校長室からの風(メッセージ)
惜別の春 ~ 転退任式
惜別の季節 ~ 転退任式に寄せて
ここ数日の陽気で、校庭の桜も一気に満開に近づきました。学校の周囲も、桜、菜の花、辛夷と百花繚乱の情景が広がっています。球磨川の水面も温かく輝き、市房山をはじめとする山並みも笑うが如くの明るい眺望です。しかし、春は「しづごころ(静心)ない」別れの季節でもあります。
3月28日(月)午前、多良木高校体育館において職員の転退任式を行いました。平成28年度定期人事異動に伴い、転任者6人と退任者2人の併せて8人の職員の方々が多良木高校を離れることとなりました。短い方で1年、長い方で21年、勤務年数の長短はありますが、それぞれ多良木高校で果たされた役割はまことに大きいものがあります。この1年半、本校は高校再編整備の渦中にありました。その逆風の中で、最後の入学生73人を迎えることができるのも、同窓会、地域の方々と私たち全職員が力を結集した結果だと誇りに思っています。
引き続き、今年度のメンバーで平成28年度も多良木高校で苦楽を共にしたいという気持ちが強いのですが、私たち公立学校教職員にとって人事異動は定めです。赴任される次の学校においても、生徒をはじめ多くの人々が8人の皆さんを待っていらっしゃることと思います。8人の皆さんの前途を祝すとともに、惜別の情をもって送り出したいと思います。
人事異動の時期になると、井伏鱒二の「勧酒」という詩を思い出します。
コノサカヅキヲ受ケテクレ(勧君金屈巵)
ドウゾナミナミツガシテオクレ (満酌不須辞)
ハナニアラシノタトヘモアルゾ (花発多風雨)
「サヨナラ」ダケガ人生ダ (人生足別離)
別れと出会いの凝縮する春の愁いをかみしめて、新年度に向け進まなければなりません。
合格者の皆さんへ ~ 合格者説明会
「皆さん、おはようございます。校長の粟谷です。
合格者の生徒の皆さん、そして保護者の皆様、ようこそ多良木高校へ。心から歓迎をいたします。
この1年間、球磨、人吉の管内12中学校を回り、そして学校のホームページでの発信を続け、受検生の皆さんに呼び掛けてきました。「皆さんが、90年をこえる伝統を持つ多良木高校の期待と注目のアンカーとなります。アンカーを走ることは他の高校ではできない様々な特別の体験ができ、地域の熱烈な応援を受けるでしょう。一緒にアンカーを走り、3年後に感動のテープを切りましょう。」と。その呼び掛けに応え、本校を選んでくれたことを誠に有り難く思います。今日73人ものアンカーがそろいました。この3年間の入学者数で最も多いものです。皆さんを前にして、改めて、私たち教職員一同、強い責任と使命感を覚えます。
私自身、語りたい多くの思いがありますが、今日はこの後、入学に向けての具体的な準備や心構え等について説明がありますので、我慢したいと思います。けれども、一つだけ生徒の皆さんにお伝えしたいことがあります。それは、皆さんは期待と注目の存在だということです。豊かな可能性を持っている皆さんは、多くの人の期待と注目のまなざし、そして応援を受けて、きっと自分自身が思っている以上にこれからの3年間で成長できると思います。多良木高校のアンカーとしての誇り、プライドを胸に抱いていてください。
これで、歓迎の挨拶といたします。」
早速野球部のユニフォームを購入する合格者
初々しさが原点です ~ 合格発表
初々しさが原点です ~ 合格発表
3月15日(火)の午前9時、多良木高校玄関に平成28年度入学者選抜検査合格者を掲示しました。前期選抜での合格内定者20人を含む合計66人の合格者の受験番号を掲げました。発表を待っていた受検生や保護者、中学校の先生方が集まり、「あったー! よかったあ!」と歓声が上がり、肩を抱いて喜び合う光景が見られました。自分の受検番号をバックに記念撮影する生徒もいました。笑顔の受検生、安堵の表情の保護者の方々の様子を遠くから見ていると、こちらも心の底から温かいものがじんわりとこみ上げてきて、思わず涙腺がゆるんでくるような気がします。
今度の入学生が多良木高校の最後の学年です。彼らが卒業する平成31年3月をもって閉校する定めにあります。しかし、「一緒にアンカーを走ろう。多くの同窓生や地域の方々がきっと熱烈に応援してくれる。他の学校ではできないことを体験して、3年後には感動のテープを切ろうよ。」と人吉・球磨地域の中学生の皆さんに、この1年間、呼び掛けてきました。それに応え、後輩がいないとわかっているこの学校を志望した受検生の覚悟に、私は涙が出るほど心が動かされます。
「今の初々しい気持ちを忘れないでほしい。」と合格を喜ぶ受検生に私は心の声で伝えました。何事にも初々しさが大切です。これから高校生活を送る皆さんの原点は今の初々しい喜びの気持ちです。そして、受け入れる私たち高校の教職員にとっても、今日の合格発表は、責任と使命感を新たに自覚する原点の日なのです。
学校の周囲では菜の花が咲きそろい、眼にまぶしい程の鮮やかな黄色が春を実感させます。清々しい青空のもとでの合格発表の情景に言いようのない感興を覚えました。
未来があなたを待っています ~ 卒業していく皆さんへ
未来があなたを待っています ~卒業していく皆さんへ
皆さんは、高等学校の教育課程を修了しました。日々の学習活動、学校行事や生徒会などの特別活動、そして自ら選んで取り組んだ部活動を通して大きく成長したのです。この先、職場または上級学校において、様々な困難と出会うでしょう。しかし、学力、体力、そして人間関係を築く力等の基礎を高校三年間で備えています。それらを元に謙虚な姿勢で臨めば、きっと道はひらけます。
失敗することも多いでしょう。けれども、失敗しないと学べない事があるのです。失敗してもいい、ただし、失敗を隠してはいけません。
高校時代、校則や決まり事、あるいは私たち教職員の指導を壁のように感じ、不満や窮屈さを感じたかもしれません。しかし、卒業してしばらく時間が経つと、その壁が皆さんを守っていたことに気付いてくれると思います。
今の皆さんは、港を出て大海原へ向かう船のような存在です。心細い気持ちがあるかもしれませんが、怖いことはありません。けれども、悲しいことには数多く出会うでしょう。その悲しさが皆さんを人間的に豊かにしてくれます。
未来には未知の仲間がいます。未知の物語があります。未来があなたを待っています。
卒業式
「ただ今、六十五人の生徒諸君に卒業証書を手渡しました。皆さんが手にした卒業証書は、多良木町教育長の椎葉袈史様が槻木の山に自生している三椏を原料として一枚一枚丹誠を込めて作られた手漉き和紙であります。手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心とつながっているところだと言われます。皆さんに寄せられる多くの方のお祝いの気持ちが、「手仕事」でつくられた卒業証書に凝縮されていると思います。
平成二十五年春、皆さんは希望と期待に胸を膨らませ、本校に入学しました。以来三カ年、「平和・勤労・進取」の校訓のもと、勉学に、部活動に、そして様々な学校行事に積極的に取り組みました。
多良木町をはじめ球磨郡全体が学びの場となっているところが本校の教育活動の特色と言えます。体育コースは市房山でキャンプをし、球磨川でのラフティングを体験しました。福祉教養コースは保育園や介護福祉施設、公立多良木病院の御厚意により実習を重ねました。また、全ての生徒たちが、五十カ所以上の事業所の御協力のもと職場体験実習(インターンシップ)を行いました。そして、様々なボランティア活動をとおし、子どもから高齢者の方に至るまで幅広い交流ができました。さらに、恵比寿祭を筆頭に地域の各種行事に参加し、高校生の元気を発信する機会に恵まれました。
皆さん達多高生は、地域の方に支えられ、そして認められることで成長してきたのです。改めて、多良木町をはじめ人吉、球磨地域の多くの方々に深く感謝いたします。
(中略)
「仲間っていいな」。昨年夏の高校野球熊本大会準決勝で敗れた後、野球部主将の大塚将稀君がチームメイトに掛けた言葉です。涙と汗の顔の仲間達はキャプテンに頷き返したそうです。昨年の夏は多良木高校にとってひときわ熱い夏となりました。一戦一戦勝ち進むに従い、地元の人々の応援が驚くほど増え、グラウンドの選手とスタンドの応援が一体となって戦い、公立高校として唯一校ベスト4進出という結果を残しました。伝統ある多良木野球部にとっても三十年ぶりの快挙でした。
しかし、ベスト4までの道のりは決して順調ではありませんでした。新チームとして臨んだ初めての県大会では一回戦敗退でした。けれども、そこから仲間を信じ、厳しい練習に耐え、力を付けていったのです。高校生が持つ無限の可能性を野球部の活躍は教えてくれたと思います。」
共に楽しむ ~ 球磨支援学校とのスポーツ交流
共に楽しむ ~ 球磨支援学校とのスポーツ交流
立春は過ぎましたが、学校のある多良木町を囲む山々は冠雪しているものもあり、吹き下ろす風に思わず「春は名のみの風の寒さや」(早春賦)と口ずさみたくなります。しかし、そのような北風が吹く中、2月17日(水)の午前、多良木高校野球場では球磨支援学校高等部と多良木高校の生徒の歓声がやむことはありませんでした。
毎年恒例となった球磨支援学校高等部と多良木高校2年1組(体育コース・福祉教養コース)との交流活動が行われました。球磨支援学校も同じ多良木町にあり、1学期5月の「くましえん運動会」と2学期10月の「くましえん祭」には多良木高校からボランティアの生徒が多数訪れます。そして3学期の2月には高等部の生徒達が多良木高校を訪問して、スポーツ交流をするのです。今回は高等部の生徒30人が徒歩で来校してくれ、正門で出迎えた多良木高校2年1組40人の生徒と交流活動を行いました。
近年はティーボールというニュースポーツに取り組んでいます。ティーボールは野球に似ていますが、投手はおらず、本塁プレート後方に設置した細長い台の上にボールを載せ、それを打って走るのです。その他のルールはほとんど野球と変わりません。ティーボールの一番の良さは、誰もが一度は打者として順番が回ってくるところです。即ち、必ず出番があるのです。走れない人には代走を立てることもできますし、打球が遠くに飛ばない人のために、手前にホームランゾーンが設けてもあります。
球磨支援学校の生徒と多良木高校の生徒が混じって四つのチームを作り、自己紹介をした後、二試合実施しました。野球のルールをよく知らない生徒もいて(多良木高校の女子生徒にもいました)、珍プレーが続出し、笑いの絶えない試合となりましたが、支援学校の男子生徒の中には、見事な守備を見せ、称賛を浴びる生徒もいました。球磨支援学校の小川校長先生によると、野球が好きな生徒は、広い多良木高校野球場でティーボールができることをとても楽しみにしていたとのことでした。
同じ地域で学ぶ両校の生徒が自然体で共にスポーツを楽しみ、交流を深める姿はまことに爽やかです。2時間の交流が終わり、両校の生徒同士で写真を撮ったり、握手したりと別れを惜しみ、支援学校の生徒たちが歩いて帰るのを手を振って見送りました。
あなたは主権者です ~ 卒業していく皆さんへ
あなたは主権者です ~ 卒業していく皆さんへ
「校長先生、もし、戦前に女性に選挙権があれば戦争は止められたのではないかと私は思います。」と3年生の女子生徒が私に語ってくれたことがあります。昨年6月に公職選挙法が改正され18歳選挙権が成立して、そのことをどう思うかと私が尋ねた話の中での発言でした。この生徒は、選挙権の重みをよく理解していると思いました。
改正公職選挙法は今年6月に施行されます。そして翌7月には参議院議員選挙が予定されています。高校における主権者教育は待った無しの状況です。昨年末には総務省と文部科学省の共同で作成された教材『私たちが拓く日本の未来』が全国の高校生に送られてきました。1、2年生はこのテキストを副教材として使用し、これから主権者教育を計画的に実施できますが、3月1日に卒業する3年生にはその余裕はありません。3年生は1月下旬に卒業試験を終え、2月1日から家庭学習期間に入っています。そこで、2月9日の登校日に、私が講師役を買って出て、18歳選挙権に関する特別授業を実施しました。
「あなたは主権者です ~卒業していく皆さんへ」と題し、私が作成したパワーポイントの12枚のスライドを中心に、テキスト『私たちが拓く日本の未来』も参照しながら3年生に話をしました。
◆ 選挙権拡大の歴史から先人の努力を知ってほしい
◆ 権利は責任を伴う、棄権しないでほしい
◆ 一人一票の重みを感じてほしい
◆ 選挙運動は公職選挙法に基づきモラルとマナーを持ってほ
以上のような重点項目に言及し、結びに学校は政治的中立の場であることを強調し、まとめました。限られた時間で少々堅い内容を伝えなければならず、果たして3年生の皆さんの胸に私の言葉がどれだけ届いたか心許ない次第です。
しかし、皆さんは卒業して主権者となるのです。世界では18歳選挙権が主流です。日本の若い世代も、地域の暮らしから広く社会のことに関心を持ち、選挙権を活用して、未来を創っていくことができると期待します。自らの参加で社会が変えられかもしれない、という意識を持って、人生最初の選挙に臨んでください。
進路体験報告会
近未来の自分が見えると頑張れる ~ 進路目標を定めよう
人は、近未来の自分が見えると頑張ることができると言われます。近い将来の希望を持てれば前向きな気持ちになり、力が発揮できるのです。しかし、高校3年間は自分探しの期間と形容されるように、考えが揺れ動きます。多くのことを学び、知り、そして体験する中で、自分の興味、関心も変化し、本当にやりたいことは何か、自分でもわからなくなる時があります。大いに迷い、考え、様々な人の助言、指導を謙虚に受け、最終的には「よし!」と自分の進路を決めなければなりません。
2月3日(水)の6限目に進路体験報告会を開催し、1、2年生は、3年生の代表6人の今年度の進路体験を聴く機会を得ました。企業に内定が決まっている生徒は、3年間の成績評定の重みや、学校を欠席しないことの大切さ等が語りました。看護専門学校に進む生徒からは、進路目標を決定するまでの紆余曲折が具体的に語られ、進路について親と早い時期から相談しておいた方が良いとの助言がありました。大学進学の生徒の一人は、第一志望の大学に落ちた時の悔しさに触れると共に、なぜ不合格となったかについて冷静に分析する内容でした。
6人とも共通して、勉強を頑張ることはもちろん、部活動、ボランティア活動、そして資格試験に積極的に取り組むことが必要だと後輩に伝えてくれました。自分の体験に基づいた話しですから、借り物ではない、気持ちのこもった言葉でした。身近な先輩の言葉は大きな力があります。1、2年生も真剣な表情で聴く態度が印象的でした。
進路体験報告会の翌日、進路指導室の廊下に置いてある今年度の求人票を2年生の生徒たちが見ながら、進路についてお互いで話しをする姿を見かけました。また、ある1年生は「すぐに進路目標は見つからないかもしれません。けれども、焦らないようにします。進路目標が決まるまで、先ずは自分の実力を高めます。」と私に話してくれました。
3年生が、1,2年生の気持ちに火を付けてくれました。バトンは確実に後輩に手渡されたと思います。
オール多良木で挑んだ高校城南駅伝大会
「オール多良木」で挑んだ高校城南駅伝大会
熊本県高等学校城南地区新人駅伝競走大会のゴールのシーンはまことにドラマチックで、思い出す度に興奮してくるほどです。
女子のアンカーの椎葉さん(1年)が8位で本渡運動公園陸上競技場に帰って来ました。トラックで苓明・天草拓心高校合同チームを抜き、さらに人吉高に迫りましたが、あと一歩及ばず7位でゴール。倒れ込んで悔し涙を流す椎葉さんをサポートの生徒たちが励まし支えました。
男子のアンカーの西君(1年)は、先頭の球磨工業に続き、八代東高の選手と競り合いながら2位で競技場に帰って来ました。最後のトラック一周、両校の生徒たちの声援が飛び交い、私も八代東高校の校長先生もお互い応援。西君は身体一つ分リードを保ち、ゴールイン。生徒たちも感激して駆け寄りました。
1月30日(土)、天草市で熊本県高等学校城南地区新人駅伝競走大会が開催されました。男子は第61回、女子は第22回を数える伝統ある大会で、今回は男子30チーム、女子は22チームがエントリーし、多良木高校も男女共に出場しました。小規模校ゆえに陸上部の長距離選手だけでは人員が不足するため、5つの運動部(サッカー、バスケット、バレー、野球、ソフトテニス)から協力を得て、言わば「オール多良木」で挑んだのです。
本渡運動公園陸上競技場をスタート、ゴールとし、午前9時30分に女子がスタート。5区間12㎞を全員が懸命にたすきをつなぎました。そして午前10時50分に男子がスタート。1区の那須君と4区の村上君の区間賞をはじめ6区間20㎞を全員が上位の走りを見せ、2位を勝ち取り歓喜にわきました。
1月24日(日)から25日(月)にかけて天草地方でも大雪が降り、学校は臨時休校、道路も通行止めが相次ぎ、城南駅伝大会の開催を危ぶむ声も上がったそうです。大会前日の29日(金)も終日雨でコンディションが心配されましたが、大会当日は朝から雨が上がり、次第に陽光が差し始め、青空が広がりました。風の強い海沿いのコースを苦しい表情ながら強い意志の力で走りきる選手の姿は輝いて見えました。午後には気温も上がり、まるで春の陽気となりました。高校城南駅伝大会が天草に春を呼び覚ましたのです。
一期一会の人、風景 ~修学旅行
一期一会の人、風景 ~ 修学旅行
一期一会(いちごいちえ)という言葉があります。もともとは茶道のお茶会の心得を意味しており、お茶をもてなす主(あるじ)と客の出会いは、一生に一度だけの出会いと思い、心を込めてお互いに誠意を尽くすべきと説いたものです。この一期一会という言葉を実感するのは、特に旅行の時ではないでしょうか? 日常生活を離れ、遠くに旅行をして、その時出会う人、風景には、生涯もう二度と出会うことはないかもしれないという感情に包まれます。
