校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

海のまち山のまち交流会

海のまち山のまち交流会 ~ 鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流


 多良木町は鹿児島県阿久根市と交流事業を実施されていますが、この事業の一環として、去る8月29日(土)に阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校の野球部と女子バレー部が来町され、本校で交流試合を行いました。昨年は、本校から野球部と女子バレー部が阿久根市を訪問し、明るい海の街、阿久根で大歓迎を受けており、今年は多良木高校がおもてなしをする番です。

 当日は朝から無情の雨が断続的に降り、午前の交流試合は、野球は途中で打ち切らざるを得ませんでした。しかし、女子バレーは体育館で予定どおり4セットの試合を実施できました。鶴翔高校の女子バレー部は鹿児島県でも強豪として知られており、一つ一つのプレーに強さとうまさがあり、試合をとおし多良木高校バレー部は多くのことを学んだようです。

 午後1時から多良木町の交流館「石倉」で、阿久根市及び多良木町の議会、行政の関係者の方々、そして両高校の職員、部員との交流会が開かれました。交流館「石倉」は、昭和の初めに米倉庫としてつくられた石造りの倉で、現在は改修されて町の多目的ホールとして利用されています。阿久根市の皆さんは、歴史的建造物が利活用されていることにとても興味を持たれました。また、本校野球部の保護者の方々による心尽くしの手料理に大変喜ばれました。生徒達は、同じスポーツを愛好する者としてすぐに気心が知れ、打ち解けて歓談していました。私もまた、近藤伸子校長先生をはじめ鶴翔高校の職員の方や阿久根市訪問団の方々と懇談でき、和やかで有意義な時間となりました。

 多良木高校は全校生徒198人の高等学校としては小規模校です。在籍生徒数が少ないからこそ、他校や地域社会との交流の機会を増やすように努めています。今回は多良木町の御支援のおかげで、鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流が実現し、望外の喜びです。
                (交流会で校歌を斉唱する多良木高校生)


市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に

市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に

 「望みは遠し 雲居の峰の    髙き市房 み空に仰ぎ」

 犬童球渓作詞の多良木高校校歌にも登場する市房山は標高1722mの高峰で、熊本県水上村と宮﨑県の境にそびえ、学校の校庭からその山容を眺めることができます。古くから、球磨・人吉地域では霊峰として信仰されてきました。

多良木高校1、2年生の体育コース(計46人)は野外活動として8月26日から28日にかけて水上村の市房山キャンプ場で2泊3日のキャンプを実施しました。その二日目、生徒全員と体育科教師5人そして引率団長の校長の私で、市房山登山に挑みました。

 午前9時にキャンプ場を出発。渓流を渡った所に石鳥居があり登山口です。4合目にある市房山神宮までは険しい参道となります。大杉が並び、中には「平安杉」と呼ばれる樹齢千年の巨木もあり、まことに壮観です。段差の大きい石段が続く八丁坂を登り切ると朱色の社殿の市房神宮です。ここまで所要1時間、皆まだ元気です。

 しかし、ここからが本格的な登山道の始まりで、道は急峻となり、6合目から7合目にかけては岩の間を這い上がったり、丸太の梯子をよじ登ったりと全身を使っての奮闘です。私は最後尾に付いていたのですが、8合目あたりから自然に遅れ始めました。改めて、体育コースの生徒の体力、健脚に脱帽です。最後、頂上の手前50m付近で、生徒数人が迎えに来て、私のリュックを持ち、「校長先生、もう少しです。がんばってください!」と励ましてくれました。生徒たちの応援のお陰で、私も無事に山頂に立つことができました。登り始めて3時間半が経過していました。

 山頂は雲が一部かかっており、気温も低く感じられ、さすがに高山にいることを体感しましたが、達成感に包まれて弁当を開きました。私は、学生時代に2度登ったことがありますが、山頂まで来たのはそれ以来で、実に30年振りの頂上で、感慨深いものがありました。

 下山は滑りやすい所が多く、神経を使いながら一歩一歩降りていきました。生徒同士で、「気をつけろ」、「木の根に注意」など大きな声を掛け合い、頼もしく感じました。全員、大きな事故もなくキャンプ場に帰着したのは午後4時でした。まさに1日がかりのタフな登山でした。天然記念物のゴイシツバメシジミチョウには出会えませんでしたが、鳥のさえずり、枝葉のそよぐ音、柔らかな木漏れ日、樹木の匂い、そして爽快な眺望と五感で楽しむことができ、心地よい疲労が残りました。そして、何より生徒のたくましさと優しさを知ることができ、教師冥利に尽きる登山となりました。

                       (市房山頂にて)


鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて

鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて

 全国PTA連合大会が8月に岩手県で開かれましたが、大会会場の岩手県盛岡市に入る前日、熊本県の高校のPTA役員さんや先生方と共に宮城県石巻市を訪問しました。石巻市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を受けた所です。震災当時、人口16万2千人の石巻市で死者、行方不明者合わせて4千人に上りました。その石巻の復興の状況をぜひこの目で見たいと思っていました。

 最大の被害地である南浜地区は、大津波が太平洋から押し寄せ、車も家も、そして人も押し流されました。鉄筋3階建ての小学校(門脇小学校)は廃墟として残っており、津波の猛威を実感しました。かつて多くの住宅があった海沿いの平野は広い野原となり、鎮魂のお地蔵さんがつくられていて、私たちは手を合わせることしかできませんでした。自然災害の前には人間は無力なのかと重苦しい気持ちに包まれました。

