校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

野球部、最後の夏へ挑戦!

野球部、最後の夏へ挑戦!  

 先日、気温が30度を超える中、本校野球場で乗用草刈り機を運転される齋藤健二郎監督の姿がありました。69歳、県内では最年長の高校野球監督です。生徒たちが練習に出てくる前にグラウンドを整備されており、頭が下がります。また、監督を支える馬場コーチと尾方コーチは、家業の合間を縫って、連日ご指導に来ていただいています。さらに、近年卒業して地元で働いている野球部の先輩たちが入れ替わりグラウンドに姿を見せ、練習を手伝ってくれます。春の東京六大学野球シーズンで首位打者に輝いた中村浩人君(法政大学4年)も先日帰省し、後輩を励ましてくれました。多良木高校野球部にとって最後の夏の大会が迫ってきました。

 多良木高等学校野球部は、1967年(昭和42年)の創部以来、学生野球憲章の「フェアの精神」に則り、こよなく野球を愛し、半世紀の間、懸命に白球を追いかけてきました。しかし、人吉球磨地域の急速な少子化に伴い、多良木高校は県立高校再編整備対象校となり、平成31年3月をもって96年の歴史に終止符を打つことになりました。最終年度を迎え、67人の3年生が「ゴール(閉校)に向かって挑戦!」のテーマのもとアンカー(最終走者)として全力で走っていますが、この内、野球部員は選手18人と女子マネージャ-6人の24人を数えます。

 多良木高校野球部は地域に元気を発信する存在として近年注目されてきました。部員のほとんどが人吉球磨地域の出身で、地元の熱い期待を受け、試合の時にはスタンドに地域の多くの方が駆け付ける光景が見られました。そして応援に対する恩返しの気持ちで、生徒たちも多良木町の公園清掃や地域行事のお手伝いに積極的に取り組んできたため、平成30年2月に「多年の多良木町公共施設の美化活動に対する感謝状」を野球部は多良木町から授与されました。

 来る7月1日(日)開幕の第100回全国高等学校野球選手権記念熊本大会に、多良木高校野球部は単独チームで出場いたします。地域の方々の熱い応援を背に、野球部は最後の夏に挑みます。甲子園という唯一無二の目標がある高校球児は幸せだと思います。
 2018年、挑戦の夏です。


 


県高校総体を振り返って(その2)

県高校総体を振り返って(その2)  

 「実は、私の母、そして祖母も多良木高校の卒業生です。だから、多良木高校のプラカードを持ちたいと希望しました。」

 6月1日(金)の県高校総体総合開会式で多良木高校の入場行進のプラカードを担当した熊本商業高校3年宮田さんの言葉に私は驚きました。宮田さん自身は熊本市在住ですが、お母さんが多良木町ご出身で、お祖母さんと二代続けて多良木高校同窓生だそうです。今年度で閉校となる多良木高校の高校総体総合開会式のプラカードを持つことが決まり、お母さんとお祖母さんはとても喜ばれたと宮田さんは語ってくれました。このような巡りあわせに出会うと、無数の卒業生の方々の思いが多良木高校に寄せられていることを痛感します。

 「最後に自己ベスト記録を出すことができました。」

 6月4日(月)、陸上競技最終日の女子100mハードル競技を走り終えた越替さんが、控えめな笑顔で語ってくれました。越替さんは予選通過できませんでした。しかし、上位選手から離されても、最後まで自分の力を出し切ってゴールしました。放課後、多良木高校のグラウンドで黙々と走る彼女の姿をこの2年余り見てきた私は、集大成の高校総体の場で自己ベスト記録を更新したことを心から称えたいと思います。彼女は自分との戦いに勝利したのです。彼女だけではありません。多良木高校最後の高校総体において、成績や記録に表すことができない尊いものを全ての多高生は勝ち得たと思っています。

 県高校総体が終了した後、多良木高校にスポーツの明るいニュースが飛び込んできました。卒業生である法政大学野球部の中村浩人君が東京六大学春のシーズンで首位打者を獲得したのです。打率4割5分という驚異的な成績で、甲子園に出場した幾多の選手を抑えての快挙です。在校生には何よりの励みとなるものです。

 閉校の年度を迎えながら、多良木高校には追い風が吹いているような気がします。その不思議な風の源は、きっと母校に寄せる同窓生の方々の熱い心なのでしょう。


 

 


気持ちをひとつに ~ 県高校総体を振り返って

気持ちをひとつに ~ 県高校総体を振り返って  


 「多良木高等学校!」と場内アナウンスがあった時は、さすがに感無量の気持ちとなりました。6月1日(金)、一万人を超える大観衆が見守る中、「えがお健康スタジアム」(熊本県民総合運動公園)で県高校総体総合開会式の入場行進。全80校参加の中で72番目の行進でした。旗手の荒川君(陸上競技)が先頭、次に私をはじめ5人の教職員、そして陸上、サッカー、野球の生徒達30人が続きます。最も外側を歩く生徒たちは「一生多高生 ありがとう 多良木高校 ~ 96年間の思いと共に」の横断幕を手に歩きました。盛大な拍手を受けながらの行進に気持ちは高揚しました。教職員と生徒が気持ちを一つにして、96年の多良木高校の歴史を飾る行進ができたと思っています。

 総合開会式の興奮の余韻も冷めやらぬまま、私は各競技会場の応援に回りました。何処でも、最後まであきらめずに全力で競技する多高生の姿が見られました。
 女子バレーボールはぎりぎりの人数6人で試合に臨み、見事に初戦は勝利。2回戦は最後まで接戦を演じ、惜しくも涙を呑みました。男子バスケットボールも初戦突破。2回戦は熱戦となりましたが、及びませんでした。女子バレーボールも男子バスケットボールも目標のベスト16進出にはあと一歩届きませんでしたが、全力を出し切ったと思います。
また、アーチェリー部の2人もベストを尽くしました。他の競技会場から離れた場所にあり、選手も観客も少ないのですが、自分で選んだスポーツへの誇りを持って堂々と競技する姿は爽やかでした。

 そして、陸上競技では、それぞれが自己ベスト記録を目指し懸命に走る姿が胸に迫りました。他校の選手に遅れをとっても、自分との闘いに勝つという思いでゴールに向かって走り続ける姿こそ、アスリートの魂だと感じました。男子4人の1600mリレーでは、走り終えて倒れ、しばらく起き上がれない選手もいました。連日、気温が30度に達する過酷な環境の中、限界に挑む高校生のエネルギーに圧倒される思いでした。

 県高校総体は高校生にとってスポーツの祝祭です。6月1日(金)から4日(月)までの4日間、私もこの祝祭の渦中にあったことの幸せをかみしめています。



凛々しい女子高校生 ~ 空手の全国大会出場

凛々しい女子高校生 ~ 空手の全国大会出場  

 山下恵理奈さんの空手の形(かた)の演武を見て、その姿勢の良さと緩急のメリハリの利いた動作の一つ一つに目を奪われました。突きや蹴りでは、彼女の手足が伸縮自在に動きます。山下さんは、体格は大きくなく、どちらかと言えば小柄です。しかし、彼女が空手を行う姿は、誠に凛々しく、大きく見えるから不思議です。

 相良村在住の山下さんは、地元の空手道場の「神武館」に小学校から通い始め、岩下師範の教えを受け、めきめき強くなったそうです。相良中学校在学中に一度全国大会出場の経験もあります。そして、この度、4月の県大会で優勝し、6月2~3日に東京体育館(東京都渋谷区)で開催される第61回全国空手道選手権大会(日本空手協会)の高校女子の組手(くみて)と形(かた)の二部門に出場することとなりました。

 空手には、突きや蹴りなど決められた一連の動作を行う形(かた)と、相手と対戦する組手(くみて)があります。山下さんは形の方を得意としているようです。組手では相手の突きや蹴りが実際に身体に当たり、怪我をすることもあります。先日も、道場で男子高校生と組手の練習中に、相手の突きが顔に当たり、口から出血したと語っていました。しかし、それでも「もっと空手が強くなりたい」と意欲的で、夕方、相良村の「神武館」へ通い練習に打ち込んでいます。時々、多良木高校の武道場で放課後に一人で形の自主練習を行う姿も見られます。

 2020年の東京オリンピックの競技種目として空手が採用されました。まだ女子空手の競技人口は少ないようですが、オリンピック種目採用を契機に今後広がりを見せるかもしれません。山下さんはその先駆者とも云えるでしょう。 

 山下さんの全国大会出場の激励会を先日校長室で行いました。「全国大会はレベルが高いことは自分でもわかっている。」と本人は覚悟を述べました。心身ともに強さを求められるストイックな空手の道を究めようと進む山下さん。多良木高校アンカーの67人の生徒の多様性を象徴する存在です。

 


キャプテン(主将)の姿 ~ 県高校総体

キャプテン(主将)の姿 ~ 県高校総体 


 サッカーのペナルティキック戦はまことに非情です。お互い代表の5人の選手が出てきてゴールキーパーと至近距離で向き合い、シュートを放ちます。ボールを蹴る選手も守るキーパーもその緊張は最高潮に達するでしょう。観ている者も緊張感に包まれます。相手校の5人目の選手のシュートがゴールネットを揺らしました。南稜・多良木高校の合同チームの敗退が確定した瞬間です。歓声をあげて喜ぶ相手校の選手たちと、がっくりとうなだれる南稜・多良木高校の選手たちの明暗がはっきり分かれました。

 5月26日(土)、正午から熊本県民総合運動公園にて県高等学校総合体育大会サッカー競技1回戦が行われました。南稜高校7人と多良木高校5人による合同チームは前半先制しましたが、後半同点に追いつかれ、延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれこんだのです。シュート数では相手校を上回り押し気味に試合を進めながら、PK戦で涙を呑んだのでした。勝負の厳しさを思い知らされた試合でした。

 しかし、勝負が決した後の南稜・多良木の合同チームの態度は爽やかでした。特に、キャプテン(主将)の福山君(多良木高校3年)の立ち居振る舞いは立派でした。整列しての挨拶、そして相手校選手と健闘をたたえ合うなど、足取りの重いチームメイトを率いる姿はさすがキャプテンと思いました。内心はきっと口惜しさでいっぱいだと思います。しかし、それを表情に出さず、ベンチの片付け、そして次の試合の学校への引き渡しを整然と行いました。試合に負けた時こそ、キャプテンの真価が発揮されることを改めて感じました。

 昨日、朝の7時半頃、男子バスケットボール部キャプテンの谷山君が事務室にビニルのゴミ袋を取りに来ました。谷山君は早朝練習を欠かしたことがありませんが、練習場の第2体育館のゴミ箱があふれているのに気づき、練習開始前にゴミ袋の交換に来たとのことでした。「さすがキャプテンだ」と私は声を掛けました。サッカーの福山君もバスケットの谷山君も、技量面だけでなく、その他の面でチームを引っ張り、支えていることがわかります。彼らは、キャプテンという役割を担ったことで、人間的に大きく成長したのです。


 


多高生よ、一歩前へ ~ 県高校総体・総文祭

多高生よ、一歩前へ ~ 県高校総体・総文祭 

 第46回熊本県高等学校総合体育大会のポスターを本校では体育館及び生徒昇降口に掲示していますが、印象深い作品です。男子選手のたくましく太い左足が画面いっぱいに大きく描かれており、迫力があるのです。恐らく走っている姿なのでしょう、地面を蹴った右足は薄く陰で描かれています。5月23日(水)、県高体連評議員会においてポスター制作者の第二高校3年生の西原さんが表彰され、作品の意図について「スポーツに、そして芸術活動に、私たち高校生がともに一歩前に踏み出そうとする気持ちを描きました。」と語ってくれました。

 5月25日(金)の正午から、多良木高校第1体育館で「第46回熊本県高等学校総合体育大会・第30回熊本県高等学校総合文化祭」に出場する生徒達、及び第61回全国空手道選手権大会に出場する山下恵理奈さんの推戴式を行いました。多良木高校選手団の旗手の荒川岬君(陸上競技)に校旗を手渡しました。校長激励の言葉では、高校総体のポスターのモチーフをもとに「多高生よ、一歩前に」とエールを送りました。

 平成31年3月をもって閉校する本校にとって、最後の高校総体・高校総文祭となります。生徒たちにとっても心中期するものは大きいと思います。しかし、県高校総体において一つ勝利すること、自己ベスト記録を出すことがいかに難しいか選手自身が一番よくわかっています。歓喜と失意、喜びと悲しみ。勝負の世界の定めです。心の底から喜びを爆発させたり、悔し涙に沈んだりできるのも若さの特権だと思います。このようなかけがえのない体験をしながら、高校生は大人になっていくのでしょう。

 6月1日(金)、熊本県高校総合体育大会総合開会式(熊本市:えがお健康スタジアム)では80校が行進します。スタンドからは熊本市内の高校生を中心に約1万3千人の観客が注目します。多良木高校は72番目の予定です。30人の選手団で「ありがとう 多良木高校 ~ 96年間の思いと共に」の横断幕を掲げ、胸を張って歩きたいと思います。