今回の修学旅行において、2年生の皆さんは一生に一度限りの出会いを経験したはずです。例えば、添乗看護師さんの中岡ゆかさんとの出会いは、多良木高校修学旅行団にとってこの上ない幸運だったと思います。中岡さんは、積極的に生徒の皆さんの中に入っていかれ、コミュニケーションを進んで図り、短期間で信頼関係を築かれました。少し体調を崩した生徒がいると、寄り添って適切な対応をしていただきました。また、「私の体験で良ければ」と、看護師の道をなぜ選んだのか、専門職としての看護師のやり甲斐などについて、旅行2日目の夜に進路講話を行って戴きました。最終日の羽田空港では、「多良木高校の生徒さんは、みんなとっても素直でかわいいです。こんな純真な生徒さん達とは初めて出会いました。」と涙を流して、別れを惜しまれました。
一期一会は人だけではなく、風景にも言えると思います。福島県の羽鳥湖スキー場での吹雪は生徒の皆さんにとって恐らく初めての体験だったと思います。雪で視界がきかない冬山の光景は、これから先出会う事がないのではないでしょうか。また、レインボーブリッジをはじめ東京の臨海副都心の近未来的な景観は生徒の皆さんが目を見張るものでした。その一画にある日本科学未来館での、人型ロボット(アンドロイド)のASHIMO(アシモ)や同じく気象アナウンサーの実演の見学は、衝撃の出会いだったかと思います。そこに皆さん達は「未来」を見たのかもしれません。人工知能(AI)を備えたロボットと共存する社会は案外早く訪れるのでないかと私も感じました。
4泊5日の旅行という非日常の世界から日常の生活に戻り、一週間が経ちました。出会う喜びと別れの切なさが一期一会にはあります。一期一会をかみしめて、前に進んでいきましょう。
(添乗看護師の中岡さんの講話)
トラベルとトラブル ~修学旅行
トラベル(Travel)とトラブル(Trouble)~ 修学旅行
英語のトラベル(Travel:旅行)とトラブル(Trouble:苦労、問題)は同じ語源だと聞いたことがあります。即ち、トラベルとは、様々なトラブルに遭遇し、それをいかに克服していくかのプロセスだと言うのです。「かわいい子には旅をさせよ」という諺(ことわざ)もあります。親の手許で甘やかして育てるよりも、広く世の中に出して苦労を経験させる方が成長するという意味です。日本語においても、旅、旅行は苦難を象徴する言葉なのです。
1月18日(月)から22日(金)にかけて4泊5日、2年生の修学旅行引率で福島県及び東京都を巡ってきました。初日、首都圏及び東北地方の大雪のため、鹿児島空港からの出発便が2時間の遅延、東北自動車道の一部通行止めによる迂回路を通って羽田空港から福島県白河市までの5時間の長いバス移動、そして目的地のスキー場のロッジまでバスが上ることができず、麓にある系列のホテルに宿泊変更を余儀なくされるなど予定が大きく変更されました。
二日目は青空と白銀のコントラストがまぶしいスキー研修でしたが、三日目、時折吹雪となる中でのスキー体験は多くの生徒にとって体力的に厳しいものがあったと思います。しかし、インストラクターの方々に励まされながら、懸命に取り組んでいました。四日目、東京都内の班別自主研修では、電車の乗り間違い、駅の出口を誤る、路上での強引なセールスに戸惑うなど、多くのトラブルが起こったようです。しかし、ホテルに帰って来た生徒の皆さんには、それらのトラブルを面白がっている余裕があり、頼もしく思いました。
こうして振り返ってみると、今回の修学旅行は、2学年63人と職員4人がベテランの添乗員さんと献身的な看護師さんの支えを受け、幾つものトラブルを乗り越えて無事に帰校できた一つの物語のようにも思えます。非日常の大変さと面白さを級友達と共に体験することで、仲間の違った一面を発見し、より絆も強まったことと思います。
雪山の容赦のない天候の変化、大都会の混雑、人の動きの速さ、東京湾岸の未来都市のような空間などを体験してきた皆さんを、人吉・球磨地域が優しく迎えてくれました。旅行は、故郷の良さを改めて気付かせてくれるものです。
大学入試センター試験に挑む
「大学入試センター試験に挑む」
平成28年度大学入学者選抜大学入試センター試験に多良木高校からは8人の生徒諸君が挑みました。本校の場合、9月の就職試験の解禁から始まり、専門学校・短大・大学等の推薦・一般入試が続き、すでに3年生の大部分の進路が決まっています。その中で、この1月まで受験勉強を続けてきて、大学入試センター試験を受ける生徒は少数派となります。
試験前日の1月15日(金)の昼休み、受験生8人への激励会を校長室で行いました。この8人の生徒の中には推薦入試で合格を得ている人もいますが、その後も課外授業も受け、受験勉強を持続してきました。「周囲の人が受験勉強から離れている中で、皆さんはここまでよく勉強を続けてきました。そのことを誇りに思います。8人の皆さんを多良木高校の代表として自信を持ってセンター試験に送り出したいと思います。」と私は語り掛けました。3学年や進路指導の職員も集まり、皆でエールを送りました。代表で北﨑裕之君が、「本番が最も良い結果となるよう、これまで勉強してきた力を発揮します。」と力強く決意を述べてくれました。北﨑君は、野球部のエースとして昨年夏の高校野球県予選で準決勝進出を果たした生徒で、部活動と学習の両立を立派に果たしてきた生徒です。
そして大学入試センター試験初日、本校の生徒の試験会場である熊本大学黒髪キャンパスに私も午前10時に駆けつけました。晴天で風もなく、穏やかな天候に恵まれました。午前11時45分には、地歴・公民科を受験した5人と午後の国語から受験する3人の全員が揃いました。特に緊張している様子もなく、笑顔も見え、頼もしく感じました。
今回の大学入試センター試験は全国で約56万人が受ける大規模なもので、高校3年間の学力の到達度を評価するという意味ではとても教育的意義が大きいものです。普通科の高校生には大学入試センター試験の受験を私は勧めます。今や国公立大学だけでなく多くの私立大学も参加しており、試験結果を活用できます。たとえ秋に推薦入試で合格が決まっていても、冬まで受験勉強を続け、学力をさらに高め、春の進学につなげて欲しいと思います。
学び続ける姿勢は、まさに生きる力となっていくと信じます。
3学期始業式
皆さん、新年明けましておめでとうございます。こうして皆さんと一堂に会し、多良木高校の新年が始まります。
さて、平安時代に書かれた随筆「枕草子」の冒頭、作者の清少納言はそれぞれの季節で最も良い時間帯について述べています。春はあけぼの、即ち明け方が良い、夏は夜、秋は夕暮れ、と言っています。それでは、冬はいつが良い、と言っていますか?そうです、冬はつとめて、即ち、冬は早朝、朝早くが良いものだと述べています。雪が降っていたり、霜が降りていればなお良いと清少納言は言っています。清少納言が暮らした都、今の京都は、鴨川が流れ、山々に囲まれた盆地です。冬の厳しい所で知られます。一方、この球磨盆地も球磨川が流れ、九州山地に囲まれており、京都ととても似た気候です。これから2ヶ月は厳しい寒さが続くことでしょう。しかし、千年前の都人も愛した冬の朝の清々しい情景を感じる余裕を持ち、「冬はつとめて」と口にして自分を励まし、登校してきてください。
朝に関連して話しを続けます。誰もが気持ちの良い朝、一日の始まりを迎えたいと願っています。そのためには何が大切なのでしょう。そう、十分に眠ることですね。眠りは身体を休めるだけではありません。近年の脳科学の研究によると、眠っている間に、私達の脳は進化し、更新されていくそうです。起きている間に学習したことを脳のそれぞれの分野に書き込み、記憶させる作業が睡眠中に行われるのです。学習というと勉強や知識と思われがちですが、運動も含まれます。例えば、昼間に練習したことが脳の運動機能を司る分野に書き込まれ、身体全体が覚えていくことになるのです。従って、練習することと同じくらい眠ることがスポーツにとっても大事なのです。昼間、勉強や部活動で頑張った事を明日につなげるために睡眠がいかに大切かわかるでしょう。
ところが、今の高校生諸君は、眠りの質を高めるためにやってはならないことをやっている人が多いのです。眠る前に長時間スマートホンやパソコンの電子画面を見る行為です。電子画面の光は、自然界にはない特性を持っているため、目を通して脳を刺激し混乱させるため、眠りについても昼間の学習成果の正常な書き込み作業ができなくなるのです。さらに、睡眠中に分泌される男性、女性ホルモンにも大きなダメージを与えることがわかってきました。女性が気にする美容にも悪影響を及ぼすことが指摘されています。最も身体を作っていかなければならない時期に、それを阻害する行為を毎晩していることになります。皆さん、自分自身の成長や健康と引き替えにするほど、ゲームやSNSは大事なものですか? バランスを考えてください。それでは、眠りの質を上げる秘訣を皆さんに教えます。簡単なことです。「闇の中で寝て、朝日と共に起きる」ことです。眠る1時間前には携帯端末やパソコンの電源を切り、できれば天井の豆電球も消して闇をつくり、午前零時までには眠ってください。
最後に、残り50日ほどで卒業していく3年生に伝えます。まだこれから進路達成に向けて試験に臨む人がいます。全国でおよそ56万人が受験する大学入試センター試験にも本校から8人が挑みます。3年生65人全員の進路が決まるまで私達も全力で支援します。そして、既に就職、進学が決まっている皆さん、新しい出会いに期待が膨らんでいると思います。けれども、進路決定後のあなたの生活はどうですか?他の人から見て、出会うに値するための仲間となって新しい学校に進もうとしていますか? 出会うに値する仲間として新しい職場に入っていこうとしていますか?残された高校生活一日一日を惜しみながら、最後まで勉強してください。しっかりと助走し、勢いをつけて、新しい世界に飛躍して欲しいと期待します。
2学期終業式の挨拶
先週、スウェーデンの首都ストックホルムでノーベル賞の授賞式が行われ、大村智(さとし)氏が医学・生理学賞、梶田隆章(たかあき)氏が物理学賞を受賞されました。熱帯地域の感染症に効果のある薬品開発で大きな貢献をされた大村さんは、20代の頃、東京都立墨田工業高校定時制で理科の教師をされていました。定時制の工業高校ですから、多くの生徒は、昼間、地域の工場で働き、夕方から夜にかけて学校で勉強するのです。大村さんは、ある日、油で汚れた手で答案を書く生徒の姿を見て、心を激しく打たれ、「生徒はこんなに頑張っている。自分はもっと勉強しなければと思った」そうです。そして、定時制高校の教師を5年でやめ、大学院に入り直し、研究者の道を進まれました。ノーベル賞科学者誕生につながる出発点が、働きながら学ぶ定時制高校の生徒との出会いだったことになります。
2学期の終業式に当たり、大村さんのこのエピソードを思い起こすのは、日頃から、私自身、生徒の皆さんの立ち居振る舞いに心動かされることが数多くあるからです。それは、私自身が直接見て、気づくこともあれば、保護者の方や地域の方々からお電話で、お手紙で、あるいはお話いただき、知ることもあります。
皆さんが地域で挨拶することが、どれほど地域の方の気持ちを明るくしているか、恐らく皆さんの想像をはるかに超えていると思います。一例をあげます。この夏に御主人を亡くされた多良木町にお住まいのあるご婦人がおっしゃいました。「主人を亡くし心に大きな穴が空いたような毎日でしたが、朝夕に家の前を自転車で通る多良木高校生の元気な姿、そして時に私のような見ず知らずのおばあちゃんにも『おはようございます』『こんにちは』と掛けてくれる挨拶に気持ちが励まされ、私もしっかりしなくてはと思い直しました。」と。
また、10月に行われた恵比須祭りの夜、祭りが終わり恵比須神社の周辺の出店も片付け始めた頃、ゴミが道路に散乱した状態を見て、多高生3年の男子生徒3人が自発的にゴミ拾いを始めました。翌朝、例年に比べて周辺の道路が綺麗なことに気づき、町で評判になり、私は幾人もの方から感謝の言葉をいただきました。11月の強歩会では私も最後尾をゆっくりと歩き通しましたが、皆さんが歩いた後にゴミ一つ落ちていませんでした。小さな包紙を誤って道に落とし、急いで拾う生徒の姿を見た時は、とても爽やかな気持ちになりました。
年度当初から、生徒の皆さんに私たちは「多高プライド」を呼びかけてきました。自分に恥じない高校生活を送って欲しい、大人が、あるいは他の学校の生徒がみっともない行動をしても、自分だけは流されず善く生きようと思って欲しいのです。あなたの行いを誰かが見ています。いや、たとえ誰も見ていなくても自分は見ています。自分自身に誇りを持つと見苦しいことはできないはずです。そんなことをする自分を自分自身が許せない、という気持ちが起こるのではないでしょうか。
2学期、自らの進路実現に正面から挑んだ3年生の姿には、まさに多高プライドを感じました。最初の挑戦が不調に終わった人は恐らく悔し涙を流したことでしょう。けれども、それを乗り越え、再び進路実現に挑む時、その人は人間的に大きく成長しています。多くの模擬面接を校長室で行いましたが、二度目の挑戦の人は一回目の時とは気迫が違いました。高校生ではなく青年になったなあと感じた瞬間です。また、難関の試験に合格した後も、変わらず早朝課外や放課後課外を受け続け、受験前と変わらぬ生活を持続している生徒の姿はとても頼もしく思います。進学、就職はゴールではなく、また新たな大事なスタートだということをその人はよくわかっているのでしょう。1,2年生の皆さん、3年生の後ろ姿から多くのことを学ぶことができます。できれば、進路について直接話しを聴いてください。部活動の先輩などから個人的に体験談を聴くことで、1、2年生の皆さんの気持ちに火が付くことを期待しています。
結びになりますが、昨日の午後、正門に立派な門松が立ちました。保護者の方が朝から山に行って竹を切り出し、1日がかりで作業をされ立てられました。有り難いことです。門松は、新しい年の神様が天から降りてこられる目標(「依代(よりしろ)」と言いますが)となるものです。これで、私達の学校も新年を迎える準備が整ったわけです。
明日から冬休みとなります。学期中とは異なり、長期休暇は生活のリズムが乱れがちです。今年の流行語とも言えるルーティン、即ち決められた行動手順を自分なりに定めて、冬休みが充実したものとなるよう期待します。そして、清々しい気持ちでお互い新年を迎えましょう。
クラスマッチ・駅伝大会
「男子バレーボールの部、3年1組、優勝おめでとう。個々の運動能力の高さを発揮し、ダイナミックなプレーを見せてくれました。クラスマッチに向けて朝の自主練習の成果が実を結びましたね。1年1組、準優勝おめでとう。見応えのある優勝戦でした。3年生相手に堂々と立ち向かい、ベストを尽くしたプレーは見事でした。
女子ドッジボールの部、2年2組、優勝おめでとう。フットワーク軽く、お互い声を掛け合ってのチームワークの勝利でした。肩の強さを活かして、速いボールを投げ込む姿が印象に残りました。ドッジボールは私も小学校の頃に昼休みの遊びで夢中になったなあ、と懐かしい思いで観戦しましたが、改めて観て、スポーツとしても面白いと思いました。女子生徒は、不審者に迫られた時に逃げ足が早くなければなりません。先ず逃げること、そして俊敏に動く事が求められるドッジボールは、女子のクラスマッチに向いていると感じました。
そして今日の駅伝大会です。1年1組、優勝おめでとう。襷をつないだ5人の懸命の走りは力強さがありました。優勝するぞという気迫が伝わってきました。圧巻の走りでした。長距離走は多くの人が苦手にするものだと思います。けれども、次の人が待っている、ゴールではみんなが待っていることが走る力となります。多くの声援に支えられ、参加者全員が完走してくれたことを頼もしく思います。
さて、多良木高校では今回のクラスマッチや駅伝大会など体育的行事を多く行っています。それはなぜでしょうか? もちろん身体を動かす喜びを知り、生涯にわたってスポーツを愛好してほしいとの願いが第一ですが、もう一つ大きな目的があります。それは、生徒の皆さんの結びつきです。
今回のクラスマッチの種目にはありませんでしたが、サッカーやバスケットボールで競り合ったボールがコートの外に出た場合、自分たちのボールの時、日本人はよくマイボールと主張します。しかし、マイボールは和製英語であり、欧米の選手はそんな言葉は使いません。彼らは何と言うのか? 「Ours(アワーズ)」と言います。ここでちょっと英語の勉強です。私は、私の、私を、私のもの I My Me Mine 中学校で学習しましたね。We Our Us Ours そう、Oursは私達のものです。常に私達、チームとして意識しプレーをしているのです。スポーツをとおし、一つのチームとして、クラスとして、学年として、学校全体としての結びつきが強くなって欲しいとの願いを私達は持っています。
熊本市の高校1年生女子が人権啓発のための標語をつくり、今年の熊本市の最優秀賞に選ばれました。
「世界中に高校生がいる 同じクラスになるなんて奇跡だよね」という標語です。奇跡の出会いがあって、今のクラス、学年、そして学校があるのです。
昨日のクラスマッチ、そして今日の駅伝と、多高生の元気を大いに発揮してくれました。お互いの結びつきも強まったと思います。来年はさらに私達の学校、多良木高校が活力あるものになるという期待がふくらんだ二日間でした。
皆さん、お疲れ様。講評を終わります。」
遅れてきた紅葉 ~ 校庭のイロハモミジ
遅れて来た紅葉 ~ 校庭のイロハモミジ
今年は11月下旬まで球磨地方も温かい日が続いたためか、紅葉の美しさが今一つという声が聞かれました。紅葉の名所で知られる、あさぎり町の麓城跡(ふもとじょうあと)を11月末に訪ねましたが、やはり地元の方のお話では例年に比べると紅葉の華やかさが物足りないとの評でした。
ところが、12月に入り寒波襲来。厳しい冷え込みに師走を実感していますが、それに合わせるかの如く、多良木高校校庭のイロハモミジ(イロハカエデとも呼ぶ)が一気に紅葉し、今が盛りの鮮やかです。日の光を浴びると、まるで光源のようにイロハモミジを中心に明るさ、派手さが際立ち、見る者を引きつけます。登下校や校庭の掃除担当の生徒達が、「わあ、きれい」と感嘆して駆け寄る姿が見られます。
数学者の藤原正彦氏が、その著書において「論理力よりも情緒が大切」だと強調されていたことを思い出します。美しさやもののあわれ、懐かしさなどを感じ取る心の動きを養うことが教育では重要だと主張されています。本校の野球部は猛練習で有名ですが、夕日が燃える美しさで今沈まんとする時、齋藤監督は練習を止め、選手全員に夕日を見るように言われます。そして、「厳しい部活動をしているからこそ、こんな美しいものを見ることができるんだ」と生徒に語られます。選手達にとっては忘れられない夕日となることでしょう。