 しかし、避難の時、多くの中学、高校生が、幼児や小学生、あるいは身体の不自由な老人を助けたとの話しを聞きました。さらに、避難所では、中学、高校生が実によく働き、動いたそうです。「子どもは強いですよ」と震災体験者がしみじみと言われました。

 そして、石巻市に、震災が起こった3月から12月までの間、延べ10万人を超えるボランティアの人々が全国から集まったのです。ほとんど水に浸かり、元通りになるまで1年かかると思われた中心市街地は、3か月で復旧しました。今や震災の傷跡を見つけることは困難です。震災当時、町のあちこちに高々と積み上げられた瓦礫の山々。一生、この瓦礫の山を見て暮らしていくのだと石巻の人々は覚悟したそうですが、4年目の昨年、瓦礫の撤去は終わりました。壊滅的な被害を受けた海岸部においても、日本製紙石巻工場が1年半後には完全復活を遂げ、国内最大規模の新しい魚市場の偉容を見ることができます。

 地震、津波、あるいは台風など自然の力は確かに凄まじいものがあります。けれども、自然災害から立ち上がり、復興に取り組んでいく人間の力もまた凄いと実感した石巻への旅でした。

  高校生の皆さんへのお薦めの本

『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(佐々涼子著、早川書房) 多良木高校図書室に備えてあります。

                   鎮魂のお地蔵さま(宮城県石巻市南浜町)

未来圏からの風をつかめ

「未来圏からの風をつかめ」

 第65回全国高等学校PTA連合会大会岩手大会が8月20日~21日に岩手県で開催され、参加しました。大会テーマは「未来圏からの風をつかめ ~新時代を担う君たちと共に」。何と詩的な文句だろう、気鋭のコピーライターが作ったのかと思いましたが、岩手県が生んだ詩人で作家の宮澤賢治(18961933)の詩からの引用と知り、深く納得しました。出典は、「生徒諸君に寄せる」という詩です。長い詩のため冒頭部分のみ次に紹介します。

 「中等学校生徒諸君

  諸君はこの颯爽たる

  諸君の未来圏から吹いて来る

  透明な清潔な風を感じないのか

  それは一つの送られた光線であり

  決せられた南の風である。」

   宮澤賢治は、妹のトシの死を悼んだ絶唱の詩「永訣の朝」、永遠の友情を宇宙スケールで描いた「銀河鉄道の夜」などで知られる文学者ですが、4年間、花巻農学校で教鞭を執った時期がありました。その教師時代を振り返って宮澤賢治は次のような断章を残しています。

「この四ヶ年がわたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」

 無名のまま亡くなり没後80有余年の今日、文学者として、思想家として、そして教育者としての宮澤賢治は益々注目されてきているように思われます。

 全国高等学校PTA連合会大会岩手大会では、いじめ問題、スマートフォン依存など現在の高校生をめぐる様々な課題について、講演、意見発表、討論が行われました。ITをはじめ社会の急激な変化の中、高校生は自分の進むべき未来を目指すことができるのかとの危機感が会場では共有されていました。

  しかし、保護者も私たち教師も、これからの新時代を担う君たちに期待しています。きっと君たちは、心を開き、未来圏からの風を感じ、自分の未来を想像し、それに向かって進んで行くだろうと信じています。


(多良木高校野球場)


 


児童1人の小学校のある集落

児童1人の小学校がある集落

~ 多良木町槻木を訪ねて ~

 急速な少子化に伴い、熊本県内では小・中学校の統廃合が進む中、昨年度、7年振りに新入児童を迎えて再開校したのが多良木町立槻木(つきぎ)小学校です。役場から南に約20㎞離れた山間部の槻木には、昨年度の小学校再開校式以来、訪ねる機会がなかったのですが、夏季休暇を利用し、先日訪問してみました。県道143号が槻木には通じていますが、標高700mあまりの峠を越えなければならず、峠付近は折れ曲がった細い道路が続き、対向車との離合は容易ではありません。多良木高校からおよそ40分の運転で槻木小学校に着きました。

 槻木小学校で、槻木の集落支援員をされている上治英人(うえじひでと)さんとお会いしました。上治さんの長女の南鳳(みお)さんが同小にとって7年振りの新入生でした。介護福祉士、ケアマネージャーでもある上治さんは、多良木高校の福祉教養コースに強い関心をお持ちで、高齢社会を支える人材の育成について、知識と経験を活かしたいと熱っぽく語られました。多良木高校の教育活動への地元の強力なサポーターがまた一人増えることになり、有り難く思います。

 槻木小学校からさらに南の下槻木地区まで車を走らせ、室町時代の木造弘法大師像を安置する大師堂や同じく室町時代に建立された四所(ししょ)神社、県指定天然記念物のコウヤマキなどを見学して回りましたが、中でも目を引いたのが、大師堂脇の「悠久石」(ゆうきゅうせき)と呼ばれる、直径140㎝、重さ約4トンの巨大な丸い石(砂岩)です。平成18年の大雨で山の斜面が崩壊し、その中から出現したもので、自然の造形の不思議さに魅了されます。

 槻木は過疎に悩む高齢者中心の集落ですが、都市とは異なるゆったりした時間が流れ、先人から受け継がれてきた歴史と文化があります。そして、このような集落にとって、小学校の存在はかけがえのない拠り所であり、希望となっていることを改めて実感しました。

 


 

二校で奏でたハーモニー(南稜高校・多良木高校の吹奏楽部合同演奏)


