えられます。しかし、あなたの全てが否定されたわけではありません。今回はその企業とのマッチング(相性)が合わなかっただけとも言えます。あなたにはまだ進路実現の時間と機会が十分に残されているのです。

 18世紀の作家デフォー(英国)の冒険小説『ロビンソン漂流記』は、ひとり無人島に流れ着いた船乗りロビンソンン・クルーソーが、絶望に陥らず、新しい生活を始める物語です。ロビンソンは、不安と失意を克服しようと努め、絶望的な境遇について、帳簿の貸方と借方のような形式で考えてみます。

「悪いこと 私は救出される望みもなく、この絶島に漂着した。

 しかし私は生きていて、船の他の乗組員は全部溺死した。

 悪いこと 私は人類から引きはなされ、この島で全く孤独に生活しなければならない。しかし、私は食糧がない、不毛な地で餓死することになったのではない。

 悪いこと 私は体を蔽(おお)う着物さえもない。

 しかし私がいる所は熱帯で、着物などはほとんどいらない。

 悪いこと 私は人間や野獣に対して自分を守る術がない。

 しかし私が漂着したのは、アフリカの海岸で見たような猛獣は住んでいないらしい島で、もしこれがあのアフリカの海岸だったならば私はどうなっていただろうか。」

                   (『ロビンソン漂流記』(デフォー、吉田健一訳、新潮文庫)から引用)

 このように考えを整理したロビンソンは、最悪と思える境遇の中にも希望を見出し、島での生活を始めていきます。

 一回目の試験に不合格となった生徒の皆さん。皆さんにはそれぞれの強みがきっとあります。逆境の今こそ、自分の強みを押し出して、次の目標へ進みましょう。終わった「昨日」を捨てることなくして、「明日」を創ることはできません。皆さんは絶海の孤島にいるのではありません。悲観する必要は全くないのです。進路実現への挑戦は始まったばかりです。

 

熊本復興文化祭 ~ 文化の熱気に触れる

 「未来へのエール」をテーマに、「熊本復興文化祭」が10月31日(土)~11月1日(日)にかけて熊本城ホールで開催されました。新型コロナウイルス感染症の長期化、そして夏の県南地域豪雨災害によって熊本県は厳しい状況にあります。そこで、中学、高校生の文化活動の発信によって、沈滞する熊本の社会を元気づけようと、テレビ熊本(TKU)が中心となって熊本復興支援の文化イベントが実施されることになったのです。

 文化の秋にふさわしいイベントであり、文化活動の多くの発表の場を失ってきた県内の中学、高校の生徒たちにとっては待望の機会となりました。会場の熊本城ホールは、熊本市中央区桜町の再開発事業で昨年秋に完成した複合施設内にあり、その規模(メインホール2300席)と言い、洗練されたデザインと言い、中学、高校生にとってはわくわくする舞台です。

 御船高校書道部は、11月1日(日)の午前10時半のオープニングに、1階展示ホール特設舞台で書道パフォーマンスを披露しました。3年生が引退し、2年と1年の新チーム(15人)になってから初めてのパフォーマンスでした。恐らく緊張していたことでしょう。しかし、声も高らかに出て、息の合った躍動感あふれるパフォーマンスを見せ、書きあがった作品の完成度も高いものでした。困難に負けない、未来へ進んで行くという意思を示した言葉でした。応援に来ていた3年生4人の前で、見事に伝統をつないだと私は実感しました。

 2階のエントランスロビーには、御船高校生をはじめ県代表の絵画、書道、写真の優秀作品が並んでいて、見ごたえ十分です。そして、4階のメインホールへも足を運んでみましたが、壮麗な大ホールで中学、高校の吹奏楽、合唱、ダンス、郷土芸能が相次いで出演し、存分に成果を発表していました。

 6月の県高校総合文化祭が中止され、夏の全国高校総合文化祭高知大会への生徒派遣もできませんでした。さらに12月に予定していた全九州高校総合文化祭熊本大会(主会場は熊本城ホール)も規模を縮小し、書道部門は応募された作品審査のみで、他県の生徒たちは来ません。高校教員としての無力感を覚え、文化活動に取り組む生徒たちへの申し訳なさを感じていました。今回、このような特別な機会を設けて頂き、関係各位に心から敬意を表します。

 若人が集結し、その創造的エネルギーを発信する。私たちが長らく忘れていたライブの熱気が熊本城ホールに充満していました。

 

「つなごう100年のバトン」

 「つなごう100年のバトン」と力強く墨書された文字と、100周年のロゴマーク、そして生徒同士がバトンをつなぐ瞬間の写真が組み合わさった御船高校創立100周年記念事業の看板が正門脇に掲げられました。「令和3年 御船高校は創立100周年を迎えます」と告知するために設置したものです。

 スローガンの「繋(つな)ごう100年のバトン」は生徒からの公募を行い、2年B組(電子機械科)の大西快人君の作品が選ばれました。告知看板には、書道の古閑先生に躍動感あふれる文字を書いていただきました。ロゴマークは3年4組(芸術コース)の岡部真寛さんの作品が選ばれました。100年の「1」に天神の森を見立てて、生徒の個性を表現する多彩な色で葉が描かれています。また、スローガンを写実化しようと、美術の本田先生が生徒をモデルに校庭でバトンをつなぐ鮮やかなイメージ写真を創られました。この告知看板そのものが、まさに御船高校の創造力の結晶と言えます。

 今を遡ることおよそ百年、大正11年(1922年)4月に本校は開校しました。すでに明治40年(1907年)に小学校6年制の義務教育が整えられていました。新しい時代(大正)に入り、中等教育への進学者数は次第に向上していました。戦前の中等教育は、男子は中学校、女子は高等女学校へ分かれて進学することになっており、学年は5年制(女学校は4年制が多い)でした。「上益城郡に中等教育を」という地域あげて設立の気運が盛り上がり、上益城郡の拠点であった御船の地に県立の旧制御船中学校の開設が認められたのです。第一期生は142人が入学を許可されました。旧制御船中学校は熊本県内で8番目に誕生した中学校です。