気温は日に日に低くなっていますが、空気は澄み、四囲の山々の稜線は明らかで、清々しい気持ちとなります。2学期も12月18日(金)で終業式、今週末で区切りを迎えます。平和で恵まれた環境の学舎であることに感謝しつつ、気持ちを引き締めて1年の締めくくりに当たりたいと思います。
自分のルーティンを定めよう
自分のルーティン(Routine)を定めよう
ラグビーのワールドカップにおいて、日本代表の五郎丸選手がゴールキックをする前のポーズが話題となりました。両手の人差し指を胸の前で合わせて拝むような姿勢は、どこかユーモラスで、「どんな意味があるのだろう?」と私も最初は不思議な気がしました。しかし、このポーズが、ゴールキックに向けて精神を集中するために必要な一連の動作の一つだと知られるようになりました。ラグビーの五郎丸選手に限らず、一流のスポーツ選手には、大事なプレイの際に決められた動作を持っており、毎回、手順どおりにそれを行う事で集中力を高めるものだそうです。
このような一定のパターンの身体的な動き、一連の動作のことをルーティン(Routine)と呼びます。ルーティンの語源は「ルート(Route)」、即ち道、道筋のことと言われます(ルート219と言えば219号線のこと)。決められた道筋どおりに動作を行えば、余計な事を考えずに集中できるのです。技術的な練習に加え、自分なりのルーティンを定めることでメンタル面が強化され、五郎丸選手の場合はキックの精度、成功率が高まっていったと言われます。
さて、このルーティンは日常生活でも重要です。例えば、慌ただしい朝、皆さんはどんな一連の動作を行って登校に至っていますか? ○時○分頃起床、洗顔、朝食、歯磨き、トイレ、身支度等を済ませて、○時○分頃には自宅を出るといった一連の動作が決まっていると思います。くま川鉄道の相良藩願成寺駅の朝6時25分発下り列車で通学しているある生徒は、毎朝5時に起床していると私に語ってくれました。「5時半では間に合わないの?」と私が尋ねると、「5時半では支度に余裕がないのです。5時に起きないとだめです。」と答えてくれました。毎朝5時起床は大変だと思いますが、この生徒なりのルーティンが確立されているのだと思います。
12月18日(金)が多良木高校2学期終業式です。間もなく冬休みとなります。長期休暇となると生活のリズムが乱れがちです。日常生活とは異なる、長期休暇用の生活のルーティンを定めてください。そのことが、体調を崩さず、充実した休暇を送ることにつながると思います。
サイテク祭
サイテク祭2015
「サイテク祭? さいてく?」。昨年度、多良木高校に赴任して、初めてこの言葉を聴いた時、意味がすぐにはわかりませんでした。サイテク祭とは、サイエンス(Science)・テクノロジー(Technology)のお祭りという意味で、多良木町をはじめ球磨郡の子ども達に科学技術の面白さを体験してもらう場として、多良木町青少年育成会議が主催されるものです。今年も、12月6日(日)に多良木町町民体育館にて開催されました。
サイテク祭は、人吉球磨地域の県立学校6校をはじめ趣旨に賛同した大学(東海大学、崇城大学等)や企業等がそれぞれのブースを設け、理科の実験やものづくり体験ができると共に、ロボットやCG等の科学技術の紹介がなされています。これらを小学生が自由に回り、参加体験を行うのです。
多良木高校は理科の職員3人とボランティアの生徒30人が参加し、スライム作りや紙飛行機作りなど小学校低学年向きの活動を繰り広げました。他の高校では、球磨工業高校の全国大会準優勝のロボットが注目の的となっていました。大学のブースはさすがにレベルが高く、タブレットで操作できるロボットや水中観測ロボット、高品質の画像撮影が可能なドローンなどが紹介されており、大人も夢中になる程でした。
このサイテク祭は、地域の町で科学の面白さを子ども達に体験させるという、県内でも類を見ないユニークな催し物だと思います。当日、外は氷雨の寒々とした日曜日でしたが、会場の体育館内は子ども達の驚きや喜びの喚声が上がり、熱気に包まれていました。午前10時の開会から午後3時の閉会まで入場者は800人を超え、例年以上の賑わいを見せました。多良木高校としては、理科の体験ブースを出しただけでなく、会場全体の設営、撤収に野球部員が協力し、地域貢献を果たすことができたのではないかと思っています。
今回参加した子ども達の中から、いつの日かノーベル賞を受賞するような科学者が育ってくれればと夢想したくなります。
「先ず逃げる事」、「避難第一」 ~火災避難訓練
12月4日(金)の4限目に本校で火災避難訓練を実施しました。上球磨消防組合消防本部から3人の消防士の方に来ていただき、御指導をお願いしました。化学室で火災が発生したとの想定で避難訓練と消火器を使った消火訓練を行いました。避難終了後の校長挨拶を次に掲げます。
「先週あたりから急に寒くなりました。冬到来です。寒くなると火が恋しくなりますね。学校内でもエアコンによる暖房だけでなく、灯油ストーブを図書室事務室など数台出しています。皆さんの家でも様々な暖房器具を使っていることでしょう。しかし、冬は空気が乾燥し、住宅を構成している木材も乾燥するので、火災の危険性が高まります。従って、師走に入ったばかりのこの時期に学校として防火避難訓練を行った次第です。
火災の増える大変御多用な中、今日は上球磨消防署から3人の消防士の方に防火訓練の御指導に来ていただいています。誠にありがとうございます。上球磨消防署は、多良木、あさぎり、湯前、水上の4か町村の住民の安全、安心を守り支えるという重い使命を担われ、日夜業務に取り組んでいらっしゃいます。そのことに深く敬意を表します。上球磨消防署のホームページに今朝アクセスしてみたのですが、朝8時段階で、今年の救急出動数が1469件と表示されていました。本校でも生徒の皆さんが大きな怪我、あるいは急に体調が悪くなった場合等、救急車を要請しますが、この数字を見て、消防署の皆さんの激務を知る思いです。
さて、改めて申すまでもありませんが、火災は恐ろしいです。高温の炎、有毒ガスを含む煙に私達は対処できません。皆さん、消防士の方々の服装、身に付けておられる装備を見てください。日頃厳しい訓練を積まれ、そのうえ火災に対応した装備を身に付けたプロの消防士の方に任せるしかないのです。私達ができることは、先ず逃げる事、避難です。そして通報です。しかしながら、まだ火災には至っていない段階、例えばストーブの近くの雑誌が燃えているとか、その程度の火であれば、自ら消火器を使って初期消火ができるかもしれません。自分自身及び家族、まわりの人々を守るためにも、消火器やAEDを操作できる高校生になって欲しいと思います。
これから、上球磨消防署の方から、今日の避難訓練についての講評をいただき、その後、消火訓練も予定されています。皆さん、緊張感をもって受けとめてください。以上で挨拶を終わります。」
高校野球監督35年
高校野球監督35年
校長室で執務中の私は、歴代の校長先生方の肖像写真に見守られています。26人の先輩校長先生のまなざしを感じることで、襟を正し、緊張感を持って業務に取り組むことができます。その歴代校長先生の中の第25代校長である齋藤健二郎先生は、校長退職後に再び多良木高校野球部監督となられ、今年で6年目です。ほぼ毎日、野球場にお姿を見せられ、孫の世代の高校生の指導に当たられています。
齋藤健二郎先生の高校野球監督通算35年を祝う会(「熊本県高野連35年永年表彰受賞記念祝賀会」)が11月29日(日)、人吉市で開催されました。出席者はおよそ270人という盛大なもので、齋藤監督の指導を受けてきた多くの元高校球児の方をはじめ多良木町関係者、親交のある方等が詰めかけ、会場は熱気あふれる雰囲気となりました。
齋藤監督は、昭和49年に河浦高校に初任で赴かれ、軟式野球部監督を務め、翌年には県大会優勝に導かれました。そして多良木高校に転任されたのです。球磨郡上村(現あさぎり町)の御出身でもあり、郷土の学校の野球部監督として心血を注がれました。昭和60年の夏の大会では、後にプロ野球で活躍された野田浩司投手を擁しベスト4に進出し、大いに注目されました。多良木高校で10年指揮を執られた後、惜しまれながら新設の東稜高校に転勤され、早速野球部を創り、チームを土台から築いていかれました。そうして、平成2年から平成5年まで名門熊本工業高校野球部監督を務められ、3度の甲子園出場を果たされました。その後、もう一度東稜高校の監督を務められた後、管理職に専念され野球から離れておられたのですが、地域の熱い期待に応え、定年退職を機に多良木高校野球部監督を再度引き受けられたのです。
齋藤監督の指導方針は「日常生活の中に高校野球の勝利はある」というものです。このことを若い頃から一貫して追求してこられました。その教育理念が素晴らしいチームをつくり、多くの選手を育て、今日に至るまで先生を熱烈に慕う元高校球児、元保護者の方々の存在につながっていると言えます。
御年66歳、県内の高校野球監督では最年長ですが、「闘将」と呼ばれた若い頃の情熱はいささかも衰えはなく、時に自らノックバットをふるい、叱咤激励される姿はまさに百戦錬磨の将帥の姿です。「グラウンドから教室へ 教室から社会へ」と野球部のベンチには大きく記されています。齋藤監督の御指導のもと、野球をとおして生徒たちは大きく成長しています。学校にとってかけがえのない監督、教育者であり、畏敬の念を禁じ得ません。
書道パフォーマンス
書道パフォーマンス
昭和30年(1955年)4月1日に多良木町と久米村、黒肥地村が合併し、現在の多良木町が成立して60年が経ちました。去る11月21日(土)午前に多良木町の合併60周年の記念式典が町民体育館で挙行され、私もお招きを受けました。姉妹交流の北海道南幌町の町長さんのような遠来のお客様をはじめ総勢400人ほどの出席者で会場は埋まり盛大な会でした。
多良木町の合併当時の人口は2万人を超えていたそうですが、現在は1万人を辛うじて維持している状況です。町名のとおり「多くの良い木がある町」として檜、杉等の良材を産出し、木材の集散地としてかつて賑わいを見せた多良木町も人口減及び少子高齢化が進んでいます。しかし、60周年ということは人間の年齢でたとえるなら還暦を迎えたことになり、新たな出発を意味します。松本照彦町長も「健康で、明るく、住みよい、誇りの持てるまちづくり」の実現に向けて決意を示されました。合併60周年記念の小、中学生の作文でも、日本遺産に認定された豊富な文化財や清らかな風景、厚い人情などに思いが寄せられ、純粋な郷土愛が綴られていました。
式典終了後、町総合グラウンドに移動し、合併60周年記念「たらぎ農林商工祭」開会式に出席しました。そして、このオープニングステージに多良木高校書道部が出演し、音楽に合わせて筆を揮うパフォーマンスを披露しました。書道部5人と吹奏楽部1人(トランペット)で、きびきびとした爽やかな演技を見せ、創り上げた作品は次のような言葉が並びました。
いつも私たちを見守ってくれてありがとう
多良木高校で日々成長し
夢に向かって進んで行きます
多高プライドを胸に
いつも応援してくださっている地域の皆さん方への感謝の気持ちと未来に向かっての意志が伝わってきます。会場から盛大な拍手が送られる中、壇上に立つ生徒たちの姿がとても頼もしく見えました。
オープンスクール
オープンスクール
地域に開かれた学校を多良木高校は目指しています。「情報処理」の授業の社会人聴講制度や「書道」の社会人公開講座などについては以前に御紹介しました。本校は上球磨地域の生涯学習の拠点でもあると自負しています。学校がオープンであることは、とても大切なことだと考えています。多くの方が来校され、生徒の学校生活の様子を御覧いただきたいと願っています。注目されることで人は良い緊張感を持って生活します。授業も密室で行われてはいけません。ガラス張りの中、授業も行われるべきなのです。
多良木高校オープンスクールを11月17日(火)に実施しました。午前中は多良木町の町議会議員、教育委員会、そして小中学校の校長先生、学校評議員、同窓会の方々に授業を自由に参観いただきました。午後は、生徒の出身中学校の先生方、そして保護者の方々に授業参観をしていただき、その後、中学校の先生方と1年生との中学校別座談会も行いました。
高校の授業については、昔ながらの一斉講義式も残ってはいますが、アクティブ・ラーニングという言葉に象徴されるように生徒の主体的、協働的な学びを引き出せるようなスタイルに変化してきています。パソコン、プロジェクター、あるいは電子黒板等のICT(Information and Communication Technology)を活用したり、グループ別に話し合わせ発表させたりと多様な授業が展開されます。学習内容も、例えば科目「生活と福祉」では認知症予防の説明があっており、参観者の方の興味を引いていました。このように学校生活の中心である授業を保護者の皆様はじめ地域の方々に参観していただくことで、高校の授業の方法、内容が変わってきていることを知っていただき、まことに有意義でした。
「生徒の表情が良い」、「一人一人が大切にされていると感じた」、「挨拶がとても気持ち良い」、「落ち着いた雰囲気で楽しく授業を受けている」等、参観者の方からは概ね肯定的なアンケート結果をいただきましたが、まだまだ課題はあると思っています。これからも常にオープンスクールの精神で、開かれた学校づくりを進め、地域の方々から「わたしたちの学校」と愛されるように努めたいと思います。
しっかり歩く ~ 強歩会
しっかり歩く ~ 強歩会
秋の上球磨、中球磨の道を全校生徒で歩き通す「強歩会」を11月6日(金)に実施しました。球磨郡特有の濃い朝霧の中、朝7時40分に学校を出発。6チェックポイントを経て学校へ帰ってくる28㎞の行程に班別(5~7人)で挑みました。私も最後尾で歩きました。
第1チェックポイントの王宮神社(2.3㎞)では全員まだ余裕がありましたが、第2チェックポイントの栖山観音堂(7.3㎞)では急な石段が待ち構えていて、最初の難関となりました。そして、最大の難所は多良木町からあさぎり町深田に至る通称フルーティーロード(大規模農道)の約8㎞の道のりでした。ここは路肩が狭いうえに、走行する車両の多くはスピードを出しており、神経を遣いながら歩かなければなりません。そのため、心身共に疲れる区間です。途中、諏訪神社(11.5㎞)、勝福寺跡毘沙門天堂(14.3㎞)のチェックポイントで小休止を取りました。フルーティーロードに別れをつげ、深田小学校前を通り、球磨川の左岸に渡って、第5チェックポイントのめいはた橋下にたどり着いた時は安堵感に包まれました。生徒たちに笑顔が戻り、河川敷で昼食。
復路は球磨川沿いの快適なサイクリングロードをひたすら多良木町に向かって歩きます。空は高く澄み、球磨盆地を囲む山並みはくっきりと稜線まで見えます。球磨川の清流、河岸のすすきの群生、稲刈りが終わった田、時折見かける牧牛とゆっくりと景色が移っていきます。歩きながら、「何と平和で豊かな里だろう」と実感しました。
後半、1年生女子の生徒が足を痛め、大幅にペースダウンしましたが、3人の友達がその生徒に寄り添うように一緒に歩き、完走を目指しました。私もすぐ後に付いて励まし続けたのですが、多良木の町がなかなか近づいてこない感覚があり、これが歩くということだなあと思いました。最後は幾人もの職員が一緒に歩き始め、午後4時30分に多良木高校正門に到着しました。最も早くゴールした班から2時間遅れましたが、参加者全員が見事に歩き通したことを喜びたいと思います。ゴールは遠くに見えても、一歩一歩、友達と励まし合いながら進むと必ず目的地に着くことができるという体験、これが強歩会です。疲れても、足が痛くても、仲間がいたから歩き通したという自信が生徒たちのこれからの高校生活を支えてくれると信じています。
(フルーティーロードを歩く)
襷(たすき)をつなぐ ~熊本県高校駅伝大会
襷(たすき)をつなぐ ~ 熊本県高校駅伝大会
10月31日(土)に、熊本市の「うまかな・よかなスタジアム」(熊本県民総合運動公園陸上競技場)をスタートゴールとして熊本県高等学校駅伝大会が開催されました。多良木高校も男女ともに出場し、私も沿道を移動しながら声援を送りました。
女子は午前9時30分スタート、5区間で約21㎞走ります。本校は女子の長距離選手は3人しかいませんが、普段は陸上部のマネージャーをしている2人の生徒がこの駅伝大会に向けて練習を重ね、5人そろい出場を果たしました。。また、男子は午前11時20分スタート、7区間でマラソンと同じ42.195㎞走ります。男子の長距離選手は6人で、1人足りませんでしたので、脚力ある野球部の生徒に加勢してもらいました。男女ともに懸命の走りを見せ、結果は女子27位、男子24位でゴールしました。
駅伝は日本発祥の競技ですが、今や「EKIDEN」という言葉は世界に知られています。正月恒例の大学生の箱根駅伝大会は国民的行事となりました。襷をつないで長い距離を走り継ぐ駅伝は、一人一人に強い責任を求めると共に全体のまとまり、チームワークが必要とされます。苦しくとも襷をゴールまでつなぐための精一杯の走りに多くの人が胸を打たれるのでしょう。
今回、沿道や中継地点で応援してみて、駅伝の魅力を存分に体感しました。駆け抜けるランナーの躍動感に目を見張り、中継地点での迫力ある襷リレーに思わず大きな声で声援している自分に気づきます。大勢の観衆の方がつめかけておられましたが、多良木高校の幟や生徒のゼッケンを見て、「たらぎ、がんばれ」と熱い応援をいただきました。女子選手の一人は、「たらぎ、たらぎ」の声援があまりにも多く、走りながら涙が出そうになったとレース後に語っていました。閉校予定の小さな学校が男女ともに出場し、懸命に走っている姿は、県民の方々に対し「多良木高校は元気です」と力強く発信できたのではないでしょうか。「多良木高校」の襷を立派につないだ生徒たちを心から称えたいと思います。
多高プライド ~ 誰も見ていなくても
多高プライド ~ 誰も見ていなくても
