2017年3月の記事一覧
春爛漫 JR三角線でスローな旅はいかが (^^
生徒の皆さん、これまでJR三角線を何回位利用したことがありますか? 機械倶楽部製作の「つばめ号」、天草で唯一の鉄道として島内のお祭りなどでチビッ子を乗せて引っ張りだこだったのですが、4年前頃からレールと車輪の相性が悪くなり脱線するようになりました。万一の重大事故(と言っても国交省から鉄道事故調査委員会の係官は来ないでしょうが?)も懸念され、ずっと校内の倉庫に眠ったままになっています。そういうことで、島内から鉄道が消えて久しいわけですが・・・。 そんな冗談はさておき、ひょっとして生まれてこのかた一度も鉄道に乗ったことがないという人いるかもしれないと、本校生の「本物の」鉄道の利用状況が気になり1,2年生を対象にアンケートを取ってみました。熊本市電などの路面電車も含めて鉄道に乗ったことがある人は66%(約3人に2人の割合)で、JR三角線を使ったことがある人は33%(約3人に1人の割合)でした。この数字をひっくり返すと、約3人に1人が鉄道に乗った経験がないということで、島の交通事情を如実に反映した数字だと思った次第です。 校史をひも解くと、天草五橋が開通した昭和41年(1966年)まで、即ち1期生から4期生までは、修学旅行は本渡港から三角港まで船で行き、三角駅から熊本駅へと列車で移動していたという記録が残っています。今はどうでしょう。熊本への往復の際は、家の方から車で送ってもらう人がほとんどでしょうし、友達同士の遊びの移動では、バスのほうが乗り換えなくて便利ですから、ほとんど利用したことがないというのが現実かもしれません。でも、たまにはバスを三角駅前で降りて、列車に乗ってスローでレトロなローカル線の旅を組み合わせてみるのもいいものですよ! 私は小学生の時に天草に遊びに行った帰りに初めて三角から熊本まで列車に乗りました。その時の「なぜ!?」の興奮を今でも覚えています。それは「右の車窓から海が見えていたのに、途中から左の車窓に変わるという不思議」です。「えっ?」と一時頭が混乱しました。一緒にいた母に理由を聞いても分からないようで、解決しないままずっとほったらかしにしていました。中学に入り地図帳で宇土半島と三角線の位置関係を確認して「なるほど」と納得した次第です。 ということで、三角から熊本に列車で向かうと、まず宇土半島の南岸を不知火海に沿って走り、トンネルをくぐって暫くすると今度はその北岸を有明海に沿って走ることになります。後半の宇土半島の北岸を有明海に沿って走る時に見える絶景は、有明海をバックに聳(そび)える雲仙普賢岳や、御輿来(おこしき)海岸の砂紋など、国道57号線を車やバスで通る時と同じなのですが、前半の風景は列車に乗らないと味わうことはできません。 まずは、熊本駅までおよそ1時間弱の鉄道の旅の出発点となる三角駅の駅舎がカッコいいです。3年前の観光特急「A列車で行こう」の運行開始に合わせて、あの超豪華寝台特急七つ星も手掛けたJR九州専属鉄道デザイナーである水戸岡鋭冶氏により、南蛮風のデザインにリニューアルされたとパンフレットにありました。私、残念なことに改装前の駅舎の姿を思い出せません。 三角駅を出て次の波多野駅の少し手前の当たりから右の車窓に広がっていた海が見えなくなくなり、どんどん山に向けて向かっていきます。石内ダム駅から赤瀬駅に向かう途中にある赤瀬隧道(ずいどう:トンネルのこと)の赤煉瓦は「明治」を感じさせます。調べてみると、三角線は明治32年(1899)に開通し、何と120年近い歴史を誇る鉄道であり、2年前に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産登録が決定した三角西港とも関連のあるものなんだそうです。