 大正時代には、御船高校の近隣の甲佐高校(旧制高等女学校)、宇土高校(旧制中学校)、松橋高校(旧制高等女学校)がほぼ同じ時期に設立されています。大正デモクラシーの風潮の中、熊本県において中等教育は急速に普及していったことがわかります。また、大正時代は鉄道が地方に普及した時代でもありました。大正5年には私鉄の熊延(ゆうえん)鉄道が熊本市の春竹駅(現在の南熊本駅)から御船町まで開通していました。しかし、甲佐町へ抜けるための妙見坂トンネルや御船川の鉄橋の難工事に時間を要しました。そして、御船高校開校の翌年の大正12年に御船町から甲佐町まで熊延鉄道がつながりました。地元住民は歓呼で鉄道開通を喜んだと伝えられています。

 熊延鉄道は昭和39年に姿を消しました。しかしながら、御船高校は百年の節目を迎えようとしています。私たち教職員、そして生徒の皆さんはこの伝統の学び舎の中間走者のようなものです。受け継いだバトンを次代につなぐという使命をもって、走っていきましょう。

 

 

 

「動員学徒殉難の碑」慰霊祭

    秋晴れのもと、10月25日(日)午前11時から御船高校で「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を執り行うことができました。往時の動員学徒同級生(「天神きずなの会」)から酒井様と千場様のお二人がご出席くださり、在校生代表の生徒会の生徒たちに言葉を掛けていただきました。校長挨拶文を掲げます。

 

    本日、御船町町長 藤木正幸様、御船高校同窓会顧問 川野光恵様、そして「天神きずなの会」の皆様をはじめ関係各位のご出席のもと、令和2年度の「動員学徒殉難の碑」慰霊祭を開催できますことは、本校にとって誠に意義深いものがあります。この碑の前に立つと、歴史の尊さを感じ、粛然とした気持ちになります。

    昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争の期間、学校も戦時体制に巻き込まれました。旧制の県立御船中学校の生徒の皆さんは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴かれました。そして25日、アメリカ軍爆撃機B29の大編隊による空襲を受け、10人の方が亡くなられました。さらに翌年2月には、福岡の飛行機製作工場での厳しい労働環境の中、1人の方が病気で亡くなられました。

    戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難の碑が建立されました。県立高校の敷地にこのような碑を有しているところは、他に類を見ません。以来、毎年10月25日に、碑前において式典を執り行ってきています。

    時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるためにこの「動員学徒殉難の碑」はあります。今日の式典には、全校生徒を代表し生徒会の生徒達が出席しております。志半ばで斃れた先輩達の魂に、後輩の皆さんは守られていることを知っておいてください。

    本校は大正11年(1922年)に創立され、来年度はいよいよ百周年を迎えます。大正、昭和、平成、そして令和と、多くの人材が育ち、世に羽ばたいていきました。時代は変わっても、「天神の森の学舎」は、可能性豊かな若者と熱意ある教師の出会いの場であり続けます。

    結びに、創立百周年を契機に、御船高校はさらなる飛躍を目指すことをここにお誓い申し上げ、御挨拶といたします。

    令和2年10月25日

    熊本県立御船高等学校 27代校長 粟谷雅之

 

あれから76年 ~ 動員学徒殉難の日を迎える

 御船高校の正門を入った左手に白い石造の碑が立っています。11人の若者の姿がレリーフ(浮き彫り)された「動員学徒殉難碑」です。昭和16年(1941年)に勃発した太平洋戦争によって学校も戦時体制に巻き込まれました。当時の旧制県立御船中学校の男子生徒たちは、学徒勤労動員として、昭和19年10月20日に学校を離れ、長崎県大村市にある海軍の工場へ赴きました。そして25日、アメリカ軍の爆撃機B29の大編隊による爆撃を受け、10人の生徒が亡くなりました。さらに翌年2月には、福岡市の飛行機製作工場での過酷な労働の末、1人の生徒が病気で亡くなりました。

 ノーベル化学賞を2008年(平成20年)に受賞した生物学者の下村脩氏(1928~2018)の回顧録にも、この大村海軍航空廠(しょう)の空襲が記されています。旧制諫早中学校(現 長崎県立諫早高校)の生徒として下村氏も現場にいたのです。九州各県の旧制中学校の生徒達が動員されていたことがわかります。この時の大空襲での犠牲者は300人を数えました。

 戦後20年がたった昭和40年10月25日にかつての同級生の方達の発意で御船高校に動員学徒殉難碑が建立されました。以来、毎年10月25日には、碑前において式典を執り行ってきています。『とあまりひとり』と題された追悼記念誌も編纂され、校長室に保管されています。この記念誌の中に旧職員の永上清氏の「あれから20年」という追悼録が収められています。今年も、この文章を全校生徒で読みます。10月22日(木)と23日(金)の始業前の朝の時間に、放送委員の朗読が流れ、それに合わせて読むことになります。

 今年も10月25日が近づいてきました。本年は日曜日です。午前11時から同窓会主催の慰霊祭が碑前にて開催されます。往時の同級生の方達は「天神きずなの会」を結成され、高齢をおして毎年出席されていますが、齢(よわい)90を超えられました。学校からは生徒会役員、そして私たち管理職や同窓職員が出席します。

 令和2年の今年は戦後75年になります。大村海軍航空廠での学徒殉難からは76年の歳月が立ちました。時は流れても、忘れてはいけない歴史を伝えるために「動員学徒殉難碑」はあります。そして、志半ばで斃れた先輩達の魂が、後輩の生徒の皆さんを見守っていると信じます。

 

地域の皆さんと共に生徒を育てる ~ 総合的な探究の時間

 10月15日(木)の2学年の「総合的な探究の時間」には、地域のゲストサポーターが16人も来校されました。皆さん、御船町商工会に所属されている方達です。平日の御多用な時間に、本校の教育活動に献身的にご協力頂くことに恐縮の思いです。授業開始の1時間前には集まられ、担当学級の教員と熱心に打ち合わせをされる姿には頭が下がります。

 2学年の「総合的な探究の時間」(1~4組)では、誰もが住みやすい社会にするために、現在の社会の課題に気づき、どうすればそれらを改善、解決していくことができるかを考え、提案する取り組みを続けています。その中間提言に対し助言をいただくため、各分野の職業人であるゲストサポーターの方達に来ていただいた次第です。私は2年3組の6つの班の発表を聴きました。

1 子どもの野菜嫌いを防ぐために、野菜を練りこんだお菓子(クッキー)を

  つくり、販売する。

2 地域に空き家が増えており、リフォームしておしゃれな店舗に作り替え

  るなどして減らす。

3 中山間地での獣害被害が増大しており、駆除や防護柵等、その対策に力を

  入れる。

4 コロナ禍で旅行が制限されているため、VR(ヴァーチャル・リアリティ)