10月20日(火)から21日(水)にかけ多良木町の恵比須神社秋季例大祭が開かれ、神社周辺には露天商が並び、多くの人出で賑わいました。二日目の夜9時頃、お祭りも終わって露天商の店仕舞いが始まりました。神社境内や周囲の道にはゴミが散乱していました。その時、多良木高校3年生男子の3人が自発的にゴミを拾い集め始めました。「このままの状態ではいけない、自分たちでやろう」と思ったそうです。その行為を見ておられた方が、翌朝、学校と町役場へ称賛の電話を掛けてこられました。
また、体育部活動の生徒たちの登下校の挨拶について、よくお褒めの言葉が寄せられます。先日は、あさぎり町上にお住まいの方から、「毎夕、部活動帰りの自転車に乗った多良木高校生が気持ちの良い挨拶をしてくれます。」とお電話がありました。校内や学校周辺ではなく、遠く離れた所でも挨拶ができていることを頼もしく思います。
多高生の皆さんが思っている以上に、地域の方々は皆さんの元気な挨拶を喜ばれます。多良木町の高齢の女性の方が、「野球場の脇の道を歩いていると、生徒さんが、こんちは!と言ってくれます。こんなばばさんにまで挨拶してくれて、うれしゅうて。」と感激して私におっしゃったことがあります。
年度当初から、生徒の皆さんに私たち職員は「多高プライド」を呼びかけてきました。自分に恥じない高校生活を送って欲しい、大人が、あるいは他の学校の生徒がみっともない行動をしても、自分だけは流されず善く生きようと思って欲しいのです。くまがわ鉄道やバスを利用する時、「これは公共のもの、皆のものであるから、私のもの以上に大切にしなくてはいけない」と思って欲しいのです。
あなたの行いを誰かが見ています。いや、たとえ誰も見ていなくても自分自身に誇りを持つと見苦しいことはできないはずです。そんなことをする自分を自分自身が許せない、という気持ちになってくれることを期待します。今年の文化祭のテーマは「一生多高生」でした。卒業しても、閉校となっても、多良木高校生としての誇りを一生持ち続けたいという皆さんの思いを信じています。
強歩会に向けて
強歩会に向けて
11月6日(金)は、多良木高校の秋の恒例行事である強歩会の日です。今年のコースは、多良木高校を出発し、里の城(さとのじょう)大橋で球磨川の右岸に渡り、通称「フルーティーロード」(大規模農道)をあさぎり町深田まで歩き、明甘橋(めいはたばし)で球磨川の左岸に渡り、川沿いのサイクリングロードを多良木町に帰ってくるもので、28㎞の行程です。人吉・球磨地域は今春、日本遺産の地に認定されました。遠い昔から先人達によって受け継がれてきた貴重な文化財や豊かな風土が息づいており、今回の強歩会の道においても、歴史と信仰の遺産、そして素朴で穏やかな風景と出会うことができます。
第1チェックポイントとなっている王宮(おうぐう)神社(多良木町)は、茅葺(かやぶき)の屋根を持つ二階建ての楼門(ろうもん)が必見です。室町時代の1416年に領主の相良氏によって建立されており、県内最古の楼門です。
第2チェックポイントの栖山(すやま)観音堂(多良木町)は、相良三十三観音の一つで、石段を登った森の中にあります。ご本尊の木造千手観音像は高さ2m83㎝と大きなもので、鎌倉時代につくられました。現在、熊本県立美術館で開催中の「ほとけの里と相良の名宝」展に出展中で実物を見ることはできませんが、仏を守る毘沙門天(びしゃもんてん)や持国天(じこくてん)などの3体の像は残されています。
第4チェックポイントの勝福寺(しょうふくじ)跡の荒茂(あらも)毘沙門堂には、平安時代後期につくられた毘沙門天像が安置されていますが、残念ながらこの像も県立美術館に出展中のため見られません。高さ2m43㎝の迫力ある像で、像内の墨書から、製作された年が久寿三年(西暦1156年)と特定されていますので、およそ千年間、この地を守ってこられたことになります。この他、毘沙門天や仁王像など7体の像は拝観できます。
復路に当たる球磨川沿いのサイクリングロードは歩くのに快適な道です。清流を左手に眺め、河岸のススキの群生を吹き渡る風を感じるなど、五感全体で秋を受けとめ歩いて欲しいと思います。後半、足に疲労を覚えることでしょう。しかし、強歩会は競走ではありません。友達と共に、助け合い、励まし合いながら、しっかりと球磨の地を踏みしめ、一歩一歩を心掛けてください。私も最後尾から、皆さんの背中を追いながら、歩いて行こうと思います。
(王宮神社楼門)
みんな、本を読もう ~ 読書旬間に寄せて
みんな、本を読もう ~ 読書旬間に寄せて
10月26日(月)から多良木高校は読書旬間です。旬間(じゅんかん)とは10日間です。この10日間、大いに本を読もうということです。その具体的な取り組みとして、8時30分から15分間の朝読書を行います。朝読書のモットーは、「みんなでやる、毎日やる、好きな本でよい、ただ読むだけ」です。読まず嫌いの人は、この機会に読書の喜びを知って欲しいと思います。
テレビやインターネットの動画など映像が氾濫していますが、文字で構成された本の魅力は不滅です。例えば小説であれば、文字をとおして想像力が活発化し、頭の中で様々なイメージが喚起され、自分独自の物語が創り上げられていきます。本という扉を開くと、実に広く豊かな世界が広がっていることに気づくでしょう。本校図書室には4万3千冊余りの蔵書があり、昨年度の生徒一人当たり年間貸出数は14.1冊です。県内の高等学校の平均が10冊程度だそうですから、本校は平均を上回っていると言えます。多読の生徒もいます。1年生女子ですが、入学して7か月ですでに400冊以上借りている人がいます。驚くべき数字ですね。
読書は孤独な営みのように思われます。しかし、同じ本をクラスやグループで読み意見、感想を出し合う「読書会」、そして最近注目されているビブリオバトル、すなわち、お薦めの本を紹介し合って聴き手が最も読みたくなった本に投票する「書評合戦」は、読者同士の交流や連帯につながります。また、時空を容易に超越できるのも読書の魅力です。「徒然草」の著者の兼好法師は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて生きた人物ですが、平安時代の古典に親しみ、その古典の筆者達のことを「見ぬ世の友」と呼びました。夏目漱石の小説「こゝろ」は大正3年に発表され、大正時代の学生の気持ちをつかみましたが、それから1世紀たった現代の高校生の皆さんにも読み継がれています。
日暮れが早くなり、秋の夜長となりました。私が一人で住む職員住宅にはテレビもパソコンも置いていません。けれども退屈だとか寂しいとか思ったことはありません。読みかけの数冊の本と新聞をいつも手元において暮らしています。今夜も本を手に取り、自分一人だけのかけがえのない時間を楽しみます。
「ひと それぞれ書を読んでゐる良夜かな」 山口青邨
(多良木高校図書室)
地域に高校生の元気を発信 ~ 多良木町恵比須祭
地域に高校生の元気を発信 ~ 多良木町恵比須祭り
学校の周囲の田ではすっかり稲刈りも終わり、秋祭りの季節を迎えました。多良木町では、毎年恒例の恵比須(えびす)神社秋季大祭が10月20日(火)に行われました。恵比須神社は町の中心にあり、商売繁盛の神様として信仰されていて(地元の方は「えべっさん」と言われます)、地元商工会が中心となった奉賛会によって祭がとりおこなわれています。
祭の最大の呼び物が午後の御神輿行列です。今年も、こども神輿4基、大人神輿10基が多良木町のメインストリートである国道219号を1㎞ほど練り歩きました。この御神輿担ぎに多良木高校生が参加します。2学期中間考査が午前中に終了した後、2年生男女(計63人)がそれぞれ男神輿、女神輿を、揃いの法被姿で担ぎます。威勢のいい掛け声を発しながら進む高校生神輿に対し、沿道の見物の方々から「多良木高校がんばれ!」と温かい声援が送られました。また、所定の場所で一部の生徒がダンスパフォーマンスを披露し、大きな歓声があがりました。日射しが厳しく、気温も25度をこえ、玉の汗をかきながら生徒たちはおよそ2時間の神輿行列を果たしました。
また、1年生の女子は町の社会福祉協議会の皆さんと募金活動を行い、男子は防犯協会のパレードに制服で参加しました。「やっぱり高校生が祭に参加すると活気が出る」と奉賛会の方がおっしゃいます。有り難い言葉です。学校としては、地域の行事に参加することで、生徒たちが異年齢の方々と交流を深め、郷土愛を養うことにつながると考えています。神輿を担ぐ生徒たちは生き生きとして表情豊かで、きっと「感動体験」を得たものと思います。
夕方、露天商で賑わう恵比須神社境内を訪ねました。人混みの中、すらっとして清々しい感じの巫女さん2人と出会い、はっとしました。進路が決まった本校3年生女子がボランティアで巫女を務めていたのですが、普段の学校での様子とは見違えるほどの雰囲気でした。お祭りをとおし、地域において高校生が果たすことができる役割の大きさ、多様さを改めて思い知らされました。
江戸時代の民家での書道体験 ~ 国重要文化財「太田家住宅」
江戸時代の民家での書道体験 ~ 国重要文化財「太田家住宅」
9月に本校で始まった社会人対象の書道開放講座の第5回は、いつもの学校の書道室ではなく、多良木町にある国重要文化財「太田家住宅」にて実施しました。太田家住宅は多良木高校から自動車で10分ほどの所にあり、午後6時に学校で車に分乗し受講者の方々と一緒に私も移動しました。
太田家は、江戸時代、農業と酒造業を営んでいたと伝えられ、江戸時代末期(19世紀中期)に建造された住宅がそのまま残されています。建物は寄棟造(よせむねづくり)で、茅葺(かやぶき)の屋根を二カ所折り曲げており、人吉球磨地方の鈎屋(かぎや)型の古民家を代表するものです。現在の管理者である多良木町教育委員会の御厚意と御協力によって、同家の畳座敷にて書道講座を行うことができました。
夕闇迫る中、囲炉裏で桜の木材を燃やして暖をとり、二十人の参加者で古典の臨書に取り組みました。太田家の周囲は、昔ながらの細い道がめぐる農村地区で、静寂な秋の夕暮れの景色が広がっています。およそ百五十年前に建てられた古民家において、心静かに書の世界に没頭できました。当日、近隣の高校から書道の先生方が視察にみえましたが、その中のお一人が「何と豊かな時間でしょうか」と嘆声をあげられました。
デジタル全盛の今日にあっても、書道の価値はいささかも揺らいでいないと思います。墨の濃淡、そして自在な運筆で創り上げる世界は今なお多くの人を引きつけます。奈良時代の木簡(もっかん:木札に文字を墨書したもの)が平城京跡で大量に発掘されていますが、千三百年前の墨痕の鮮やかさを見て、墨の持続力に驚かされます。
多良木高校では芸術科の選択科目として書道の授業を実施すると共に、部活動として書道部もあります。先般開かれた本校文化祭のオープニングで書道部の書道パフォーマンスが披露され、観衆を魅了しました。高校生の皆さんにもっと書道に関心を持ってもらい、古から続く書道の果てしない世界の奥深さに触れて欲しいと願います。
中学三年生の皆さんへ
中学三年生の皆さんへ
球磨・人吉の五高校校長会(人吉、球磨工、球磨商、南稜、多良木)は、この地域の中学校二、三年生保護者の方々を対象に、高校合同説明会を10月7日(水)に人吉高校(下球磨地区)、8日に南稜高校(中球磨地区)、そして13日(火)に多良木高校(上球磨地区)で開きました。
私たちの共通の願いは、この地域の中学生の皆さんに「遠くの私学より、近くの県立」という気持ちを持って欲しいということです。球磨・人吉地域には、普通高校はじめ、工業、商業、農業の専門高校、そして多良木高校の体育コース・福祉教養コースと多様な学科やコースがあります。そして、寮や下宿で単身生活をすることと、高校まで保護者のもと安定した生活を送ることとを比較してみてください。さらに、通学の時間、費用のことも考えてください。今春、日本遺産にも認定された平和で豊かな球磨・人吉地域で高校生活を送り、友情を育て、地域の人々と交流し、故郷を愛する心を培い、大人へと自立していく力を養いましょう。
現在の中学三年生の皆さんまで多良木高校に入学できます。来年度の入学生が90有余年の歴史を持つ多良木高校の期待と注目のアンカーとなります。多高に入学できる最後のチャンスが皆さんにはある、と思ってください。学習とスポーツの恵まれた環境の中、約200人の生徒たちが地域の方々に愛され、キラリ輝く多高生として誇りを持って生活しています。
多良木高校は三つの約束をします。
一 平和の校訓のもと生徒一人ひとりがのびのびと生活できます。
二 広い敷地と充実の施設の中で自分の可能性を追求できます。
三 地域に開かれた学校として活発な交流と感動体験ができます。
皆さんの入学を地域の方々と共に待っています。
(多良木高校での保護者説明会)
高校生防犯ボランティア隊「若球磨パトローラーズ」発足
10月9日(金)、多良木警察署にて、高校生防犯ボランティア隊「若球磨パトローラーズ」が発足しました。南稜高校と多良木高校の生徒会役員を中心に結成され、隊長は多良木高校生徒会長の東尚輝君です。発足式での校長挨拶を次に掲げます。
「日頃から、上田署長様をはじめ多良木警察署の皆様方には、高校生の交通安全指導、薬物乱用防止、非行防止等、多くの面にわたって、御指導、御支援を戴いていることに深く感謝申し上げます。学校のみならず、私たち地域に住む者が、安全、安心な生活をしていくうえで、警察の皆さんほど頼りになる存在はありません。しかし、私たちは警察の皆さんに頼るだけ、依存するだけになっているのではないかと反省することがあります。
やはり、私たちが住む町、地域は私たち自身でつくっていくという意識が必要だと思います。今回の高校生防犯ボランティア隊「若球磨パトローラーズ」の発足は、安全・安心のまちづくりに高校生も積極的に参加することになるという点で画期的だと思います。
さて、先月の秋のお彼岸、伝統の相良三十三観音一斉開帳がおこなわれ、私もこの上球磨の観音堂を二日間巡りました。まことに平和な仏の里だと実感しました。この平和な上球磨の地を守り、未来に引き継いでいくためにも、高校生の時から自分の故郷を愛する気持ちを育てていきたいと願っています。
生徒の皆さん、ボランティアの基本は「できる人が、できる時に、できることをすること」と言われます。皆さんは南稜高校と多良木高校の生徒会役員で、高い意識を持ち、「できる人」達です。皆さんの行動は、地域に元気を発信することになると期待します。
結びになりますが、今後とも多良木警察署の皆様をはじめ、御来賓の方々には高校生を見守って戴き、何かお気づきのことがありましたら、遠慮無く学校へお知らせ戴きたいと思います。地域の皆様と共に、次代を担う人材を育てていく所存です。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。」
舞花さんのライブ
舞花さんのライブ
生徒の皆さんに本物の音楽ライブを体験させたいとの思いから、今年の文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」では特別企画が実現しました。スペシャルゲストとして出演してくださったのは、熊本市出身の若手シンガーソングライターの舞花(まいか)さん。映画の主題歌や銀行のCMソング等で人気、知名度と急上昇中で、声量豊かで伸びのある歌唱力に本校の音楽の教師が魅了され、無理を承知で文化祭への御出演をお願いしました。「高校の文化祭? 楽しみです。熊本の高校生が喜んでくれるなら」と舞花さんはボランティア精神で引き受けてくださり、困難と考えていた私たちは喜びを通り越して驚きの思いに包まれました。
多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」2日目(10月3日)は終日一般公開です。そのフィナーレの午後2時から、第一体育館ステージで舞花さんの特別ライブが始まりました。一曲一曲、観客の心を揺さぶるよう、情熱を込めて歌い上げられます。そして歌の合間に、生徒と気さくに対話をされ、歌手になる夢を中学、高校の時から持っていたこと、夢を追いかける気持ちが大切だということ、さらに自己鍛錬の場として路上ライブを重ね、歌唱力を養ったことなどを率直に語られました。念願のプロの歌手となった舞花さんですが、さらに無限の可能性を信じ、自らの力で未来を拓いていこうというエネルギーに満ちあふれていて、自信と希望で輝いていました。
ライブは、舞花さんを中心に生徒はじめ観衆全員が一体となり、最後は舞花さんのヒット曲「心」を合唱し、感激と興奮のエンディングを迎えました。輝いているプロの姿を身近に感じることは、高校生にとって大きな意義があると思います。自分もあんな輝く大人になろう、と一人一人が思ってほしいと願いました。
ステージから降りられ、普段着に変わられた舞花さんは、とても自然体で自らを飾ることのない優しい女性でした。見送る私たち職員、生徒に対し、車の中から手を振り続けてくれました。本校文化祭でのライブの後に舞花さんのオフィシャルサイトに掲載されたブログの一節を紹介します。
「みんな、とっても素直で、まっすぐな心を持っていて、暖かく迎えてくれて、礼儀正しくて、本当に素晴らしくて、可愛くて可愛くてしょうがないです。」
舞花さん、多高生は全員ファンになりました。応援します。
多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」開幕
「平成27年度多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」を盛大に開催できますことを生徒の皆さんと共に喜びたいと思います。テーマは「一生多高生 ~思いをつなぐ木綿葉祭(フェスタ)」です。卒業しても一生多高生としての誇りを持ち続けようという皆さんの思いが込められた素晴らしいテーマだと思います。
この文化祭に向け、1学期、新生徒会発足と同時に、生徒会の皆さんは企画、準備に着手しました。そして、文化部、クラスと取り掛かりましたが、ボランティア部の手話ビデオの撮影が最も早かったのではないでしょうか。校長室に撮影に来てくれたボランティア部の皆さんに「10月の文化祭を目指して、こんなに早くから撮影を始めるんだね」と声を掛けた記憶があります。
