校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

神輿を担ぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい

神輿をかつぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい
 

 「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、満面の笑顔で気勢をあげます。10月20日(金)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 わが国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人によって広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人の方たちが創られたと伝わっています。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず気持ちが和やかになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年10月20日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 継承者不足で地域の伝統行事が次々なくなっていっていると聞きます。しかし、適切に機会を設ければ、若者にとっては郷土芸能も伝統文化も新鮮なものに映り、興味をもって参加する姿が見られます。10月上旬に本校で開いた文化祭では、人吉市の鬼木臼太鼓踊り保存会にステージで踊りを披露していただきました。同保存会では小学生から高齢者までが一緒になって郷土芸能を継承されており、小学生たちの踊りも見事なものでした。

 高校生にとっては出会うものがすべて新しいのです。多くの出会い、多様な体験を用意するのが私たち学校の使命と考えています。


笑顔あふれた文化祭

笑顔あふれた文化祭

 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」が終わって一週間以上過ぎますが、まだ校内にはその余韻が残っているような気がします。テーマ「笑顔 ~キラリ輝く多高Smile」のとおり、生徒、職員、保護者そして来校された方々の笑顔あふれた文化祭となり、今でも生徒たちの「文化祭楽しかった」との声を耳にします。やはり、その要因は生徒会の生徒たちの頑張りにあったと思います。

 会長をはじめ生徒会の中核を担う執行部は13人です。通常、生徒会執行部は2年生の7月に組織され、翌年の7月の改選まで1年間担当します。しかし、下級生がいない今の生徒会執行部はこのまま来年度の閉校まで続きます。多良木高校の最後の生徒会なのです。来年度、3年生だけになる学校では従来型の文化祭は難しいでしょう。そのため、今年度の文化祭にかける生徒会の思いは熱いものがありました。執行部のメンバーの多くが体育系部活動の中心選手であり、部活動との両立に苦労したようですが、新生徒会が結成された7月から文化祭の企画、準備に取り組んできました。

 文化祭においてマルシェ(フランス語の「市場」)のような活気を創りだしたいと、クラスや保護者のバザーだけでなく、お菓子、アクセサリー、コーヒー等の専門店にお願いに行き、初めて二店舗、ご協力いただきました。企画、交渉とも生徒たちが行いました。また、「時をかけるトンネル」という企画で、ステージ会場の第1体育館入り口に古い学校生活の写真を展示したビニルハウス型トンネルを設けました。これは同窓生の方々に好評でした。そして、何より、ステージ発表の運営、進行に生徒会の生徒たちが全力で当たったため、ご出演いただいたゲストの方々から、「多良木高校生の皆さんは折り目正しい。」、「純真な高校生ですね。」等の賞賛の声をいただき、恐縮するほどでした。

 もちろん反省材料も多々あります。しかし、文化祭の体験をとおし、協同して大きな行事を創っていく喜び、醍醐味を生徒会の生徒たちは味わい、一回り成長できたと思います。多良木高校文化祭にご協力いただいた全ての方に深く感謝いたします。




よかボス宣言

よかボス宣言


 照れくさい話ですが、この度、「よかボス宣言」を行いました。働きやすく働きがいのある職場環境の実現を目指して、熊本県では蒲島知事を筆頭に「よかボス宣言」が行われ、県教育委員会でも宮尾教育長をはじめ各課長、地方機関の所属長が相次いで行っています。遅ればせながら、私も下記のとおり宣言し、その後、生徒会執行部の生徒たちと多良木高校玄関で記念写真におさまりました。

        「よかボス宣言」多良木高等学校長

私は、球磨の風土と歴史を愛し、多良木高校を誇りに思い、職員の仕事と生活の充実を願い、以下の事項を約束します。

1.私は、教育的愛情を持って生徒たちと真剣に向合い、充実した 
  仕事をする教職員を誇りに思います。

2.私は、家族を大切にし、家事や余暇などの生活も楽しめる教職員
  を応援しています。

3.私は、計画的に休みを取るなど、教職員が工夫してオンとオフの
  メリハリをつけるよう努めます

4.私は、教職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフス
  テージにおける希望や安心が実現できるよう、支援します。