  旅行を積極的に発信する。

5 高齢者運転による交通事故が社会問題となっており、より安心安全な自

  動制御の車をつくり、事故を減らす。

6 コロナ禍で皆がマスクを着用しているが、たとえばシルク製のような肌

  荒れしない抗菌マスクを製造する。

 いずれもまだまだ未熟な内容です。すでに大人が考え、試行錯誤しているものばかりです。しかし、ゲストサポーターの方たちは、「よく気付いたね」と認め、「こんな問題があるから進まないんだよ。このことについて次は考えてごらん」と具体的に助言をされました。一方、発表の声が小さい場合、「もっと大きく、はっきりと話して!」、聞き手の生徒側に私語があると「発表内容に関係ない私語はやめて!」と注意も飛びました。

 少子高齢化、人口減少などの社会構造の転換で、地域社会は様々な問題に直面しています。簡単に問いが見つからない状況です。しかし、高校生は、その社会の現実を学びながら、次第に社会の一員としての意識を持つことが大切です。

 熱意ある地域の皆さんと共に御船高校は「地域の担い手」を育てていきます。

 

 

3年生を励ます ~ 就職試験の始まり

 

    いよいよ明日、10月16日(金)から今年度の高校卒業予定者の就職試験が始まります。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、例年より約一か月遅いスケジュールです。昨日14日(水)の7限目、本校セミナーハウスにて、就職希望者(公務員志望者は除く)に対する激励会を行いました。3年生51人、さすがに意識が高く、全員マスクを着用して5分前に集合し、私語もありません。緊張感が漂うなか、校長として励ましの挨拶を行いました。

 私は20代から30代にかけて3年生担任を4度経験しています。未熟な担任であり顧みると恥ずかしい限りです。その中から一つの体験を紹介しました。

  「教員志望の男子生徒でした。最終の進路面談で、私が『教員志望とは知っているが、校種や教科は決めているのか?』と尋ねました。すると、彼は『高校の家庭科の教師になりたい』と言いました。『えっ、家庭科?』と私は驚きました。私自身が家庭科を学んだのは小学校までだったのです。中学校では女子が家庭、男子は技術を履修しました。高校では女子が家庭科を学んでいる時間に、男子は剣道か柔道の武道を履修することになっていました。家庭科が男女ともに必修教科となったのは中学校が平成5年、高校が平成6年でした。今から25,6年前です。この男子生徒は男女必修の最初の学年の生徒だったと記憶しています。初めは驚きましたが、彼と話している内に、自分が恥ずかしくなりました。男女共同参画社会になったと生徒たちに社会の変化を説きながら、自分自身の意識は昭和のままで、自分こそ社会から遅れていると思いました。」

     なぜ、私の未熟なエピソードを紹介したかというと、いつの時代も新しい扉を開くのは若者だからです。大人の私たちは一つ前の時代の思考回路です。しかし、高校生は違う。彼らが就職し、仕事をしていくことから、コロナ禍の次の新しい社会は動き出すと期待しています。

     新型コロナウイルス感染の影響で、企業とのオンラインでの面接等が実施されるのではと心配していました。しかし、現時点では本校でのオンライン受験は予定されていません。これまで培った力を大いに発揮してほしいものです。

    小、中学校、高校と12年間の学校教育の目標は、一言で表すなら、子どもを自立(独り立ち)させるためです。就職し、自ら収入を得て、保護者から経済的援助を受けずに生活できることが自立の第一歩です。自立へのわくわくした期待感と新しい世界への挑戦の気持ちで就職試験に臨んでほしいと思います。

    3年生全員の進路達成の日まで、御船高校全職員で支えます。 

 

 

 

今年度の修学旅行について

 初めて私が修学旅行の引率をしたのは教員になって2年目、26歳の時でした。30年余り前のことです。当時の熊本の県立高校の修学旅行は飛行機を使用していませんでした。従って、私の勤務高校の場合、行きは博多駅から新幹線で関西に入り、京都、奈良を回って東京へ新幹線で移動。帰りは大阪から大型フェリーに乗船し、一晩かけて大分港へ帰ってくるという行程でした。四泊五日だったと思いますが、とてもタフで長く感じました。しかし、学校に帰り着いた時は疲労感以上に担任学級の生徒たちとの連帯感を強く覚えたものです。その後、教諭として修学旅行引率を幾度か経験しましたが、飛行機を使用するようになり、宿泊先も次第に洗練された大型ホテルが多くなりました。校長としては前任校で3回引率しましたが、旅行団長としての重責を感じました。

 御船高校では本年12月に東京を中心とした3泊4日の修学旅行(2年生)を計画していました。今年度、新型コロナウイルス感染拡大に伴う1か月半の臨時休校を経て、5月末から学校再開をした時点において、「修学旅行をどうするか」ということは学校にとって大きな課題となりました。

 修学旅行は高校3年間で一回だけ体験する、唯一無二の学校行事です。そして、保護者の方々の旅費負担でもって成立するものです。慎重に検討する必要があると考え、先ず7月に2学年保護者全員に対し、修学旅行のあり方に関するアンケート調査を実施しました。その結果は、74%の方が実施を希望されていること、その中のおよそ半分の方が行先変更の希望でした。一方、全体の23%の方が中止した方がよいというお考えでした。これらの保護者の皆さんの意向を踏まえ、旅行業者の方の助言を受けながら、学校で検討を重ねました。8月には2学年の保護者代表の方と教職員とで協議の場を持ちました。そして、当初の期日、行先を変更し、1月に長野県でのスキーを中心としたプランで実施する方針を固めた次第です。

 10月7日(水)の午後、2学年保護者の方々を対象に「修学旅行説明会」を本校体育館で実施しました。事態は流動的で、今後の本県及び旅行先の感染状況の悪化に伴い中止せざるを得ない場合もあります。キャンセル料はどうなるのか、旅行の感染対策はどうなっているのかなど保護者の皆様の不安や疑問にお答えする機会になったと思います。

 誰もが経験したことがない事態の中、修学旅行を実施することとなります。修学旅行は高校生にとってかけがえのない特別な活動であり、教育的意義は大きいものがあります。だからこそ、長く学校文化の中に定着していると思うのです。  

 保護者のご協力を得て、無事に実施できるよう全力を尽くしていきたいと思います。出発の日を迎えるまで、まだまだ予断を許さない状況が続きそうです。

 

