町の「記憶」を訪ねて ~ 変わりゆく風景のなかで

 久しぶりに御船川の南側(左岸)の本町通りを歩く機会がありました。現在の御船町は川の北側(右岸)が中心で、役場、警察、消防、小・中学校、大型商店等が集まり、コンパクトタウンの姿を見せています。御船高校もここにあります。しかし、昭和の中頃までは、御船川の南に沿った本町通りが、白壁の商家が立ち並び繁栄していたところです。この「校長室からの風」でも紹介した江戸期の豪商の林田家邸宅跡(現「まちなかギャラリー」)、明治期創業の池田活版印刷所など往時の賑わいが偲ばれる建物が残っています。

 今回は本町通りを上流方面へ歩き、御船川に架かる「思い出橋」を訪ねました。ここにはかつて美しい姿の2連アーチの石橋が架かっていました。江戸後期の嘉永元年(1848年)建造の御船眼鏡橋です。当時の町人たちの寄付によって造られました。「あの眼鏡橋が残っていたらなあ」と年配の御船高校同窓生の方々が今でも懐かしまれます。昭和63年(1988年)の水害で惜しくも流失してしまい、そのモニュメント(記念碑)が「思い出橋」のたもとに設置されています。

 また、「思い出橋」のすぐ近くに木造平屋建てで瓦葺(かわらぶき)の重厚感のある建物が残されています。ここが明治時代の旧裁判所庁舎です。明治期、熊本県内に9か所設置されたものの一つで、明治28年(1895年)に建造され、その後、御船簡易裁判所となり昭和46年まで使われました。今も公民館として現役の建物であり、国の登録有形文化財の指定を受けています。現在の御船町には簡易裁判所・家庭裁判所の出張所があるのみですが、かつては上益城郡の拠点として裁判所庁舎が置かれていたのです。

 昭和の前半までは木材をはじめ物資の流通に舟運が大きな役割を果たしました。従って、御船川沿いに商家や造り酒屋が軒を並べ本町通りが町のメインストリートでした。しかし、自動車の急速な普及(モータリゼーション)によって、交通・運輸の体系が変わり、町のあり方にも影響を与えました。昭和51年(1976年)に九州自動車道の御船インターチェンジ(IC)開設はその象徴的出来事と思います。本年4月オープンを目指し、御船IC近くに外資系の大規模商業施設の建設工事が大詰めを迎えています。店舗面積1万㎡、駐車台数は約800台という破格の規模です。また御船の景色は変わるでしょう。

 今も昔も御船は交通の利便に恵まれています。従って、町は変化しつつ発展していくのは定めです。しかし、変わりゆく中で、町の「記憶」とも呼ぶべき遺産を大切にしなければならないと思います。歴史の厚みがある町は何か懐が深く、生活をしていて情緒を感じます。