5.私は、教職員と生徒たちと助けあい、励ましあい、ゴール(閉
  校)へ向かって元気に進みます


 


ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭

ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」

 10月6日(金)の午後から翌7日(土)にかけて1日半、多良木高校文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」を開催しました。来年度に閉校を控え、2、3年生だけでの文化祭ですが、2年生主体の生徒会は張り切って夏休み期間から準備に取り組んできました。学校としても少し背伸びをして、例年になく、多彩なゲストを招き、生徒たちが感動的な出会いができるよう企画しました。その1人が、2年前の卒業生の岩田麗(いわたあきら)さんです。

 岩田さんは、本校卒業後、お笑い芸人になる道を選び、大阪へ行きました。そして現在、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、「イワタアキラ」の芸名で若手芸人として研鑽を積んでいるところです。

 文化祭2日目の午前、岩田さんが体育館ステージに登場しました。生徒たちにとっては「ようこそ先輩」の気持ちです。岩田さんは、高校生の時、テレビのお笑い番組、動画等にいかに元気づけられたかという思い出から話を始めました。そして、人を笑わせる仕事をしたいと強く思い、最初は周囲の反対があったものの、自分が最も挑戦したかった道に進むことができたことに感謝していると語りました。2年前、私も岩田さんの進路希望を聞いた時は驚きました。しかし、本人の決意の固さを知り、前途を励ましたことを覚えています。

 トークの後、岩田さんがコントを披露してくれました。文字やイラストを描いた広用紙を何枚も使いながらのユニークな芸で、生徒たちは笑顔で聴き入っていました。孤高の道を進んでいる先輩の姿をとおし、生徒たちは夢を実現することの尊さと大変さの両方を学んだことと思います。私自身は、社会に送り出した卒業生が、たくましく自分で道を切り拓いている姿を目の当たりにして、感無量となりました。



「記憶」を「記録」する

「記憶」を「記録」する ~ 日本史Aの聴き取り学習発表会

 9月25日(月)、2年2組の日本史A選択者の授業において、戦争体験者からの聴き取りを基にした学習発表会が行われました。多良木高等学校の前身の旧制多良木高等女学校の同窓生の方々から、太平洋戦争中の体験談を7月に聴き取り、それを基に、さらに歴史を調べ5グループ(1グループ5人)で発表しました。当日は、聴き取りにご協力いただいた多良木高等女学校同窓生の方5人が来校され、生徒の発表をご覧になりました。また、ソウル大学校名誉教授の全京秀先生(文化人類学)、琉球大学の武井弘一先生(歴史学)、神谷智昭先生(民族学)にも参観いただき、評価コメントをいただきました。

 戦後72年となり、現代の高校生にとって太平洋戦争は歴史の世界です。身の回りにも戦争体験した方はきわめて少なくなってきています。教科書や歴史の本、あるいはテレビの映像でしか知らない戦争を青春時代に体験した同窓生の方々の話は生徒たちの気持ちを揺さぶったようです。

 生徒たちの発表を受けて、武井先生は「記憶」を「記録」することの大切さ、意義を強調されました。戦争や自然災害等どんな大きな出来事であっても、それが記録され伝えられなければ、忘れられていき、その惨禍は繰り返すのだと指摘されました。

 昨年4月に熊本地震が発生した時、私たち熊本県民の多くは「まさか、熊本でこんな大きな地震が起きるとは」と驚き、慌てました。行政も、一般県民も大地震の可能性について全くと言っていいほど予期していなかったのです。しかし、明治22年(1889年)、当時の熊本市でマグニチュード6を超える地下直下型地震が起き、甚大な被害が出ていたのです。その歴史が現代に継承されていなかったため、私たちは、地震への危機感がなかったのでしょう。

 どんなに苛烈な「体験」でも、当事者が亡くなれば次第に忘却されます。当事者から聴き取り、それを「記録」し、「伝える」営みが大切なのです。それが歴史を学ぶということなのです。



グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

グローバル社会を生きる君たちへ ~ 国際理解に係る特別講演

 インターネットによって世界中の情報が飛び交い、マネー、物も国境を軽々と越えて地球上を流通するグローバル社会に私たちは生きています。人の移動も加速化し、もはやボーダーレス(境界なし)の世界と言えるでしょう。人類が初めて迎えたこのグローバル社会。多良木高校生の皆さんはまだ海外旅行の経験がある人も少なく、実感はないでしょう。しかし、皆さんが食べている食品、使っている製品の原材料の多くは海外からの輸入されたものです。皆さんも知らず知らずにグローバル社会に巻き込まれているのです。

 グローバル社会をどう生きていけばよいのかという問題について、生徒の皆さんが考える機会にしたいと願い、9月25日(月)に国際理解に係る特別講演を開きました。

 講師は、全京秀(チョン・ギョンス)先生。大韓民国、ソウル大学校名誉教授で、ご専門は文化人類学。現在は中国の貴州大学で教えていらっしゃいますが、アメリカ合衆国、日本などで幅広く研究・教育の活動をされています。当然、英語、日本語など多言語を操られる、まさに知の巨人とも呼ぶべき方です。今回は、秋の相良三十三観音の一斉開帳を見学に球磨郡へいらっしゃったタイミングで講演をお願いしました。演題は「グローバル社会と私」です。

 「英語でいうI、日本語でいう私、これを強くすること、心身の充実こそ、グローバル社会にあって最も大切なこと」と、全京秀先生は、日本語で、力強く生徒たちに語りかけられました。情報が爆発的に増え、真偽が見分けにくくなってきます。人々の価値観は多様化してきます。また、海外へ行けば、あるいは海外の人と一緒に仕事をすれば慣習や文化が異なります。これらの混沌とした社会の中で生きていくには、自分自身という中心軸がしっかりしていることが必要なのだと説かれました。また、英語、日本語、ポルトガル語などの習得にいかにエネルギーを使ったか、というお話も印象的でした。

 講演自体は30分ほどで切り上げられ、生徒たちに質問を求められました。積極的な学びの姿勢を重んじられる全京秀先生の教育観が示されたと思います。全京秀先生の旺盛な知的好奇心と若々しい行動力に生徒たちは感銘を受けたようです。 



インターンシップに臨む2年生を励ます

 9月12日(火)から14日(木)にかけて、2年生69人がインターンシップ(就業実習体験)を行います。今年も、この人吉・球磨地域の29か所の事業所(官公庁、店舗、保育園、工場等)のご協力によって実施できます。明日からインターンシップに臨む2年生を励ましました。
 

「明日からのインターンシップで、皆さんは就業体験を行います。わずか3日間体験したからと言って、その仕事のことがどこまでわかるか、それは疑問です。しかし、意味はあると私は思っています。私たちが見て、知っていると思っている仕事は実は表面だけです。その裏側にとても広く深い世界があって表面を支えているのです。

 例えば、学校の先生。皆さんは小学校、中学校、そして高校2年生と11年間、学校生活を送ってきました。だから、学校の教師の仕事はだいたいわかっていると思っているでしょう。しかし、皆さんが知らない部分がたくさんあるのです。私たちは教員免許を取るためには教育実習を学校で行うのですが、生徒の時には見えなかった業務がこんなにあるのかと驚いたものです。コンビニでもそうですね。お客として見るコンビニの世界はシンプルなものです。けれども、仕事として入ってみると、あのたくさんの商品はどこからくるのか、それをどう整理して管理しているのか、お金の管理はどうなっているのかなど大事な世界が広がっているのです。仕事とは社会につながっていて、実に多くの世界にネットワークが広がっています。皆さんは、明日からの三日間で、小さな窓から社会という巨大でとらえどころのないものを覗いてきてください。そして、社会とつながることに興味、関心を持ってください。