DXとは何? ~ 熊本県高等学校情報教育に関する連携協定の調印

   「情報」という教科が高校で教えられていることは保護者の方でもほとんどご存知ないと思われます。教科「情報」は、社会の急速な情報化の進展に伴い、平成15年度(2003年度)に設置された新しい教科です。従って、35歳以上の保護者の方はご自身が高校生の時にはなかった教科なのです。

 教科「情報」は全ての高校生が履修する必修教科です。御船高校では、普通科の生徒が1年次に「社会と情報」(週2時間)という科目を学んでいます。内容としては、情報通信ネットワークの仕組みや情報社会の課題などを理解するもので、情報機器(コンピュータ)を用いての実習もあります。また、電子機械科ではより専門的な情報技術の学習を2年間にわたって取り組みます。

 実は、熊本県高等学校教育研究会「情報部会」という県内高校の教科「情報」担当者の団体があり、その事務局を昨年度から御船高校が受け持っているのです。会員数は、県立高校76人、市立高校8人、私立高校28人で計112人です。

 9月23日(水)、一般社団法人「熊本県情報サービス産業協会」と私どもの熊本県高等学校教育研究会「情報部会」は、「熊本県高等学校情報教育に関する連携協定書」の調印を行うことができました。「熊本県情報サービス産業協会」は県内70の企業で組織され、講演会やセミナーの開催を通じてIT(情報技術)の向上に努められています。同協会と連携協定を結ぶことで、高校の情報教育の充実を図ることができると大いに期待されます。

    教科「情報」は転換期にあります。令和4年度(2022年度)から高等学校は新教育課程に移行しますが、教科「情報」の内容に問題の発見と解決のためにプログラミングを活用することが盛り込まれました。教科の専門性が高くなる中、「情報」担当の教員のスキルアップが求められているのです。また、企業の技術者と高校の教員が一緒に研修を受け、情報交換を行うことで、企業と学校の相互理解がさらに進むものと思われます。

    先ずは、今年度はトライアル(試行)として3人の教員が10月末からの「熊本県情報サービス産業協会」の研修に参加する予定です。6回シリーズのこの研修のテーマは、今話題の「DX」(デジタルトランスフォーメーション)です。DXとは、デジタル技術を浸透させて人々の生活をより良く変革するという意味の言葉のようですが、具体的にどんな実践なのか、私自身がまだ分かっていません。

 今年度から小学校でプログラミング教育が導入されたことは多くの方がご存知でしょう。未来の情報社会の担い手である児童、生徒を大きく育てるためにも、私たち教員が社会と関わり、変化し続けることが必要でしょう。

 

思いを込めて「書道パフォーマンス」 ~ 秋の全国交通安全運動

 熊本県警から依頼を受け、御船高校書道部は県警音楽隊の演奏に合わせ交通安全を呼び掛ける作品を「書道パフォーマンス」で創り上げました。9月17日(木)、場所は県警察学校体育館(熊本市)です。

 3年生4人、2年生5人の計9人が揃いの袴姿で臨み、縦4m、幅6mの大きな紙に力強い文字を表しました。そして、その様子が交通安全を呼び掛ける啓発動画に収録されたのです。引率した書道の職員によると、撮影は午後1時頃から始まり、終了したのは午後5時を回っていたとのことでした。映像制作のスタッフからの指示や注意を受けながら、書道パフォーマンスを3回繰り返したとのことでした。私は幾度も実演を見ているのでわかるのですが、高い集中力が求められ、心身ともに大きなエネルギーを要するパフォーマンスです。大筆を抱え、リズムに合わせて躍動し、気合の入った掛け声が飛び交います。練達の書道部員にとっても、相当な疲労だったと想像します。

 しかし、彼女たち9人はやり遂げたのです。関係者の方々へ最後の挨拶では、部長の村田さんが「今年度は新型コロナウイルスのため、書道パフォーマンスを披露する機会がありませんでした。このような場を与えていただき、感謝します」とお礼の気持ちを述べました。顧問の古閑教諭、緒方教諭にとっては胸に迫る部長の言葉だったそうです。

 御船高校書道部の「書道パフォーマンス」は近年注目され、様々なイベント等で披露する機会が増えてきました。昨年は、新元号「令和」に伴うテレビ番組出演をはじめ県高校総合文化祭開会式、秋の熊本城「お城まつり」など大きな舞台が相次ぎました。ところが今年度は新型コロナウイルス感染拡大に伴い、部活動も自粛を余儀なくされ、「書道パフォーマンス」も封印してきました。3年生にとっては全国総合文化祭(高知県)も縮小され参加できませんでした。そして、9月上旬の県高校「揮毫大会」を終え、3年生は引退の時期を迎えた最後に、県警からこのような特別の場を提供頂いたのです。心中、期するところがあったと思います。

 本番二日前、学校の中庭での最後の練習を私は見ました。短パン、ジャージ姿の生徒たちは、大きな紙の上で筆と一体となり気持ちをぶつけるような気迫が感じられました。足に墨が飛び散るのも気にせず、一心不乱の様子に圧倒されました。きっと本番では渾身の力を振り絞ってくれるだろうと私は確信しました。

 御船高校書道部の「書道パフォーマンス」が復活しました。今回は先輩たちのパフォーマンスを見守っていた1年生に対し、3年生は大きな贈り物をしていったと思います。

 

運動会(体育大会)の季節を迎えて

 「校長先生、やっぱり体育祭はしたかったです。」と掃除の時間に3年生の女子生徒に声を掛けられました。幾度、このような声を聞いたことでしょう。その度ごとに、なぜ中止の決断をしたかを説明してきました。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、例年5月に実施する体育祭を10月上旬に延期し実施の可能性を探ったのですが、6月末に開催を断念しました。中止の理由は大きく二つでした。一つは、体育の授業において、密接、密集を避けるため集団の演技、競技が難しい状況が続いていること。もう一つは、高校3年生の就職試験が例年より一か月遅くなり、応募書類提出が10月5日から、採用試験開始が10月16日となったことです。このため、3年生の就職採用試験時期と体育大会予定期日が重なってしまったことです。苦渋の決断でした。

 ところが、御船中学校は明日9月12日(土)に体育大会を実施されます。今週は、体育大会に向けての中学校の全校練習の音響が風に乗って本校まで届きます。行進や応援の練習など中学生の活力が伝わってきます。上益城郡の中学校は、感染防止に最大限努めながら、体育大会を実施するという決定をされました。競技種目を精選され、プログラムも午前中で終わるよう短縮されたそうです。そして観覧も保護者だけと限られたようです。中学生、特に中学3年生にとって体育大会はとても重要な学校行事だから、中止は考えなかったと中学校の校長先生が私に語られました。その英断に敬意を表するとともに、本校でも実施の可能性はあったのではないかと省みる今日この頃です。

