御船から矢部への道

 

 先日、出張で同じ上益城郡内の矢部高校(山都町)へ行きました。本校のある御船町は古くから上益城郡の中心地で、江戸時代は熊本の城下町から延びた日向往還が御船から山地に入り、矢部郷を通って日向国(現在の宮崎県)へ抜けていました。現在は御船町から国道445号を走行し、山都町(やまとちょう)へ向かいます。右手に御船川が車窓から見え隠れし、道は上り坂で次第に谷が深くなります。

 御船町滝尾の下鶴地区には、国道と平行して石橋「下鶴橋」(しもづるはし)が残っています。明治19年(1886年)、御船川に合流する八瀬川に架橋されたもので、橋の長さは25m、幅が約6m、今日もなお生活道路として現役の橋で、ここを通りかかると車を止め、しばし眺め、風雪に耐えてきた石の手すりに触れたくなります。

 御船町七滝を過ぎると国道は山都町に入ります。九州中央自動車道(高速道)は九州自動車道の嘉島ジャンクションで分かれ、御船町を通り、山都町の「山都中島西インターチェンジ」まで開通しています。延伸工事が進行中で、山都町の矢部インターチェンジまでの開通を目指しています。最終的には県境を越え、宮崎県延岡市までの九州横断ルートとなる計画です。このため、工事用トラックが頻繁に通行しています。矢部への道は急な坂やカーブを繰り返しながら上っていきますが、この道を毎日単車で御船高校まで通学している生徒のことを思うと交通安全を願わずにはいられません。

 御船高校を出発して約40分で矢部高校に到着しました。走行距離は27㎞。この付近の標高はおよそ450mあり、熊本平野の東端に位置する御船高校からかなり上ってきたことがわかります。同校のある山都町は平成17年に上益城郡矢部町と清和村、そして阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生しました。矢部高校は旧矢部町の中心地の浜町にあります。この浜町は江戸時代の国絵図を見ると、上益城郡の山間部の交通の要地です。御船から上ってきた日向往還が浜町を通り、馬見原(まみはら)の宿(旧蘇陽町)を経て、日向国に入っていました。

 矢部高校の近くには、日本最大級規模の石橋「通潤橋」(つうじゅんきょう)があります。石橋の宝庫と呼ばれる上益城郡の緑川水系ですが、その代表格の偉容は何度見ても胸に迫るものがあります。竣工は安政元年(1854年)、橋の長さ76m、川面からの高さ20mの巨大な石造アーチの水路橋です。当時の矢部郷の惣庄屋の布田保之助(ふたやすのすけ)によって建造され、今や地域の誇りの国重要文化財です。3年前の熊本地震やその後の大雨によって被害を受け、一部が修復工事中ですが、その圧倒的存在感は健在です。

 江戸期の先人の偉大な遺産を前に、上益城郡の地理的な広さや歴史的な豊かさを感じずにはいられませんでした。同じ郡内の高校への出張でしたが、小旅行のような気持ちに包まれました。

                                     

                                               下鶴橋(御船町)      通潤橋(山都町)