大まかな諸元は次のとおりです。車両重量30t、エンジン最大出力250馬力(1900rpm)、最高速度95km/h、定員98名、車長17m。オールステンレスの車体で、台車や変速機等の様々な部品に廃車発生品を採用し、ドアや空調設備にもバスの部品を使用するなど徹底的な軽量化やコストダウンが図られています。実は知る人ぞ知る有名な事実があります。この座席は新幹線0系のおさがりなのです! 昔、新幹線で何百万人ものお客さんが座っていたはずにもかかわらず、今でも割とふかふかです。夢の超特急と子供からも大人からも人気だったあの新幹線0系の座席に普通列車で座れるなんてある意味幸せです。でも当時、潮風に吹かれるローカル線を走る列車の座席になることなど、誰も想像してなかったでしょうね。数奇な運命です。 ところで、この三角線、学生さんが結構利用しています。そうです、三角駅の隣の波多野駅の近くにある「メディカルカレッジ青照館」に通う学生さんたちです。ほとんどの学生さんがカバンから本を取り出して勉強をしています。やはり国家試験の勉強は大変なんだろうと、その姿を見るたびに思ってしまいます。 そう言えば、本校からも毎年3~4名の生徒が進学しており、この3月も2名の生徒が青照館様の門をくぐる予定です。工業関係以外に自分の適性を見出してその道に進もうというその高い志に心からエールを送ります。患者さんと直接触れ合うだけに気苦労もある反面、やりがいも大きいと思います。どうか慈しみの心を持って患者さんに接し、「あなたに出会えてよかった」と言っていただける療法士を目指していただきたいと願っています。 【校長*】 *話の方向がふらふらと定まらない拙文をいつも最後までお読みいただき、ありがとうございました。私、西智博はこの度の定期異動により、明日4月1日付をもって人吉市に所在する球磨工業高等学校に赴任することになりました。今後とも天工HPにお越しいただきますことをお願いしまして、最後の御挨拶と致します。 |
転退任式が行われました。
(教科等) (氏名) (転任先)
校長 西 智博 球磨工業高校
教頭 木山 和浩 熊本工業高校
事務長 船越 賢二 松橋支援学校
電気 濵 和幸 熊本工業高校
英語 渡邉 幸美 盲学校
機械 平松 大和 小川工業高校
情報 嶽本 正行 玉名工業高校
社会 塩田 翔吾 八代高校
英語 中村 幸夫 天草拓心高校
体育 桒原 茂 球磨中学校
情報 土屋 健二 八代工業高校
機械 佐藤 栄起 水俣高校
事務 轟 佳織 苓北支援学校
国語 原岡 咲恵 広島市立商業高校
英語 江口榮二郎 ご退職
電気 秋田 眞彦 ご退職
理科 清見久美子 ご退職
転退任される先生方ありがとうございました。新任地でのご活躍を心よりお祈りします。
合格者説明会が行われました。
本日は、合格者説明会が行われました。教務部、事務部、生徒指導部、保健体育部から入学に当たっての事前指導、その後、天草警察署からスマートホンのトラブル回避のためのお話をしていただきました。午後からは会場を移して入寮説明会が行われます。入学式まであと2週間、高校生になるという気持ちをしっかり高めておいてください!
修了式が行われました。
あっという間の一年間だったように思いますが、生徒たちも様々なことにチャレンジしながら成長してくれました。4月からは新2年生、新3年生として後輩を受け入れることになります。立派な姿を見せられるように春休み中に準備してくれればと思います。
修了式後には、教務部・進路指導部・生徒指導部からの連絡がありました。
総務部からの連絡です!平成29年度の育友会総会は4月30日(日)に開催されることになりました。多くの保護者の皆様に参加していただければと思います。よろしくお願いいたします。
今年度最後の表彰式が行われました!