 さて、このインターンシップは地域のご協力によって成り立っています。今年度も29か所の事業所の方々が実習をお引き受けいただいたからこそ、実施できるのです。有難いことだと思います。昨年度、一昨年度、私は実習先を訪ね、「ご迷惑をおかけします」と挨拶して回りました。すると、そのすべての事業所の方が、「高校生がきてくれて活気が出ます」、「職場が明るくなります」、「自分も新人の頃を思い出しました。」など肯定的におっしゃってくださいました。地域で高校生を育てていこうというお気持ちの表れと思い、感謝しております。

 多良木高校は高等学校としては小さな学校かもしれません。学校は小さくても、多良木高校生は小さい高校生ではありません。可能性豊かな大きな存在です。この球磨郡を元気にする、大きな役割をもっています。それぞれの事業所の方々は、皆さんが来ることを待っていらっしゃいます。感謝と謙虚さを忘れずに、三日間の実習をやり抜いてください。新しい出会いがたくさんあることを願っています。」

「海のまち、山のまち」交流会 ~阿久根市との交流事業

 鹿児島県阿久根市と多良木町との「海のまち、山のまち」交流事業の一環として、阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校との野球、女子バレーのスポーツ交流を9月9日(土)に行いました。今年度は本校がお迎えする番であり、午前中に交流試合、そしてお昼から町保健センターにて交流会を開きました。6年目となる交流行事も本校にとっては今年が最後になります。交流会の終わりに校長として御礼のご挨拶をしました。

 「東シナ海に面した明るい海のまち、阿久根市から西平市長様、木下市議会議長様をはじめ行政、議会、観光連盟の皆様方、そして坂口校長先生を筆頭に鹿児島県立鶴翔高等学校の先生方、生徒のみなさんをお迎えし、「海のまち、山のまち」交流会を行うことができましたことを皆様と共に喜びたいと思います。

 九州山地に囲まれ、多くの寺社、仏像が悠久の歴史を今日に伝える山のまち、多良木。熊本県立多良木高等学校は、大正11年にこの地に創立以来、名前のとおり多くの良い木、人材を輩出することに努めて参りました。しかしながら、平成に入って以降、地域の人口減少、少子化に伴い、入学者が減り続け、来年度平成31年3月をもって閉校の定めとなりました。近年は、町立高校と呼んでも過言ではないほど、地元多良木町から厚いご支援をいただいてまいりましたが、その中でも、この鶴翔高等学校との交流は特筆すべきものでした。在籍生徒数が少ないからこそ、生徒の交流体験を増やしたい本校としては、県外の高等学校を訪問し、お迎えするという相互交流の機会は誠に得難いものでした。青春の体験は記憶に深く刻まれます。この6年間の交流を体験した多良木高校生は阿久根市のこと、鶴翔高校のことをいつまでも忘れないだろうと思います。

 結びになりますが、三つの高校が統合され今年で13年目を迎えられる鶴翔高等学校には、校名のように未来永劫、大きく飛翔されていくことを期待いたします。また、阿久根市の皆様方には、6年間、本校の生徒たちに有意義な交流体験の場を与えていただいことに深く感謝を申し上げ、十分に意は尽くせませんが、御礼の御挨拶といたします。6年間、誠にありがとうございました。」


 阿久根市の西平市長による始球式          女子バレーボールの交流戦

山を楽しもう ~ 体育コースの市房登山

山を楽しもう ~ 体育コース生徒の市房山登山

 「頂上だ。やったー」の歓声が生徒たちの間に広がります。九州でも屈指の高峰である市房山(1721m)の頂上に到達した時の達成感、成就感は言いようのないものでした。登り始めて4時間が経過していました。

 体育コース2年生の3日間の市房キャンプの中日、8月31日(木)に市房山に挑みました。今年は、登山ガイドを坂梨仁彦先生に依頼し、先導をお願いしました。坂梨先生は、長年にわたって熊本県の県立高校の生物の教諭として教鞭をとられ(今春定年退職)、植生、鳥類に造詣が深い方です。加えて、登山の専門家で、高校の登山部の指導に当たってこられました。市房山には通算80回を超える登山歴を持っておられます。