期間の長い短いはありますが、文化祭に向けて、皆さんは生徒会、文化部、クラス、そして有志で準備に取り組んで来ました。皆で協力して何かを創り上げることの面白さと難しさの両方を学んだと思います。日本の伝統工芸を表す表現に「手仕事」という良い言葉があります。一つ一つ丹誠込めて丁寧にものを作ることを表します。できあがった作品も文化ですが、取り組む姿勢や製作の過程(プロセス)もまた文化と言えるでしょう。展示作品、映像作品、そしてステージ発表のいずれも、皆さんが労力と時間、即ち手間ひまをかけ、協力して創り上げてきたものです。鑑賞する時も、そのプロセスに思いをめぐらし、丁寧に観たいと思います。
さて、木綿葉フェスタは多くの方の御支援、御協力があって成り立っていることを知っていて欲しいと思います。作業学習の成果物を展示してくださる球磨支援学校、書道・絵画作品を出品された近隣の中学校、そして同窓会の先輩の方々。バザーで盛り上げてくださる保護者の皆様。多良木町の活性化に取り組んでおられるNPO法人アイタルの皆さんも今年度初めて展示、ステージ双方で協力していただきます。さらに、生徒会特別企画の音楽ライブに御出演いただくシンガーソングライターの舞花さん。熊本県出身の舞花さんは、後輩の熊本の高校生が喜んでくれるならと交通費だけのノーギャラという破格の条件で来て戴くことになりました。感謝の言葉もありません。
多良木高校は地域に開かれた学校です。明日はきっと中学生はじめ多くのお客様が来校されることでしょう。どうか、皆さんの明るい笑顔で迎えてください。結びになりますが、木綿葉フェスタによって多良木高校の元気を広く地域に発信できることを願い、開会の挨拶とします。」
(書道部の発表)
PTA活動への期待
PTA活動への期待
多良木高校PTA行事として、9月26日(土)、体育館で保護者・教職員合同の親睦ビーチバレーボール大会を開きました。ビーチバレーボールは1チーム5人制ですが、各クラスで、保護者と担任副担任で5~6人のチームを編成し、私も入った職員チームも加わり、計7チームで試合を行いました。気温が30度近くまで上がる暑い日で、歓声をあげながらプレーに興じ、快い汗を存分に流すことができました。優勝は1年1組、応援に来ていた生徒の加勢を得た職員チームは最下位を免れ6位でした。一緒にスポーツを楽しむことで保護者同士、そして保護者と教職員との親睦が深まりました。
さて、地元に密着している小・中学校に比べて、生徒の通学圏が広域にわたる高等学校のPTAはつながりの弱さや活動の難しさがよく指摘されます。確かに本校においても、保護者の方々の負担減を図ってPTA行事を精選していますが、参加される方の固定化や行事のマンネリズムの傾向が見られます。しかしながら、通学圏が市町村をこえて広がる高等学校においては、学校と保護者、学校と地域、そして保護者同士をつなぐことはPTAにしかできないと言えるのです。即ち、高等学校においてもPTAの果たす役割は大きいものがあると私は考えています。
保護者が自分の子どものためだけでなく、他の子ども、そして学校全体の生徒達のために活動する姿は、子ども達にどう映るでしょうか? PTAの役員を引き受けておられる保護者の子どもが生徒会役員を志望する割合が高いのは理由があると思います。保護者がPTA活動に取り組まれる姿は、子どもに対して、自分を抑制し公のために努力することの大切さを無言で伝え、自らを律する心を育てることにつながると信じます。
さらに、近年、少子高齢化が進む地域の高校のPTA活動は、学校の活性化をとおし地域起こしに貢献しています。高校を拠点とした地方創生の動きにPTAは重要な役割を担っているのです。PTA活動が新たな段階(ステージ)に入った感じがします。保護者の皆さん、私たち高校の教職員、そして他の地域の方々との出会いを楽しんでください。ただし、くれぐれも無理はされず、「できる時にできる人ができる事をする」という精神でお願いします。
棚田に思う
棚田に思う ~ 人がつくった文化的景観
多良木高校に赴任して2年目ですが、球磨人吉地域でまだ訪ねていない所が数多くあります。この9月の連休(シルバーウイーク)に球磨村の棚田を見に行きました。球磨村には多くの棚田があることで知られています。今は、稲穂が黄金色に輝き、棚田が最も映える時季だと思います。
球磨村の渡(わたり)の相良橋で球磨川をこえ、相良三十三観音の一つである鵜口(うのくち)観音堂に参り、山道を上りました。道は狭く曲がりくねり、運転には神経を使います。鵜口の棚田、梨で有名な毎床(まいとこ)の棚田を眺め、いよいよ目的地の松谷(まつたに)棚田を一望できる場所に着きました。標高150mから250mの間の山の斜面に、大小さまざまな形の田が織りなす風景にしばし我を忘れて佇んでいました。松谷棚田は農林水産省の「日本棚田百選」、その後、文化庁の国の重要文化的景観にも選定されました。
棚田は「文化的景観」と言われます。人が苦労して創り上げた景観なのです。松谷の棚田は、この地区の先人が、江戸時代から急斜面に石を積み上げ、水を引き、黙々と拓いて、引き継がれてきたものです。人力による協働作業で気の遠くなるような労力をかけて米をつくってきたのです。その刻苦にただ頭が下がります。「耕して天に至る」。棚田を表現する時によく使われる言葉ですが、人間の力とはいかに凄いものか、棚田を見ると実感します。
「松谷棚田のことを知っている?」と球磨中学校出身の生徒に尋ねてみたら、知っていますとはっきり答えました。松谷棚田の近くにある交流体験館「さんがうら」(旧一勝地第二小学校)に宿泊した体験も持っていました。「棚田は先人の方々が汗水流し、子孫のため、即ち君たちのために造ってくれたものです。だから、感動を呼ぶのです。誇りに思ってください。」と私が語ると、生徒は深く頷いてくれました。
松谷棚田の風景
仏の里を歩く~相良三十三観音巡り
仏の里を歩く ~相良三十三観音巡り
「暑さ寒さも彼岸まで」。彼岸が近づくと、亡くなった祖母がよく口にしていたこの言葉を思い出します。球磨盆地も、朝夕は秋風が立ち、黄金色に実った田の畦には彼岸花の朱色が鮮やかに添えられ、季節が変わろうとしていることを実感します。そして、人吉球磨地方に秋の訪れを告げる相良三十三観音の一斉開帳が9月20日から26日にかけて始まりました。
球磨盆地に点在する一番札所から三十三番札所までの観音堂には三十五体の観音像がまつられていて、春と秋の彼岸の時期に一斉開帳され、それらを巡礼する相良三十三観音巡りは江戸時代中期から続いています。観音菩薩は変幻自在に姿を変えて現れ、人々の願いを受けとめる慈悲の仏様で、いずれも優しい姿をしていらっしゃいます。観音像の多くは旧道や田圃の脇、林の中などにひっそりとあるお堂に安置され、地域の方が永く守り伝えてこられたものです。これらの観音堂はのどかな田園風景に溶け込み、素朴な風情があります。
また、それぞれのお堂では地域の方々が心尽くしの手料理、お茶、お菓子を振る舞われます。この温かいお接待が相良三十三観音巡りの大きな楽しみです。昨年も2日間巡りましたが、今年も22日、23日と訪ね歩き、仏様を拝観し、地域の方々のおもてなしを受け、まことに平和な時間を過ごしました。二十二番の上手観音(あさぎり町須恵)では、本校職員のご母堂がお接待をされていて、偶然の出会いとなりました。なお、私が最も魅了されている観音様は二十八番の中山観音(多良木町奥野)です。平安時代につくられた、檜の一木造りのまことに品格ある聖観音像です。四天王像に守られての立ち姿は、この世のものとは思えない気高さが漂います。昨年、今年とすでに三度お参りしました。
三十三観音巡りについて、生徒の皆さんに尋ねてみると「知ってはいますが…」、「祖父母がお接待をしていますが、私は参加していません。」等の答えが多く、あまり関心がないようです。少し残念ですが、今はそれで良いのかもしれません。年齢を重ねていくと、きっとこの風習のゆかしさ、古仏や観音堂を守り継承されてきた先人の努力の尊さを再発見することと思います。そして、この遺産を受け継ぎ、未来につなげていこうという気持ちになってくれることを願っています。
二十八番中山観音
デジタル世代の君たちへ
デジタル世代の君たちへ ~ 直接、対話しよう
「今までは『電話なんかで済ませるな』 今では『せめて電話で話せ』」
山形県の高校生の作であるこの短歌を新聞で目にした時、思わず苦笑しました。スマートフォンと無料通信アプリLINEの急速な普及に伴い、高校では情報モラルやマナーのあり方についての指導が後手に回っている観は否めません。高校生の皆さんは、物心がついた時からインターネットを介してのコミュニケーションが当たり前の環境で生活しており、デジタル世代、またはデジタルネイティブと呼ばれています。インターネットの利便性については改めて申すまでもなく、世界の情報、通信のあり方を根本から変え、人々の暮らしそのものに大きな影響を与えています。
しかし、高校生の皆さんの情報モラルやマナーは、ネット環境の進展に見合うものでしょうか? 電車内や歩行中、あるいは入浴、食事中さえスマートフォンを手から離さない極度の依存、LINEトークや掲示板、ブログ等への自己中心的な書き込み、誹謗・中傷などの状況が見られます。そして、残念なことにネット上の問題から人間関係のトラブルに発展する事例も起こっています。
昨年度、生徒会が中心となって「携帯電話等(スマートフォンを含む)の使い方の多高生のルール」を決めました。人吉・球磨の県立学校共通ルールとして午後10時から午前6時までは使用しないこと、その他に個人情報を載せない、勉強中及び食事中には使用しない等の決まりがある中、「大切なことは直接伝える」という項目があります。このことは、人間関係において基本であり、とても大事なことと思います。皆さん、直接、相手の顔を見て、話しましょう。対話することでより良い人間関係を築くことができます。
また、デジタル世代の皆さんは、すぐに結論や答えを求める傾向にあることも気になります。生活していく上で、人間関係をはじめ簡単に解決できない問題と必ず遭遇します。その時、インターネットの検索のようにただちに答えが見つかるわけではありません。自分でじっくりと考え、信頼できる大人や友人に相談することが重要です。
スマートフォンは大変便利なものですが、生活をしていくうえの道具(ツール)の一つでしかありません。何かに夢中になっていて、今日はスマートフォンを触ることを忘れていたというような日がもっとあっていいと思います。そして、「対話すること」、「じっくりと考えること」を心掛けて高校生活を送って欲しいと期待します。
多良木高校校舎正面
3年生を励ます ~3年進路激励会
3年生を励ます ~ 3年生進路激励会 ~
「どんな時にあなたは幸福だと感じますか」という問いに対して、30代以上と10代20代の世代では考え方が大きく異なる結果が出ています。30代以上の世代、即ち大人は、「平穏無事」の言葉に象徴されるように、昨日も今日もそして明日も大きな変化がなく、無事に生活できることが幸福だと答えています。私もそうです。しかし、10代、20代の若者世代は違います。将来への希望がある状態が幸福だと答える人が多いのです。将来は看護師になりたい、大学の工学部で勉強し、就職してエコカー開発に関わりたい等の希望を持ち、それに向かって努力し、自分の生活が変化していく過程(プロセス)こそ、最も充実した幸せな時間なのでしょう。
鍵は、未来において何かが自分を待っていると信じることができるか、だと思います。この期に及んで、高校時代を振り返り、もっと勉強しておけば良かった、部活動で頑張っておけば良かったと後悔して前に踏み出すのが遅れている人はいませんか?「振り向くな 振り向くな うしろには夢がない」と劇作家で詩人の寺山修司はかつて若者に呼びかけました。大切な事は「今、ここで」です。多良木高校3年の今、できることに全力で取り組みましょう。
また、他の人の動きが気になり、つい比較して焦ったり、逆に「どうせ自分は」などと消極的になったりしている人はいませんか?皆さん一人一人に個性があるように、高校3年生の進路は多様です。「競走するなら自分と競走してください」。そして、「これでいいのか、今のままでいいのか」と自分自身と対話して、時には自分を叱ってください。
まとめとして、具体的なことを皆さんに望みます。教室で、図書室で、受験勉強はお互いに教え合ってください。友達は身近な先生です。面接の練習もお互いで批判し合って、取り組んでみてください。勉強も面接も繰り返すことが大切です。同じ事を繰り返す中で、コツをつかんでいきます。量は質を高めます。そして、私たち教職員を大いに頼り、活用して欲しいと思います。皆さん全員の進路希望の達成に向けて、3学年の先生方だけでなく、本校の全ての教職員が協力します。すでに校長室は模擬面接用に模様替えしています。昼休み、放課後、いつでも来てください。また、早々に9月中に就職や推薦入試で合格を得たとしても、これから受験するクラスメイトのこと、学年全体のことを常に意識していて欲しいと思います。皆さんはチーム多良木の一員だからです。
結びになりますが、2学期始業式で語った言葉を重ねて伝えます。「助け合い、励まし合い、志高く」。私からの激励の言葉を終わります。
生涯、学び続けたい
生涯、学び続けたい
~ 社会人開放講座の活況 ~
江戸時代の豪商についての本で(出典は忘れましたが)、冨を手にし道楽も尽くしたが、「学問が一番面白い」と最後は学問に熱中する商人が少なくなかったという話を読み、とても印象に残っています。学問とは一生かけて関わる価値がある面白いものだと理解しました。
今年度も、「地域に開かれた学校」という理念のもと、多良木高校は地域の社会人の方々に二つの学びの場を提供しています。一つは、1学期当初から実施している、科目「情報処理」の社会人聴講生制度です。これは、水曜日の2、3時間目に2年1組の生徒と一緒に「情報処理」の授業を受けるもので、昨年度は6人、今年度は10人の方が希望され、熱心に学ばれています。受講されている方々は、中高年世代であり、コンピュータは初心者です。しかし、教師の説明を一言も聞き漏らすまいと一生懸命に聴講され、コンピュータの操作に没頭される姿は、物心ついた時にはすでに身の回りにコンピュータがあったデジタル世代の高校生にも大きな影響を与えています。一方、社会人聴講生の方々は、「高校生から元気をもらっています。」と笑顔を見せられます。
そして、この9月から、同窓会と多良木高校との共催事業の「書道開放講座」が始まりました。この書道開放講座は、水曜の夕方6時から2時間、書道室にて本校の書道担当教師が受け持ち、2学期中に10回行います。昭和63年から続く伝統があり、毎年楽しみにされている方が多く、今年度も多良木町はじめ球磨郡から22人の応募があり、9月2日(水)に開講式と第1回講座を実施しました。私も昨年度からこの書道講座の末席を汚しておりますが、墨の匂いに包まれ、静寂の中に緊張感ある書道の雰囲気に魅了されています。社会のデジタル化が進展しているからこそ、アナログとも言うべき書道は益々魅力を発しているように思えます。
コンピュータと書道という対極にあるような二つの学びの場に地域の方々が集っている学校、多良木高校。このことを誇りに思い、これからも地域と共に歩み続けたいと思います。
インターシップに取り組む君たちへ
インターンシップに取り組む君たちへ
明日から3日間、皆さんは、学校を離れ地域社会の中で実習をします。実習とは実際を学ぶことです。知識ではなく、仕事、職場の実際を学ぶのです。頭だけでなく、身体中の機能をフルに使って修得してきてください。
皆さんを送り出すことに、不安はあります。学校での指導は十分だっただろうか、各事業所に御迷惑をおかけしないだろうか、と。しかし、昨年度もそうでしたが、地域の方々は、「高校生のためですから」と快く協力してくださいます。次代を担う高校生を地域全体で育てていこうという協力体制が球磨郡はできています。有り難いことです。各事業所の御協力あってこそインターンシップは実施できるのです。「この度は、実習させていただき、有難うございます。」と最初の挨拶では感謝の思いを表明してください。
そして、自分以外は皆先生という思いで、謙虚に取り組んでください。人と接するときは努めて笑顔をつくってください。楽しいから、幸せだから笑顔になるのではありません。笑顔だから楽しさ、幸せを呼ぶのです。
失敗することがあるでしょう。真剣に取り組んだ結果の失敗は、必ず認めてくれます。ある製造業の社長さんが言われました。「成功の反対は失敗ではない。何もしないこと。失敗しないと学べないことがある。」と。そういう意味では、皆さんは失敗をするためにインターンシップに行く、と言ってもよいかもしれません。
皆さん一人一人が多良木高校です。「おっ、多良木高校生か。野球はベスト4まで勝ち上がり、よく頑張ったね」と言われるかもしれません。その時は、「応援してくださってありがとうございます。」と学校の代表のつもりで御礼を言ってください。コミュニケーションとは言葉の往復、往来です。一方通行にならいないことです。こちらから積極的に挨拶する、わからないことは尋ねる、そして指導や助言を受けたら、必ず返事をする、そのような基本的なことができればコミュニケーション能力は上達していきます。
皆さんが充実した3日間を過ごし、一回り成長して学校に帰ってくることを期待して挨拶とします。
* 多良木高校インターシップ(職場体験)事業は、9月1日~3日にかけて2年生全員63人が多良木町はじめ人吉市、球磨郡の計33事業所の御協力で無事に実施できました。
御協力いただきました各事業所の皆様方に厚く御礼申し上げます。
(上球磨消防署でのインターンシップ)
海のまち山のまち交流会
海のまち山のまち交流会 ~ 鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流
多良木町は鹿児島県阿久根市と交流事業を実施されていますが、この事業の一環として、去る8月29日(土)に阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校の野球部と女子バレー部が来町され、本校で交流試合を行いました。昨年は、本校から野球部と女子バレー部が阿久根市を訪問し、明るい海の街、阿久根で大歓迎を受けており、今年は多良木高校がおもてなしをする番です。