表彰者一覧は以下の通りです。
部活動・団体名 | 大会・コンクール名他 | 成績・賞 | 年・科 | 氏名 | |
陸上部 | 熊本県高等学校城南地区新人駅伝競走大会 | 第4位 | J2 | 山下 七海 | |
M2B | 横山 晴香 | ||||
J2 | 川本 汐音 | ||||
J2 | 藤川 杏里 | ||||
J1 | 池田 楓 | ||||
国語科 | 第38回熊本県高等学校小倉百人一首かるた競技大会 | 第二部 | 最優秀賞 | E2 | 原田 怜 |
E2 | 山下 勇馬 | ||||
E2 | 渡 優人 | ||||
工業科 | 第60回全国学芸サイエンスコンクール 旺文社赤尾好夫記念賞 | 詩部門 高校生の部 | 入選 | C1 | 金子 暖 |
工業科 | 全国工業高等学校長協会ジュニアマイスター顕彰認定証 | シルバー | C2 | 松﨑 寛 | |
J2 | 髙宗 咲恵 | ||||
J2 | 田尻 純也 | ||||
J2 | 福田 如月 | ||||
J2 | 船辺 周斗 | ||||
2学年 | 1ヶ年皆勤賞 | 代表 | M2B | 山崎 雄次 | |
1ヶ年精勤賞 | 代表 | C2 | 松本 享 | ||
成績優秀賞 | 代表 | E2 | 原田 怜 | ||
資格取得優良賞 | 代表 | M2A | 有田 海斗 | ||
漢字優秀賞 | 代表 | M2A | 増田 雅 | ||
1学年 | 1ヶ年皆勤賞 | 代表 | E1 | 泉 マリア | |
1ヶ年精勤賞 | 代表 | M1A | 永野 海都 | ||
成績優秀賞 | 代表 | C1 | 蛭子本 志 | ||
資格取得優良賞 | 代表 | M1B | 松下 龍哉 | ||
漢字優秀賞 | 代表 | J1 | 飽田 陽菜 |
今年度もたくさんの生徒が表彰を受けることができました。生徒たちの頑張りの成果だと思います。来年度も引き続き様々なことに挑戦してくれればと思います!
3学期クラスマッチ!
自分はなぜ選ばれたんだろう・・・
司書の田中先生が、この3月末日をもって廃校になる河浦高校の図書館から182冊の本を貰って来られました。管理上必要と認められる物品や資料を他の機関に移したり管理区分を換えたりすることを、行政では「保管転換」という難しい言葉を使いますが、その作業をされたわけです。 廃校になる学校に残された図書は、引き取り手がなければ廃棄処分にされるわけですから、選ばれた本たちは本校の図書館で再び日の目を見ることになりきっと喜んでいることでしょう。 私、3月18日(土)からの3連休に読む本を借りに図書館に行ったついでに司書室に寄り、どのような本を貰って来られたのか説明を伺いました。数多(あまた)の本の背表紙を眺めていたら、本たちのつぶやきが聞こえてきそうでした。「自分はなぜ選ばれたんだろう・・・?」と。 そんなことを考えていたら、私自身も「黒潮」にも書いていたとおり終活とか断捨離とか称して一気に本を捨てることがあるわけですが、どうしても捨てきれない本が本棚に残ることがあり、その本たちの気持ちと通じるところがあるのでは・・・?と思えてきました。 何と、折も折、たまたま目にした3月20日(月)の熊日新聞読者文芸の短歌の欄の第2席にあった熊本市画図在住の女性による次の一首とその評が目に留まりました。 断捨離の書架に残りし書は我に残されし意味を問ひ続けをり 【評】捨てた本と残した本、その意味は何か・・・・・・。その意味はたぶん、作者の過去と現在と未来、つまり人生の時間にかかわるにちがいない。 「本の立場になって思いを詠んだこの一首、僅か3日前の幻聴と同じじゃない!」と思い、「最近の偶然って怖いよね!」と、とても不思議な気持ちになりながらこんな逸話も思い出しました。 はるか900年前、和歌の道に行き詰まった若い頃の藤原定家*から「西行さま、どうすればうまい歌が詠めるのですか。私は西行さまのようなよい歌人になりたいのです」と問われた西行**が「定家殿、歌といっても別段コツがあるわけではございません。ただ思うまま、見たままを言葉に託す。それだけです」と諭したというものです。