 午前9時に山麓の市房キャンプ場(標高が約600m)を出発。鳥居のある登山口から登り始めます。イチイガシをはじめ豊かな照葉樹林帯が続きます。やがて、千年杉と言われる巨大な杉が幾つも現れ、4合目の市房神社に着きました。市房は古来、球磨の人々の信仰の対象として崇められ、神の山として大切にされてきて、現在は国定公園として保護されているため、希少な植物の宝庫となっていると坂梨先生から説明がありました。

 市房神社を過ぎると、急傾斜が続き、丸太の梯子をよじ登ったり、樹木の根をつかんでバランスをとったりと本格的な登山となります。しかし、生徒たちはたくましく進んでいくため、私は遅れないよう必死です。6合目の馬の背と呼ばれる急峻な地形を過ぎ、7合目付近で、珍しい鳥「ホシガラス」が空から舞ってきてブナの樹にとまりました。坂梨先生から説明があり、全員で立ち止まってしばし注目。標高が上がるにつれ、樹高が低くなります。8合目を過ぎると馬酔木(あせび)に覆われています。鹿が増え、多くの植物を食べますが、毒のある馬酔木は避けるため、繁殖しているようです。

 午後1時に山頂に立ちました。ガスが立ち込め、眺望には恵まれませんでしたが、充足感に浸り皆で弁当を開きました。下りは、急斜面での根や石が足に負担となりましたが、およそ3時間で無事にキャンプ場に帰着。霊山の清らかな空気に包まれ、多彩な植生に触れ、変化に富んだ登山道に一喜一憂した7時間の挑戦でした。生徒と苦楽を共にでき、かけがえのない晩夏の一日でした。 



 

山に学ぼう ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

「山に学ぼう」 ~ 体育コース市房山キャンプに寄せて

 多良木高校2年1組体育コース24人は8月30日(木)から9月1日(金)にかけて水上村の市房山キャンプ場でキャンプをしながら様々な野外活動に取り組みます。特に2日目は一日かけて市房山(1721m)に登ります。古くから霊峰として球磨の人々の信仰の対象であった神の山は、今も希少な植物や蝶、鳥が生息する「宝の山」です。学校を出発する生徒たちに、私は、富松良夫の詩『山によせて』を紹介して、送り出しました。

 富松良夫(19031954)は宮崎県都城市の人で、幼少の頃に脊椎カリエスに罹り障がいのある生を送りましたが、宮崎県から鹿児島県にまたがる霧島連山を愛し、山を主題とした詩を多く創り、「霧島の詩人」とも云われます。その作品の中から『山によせて』を選び、山に学ぼうと呼びかけました。

  『山によせて』         富松 良夫

 ひかりの箭()をはなつ朝

 山は霧のなかに生まれ
 むらさきの山体は
 こんじきの匂ひをもつ

 
 あたらしい日を信じ

 あたらしい世界のきたるを信じ
 さらに深い山の発燃(はつねん)を信じ


 にんげんの哀(かな)しさも

 国の面する悲運のかげも
 世界の精神的下降の現実も
 わすれはてるわけではないが


 いまこのあざやかな

 朝のひかりにおぼれ
 悠々と非情の勁(つよ)さにそびえている
 山に学ぼう
 


                                   市房山キャンプ場でテント設営する多良木高校生

 

 

変化の潮流の主人公になってほしい ~2学期の始業に当たって

変化の潮流の主人公になってほしい ~ 2学期の始業に当たって

 多良木高校の2学期は8月25日(金)に始まりました。新ALTの新任式、7月から8月にかけての各種大会、コンクール等の表彰式、そして始業式を行いました。式において、生徒の皆さんに私は、変化の潮流の主人公になってほしいと語りかけました。

 この夏季休業中、故郷の八代市に帰省し、外港で海に浮かぶ巨大な豪華客船を見ました。世界2位の規模をもつクアンタムオブザシーズという豪華クルーズ船で、中国上海から来ており、4千人を超える中国人観光客を乗せていました。まさに海を移動する大きな豪華ホテルに私は圧倒されました。八代港へ寄港する豪華客船の数は年々増え、今年は70回になるだろうとの予測です。仮に1回に4000人の乗客があれば、年間に28万人もの中国人観光客がこの多良木町からおよそ90キロ下流の港にやってくるのです。この巨大な豪華客船のことを、八代の人は平成の白船と呼びます。