二校で奏でたハーモニー

~ 南稜高校・多良木高校 吹奏楽部 ~

 
 第59回熊本県吹奏楽コンクールの高校Bパート(演奏人員15人以内)に南稜高校と多良木高校の吹奏楽部が合同で出演しました。7月30日(木)、熊本県立劇場において、南稜高校11人、多良木高校2人の合わせて13人での演奏を、南稜の紫藤校長先生と一緒に見守りました。嶋﨑先生(南稜高校)の指揮のもと、課題曲「輝ける夏の日へ」と自由曲「フラワー・クラウン」を全員で懸命に演奏する様子を見つめている内に、この合同出演に至るまでの過程も思い浮かび、感動に包まれました。

 多良木高校の吹奏楽部は、現在部員が2年1人、1年2人の計3人であり、コンクールへの出演は当初諦めていました。けれども、南稜高校と合同で練習を重ねる中で、「一緒にコンクールへ出ませんか」と南稜高校の顧問の先生から御提案があり、生徒に気持ちを確認したところ、1年生の2人の男子が意欲を示しました。出場申し込み期限ぎりぎりで合同演奏が決まったため、熊本県吹奏楽連盟には事務手続き面で御迷惑をおかけしましたが、柔軟に対応していただき感謝しています。

 コンクール出場が決まり、放課後や土日に多良木高校から5キロ離れた南稜高校へ2人の男子生徒は出かけ、合同練習を行いました。学校は異なっても音楽を愛好する者同士です。最初はぎこちない雰囲気もあったようですが、次第に息が合い、充実した合同練習になっていったそうです。本番では、両校吹奏楽部による心のこもったハーモニーが県立劇場コンサートホールに響きました。大規模校のような迫力ある演奏は望めません。しかし、地域の小規模校ならではの温かいサウンドだったと私は感じました。

 南稜高校、球磨商業高校、そして多良木高校の3校が再編統合され、平成29年4月には新校2校が誕生します。大きな変化を迎えるに当たり、文化活動やスポーツ等の様々な場面で、3校は連帯を強めていきたいと思います。
                (南稜高校における合同練習風景)


 

歓迎!中学生の「体験入学」

 7月29日(水)の午前中、多良木高校において中学3年生の「体験入学」を実施し、人吉球磨地区の全12中学校から約260人の参加がありました。内容は、生徒会による多良木高校紹介DVD放映、模擬授業体験、校内見学、多良木高校生との座談会、部活動の見学等を行いました。開会式における校長の歓迎の挨拶を次に載せます。

 皆さん、おはようございます。

 今日は、多良木高校「体験入学」に参加していただき、まことにありがとうございます。心から歓迎いたします。引率の先生方、保護者の方々にも深く感謝申し上げます。

 中学生の皆さんに、多良木高校のことをより知って欲しいという思いで、生徒会はじめ生徒たちが中心となって、この「体験入学」を準備してきました。そして、今日の運営も生徒が主体となって行います。授業、部活動、そして学校生活全般について体験を通して、皆さんが理解してくれることを願っています。

 多良木高校野球部は、夏の甲子園高校野球県予選大会でベスト4まで進みました。選手達はこの球磨人吉地域の中学校出身です。地元多良木町はじめ球磨郡全体から熱い応援をいただきました。これも、地元の高校ならではのことだと思います。皆さん、地元の高校の良さを改めて考えて欲しいと思います。

 多良木高校では、校訓の筆頭に平和という言葉を掲げ、平和な学校生活を送っています。そしてキャッチフレーズが、「志高くキラリ輝く多高生 夢・汗・涙 感動体験」です。全校生徒約200人の高等学校としては小規模校ですが、全校生徒がチーム多良木としてまとまり、動きます。先週、野球部の応援に3回、バスを借りあげ全校で熊本市藤崎台球場へ行きました。選手と一体となって応援し、共に感動を味わう事ができました。

 もっと多良木高校のことを語りたいのですが、今日は皆さんに多良木高校の豊かな施設設備、ゆとりのある校地、そして面白く優しい先輩達に実際に触れてもらうことが目的ですから、この辺で私の挨拶を切り上げたいと思います。

 きょうの体験入学が、皆さんにとって感動体験となる事を願って挨拶といたします。





ありがとう野球部

ありがとう、野球部

~ 地域に元気を発信した野球部 ~

 「野球部の活躍に元気をもらいました。」と多くの感謝の言葉を地元の多良木町をはじめ地域の方々から戴きました。夏の高校野球選手権大会県予選において、多良木高校野球部は30年振りの準決勝進出を果たしました。ベスト4に残った公立高校は多良木高校のみという快挙でしたが、一戦ごとに地元の方々の熱烈な応援が高まり、まるで学校と多良木町、そして最後は球磨郡が一体となっているような勢いを感じました。

 初戦から多良木町が応援のバスを出されたこともあり、多良木高校の応援席は老若男女、様々な人々で埋まり、他校の応援スタンドとは異なる雰囲気がありました。地域に愛されているという点では、絶対に他校に負けない野球部です。監督の齊藤健二郎先生は、高校野球監督通算35年、御年66歳の名将であり、長年にわたって多良木高校教諭、校長、そして町社会教育指導員として地元に貢献されています。また、自営業の傍ら、無報酬で技術指導をしてくださる馬場コーチと尾方コーチは、いずれも本校野球部のOBです。そして部員は、多良木町をはじめ球磨郡の中学校出身者で占められています。生徒たちを子どもの時から知っている高齢者の方々が、酷暑の中、わざわざ藤崎台球場まで足を運ばれました。生徒たちを小、中学校で教え育てられた学校関係者も応援に来られ、その成長に目を細められました。

