阿蘇の「震災遺構」が伝えるもの ~ 育友会研修旅行その2
立野渓谷を望む「数鹿流崩れ(すがるくずれ)」の現場に立つと、足がすくむ思いになります。対岸の崖には、平成28年(2016年)4月の熊本地震によって崩落した阿蘇大橋(長さ200m)の橋桁(はしげた)の一部が引っかかる形で残存しています。その他の大部分はおよそ百m下の黒川に落ち、多くがいまだ土砂に埋まっているのでしょう。振り返って見上げると、北外輪山の大規模山腹崩壊の跡が恐ろしいほどの迫力で姿をとどめています。幅200m、長さ700mの規模で急斜面が崩壊し、樹木や土砂がJR豊肥線の鉄路及び国道57号の道路を押し流し、立野渓谷に落ちていきました。熊本地震の阿蘇地域での被害を象徴する場所です。近くにある名勝「数鹿流滝」にちなんで、この大崩落は「数鹿流崩れ」と命名され、石碑及び説明版、展望用の駐車スペースが整備されています。
熊本地震以来、鉄道は不通が続き、熊本市と阿蘇地域を結ぶ道路は、北外輪山の二重(ふたえ)峠の迂回路となり、人々の暮らしや観光産業に大きな影響を与えてきました。しかし、ようやくこの8月に鉄道、10月に国道57号が復旧し、阿蘇地域と熊本都市圏の往来がスムーズになりました。そして、来春には新しい阿蘇大橋が元の場所から約600m下流に架け替えられる予定で、巨大橋梁の工事が急ピッチで進められています。新阿蘇大橋が完成すれば、国道57号から国道325号で南阿蘇方面とつながります。熊本地震から四年半が立ち、創造的復興が実感できます。しかし、私たちは「阿蘇大橋が落下した!」というニュースを知った時の衝撃を忘れることができません。この自然災害の脅威を次代に伝えていくために、「数鹿流崩れ」が震災遺構として整備されたことの意義は大きいと思います。
「数鹿流崩れ」の現場から、東側に回って黒川を越え、南阿蘇村河陽の台地上に残る旧東海大学校舎を私達は訪問しました。ここも熊本地震の震災遺構です。東海大学農学部として地震前は約800人の学生がキャンパスライフを送っていました。しかし、この校舎下を断層が走っており、激震が襲われました。敷地内に隆起した地表地震断層は樹脂で固められ、当時の亀裂や横ずれが生々しく残っています。校舎(1号館)は室内に鉄骨がむき出しになるなど甚大な損傷を受けていますが、全体に補強され、外部の回廊から見学できるようになっています。ガイドの方から丁寧な説明を受け、理解も深まりました。
熊本地震の体験から得られた教訓を後世に伝えるため、熊本県は、震災被害の拠点を「震災遺構」として整備し、それらを巡るフィールドミュージアムの構築を進めています。防災教育の観点から大変有益だと考えます。次は高校生の皆さんと共に赴きたいと思います。