 

最後の高校総体に向けて

最後の高校総体に向けて 

 第46回熊本県高等学校総合体育大会が6月1日(金)から開催されます。先行実施としてサッカーは5月26日(土)に1回戦が行われます。多良木高校にとって最後の高校総体に出場する体育系部活動はサッカー、陸上競技、男子バスケットボール、女子バレーボール、アーチェリーです。

 サッカー部は部員5人。昨年秋から南稜高校と合同チームを結成し活動しています。主に南稜高校で練習するため、放課後、約6㎞離れた同校グラウンドまで自転車で移動しています。合同チームとして球磨郡の高校生の絆の強さ、たくましさを発揮してくれるものと期待します。

 陸上競技部は部員7人。本校では最も伝統があり、かつては「オレンジ旋風」と呼ばれるほど多良木高校陸上部のオレンジカラーのユニホームが県大会で活躍しました。幾多の一流選手を輩出してきた部の歴史を誇りに、全員が自己ベスト記録を目指してほしいと期待します。

 男子バスケットボール部は部員10人。その内、中学校でバスケットボール部に所属していなかった生徒が半分の5人です。けれども、皆がバスケットボールに情熱を傾け、自主的に朝練習に取り組むなどして着実に力を付けてきました。初のベスト16進出を期待します。

 女子バレーボール部は部員6人。単独で公式戦に出場できるぎりぎりの人数ですが、抜群のチームワークで球磨選手権大会2連覇など実績を残してきました。多良木高校単独チームで出場できる喜びをかみしめ、目標のベスト16進出を勝ち取ってほしいと期待します。

 アーチェリー部は女子部員2人。2人で日頃から黙々と練習を重ねています。先輩の中には世界選手権出場者もおり、本校において小さくともキラリと光る存在の部活動です。競技人口は少ないですが、自ら選んだ競技に誇りを持ち、集中と忍耐で自己記録更新を期待します。

 体育系部活動の皆さん。この2年余り、部活動と学習の両立で悩んだこともあったでしょう。技量や記録が伸びずスランプに陥ったこともあったでしょう。それらの苦しい経験があったからこそ、今の皆さんがあるのです。皆さんは多良木高校のアンカーとして輝いているアスリートたちです。



   体育系部活動を励ます(5月12日 体育大会)

 

福島からのお便り

福島からのお便り


 「 福島民報の投稿をいくつも読ませていただきました。

   福島県に来ていただいて ありがとうございます。

   福島県に想いを寄せて下さって ありがとうございます。

   一言、お礼をお伝えしたく思いました。

    福島市の一主婦より                 」


 先日、「福島市の一主婦」の方から丁重なるお葉書を多良木高校は頂きました。本校は昨年度まで4年間、修学旅行で福島県を訪ね、震災学習とスキー研修を行いました。
二本松市の岳温泉、安達太良山スキー場、いわき市のアクアマリン、羽鳥湖のスキー場等、様々な場所を生徒たちと4年間巡りました。どこを訪ねても、山も海も麗しく、人情厚く温かいおもてなしを受けました。

 今年1月末、2年生67人で訪れた修学旅行において、予定より遅く到着した福島コミュタン(三春町)では閉館時間を延長して御対応いただきました。二本松市岳温泉の旅館の夕食は大変な御馳走で、福島の食材のおいしさを実感しました。女将さんの震災講話は、体験者しか語れない迫真の内容で生徒の胸を揺さぶりました。この修学旅行が本校として最後の修学旅行となりました。

 この4年間、福島で生徒たちは多くのことを学び、そして豊かな体験ができました。その感謝の気持ちを福島県民の方々にお伝えしようと生徒達は修学旅行のお礼の文章を書きました。それらを福島民報に送ったところ、その中から数編が新聞の投稿欄で紹介されたと聞きました。「福島の一主婦」の方はそれをご覧になったのでしょう。県民の方々に生徒の思いが届いたのです。

 福島県の先人の方々は、150年前の歴史の転換期において節義を貫かれ、苦難を乗り越えられました。そのことに深く敬意を表します。東日本大震災発生から7年が過ぎましたが、未だに帰還困難区域が残り、復興は道半ばであることに胸が痛みます。しかし、大震災と原子力発電所事故という現代の危難に対しても、県民の皆様はきっと克服していかれるものと信じております。

 多良木高校が修学旅行に行くことはもうありませんが、福島県の未来への期待とこの4年間の感謝の気持ちを込め、重ねて御礼申し上げます。

      
          「福島コミュタン」見学風景(平成30年1月16日)


 

 

笑顔と涙のフィナーレ ~ 最後の体育大会をやり遂げた生徒たち

笑顔と涙のフィナーレ ~ 最後の体育大会をやり遂げた生徒達 


  「飛ぶ飛ぶ雲が  青春の雲が  青く連なる  市房山の

   尾根の起伏を  雲が飛ぶ   薫れ石楠花(しゃくなげ) 
   輝け霧氷
  讃(ほ)めよ  多良木の   若き生命を」 


 多良木高校生徒歌の一番の歌詞です。この生徒歌は毎年体育大会の閉会式で歌います。5月12日(土)の多良木高校最後の体育大会のフィナーレは、この生徒歌合唱でした。日焼けした67人の生徒たちが肩を組み、ある者は笑顔で、ある者は感極まって涙目で歌いました。生徒全員、その胸中は「自分たちで最後の体育大会をやり遂げた」という達成感、成就感に満たされていたことと思います。

 閉会後、「最初の入場行進から涙が出ました」、「体育大会を見て泣いたのはじめて」、「感激で涙がとまらなかった」と多くの保護者、同窓及び地域の方々が体育大会の感想を述べられました。生徒たちが一生懸命に競う姿、ひたむきに演じる姿が観覧の方々の胸を打ったのでしょう。広いグラウンドで躍動する高校生の姿を来年は見ることができません。最終年度、多良木高校の伝統の活力を発信し、多くの方々に元気を届けることができたと思います。そして、永い間、学校を応援し協力してくださった地域への恩返しにもなったのではないかと思います。

 午前中最後のプログラム「キラリ輝く多高生」(集団演技)では、男子のたくましい体操、女子の軽快なダンス、そして体育コース生徒の高い身体能力によるパフォーマンスと続き、ラストでは全生徒が白い晒し布を使い「一生多高生」の文字を浮かび上がらせました。意表をつかれた演出で鮮やかでした。さらに赤団、青団の両団長が多良木高校のアンカーとしての決意を表明しました。

 この2年余りの生徒の成長を目の当たりにして、「皆さん、ご覧ください。この生徒たちが多良木高校96年のアンカーです。」と胸を張りたい思いにとらわれました。

 


 

 


 

最後の体育大会 ~ テーマ「一勝懸命 ~ Final Lap」

最後の体育大会 ~ テーマ「一勝懸命 ~ Final Lap

 
   多良木高校第68回体育大会を5月12日(土)に開催しました。市房山をはじめ九州山地の鮮やかな山並みを背景とした本校グラウンドにおいて、生徒達が躍動する姿はまことに眩しく、観る者の胸に迫りました。多良木高校67人の最終走者(アンカー)は見事に自分たちの力で体育大会をやり遂げました。そのことを私は誇りに思います。

 開会式における校長挨拶を次に掲げます。


 「風薫る五月晴れのもと、熊本県議会議員 緒方勇二様、多良木町町長 吉瀬浩一郎様をはじめ多くのご来賓、保護者、同窓及び地域の方々に御臨席いただき、また、主催者側として熊本県教育委員会の宮尾千加子教育長、那須高久高校教育課長に御観覧いただく中、熊本県立多良木高等学校第68回体育大会を開催できますことを、皆さんと共に喜びたいと思います。

 多良木高校は平成31年3月をもって閉校します。大正11年の創立以来、綿々と引き継がれてきたバトンが、最終走者である今年度の3年生に渡りました。この67人のアンカーが多良木高校のゴールに向かって、今、走っています。最終年度の本校のテーマは『ゴールに向かって、挑戦!』です。

 生徒の皆さん。皆さんは『自分たちの力で最後の体育大会を創り上げたい』との熱い思いで、生徒会を中心に準備や広報に取り組むと共に、各競技・種目の練習を重ねてきました。今日はこのように大勢の方が来校されました。生徒の皆さんが輝く日です。そして、日頃から本校を応援してくださっている地元住民の方や交流のある保育園の園児たちとの合同競技も楽しみです。
    今日の体育大会はきっと笑顔と歓声あふれるものになることでしょう。 

 結びに、ご観覧の皆様に、生徒達に対するご声援を心からお願いして、開会の挨拶といたします。」


 

 

1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝!

1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝! 

 熊本県の県南地域の高校24校が参加して行われた第49回城南地区高校野球大会で多良木高校が優勝を飾りました。4年ぶりの快挙です。4年前は、投手の善君(現 東芝)と捕手の中村君(現 法政大)のバッテリーを中心とした強力チームでした。今年度は多良木高校最後の学年であり、3年生のみの選手18人とマネージャー6人の24人という少人数です。しかし、平野主将を中心にお互いが支え合い「多良木の意地と誇り」を合言葉に練習を重ねてきた成果が、この城南大会で表れたのです。優勝までの軌跡は次のとおりです。

 2回戦 秀岳館高校  1 対 0

 3回戦 八代高校   3 対 2(延長10回)

 準決勝 小川工業高校 1 対 0

 決 勝 八代東高校  2 対 1

 全ての試合が1点差という接戦の連続でした。実力伯仲でまさに勝負は時の運、紙一重の互角の戦いで、どちらが勝ってもおかしくない好試合ばかりでした。多良木高校は一人がミスをしても他の者がカバーして失点を防ぎ、少ないチャンスを生かすという高校野球の基本のような試合を展開しました。接戦になればなるほど百戦錬磨の名将である齋藤監督の采配が冴えわたりました。

 4月29日(日)、県営八代球場で行われた決勝戦は左腕の宮本君が7回まで1失点の好投、そして8回からエース古堀君が登板、8回裏に逆転して1点差の勝利でした。今大会を象徴する「守って勝つ」試合でした。1点差という緊迫した連戦を勝ち抜いた選手の精神力を称えたいと思います。

 僅か1点差。しかし、そこに勝敗の明暗が分かれます。毎試合、大勢の応援が多良木高校側のスタンドを埋めました。保護者、同窓生、地域の方々の熱烈な応援の力が、グラウンドの選手の可能性を最大限に引き出してくれたのだと思います。


 

 

 


最後の五高校体育大会 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

最後の「五高校体育大会」 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

 4月27日(金)、爽やかな快晴のもと、人吉球磨地区合同体育大会が開催されました。これは、この地区の五つの高等学校(人吉、球磨工業、球磨中央・球磨商業、南稜、多良木)の体育系部活動の対抗試合であり、会場は各高校をはじめ人吉市スポーツパレス、山江体育館等で行われます。多良木高校では、陸上競技とバレーボールが開催されました。本校が今年度で閉校するため、来年度からは通称の「五高校大会」ではなくなります。本校のグラウンドで行った開会式における校長挨拶を次に掲げます。

 「平成30年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。

春の季語に『山笑う』という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。

 皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。多良木高校は平成31年3月をもって閉校します。遠く大正11年創立以来、綿々と引き継がれてきたバトンが、最終走者である今年度の3年生に渡されました。この67人のアンカーが多良木高校のゴールに向かって、今、走っています。最終年度の本校のテーマは『ゴールに向かって、挑戦!』です。高校生には『挑戦』という言葉がよく似合うと思います。

 多良木高校で行われる最後の人吉球磨地区合同体育大会です。親しまれてきた『五高校大会』という通称も来年度から使われることはありません。時の流れと共に人も風景も変わっていきます。しかし、今日、この多良木高校で、勝利に向かって、記録に向かって挑戦する皆さんの姿は、いつまでもお互いの心の中に残ることでしょう。

 今日の大会が、参加した全ての生徒の皆さんの記憶に永くとどまることを念じ、開会の挨拶といたします。」


 



15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

 「IT用語は全くわかりません。基礎から学びたい。」、「パソコン初心者です。もっと上達したい。」など15人の方がそれぞれ受講の動機を語られました。皆さん学ぶ意欲に満ち溢れておられます。4月25日(水)午前、科目「情報処理」の社会人聴講開講式を本校で行いました。これから1年間、水曜日の2限・3限の授業において、3年2組の文系1コースの生徒18人と一緒に科目「情報処理」を学習されます。

 「地域に開かれた学校」の理念のもと、今年度も科目「情報処理」の社会人聴講生を募集したところ、これまでで最多の15人の応募がありました。急速な社会のIT化に伴うコンピュータへの関心の高まりに加え、多良木高校の最終年度であるという状況も要因でしょう。受講者の中には、ご自身が、または子どもさんが本校卒業生である方が3分の2ほどいらっしゃいました。