 御船町では各小学校も10月に運動会を予定されているそうです。運動会は秋の季語になっており、わが国では欠かせない地域行事と言えます。コロナ禍で伝統の祭礼が相次いで中止になるなど社会に閉塞感が漂う中、運動会(体育大会)は児童、生徒の元気発信の場となり、地域全体を励ます役割を担うでしょう。

 学校教育は教科の学習活動が時間的には大半を占めていますが、それだけではありません。ホームルーム(学級)活動、生徒会活動、そして学校行事は総称して特別活動と呼ばれ、この活動が人間形成及びその学校の文化を醸成するのに欠かせないものです。今年度は、未曽有のウイルス感染拡大によって、体育大会やクラスマッチはじめほとんどの特別活動が中止もしくは制限を受けてきました。学科やクラスを超えた交流、そして学校全体の一体感を得ることなく年度の半分が過ぎようとしていることに焦燥感を覚えます。

 感染予防と学校生活の充実という困難な両立への挑戦はこれからも続きます。

 

台風一過

 台風一過(たいふういっか)、澄み渡った秋空です。9月8日(火)、平常の学校生活が御船高校で再開でき、心から安堵しています。

 大型で非常に強い台風10号が9月6日(日)の夜から7日(月)未明にかけて九州の西方海上を北上していきました。4、5日前から気象庁はじめ行政機関等から「命を守る行動を」、「最大限の備えを」と繰り返し注意喚起がなされました。そのため、学校も早くから備えに努め、7日(月)は臨時休校の措置をとりました。戦々恐々、息を潜めるようにしてスーパー台風の襲来を待ちました。今回は無傷ではいられないと覚悟もしました。しかし、台風10号の強風に学校は耐え、何も被害はありませんでした。

 7日(月)の日中はまだ吹き戻しの風が強く、時折雨も降りましたが、職員の協力で校庭に散乱した木の枝や葉の片づけが終わりました。教室、体育館、工業実習棟、廊下、屋根など被害は全く見当たりませんでした。無事に台風が過ぎ去っていったことは奇跡のようにも思えますが、やはり、これは職員一同力を合わせ、台風の備えに全力を尽くしたからだと思います。例をあげると、電子機械科の実習棟周辺に置かれている資材はすべて堅く固定されていたため、落下物一つありませんでした。各教室は机と椅子を廊下側に寄せて並べるなど細やかな対応でした。この度の台風対応の経験から、安心というものは、自らが参加して取り組まない限り守れないものだということを改めて学んだと思います。

 8日(火)朝、何事もなかったかのような整然とした校舎、校庭で生徒たちを迎えることができました。「天神の森」周辺では、涼しい風が立ち、秋の気配を感じました。今日から18日(金)まで教育実習期間となります。平成音楽大学から2人(音楽)、佐賀大学から1人(美術)のフレッシュな大学生が教員免許取得のための関門である教育実習に取り組みます。きっと、生徒の皆さんと爽やかな交流が生まれるでしょう。教育実習生(大学生)の姿を通して、自らの進路を考える生徒もいると思います。

 8月24日から2学期が始まって2週間。そして台風による臨時休校。この休校は、上り始めた階段の最初の踊り場のような機会になったかもしれません。生徒の皆さん、また新たな学校生活の始まりです。今朝の全校朝礼の放送で、新生徒会副会長の1年生の岩山さんが、「みんなが来たくなる学校づくりを目指したい」と言いました。

 台風が過ぎ日常の平穏が戻りました。幸福は日常の中にあります。

                                                                            台風一過の青空

二百十日、野分の頃を迎えて

    御船高校では毎朝8時30分から「まなびの森」と呼ぶ生徒の自学の時間があります。この時間の始まりに合わせ、放送委員が校内放送で朝の呼びかけをします。9月2日(水)の朝の放送は、2年1組の坂口さんが当番で、気持ちがこもった語り口で、思わず聴き入りました。

   「今日は立春から数えて二百十日に当たり、稲が実をつける頃ですが、この時期は台風が来襲して農作物に被害が出る時期でもあります。そのため、先人たちは風を鎮める風祭(かざまつり)や風鎮祭(ふうちんさい)などの行事を取り行ってきました。しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、このような伝統行事が中止となっています。今週は台風が相次いで発生し、九州に接近するようです。皆さん、気をつけましょう。」

    このような趣旨の放送内容でした。趣のある季節の話題について情感を添えて伝えようとしている坂口さんの放送は、慌ただしい朝にあって一服の清涼剤のようなものでした。新型コロナウイルス感染予防のため、全校集会や学年集会などが今年度はできません。その分、全校放送を使っての生徒の呼びかけが効果的のように思われます。昼休みには保健委員の生徒たちが、教室の換気や生徒同士で密接、密着にならないよう呼びかけを行っています。放送に耳を傾ける、情報や注意を聴きとる力を今こそ学校で育てる必要があると思います。

    さて、二百十日前後に吹く強風のことを古語で野分(のわき)と呼びます。野の草を強く吹き分けるという意味で、台風の古称です。そう言えば、夏目漱石に「二百十日」、「野分」の作品があり、特に「二百十日」は阿蘇登山が題材で熊本県民には親しみを感じます。

    坂口さんの放送のとおり、強大な勢力の台風がこの週末に九州に接近してくるようです。風を鎮める伝統行事が中止になっている今年は、自然の脅威に対して一層不安を覚えます。学校としても備えを始めました。

    生徒の皆さん、各家庭で防災の備えに取り組んでください。家族を頼るのではなく、皆さんが家庭の防災リーダーです。屋外の飛ばされそうなものを室内へ移動する、窓の補強、非常食・水の準備、最寄りの避難所の確認などやるべきことは沢山あります。そして、停電に備え乾電池ラジオがあると心強いものです。電気が失われると多くの情報通信技術の機能がダウンします。その時こそ乾電池ラジオからの情報は貴重なものになります。

    生徒の皆さん、安全最優先の行動をとってください。

 