 地域の小規模な公立高校の野球部であっても、甲子園出場を目指して懸命に努力する姿が、多くの人々の共感を得たのだと思います。準決勝で敗れた後、熱心に応援いただいた地元の方が「感動しました。多良木高校は地域の宝です。」とおっしゃいました。

 これからも、多良木高校は地域と共に進んで行きたいと思います。


 


夢に挑んだ野球部

夢に挑んだ野球部

~ 夏の選手権30年ぶりのベスト4進出~

 大人は、昨日と今日そして明日と大きな変化はありませんが、伸び盛りの高校生は違います。雨が降った後の若竹のようにぐんぐん成長を見せることがあります。この夏の多良木高校野球部の勢いがまさにそうでした。昨秋の新チーム結成以来、結果は出ていなかったのですが、強豪校相手に互角の戦いをしていたので、選手諸君には「君たちは力を持っている。自信を内に秘めて甲子園を目指して欲しい」と夏の大会前に励ましました。いざ大会が始まると、選手達は躍動して快進撃を見せました。

 1回戦  矢部高校  0 - 8(7回コールド)

 2回戦  開新高校  0 - 6

 3回戦  熊本工業  2 - 3

 準々決勝 東海大星翔 1 - 11(5回コールド)

 準決勝  九州学院  6 - 3 敗戦


 特に、伝統校の熊本工業校戦は、先制されながら追いつき、9回表に2年生の岩本君のホームランで逆転勝利するという劇的な展開にスタンドは沸きました。学校では、2回戦を体育館にて全校生徒でテレビ観戦、そして3回戦からは希望する生徒を募りバスで藤崎台球場まで応援に行き、7月23日(木)の準決勝は夏季休業中にもかかわらずほぼ全校生が参加することになり中型バス6台で応援に向かいました。地元の多良木町では初戦から希望の町民の方々を募ってマイクロバスでの応援を続けられ、勝ち進むにつれ参加する町民の方々が増え、町と学校が一体となって野球部を応援する光景が見られました。

 夏の高校野球選手権大会での準決勝進出(ベスト4)は実に30年振りの快挙でした。30年前の昭和60年の多良木高校野球部を率いておられたのも今の監督の齊藤健二郎先生です。当時36歳の保健体育の教諭でした。当時のチームの主力で捕手を務めたのが、現在コーチをしていただいている尾方さんです。

 人吉球磨地区からの初の甲子園出場の夢は準決勝で断たれましたが、伸び伸びと自分たちの力を発揮する生徒達を目の当たりにして、高校生の潜在能力の大きさ、可能性の豊かさを改めて教えられた夏でした。
                  (準決勝の応援スタンド風景)

 

ALTのチャールズ先生を送る

 7月17日(金)、1学期終業式の前にチャールズ先生の退任式を行いました。2年間ALT(Asistant Language Teacher)として本校に勤務されたチャールズ先生は、1学期末をもって任期が終了し、アメリカ合衆国へ帰国されることになりました。校長として、感謝の気持ちを込め、簡単な英語スピーチを行いました。

Greeting of thanks  for  Mr Charls.

Thanks  for all of your works at this Taragi High School.

You taught students English hard and politely.

Students loved your English lesson.

You are very interested in Japanese culture, and  you are very good at speaking Japanese.

We are  lonely  because  you will return  to your country, but we never forget  working  with you for two years.

We hope you will remember  Taragi High School forever.

You are still young ,  and  you have a great potential.

We look forward to the future of your success. 

thank you so much.


ごくろうさま旧講堂(旧多良木高校校舎最後の遺構)

ごくろうさま旧講堂

~ 多良木高校旧校舎最後の遺構 ~

 「講堂」と言うと、若い世代はどんな建物か理解できない場合が多い。講堂と体育館は違う。講堂は、学校において式典(入学式、卒業式、始業式、終業式等)や講演、集会をおこなうための建物で、戦前の学校には必ず設置されていた。現在の多良木高校には体育館は2棟あるが講堂はない。しかし、旧多良木高校には講堂があった。しかも、その建物が今も残っている。

 旧多良木高校の校地は、現在の多良木高校から東におよそ500mの多良木町上迫田(かみさこだ)の地にあり、昭和43年(1968年)に今の新校舎へ移転となった。旧校地は多良木町に移管されて町民広場となったが、その北西の一角に旧講堂の建物だけが残り、主に町民集会場として活用されてきた。 

 この旧講堂は、多良木実科高等女学校の創立二十年記念校舎増改築に伴い、昭和16年に完成したものである。講堂は、96坪(約317.4平方メートル)の面積があり、「木の香も新しい大講堂」で来賓、保護者、生徒合わせて1100人が出席して盛大な落成式典が行われた(『多良木高校五十年史』)。

 旧講堂の思い出がある同窓生の方は多いと聞く。中には、卒業後に町民集会場となっていた旧講堂で結婚披露宴を行った方もいらっしゃるそうだ。旧講堂は、多良木高校実科高等女学校以来の歴史を持つ、旧多良木高校校舎の最後の遺構である。補修を重ね、近年まで剣道や空手の練習場等に使われてきたが、老朽化が進み、耐震性の問題もあり、多良木町として建物の解体を決められた。この夏中には解体工事が実施される予定という。