当日は朝から無情の雨が断続的に降り、午前の交流試合は、野球は途中で打ち切らざるを得ませんでした。しかし、女子バレーは体育館で予定どおり4セットの試合を実施できました。鶴翔高校の女子バレー部は鹿児島県でも強豪として知られており、一つ一つのプレーに強さとうまさがあり、試合をとおし多良木高校バレー部は多くのことを学んだようです。
午後1時から多良木町の交流館「石倉」で、阿久根市及び多良木町の議会、行政の関係者の方々、そして両高校の職員、部員との交流会が開かれました。交流館「石倉」は、昭和の初めに米倉庫としてつくられた石造りの倉で、現在は改修されて町の多目的ホールとして利用されています。阿久根市の皆さんは、歴史的建造物が利活用されていることにとても興味を持たれました。また、本校野球部の保護者の方々による心尽くしの手料理に大変喜ばれました。生徒達は、同じスポーツを愛好する者としてすぐに気心が知れ、打ち解けて歓談していました。私もまた、近藤伸子校長先生をはじめ鶴翔高校の職員の方や阿久根市訪問団の方々と懇談でき、和やかで有意義な時間となりました。
多良木高校は全校生徒198人の高等学校としては小規模校です。在籍生徒数が少ないからこそ、他校や地域社会との交流の機会を増やすように努めています。今回は多良木町の御支援のおかげで、鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流が実現し、望外の喜びです。
(交流会で校歌を斉唱する多良木高校生)
市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に
市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に
「望みは遠し 雲居の峰の 髙き市房 み空に仰ぎ」
犬童球渓作詞の多良木高校校歌にも登場する市房山は標高1722mの高峰で、熊本県水上村と宮﨑県の境にそびえ、学校の校庭からその山容を眺めることができます。古くから、球磨・人吉地域では霊峰として信仰されてきました。
多良木高校1、2年生の体育コース(計46人)は野外活動として8月26日から28日にかけて水上村の市房山キャンプ場で2泊3日のキャンプを実施しました。その二日目、生徒全員と体育科教師5人そして引率団長の校長の私で、市房山登山に挑みました。
午前9時にキャンプ場を出発。渓流を渡った所に石鳥居があり登山口です。4合目にある市房山神宮までは険しい参道となります。大杉が並び、中には「平安杉」と呼ばれる樹齢千年の巨木もあり、まことに壮観です。段差の大きい石段が続く八丁坂を登り切ると朱色の社殿の市房神宮です。ここまで所要1時間、皆まだ元気です。
しかし、ここからが本格的な登山道の始まりで、道は急峻となり、6合目から7合目にかけては岩の間を這い上がったり、丸太の梯子をよじ登ったりと全身を使っての奮闘です。私は最後尾に付いていたのですが、8合目あたりから自然に遅れ始めました。改めて、体育コースの生徒の体力、健脚に脱帽です。最後、頂上の手前50m付近で、生徒数人が迎えに来て、私のリュックを持ち、「校長先生、もう少しです。がんばってください!」と励ましてくれました。生徒たちの応援のお陰で、私も無事に山頂に立つことができました。登り始めて3時間半が経過していました。
山頂は雲が一部かかっており、気温も低く感じられ、さすがに高山にいることを体感しましたが、達成感に包まれて弁当を開きました。私は、学生時代に2度登ったことがありますが、山頂まで来たのはそれ以来で、実に30年振りの頂上で、感慨深いものがありました。
下山は滑りやすい所が多く、神経を使いながら一歩一歩降りていきました。生徒同士で、「気をつけろ」、「木の根に注意」など大きな声を掛け合い、頼もしく感じました。全員、大きな事故もなくキャンプ場に帰着したのは午後4時でした。まさに1日がかりのタフな登山でした。天然記念物のゴイシツバメシジミチョウには出会えませんでしたが、鳥のさえずり、枝葉のそよぐ音、柔らかな木漏れ日、樹木の匂い、そして爽快な眺望と五感で楽しむことができ、心地よい疲労が残りました。そして、何より生徒のたくましさと優しさを知ることができ、教師冥利に尽きる登山となりました。
(市房山頂にて)
鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて
鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて
全国PTA連合大会が8月に岩手県で開かれましたが、大会会場の岩手県盛岡市に入る前日、熊本県の高校のPTA役員さんや先生方と共に宮城県石巻市を訪問しました。石巻市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を受けた所です。震災当時、人口16万2千人の石巻市で死者、行方不明者合わせて4千人に上りました。その石巻の復興の状況をぜひこの目で見たいと思っていました。
最大の被害地である南浜地区は、大津波が太平洋から押し寄せ、車も家も、そして人も押し流されました。鉄筋3階建ての小学校(門脇小学校)は廃墟として残っており、津波の猛威を実感しました。かつて多くの住宅があった海沿いの平野は広い野原となり、鎮魂のお地蔵さんがつくられていて、私たちは手を合わせることしかできませんでした。自然災害の前には人間は無力なのかと重苦しい気持ちに包まれました。
しかし、避難の時、多くの中学、高校生が、幼児や小学生、あるいは身体の不自由な老人を助けたとの話しを聞きました。さらに、避難所では、中学、高校生が実によく働き、動いたそうです。「子どもは強いですよ」と震災体験者がしみじみと言われました。
そして、石巻市に、震災が起こった3月から12月までの間、延べ10万人を超えるボランティアの人々が全国から集まったのです。ほとんど水に浸かり、元通りになるまで1年かかると思われた中心市街地は、3か月で復旧しました。今や震災の傷跡を見つけることは困難です。震災当時、町のあちこちに高々と積み上げられた瓦礫の山々。一生、この瓦礫の山を見て暮らしていくのだと石巻の人々は覚悟したそうですが、4年目の昨年、瓦礫の撤去は終わりました。壊滅的な被害を受けた海岸部においても、日本製紙石巻工場が1年半後には完全復活を遂げ、国内最大規模の新しい魚市場の偉容を見ることができます。
地震、津波、あるいは台風など自然の力は確かに凄まじいものがあります。けれども、自然災害から立ち上がり、復興に取り組んでいく人間の力もまた凄いと実感した石巻への旅でした。
* 高校生の皆さんへのお薦めの本
『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(佐々涼子著、早川書房) 多良木高校図書室に備えてあります。
鎮魂のお地蔵さま(宮城県石巻市南浜町)
未来圏からの風をつかめ
「未来圏からの風をつかめ」
第65回全国高等学校PTA連合会大会岩手大会が8月20日~21日に岩手県で開催され、参加しました。大会テーマは「未来圏からの風をつかめ ~新時代を担う君たちと共に」。何と詩的な文句だろう、気鋭のコピーライターが作ったのかと思いましたが、岩手県が生んだ詩人で作家の宮澤賢治(1896~1933)の詩からの引用と知り、深く納得しました。出典は、「生徒諸君に寄せる」という詩です。長い詩のため冒頭部分のみ次に紹介します。
「中等学校生徒諸君
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である。」
宮澤賢治は、妹のトシの死を悼んだ絶唱の詩「永訣の朝」、永遠の友情を宇宙スケールで描いた「銀河鉄道の夜」などで知られる文学者ですが、4年間、花巻農学校で教鞭を執った時期がありました。その教師時代を振り返って宮澤賢治は次のような断章を残しています。
「この四ヶ年がわたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」
無名のまま亡くなり没後80有余年の今日、文学者として、思想家として、そして教育者としての宮澤賢治は益々注目されてきているように思われます。
全国高等学校PTA連合会大会岩手大会では、いじめ問題、スマートフォン依存など現在の高校生をめぐる様々な課題について、講演、意見発表、討論が行われました。ITをはじめ社会の急激な変化の中、高校生は自分の進むべき未来を目指すことができるのかとの危機感が会場では共有されていました。
しかし、保護者も私たち教師も、これからの新時代を担う君たちに期待しています。きっと君たちは、心を開き、未来圏からの風を感じ、自分の未来を想像し、それに向かって進んで行くだろうと信じています。
(多良木高校野球場)
児童1人の小学校のある集落
児童1人の小学校がある集落
~ 多良木町槻木を訪ねて ~
急速な少子化に伴い、熊本県内では小・中学校の統廃合が進む中、昨年度、7年振りに新入児童を迎えて再開校したのが多良木町立槻木(つきぎ)小学校です。役場から南に約20㎞離れた山間部の槻木には、昨年度の小学校再開校式以来、訪ねる機会がなかったのですが、夏季休暇を利用し、先日訪問してみました。県道143号が槻木には通じていますが、標高700mあまりの峠を越えなければならず、峠付近は折れ曲がった細い道路が続き、対向車との離合は容易ではありません。多良木高校からおよそ40分の運転で槻木小学校に着きました。
槻木小学校で、槻木の集落支援員をされている上治英人(うえじひでと)さんとお会いしました。上治さんの長女の南鳳(みお)さんが同小にとって7年振りの新入生でした。介護福祉士、ケアマネージャーでもある上治さんは、多良木高校の福祉教養コースに強い関心をお持ちで、高齢社会を支える人材の育成について、知識と経験を活かしたいと熱っぽく語られました。多良木高校の教育活動への地元の強力なサポーターがまた一人増えることになり、有り難く思います。
槻木小学校からさらに南の下槻木地区まで車を走らせ、室町時代の木造弘法大師像を安置する大師堂や同じく室町時代に建立された四所(ししょ)神社、県指定天然記念物のコウヤマキなどを見学して回りましたが、中でも目を引いたのが、大師堂脇の「悠久石」(ゆうきゅうせき)と呼ばれる、直径140㎝、重さ約4トンの巨大な丸い石(砂岩)です。平成18年の大雨で山の斜面が崩壊し、その中から出現したもので、自然の造形の不思議さに魅了されます。
槻木は過疎に悩む高齢者中心の集落ですが、都市とは異なるゆったりした時間が流れ、先人から受け継がれてきた歴史と文化があります。そして、このような集落にとって、小学校の存在はかけがえのない拠り所であり、希望となっていることを改めて実感しました。
二校で奏でたハーモニー(南稜高校・多良木高校の吹奏楽部合同演奏)
二校で奏でたハーモニー
~ 南稜高校・多良木高校 吹奏楽部 ~
第59回熊本県吹奏楽コンクールの高校Bパート(演奏人員15人以内)に南稜高校と多良木高校の吹奏楽部が合同で出演しました。7月30日(木)、熊本県立劇場において、南稜高校11人、多良木高校2人の合わせて13人での演奏を、南稜の紫藤校長先生と一緒に見守りました。嶋﨑先生(南稜高校)の指揮のもと、課題曲「輝ける夏の日へ」と自由曲「フラワー・クラウン」を全員で懸命に演奏する様子を見つめている内に、この合同出演に至るまでの過程も思い浮かび、感動に包まれました。
多良木高校の吹奏楽部は、現在部員が2年1人、1年2人の計3人であり、コンクールへの出演は当初諦めていました。けれども、南稜高校と合同で練習を重ねる中で、「一緒にコンクールへ出ませんか」と南稜高校の顧問の先生から御提案があり、生徒に気持ちを確認したところ、1年生の2人の男子が意欲を示しました。出場申し込み期限ぎりぎりで合同演奏が決まったため、熊本県吹奏楽連盟には事務手続き面で御迷惑をおかけしましたが、柔軟に対応していただき感謝しています。
コンクール出場が決まり、放課後や土日に多良木高校から5キロ離れた南稜高校へ2人の男子生徒は出かけ、合同練習を行いました。学校は異なっても音楽を愛好する者同士です。最初はぎこちない雰囲気もあったようですが、次第に息が合い、充実した合同練習になっていったそうです。本番では、両校吹奏楽部による心のこもったハーモニーが県立劇場コンサートホールに響きました。大規模校のような迫力ある演奏は望めません。しかし、地域の小規模校ならではの温かいサウンドだったと私は感じました。
南稜高校、球磨商業高校、そして多良木高校の3校が再編統合され、平成29年4月には新校2校が誕生します。大きな変化を迎えるに当たり、文化活動やスポーツ等の様々な場面で、3校は連帯を強めていきたいと思います。
(南稜高校における合同練習風景)
歓迎!中学生の「体験入学」
皆さん、おはようございます。
今日は、多良木高校「体験入学」に参加していただき、まことにありがとうございます。心から歓迎いたします。引率の先生方、保護者の方々にも深く感謝申し上げます。
中学生の皆さんに、多良木高校のことをより知って欲しいという思いで、生徒会はじめ生徒たちが中心となって、この「体験入学」を準備してきました。そして、今日の運営も生徒が主体となって行います。授業、部活動、そして学校生活全般について体験を通して、皆さんが理解してくれることを願っています。
多良木高校野球部は、夏の甲子園高校野球県予選大会でベスト4まで進みました。選手達はこの球磨人吉地域の中学校出身です。地元多良木町はじめ球磨郡全体から熱い応援をいただきました。これも、地元の高校ならではのことだと思います。皆さん、地元の高校の良さを改めて考えて欲しいと思います。
多良木高校では、校訓の筆頭に平和という言葉を掲げ、平和な学校生活を送っています。そしてキャッチフレーズが、「志高くキラリ輝く多高生 夢・汗・涙 感動体験」です。全校生徒約200人の高等学校としては小規模校ですが、全校生徒がチーム多良木としてまとまり、動きます。先週、野球部の応援に3回、バスを借りあげ全校で熊本市藤崎台球場へ行きました。選手と一体となって応援し、共に感動を味わう事ができました。
もっと多良木高校のことを語りたいのですが、今日は皆さんに多良木高校の豊かな施設設備、ゆとりのある校地、そして面白く優しい先輩達に実際に触れてもらうことが目的ですから、この辺で私の挨拶を切り上げたいと思います。
きょうの体験入学が、皆さんにとって感動体験となる事を願って挨拶といたします。
ありがとう野球部
ありがとう、野球部
~ 地域に元気を発信した野球部 ~
「野球部の活躍に元気をもらいました。」と多くの感謝の言葉を地元の多良木町をはじめ地域の方々から戴きました。夏の高校野球選手権大会県予選において、多良木高校野球部は30年振りの準決勝進出を果たしました。ベスト4に残った公立高校は多良木高校のみという快挙でしたが、一戦ごとに地元の方々の熱烈な応援が高まり、まるで学校と多良木町、そして最後は球磨郡が一体となっているような勢いを感じました。
初戦から多良木町が応援のバスを出されたこともあり、多良木高校の応援席は老若男女、様々な人々で埋まり、他校の応援スタンドとは異なる雰囲気がありました。地域に愛されているという点では、絶対に他校に負けない野球部です。監督の齊藤健二郎先生は、高校野球監督通算35年、御年66歳の名将であり、長年にわたって多良木高校教諭、校長、そして町社会教育指導員として地元に貢献されています。また、自営業の傍ら、無報酬で技術指導をしてくださる馬場コーチと尾方コーチは、いずれも本校野球部のOBです。そして部員は、多良木町をはじめ球磨郡の中学校出身者で占められています。生徒たちを子どもの時から知っている高齢者の方々が、酷暑の中、わざわざ藤崎台球場まで足を運ばれました。生徒たちを小、中学校で教え育てられた学校関係者も応援に来られ、その成長に目を細められました。
地域の小規模な公立高校の野球部であっても、甲子園出場を目指して懸命に努力する姿が、多くの人々の共感を得たのだと思います。準決勝で敗れた後、熱心に応援いただいた地元の方が「感動しました。多良木高校は地域の宝です。」とおっしゃいました。
これからも、多良木高校は地域と共に進んで行きたいと思います。
夢に挑んだ野球部
夢に挑んだ野球部
~ 夏の選手権30年ぶりのベスト4進出~
大人は、昨日と今日そして明日と大きな変化はありませんが、伸び盛りの高校生は違います。雨が降った後の若竹のようにぐんぐん成長を見せることがあります。この夏の多良木高校野球部の勢いがまさにそうでした。昨秋の新チーム結成以来、結果は出ていなかったのですが、強豪校相手に互角の戦いをしていたので、選手諸君には「君たちは力を持っている。自信を内に秘めて甲子園を目指して欲しい」と夏の大会前に励ましました。いざ大会が始まると、選手達は躍動して快進撃を見せました。
1回戦 矢部高校 0 - 8(7回コールド)
2回戦 開新高校 0 - 6
3回戦 熊本工業 2 - 3
準々決勝 東海大星翔 1 - 11(5回コールド)
準決勝 九州学院 6 - 3 敗戦
特に、伝統校の熊本工業校戦は、先制されながら追いつき、9回表に2年生の岩本君のホームランで逆転勝利するという劇的な展開にスタンドは沸きました。学校では、2回戦を体育館にて全校生徒でテレビ観戦、そして3回戦からは希望する生徒を募りバスで藤崎台球場まで応援に行き、7月23日(木)の準決勝は夏季休業中にもかかわらずほぼ全校生が参加することになり中型バス6台で応援に向かいました。地元の多良木町では初戦から希望の町民の方々を募ってマイクロバスでの応援を続けられ、勝ち進むにつれ参加する町民の方々が増え、町と学校が一体となって野球部を応援する光景が見られました。
夏の高校野球選手権大会での準決勝進出(ベスト4)は実に30年振りの快挙でした。30年前の昭和60年の多良木高校野球部を率いておられたのも今の監督の齊藤健二郎先生です。当時36歳の保健体育の教諭でした。当時のチームの主力で捕手を務めたのが、現在コーチをしていただいている尾方さんです。
人吉球磨地区からの初の甲子園出場の夢は準決勝で断たれましたが、伸び伸びと自分たちの力を発揮する生徒達を目の当たりにして、高校生の潜在能力の大きさ、可能性の豊かさを改めて教えられた夏でした。
(準決勝の応援スタンド風景)
ALTのチャールズ先生を送る
Greeting of thanks for Mr Charls.