「一瞬を切り取れ」 ~ 御船高校写真部

    本校の第2棟から第3棟(特別教室棟)への2階渡り廊下の東側は、写真部の作品展示スペースとなっています。ここを通る時は写真を観るのがいつも楽しみです。今週、2学期の始まりを機に展示作品が一新されました。令和2年度熊本県高等学校文化連盟写真専門部「前期写真コンテスト」の入賞作品が並んでいます。今回、参加校30校、応募作品1007点の中、写真部員12人全員が入賞を果たし、そのうち3人が優秀賞という特筆すべき結果を収めました。

    写真部は、顧問の橘先生の指導のもと、近年めきめきと実力を付け、県高校写真展では上位を占めるようになっています。この度の入賞作品群も誠に見ごたえがあり、展示スペースの前でしばし見入ってしまいます。4月から5月にかけて新型コロナウイルス感染拡大に伴う臨時休校が続き、写真部も思うような活動ができませんでした。従って、2、3年生は前年度後半の未発表の作品を持っていますが、1年生は学校再開の6月から部活動を始めたため、短い期間での撮影、作品提出となりました。

    優秀賞3人の一人、3年生の大場さんの作品は、「巣立ち」というタイトルが付けられ、前年度の卒業式の日の教室風景でした。きっと一年後の自分の姿を重ねて、先輩たちの巣立つ表情を撮ったのでしょう。同じく優秀賞の2年生の原君の作品は「気配」というタイトルで、学校の廊下、音楽室のピアノ、美術の石膏(せっこう)像の3枚の写真が組み合わされ、人物は写っていないのですが、濃厚な人の気配が漂う学校空間を表現しています。恐らく、臨時休校で無人の学校をモチーフにしているのではないかと思います。そして1年生で優秀賞を受賞した岩山さんの作品タイトルは「雨の匂い」。やはり三枚組の写真で、幻想的な蓮池が舞台で、朦朧とした蓮の花、そして蓮の葉の上の大きな雨滴が印象的です。観る者に雨の匂いが伝わってくるようです。岩山さんの作品は、来年度の全国高校総合文化祭(和歌山大会)の熊本県代表にも選ばれました。

    御船高校写真部のモットーは「一瞬を切り取れ」です。今回の展示作品には、水道の蛇口から水滴がこぼれ落ちる瞬間(タイトル「0.1秒の世界」)、鳥が川面から飛翔する瞬間など、まさにその一瞬を切り取った秀作がいくつも見られます。その決定的瞬間を捉えるためには、粘り強さ、集中力、そしてその瞬間を想像する力などが必要なのでしょう。

    写真部の作品群と対面すると、私たち一般の大人には見えない世界を見る感受性、そして決定的瞬間をアート作品に昇華させる確かな技術が兼ね備わっていることがわかります。

    全校生徒の皆さん、必見です。

 

鉄球を遠くへ ~ パラスポーツ練習風景

    午後3時半を回っても御船高校グラウンドは西からの猛烈な陽射しが照りつけていました。気温は30度を優に超えているでしょう。グラウンドのコーナーで、3年生の見﨑さんが「パラスポーツ砲丸投げ競技」仕様の台に座り、重さ3㎏の鉄球を投げます。パラスポーツの外部コーチの方と本校陸上部顧問の高橋教諭が付いて、砲丸投げの練習が行われているのです。パラスポーツとして砲丸投げを始めてまだひと月の見﨑さんですから、鉄球は3mほどしか飛ばず、鈍い音を立て地面に落ちます。しかし、フォームをチェックしながら、本人は汗をぬぐい、投擲を繰り返します。

 高校生パラアスリートの見﨑さん(3年生)のことは、この「校長室から風」で昨年度も紹介しました。中学時代に交通事故に遭い、日常を車椅子で過ごすことになりましたが、本校入学後に車いす陸上に出会いました。御船高校陸上部員として筋力トレーニングは他の部員と一緒に行いながら、熊本県車いす陸上競技連盟に所属し、水・金・土・日は車いす陸上競技の選手達と県総合運動公園等で練習しています。その運動能力の高さが注目され、パラアスリート強化候補選手(陸上競技)に選ばれ、全国の合同練習会にも参加しました。車いすマラソンに加え、短距離にも挑戦、そして今度は砲丸投げも始めることになったのです。

 「投擲種目は好きです。肩には自信があるんです。だから、頑張れます。」と汗を拭きながら見﨑さんは語ってくれました。コーチの方も支援されますが、パラアスリート仕様の競技台の設定はじめ練習準備は、基本、自分でできることは全て自分で行います。黙々と鉄球を投げます。短く小さい放物線を描き、鉄球は落ちます。距離は伸びません。3㎏の鉄球の重さ、そして暑さがじわじわと本人に負荷をかけていきます。けれども、見﨑さんの眼は輝き、意志の力を感じます。

 昨日が初めて学校での砲丸投げの練習でした。車いすマラソン向けの練習は校外で行っているのですが、砲丸投げは学校でもできるのではないかとコーチと話し合い、陸上部の練習の一環で取り組むことにしたそうです。今後、週に2日程度、御船高校グラウンドで砲丸投げの練習をすることになりそうです。学校としても大歓迎です。見﨑さんのパラアスリートとしての練習風景を多くの生徒たちが目にすることになります。生徒たちは、見﨑さんの車いすマラソンでの実績は知っていても、その厳しい練習の様子を見たことはありません。見﨑さんの練習風景を通じて、初めてパラスポーツを身近に感ずることになるでしょう。

 ちょうど1年後の2021年8月24日、東京パラリンピック開幕です。パラスポーツの普及は、私たちの社会をもっと多様性豊かなものにしていくでしょう。

 

 

御船高校、2学期への船出

 8月24日(月)、御船高校の2学期の始まりです。今回もまた全校放送で表彰紹介及び2学期始業式を行いました。表彰では、男子弓道部、男子バレーボール部、書道部、吹奏楽部の活躍を紹介しました。吹奏楽部は、お盆休み中に実施された県吹奏楽部大会吹奏楽コンテスト高校の部で金賞を受賞しました。新型コロナウイルス感染者が熊本県で増加する中、県立劇場で吹奏楽の大会を実施できたこと自体に私は注目しています。感染対策に最大限の努力をして、高校生のために区切りの演奏会を実現したいという関係者の熱意に敬意を表したいと思います。吹奏楽部の皆さんにとって完全燃焼のステージとなったことでしょう。