 社会人聴講生の方の多くは中高年世代であり、物心ついた時にはすでにインターネット環境の生活であったデジタル世代の高校生とは著しい差異があります。しかし、例年、社会人聴講生の方々の存在は生徒に大きな影響を及ぼしています。先ず、その学びの姿勢です。教師の説明を一言も聞き漏らすまいと熱心に聴講され、コンピュータ操作に没頭される姿は生徒の刺激になります。そして、コンピュータ操作に関しては生徒が社会人聴講生の方を教える場面が多く見られるのですが、教えることで自分の知識不足やあいまいな点がはっきりするようで、まさに「教えるは学ぶの半ば」を生徒は体験しています。

 多良木高校は最後まで挑戦しようと「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを生徒に始業式で呼びかけました。年齢を重ねていても新たな学びの挑戦をされる15人の社会人聴講生の姿から生徒たちは大切なことを学ぶことでしょう。67人の3年生だけが在籍する閉校の年度に、15人の人生経験豊富な社会人聴講生の方に加わっていただき、学校はさらに活気が生まれます。

 聴講生の皆さん、1年間、共に学んでいきましょう。そして、生徒との交流を楽しんでください。


 


「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

 4月14日(土)、和水町体育館で県女子バレーボール選手権大会が開催され、多良木高校女子バレー部を応援に行きました。上天草高校相手に一点を取り合う白熱した試合となり声援にも力が入りましたが、惜しくも敗れました。選手6人というぎりぎりの人数での健闘に私は熱い思いに満たされ会場を後にし、同町の「金栗四三(かなぐりしそう)の生家跡」を訪ねてみました。

 和水町は2006年(平成18年)に三加和町と菊水町が合併してできました。体育館を出て菊池川を越え北に向かい、旧三加和町の中林という地区に金栗四三の生家跡が残っています。今では住む人もなく老朽化した家屋ですが、隣接して「体力 気力 努力」の文字が刻まれた石碑と説明版が立っています。 

 日本マラソン界の父と称えられる金栗四三は、この地で1891年(明治24年)に生まれました。旧制玉名中学校(現玉名高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)で学び、1911年(明治44年)の第5回オリンピックのストックホルム大会にマラソン選手として出場し、日本人最初のオリンピック選手の栄誉に輝いています。その後もマラソンで二度のオリンピック出場を果たすと共に、陸上長距離界の指導者として箱根駅伝の創設に関わるなどの足跡を残しました。後半生は熊本県に帰り、1983年(昭和58年)に玉名市で亡くなりました。

 今、金栗四三が脚光を浴びています。来年度のNHK大河ドラマの主人公に決まり、すでにその撮影がスタートしています。生家跡周辺には幟端が立ち並んでいましたが、当日は小雨が降っていたこともあり、見学者は私一人でした。里山に囲まれた静かな集落で、金栗四三が生まれ育った明治時代半ばと風景があまり変わっていないのではないかと思えます。金栗四三の座右の銘である「体力 気力 努力」の力強い言葉を目にし、約130年前にこの地から一人の韋駄天が走り出したことを思うと胸に迫るものがあります。

 なお、あまり知られていませんが、金栗四三は東京高等師範学校を卒業後、地理の教師として働きながらマラソン選手として活躍しています。体育ではなく地理の教師だったのです。海外のオリンピック大会に出場することは、地理の教師として世界を実際に見る絶好の機会だったことでしょう。


 


             金栗四三の「体力 気力 努力」の石碑と生家跡

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

 多良木高校にとって最終年度が始まりました。平成30年4月9日(月)の1学期始業式には本校のアンカー(最終走者)となる3年生67人が全員出席。「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを掲げて本校は動き出しました。そして午後、NPO法人「カタリバ」によるキャリア学習活動プログラムの「カタリ場」を3年生全員が第1体育館で実践しました。

 「カタリバ」は2001年から全国的に活動している教育NPO法人です。特に中、高校生に対して、教師や保護者の縦(タテ)の関係でなく、同級生や友人の横(ヨコ)の関係でもない、少し年上の大学生という斜めの関係の対話を通したプログラムで、進路意識に火を点す「カタリ場」という学習活動を展開していることで知られています。まだ本県では実践例は少ないのですが、私はかねてからこのプログラムに関心を持ち、カタリバ熊本支部の方との協議や昨年9月に実施された益城中学校での「カタリ場」の見学を通し、先輩も後輩もいない最終学年の始業式の日に狙いを定め、実施することにしたのです。

 今回は、北九州のカタリバが主体となり、熊本、大分からも大学生が集まり総勢27人のスタッフが前日には来校され、本校のセミナーハウスで合宿し事前研修をされました。そして、4月9日(月)午後1時にプログラム開始。第1体育館で生徒たち2人~3人にスタッフ1人が付かれ、「今の自分の生活の満足度」、「今頑張っていること、挑戦していること」、そして自分の「良いところ、もっと伸ばしたいところ」等を語り合いました。さらにグループに分かれ、「先輩の話を聴く」コーナーへ移動します。中学の時にいじめられた、高校では目標がなく無気力だった等、大学生が自らを率直に語る体験談に真剣に聴き入っていました。

 約2時間、「カタリ場」において、自分自身のこと、そして将来のことを真剣に生徒たちは語り合うことができました。「カタリバ」スタッフの方々の周到な準備と熱意が生徒の気持ちを引き出してくれたのです。プログラム終了後、体育館を退場する生徒たちの表情は何かすっきりしていて、輝いていました。「3年生になったなあ」と私は感じました。これからの成長が楽しみです。

           

  
              「カタリ場」で大学生と語り合う3年生

 

 

Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし

ever ending challenge ~ 挑戦に終わりなし


 熊本県立多良木高等学校にとって最後の年度が始まりました。平成31年3月をもって本校は96年の歴史を閉じます。遠く大正11年の創立以来、引き継がれてきたバトンが最終走者(アンカー)の3年生67人に渡されました。

 このアンカーを走る生徒たちは、閉校するとわかっていながら、「それでも多良木高校に行く」と2年前に入学してきてくれました。彼らの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」を行い、「多良木高校でしかできない特別な体験」を通して充実した高校生活を送ることができるよう、教職員一同、使命感をもって取り組んでいきたいと思います。

 「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを年度当初に掲げました。多良木高校は、生徒も教職員も最後まで挑戦する姿勢で臨みます。閉校という重い定めに対して、同窓生や地域の方々には無念の思いや失意、そして喪失感が渦巻いていることでしょう。学校の歴史には終止符が打たれます。
 しかし、この最後の学年の生徒たちには無限の未来が待っています。多良木高校閉校の1か月後には元号が変わります。平成に代わる新しい時代において、アンカーの生徒たちは間違いなく主人公になっていくのです。彼らの挑戦はゴール(閉校)を越え、その先の未来まで続いていきます。
ever ending challenge(挑戦に終わりなし)です。

 最後の年度、県立学校教職員22人、PTA団体任用職員1人、同窓会委託売店職員1人の計24人で、67人の生徒を支援します。これまで応援してきてくださった地域の皆様への感謝を胸に、生徒と教職員が一体となって全力疾走していきたいと思います。

 最終年度において、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 




「くま川鉄道」に乗ろう

 

「くま川鉄道」に乗ろう 


 今、「くま川鉄道」の沿線は春爛漫です。散り始めた桜と目に眩しい黄色の菜の花が車窓を彩ります。「くま川鉄道」は球磨川に沿って、ゆっくりした速度で落ち着いた感じで走ります。春のローカル列車は趣があると思います。

 「くま川鉄道」は人吉・球磨地域にはなくてはならない公共交通です。JR肥薩線と人吉駅で接続しており、人吉温泉駅から人吉盆地の東端にあたる湯前駅(湯前町)まで約25㎞を結んでいます。平成元年から人吉球磨地域の市町村と民間会社の出資による第3セクター方式で運営されていますが、もともとは旧国鉄の湯前線で、大正13年に開通した歴史があります。乗客の8割は通学する高校生だと云われ、本校の生徒の内、およそ4分の1が列車通学です。この人吉・球磨地域にある五つの県立高校はいずれも「くま川鉄道」の駅から徒歩10分以内に位置しており、安定した鉄道運行が通学に大きな役割を果たしていることを私は赴任以来実感しています。

 普段は自動車に頼っている生活ですが、人吉市での会合や県立学校での会議の際には私も努めて「くま川鉄道」に乗るようにします。乗車する度に発見があり、情趣を覚えます。例えば、「くま川鉄道」の線路はほぼ一直線となっています。球磨川に沿って人吉盆地を西から東へ伸びた路線であり、気持ちが良いほど真っ直ぐな線路が続いています。また、「田園シンフォニー」と呼ばれる観光列車の車両が通勤通学時間帯にも運行しており、木材を使用した温かみのある車内で寛ぐことができます。「観光列車で通学できるなんて、君たちは幸せだよ。」と列車通学生にはよく話をします。また、歴史ある路線で、古い駅舎、鉄橋等が幾つも残っています。特に、湯前駅は大正13年の開業以来、変わらぬ佇まいを見せています。

 学校を支えてくれている大事なインフラ(社会基盤の施設)であると共に、「くま川鉄道」には物語があり、この人吉球磨地域には欠かせない豊かな風景の一部となっているのです。大人の皆さんも時には「くま川鉄道」に乗車し、心地よい揺れに身をまかせ、故郷の四季の情景に浸ってほしいと願います。
     
               
          まっすぐに伸びる線路(多良木駅付近から湯前方面)


湯前駅駅舎(大正13年築造)
 

 


 


「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式

       「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式 

 桜満開の3月28日(水)、多良木高校では教職員の転退任式を行いました。平成30年度熊本県教職員人事異動に伴い、本校から3人の教諭が転任、そして3人の常勤講師が今月で本校を退任して4月から新たな学校で勤務することになりました。人事異動は私たち県立学校に勤める職員にとっては定めです。生徒と共に感謝と惜別の思いで見送ります。

 転退任の6人の職員の皆さんに、私はJR肥薩線「真幸駅」の入場券を贈りました。JR肥薩線の人吉駅から鹿児島県吉松駅までの通称「山線」と呼ばれる区間は、県境の険しい山岳地帯を越えるため今や全国でも珍しい回りながら山を登るループ線や急勾配を折り返しながら登るスイッチバックが残り、明治の終わりころの古い駅舎が今もその佇まいを見せ、鉄道ファンにとっては聖地のようなところです。

 人吉駅を出発すると、大畑駅、次に矢岳駅、ここまでが熊本県で、宮崎県に入って真幸(まさき)駅に到着します。明治44年築造の宮崎県で最も古い駅舎が山の中にあります。真の幸せと書いて真幸と読みます。駅名にちなんで、幸せの鐘がホームにあります。ここの入場券は、「真の幸せに入れる」ということで人気があります。周りに集落のない無人駅ですが、観光列車が止まる時には客室乗務員等が対応されて入場券を購入できるのです。
 この3月でJRの列車の本数がさらに削減され、人吉から吉松方面へ行く列車は観光列車を含め一日に3本しかありません。先週の土曜日に人吉駅午前10時8分発の観光列車「いさぶろう号」に乗り、真幸駅に行ってきました。入場券一枚たった160円ですが、肥薩線に乗って求めてきたという私の思いを込め、転退任の皆さんに贈りました。

 送別の歌として名高い「蛍の光」の歌詞の1番の最後に「さきくとばかりうとうなり」とあります。「どうかお幸せにと願い 歌います」という意味でしょう。6人の職員の皆さんには、真の幸せの「真幸駅」の切符を手に、次の学校に向かって元気に旅立ってほしいと願います。


「ちはやふる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ

「ちはやぶる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ 

 「ちはやぶる かみよもきかず たつたかわ」の上の句が読まれ始めたとたん、 即座に「からくれないに みずくくるとは」の下の句を生徒たちは取り合いました。さすがに高校生はこの在原業平の歌には敏感に反応します。「ちはやふる」という少女漫画(コミック)が人気となり多くの若者に読まれ、映画化もされて話題となっています。百人一首による競技カルタに打ち込む高校生の青春ドラマが描かれているそうです。

 3月20日(月)、生徒会による企画で、多良木高校としては初の試みとなる百人一首のクラスマッチを行いました。現在、本校は2年生の2クラス67人が在籍ですが、クラスごと9チームをつくり、各試合に3人が出場、他に1~2人が審判役を務め、9試合同時展開の全員参加型の競技カルタに興じました。

 競技カルタに取り組んでいる百人一首クラブや同好会がある高校は県内で公私立合わせ10校ほどあると思います。県高校総合文化祭で競い合い、全国高校総合文化祭の全国大会に出場します。文化部ですが、競技はまるでスポーツの試合のような気迫と緊張感が漂います。

 しかし、本校の生徒の場合、「ちはやぶる~」のように覚えている歌は少ないようで、お手つきも多く下の句の札をなかなか取ることができず、笑いや歓声の絶えないクラスマッチとなりました。1組と2組とそれぞれクラスはありますが、67人全員がひとつの大きなクラスのようなものであると感じた、今日のクラスマッチでした。