Thanks for all of your works at this Taragi High School.
You taught students English hard and politely.
Students loved your English lesson.
You are very interested in Japanese culture, and you are very good at speaking Japanese.
We are lonely because you will return to your country, but we never forget working with you for two years.
We hope you will remember Taragi High School forever.
You are still young , and you have a great potential.
We look forward to the future of your success.
thank you so much.
ごくろうさま旧講堂(旧多良木高校校舎最後の遺構)
ごくろうさま旧講堂
~ 多良木高校旧校舎最後の遺構 ~
「講堂」と言うと、若い世代はどんな建物か理解できない場合が多い。講堂と体育館は違う。講堂は、学校において式典(入学式、卒業式、始業式、終業式等)や講演、集会をおこなうための建物で、戦前の学校には必ず設置されていた。現在の多良木高校には体育館は2棟あるが講堂はない。しかし、旧多良木高校には講堂があった。しかも、その建物が今も残っている。
旧多良木高校の校地は、現在の多良木高校から東におよそ500mの多良木町上迫田(かみさこだ)の地にあり、昭和43年(1968年)に今の新校舎へ移転となった。旧校地は多良木町に移管されて町民広場となったが、その北西の一角に旧講堂の建物だけが残り、主に町民集会場として活用されてきた。
この旧講堂は、多良木実科高等女学校の創立二十年記念校舎増改築に伴い、昭和16年に完成したものである。講堂は、96坪(約317.4平方メートル)の面積があり、「木の香も新しい大講堂」で来賓、保護者、生徒合わせて1100人が出席して盛大な落成式典が行われた(『多良木高校五十年史』)。
旧講堂の思い出がある同窓生の方は多いと聞く。中には、卒業後に町民集会場となっていた旧講堂で結婚披露宴を行った方もいらっしゃるそうだ。旧講堂は、多良木高校実科高等女学校以来の歴史を持つ、旧多良木高校校舎の最後の遺構である。補修を重ね、近年まで剣道や空手の練習場等に使われてきたが、老朽化が進み、耐震性の問題もあり、多良木町として建物の解体を決められた。この夏中には解体工事が実施される予定という。
先日、町教育委員会の案内で、同窓会の住吉会長さん達と一緒に旧講堂の内部に入った。竣工以来74年、風雪に堪えてきて建物は傷みが激しく、痛ましさを覚えた。一方、時間がとまっているような不思議な空間であり、戦前の女学生や戦後の高校生の在りし日の姿が浮かんでくる気がした。同窓生の方にとって、記憶の彼方にある女学校時代、高校時代の唯一の遺構が失われることは誠にさびしいことだろう。解体される前に、旧講堂の姿を今の多良木高校生諸君にも見て欲しいと思う。
(旧講堂の前に同窓会長と校長が並んで)
18歳選挙権
18歳選挙権の成立に思う
~ 生徒会役員立候補立会い演説会の開催に当たって ~
生徒会は多良木高校の全校生徒197人全員が会員です。生徒会は、クラスマッチや体育大会、文化祭など大きな行事を企画、運営することも仕事ですが、一方、挨拶運動や昨年度行われた「携帯・スマホの使い方のルール作り」、「いじめを防ぐ・なくす行動指標づくり」など日常生活に係る取り組みも重要だと思います。生徒の皆さん一人一人が工夫すれば、力を合わせれば、もっと充実した楽しい多良木高校が実現できると期待います。
今回の生徒会役員の選挙に、東君、草場君、那須さんの3人が立候補してくれました。進んで役員になろうという3人の志に敬意を表します。
さて、6月17日に国会で公職選挙法が改正され、選挙権年齢が現在の「20歳以上」から「18歳以上」に変わりました。選挙権、あるいは参政権と呼んでもよいのですが、これが拡大するのは1945年(昭和20年)に20歳以上の男女と決まって以来70年ぶりのことです。1年間の周知期間を経て施行となりますので、来年の7月以降に実施される選挙の投票日に18歳以上になっている場合は有権者となります。従って、今の3年生、そして2年生は(誕生日の早い遅いの影響はありますが)、来年度は有権者です。AKB総選挙ではなく、本物の総選挙、即ち衆議院議員選挙、または参議院議員選挙、県知事選挙、あるいは市町村長選挙、市町村議会議員選挙などをとおして社会にかかわることになるのです。
高校3年生で十分な判断ができるのか、早すぎるのではないか、と心配する声も聞かれますが、世界では18歳以上が主流だそうです。皆さん一人一人が、身近な地域のことから国の政治問題まで幅広く社会に関心を持つきっかけになると私は期待しています。
高等学校は、社会に出るための準備期間とも言われます。生徒会役員の選挙に真剣に参加することは、18歳選挙権を有意義に行使することにつながります。立候補者の主張を聴き、皆さん一人一人が、どんな学校であってほしいのか、どんな学校をこれからみんなで創るのかを考える場になることを願い、挨拶とします。
(生徒会役員投票風景)
甲子園100年~野球部の推戴式に寄せて
甲子園100年 ~ 野球部の推戴式に寄せて
30年前、台湾をバスで旅行したことがあります。その時、嘉義(かぎ)という町で地元のガイドさんが、「昔、嘉義農林学校野球部は台湾代表で甲子園大会に出場して準優勝した。それを今も誇りに思う。」と語られました。その時私は、「戦前は台湾から甲子園に出場していたのか」と感慨に包まれました。
日清戦争に勝利した日本は、清国から台湾を獲得し、日本領として統治することになります。明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)の日本の敗戦まで半世紀、台湾は日本領でした。したがって、戦前の夏の甲子園野球大大会(当時は高等学校ではなく中等学校でした)に、台湾から代表校が出場していたのです。そして、昭和6年(1931年)に嘉義農林学校野球部が準優勝という快挙を成し遂げたという史実を知りました。
この記憶は、私の中では薄れかかっていたのですが、昨年、「KANO 1931海の向こうの甲子園」という映画が台湾で製作され、日本でも公開されて話題になりました。当時、台湾は日本よりも野球のレベルが低く、その中でも嘉義農林は弱小チームだったそうです。しかし、日本から赴任した先生が監督になり、日本人と台湾人の混成チームを鍛え上げ、快進撃が始まり、台湾代表となって海を渡り甲子園の決勝戦まで進むという劇的な物語となったのです。目標に向かって、日本人と台湾人というわだかまりを超え、団結して戦い勝利する姿も感動的でしたが、試合に勝った時、喜びを抑えた嘉義農林学校野球部の態度が深く印象に残りました。弱かった嘉義農林学校野球部は、負けることの悔しさ、悲しさをそれまで嫌と言うほど味わってきたため、負けた相手のことを思うと、派手な喜びを示すことができなかったのです。
大正4年(1915年)の第1回全国中等学校野球大会から数え、今年は甲子園100年の記念の年です。100年の間に、嘉義農林学校野球部のドラマをはじめ幾多の物語、名勝負が繰り広げられてきたことでしょう。戦争による不幸な中断もありました。しかし、アマチュアの、しかもハイスクールのスポーツ大会に数万の観衆が押し寄せ、テレビ中継され、国民的行事になっていることに外国の人々は驚きます。日本が誇るスポーツ文化だと私は思います。
全国高等学校野球選手権熊本大会に臨む野球部の皆さん。皆さんは、白球に青春を賭けています。一つのことに打ち込めることは幸せなことです。新チーム結成以来、強豪校相手にも互角の勝負をしてきました。内には秘めた自信があることでしょう。仲間を信じ、負けないという思いで戦ってください。甲子園100年の年、夢の甲子園出場に向け、誇りをもって皆さんを送り出します。
「日本遺産」の故郷
「日本遺産」の故郷
「落ちつく先は 九州相良」という歌舞伎の名文句があります。江戸時代の人々にとっても、九州の山間に相良という殿様の治める地域があることは知られていました。相良氏は、鎌倉時代初期に源頼朝の命を受けて、遠江国(現在の静岡県)から人吉球磨の地に赴任し、以来、明治維新を迎えるまで700年の長きにわたって統治し、独自の文化と風土を創り上げました。熊本県内唯一の国宝である青井阿蘇神社(江戸初期)をはじめ、鎌倉、室町期の中世の文化財が数多く残り、江戸時代から始まった三十三観音巡りや臼太鼓踊りなどが伝えられています。歴史小説家の司馬遼太郎氏は、人吉球磨の地域を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と称えました。
私たちの故郷である人吉球磨地域が、今年4月、日本遺産(Japan Heritage)に認定されました。「相良700年が生んだ保守と進取の文化」として、他の17地域と共に文化庁が創設した日本遺産の初めての対象地域となったのです。その構成文化財には、青蓮寺阿弥陀堂、王宮神社、太田家住宅、百太郎溝、幸野溝など多良木町所在のものが幾つも入っています。これらの有形、無形の文化財は、私たちの日常生活に溶け込んでおり、普段は特別に意識をしない存在です。専門家や他の地域の人から見ると特別な歴史遺産が、ここ人吉球磨地域では日常光景の一つなのです。
改めて、私たちの故郷である人吉球磨地域の豊かさと、それを創り、継承してきた先人達の営みに感謝の念を捧げたいと思います。観音堂の仏様(仏像)一つにしても、代々それを大切に守り伝えてきた人々の努力あってこそ、今に存在するのです。私たちは、過去からの先人達の贈り物を受けとめ、それを未来につなぐ責務があると言えるでしょう。
多良木高校では、毎年、秋に強歩会という学校行事を開催し、人吉球磨地域の文化遺産を巡ります。今年も11月6日に実施予定で、日本遺産となった故郷を誇りに思い、生徒全員で歩きたいと思います。
(平成26年度 強歩会「中山観音堂」にて)
ボランティア ~自然体で取り組む高校生
ボランティア ~ 自然体で取り組む高校生
「とっても楽しいです!」とボランティア活動している生徒が目を輝かせ答えてくれた。6月6日(土)に多良木町民体育館で開かれた人吉球磨特別支援学級合同運動会(上・中球磨ブロック)に、42人もの多良木高校生がボランティアとして参加し、児童・生徒たちの支援や運動会の運営補助に当たった。
今年で第45回となるこの運動会への本校からのボランティア参加者数としては、恐らく過去最高だろう。「多良木高校からこんなに多くの生徒さんがお手伝いをしてくれて心強いです。」と大会関係者から感謝の言葉を戴いた。
ボランティアの生徒たちの様子を見ると、小学生、中学生に寄り添い、笑顔で一緒に運動会を楽しんでいる。男子生徒には小学校低学年の児童達がまつわりついている。5月23日(土)の球磨支援学校の運動会にも10人の生徒がボランティアとして参加したが、その時も同じ光景だった。ボランティアの生徒たちの姿は、何かをしてあげている、という感じではなく、とても自然な態度であった。
小規模校だからこそ交流の幅を広げたいと学校としては考え、小学校での本の読み聞かせや運動の支援、地域の教育、福祉活動へのお手伝い等、年間を通して数多くのボランティア活動の機会を用意し紹介しているが、多良木高校生は、実に積極的に参加する。そして、自然体で取り組んでいる。その姿を目の当たりにして、ボランティアが若い世代に定着していることを実感する。
「ボランティア(Volunteer)」という言葉は、義勇兵という語源の英語であり、自ら進んで社会のために活動を行うことを示す。もともと日本にも「奉公」や「奉仕」といった類似の言葉はあったが、「ボランティア」には自発性や無償性といった意味合いが強く含まれており、用語として広まった。特に、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の時に全国から自発的に集まり被災地の復興を手伝う人々をとおして、ボランティアの力が社会に認識され、この年を「ボランティア元年」と呼ぶこともある。当時、私が担任していたクラスの男子生徒の父親は、春休みになると(阪神・淡路大震災は1月17日に発生)仕事を休み男子生徒を連れて神戸市へボランティアに赴かれた。確か1週間ほど父子で瓦礫の撤去作業に従事されたと記憶している。会社のボランティア休暇制度もその後次第に整備された。
阪神・淡路大震災から20年の時間が経った。様々な問題が社会にはあるが、自然体でボランティア活動に取り組む高校生を見ると、この国の未来に大いなる希望を抱く。
スポーツマンシップでいこう(高校総体)
「スポーツマンシップでいこう」
「スポーツマンシップでいこう」の大会スローガンのもと、第43回熊本県高等学校総合体育大会(「高校総体」)が5月29日(金)から6月1日(月)にかけて開催された。「スポーツマン」とはスポーツをする男性という狭い意味ではなく、女性も含めて「スポーツをする人」と広く捉えているのだろう。
多良木高校からは、陸上(男・女)、サッカー(男)、バレーボール(女)、バスケットボール(男・女)、ソフトテニス(男・女)、アーチェリー(女)の各競技に出場した。私自身、各会場を巡り、キラリ輝く多高生を応援できた。
サッカーは5月23日(土)から先行開催されたが、24日(日)の熊本北高との2回戦は、残り3分で同点ゴールを決めて追いつき、延長戦でも決着がつかず、最後はPKで敗れるという劇的な試合となった。最後まであきらめずにプレーした選手達に拍手を送りたい。
「うまかな・よかなスタジアム」で競技する陸上部員の姿は普段よりも大きく見えた。立派なスタジアムは高校生を成長させると感じた。また、バレーボール、バスケットボールともに強豪校に敗れたが、チーム一丸となり持っている力を発揮する姿はすがすがしかった。そしてソフトテニスでは、特に女子の試合が印象に残った。昨年度の後半、部員不足でチームとしてほとんど練習できていなかったが、この高校総体に照準を合わせ出場に漕ぎ着けた。女子団体1回戦では、男子部員の声援を受け3ペアともに松橋高校と互角に戦い、1-2の惜敗であった。選手達は「自分たちはやればできる」と大いに手応えを感じたのではないだろうか。
アーチェリー競技を初めて観戦できた。会場は宇土市アーチェリー場。競技人口が少なく、女子団体は本校を含め3校しか出場していない。他の競技会場に比べ、観覧者も少なく、寂しい雰囲気だった。加えて、私が訪れた5月30日(土)は冷たい雨が降り続く最悪のコンディションであった。しかし、生徒たちは雨に濡れながらも、70m先の的を目がけて、一本一本の矢に気持ちを込め、自分の世界に集中していた。静かな空気の中に張り詰めた緊張感があり、自分が選んだスポーツに取り組むプライドさえ伝わってきた。
ルールを守り、審判に敬意を示し、正々堂々と公正に勝負を競い、勝っても負けても相手を称える、それがスポーツマンシップだ。多高生がスポーツマンシップで高校総体を戦い抜いたことを誇りに思う。
左手のピアニスト
左手のピアニスト
命を大切にする心を育むことを目的に人権教育講演会を5月21日(木)に多良木高校で開催しました。あさぎり町在住のピアニスト、月足(つきあし)さおりさんを講師として招きました。演題は「いのちの音色を響かせたい」。
月足さんは、小学校1年からピアノを習い、東京の音楽大学を卒業してピアニストの道を歩み始められました。しかし、出生の時から「脊髄空洞症」という難病と共に生きてこられたのです。最初に両足が不自由になられ、大学時代に視力が低下し、近年は右手に激痛が走るようになり、今は左手のみで演奏されています。その左手も病が進行し、特殊な装具を付けることによって演奏が可能な状態を維持されています。
ピアノを前にして座られ、かざりけなく率直に御自分のこれまでの歩みを語られました。視力が低下し、自分の病気が治る見込みのない難病だと自覚された時は絶望し、「死」を思われたそうです。
「しかし、私の病気のことで、家族や友達は陰で多くの涙を流していたことを知りました。死ねば私は楽になるのかもしれないけれども、家族や友達をもっと悲しませることになってしまうと思いました。まわりの涙で支えられたようなものでした。」
絶望を乗り越えた月足さんをまた不幸が襲います。目標の国際障害者ピアノフェスティバルの2か月前に、頼みの左手が動かなくなったのです。再び絶望の淵に沈んだ月足さんを救ってくれたのは、装具士の方でした。ピアノ演奏に適合した特別仕様の装具を製作してくださったのです。そして、2013年(平成25年)、ウイーンで開催された国際障害者フェスティバルにおいて金賞を受賞されたのです。
「もう一度生まれ変われたら健康な身体で生きたいと思います。けれども、健康だったら気づかないことに気づくことができました。何でもないことが楽しい、と感じることができるようになったことに感謝しています。」
お話の合間に「アヴェ・マリア」はじめ3曲演奏されました。月足さんのお話が進むにつれ、目頭を押さえる生徒の姿が見られました。