 先日、町教育委員会の案内で、同窓会の住吉会長さん達と一緒に旧講堂の内部に入った。竣工以来74年、風雪に堪えてきて建物は傷みが激しく、痛ましさを覚えた。一方、時間がとまっているような不思議な空間であり、戦前の女学生や戦後の高校生の在りし日の姿が浮かんでくる気がした。同窓生の方にとって、記憶の彼方にある女学校時代、高校時代の唯一の遺構が失われることは誠にさびしいことだろう。解体される前に、旧講堂の姿を今の多良木高校生諸君にも見て欲しいと思う。

             (旧講堂の前に同窓会長と校長が並んで)


 

18歳選挙権

18歳選挙権の成立に思う

~ 生徒会役員立候補立会い演説会の開催に当たって ~

 生徒会は多良木高校の全校生徒197人全員が会員です。生徒会は、クラスマッチや体育大会、文化祭など大きな行事を企画、運営することも仕事ですが、一方、挨拶運動や昨年度行われた「携帯・スマホの使い方のルール作り」、「いじめを防ぐ・なくす行動指標づくり」など日常生活に係る取り組みも重要だと思います。生徒の皆さん一人一人が工夫すれば、力を合わせれば、もっと充実した楽しい多良木高校が実現できると期待います。

 今回の生徒会役員の選挙に、東君、草場君、那須さんの3人が立候補してくれました。進んで役員になろうという3人の志に敬意を表します。

 さて、6月17日に国会で公職選挙法が改正され、選挙権年齢が現在の「20歳以上」から「18歳以上」に変わりました。選挙権、あるいは参政権と呼んでもよいのですが、これが拡大するのは1945年(昭和20年)に20歳以上の男女と決まって以来70年ぶりのことです。1年間の周知期間を経て施行となりますので、来年の7月以降に実施される選挙の投票日に18歳以上になっている場合は有権者となります。従って、今の3年生、そして2年生は(誕生日の早い遅いの影響はありますが)、来年度は有権者です。AKB総選挙ではなく、本物の総選挙、即ち衆議院議員選挙、または参議院議員選挙、県知事選挙、あるいは市町村長選挙、市町村議会議員選挙などをとおして社会にかかわることになるのです。

 高校3年生で十分な判断ができるのか、早すぎるのではないか、と心配する声も聞かれますが、世界では18歳以上が主流だそうです。皆さん一人一人が、身近な地域のことから国の政治問題まで幅広く社会に関心を持つきっかけになると私は期待しています。

 高等学校は、社会に出るための準備期間とも言われます。生徒会役員の選挙に真剣に参加することは、18歳選挙権を有意義に行使することにつながります。立候補者の主張を聴き、皆さん一人一人が、どんな学校であってほしいのか、どんな学校をこれからみんなで創るのかを考える場になることを願い、挨拶とします。

                                (生徒会役員投票風景)

甲子園100年~野球部の推戴式に寄せて

甲子園100年 ~ 野球部の推戴式に寄せて


 
30年前、台湾をバスで旅行したことがあります。その時、嘉義(かぎ)という町で地元のガイドさんが、「昔、嘉義農林学校野球部は台湾代表で甲子園大会に出場して準優勝した。それを今も誇りに思う。」と語られました。その時私は、「戦前は台湾から甲子園に出場していたのか」と感慨に包まれました。

 日清戦争に勝利した日本は、清国から台湾を獲得し、日本領として統治することになります。明治28年(1895年)から昭和20年(1945年)の日本の敗戦まで半世紀、台湾は日本領でした。したがって、戦前の夏の甲子園野球大大会(当時は高等学校ではなく中等学校でした)に、台湾から代表校が出場していたのです。そして、昭和6年(1931年)に嘉義農林学校野球部が準優勝という快挙を成し遂げたという史実を知りました。

 この記憶は、私の中では薄れかかっていたのですが、昨年、「KANO 1931海の向こうの甲子園」という映画が台湾で製作され、日本でも公開されて話題になりました。当時、台湾は日本よりも野球のレベルが低く、その中でも嘉義農林は弱小チームだったそうです。しかし、日本から赴任した先生が監督になり、日本人と台湾人の混成チームを鍛え上げ、快進撃が始まり、台湾代表となって海を渡り甲子園の決勝戦まで進むという劇的な物語となったのです。目標に向かって、日本人と台湾人というわだかまりを超え、団結して戦い勝利する姿も感動的でしたが、試合に勝った時、喜びを抑えた嘉義農林学校野球部の態度が深く印象に残りました。弱かった嘉義農林学校野球部は、負けることの悔しさ、悲しさをそれまで嫌と言うほど味わってきたため、負けた相手のことを思うと、派手な喜びを示すことができなかったのです。

 大正4年(1915年)の第1回全国中等学校野球大会から数え、今年は甲子園100年の記念の年です。100年の間に、嘉義農林学校野球部のドラマをはじめ幾多の物語、名勝負が繰り広げられてきたことでしょう。戦争による不幸な中断もありました。しかし、アマチュアの、しかもハイスクールのスポーツ大会に数万の観衆が押し寄せ、テレビ中継され、国民的行事になっていることに外国の人々は驚きます。日本が誇るスポーツ文化だと私は思います。

 全国高等学校野球選手権熊本大会に臨む野球部の皆さん。皆さんは、白球に青春を賭けています。一つのことに打ち込めることは幸せなことです。新チーム結成以来、強豪校相手にも互角の勝負をしてきました。内には秘めた自信があることでしょう。仲間を信じ、負けないという思いで戦ってください。甲子園100年の年、夢の甲子園出場に向け、誇りをもって皆さんを送り出します。