 今年の夏は、故郷への帰省の自粛が呼びかけられた異常な夏でした。これまで当たり前にできていたことが、当たり前にできない不自由な夏でした。しかし、そのような社会不安と自粛の風潮の中にあって、2020甲子園交流試合が実現されたことに感銘を受けました。春のセンバツ大会に出場予定だった全国32校のチームを甲子園球場に招き、それぞれ1試合だけ行われ、夢の舞台でのはつらつとした高校球児の姿がテレビ中継されました。未曽有のコロナ禍にあって、リスクと向き合いながら、どんなことが可能なのかに挑戦した大きな実践だったと思います。この甲子園交流試合の実現に励まされた教育関係者は多いでしょう。

 高温多湿のわが国の夏の気候において、新型コロナウイルス感染の第二波に覆われました。従来のコロナウイルスの常識が通用しません。熊本県でも連日二桁の感染者が発表され、「レベル4特別警報」(最も重いレベル)が維持されています。このような中、御船高校の2学期は始まりました。私は改めて生徒の皆さんに、手洗いの励行を呼びかけました。最も基本的な対策であるこまめな手洗いでウイルスと不安を洗い流してほしいと思います。本来、学校は、生徒同士が密接、密集しがちな所です。生徒の皆さん一人ひとりがそれを意識して防ぎ、手洗いとマスクの着用で感染リスクを小さくしていく必要があります。

 未知のウイルスとの共存は、私たちにとってこれまで経験したことがない学校生活を新しく切り拓いていくことになります。困難が予想されます。しかし、2学期始業式後の新生徒会長挨拶で、2年の村田君が「感染防止に留意しながら、学校行事を充実させていきたい」と力強く抱負を述べてくれました。生徒の皆さんの新しい発想(アイデア)と工夫を期待しています。

 甲子園交流試合や県高校吹奏楽コンテスト等の成功例を追い風として、御船高校は2学期という広い海に船出します。

 

弥生人の顔が付いた土器 ~ 御船高校の「お宝」

  「貴校が所蔵されている人面付き土器を見せてください」と先日、益城町教育委員会の文化財担当の職員の方達が来校されました。来年で百周年を迎える御船高校には大切に伝えられている「お宝」が沢山あります。最もよく知られているのが、旧制御船中時代以来、輩出してきた画家の皆さんの作品ですが、実は、この「人面付き土器」(弥生時代)も「お宝」の一つと言えます。何より古さが違います。

 「人面付き土器」は、本校玄関脇のケースで大事に保管、展示しています。ケースから慎重に取り出し、益城町教育委員会の学芸員の方たちと丁寧に観察しました。高さは23cm、幅は土台部分で10cm、土器が作られた時代は弥生時代後期の2世紀と考えられています。この土器の最もユニークなところが、顔が付いていることです。残念ながら、発掘された時に顔の大部分は壊れており、五分の四ほどは石膏で補修、復元されています。しかし、その顔は、まぎれもなく今から千九百年ほど前の弥生人のはずです。目は細く、鼻は高くなく、全般的に扁平で、穏やかで優しい印象を与えます。

 昭和50年代、益城町の秋永遺跡で県教育委員会の発掘事業として採取され、歴史教育の教材として最も近くの県立高校である御船高校へ寄贈されたという経緯があります。当初は、土偶(どぐう)ではないかと思われたようです。土偶は、縄文時代に作られた人形で、女性像が多く、豊穣を願うための呪術的なことに使用されたと考えられています。しかしながら、この「人面付き土器」は土器の特徴から見て、縄文時代の次の弥生時代(紀元前3世紀~紀元3世紀)の後期と推定されています。

 弥生時代の「人面付き土器」にしばしの間、見入っていました。顔及び胴体の前面には重弧文(じゅうこもん)と呼ばれる同心円の文様がほどこされています。弥生人の習俗である入れ墨の文様かもしれないとの意見が出ました。全体的にはふっくらした丸みをおび、土偶の系譜と同じ女性像のように見えます。また、背面は割れ目があり、ひょっとして酒などを注ぐ注口(ちゅうこう)土器として使用された可能性もあるとのことです。弥生時代は、縄文時代までの石器に加えて金属器が使用され、北部九州から稲作農業が広まっていきました。社会が大きく変化する中で、この「人面」のモデルとなった弥生人は上益城の地でどんな生活を営んでいたのでしょうか?

 「このような人面が付いた弥生時代の土器はきわめて珍しく、貴重」というのが益城町教育委員会の学芸員の方たちの総括でした。

 生徒の皆さん、私たちのご先祖に当たるかもしれない弥生人のお顔を見に来ませんか。

 

中学生の皆さん、ようこそ御船高校へ ~ 「中学生体験入学」

   中学生の皆さん、御船高校へようこそ。

 8月6日(木)、7日(金)の二日間にわたって御船高校「中学生体験入学」を開催しました。新型コロナウイルス感染に対応するため、6月から慎重に開催のあり方を検討してきました。昨年までのような体育館での全体説明会及び校内見学等をやめ、二日に分け、一定の人数ごと、各教室等での分散開催の形式で臨みました。

 一日目は、普通科(特進クラス、総合クラス)希望者対象です。朝、8時半から9時までが受付ですが、体育館で吹奏楽部が歓迎演奏を行い、多彩な音楽が校庭に響き渡りました。参加者は最初から6教室に分かれ、その教室ごと学校全体の紹介、特進クラス、総合クラス、2年生の「総合的な探究の時間」の成果発表等を担当の生徒たちが行いました。主に2年生が務めてくれたのですが、とても頼もしく思いました。自分の高校生活が充実していなければ、これから進路を決める中学生に対して、責任もって説明できません。御船高校の特進クラス、総合クラスの特色を語り、その良さを本気で伝えていることが感じられました。

 二日目は、芸術コース(音楽、美術・デザイン、書道)と電子機械科の希望者対象です。前日に引き続き参加した中学生もいました。一日目の普通科(特進クラス、総合クラス)の場合は説明中心で、受け身の体験入学でしたが、二日目は中学生自らが活動する能動型の体験入学となりました。特に、音楽専攻は、ピアノ、木管楽器、金管楽器、打楽器、声楽と専門別に会場も分かれての体験レッスンで、教師と音楽専攻の高校生がサポート役として付きました。同じ専攻楽器の高校生から優しく指導を受け、時に一緒に演奏する光景はとても微笑ましく、音楽を愛好する者同士のつながりがあちこちで生まれたようです。