「これから病気が進行して、今までできていたことができなくなることが怖いし、悲しいです。でも、私一人の命ではないので、もう死ぬことは考えません。明日、ピアノを弾くことができなくなるかもしれないので、これで最後になってもよいと思ってピアノを弾くようにしています。」
月足さんはそう言われて、自ら作詞作曲の「雫 ~しずく~」を最後に弾かれました。深い余韻を残し、講演会は閉じられました。月足さんの「いのちの音色」は私たちの心の奥底まで響きました。
保護者の皆様へ(PTA総会)
御出席いただいた保護者の皆様に感謝申し上げます。総会の際に配布されたPTA会報「木綿葉(ゆうば)」の校長挨拶を次に掲げます。
地域と共に
保護者の皆様には、日頃から本校の教育活動に御理解と御協力をいただき、厚く御礼申しあげます。この度、校長に就任した粟谷です。昨年度一年、阪本校長の下で副校長としての勤務経験はありますが、責任の重さに身の引き締まる思いです。
さて、四月八日に入学式を挙行し、六十九人の新入生を迎えることができました。県立高等学校再編整備実施計画の対象校という厳しい環境の中、よくぞ本校を選んでくれたと感謝の思いです。教職員一同、新入生の期待に応えるべく全力で取り組んでいく所存です。
今年度、新二年生が六十三人、新三年生が六十五人であり、新入生を合わせ全校生徒百九十七人です。高等学校としては小規模ですが、小規模校の特性を生かし、一人一人の可能性を引き出す教育に全職員で努めます。そして、保育園児から小、中学生、あるいは高齢者の方々まで幅広い交流の機会を設けます。また、地域の行事への参加をはじめ、日頃の学習成果を積極的に発信していきたいと思います。
福祉教養コースの実習や二年生のインターンシップ(就業体験)など、学校教育の充実には地域社会の御支援が不可欠です。一方、高校生は、スポーツ、文化、ボランティアと多方面にわたって地域に活力を与える存在でもあります。本校は今年度も地域と共に歩んでいきます。
多良木高校はいつも学校を公開しています。学校行事や部活動だけでなく、普段の学校の様子を御覧ください。そして、お子様のことで何か気になることがあれば、遠慮なく担任等に御相談ください。保護者の皆様と共により良い学校づくりに取り組んで参ります。宜しくお願いいたします。
体育大会
体育大会の講評
昨日の雨の影響で、開会を1時間遅らせての体育大会でしたが、生徒の皆さん一人一人が主体的に動き、プログラムも順調に進行でき、多良木高校の力を結集して体育大会を創り上げることができました。保育園の子ども達やお年寄りの方々、そして保護者の方々にも喜んで競技に参加していただき、地域の皆さんと交流も深めることができました。多良木高校はこれからも地域に開かれたオープンな学校でありたいと願っています。
それぞれのプログラムはどれも見応えがあり、皆さんの一生懸命さが伝わってきました。ゴール目指して疾走する姿には熱いものを感じました。結果は1位2位…と表れますが、自分の走りができたかどうか、自己評価が一番です。大縄跳びや7人8脚競走、台風の目などの技巧種目は、参加者が気持ちを一つにしないとできないものです。チームワークの難しさを体験できたのではないでしょうか。そして、リレーはやはり体育大会の華です。「頼むぞ」、「よし」というバトンリレーの瞬間には引きつけられました。声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。また、全校生徒による集団演技「キラリ輝く多高生」は、きびきびした動き、力強さ、柔軟性、そして豊かな表現力と多良木高校生の力を遺憾なく発信できたと思います。ダンスの女子は笑顔が素敵でした。笑顔に勝る化粧なし、という言葉を贈ります。体育コースのプロムナード(集団演技)は観衆を大いに魅了しました。さすがは体育コース、と思わせる高い身体能力を見せてくれ、見事でした。
体育大会をとおして皆さん達に特に胸に刻んで欲しいことがあります。それは、自分が一生懸命に取り組んでいればきっと誰かが見ている、認めてくれるということです。練習、準備、そして今日の本番と続く中、皆さん一人一人の努力を、友達が、クラスメイトが、先生が気付き、認めてくれたと思います。昨日の朝礼で担任の先生から紹介があったと思いますが、通学する多良木高校生が道ですれ違う町民の方に大きな声で挨拶する姿が素晴らしい、とおほめの手紙が地元多良木町の方から寄せられました。「当たり前のことができる生徒さんが立派です」とその手紙は締めくくってありました。
皆さん一人一人が多良木高校です。全員が、自分に恥じない、当たり前のことを自然にできる生徒になって欲しいと期待します。
結びになりますが、最後まで御観覧いただいた保護者、地域の皆様に深く感謝を申し上げ、講評を終わります。
くま川鉄道
くま川鉄道
昨年度、副校長として多良木町多良木字馬場田の教職員住宅に1年間住んだが、100mほど離れた所にくま川鉄道の踏切があり、その遮断機の音が時計代わりとなった。朝は上りの始発列車(多良木駅6:40発)の通過が出勤の、夜は上りの最終列車(多良木駅22:30発)の通過が就寝のそれぞれ目安となる暮らしだった。
球磨、人吉地区の5つの高等学校は、くま川鉄道の最寄りの駅から徒歩10分以内にすべて立地している。鉄道は時間に正確で、運行は安定しており、生徒の通学を支える公共交通機関として、まことに有り難い存在である。また、平成26年から導入された観光列車「田園シンフォニー」の車両は、朝夕の通勤・通学列車としても走行しており、高校生は通学定期券でこの快適な車両に乗車できるのである。多良木高校生の乗車マナーが良い、と地域の方々の声を聞く。素晴らしい列車に乗せてもらい、自然にマナーも向上するのだろうと思う。日本一の通学列車を運行されているくま川鉄道のお陰だと感謝している。
私もくま川鉄道を利用させてもらっている。夜、人吉市で会合に出席し、下りの終電(人吉温泉駅21:35発)で多良木に帰ることが時々ある。乗り心地の良い「田園シンフォニー」の車両に揺られての30分間は贅沢な時間だ。球磨盆地の夜は真っ暗だから、と笑う生徒がいるが、夜は暗くてはいけないのかと私は思う。朝日を浴びて通学し、夜の闇の中で就寝する自然なリズムを高校生には大切にして欲しい。
民家の灯りがぽつんぽつんと見える闇夜を窓外に見ていると、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の世界を連想する。孤独な少年ジョバンニが親友のカンパネルラと「ほんたうの幸せ」を求めて幻想の世界を旅するファンタジーだ。決して子どもの童話ではなく深い思想に満ちた物語であり、高校生にこそ読んでもらいたい。
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいわいをさがしに行く。」(『銀河鉄道の夜』)
列車通学生ではない生徒の皆さんも時々はくま川鉄道に乗ってみるといい。列車に揺られ車窓風景を眺めていると、「考える時間」を持てるだろう。
多良木高校の朝
多良木高校の朝
粟谷 雅之
毎朝、校長公舎から10分ほど歩いて通勤している。7時頃には北門を通り、およそ百メートル余りの欅(けやき)並木の道を歩く。4月、この欅の緑がまことに瑞々しい。校長室に鞄を置き、再び校庭を歩く。
陸上競技の300メートルトラックでは陸上部員が各自のペースで走っている。細くしなやかな身体の長距離の選手達は、まるで修行僧のように黙々と走る。フィールドでは、サッカー部員が声を掛け合い、楽しそうにボールを蹴っている。私の姿を認めると、元気な声で挨拶をしてくれる。
グラウンドの端の指令台付近に立ち、朝日を浴びながら、陸上部、サッカー部の朝練習をしばらく眺める。そして、遠く眼を転じれば、球磨盆地を囲む山々がある。春の季語に「山笑う」という言葉があるが、樹木が青々と繁茂し、まさに「山笑う」が如き明るい山容を望むことができる。北東にひときわそびえるのが市房山だ。今日は山頂まで鮮明に見える。良い天候になりそうだ。
「かーん」という乾いた打球音に呼ばれ、市房山に背をむけ反対の方向を見ると、野球場で部員が自主練習を始めている。外野の芝生と内野の土の色のコントラストが鮮やかだ。芝生が短く刈り込まれ、よく整備されている。私が右手を高く上げると、気づいた野球部員から次々と「おはようございます」の大きな声が飛んでくる。負けじと私も「おはよう」と力を入れて返す。
7時半が近づくと登校する生徒の数が増えてくる。7時35分から朝課外が始まるためだ。多くの生徒が正門から自転車か徒歩で入ってくるが、くま川鉄道の列車通学生は、多良木駅から近い北門を通る。この頃には出勤した職員も正門付近で、「おはよう」、「おっ、今朝は早いな」と生徒たちに声を掛けて出迎える。教師と生徒、生徒同士の「おはよう」の声が響き合う。今朝も、生徒の登校状況は良好のようだ。新入生に対し、心身ともに良いコンディションで通学できることを目標とした生活づくりを説いた。それを実践してくれているのだろう。
朝日を浴び、元気に登校して一日の学校生活を始めることは、平凡なことだ。しかし、それを毎日続けることは容易ではない。成長とは、そのような地道なことの繰り返しなのだと思う。
7時35分、課外開始のチャイム音が鳴る。北門から全力で自転車のペダルを踏んでくる一人の男子生徒の姿が見えた。高校教師であった現代歌人の短歌が頭に浮かぶ。
ぐんぐんとペダルを踏んで坂のぼる「いいか今日という日は二度とこないぞ」
(水野 昌雄)
今朝も、多良木高校には平和で清新な空気が流れている。
福島からのお客様
福島からのお客様
福島県二本松市岳温泉の「陽日の郷 あづま館」の女将である鈴木美砂子さんが、4月18日(金)に来校されました。今年1月に2年生(現3年生)が同館を修学旅行で訪れ、3泊して「あだたら高原スキー場」でスキー研修を行いました。東日本大震災以来、岳温泉を九州の高校が修学旅行で訪れるのは初めてということもあり、温泉観光協会あげての歓迎を生徒たちは受けました。旅行後、女将さんから、生徒一人ひとりに文面が異なるお礼のはがきが届き、その心配りに生徒たちは感激しました。
今回、女将の鈴木さんは17日に福岡市でお仕事があり、敢えて滞在を延ばして、本校を訪問されたのです。体育館で3年生と交流会を行い、体育コースの授業も見学されました。僅か1時間の滞在でしたが、生徒たちは、再会の驚きと喜びに浸っていたようです。
校長室で、遠路はるばるの訪問に対し、私が御礼を申し上げると、鈴木さんは次のように語られました。
「旅館の女将として、多くの出会いの日々を送っています。しかし、震災後の九州からの初めての修学旅行は、私どもにとって復興への光のように感じました。そして何より、3泊4日の間の生徒さん達の生活態度が素晴らしく、私の震災講話も皆さん真剣に聴いてくださったことが忘れられませんでした。」
過分のおほめにあずかり、私は面はゆい思いでした。最後に、鈴木さんが「実は…」と少しためらいの表情を見せながら話をされました。
「旅行後に多良木高校のことをインターネットで調べたところ、生徒数の減少で高校再編整備の対象となって、数年後には閉校になると知りました。あの明るく礼儀正しい生徒さんたちが、このことで寂しい思いをしているのではないかと気になり、どうしてもお訪ねしたくなったのです。生徒の皆さんがお元気そうで安心しました。」
鈴木さんのお気遣いに私はただ頭を下げるだけでした。
二本松の歴史は苦難に満ちたものだとも語られました。明治維新の戊辰戦争では、会津藩に味方した二本松藩は官軍の猛攻を受けて敗れ、賊軍の汚名を着せられました。その後も、明治時代の後半に大火に見舞われ岳温泉街が壊滅するという試練がありました。そして、東日本大震災が起こったのです。まだまだ復興途上で、様々な困難と向かい合っていらっしゃる女将の鈴木さんだからこその優しさと思いやりだと思います。
二本松市は、詩人の高村光太郎の妻智恵子の故郷で知られます。詩集『智恵子抄』の中で、智恵子は「東京にはほんとうの空が無い」、「ほんとうの空」は、故郷の安達太良山の上にある、と言っています。福島県をはじめとする被災地の一日も早い復興を念じると共に、生徒たちと一緒に「ほんとうの空」を見に行きたいと願っています。
野球場から校舎、体育館を望む
待つことの大切さ
待つことの大切さ
何か大事な結果を待った体験が皆さんはあると思います。例えば、高校入試の結果発表までの気持ちはどうでしたか? 期待と不安が入り交じり、動揺する日々。そして、いよいよ結果が判明する時の気持ちの高まり。ついに自らの受検番号を見つけた時の歓喜の感情。待ったからこそ、喜びは大きいものがあります。
今、若い世代は待つことができなくなったと言われます。例えば、返信メールやSNSの返事が遅いというだけで腹を立て、交友関係が悪化したという話を聞きます。便利な電子媒体、インターネットの世界においても、相手への思いやりが欠ければコミュニケーションは成り立ちません。相手の都合も考えない、自分勝手な思考では、待つことができません。
かつて、「電話は相手の時間を奪い、手紙は自分の時間を贈る」と言われました。一方的に相手の時間に割り込んでいく電話に比べ、自分の都合の良い時間にゆっくりと読むことができる手紙の特性を言い表しています。今では、電話して直接話すこともせずに、電子メールに依存する人が多いのでしょう。
待つ経験は人を成長させます。待つ間、自分自身と対話することになるからです。待つということはとても人間らしい行為と言えます。待つことを厭わないでください。待つことができる人になって欲しいと思います。
上級生になった皆さんへ
セミナーハウスの前にある桜もすっかり花が散りました。里の桜はほとんど葉桜となりましたが、山の桜はまだ見頃のものがあるようです。皆さんは今年は花見をしましたか? 日本人にとって桜は特別な花です。厳しい冬を越え、待望の春が来た、その春の象徴が桜です。
「さまざまのこと思い出す桜かな」
松尾芭蕉の句です。私たちは桜の花に触れ、過ぎ去った様々のことを思い出します。季節は巡り、1年が経ち、桜の花と再会できた感慨。私たち日本人にとって、時間は一直線に過ぎるものではなく、春・夏・秋・冬と四季が循環、サイクルするものと言えるでしょう。
昨年の今頃、私は多良木高校に赴任してきました。それから1年間、皆さんの成長を見てきました。それぞれ進級して、高校2年生、3年生の姿を目の当たりにして、まことに頼もしく思います。
皆さん、今日の午後、新入生69人が入学します。1年前、2年前の皆さん達と同じ、期待と不安を抱き、緊張した新入生です。新しい後輩達のために、皆さん方は何ができるのか、自らに問うてください。新入生のために、先輩であるあなた達は、何が、どんなことができますか?
さて、ジャンバーやコート、セーターなどを脱ぎ、春の装いとなりました。身も心も軽くなった今、何か新しいことを始めたいと思いませんか? 新しい事を始めるには今です。4月からです。これまで高校生活を送ってきて、自分に足りない面、変えなければいけない点などについては自分自身が誰よりもわかっていると思います。それを行動に移せるか、否か。勉強でもスポーツにおいても、ライバルは自分自身です。どうせ自分なんかと言い訳をし、易(やす)きに付くのは簡単です。しかし、皆さんの将来は、自分次第で皆さんが変えることができるのです。
聖書に、「狭き門より入れ、滅(ほろび)にいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者多し」という言葉があります。入りやすい大きい広い門ではなく、狭き門より入れ、とイエスは語っています。どちらかを選ぶ時に、自分にとってより困難な道を選ぶことが、結局は自分の成長につながるのです。自分にできるだろうかと不安に思うでしょう。けれども安心してください。困難な道を進む皆さん達には、私たち教職員がついています。悩みや迷いを一人で抱え込まずに、遠慮なく、私たちを頼ってください。私たちは経験と技能をフルに発揮して、みなさんを支援し、皆さんを希望の進路へ連れて行きます。それが、私たちの使命だからです。
平成27年度の初めに当たり、上級生になった皆さんの役割と覚悟への期待を述べ、私の話を終わります。
新入生の皆さん、入学おめでとう。
4月8日(水)の入学式の式辞の一部を次に掲げ、改めて皆さんへの歓迎の気持ちを伝えます。
新入生六十九名の皆さんは全員が球磨郡、人吉市の中学校出身です。この球磨、人吉地域は、県内唯一の国宝である青井阿蘇神社をはじめ多くの文化財があることで知られ、豊かな歴史と文化を誇っています。中でも、上球磨地域には鎌倉、室町時代以来の神社仏閣、仏像が伝えられ、それらを結ぶ歴史回廊に多良木高校は囲まれています。本校から南におよそ三キロメートル離れた多良木町奥野の中山観音堂に安置されている観世音菩薩像は9世紀、平安時代前期に創られた古仏です。千年以上もの長い間、この地域の人々を見守り続けてきたことになります。そして、それは、先人達がこの仏様を大事に次の世代につないできた結果に他なりません。
幾世代もの先人達がこの球磨の地で懸命に生き、その命のリレーを受け継ぎ、今の新入生の皆さん達がいるのです。そして、この命のリレーはこれから未来に続いていくことでしょう。従って、現在に生きる皆さんは、過去とも未来ともつながっている存在なのです。命の不思議さ、有り難さを思わざるをえません。
いよいよ高校生活が始まります。今の初々しい気持ちが原点です。学校は学びをとおした人間成長の場であります。皆さん、一日一日を大切にしていきましょう。
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