校長室からの風

ごあいさつ

 御船高校は、今年、百周年を迎える県下でも屈指の歴史と伝統を持つ学校です。本校は、普通科、普通科芸術コース、電子機械科を設置する学校で、地域の方々に支えながら、夢と志をもって社会や地域に貢献できる生徒の育成に努めています。本校の特色ある教育活動の一つであるロボットは、全国高等学校ロボット競技大会で、過去9回の優勝を誇り、全国に御船高校の名を馳せる活躍をしています。また、書道パフォーマンスの活躍をはじめ、芸術活動や部活動において、実績を上げています。先生方も教育愛にあふれ、熱心に指導してくれる学校です。「天神の森」を中心に豊かな自然環境とおおらかな気風、面倒見のよい教育集団のもと、学習に部活動に一生懸命励み、自分自身を磨き上げることができる学校です。高校生活にしっかりとした目的意識をもって夢の実現を目指す皆さんの入学を心待ちにしています。

                                           校長 廣瀬 光昭

令和2年度修了式 ~ 風がやむ時

 今年の桜は早いようです。3月24日(水)の令和2年度修了式の日、学校の桜は満開となりました。青空に桜が映えます。

 修了式実施に向けて、総務部を中心にそのあり方を検討し、2年生は体育館に入り、1年生は各教室にてオンラインで参加するという分散方式をとりました。2年生は個人間の距離を十分にとって、体育館のフロアいっぱいに広がり座ります。体育館での式の状況をカメラで中継し、その映像が各教室前方のスクリーンに映し出されます。

 表彰式及び修了式を2年生の皆さんと対面して実施できることは感慨深く思いました。一方、1年生の皆さんとオンラインでつながっていることも画期的でした。「With コロナ」(コロナウイルスと共にある)の中、このようなニューノーマル(新しい常態)を積極的に取り入れていかなければいけないと思います。この1年あまり、新型コロナウイルス感染症拡大で社会は翻弄されました。学校教育も大きな影響を受けました。しかし、長期化するコロナ禍において、何がどこまでできるのかが模索されています。2年ぶりに「春のセンバツ」(全国選抜高等学校野球大会)が甲子園球場(兵庫県)で開催されていることは、高校教育関係者にとは明るいニュースです。

 修了式の講話で、生徒の皆さんに対し、ペスト、コレラ、スペイン風邪などのこれまでの感染症パンデミックの事例から先人たちが何を学び、克服してきたかを話しました。そして、結びに、来年度は御船高校が創立100周年を迎えること、その節目に在校生であることの幸運を活かし、自分の可能性を発揮してほしいと伝えました。

 修了式を終え、私は大きな役割を果たしたような気持ちになりました。令和3年度の熊本県立高校教職員人事異動により、御船高校から16人の教職員が転・退任することとなりました。私もその一人です。本校で創立100周年を迎えられないことは誠に残念でなりません。しかし、伝統ある「天神の森の学び舎」で、可能性豊かな生徒の皆さんと出会い、保護者、同窓会、地域の方々から応援を受け、充実した日々でした。御船高校で勤務できたことを心から感謝しております。

 私たち教職員は、常に「中間走者」だと思います。前任者からバトンを受け、勤務期間の長短はあれども全力を尽くし、後任にパトンを渡すことが定められています。今は、生徒の皆さんのさらなる成長と御船高校の一層の発展を願うばかりです。惜別と感謝の思いを胸に離任します。

 2年間の「校長室からの風」は小さく弱いものだったと思いますが、その風もやむ時がきたようです。有難うございました。

 

最後の掃除

 3月17日(水)の午後は、1、2年生共に校外へ進路ガイダンス(各大学、熊本市総合体育館等)に出かけ、校内に生徒はいないはずでした。ところが、特別教室棟1階の廊下を歩いていると、美術教室の中から生徒の声が聞こえますので不審に思いドアを開けてみると、二人の生徒が体操服姿で掃除をしていました。二人とも3月1日に卒業した芸術コース美術専攻の女子生徒です。

 「最後まで、この教室で絵を描き続け、絵の具で床をずいぶんと汚したので掃除に来ました。」と答えてくれました。2月にこの「校長室からの風」で「最後まで受験生」のタイトルで紹介したとおり、芸術系大学の受験に備え、彼女たちは毎日のように登校し、この部屋で石膏像や果物などのデッサンを繰り返し、油絵の制作に取り組んでいました。すべての受験が終わり、志望校合格も確定したので、お世話になった美術教室を清掃しようと登校したそうです。

 体操服の二人は床に膝をつき、凝固している絵の具を金属製のへらで一つひとつはぎ取っていました。そして、洗剤を使い、その跡が消えるよう丁寧に床をタオルで磨いていました。その光景を見て、私は胸が熱くなりました。最後まで進路希望に向かって努力したこと、そして教室を整えて後輩に渡そうとする気持ちを私は称えました。

 「 一 掃除、二 信心 」という禅宗の言葉を聞いたことがあります。掃除とは結局、心を整え、磨くことにつながるのでしょう。わが国の学校教育においても古くから掃除は大切な教育活動と位置付けられています。卒業した学校の教室を掃除する生徒の姿を目の当たりにして、御船高校芸術コースの教育は「人の心」を育てていることを実感しました。

 客観的な美というものはありません。風景、人物、オブジェにしてもその客体を通して、美を創り上げていくには、観察者であり創作者である人の感受性と創造性が必要です。美は、その人の心が創るのです。だから、美術は人それぞれの個性が表れ、多様な表情を見せ、私たちを魅了するのでしょう。体操服姿で掃除する二人は、美術の技法の向上と共に豊かな精神を養ったことは間違いありません。新しい世界へ飛翔する前、大事なことを忘れなかったのです。

