春爛漫 JR三角線でスローな旅はいかが (^^

生徒の皆さん、これまでJR三角線を何回位利用したことがありますか? 

機械倶楽部製作の「つばめ号」、天草で唯一の鉄道として島内のお祭りなどでチビッ子を乗せて引っ張りだこだったのですが、4年前頃からレールと車輪の相性が悪くなり脱線するようになりました。万一の重大事故(と言っても国交省から鉄道事故調査委員会の係官は来ないでしょうが?)も懸念され、ずっと校内の倉庫に眠ったままになっています。そういうことで、島内から鉄道が消えて久しいわけですが・・・。 

そんな冗談はさておき、ひょっとして生まれてこのかた一度も鉄道に乗ったことがないという人いるかもしれないと、本校生の「本物の」鉄道の利用状況が気になり1,2年生を対象にアンケートを取ってみました。熊本市電などの路面電車も含めて鉄道に乗ったことがある人は66%(約3人に2人の割合)で、JR三角線を使ったことがある人は33%(約3人に1人の割合)でした。この数字をひっくり返すと、約3人に1人が鉄道に乗った経験がないということで、島の交通事情を如実に反映した数字だと思った次第です。 

校史をひも解くと、天草五橋が開通した昭和41年(1966年)まで、即ち1期生から4期生までは、修学旅行は本渡港から三角港まで船で行き、三角駅から熊本駅へと列車で移動していたという記録が残っています。今はどうでしょう。熊本への往復の際は、家の方から車で送ってもらう人がほとんどでしょうし、友達同士の遊びの移動では、バスのほうが乗り換えなくて便利ですから、ほとんど利用したことがないというのが現実かもしれません。でも、たまにはバスを三角駅前で降りて、列車に乗ってスローでレトロなローカル線の旅を組み合わせてみるのもいいものですよ! 

私は小学生の時に天草に遊びに行った帰りに初めて三角から熊本まで列車に乗りました。その時の「なぜ!?」の興奮を今でも覚えています。それは「右の車窓から海が見えていたのに、途中から左の車窓に変わるという不思議」です。「えっ?」と一時頭が混乱しました。一緒にいた母に理由を聞いても分からないようで、解決しないままずっとほったらかしにしていました。中学に入り地図帳で宇土半島と三角線の位置関係を確認して「なるほど」と納得した次第です。 

ということで、三角から熊本に列車で向かうと、まず宇土半島の南岸を不知火海に沿って走り、トンネルをくぐって暫くすると今度はその北岸を有明海に沿って走ることになります。後半の宇土半島の北岸を有明海に沿って走る時に見える絶景は、有明海をバックに聳(そび)える雲仙普賢岳や、御輿来(おこしき)海岸の砂紋など、国道57号線を車やバスで通る時と同じなのですが、前半の風景は列車に乗らないと味わうことはできません。 


まずは、熊本駅までおよそ1時間弱の鉄道の旅の出発点となる三角駅の駅舎がカッコいいです。3年前の観光特急「A列車で行こう」の運行開始に合わせて、あの超豪華寝台特急七つ星も手掛けたJR九州専属鉄道デザイナーである水戸岡鋭冶氏により、南蛮風のデザインにリニューアルされたとパンフレットにありました。私、残念なことに改装前の駅舎の姿を思い出せません。
 

三角駅を出て次の波多野駅の少し手前の当たりから右の車窓に広がっていた海が見えなくなくなり、どんどん山に向けて向かっていきます。石内ダム駅から赤瀬駅に向かう途中にある赤瀬隧道(ずいどう:トンネルのこと)の赤煉瓦は「明治」を感じさせます。調べてみると、三角線は明治32年(1899)に開通し、何と120年近い歴史を誇る鉄道であり、2年前に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界文化遺産登録が決定した三角西港とも関連のあるものなんだそうです。 


 このように歴史とロマン溢れる三角線ですが、昔「鉄ちゃん」だった私としては、そこを走る主力ディーゼルカー「キハ31
」の魅力についても触れたいところです。でもマニアックになり過ぎることが心配されますので躊躇します。ただ、鉄道関係への就職希望者や機械科の皆さんもこの記事を読んでいると思いますので、列車を眺める様々な視点のヒントをほんのちょっとだけ・・・。 

大まかな諸元は次のとおりです。車両重量30t、エンジン最大出力250馬力(1900rpm)、最高速度95km/h、定員98名、車長17m。オールステンレスの車体で、台車や変速機等の様々な部品に廃車発生品を採用し、ドアや空調設備にもバスの部品を使用するなど徹底的な軽量化やコストダウンが図られています。実は知る人ぞ知る有名な事実があります。この座席は新幹線0系のおさがりなのです! 

昔、新幹線で何百万人ものお客さんが座っていたはずにもかかわらず、今でも割とふかふかです。夢の超特急と子供からも大人からも人気だったあの新幹線0系の座席に普通列車で座れるなんてある意味幸せです。でも当時、潮風に吹かれるローカル線を走る列車の座席になることなど、誰も想像してなかったでしょうね。数奇な運命です。 

ところで、この三角線、学生さんが結構利用しています。そうです、三角駅の隣の波多野駅の近くにある「メディカルカレッジ青照館」に通う学生さんたちです。ほとんどの学生さんがカバンから本を取り出して勉強をしています。やはり国家試験の勉強は大変なんだろうと、その姿を見るたびに思ってしまいます。 

そう言えば、本校からも毎年3~4名の生徒が進学しており、この3月も2名の生徒が青照館様の門をくぐる予定です。工業関係以外に自分の適性を見出してその道に進もうというその高い志に心からエールを送ります。患者さんと直接触れ合うだけに気苦労もある反面、やりがいも大きいと思います。どうか慈しみの心を持って患者さんに接し、「あなたに出会えてよかった」と言っていただける療法士を目指していただきたいと願っています。 

                           【校長 

話の方向がふらふらと定まらない拙文をいつも最後までお読みいただき、ありがとうございました。私、西智博はこの度の定期異動により、明日4月1日付をもって人吉市に所在する球磨工業高等学校に赴任することになりました。今後とも天工HPにお越しいただきますことをお願いしまして、最後の御挨拶と致します。