「日本遺産」の故郷

「日本遺産」の故郷

 「落ちつく先は 九州相良」という歌舞伎の名文句があります。江戸時代の人々にとっても、九州の山間に相良という殿様の治める地域があることは知られていました。相良氏は、鎌倉時代初期に源頼朝の命を受けて、遠江国(現在の静岡県)から人吉球磨の地に赴任し、以来、明治維新を迎えるまで700年の長きにわたって統治し、独自の文化と風土を創り上げました。熊本県内唯一の国宝である青井阿蘇神社(江戸初期)をはじめ、鎌倉、室町期の中世の文化財が数多く残り、江戸時代から始まった三十三観音巡りや臼太鼓踊りなどが伝えられています。歴史小説家の司馬遼太郎氏は、人吉球磨の地域を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と称えました。

 私たちの故郷である人吉球磨地域が、今年4月、日本遺産(Japan eritage)に認定されました。「相良700年が生んだ保守と進取の文化」として、他の17地域と共に文化庁が創設した日本遺産の初めての対象地域となったのです。その構成文化財には、青蓮寺阿弥陀堂、王宮神社、太田家住宅、百太郎溝、幸野溝など多良木町所在のものが幾つも入っています。これらの有形、無形の文化財は、私たちの日常生活に溶け込んでおり、普段は特別に意識をしない存在です。専門家や他の地域の人から見ると特別な歴史遺産が、ここ人吉球磨地域では日常光景の一つなのです。

 改めて、私たちの故郷である人吉球磨地域の豊かさと、それを創り、継承してきた先人達の営みに感謝の念を捧げたいと思います。観音堂の仏様(仏像)一つにしても、代々それを大切に守り伝えてきた人々の努力あってこそ、今に存在するのです。私たちは、過去からの先人達の贈り物を受けとめ、それを未来につなぐ責務があると言えるでしょう。

 多良木高校では、毎年、秋に強歩会という学校行事を開催し、人吉球磨地域の文化遺産を巡ります。今年も11月6日に実施予定で、日本遺産となった故郷を誇りに思い、生徒全員で歩きたいと思います。


         (平成26年度 強歩会「中山観音堂」にて)


ボランティア ~自然体で取り組む高校生

ボランティア ~ 自然体で取り組む高校生

 「とっても楽しいです!」とボランティア活動している生徒が目を輝かせ答えてくれた。6月6日(土)に多良木町民体育館で開かれた人吉球磨特別支援学級合同運動会(上・中球磨ブロック)に、42人もの多良木高校生がボランティアとして参加し、児童・生徒たちの支援や運動会の運営補助に当たった。

 今年で第45回となるこの運動会への本校からのボランティア参加者数としては、恐らく過去最高だろう。「多良木高校からこんなに多くの生徒さんがお手伝いをしてくれて心強いです。」と大会関係者から感謝の言葉を戴いた。

 ボランティアの生徒たちの様子を見ると、小学生、中学生に寄り添い、笑顔で一緒に運動会を楽しんでいる。男子生徒には小学校低学年の児童達がまつわりついている。5月23日(土)の球磨支援学校の運動会にも10人の生徒がボランティアとして参加したが、その時も同じ光景だった。ボランティアの生徒たちの姿は、何かをしてあげている、という感じではなく、とても自然な態度であった。

 小規模校だからこそ交流の幅を広げたいと学校としては考え、小学校での本の読み聞かせや運動の支援、地域の教育、福祉活動へのお手伝い等、年間を通して数多くのボランティア活動の機会を用意し紹介しているが、多良木高校生は、実に積極的に参加する。そして、自然体で取り組んでいる。その姿を目の当たりにして、ボランティアが若い世代に定着していることを実感する。

 「ボランティア(Volunteer)」という言葉は、義勇兵という語源の英語であり、自ら進んで社会のために活動を行うことを示す。もともと日本にも「奉公」や「奉仕」といった類似の言葉はあったが、「ボランティア」には自発性や無償性といった意味合いが強く含まれており、用語として広まった。特に、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の時に全国から自発的に集まり被災地の復興を手伝う人々をとおして、ボランティアの力が社会に認識され、この年を「ボランティア元年」と呼ぶこともある。当時、私が担任していたクラスの男子生徒の父親は、春休みになると(阪神・淡路大震災は1月17日に発生)仕事を休み男子生徒を連れて神戸市へボランティアに赴かれた。確か1週間ほど父子で瓦礫の撤去作業に従事されたと記憶している。会社のボランティア休暇制度もその後次第に整備された。

 阪神・淡路大震災から20年の時間が経った。様々な問題が社会にはあるが、自然体でボランティア活動に取り組む高校生を見ると、この国の未来に大いなる希望を抱く。


 

スポーツマンシップでいこう(高校総体)

「スポーツマンシップでいこう」


 「スポーツマンシップでいこう」の大会スローガンのもと、第43回熊本県高等学校総合体育大会(「高校総体」)が5月29日(金)から6月1日(月)にかけて開催された。「スポーツマン」とはスポーツをする男性という狭い意味ではなく、女性も含めて「スポーツをする人」と広く捉えているのだろう。

 多良木高校からは、陸上(男・女)、サッカー(男)、バレーボール(女)、バスケットボール(男・女)、ソフトテニス(男・女)、アーチェリー(女)の各競技に出場した。私自身、各会場を巡り、キラリ輝く多高生を応援できた。