 「百人一首」は今から800年前の鎌倉時代初期に藤原定家が編纂しました。7世紀の白鳳文化、8世紀の奈良時代、そしてその後の平安時代から合計100人の優れた歌人の代表的な歌一首を選び時代順に並べたのです。1番は天智天皇、2番は持統女帝、3番は柿本人麻呂と続きます。天智天皇や持統女帝などは7世紀、600年代の半ばの人です。21世紀初頭を生きている私たちは、およそ1400年前の歌に親しんでいることを考えると、言葉の永遠性に気付かされます。


 


「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力

「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力


 ◇ 「夢は必ず叶う。諦めなければ。」

 ◇ 「絶対に失敗しない人というのは何も挑戦しない人のこと。」

 ◇ 「ピラミッドは頂上から作れない」

 ◇ 「チャンスはピンチの顔をしてやってくる。」

 ◇ 「私の夢は○○○です。」から「私の目標は○○○です。」へ


 これらの言葉は、3月14日(水)に多良木高校で行われた進路講演会で、ボンボ藤井さんが生徒に熱く語りかけられたものです。ボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは心を大いに揺さぶられました。

 ボンボ藤井さんはウクレレ奏者・指導者、ラジオ放送のDJ、テレビCM制作などのサウンドクリエーターとして県内外で活躍されている方です。経歴は異色で、工業高校で学ばれ自動車会社に就職、その後、自動車修理工場を経営されていたのですが、大怪我を転機に「音楽に関わる仕事をしたい」という少年の頃からの夢を実現されたのです。

 「あなたの夢は?」というテーマのもと、ウクレレの演奏、CM作品(動画)の紹介、そしてアシスタントの木下もえさんと共にラジオのDJ形式で生徒と対話するように進行され、90分が瞬く間に過ぎたような感じでした。軽妙な語りで聴く者を引き付けながら、時に情熱をもって語られるボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは魅了されたようです。また、使ってはいけない言葉として、「うざい」、「きもい」、「意味わからん」等の具体例をあげられ、これらの言葉は何より他者が聴いて不愉快であり、決して前向きになれないものだと生徒たちを厳しく戒められました。

 将来に向かっての生徒の進路意欲に火を点けてくださった講演は、次の言葉で締めくくられました。

 「さ、次!」

 常に前向きに挑戦を続けるボンボ藤井さんの姿勢を象徴する言葉です。

 

 


 

「みんなで見たい景色がある。」

「みんなで見たい景色がある。」

100回全国高校野球選手権大会キャッチフレーズコンクール 

 
 今年の夏、甲子園球場で開催される全国高校野球選手権大会は節目の第100回を数えます。1915年(大正3年)に全国中等学校優勝野球大会として始まり、途中、戦争での中断を経て100回大会となります。このことを記念してキャッチフレーズコンクールを主催の朝日新聞社が全国の高校生に呼び掛けられました。本校では2学期の国語科「現代文」の授業において、生徒達がそれぞれキャッチフレーズを作り、応募しました。先般、その選考結果が発表され、応募総数11565点の中から100点の優秀賞が選ばれ、本校生2人の作品が入ったのです。

 
 「みんなで見たい景色がある。」

 2年2組の嶋村一馬君の作品です。嶋村君は野球部員で、甲子園出場を目指して日々厳しい練習に励んでいます。夢の甲子園球場のグラウンドに立ち、どんな景色が見えるのかを想像しながら創り上げたそうです。

 
 「歴史をつなぐ100回目の夏」

 2年1組の荒川岬君の作品です。荒川君は陸上部員で短距離の選手です。自らは野球をしていませんが、同じアスリートとして野球部員を応援する気持ちで創ったそうです。多良木高校は96年の歴史で閉校になることから、「歴史をつなぐ」という言葉が思い浮かんだと語っていました。

 
 朝日新聞社熊本総局の西田慎介総局長が3月12日(月)に来校され、2人の生徒に対し、賞状と楯、記念品等を授与して頂きました。

 2018年夏の第100回全国高校野球選手権大会は、来春96年の歴史を閉じる多良木高校にとっては、最後の挑戦の大会となります。みんなで行きたい特別な場所です。


               朝日新聞熊本総局の西田総局長と受賞の二人

 

 

生徒に負けない元気 ~ 教職員サッカー大会

生徒に負けない元気 ~ 教職員サッカー大会出場 

 伸び盛りの活力ある高校生と共に過ごし、教育的情熱をもって教え導いていく役目を担う私たち教職員は、先ず元気でなければなりません。「いつも笑顔で仕事をしてほしい」と職員の皆さんには声を掛けています。教職員が生き生きとしている姿を見せることは、生徒達にきっと良い影響を与えると信じています。

 多良木高校は小規模校ですから教職員も二十余名と少人数ですが、秋の高校教職員ハンドボール大会と冬の高校教職員サッカー大会には毎年出場してきました。今年のサッカーは人数的に難しいかなと思っていましたが、サッカーが専門の体育科の中山教諭が、「今年はミニサッカーですから7人いれば大丈夫です。女性の先生に入ってもらってでも出たいです。」と提案してくれ、学校として出場を決めました。

 3月3日(土)、会場は阿蘇市黒川のフットサル場で県高校教職員サッカー大会が開かれ、多良木高校教職員チームは今年も出場しました。選手は男性職員6人と女性職員2人、そして監督の私の計9人というぎりぎりの人数です。しかし、多良木高校の意地と誇りでは生徒に負けないとの思いで挑戦しました。頼みの中山教諭は制限選手ということでセンターラインより先には攻めることができず守備専念ですので、他の体育科の上原教諭、富﨑教諭に期待が高まります。女性の七田教諭と緒方教諭は交互に出場し、相手ゴール前に張り付いてシュートを狙う作戦を立てました。

 1試合目は先制するも逆転され1対4で敗戦。しかし、多良木高校教職員チームの戦意は却って高まり、2試合目の東海大星翔高校戦は、全員が声を出してよく走り、相手を圧倒し5対0の快勝でした。練習をしていないにも関わらずの大勝に驚くとともに、スポーツの醍醐味を満喫して笑顔で球磨郡に帰ってきました。多良木高校教職員のチームワークによる大きな勝利でした。

 小さくても活気ある学校、多良木高校。その活力の源は教職員のエネルギーなのだと気づきました。


              攻め込む多良木教職員チーム(白いユニホーム)

最後の学年へのバトンリレー

最後の学年へのバトンリレー 

 平成29年度が始まる時、1年生がいない2、3年生在籍の前例なき期間に入るという不安を抱えていました。しかし、学校生活がスタートすると3学年そろっていた昨年度までと変わらない活気が校内にあふれ、例年通りの学校行事を全て実施することができました。さらに、PTAの特別のご配慮により、初夏には阿蘇への防災研修旅行、そして2月には福岡市のキャナルシティ劇場へのミュージカル鑑賞旅行を実現でき、充実した年度だったと思います。これも、3年生がリーダーシップを発揮し2年生をよく引っ張ってくれたお蔭だと考えています。

 2月末に学校評議員さんと3年生の4人の代表生徒との懇談の場を校長室で設けました。多良木町商工会代表、町立中学校長、同窓会役員さんなど5人からなる学校評議員さんから、高校3年間を振り返っての思いやこれからの夢などについて質問があり、生徒達は落ち着いて自分の考えを述べていました。そして、学校評議員さんから「最後に何か言っておきたいことはありませんか?」と尋ねられると、代表生徒たちは口をそろえて「後輩たちが残ります。最後の学年なので、どうか応援をよろしくお願いします。」と言いました。後輩の2年生たちへの気遣いある言葉に胸を打たれました。

 3月1日(木)の多良木高校卒業式において、卒業生代表(前生徒会長)の福田空希君が立派な答辞を述べました。一つひとつの言葉に思いが込められたもので、聴く者を引き込む力がありました。答辞の最後に福田君は次のように述べて結びました。

「後輩の皆さん、私たちは卒業しても多良木ファミリーとして可能な限り学校へ出向き多良木高校を応援します。後輩のみんなは、私たち以上に力があると信じています。」

 遠く大正11年から始まったバトンリレーはこうしてアンカーにしっかりと渡されたのです。

          
           答辞を読む卒業生代表の福田空希君

旅立ちの日に ~ 第70回卒業証書授与式

旅立ちの日に ~ 第70回卒業証書授与式 

 平成30年3月1日(木)、夜半の雨も朝方には上がり薄日も射しはじめる中、午前10時から多良木高校「第70回卒業証書授与式」を挙行しました。

 卒業生67人、一人ひとりの氏名を読み上げながら、手漉き和紙の卒業証書を壇上で手渡しました。笑顔、涙顔、緊張した顔、恥ずかしそうな顔と様々な表情を見つめていると、この三か年を思い起こします。豊かな可能性を秘めた高校生の力を十分に引き出すことができたのか、開花させることができたのかと自問すれば、内心忸怩たる思いになります。もっと多良木高校ならではの教育、今の多良木高校だからこそできる教育が十分にできただろうかと反省の念にかられます。

 しかしながら、前途洋々の若人の姿に接していると、きっとこれから飛躍、成長していってくれるだろうとの希望に包まれます。人生の新しい段階へと進む瞬間の初々しさが、人を輝かせます。

 大人にならないとわからないことがあります。一方、大人になってしまったら、わからなくなることもたくさんあるのです。卒業生の皆さんが今持っている瑞々しい感受性、正義感、理想を失わず、学び続けてください。 

 自分たちで選んだ式歌「旅立ちの日に」の歌声を響かせ、3年生67人は最後の学年にバトンを渡し、多良木高校を卒業していきました。

 「今始まる 希望の道     今日までありがとうね

  思い出の校舎と別れを告げ  今新たな 扉開き

  はるかな年月経て      つぼみから花咲かせよう

  つぼみから花咲かせよう」  

                      (作詞・作曲 川嶋あい) 


 

 


最後の授業 ~ 皆さんは主権者です

最後の授業 ~ 皆さんは主権者です

 3年生は1月末の卒業考査を終えると2月は原則家庭学習期間に入り、自動車学校に通ったり、進学先からの課題の勉強に取り組んだりするのですが、数日は登校日を設け、校外から専門家を招いて「最後の授業」を設けています。税理士さんによる租税教育、八代年金事務所の方による年金の知識、そして2月20日(火)には熊本県選挙管理委員会事務局の担当者の方に来校していただき、「選挙を考えよう」という出前授業を実施していただきました。

 18歳選挙権が導入されて2年がたちました。今の3年生の中には昨年秋の衆議院議員選挙を経験した者もいて、選挙への関心は高いと思います。しかし、主権者になったということは選挙権があることにとどまりません。身近な暮らしの中に疑問を持つことから始まり、地域社会、国、そしてグローバルな問題にまで、広く当事者意識を持つことが求められると思います。3年生のおよそ4割が卒業後は就職します。所得税や住民税等を負担するからには、より社会の中の一員であることを自覚してほしいと期待します。

 わが国は「国民主権」です。自分の一票くらいでは何も変わらないと思うかもしれませんが、18歳の皆さんも、55歳の校長の私も、そして総理大臣も同じく一票しか持ちません。王様や貴族のような特権階級が国や社会の在り方を決めるのではなく、私たち一人一人が選挙を通じて選んだ代表者に委任する間接民主主義、議会制民主主義の国です。議会では異なる意見の持ち主、政党が対立して、その調整には時間がかかります。手続きは面倒に見えるかもしれません。しかし、これまでの歴史の結果、この議会制民主主義を日本は選んでいます。

 自分の一票で社会を、この国をより良くしたいという意志を持ってほしいと願います。誰かヒーローが出現して問題を解決してくれるだろうと待っていても社会は変わりません。未来は皆さん達が創っていくものなのです。


            県選挙管理委員会事務局による選挙出前授業

 

 

保育園児のみなさんからの卒業生へのエール

       育園児のみなさんからの3年生へのエール
 「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」。『星の王子さま』(サン・テグジュペリ作)の有名な冒頭です。保育園児たちの健気な歌、一生懸命のダンスを見ているうちに、ふとこの一節が思い浮かびました。

 2月26日(月)午前、同じ多良木町内にある光台寺保育園の園児たち二十名ほどが多良木高校にやってきてくれました。同園の園児たちのことは、この「校長室からの風」にこれまで何度か登場していますが、日頃から様々な交流があります。先ず、本校の福祉教養コースの生徒にとって保育実習の場所です。そして体育大会の時に交流プログラムで出場してもらっています。また、光台寺保育園側からは、季節ごとの遠足で来校し陸上グラウンドを駆け回ったり、野球場の外野の芝生で遊んだりする場所になっています。さらに、園児たちの工作物を本校の玄関に展示しています。