「残された本を見て自分自身もまさに感じたそのことを、この女性はそのまま言葉に託して歌にしている。自分は歌にしようとか思いもしなかったな・・・。こんなことでも歌になるんだ!」という思いで。 田中先生に伺ったところ、もう登録手続きは終わって貸出可能だということです。河浦高校図書館にあったどのような本が本校の書架で光が当たり、息を吹き返したのか、どうして自分は選ばれたんだろうと思っているのか、それらの答えを想像しながら背表紙を眺めてみるのもきっと楽しいことだと思います。図書館に足を運んでみませんか。 なお、本だけでなくバーベルや指令台、得点板、卓球台などのスポーツ用品も貰ってきてあることを申し添えます。 【校長】 *平安末期の大歌人藤原俊成の子。新古今和歌集の選者の一人として有名ですが、何より小倉百人一首を選んだ歌人として知られる。(97来ぬ人を) **鳥羽上皇に北面の武士として仕えるも、23歳の時に家庭と職を捨てて出家、西行と号し諸国を遊行。漂泊の歌人。(俗名:佐藤義清[のりきよ]、86嘆けとて)
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(^.^)春の日差しに誘われて……
あと、4,5日もすれば春空に映える深紅の花々を目にすることができると思います。
初代の天草エアラインの機長、石垣忠昭さんが著した『オジサンカモメ天草を飛ぶ』という
エッセーの中に「三月中旬になると天草地方は本格的な春の訪れとなる。
天草下島にある本渡市の天草工業高校の校庭にある陽光櫻にも赤い花が咲きだし……」のフレーズが思い出されました。
この本は学校の図書館にあります。生徒の皆さん、ぜひ読んでみてください。
アクセス数に思う
昨日夕刻、学校を出る直前(17時40分)のアクセス数は246537でした。この状況なら246642、246738、246802などのちょっと気に留めたい数字が、寝ているうちに過ぎてしまうのかな・・・と思いながら帰ったところでした。 今朝、学校に来て7時55分現在のアクセス数は247218。ということで、それらのことが昨夜、確実に起こっていたことを実感しました。1時間平均40件のアクセスをいただいたわけで、大変ありがたく思う一方、どのような方が真夜中にもかかわらず本校のHPを訪問していただいているのかと思いを巡らしました。(何と昨日は1日(16日8時~17日8時)に997件のアクセスを頂いています) 言うまでもなく、最初の246642は、趣味の数学の分野でよく研究の対象になっている回文数字(右から読んでも左から読んでも同じ数になる数)です。最後の246802は偶数の並びが面白いと思っています。では、真ん中の246738は一体何? これは下4桁の6738が鉄道の日本最長距離路線である山陰本線*の距離、673.8kmの数字の並びであるということでした。 *山陰本線は、京都駅から山口県幡生(はたぶ)駅までを結ぶ全長673.8kmの幹線(でも、現在全線を通して走る特急はありません)です。従来、日本最長距離路線を誇っていた東北本線東京~青森間739.2㎞(支線を除く)が、2002年12月1日の東北新幹線盛岡~八戸間の開通に伴い、並行在来線の同区間105.9㎞が2つの第3セクター会社に譲渡され、東京~盛岡間565.3㎞となったことにより、山陰本線が遂に日本最長距離路線となりました。 山陰本線は、色々な意味で「偉大なるローカル線」と鉄ちゃんたちから評されています。車窓から垣間見える海や山、谷、都市や農村など、変化に富み情緒あふれる路線で、懐かしの昭和にトリップした気分になれます。好きな鉄道路線を3つ挙げよと言われたら、私、迷うことなく、東京の山手線、熊本の肥薩線、それとこの山陰本線を挙げます。 ふらっと山陰本線に乗って、文豪志賀直哉の「城崎にて」の舞台となった城崎温泉(三木屋という現存する旅館)でも訪れて、彼が何を見て何に思いを馳せたのか追体験してみたいのですが、今はその余裕がありません。 日本全国の鉄道を制覇していた若い頃の話ですが、山陰本線で車窓越しに日本海に沈む夕日を眺めながら、あの向こうに拉致被害者が住む北朝鮮とかあるのか・・・と哀しい気持ちになったことを思い出しました。 【校長】 |