 サッカーは5月23日(土)から先行開催されたが、24日(日)の熊本北高との2回戦は、残り3分で同点ゴールを決めて追いつき、延長戦でも決着がつかず、最後はPKで敗れるという劇的な試合となった。最後まであきらめずにプレーした選手達に拍手を送りたい。

 「うまかな・よかなスタジアム」で競技する陸上部員の姿は普段よりも大きく見えた。立派なスタジアムは高校生を成長させると感じた。また、バレーボール、バスケットボールともに強豪校に敗れたが、チーム一丸となり持っている力を発揮する姿はすがすがしかった。そしてソフトテニスでは、特に女子の試合が印象に残った。昨年度の後半、部員不足でチームとしてほとんど練習できていなかったが、この高校総体に照準を合わせ出場に漕ぎ着けた。女子団体1回戦では、男子部員の声援を受け3ペアともに松橋高校と互角に戦い、1-2の惜敗であった。選手達は「自分たちはやればできる」と大いに手応えを感じたのではないだろうか。

 アーチェリー競技を初めて観戦できた。会場は宇土市アーチェリー場。競技人口が少なく、女子団体は本校を含め3校しか出場していない。他の競技会場に比べ、観覧者も少なく、寂しい雰囲気だった。加えて、私が訪れた5月30日(土)は冷たい雨が降り続く最悪のコンディションであった。しかし、生徒たちは雨に濡れながらも、70m先の的を目がけて、一本一本の矢に気持ちを込め、自分の世界に集中していた。静かな空気の中に張り詰めた緊張感があり、自分が選んだスポーツに取り組むプライドさえ伝わってきた。

 ルールを守り、審判に敬意を示し、正々堂々と公正に勝負を競い、勝っても負けても相手を称える、それがスポーツマンシップだ。多高生がスポーツマンシップで高校総体を戦い抜いたことを誇りに思う。


 

 


左手のピアニスト

左手のピアニスト

 
 命を大切にする心を育むことを目的に人権教育講演会を5月21日(木)に多良木高校で開催しました。あさぎり町在住のピアニスト、月足(つきあし)さおりさんを講師として招きました。演題は「いのちの音色を響かせたい」。

 月足さんは、小学校1年からピアノを習い、東京の音楽大学を卒業してピアニストの道を歩み始められました。しかし、出生の時から「脊髄空洞症」という難病と共に生きてこられたのです。最初に両足が不自由になられ、大学時代に視力が低下し、近年は右手に激痛が走るようになり、今は左手のみで演奏されています。その左手も病が進行し、特殊な装具を付けることによって演奏が可能な状態を維持されています。

 ピアノを前にして座られ、かざりけなく率直に御自分のこれまでの歩みを語られました。視力が低下し、自分の病気が治る見込みのない難病だと自覚された時は絶望し、「死」を思われたそうです。

 「しかし、私の病気のことで、家族や友達は陰で多くの涙を流していたことを知りました。死ねば私は楽になるのかもしれないけれども、家族や友達をもっと悲しませることになってしまうと思いました。まわりの涙で支えられたようなものでした。」

 絶望を乗り越えた月足さんをまた不幸が襲います。目標の国際障害者ピアノフェスティバルの2か月前に、頼みの左手が動かなくなったのです。再び絶望の淵に沈んだ月足さんを救ってくれたのは、装具士の方でした。ピアノ演奏に適合した特別仕様の装具を製作してくださったのです。そして、2013年(平成25年)、ウイーンで開催された国際障害者フェスティバルにおいて金賞を受賞されたのです。 

 「もう一度生まれ変われたら健康な身体で生きたいと思います。けれども、健康だったら気づかないことに気づくことができました。何でもないことが楽しい、と感じることができるようになったことに感謝しています。」

お話の合間に「アヴェ・マリア」はじめ3曲演奏されました。月足さんのお話が進むにつれ、目頭を押さえる生徒の姿が見られました。

「これから病気が進行して、今までできていたことができなくなることが怖いし、悲しいです。でも、私一人の命ではないので、もう死ぬことは考えません。明日、ピアノを弾くことができなくなるかもしれないので、これで最後になってもよいと思ってピアノを弾くようにしています。」

 月足さんはそう言われて、自ら作詞作曲の「雫 ~しずく~」を最後に弾かれました。深い余韻を残し、講演会は閉じられました。月足さんの「いのちの音色」は私たちの心の奥底まで響きました。



保護者の皆様へ(PTA総会)

 5月16日(土)午後、PTA総会を開催しました。
 御出席いただいた保護者の皆様に感謝申し上げます。総会の際に配布されたPTA会報「木綿葉(ゆうば)」の校長挨拶を次に掲げます。

                         

                     地域と共に

 保護者の皆様には、日頃から本校の教育活動に御理解と御協力をいただき、厚く御礼申しあげます。この度、校長に就任した粟谷です。昨年度一年、阪本校長の下で副校長としての勤務経験はありますが、責任の重さに身の引き締まる思いです。

 さて、四月八日に入学式を挙行し、六十九人の新入生を迎えることができました。県立高等学校再編整備実施計画の対象校という厳しい環境の中、よくぞ本校を選んでくれたと感謝の思いです。教職員一同、新入生の期待に応えるべく全力で取り組んでいく所存です。

 今年度、新二年生が六十三人、新三年生が六十五人であり、新入生を合わせ全校生徒百九十七人です。高等学校としては小規模ですが、小規模校の特性を生かし、一人一人の可能性を引き出す教育に全職員で努めます。そして、保育園児から小、中学生、あるいは高齢者の方々まで幅広い交流の機会を設けます。また、地域の行事への参加をはじめ、日頃の学習成果を積極的に発信していきたいと思います。