 今回は、卒業を控えた3年生に対して、日頃練習している歌とピアニカ演奏、そしてダンスを園児たちが披露してくれました。最後に3年生と園児たちが大きな輪を作り、笑顔のダンスとなりました。大人への階段を上る高校3年生にとって、束の間、童心に返ったかのような時間になったと思います。園児たちのけれんみのない芸、無邪気な表情を見ているとまるで癒されたような気持に包まれました。

 中学校や小学校との教育活動の連携だけでなく、多良木高校ほど保育園との濃密な交流をしている高校は県内には他にないと自負できます。3月1日は卒業式です。今、本校の玄関では、光台寺保育園の園児たちと保育士さんたちのお手製のひな飾りが迎えてくれます。

              光台寺保育園児と3年生の交流ダンス

 



多良木高校玄関の園児たちの作品
 

 

課題意識を持とう ~ 県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会

課題意識を持とう ~ 県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会

 2月17日(土)に熊本大学(黒髪キャンパス)において、第8回熊本県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会が開催されました。高校生が地歴・公民科の学習を通して興味、関心を持った課題を設定し、それを調べる研究活動の発表の場です。地歴・公民の学習が知識の習得だけにとどまらず、調べる技能と態度、課題解決に向けて考える力、そして他者に説明する能力など総合的な学力を養って欲しいという教職員の願いから毎年行われています。理科(物理・化学・生物・地学)では早くからこのような研究発表大会が行われていました。遅ればせながら地歴・公民科でも人文科学の視点から調査研究に取り組ませ、根拠のある意見発表をさせたいとの高校の地歴・公民科の教員の思いから本大会が始まり、第1回大会で私は審査委員を務め講評も行いました。

 この大会に3年ぶりに多良木高校から出場するため、私も3年ぶりに会場に足を運びました。本校2年生の男子二人が、「語り継ぐ『平和』のメッセージ ~ 多良木高等女学校同窓生からの聴き取りを通して ~」のタイトルで発表しました。戦争中に女学校生活を送った卒業生の方々の記憶を聴き取り記録し、地方の普通の女学生たちの戦争中の生活を具体的に浮彫にし、改めて同窓生の方たちの平和へのメッセージを集約する内容を落ち着いた態度で発表し、頼もしく思いました。

 また、本校を含めて10校の生徒の13本の発表が行われました。研究活動はまだ粗削りですが、どの発表も高校生らしい若い感性と高い意欲が感じられ、好感を持てるものでした。高森高校の女子生徒による「有害鳥獣の食肉(ジビエ)活用の課題と展望」では、自ら狩猟免許を取得して、課題解決に向けて社会的な行動を起こすに至っています。小国高校のグループ発表では、人口減少の著しい地元の町の課題である空家対策にアイデアを提案しています。これらの課題は現在の日本の地域共通のものです。

 社会の様々な課題について、誰かが解決してくれるだろうと待つのではなく、高校生が当事者意識を持つことが大切です。「よし、この課題を解決していこう」という積極的に社会に関わっていく人材がこの大会から輩出することを願ってやみません。

           


          多良木高校生2人による発表風景(熊本大学)

 


 

城南地区駅伝大会を多良木高校で開催

熊本県高等学校城南地区新人駅伝大会
~ 多良木高校で開催 ~

 2月3日(土)、県高校城南地区新人駅伝大会が多良木高校スタート・ゴールで開催されました。男子63回、女子24回を数える伝統ある駅伝大会で、今回は男子27校、女子19校が参加しました。この城南地区駅伝大会は、八代、天草、球磨と3地区でそれぞれ3年実施の順番で開いており、昨年までは天草市本渡で行われました。今年は6年ぶりに球磨地区に担当が回ってきて、多良木高校をスタート・ゴール、あさぎり町の上総合運動公園、岡原総合運動公園の周辺を回る男子20.3㎞(5区間)、女子16.4㎞(5区間)のコースでの開催となったのです。

 来年度で閉校を迎える多良木高校としては、この城南駅伝大会をぜひ本校で開きたい、そして学校あげて関わりたいと願っていました。その思いに対し、主催者の県高体連、県教育委員会の格別のご配慮があり、本校が会場校となりました。学校としては前日を代休として2月3日(土)を登校日に振り替え、十日前から準備に取り組みました。生徒会では歓迎の手作り木製看板を作成し、正門に飾りました。書道部は、開・閉会式会場の第1体育館に大会名を力強く墨書して掲示しました。二日前には大掃除をして、グラウンド、体育館、トイレ等をすっきりした環境に整えることができました。

 当日、心配された天候も青空が広がり早春の光が射す良好なコンディションで駅伝競走大会を行うことができました。多良木町、あさぎり町の住民の方々が沿道に多数出て声援を送られる中、選手たちは懸命の走りを見せてくれました。本校も陸上部を中心に他の部からの応援を得た「オール多良木」のメンバーで男女とも出場、他の生徒たちも大会運営補助や来賓接待、応援と大会に関わることができました。

 宇土高校が強さを遺憾なく発揮して男女とも優勝し、城南地区新人駅伝大会は幕を閉じました。2年生までしか出場できないため本校にとっては最後の城南地区駅伝大会となりましたが、会場校として終日活気に満ちていた情景を永く記憶にとどめたいと思います。


 


フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の目的の一つとして、東日本大震災からやがて7年になる福島県の現状を知ることがありました。初日の午後4時半過ぎに田村郡三春町にある「コミュタン福島」(福島県環境創造センター)を訪問しました。通常の開館は午後5時までなのですが、職員の皆様のご配慮で開館時間を20分延長していただき、見学することができました。

 「コミュタン福島」は初めて訪ねましたが、360度全球型シアターをはじめ想像以上に充実した施設であり、放射線や福島県の環境問題について視覚的、体験的に学習できる内容となっています。職員の方の説明、ガイドも親切でわかりやすく、原子力に依存しない安心、安全な持続可能な社会づくりに向けた取り組みを理解できます。もっと時間をかけて生徒たちに学ばせたい研修施設だと思いました。生徒たちも興味、関心をもって見学する姿が印象的でした。

 また、二本松市岳温泉の「陽日の郷あづま館」に宿泊しましたが、夜、女将さんの鈴木美砂子さんによる震災講話を聴くことができました。地震よりも、津波による東京電力福島原子力発電所の事故による影響がいかに甚大だったかを当時の体験を通して語られました。双葉町、大熊町等からの避難民を旅館で受け入れたこと、放射線への恐怖で従業員の方が辞めて県外へ去っていかれたこと、一時は旅館廃業も覚悟したことなどの鮮烈な体験談を生徒たちも真剣に聴いていました。「東京電力福島原子力発電所の事故は、天災ではなく人災だと私は思っています。」との女将さんの言葉は重く響きました。

 「陽日の郷あづま館」の夕食、朝食は過分な御馳走を頂きました。福島県産のお米は全量全袋を対象に放射性物質検査が行われているとのことで、食の安全について徹底されていることを知りました。福島の米、食材への自信、プライドのようなものを感じる御馳走でした。

 現在でも福島県の環境や食品に関して風評被害があるようです。ネットで根拠のない私見を述べている人はきっと実際に福島を訪ねたことがないのだろうと思います。帰還困難地域を除いて、フクシマでは人々が郷土に愛着をもって健やかに暮らされています。そして、頂いた食事は格別に美味しく感じました。


 

             「コミュタン福島」で見学する生徒たち

「旅行は大変だけど、面白い」~修学旅行

 

「旅行は大変だけど、面白い」 ~ 2年生修学旅行


 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の引率をしてきました。天候にも恵まれ、予定通りの行程で全員元気に帰ってくることができました。これも生徒一人ひとりが自らの健康管理に努めた結果だと思います。最終日、鹿児島空港に降り立ち、午後5時頃に九州自動車道の「えびのSA」で解団式をしました。霧島連山が見える絶景の広場で、まだ修学旅行の興奮冷めやらぬ生徒たちに向かって、「旅行は大変だけど、面白いもんだろう?」と語り掛けると、皆が頷いてくれました。
 初日の東京から福島県二本松市岳温泉までの300㎞余りの距離をバスで約4時間かけての移動。長旅でした。二日目の「あだたらスキー場」では多くの生徒がスキーに悪戦苦闘。午後は強い雪が降り、雪国の厳しさも実感しました。三日目の東京での班別自由研修では様々なアクシデントが起きて戸惑い、混乱したようです。列車を乗り間違う、駅の出口を誤り迷う、路上の執拗なキャッチセールスに恐怖を覚える等。しかし、それぞれの班でトラブルを解決して門限の午後7時半までには全員無事にホテルへ帰ってきました。

 家庭、学校を中心とした日常生活と大きく異なり、旅行は思いもよらぬ出来事に遭遇し、予定通りに進まないことがよくあります。初めての体験、出会いも続きます。長時間の移動で身体的に疲労も蓄積するでしょう。しかし、大変だからこそ、面白いのです。大変な目に遭わないと、真の面白い体験は得られないと云えるのではないでしょうか。昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言われるのは、きっと旅は人を成長させるからだと思います。

 修学旅行期間中、私がこれまで知らなかった生徒たちの一面を知ることが多々ありました。きっとクラスメイトや親友同士であっても、お互い新たな発見があったことでしょう。修学旅行によって2学年全体の絆がさらに強まったように感じます。

 

                                   あだたら高原スキー場(福島県二本松市)

                                   


 

 


それいけ、三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

  それいけ三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

 人吉・球磨地域の急速な少子高齢化に伴う入学生徒数減少が要因で、多良木高校は来年度で閉校を迎えます。一方、今年度、南稜(校名は同じ)、球磨中央(旧球磨商業)が開校しています。多良木高校サッカー部は、秋の大会を最後に3年生が引退し2年生5人が残り、南稜高校サッカー部と合同練習を重ねてきました。今後は両校で合同チームをつくり大会に出場するのです。ところが、南稜高校のサッカー部も部員が少ないため、球磨中央高校にも声を掛け、この度の県下新人サッカー大会には南稜から5人、球磨中央から1人、多良木から5人とぎりぎり11人(イレブン)で臨みました。初めての球磨郡の三高校合同チームの誕生です。
 1月14日(日)、熊本市の熊本北高校グラウンドにて同校との1回戦でした。大規模校相手で、かつ完全なアウェー状態でしたが、三校合同チームは溌剌とプレーして大いに見(魅)せ場をつくり、応援の保護者や私たち教職員を喜ばせてくれました。リードされながらもあきらめず、後半はむしろ三校合同チームの運動量が相手を上回り、あと一歩というところまで迫りましたが、非情のホイッスルでタイムアップ。2対3の惜敗でした。最後まで勝つ気持ちで戦ったことが伝わる熱い試合で、選手たちに感謝の拍手を送りました。

 多良木高校と南稜高校はおよそ6㎞離れています。放課後、両校交互に訪ねて合同練習です。球磨中央高校は南稜高校から約10㎞離れています。三校での練習は難しく、試合でも連携不足の面は露呈しましたが、それでも三校の選手たちのファイトは衰えず走り回りました。

 お互い、高校は違えど、元は球磨郡の小学校、中学校でサッカーをしてきた仲間です。球磨スピリットとでも言うのでしょうか、泥臭くてもがむしゃらにボールに向かっていくたくましさを感じます。南稜、球磨中央には4月に新入部員も入ってくるでしょう。球磨郡合同チームが熊本市内の大規模校を倒すことも夢ではありません。朝夕、氷点下の気温が続く球磨郡ですが、そんな寒気を吹き飛ばすホットなスポーツニュースでした。


          試合終了の挨拶をする三校合同チーム(赤のユニホーム)

 

 


 

歴史の大きな流れの中で

歴史の大きな流れの中で

 今年は西暦2018年、平成30年です。歴史の面では、明治維新150年ということで注目されています。西暦1868年は元号で言えば慶応4年でした。前年の10月に徳川幕府は朝廷に政権を返上、いわゆる大政奉還を行い約260年続いた徳川幕府の時代は終わりました。そして正月3日、京都近郊の鳥羽伏見で、薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍と旧幕府軍が戦って新政府軍が勝利し時代は大きく動きます。4月には旧幕府側は江戸城を戦わずして新政府軍に引き渡し、7月には江戸は東京と名称が変わりました。9月に慶応4年は明治元年に改元されたのです。そうして一世一元の制が定められます。一代の天皇御在位の間は一つの元号とするもので、それまでは不吉なできことや大きな災害が起きると元号を頻繁に変えており、中には一年で変わった例もあります。ちなみに最初の元号は大化です。西暦645年の大化の改新で知られています。

 一世一元の制によって、明治、大正、昭和、そして平成と続いてきましたが、現在の天皇陛下は来年の4月30日に退位され上皇となられ皇太子が即位されます。平成の世は31年で終わることが決まりました。平成は私たち大人の時代でした。
 昭和天皇が昭和64年1月7日早朝に崩御され、元号が平成に変わった時、私は高校教諭2年目でした。以来30年、熊本県の教育公務員として働いてきましたが、人間一人が体験できる世界とは非常に限られたものだと実感しています。もっと広い世界がある、出会っていない多くの人がいる、私の知らない物語があることはわかっています。自分の経験などは誠に小さいものでしかありません。だからこそ、人は学び続け、本を読み、旅をして新しい扉を開けていく努力をしていくものでしょう。歴史を勉強する意義もそこにあると思います。