 江戸時代末期、それまで風の力で進む帆船しか知らなかった日本人の前に、蒸気機関で動く、鉄板の大型船、すなわち黒船が現れ、欧米の文明の力に圧倒されます。そして幕末の動乱が始まり、江戸幕府は倒れ明治維新となります。平成の巨大な白船は、私たちに時代が大きく変わろうとしていることを告げる存在です。急速な科学技術の進展と情報化によって社会は大きく変化しています。人工知能AIは将棋や囲碁の名人に勝利します。人が運転操作しなくても走る自動運転の自動車が一般道を走る日も近いでしょう。このような変化に私たちはついていけるだろうかと不安になります。しかし、私のような中高年はついていけないかもしれませんが、皆さん達若者は、この変化がチャンスです。

 黒船到来で揺れる幕末の日本において、このままではだめだ、欧米列強に後れをとって日本は植民地になってしまうと危機感をいだき、奮起して新しい国づくりに活躍した志士たちは10代、20代の若者でした。世の中が大きく変わってしまったと驚く私のような中高年をしり目に、変化の潮流の中で皆さんたちは主人公となってこの社会を変えていってほしいと期待します。

            

表彰式の様子

新しいALTの紹介(新任式)

 8月25日(金)、2学期の始業式に先立ち、新しいALTの新任式を行い、私のほうから次のように日本語と英語で紹介しました。

「新しいALTの先生を紹介します。アイルランド共和国から来られたチャールズ先生です。

New ALT is Mr Charles Edwin Merchant from The Republic of Ireland.

チャールズ先生は、高校時代に第二外国語で日本語を勉強して、日本にとても興味を持たれ、ALTとして日本で働くことを希望されました。

Mr Charles studied Japanese as the second foreign language at high school. So, He was interested in Japan and He wanted to work as an ALT in Japan.

 チャールズ先生は日本語が上手で、とてもフレンドリーな方です。皆さんと話すことを楽しみにされています。どうか、皆さんの方から積極的に話しかけてください。

 He can speak Japanese well. He is  very friendly . He is looking forward to talking with you. Please speak to him actively .

 ところで、皆さんはアイルランドの首都がどこか知っていますか?

そう、ダブリンです。

By the way, do you know where the capital of Ireland is?

It is Dublin.

 私は、大学生の時に、アイルランドが生んだ大作家のジェイムズ・ジョイスの「ダブリン市民」という有名な小説を読み、深い感銘を受けました。

I read a famous novel the Dubliner written by James Joyce in my  university days.  I was deeply impressed by this novel.

 この小説を読んで、私はいつかアイルランドに行ってみたいと思いました。しかし、その希望は実現していません。

 I read this good novel and  I would like to visit Ireland someday, but that hope has not yet come true.

 アイルランドの人と一緒に仕事をするのは私にとって初めてです。とてもわくわくしています。

It is the first time to work with the Irish . I am very excited.

 私は英語の教師ではありませんが、できるだけ英語でチャールズ先生とコミュニケーションをとりたいと思っています。皆さんもそうしてください。

 I am not an English teacher, However ,as much as possible,I would like to communicate with Mr Charles in English. Everyone,Please do so like me.

