交通の要地、御船 ~ 舟運、街道から高速道へ

 

 アメリカに本社がある外資系の会員制大型ショッピングセンターが2021年(令和3年)春に御船町の九州自動車道御船インターチェンジ近くに開業するニュースが先日メディアで報じられ、話題となりました。同社の出店は九州では3番目(これまでは福岡県内に2店舗)で、協定締結の際に同社が御船町を選んだ理由として、交通の利便性と立地条件の良さを挙げていたことが印象に残りました。御船町は、熊本県のほぼ中央に位置し、県庁所在地の熊本市中心部からおよそ15㎞の距離です。そして、なんと言っても町内に三つの高速道路のインターチェンジ(九州自動車道の御船IC、小池高山IC、九州中央自動車道の上野吉無田IC)がある交通の要地なのです。

 歴史的に見ても御船町は古くから交通の要地と言えます。現代の私たちは交通と言えば道路のみを考えがちですが、近代以前の交通において河川交通すなわち舟運がとても重要な役割を果たしていました。御船町には御船川が流れており、西隣の嘉島町で一級河川の緑川と合流します。江戸時代、肥後(熊本)屈指の商港であった川尻とは川の道で約20㎞の距離でした。川尻との舟運が盛んに行われ、御船は上益城郡きっての物資集散地(町)として繁栄したのです。「御船」という地名の由来は諸説あるようですが、古くから舟運の拠点であったことを示しているのでしょう。近代に入って舟運の時代は終わりましたが、それでも昭和30年代頃まで河口から運搬船が御船町の中心地域まで上ってきていたと聞いたことがあります。地形的に熊本平野の東端に当たる地域までは舟運が可能だったのでしょう。

 また、かつて日向往還(街道)が御船を通っていました。江戸時代の肥後の四街道(豊後・豊前・薩摩・日向)の一つで、日向(ひゅうが)すなわち現在の宮崎県延岡へ向かう街道です。城下町の熊本から嘉島、御船、矢部(現山都町)を通り日向へと抜けるルートです。日向往還は御船高校がある木倉(きのくら)付近までは平坦部ですが、ここから山間部へと入り道が険しくなります。

 今も旧往還の面影が残っている場所があります。その筆頭が八瀬(やせ)眼鏡橋とその近くの石畳です。御船川の支流の八瀬川にかかる石橋で、安政2年(1855年)に御船の材木商である林田能寛が私財を投入し、肥後の石工で名高い種山(現八代市東陽地区)の技術者たちが架橋しました。橋の長さは62mに及び県内に残る石橋で最長です。風雪に耐えた風格ある石橋と、今にも江戸時代の旅人が現れてきそうな石畳を見ていると、昔も今も社会を支えるのは交通だとの感慨を覚えます。