 私たちは誰しも歴史と言う時間の流れの中間ランナーなのだと思います。前のランナーからバトンを受け取り、次のランナーに渡していく存在としてあるのだと思います。平成という時代を大人として生きてきた私には、次の時代を生きる生徒の皆さんにバトンを渡さなければいけない責任を感じています。


          雪景色の九州山地(1月11日多良木高校からの遠望)
 

今年も挑戦の年 ~ 3学期始業式

今年も挑戦の年 ~ 3学期始まる

 1月9日(火)、3学期の始業式です。そして、生徒、職員が体育館に一堂に会し、多良木高校の1年が始まりました。冬休み中、人影が少なかった学校は実に寒々とした様子でした。しかし、こうして生徒たちが登校すると、学校は活気づきます。生徒たちは学校にとって「血液」のような存在で、生徒達が動き出すことで学校は生き生きとしてくるのです。

 年度当初から体育系部活動の生徒たちは元気です。仕事始めの1月4日(木)に出勤したところ、早朝からバスケットボール、サッカー、野球と部員たちが30人余り登校しており、寒さをものともせず練習を始める姿に若い力を感じました。1月7日(日)、県下新人バスケットボール大会が熊本市で開催されました。多良木高校男子バスケットボール部は選手9人、マネージャー1人の少人数ですが、強豪校相手に最後まで負けないという気迫で熱い試合を展開しました。来る14日(日)にはサッカーの県下新人大会が行われますが、多良木、南稜、球磨中央の初めての3校合同チームで臨みます。また、13~14日には全国で約58万人が受験する大学入試センター試験が実施されますが、本校から3年生7人が挑みます。

 今年は西暦2018年、平成30年です。現在の天皇陛下が来年の4月30日に退位され平成は31年で終わることが決まっています。新しい元号は今年中に発表されると云われています。平成はあと1年4か月で終わりますが、多良木高校もあと1年3か月で閉校です。しかし、新しい元号の時代は、間違いなく今の高校生たちが主役、主人公になります。多高生の皆さん、新しいことに挑戦して、次々と扉を開いていってください。皆さんには未知の世界が待っています。

 多良木高校は閉校の時まで新しいことに挑戦し続けたいと思います。


悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

 「卒業証書の和紙が透きあがりました。」とのご連絡を槻木の椎葉袈史さんから受け、年も押し詰まった1227日に今月二度目の槻木行きとなりました。この「校長室からの風」の12月6日版に「三椏(みつまた)の里、槻木」として紹介しましたが、槻木地域を訪ねるには細く曲がりくねった山道を走行し標高780mの峠を越えることになります。学校を出ておよそ45分で椎葉さん宅に到着。校章の鳩の透かしが見事に入った手すき和紙120枚を有難く受領しました。時間をかけての丁寧な手仕事の結晶であり、頭が下がる思いです。

 現在、槻木峠の通行は時間帯制限がなされており、帰りの時間まで少し余裕があったので、下槻木方面に足を延ばしました。下槻木は、東は宮崎県の西米良村、西は小林市須木地区にはさまれ、まさに県境の地域となります。ここには檜の一木造の弘法大師坐像(県指定文化財)を祭る大師堂があり、その境内には樹齢六百年と推定されるコウヤマキ(高野槇)や銀杏が立っています。どちらも高さ30mをこす巨樹で、その他に杉の大木も数本並び、壮観です。弘法大師像は応永19年(1412年)に制作されたことが台座に墨書されており、同じ時期にコウヤマキや銀杏も植えられたのではないかと想像できます。

 さらに、これらの巨樹の下に「悠久石」と呼ばれる巨大な丸石が鎮座しています。この「悠久石」は、平成187月の豪雨により下槻木地区の山腹斜面が崩壊し、その土砂の中から突如出現したものです。 直径140cm、重さ約4トンもの巨大な丸い石で、人工のものではなく、自然の造形美の神秘を感じます。砂岩が長い時間の中で風化浸食により割れ、流される途中で角が取れ、円形となった砂岩礫(さがんれき)と考えられるそうです。「千年の目覚め」と案内板にはありました。

 槻木は今や人口が120人余りの高齢者中心の地域ですが、大師堂の境内に佇むとこの地域の悠久の歴史に包まれる思いとなります。今年、30代前半の若い夫婦が槻木に移住してきてレストランを開き話題となりました。近い将来、休校中の小学校が再開できる日がくることを願いながら、再び峠道を越えて学校へ帰りました。


                    

                 悠久石                                                             

       右がコウヤマキ、左が銀杏、中央の杉の下に悠久石

門松を立てる

門松を立てる ~ 2学期終業式 ~

 
 多良木高校の正門に立派な門松が立ちました。1221日(木)、PTA有志の方々が朝から多良木町の山に入り竹を伐り出し、一日がかりで作業をされました。最後は野球部員も手伝い、午後4時には高さ3mの門松が完成しました。

 門松は、新しい年の神様が天から降りて来られる目標(「依代」(よりしろ)と言います)となるもので、正月飾りの代表です。竹が空に向かって伸びています。冬でも枯れない青々とした常緑樹の松の枝が飾られています。春を呼ぶ梅の木の枝も供えられています。「松竹梅」の縁起物がそろっているのです。さらに、赤い実の南天やカラフルな葉牡丹も添えられていて華やかです。伝統のものには意味があるのです。これで、私たちの学校も新年を迎える準備が整いました。

 翌日の1222日(金)は2学期の終業式です。夏の盛りの8月25日に2学期は始まりおよそ4か月、様々な行事を経て終業式の日を迎え、感慨深いものがあります。終業式の校長講話では、まず、神奈川県座間市のアパートで9人もの命が奪われた事件の報道を通して、ネット世界の闇の恐ろしさに言及しました。情報モラル、そして情報を正しく取捨選択、発信できる情報リテラシーの育成は学校に大きな責任があります。

 さらに、「誤りを指摘してくれる友達はいますか?」と問いかけ、誤りを指摘してくれるような友達こそ、真の友達であることを語りました。他者からの注意、助言を素直に受け入れられるかどうかで、皆さんのこれからは変わっていくこと、心の柔軟性がある高校生はより良い方向にきっと変わっていけることを伝えました。間もなく年が変わります。自分でも気づいている欠点、短所、悪い癖などを矯正していくには絶好の節目だと思います。

 皆さん、良いお年をお迎えください。


君たちは大きな高校生

君たちは大きな高校生

~ 校内駅伝大会 ~ 

 1221日(木)、澄み切った冬の青空のもと校内駅伝大会を開催できました。学校周辺の道路を男子は4.2㎞、女子は3.5㎞走り、それを5人で襷をつなぐもので、男女混合の25チームが出場しました。気温も日中は10度を超える絶好のコンディションの中、エントリーした全選手が完走し全チームが襷を繋ぐことができ、私自身は走っていないのですが、爽やかな達成感を覚えました。

 長距離走を苦手とする生徒は多く、内心は走りたくないと思った人もいたことでしょう。しかし、次に待っている人がいる、アンカーの選手にとってはゴールにみんなが待っているという思いが、きつくとも走りぬく力になったのだと思います。いきなり長い距離は走れません。これも体育の持久走の授業の成果だと思います。準備して練習を重ねれば、全員が長距離を走ることができるようになるのです。多良木高校生の持っている大きな可能性を再認識しました。

 11月4日、熊本県高校駅伝大会が熊本県総合運動公園陸上競技場をスタートゴールにして開催され、多良木高校も男女とも出場しました。陸上部員を中心にサッカー部、女子バレー部、ソフトテニス部、野球部などから選手を集め、オール多良木のメンバーで臨み、力走を見せました。沿道の駅伝ファンから「多良木、がんばれ」の熱い声援が飛びました。多良木高校が各種スポーツ大会で健闘したというニュースが発信されることで、地域の元気につながっています。

 多良木高校は規模としては小さな学校ですが、生徒達は小さな高校生ではありません。一人ひとりが大きな可能性を有し、地域にとって大きな役割を担っている高校生たちです。そのことを私はいつも誇らしく思っています。


       

        駅伝大会でスタートする1区のランナー

スポーツが教えてくれること

スポーツが教えてくれること

~ クラスマッチ、支援学校とのスポーツ交流 ~ 

 2学期のクラスマッチ(男女ともバレーボール)を1220日(水)に実施しました。現在、2年生(2学級)と3年生(2学級)の計4クラスですが、それぞれA、B、クラスによってはCまでチームを作って臨みましたので、男子が11チーム、女子が9チームとなり、白熱したクラスマッチとなりました。男子は3年1組Aチームが優勝。本校には男子バレーボール部がないため、いったい誰がうまいのか興味を持って観戦しましたが、3年生体育コースの生徒たちが貫録を見せました。また、女子は2年1組Aチームが優勝。女子バレーボール部のキャプテンとエースアタッカ-のいるチームが他を圧倒しました。

 バレーボールが苦手な生徒も少なくありません。しかし、皆、一生懸命にプレーしており、ミスしても笑顔でかばい合い、お互い声を掛けている姿を見ると温かい気持ちに包まれます。スポーツには競技スポーツとレクリエーションスポーツの二つの面があります。勝負を競い、記録更新を目指す競技スポーツは高校生にとっては部活動の場です。一方、運動が苦手な生徒にも、身体を動かす喜び、スポーツを通した交流の楽しさを体感してもらい、生涯にわたってスポーツに親しんでいってほしいと願います。

 スポーツはコミュニケーションを促進する大きな力を持っています。本校では毎年2学期に球磨支援学校高等部の皆さんとスポーツ交流を行っています。今年も1128日に本校グラウンドでティーボールを実施しました。笑顔と歓声あふれる交流の場となりました。支援学校高等部の皆さんは、毎年このスポーツ交流を心待ちにしているそうです。その理由は、広々としたグラウンドで思い切り運動ができること、そして同年代の高校生と交流できる喜びがあるからだそうです。本校の生徒たちも自然体で一緒にスポーツを楽しんでいました。

 障がいがあってもなくても、運動が得意だろうと苦手だろうと、様々な違いはあっても人はみな対等だということを、スポーツは教えてくれます。


 


自助・共助(互助)・公助 ~ 火災避難訓練

自助、共助(互助)、公助

~ 火災避難訓練 ~ 

 球磨盆地を取り囲む山々の中でもひときわ高い市房山(1721m)が初冠雪。古くから信仰の山であり、頂上付近に冠雪した姿はより神々しく映ります。冬本番です。寒くなると火が恋しくなります。本校でも空調暖房に加え、事務室や家庭科職員室では灯油ストーブを出しています。しかし、空気が乾燥して火災の危険性も高まる時期でもあるため、毎年12月上旬に火災避難訓練を行っています。

 本年度の火災避難訓練を12月11日(月)の4時間目に実施しました。理科の実験中、化学室で火災発生の想定での訓練です。火災は恐ろしいものです。高温の炎、有毒ガスを含む煙に私たちは対処できません。日頃厳しい訓練を積まれ、そして火災に対応した装備を身に付けたプロの消防士に消火を任せるしかないのです。私たちができることは、先ず「逃げる事」、避難です。そして通報です。これが自らを助ける「自助」です。しかし、まだ小火(ぼや)程度で、自分の安全を確保したうえで、初期消火ができる場合もあります。

 全校生の避難が完了した後、上球磨消防署の消防士の方のご指導で消火器を使っての初期消火の訓練を行いました。さらにその後、本校の体育科の上原教諭、中山教諭、富﨑教諭の三人が消火栓操法を実演しました。三人の教諭は多良木高校の職員消防チームとして、11月に上球磨消防署で開催された屋内消火栓操法大会に出場しました。この大会には役場や学校、そして介護施設等の事業所など15チームが参加しました。このように現場の人たちで協力し合い初期消火に努めることが「共助(互助)」と言えるでしょう。三人の教諭のきびきびとした消火栓操法の動きに生徒たちは注目していました。

 火災や災害の際、消防署や役場など公的な救援である「公助」を待つだけではなく、その前にどれだけ「自助」、「共助(互助)」ができるのかが重要だと思います。防災避難訓練、火災避難訓練と学校行事が続きましたが、生徒たちには、この「自助」、「共助(互助)」の意識を高めてほしいというのが一番の狙いです。


 




消火栓操法を実演する体育科の三人の教諭

献血ボランティア

献血ボランティア

~ 「人間を救うのは、人間だ。」~
 

 12月8日(金)、熊本県赤十字血液センターから医師、看護師などスタッフの方が献血バス等で来校されました。多良木高校は青少年赤十字活動協力校として、毎年師走に献血ボランティア活動を行っています。先ず1限目相当時間に、後藤善隆医師から「献血セミナー」として生徒に講話を行っていただきました。

