「つなごう100年のバトン」

 「つなごう100年のバトン」と力強く墨書された文字と、100周年のロゴマーク、そして生徒同士がバトンをつなぐ瞬間の写真が組み合わさった御船高校創立100周年記念事業の看板が正門脇に掲げられました。「令和3年 御船高校は創立100周年を迎えます」と告知するために設置したものです。

 スローガンの「繋(つな)ごう100年のバトン」は生徒からの公募を行い、2年B組(電子機械科)の大西快人君の作品が選ばれました。告知看板には、書道の古閑先生に躍動感あふれる文字を書いていただきました。ロゴマークは3年4組(芸術コース)の岡部真寛さんの作品が選ばれました。100年の「1」に天神の森を見立てて、生徒の個性を表現する多彩な色で葉が描かれています。また、スローガンを写実化しようと、美術の本田先生が生徒をモデルに校庭でバトンをつなぐ鮮やかなイメージ写真を創られました。この告知看板そのものが、まさに御船高校の創造力の結晶と言えます。

 今を遡ることおよそ百年、大正11年(1922年)4月に本校は開校しました。すでに明治40年(1907年)に小学校6年制の義務教育が整えられていました。新しい時代(大正)に入り、中等教育への進学者数は次第に向上していました。戦前の中等教育は、男子は中学校、女子は高等女学校へ分かれて進学することになっており、学年は5年制(女学校は4年制が多い)でした。「上益城郡に中等教育を」という地域あげて設立の気運が盛り上がり、上益城郡の拠点であった御船の地に県立の旧制御船中学校の開設が認められたのです。第一期生は142人が入学を許可されました。旧制御船中学校は熊本県内で8番目に誕生した中学校です。

 大正時代には、御船高校の近隣の甲佐高校(旧制高等女学校)、宇土高校(旧制中学校)、松橋高校(旧制高等女学校)がほぼ同じ時期に設立されています。大正デモクラシーの風潮の中、熊本県において中等教育は急速に普及していったことがわかります。また、大正時代は鉄道が地方に普及した時代でもありました。大正5年には私鉄の熊延(ゆうえん)鉄道が熊本市の春竹駅(現在の南熊本駅)から御船町まで開通していました。しかし、甲佐町へ抜けるための妙見坂トンネルや御船川の鉄橋の難工事に時間を要しました。そして、御船高校開校の翌年の大正12年に御船町から甲佐町まで熊延鉄道がつながりました。地元住民は歓呼で鉄道開通を喜んだと伝えられています。

 熊延鉄道は昭和39年に姿を消しました。しかしながら、御船高校は百年の節目を迎えようとしています。私たち教職員、そして生徒の皆さんはこの伝統の学び舎の中間走者のようなものです。受け継いだバトンを次代につなぐという使命をもって、走っていきましょう。