 令和3年度の高校入試の合格発表が3月16日に行われました。御船高校芸術コースは音楽・美術・書道の3専攻合わせた受験者が増え、ここ十年あまりで最も多い入学者が予定されています。「天神の森の学び舎」を羽ばたいていく先輩の皆さんが、時には羽を休めに母校に帰ってきて、後輩と交流してくれることを願っています。

 

3月11日 ~ 東日本大震災から10年

   午後2時46分、校内放送が流れ、私たち教職員は一斉に黙祷を捧げました。3月11日(木)を迎えました。東日本大震災の発生から10年が経過したことになります。今日は高校入試(後期選抜)の採点はじめ特別業務のため、生徒は家庭学習で、学校には職員だけがいます。いつもと違い、静かな御船高校です。国旗掲揚台では弔意を表す半旗を掲げました。

 2011年(平成23年)3月11日、マグニチュード9というとてつもない地震が発生し、巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合災害によって、東日本の多くの人々の命と暮らしを奪いました。テレビ中継の映像を通して、人も車も町も吞み込んでいく津波の凄まじい猛威、原子力発電所事故で拡散する放射能の底知れない恐怖を感じたことを今も生々しく記憶しています。あの日から、私たち国民一人ひとりは東北に、福島に心を寄せてきたと思います。

 前任校の修学旅行で、3度、私は福島県へ生徒を引率しました。太平洋岸のいわき市や県央部の二本松市などを訪ねました。被災者の方の体験談を聞いたり、復興の様子を見たりと防災学習に取り組みました。また、スキーをしたり、福島の食材を味わったり、地元の人と交流をして、福島の皆さんが健やかな日常を送っておられることを体感し、原発事故後の風評被害がいかに誤ったものであるかを学びました。今年度、御船高校2学年の修学旅行(東京)がコロナ禍で実施困難になった時、感染状況が比較的落ち着いていた福島や宮城、岩手等の東北の太平洋岸へ行くことはできないかと個人的に考えました。生徒たちと共に東日本大震災から10年たった現場に立ちたいと思ったからです。しかし、そんな私の願いはコロナ感染の第三波で打ち砕かれました。

 5年前、熊本地震が起こりました。本校のある上益城郡は震源であり、甚大な被害をうけました。地震列島とも言われるわが国において、地震災害は常にわが事なのです。いつ、平穏な日常が破られるかわかりません。「もしも」は、「いつも」の中にあるのです。熊本県の地震からの復旧、復興は着実に進み、この3月、待望の阿蘇大橋再建というニュースに接しました。

 しかしながら、福島県においては、放射線量が高い原発事故の関連地域は、いまだ帰還困難区域となっており、故郷に帰ることができない多くの人がいます。この重苦しい事実を直視し、これからも福島に心を寄せていきたいと思います。

 そして、近い将来起こるであろう南海トラフ地震などの大規模自然災害に備え、防災、減災に学校は地域と連帯して取り組んでいかなければならないと決意を新たにします。3月11日は、私たちにとって慰霊と決意の日だと思います。

                 弔意を表す半旗(御船高校)

3月1日 ~ 第73回卒業証書授与式

 3月1日(月)を迎えました。天気予報は曇りでしたが、良い方にはずれ、青空が広がり、清々しい朝でした。

 令和2年度熊本県立御船高等学校「第73回卒業証書授与式」の日です。卒業生は、普通科(芸術コース含む)111人、電子機械科59人、合計170人です。三か年皆勤の表彰者が25人います。熊本県での感染者は減少しましたが、依然、新型コロナウイルス感染症は終息しておらず、昨年に引き続き、卒業生と教職員、そして各家庭から原則1人の保護者の方と出席者を限定し、簡素な式典となりました。

 卒業生総代の田中さん(電子機械科B組)が答辞の中で、3年間を振り返り、新型コロナウイルス感染が拡大し、高校総体や高校総合文化祭、そして工業高校生徒のモノづくりコンテスト大会などが相次いで中止または規模縮小となった時が最もつらかったと述べました。目標としていたものが突然失われことで、「やり場のない憤りを覚え、心が折れそうになりました。」と表現しました。高校生活の集大成である3年生において、数多くの行事や部活動の大会が失われ、存分に力を発揮できなかったことはさぞ悔しく、無念だったことと思います。

 しかし、3年生は気持ちを切り替え、逆境の中、自らの進路希望の実現に向かって挑戦しました。そして、それぞれの進路を切り拓き、今日を迎えたのです。困難な状況にあっても、リスクから身を守り、自分の本分を全うした体験は、これからの皆さんの生きる力になると私は信じます。   

 「この未曽有の災禍の向こうに、私たちの未来はあります。」と田中さん締めくくりました。この卒業学年は、中学2年生の春に熊本地震を体験しています。上益城郡が地震からほぼ復興を遂げた時期に、コロナパンデミックに巻き込まれました。地震、コロナ禍の不遇な時を過ごしたとも言えるかもしれません。しかし、この時期だったからこそ学べたことがある、と思ってほしいと願います。

 卒業式の最後は校歌斉唱ですが、今年は校歌のピアノ演奏を全員で聴く形をとりました。芸術コース音楽専攻2年の長元さんの独奏に合わせ、卒業生は心の中で校歌を歌ったのだろうと思います。

 マスクは着用していても晴れやかな表情が伝わる卒業生が、拍手の中、退場していきました。若人の旅立ちの日に立ち会える喜びをかみしめました。

 3月1日は私たち高校教職員にとって特別な日です。