 また、約80人あまりが参加してくれた電子機械科の体験入学では、6班に分かれ、電気配線、エンジン起動、旋盤・溶接、自動工作機械、電子制御(ロボット実演)等の体験コーナーをローテーションで回りました。恐らく多くの中学生にとって初めて見学、体験する施設、設備ばかりだったと思います。強い興味、関心を示す一方、不安に感じる者もいたでしょう。しかし、案内係及び実演担当の電子機械科の2、3年生が「最初はできなくても、みんなわかるように先生方が教えてくれるから大丈夫だよ」などと声をかけ、丁寧に接する姿勢が印象的でした。彼らにとって、見学する中学生は2、3年前の自分だということがわかっているのでしょう。

 二日間でおよそ280人(延べ人数)の中学生が来校してくれました。本校にとっても誠に教育的意義のある二日間でした。中学生との交流を通じて、本校生が大きく成長する機会となったからです。

    御船高校は来週はお盆休み(学校閉庁日)で、学校全体、静かになります。

 

変わらぬ姿、「天神の森」

 7月30日の梅雨明け以来、猛暑が続いています。加えて、新型コロナウイルス感染がとまらず、熊本県でも感染者が増加し、不安感が漂っています。先日、御船町役場を訪ねた際、隣接する「恐竜博物館」入り口前に立つ大きなティラノサウルス像(オブジェ)にマスクが掛けられていたのが目を引きました。恐竜もマスクをする異常な夏です。

 朝から陽射しは強くうんざりする毎日ですが、出勤し、学校の玄関に向かって歩くと、御船高校のシンボルである「天神の森」が迎えてくれます。樹齢400年を超える楠の巨木を中心に樹木が鬱蒼と茂る一角の脇を通る時、ひんやりした微風が感じられ、木陰の涼しさに気持ちが落ち着きます。樹木から出る香りには人の神経をリラックスさせる成分があるそうです。森林浴、森林セラピーは健康に効果があるということで都会人に人気だと聞いたこともあります。「天神の森」は森林という規模ではありませんが、樹木の緑、木洩れ日、木々を通り抜ける風、清浄な雰囲気と、私たちの気持ちを静め、なにか心身を癒してくれる力があるように思えます。このことは、本校にとってかけがえのない教育環境と言えます。

 「天神の森」は四季折々のたたずまいに情緒がありますが、私は真夏の姿に最も心惹かれます。特に、新型コロナウイルスで社会全体が疑心暗鬼の状況にある今年の異常な夏にあって、長い歳月、変わらずこの地にある姿が私たちに安心感を与えてくれます。伝承では、16世紀の後半の戦国時代、御船城を守る聖なる森の一つとして設けられたのが起源とされています。大正11年(1922年)の開校以来、生徒たちを見守り続けきた守護神のような存在です。

 ところが、「天神の森」もかつて危機に瀕したことがあるのです。昭和40年代後半から中心の大楠の樹勢が衰え、保護の取り組みが幾度も行われましたが、平成に入り台風の被害も受け枯死寸前の状態になりました。そこで、平成13年に大掛かりな「大手術」が実施されたのです。大楠をクレーンで吊り上げ敷地の排水処理をして、良質の土壌に入れ替え、さらに根元の土のかさ上げを行いました。これによって大樹は蘇生し、今日に至っているのです。

 「天神の森」は大楠の根の保全のために、普段は敷地内への立ち入りを制限しています。しかし、8月5日(水)の朝、教職員有志20人ほどが「天神の森」内に入りました。繁茂した雑草の除草作業のためです。日向の気温は30度を超えていましたが、「天神の森」の中は涼しく、潤いがあり、作業していて気持ちが休まるような感覚に包まれました。明日、明後日と中学生の皆さんを招いての「御船高校体験入学」を開催します。

 本校は「天神の森の学び舎」です。「天神の森」に手を入れ、より美しくなった姿で中学生を迎えて欲しいというのが私たち教職員の思いです。

                 「天神の森」内での除草、清掃活動

1学期の終業式を迎えて

   7月31日(金)、御船高校は1学期の終業式を迎えました。前日、梅雨明けが宣言されたばかりですが、一気に真夏となり、気温は35度の猛暑日です。前庭の「天神の森」からは蝉時雨(せみしぐれ)が聞こえます。

 終業式は、午後1時半から全校放送形式で実施しました。生徒の皆さんはそれぞれのホームルーム(教室)で聴きます。最初に、「令和2年7月豪雨災害」によって犠牲となられた方々のご冥福を祈り、全員で黙祷を捧げました。

 そして、校長講話。1学期を振り返ると、社会も学校も新型コロナウイルス感染の影響で未曽有の混乱の日々だったと思います。パンデミックと呼ばれる世界的流行が今も続いています。連日、わが国の新規感染者の数値が発表されていますが、異常な出来事であるのにも関わらず、それが数か月続くと、異常に感じられず新型コロナウイルスと共にあるのが日常のように思えてきます。

 目に見えないウイルスへの対策は困難で、誰もが感染する可能性があります。感染者に対して偏見や悪意のまなざしを向けてはいけません。誰も悪くないのです。私たち全員が逃れられない災難に巻き込まれていると考え、支え合い、もうしばらく辛抱していきましょうと生徒の皆さんに呼びかけました。

 わが国全体が新型コロナウイルスによって翻弄されていることに加え、私たちの熊本県は豪雨災害にも襲われました。令和2年7月豪雨災害において、県南部では記録的な大雨に見舞われ、球磨川をはじめ河川の氾濫、土砂崩れ等が発生し、多くの人命が失われ、家屋が流され、道路や鉄道が寸断されました。災害発生から3週間余り立ちましたが、いまだ被災地では復旧が進んでいないと言われています。しかし、その中にあって、被災地の高校生たちが汗だくになって泥をかき出し、流木や水につかった家具などを運ぶ姿が伝えられています。若い力が復旧活動に加わることで、被災地の人たちを元気付けることになります。本校の生徒会有志も明日、被災地の一つである相良村へボランティア活動に赴きます。

 校長講話に続き、生徒会長の田中さん(3年B組)の退任挨拶がありました。田中さんは入学してすぐに生徒会執行部に入り、2年次に生徒会長に立候補して当選し、会長として重責を果たしてきました。田中さんは、生徒会活動を通じて多くのことに気づき、自分自身も変化して成長してきたと述べました。本日をもって新会長の村田君(2年1組)にバトンを渡し、自らの進路実現に挑みます。3年生にとってはいよいよ進路の夏が始まるのです。

 未知のウイルスの脅威、自然災害の爪痕と不安に満ちた社会ですが、御船高校は1学期を終え、次の課程へと一歩踏み出します。

                                                                 教室で黙祷する生徒たち