 福祉教養コースの実習や二年生のインターンシップ(就業体験)など、学校教育の充実には地域社会の御支援が不可欠です。一方、高校生は、スポーツ、文化、ボランティアと多方面にわたって地域に活力を与える存在でもあります。本校は今年度も地域と共に歩んでいきます。

 多良木高校はいつも学校を公開しています。学校行事や部活動だけでなく、普段の学校の様子を御覧ください。そして、お子様のことで何か気になることがあれば、遠慮なく担任等に御相談ください。保護者の皆様と共により良い学校づくりに取り組んで参ります。宜しくお願いいたします。

 



体育大会

 5月10日(日)に第65回体育大会を開催しました。閉会式における講評を次に載せます。

体育大会の講評

 昨日の雨の影響で、開会を1時間遅らせての体育大会でしたが、生徒の皆さん一人一人が主体的に動き、プログラムも順調に進行でき、多良木高校の力を結集して体育大会を創り上げることができました。保育園の子ども達やお年寄りの方々、そして保護者の方々にも喜んで競技に参加していただき、地域の皆さんと交流も深めることができました。多良木高校はこれからも地域に開かれたオープンな学校でありたいと願っています。

 それぞれのプログラムはどれも見応えがあり、皆さんの一生懸命さが伝わってきました。ゴール目指して疾走する姿には熱いものを感じました。結果は1位2位…と表れますが、自分の走りができたかどうか、自己評価が一番です。大縄跳びや7人8脚競走、台風の目などの技巧種目は、参加者が気持ちを一つにしないとできないものです。チームワークの難しさを体験できたのではないでしょうか。そして、リレーはやはり体育大会の華です。「頼むぞ」、「よし」というバトンリレーの瞬間には引きつけられました。声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。また、全校生徒による集団演技「キラリ輝く多高生」は、きびきびした動き、力強さ、柔軟性、そして豊かな表現力と多良木高校生の力を遺憾なく発信できたと思います。ダンスの女子は笑顔が素敵でした。笑顔に勝る化粧なし、という言葉を贈ります。体育コースのプロムナード(集団演技)は観衆を大いに魅了しました。さすがは体育コース、と思わせる高い身体能力を見せてくれ、見事でした。

 体育大会をとおして皆さん達に特に胸に刻んで欲しいことがあります。それは、自分が一生懸命に取り組んでいればきっと誰かが見ている、認めてくれるということです。練習、準備、そして今日の本番と続く中、皆さん一人一人の努力を、友達が、クラスメイトが、先生が気付き、認めてくれたと思います。昨日の朝礼で担任の先生から紹介があったと思いますが、通学する多良木高校生が道ですれ違う町民の方に大きな声で挨拶する姿が素晴らしい、とおほめの手紙が地元多良木町の方から寄せられました。「当たり前のことができる生徒さんが立派です」とその手紙は締めくくってありました。

皆さん一人一人が多良木高校です。全員が、自分に恥じない、当たり前のことを自然にできる生徒になって欲しいと期待します。

結びになりますが、最後まで御観覧いただいた保護者、地域の皆様に深く感謝を申し上げ、講評を終わります。 


くま川鉄道

くま川鉄道

 昨年度、副校長として多良木町多良木字馬場田の教職員住宅に1年間住んだが、100mほど離れた所にくま川鉄道の踏切があり、その遮断機の音が時計代わりとなった。朝は上りの始発列車(多良木駅6:40発)の通過が出勤の、夜は上りの最終列車(多良木駅22:30発)の通過が就寝のそれぞれ目安となる暮らしだった。

 球磨、人吉地区の5つの高等学校は、くま川鉄道の最寄りの駅から徒歩10分以内にすべて立地している。鉄道は時間に正確で、運行は安定しており、生徒の通学を支える公共交通機関として、まことに有り難い存在である。また、平成26年から導入された観光列車「田園シンフォニー」の車両は、朝夕の通勤・通学列車としても走行しており、高校生は通学定期券でこの快適な車両に乗車できるのである。多良木高校生の乗車マナーが良い、と地域の方々の声を聞く。素晴らしい列車に乗せてもらい、自然にマナーも向上するのだろうと思う。日本一の通学列車を運行されているくま川鉄道のお陰だと感謝している。

 私もくま川鉄道を利用させてもらっている。夜、人吉市で会合に出席し、下りの終電(人吉温泉駅21:35発)で多良木に帰ることが時々ある。乗り心地の良い「田園シンフォニー」の車両に揺られての30分間は贅沢な時間だ。球磨盆地の夜は真っ暗だから、と笑う生徒がいるが、夜は暗くてはいけないのかと私は思う。朝日を浴びて通学し、夜の闇の中で就寝する自然なリズムを高校生には大切にして欲しい。

 民家の灯りがぽつんぽつんと見える闇夜を窓外に見ていると、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の世界を連想する。孤独な少年ジョバンニが親友のカンパネルラと「ほんたうの幸せ」を求めて幻想の世界を旅するファンタジーだ。決して子どもの童話ではなく深い思想に満ちた物語であり、高校生にこそ読んでもらいたい。
 
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんたうのさいわいをさがしに行く。」(『銀河鉄道の夜』)

 

 列車通学生ではない生徒の皆さんも時々はくま川鉄道に乗ってみるといい。列車に揺られ車窓風景を眺めていると、「考える時間」を持てるだろう。