 会場の第1体育館は気温が低く冷たい環境でしたが、ユーモアを交えながらの後藤医師のわかりやすく親しみやすい語りに生徒は熱心に聴き入っていました。難病の子どもが輸血してもらうことで少しでも豊かな最期を懸命に生きる映像が流され、血液とは「命をつなぐバトン」という言葉が胸に迫りました。後藤医師が改めて、「献血」という言葉の巧みさに言及されたことも印象に残りました。自らの血液を無償で活用してほしいと誰か不特定の人にささげる「献血」という行為はまさにボランティアそのものだと強調されました。

 2限目以降、年齢や体重等の条件を満たした3年生44人が献血に協力しました。今の3年生の中には看護師や作業療法士等の医療従事者を目指して大学、専門学校に進む生徒が10人ほどいます。赤十字血液センターの看護師さんをはじめスタッフの方々の仕事ぶりに接することは生徒にとって学びの一歩となったことでしょう。

 さて、日本赤十字社のスタッフの方の名刺には「人間を救うのは、人間だ。Our world , Your move.」という言葉が印字されています。深い意味のある言葉だと感じます。国内の大規模災害現場、あるいは国外での災害、紛争地域での支援活動に率先して赴かれる日本赤十字社の方々の精神と行動に心から敬意を表します。


 


地区住民の方との合同防災避難訓練

住民の方との合同防災避難訓練 

 12月7日(木)の午後、本校としては初めて地元住民の方との合同防災避難訓練を実施しました。今年度、全ての県立高校が防災型コミュニティスクールとなったことからの取り組みです。本校が位置する多良木町六区の区長さん方と6月から4回協議し準備してきました。本校防災主任の上原教諭が区長さんと綿密に打ち合わせをして避難訓練の計画を作り、この日を迎えました。私も県から支給された防災服を着用し緊張感をもって臨みました。

 午後1時50分、地震発生を知らせる模擬音響を校内放送で流し、訓練開始です。一時避難場所の校庭に生徒は午後2時に避難完了。今回の地震が大規模であり近隣に大きな被害が出ているという想定で、第二段階に移ります。地区の公民館に避難されている住民を迎えに行く住民誘導班が車いす5台を携え出発。また、逃げ遅れている人がいないか確認する地域見回り班が5グループに分かれ出発。残った生徒と職員で第1体育館を二次避難所として設営開始し、椅子や布団、災害時用備蓄の水、乾パンを用意しました。さらに、災害時に手軽に食べられるα米の用意を女子生徒10人が調理室で行いました。

 午後2時30分頃、地区の公民館から住民の方が生徒たちに誘導されて来校。高齢の方、歩行が不自由な方の5人は生徒支援の車いすでの移動でした。そして、体育館入り口の受付で氏名を記入していただき、救護班の健康観察によって①体調良好、②体調不良、③病院搬送待機に区別し、体育館内のそれぞれのエリアに案内しました。しかし、およそ50人の住民の方々が来校されたため、この受付付近が混雑し、少し混乱が生じました。

 午後2時50分、準備ができたα米を係の生徒が住民の方、次に生徒に配布して防災避難訓練は終了。午後3時、体育館内で、訓練を視察された多良木警察署、上球磨消防署、そして六区区長の長田さんから講評があり、散会となりました。師走の平日にも関わらず、50人もの住民の方々がご協力頂いたことに深く感謝申し上げます。「高校生と手をつないで学校まで避難してきたので心強かった」、「高校が近くにあることは頼もしい」等の感想を住民の方からいただきました。初めての試みでしたが、所期の目的は達成できたと感じました。多良木高校は、閉校まで地域と共に在り続けたいと思っています。

      
        住民の方にα米を手渡す生徒たち

 


三椏(みつまた)の里、槻木

三椏(みつまた)の里、槻木(つきぎ) 

 多良木高校の卒業証書は三椏(みつまた)を原料とした手すき和紙で作られています。今年度の卒業証書の和紙製作の依頼に、多良木町槻木(つきぎ)地区を訪問しました。槻木地区は多良木高校から南におよそ20㎞離れたところにあります。多良木町の南の端に当たり、地図で見るとこの地区だけが宮崎県域にぐいと入り込んでいます。槻木地区は住民が120人ほどで高齢化率は77%に達し、住民自らが「限界集落」と称される所です。

 槻木を訪ねるのは容易ではありません。県道143号を球磨盆地側から上り、曲がりくねった細い道を走行し、標高780mの槻木峠を越えなければなりません。途中、木材を積んだトラックに出合うと離合ができず、道幅の広い場所までバックしなければならず、運転に神経を使います。しかも、現在は、峠付近が工事中で、日中、通行できる時間帯が規制されているのです。けれども、訪ねる度に素朴で清らかな山里の風情に魅了されます。

 手すき和紙を作っていらっしゃるのは椎葉袈史さんです。お仕事は林業で、ご自分の山を槻木に所有されています。昨年度まで多良木町教育長を務められました。椎葉さんの手すき和紙の一番の特徴は、原料が三椏(みつまた)である点です。一般的に和紙の原料は楮(こうぞ)ですが、楮より三椏の方が上質のものができるそうです。三椏は育ちにくいとも言われますが、槻木地区の土壌や気候が合うのか、昔から自生しています。今は、椎葉さんが自分の山をはじめ植樹されており、やがて槻木は「三椏の里」と呼ばれることになるかもしれません。

 椎葉さんのご自宅の庭にも三椏が育っています。三椏は枝が三つに分かれることからその名称がおこり、高さは大人の背丈ほどが一般的で、最大でも2mくらいだそうです。ご自宅の三椏は枝ごとにちょうど蕾が付いていました。花は春先に咲くとのことです。手すき和紙作りもこれからが佳境だそうです。多良木高校の卒業証書用に、校章の鳩の絵柄を透かしで入れて頂いています。「この透かしの技がうまくいかない」と椎葉さんは笑っておられましたが、地元の三椏で作られた手すき和紙の卒業証書を卒業生に手渡す日が待ち遠しく思われます。

          椎葉袈史さんと三椏の木(左肩後方)

 

事故の怖さを実感する交通安全教室

事故の怖さを実感する交通安全教室 

 12月5日(火)、2学期期末考査最終日。この冬一番の強い寒気に球磨地域は覆われました。冷たい風が吹く中、午後、多良木高校グラウンドで「スタントマンを活用した交通安全教室」を開催しました。熊本県警察本部とJAくま(球磨地域農業協同組合)の共催によるもので、参加者は本校生(2,3年)と球磨支援学校高等部の皆さんです。高等部の生徒の皆さんは、先週も本校野球場でティボールを楽しむスポーツ交流を行っており、二週続けての来校です。

 この交通安全教室の特色は、スタントマンによる交通事故の迫真の再現です。日頃トレーニングを重ねているスタントマンだからこそできる身体を張った危険な演出となります。歩行者と自転車、自転車と自転車、自転車と自動車といった幾つものパターンによる交通事故の再現が行われ、その度に被害者役のスタントマンは身を投げ出し、道路に転倒します。迫力ある事故シーンを見学していくことで、改めて、私たちは交通事故の恐ろしさを実感していきます。そして、生徒の皆さんが事故の怖さを正面から受け止めることによって、日頃の「まあ大丈夫だろう」という甘い認識や油断を捨て、交通安全に関してより慎重に注意深くなるように変化を期待するものです。

 私たちが暮らす人吉球磨地域は、犯罪や災害が少なく、人情も厚い平和な故郷です。しかし、最も心配されるのが交通事故です。今年度、多良木町やあさぎり町で交通死亡事故が続いていることは憂慮されます。生徒たちの話を聴くと、自転車でスピードを出しすぎた時、不用意に角を曲がる時、あるいは信号のない横断歩道を渡る時など「ヒヤリ」・「ハット」の経験が多いようです。生徒の皆さん達には、絶対に交通事故の被害者に、もちろん加害者にもなって欲しくありません。

 交通事故は一瞬で起きます。事故を防ぐにはどうすればよいのか。およそ一時間半の交通安全教室は、「どんな事故も基本的な交通ルールを守っていれば防ぐことができる」というメッセージを伝えていました。


 


「本物」に恵まれた人吉球磨地域の教育環境

「本物」に恵まれた人吉球磨地域の教育環境 

 人吉球磨地域に赴任して3年が経過しますが、この地域の教育環境は誠に素晴らしいと実感しています。自然、歴史、文化など「本物」に触れ合うことができ、環境保全や文化財保護などを抽象的にではなく具体的に学ぶことができる場所だと思います。

 先般実施した強歩会では、生徒たちは文化財に指定されている観音堂や仏様(仏像)に触れ合いながら歩くことができました。鎌倉・室町の中世の建造物が今も日常風景の中に溶け込んでいる佇まいに、歴史を感じたことでしょう。平安時代の仏像が博物館や美術館ではなく、小さな集落で守られていることに先人たちが大事なものを継承してきた精神を思ったことでしょう。何しろ、この人吉球磨地域は熊本県で初めて認定された「日本遺産」の故郷なのです。

 また、8月に2年生体育コースが登った市房山は、古くから信仰の対象であり、一木一草持ち出してはならないとの慣習が伝えられてきたため、いまだに市房杉をはじめ植生、生物の多様性が維持された「宝の山」です。このような市房山の自然を次代に残すことが「自然保護」だということを生徒たちは実感したことと思います。

 今、学校教育にとって大きな問題は児童生徒の生活に広がるネット社会の陰です。小学生から高校生までネット世界に浸っていることは間違いありません。情報検索や画像、動画、音楽、ゲームにいたるあらゆるコンテンツを自由に楽しめるネット世界は便利で刺激的で、児童生徒を虜にします。しかし、情報モラルや情報リテラシーの教育が後手に回っている現状があり、ネット世界に様々な落とし穴や危険性があることへの認識が弱いと危惧しています。オンラインゲームは仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)であり、ネット上の多くのコンテンツは虚構の世界です。ヴァーチャルな世界、虚構の世界に児童生徒の意識や生活が侵されているのです。

 教育はバランスだと考えます。このようなネット社会だからこそ、学校教育は、児童生徒に「本物」を見せ、触れさせ、体験させることで、豊かな感性と考える力を育てることが重要です。自然、歴史、文化と周囲に「本物」が満ち溢れている人吉球磨地域は教育環境として最高の場所だと云えます。 


 

       強歩会でトップでゴールする班(2年1組)

強歩会

「みんなで歩く、ひたすら歩く」 ~ 多良木高校強歩会

 
 全長31㎞。多良木高校の伝統行事「強歩会」を1117日(金)に開催しました。三つのコースを三年間それぞれ歩く鍛錬行事ですが、今年のコースが最も長く31㎞を歩くことになります。朝霧の中、午前7時45分に2年生、3年生の全校生徒で校門を出発。私も最後尾から歩き始めました。

 学校から南に向かい多良木町久米地区の幸野溝沿の山麓を歩き、第1チェックポイントの中山観音堂(4.8㎞)。御本尊の聖観音像は何と平安時代前期の9世紀(西暦800年代)に造立されたものです。千二百年近くの間、先人が守り伝えてきた奇跡の仏様を拝観できました。

 さらに歩きあさぎり町に入ります。第2チェックポイントのあさぎり町岡原の宮原観音堂(7.6㎞)。今では珍しい茅葺の観音堂はおよそ500年前の室町時代後期に創られた品格ある姿です。観音堂を守っておられる地区の方々がお堂を開帳して歓迎していただきました。続く第3チェックポイントのあさぎり町上の谷水薬師(13.4㎞)。昼でも暗く深山幽谷の趣があり、古くから地元の人々の信仰を集めている場所です。そして第4チェックポイントが秋時観音堂(16.4㎞)。面長で優美なお顔の十一面観音像が出迎えてくれました。業務の都合で私はここで脱落し自動車で学校に帰りましたが、生徒たちは第5チェックポイントのあさぎり町免田の岡留熊野座神社(22.2㎞)に向かいます。

 この岡留熊野座神社の裏手の公園で生徒は昼食を取ったのですが、この頃から天気予報通り小雨が落ち始めました。無情の雨で、身体の冷えが心配されたのですが、生徒たちはここから底力を発揮しました。歌を歌ったり、お互い励まし合いながら、小雨に濡れて歩きます。第6チェックポイントのあさぎり町農協「あぐり」(25.2㎞)を経て、多良木高校を目指します。

 ゴールする生徒を正門で私は待っていたのですが、トップの2年1組男子の班は午後2時半に到着しました。そして続々と帰ってきて、最後尾の班も午後4時10分にはたどり着いたのでした。気温が低く後半は雨も降る厳しい条件の中、完歩した生徒たちのたくましさに脱帽です。「みんなで歩く、ひたすら歩く」強歩会は、生徒にとって特別な感動体験となったに違いないと思います。


           31㎞強歩会スタート
  

黄金の時 ~ 正門前の銀杏並木

黄金の時 ~ 正門前の銀杏並木

 「正門前の銀杏並木がきれいですね。」と先日、年配の同窓生の方から言われました。多良木高校の正門前には銀杏の並木があります。町道から分かれて百メートルほどの奥行の道に片側十本の銀杏樹が立ち並んでおり、今、鮮やかな黄金色に染まっています。先週から落葉をはじめていますが、毎朝、有志の生徒と職員で掃き掃除に努めているところです。晩秋の今、明るく装った銀杏並木を歩くと、豊かな実りに包まれたような気分になります。

 本校の養護教諭の毎床教諭が、熊本県教育委員会の永年勤続30年の表彰を今月受けられました。永年勤続賞は10年、20年、30年とあり、30年が最長のもので、これ以上はありません。毎床教諭は昭和62年4月に県教育委員会に養護教諭として採用されて以来、県内の7校で勤務してこられました。その内、多良木高校は二回目の勤務となり、今年で通算11年目を数えられ、教員人生の三分の一に当たります。

 養護教諭は、保健室に在って、全校生徒の健康管理を一手に担う責任の重い仕事です。受賞を全職員でお祝いするため、先日の職員会議において、三十年の教職人生を振り返ってお話をしていただきました。生徒の健康状態もこの三十年で変化してきたそうです。二十代、三十代の頃は、生徒のことで感情的になり、大変なこともあったと笑ってお話になりました。しかし、「養護教諭という仕事をやめようと思ったことは一度もありません。」ときっぱり締めくくられました。この言葉は私たち職員一同の心に響きました。

 私たち教職員の仕事には定年というゴールがあります。それを考えると寂しいような、限界を感じるような切ない気持ちになります。しかし、ゴール目指して日々全力で仕事をされる毎床教諭の姿は、十代の高校生にもきっと大きな影響を与えていると思います。

 熟成の黄金色を輝かせ、登下校の生徒を見守る正門前の銀杏並木は、経験豊かな教師像にも見えなくはありません。


ネット世界の情報モラル

   ネット世界の情報モラル ~ 「情報モラル講話」開催

 生徒と保護者合同での「情報モラル講話」を11月9日(木)午後に本校第1体育館で開催しました。講師は数学科の本田朋丈教諭です。講話に先立ち行った校長あいさつの後半部分を掲げます。

 「皆さん達の多くは、日々スマートホンを使いこなし、友達とのコミュニケーション、関心のある情報検索、あるいはゲーム等を楽しんでいる事でしょう。しかし、ツィッターやラインなどに代表されるSNSでの不用意な書き込みで人間関係がぎくしゃくしたり、ゲームに長時間熱中しての睡眠不足になったり、または安易なネット利用での個人情報流出、法外な使用料金の請求など様々なトラブルに遭った人もいると思います。インターネットはとても便利ですが、使い方を間違えると大変なことになることは皆さんも知っていますね。

 神奈川県座間市のアパートで9人もの遺体が見つかったニュースを皆さんはどう受け止めましたか? ホラー映画のような出来事が現実に起きてしまったことに今、社会は衝撃を受けています。報道によると9人の犠牲者のうち3人は女子高校生だそうです。それも、埼玉県、群馬県、そして福島県。事件現場の神奈川県から遠く離れた県の女子高校生がどうして犯人のもとに吸い寄せられるように近づいてしまったのでしょうか。これも報道によると、SNSで知り合ったということです。恐らく、犯人は仮面をかぶり、たくみな甘い嘘をならべ、女子高校生たちを誘導したのでしょう。ネット上で知り合った人と実際に会うということがいかに危険なことか、今回の事件は教えています。

 皆さん、ネット上で困ったことがあれば、一人で悩まず信頼できる大人に相談してください。ご家族、そして私たち学校、警察は連携して皆さんを犯罪から守ります。皆さん達は大人よりスマートホンの操作技能は長けているかもしれませんが、社会経験はまだまだで、危うい存在です。便利なネット世界には危険な落とし穴があることを改めて認識してほしいと切に願います。

 それでは、講話を聴き、モラルとマナー、そして正しい知識を身に付けてトラブルから身を守ってください。」



投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙

投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙   

 

 10月10日告示、10月22日投票の衆議院議員選挙における本校の有権者生徒の投票率は81.%でした。昨年導入された18歳選挙権制度によって、現在の3年生67人のうち有権者は38人います。その38人のうち投票した生徒は31人でした。内訳は期日前投票が7人、22日の投票が24人です。有権者で棄権した7人の内訳は、失念が3人、他は、理想の党がなかった、時間に間に合わなかった等です。

 本校生の投票率81.%は、全国の投票率53.68%、熊本県57.02%と比較すれば非常に高いことがわかります。昨年7月に実施された参議院選挙では85%、今年の2月実施の多良木町町長選挙では75%と本校生の投票率は高いまま維持しています。学校として取り組んでいる主権者教育の一定の成果が出ているのでしょう。

 しかし、それだけではなく、選挙に際して、ちょっとした仕掛けを行い投票につながるよう誘導しているのです。選挙告示の日に有権者の生徒に2枚のプリントを配布し、担任から選挙の意義を伝えます。1枚のプリントは選挙行動に係るアンケート用紙で、「1 投票に行った・行かなかった」、「2 いつ投票したか」、「3 なぜ投票に行かなかったのか (理由記述)」の3項目です。このアンケート用紙を投票日の翌日に担任に提出することになります。
 また、もう1枚は、「一緒に投票に行こう」という保護者への呼びかけです。「子どもさんが20歳になったら一緒に酒を飲むことを楽しみにされているかもしれません。しかし、18歳選挙権を得て一緒に投票に行くことで、子どもさんの成長を実感されると思います。『一緒に投票に行こう』をご家庭で合言葉にしていただけませんか。」という趣旨のお願いとなっています。

 2枚のプリントというささやかな工夫で、生徒の投票行動を促す効果があると思います。投票率81.6%という数値に私は誇りを覚えます。人生で最初に迎える選挙において、責任を伴う国民としての大切な権利を施行できるよう学校が後押しすること、これも教育だと思います。



杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行

杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行   

 

 晴れ渡った秋空の下、阿蘇五岳の一つ、標高1321mの杵島岳(きじまだけ)に登り始めました。登山口の草千里ケ浜がすでに標高1100mを超えており、登山初心者向きの山と聞いておりましたが、登山道は急勾配で足に負担はかかります。けれども、生徒たちの笑顔は絶えません。

 登るにつれて視界が開け、生徒たちから歓声が上がります。雄大な眺望に思わず足が止まります。煙を噴き上げる中岳の噴火口が手にとるように近くに見え、草千里ケ浜が足元に広がっています。そして、阿蘇外輪山の切れ目の立野付近の山々には、昨年の熊本地震で発生した大崩落現場を望むことができます。畏怖すべき自然の造形力が胸に迫ります。ガイドを務める阿蘇火山博物館の学芸員の方の説明に生徒たちも真摯に耳を傾け、立野の崩落現場を見つめています。テレビのニュース等で幾度も見たはずですが、実際に肉眼で見る体験は得難いものでしょう。

 およそ45分で頂上に到着。熊本地震による斜面の崩壊跡や地盤のずれが生々しく残っています。かつての噴火口跡が頂上の北側に残っています。改めて、阿蘇山は生きて活動している山であることを認識すると共に、自然の脅威を痛感しました。

 PTAと学校の共同企画の2年生阿蘇研修旅行を10月27日(金)に実施しました。テーマは「防災教育」です。熊本地震の傷跡が残る阿蘇を訪ねる研修旅行の最大の目的は杵島岳登山でした。阿蘇火山博物館から強く薦められたプログラムでしたが、実際に生徒たちと登ってみて、その価値がよくわかりました。まさに百聞は一見に如かず、です。大自然の前では人はいかに小さい存在であるかを自覚します。しかし、この大自然と共生していかなければならない定めであることも感じ取ります。深い学びの研修旅行となりました。

 山々の斜面には薄の群生の一面銀色の世界が見られます。草原ではのんびりと草を食む阿蘇の赤牛、黒毛和牛などの牧歌的風景も見られます。活火山の中岳からは悠久の煙が上がっています。熊本地震による亀裂は未だ癒えませんが、一歩一歩、人の営みと自然の力の融合で阿蘇は復元に向かっていることを感じた旅となりました。


旧白濱旅館のリニューアル

旧白濱旅館のリニューアル   

 多良木町の校長会が1026日(木)に開かれました。普通、町教育委員会主催の校長会は町立小、中学校で行われるのですが、多良木町の場合は県立学校の球磨支援学校と多良木高校も加えていただき、地域の情報を共有できる貴重な場となっています。いつもは役場庁舎で開催されますが、今回は今月1日にリニューアルされた旧白濱旅館が会場で、興味深く館内外を見学できました。

 旧白濱旅館は、明治時代に旅館として創設され、記録としては明治41年までさかのぼります。東洋大学創始者で仏教哲学者の井上円了はじめ多くの文化人に愛用された旅館ですが、中でも大正8年に来訪した九条武子の宿として知られています。「九條武子殿御旅館」と墨書された大きな木製看板が保存されていることから、いかに旅館にとって名誉なことだったか偲ばれます。

 九条武子は浄土真宗西本願寺の門主の家に生まれ、大正時代を代表する歌人としても名高い人物です。仏教婦人会活動の一環として多良木を訪問しており、白濱旅館では本館の南側に九条武子の宿泊用に増築して迎えています。人吉球磨地域は、江戸時代、相良藩の方針で浄土真宗は禁制であり、明治になって解禁されました。本願寺としても布教活動に力を入れ、九条武子が訪問することになったのでしょう。

 旧白濱旅館が立つ場所は多良木町の中心地の国道219号沿いです。明治22年に町村制が敷かれ、多良木村の初代村長(多良木町となったのは大正15年)が札幌まで視察に赴き、当時としては破格の幅員が五間(約10m)の直線道路を整備しました。通称「五間(ごけん)道路」と呼ばれるこの広い道路沿いに旧白濱旅館は建てられたため、その後も道路拡張の必要はなく古い建物が残されたと云われます。けれども、3年前、私が多良木高校に赴任した時にはすでに旅館は廃業され、老朽化した建物だけが佇んでいました。

 しかし、町の黎明期を物語る歴史的価値が重視され、多良木町は全面的に修復工事に取り組み、リニューアルオープンの運びとなったのです。国道沿いの建物(「明治棟」)は町民が様々なことに活用できるコミュニティスペースとなり、南側の建物(「大正棟」)は簡易宿泊もできる施設として利用されることになります。旧白濱旅館の近くには昭和16年に建造された旧多良木高等女学校講堂(現在は町民集会所)など歴史的建造物が幾つも残っています。地元では、歴史を感じながら街を歩こうと「ブラタラギ」のキャッチフレーズで呼びかけが行われています。


 

 

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂  

 後半になると風雨が次第に強くなりました。横から吹き付ける風に傘を持つ手に力が入ります。グラウンドの選手たちは、全身ずぶぬれになりながら、懸命にプレーを続けます。サッカーの熊本県選手権大会2回戦。場所は熊本県立東稜高校運動場。熊本市立必由館高校相手に多良木高校イレブンは厳しい戦いを強いられていました。前半に2失点、後半さらに1失点して0対3となり、後半も終盤の時間帯となっていました。

 多良木高校サッカー部は3年生6人、2年生5人の11人ぎりぎりでこの試合に臨んでいました。この大会をもって3年生は部活動を退きますので、今後は多良木高校単独チームでの出場は困難になります。多良木高校サッカー部の単独チームとしては最後の試合なのです。その重みは選手たちも、応援する保護者の方々、そして私たち教職員もわかっていました。

 後半も残り10分ほどになった時です。キャプテンでフォワードの西君(3年生)が相手ゴール前に巧みなドリブルで切り込み、シュートを決めました。多良木高校応援団から歓声があがります。「よし」、「あきらめるな」と保護者の方から声が飛びます。監督の中山教諭からも、「時間はある、一つ一つのプレーを丁寧に」と大声で指示が出ます。ここから、試合の流れが変わり、多良木高校の選手たちの動きが俄然良くなりました。

 残り5分を切ったところで、多良木高校が再びシュートを決め、2対3。1点差となります。「いけるぞ」の声があがります。選手たちも最後の力を振り絞って走り、懸命にボールにからみ、攻め込みます。その姿を見ていると、私は胸が熱くなりました。

 試合終了を告げる審判の笛が鳴り響き、選手たちはがっくり膝をつきました。多良木高校サッカー部単独チームとしての試合は終わりました。交代要員もいない11人での戦いでしたが、最後まであきらめない、多良木サッカーの真骨頂を見せてくれたと思います。試合直後は雨と悔し涙で濡れていた選手たちの顔にも、しばらくして笑顔が戻りました。練習の成果を出し切ったという満足感が漂うアスリートの清々しい表情でした。