 これで私の挨拶を終わります。これからチャールズ先生に自己紹介をお願いします。

 my greeting is over . Mr Chrles Please introduce yourself from now.」


                               新ALTのチャールズ先生に歓迎の言葉を述べる生徒会長

アイルランドから連想すること ~ アイルランド人のALT着任

アイルランドから連想すること ~ アイルランド人のALT着任

 新しいALT(外国語指導助手)のCharles Edwin Merchantさん(男性)が着任され、8月9日に校長室でお会いしました。「チャールズ先生です。よろしくお願いします。」と流暢な日本語での挨拶には驚かされました。高校時代に第二外国語で日本語を学び、それから日本のことに興味、関心が高まり、ALTとして日本で働くことを希望することにつながったそうです。チャールズさんはアイルランドから来ました。ALTの出身国は、USA、イングランド、カナダなどが多く、アイルランド人のALTは私にとって初めてです。

 アイルランドという国名を聞いて連想するのが、アイルラン出身の作家ジェイムズ・ジョイス(18821941)の作品『ダブリン市民』です。アイルランドの首都ダブリンを舞台とした短編小説集で、中でも「死せる人々」は印象深く心に残る物語です。30年前の大学生の頃に読み、感銘を受けました。

 また、熊本市には、熊本アイルランド協会があり、熊本とアイルランドとの交流活動を行っています。「熊本市になぜアイルランド協会があるのか?」と疑問を持たれる人もいるでしょう。それはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の存在に由来します。『怪談』をはじめ諸作品で日本の伝統文化を欧米に紹介したラフカディオ・ハーンの父親はアイルランド人で、ハーンは幼少期をダブリンで過ごしているのです。ハーンは明治24年に熊本へ赴任し、第五高等中学校(熊本大学の前身)で教鞭をとり(英語を教授)、明治27年まで熊本で生活をしています。軍都として発展しつつあった熊本の街には違和感を抱きながら、「簡易で、善良で、素朴な」熊本の人々の精神をハーンは高く評価しました。ハーン一家が住んだ家は「小泉八雲旧居」として熊本市に保存されています。

 このように、ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』の読書体験やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と熊本の関係を思い起こすと、アイルランドに対して私はとても親近感を抱きます。初めてアイルランド人と一緒に仕事ができるということで、何かわくわくします。新ALTのチャールズさんはとてもフレンドリーな方ですから、きっと生徒たちもすぐに親しむことでしょう。


 


多高野球部が愛される理由 ~ 野球部の地域貢献

多高野球部が愛される理由 ~ 野球部の地域貢献

 毎夏、多良木町と交流している北海道の南幌町(なんぽろちょう)の小学生10人が来町し、本校にも宿泊します。本校にとっても毎年恒例の行事となっています。そして、この交流事業で大活躍するのが野球部です。

 7月30日(日)、多良木町の中心部から北の山間部に向かって車で15分ほど走り、休校中の宮ケ野小学校校舎を訪ねてみました。この日は南幌町の小学生と多良木町の小学生の交流会が予定されていて、多良木町役場の方々が山女魚の塩焼きとそうめん流しの昼食の準備を行っておられました。そして本校の野球部員がそれを手伝っていたのです。18人の選手は野球のユニホームを着て、6人の女子マネージャーは学校の体操服で、それぞれ動き回っていました。そうめん流し用の竹筒を作ったり、小学校前の渓流で山女魚の血を抜いて洗い竹串をさしたり等、活発に立ち働いていました。その健気な様子を見て、私は思わず笑顔となりました。「高校生のみんながよくやってくれていて、感謝です。」と役場の方から御礼の言葉もいただきました。

 夕方、本校のセミナーハウスに会場を移し、女子マネージャーがカレーライスを作り、両町の小学生の夕食会。夜は本校の体育館で野球部選手たちも交じってのビーチボールバレーのレクリエーション。「こんな経験は多良木高校野球部ならではだね。」と私が声を掛けると、生徒たちは笑顔で「はい」と返事をしました。

 本校野球部の齋藤監督は多良木町の社会教育指導員を務めておられるため、積極的に野球部員にボランティア活動を呼び掛けられます。南幌町の小学生との交流行事をはじめ町の文化祭や科学展(サイテク祭)の設営準備、公園の清掃活動、町の駅伝大会への参加など年間を通して野球部員が地域のために身体を動かし、汗を流しています。

 他者のため、公のため、無償の気持ちで働く野球部の生徒たちは輝いています。その姿を知っている地域の方々が、いざ大会となると本校野球部を応援するために球場に駆け付けてくださるのです。多良木高校野球部が地域に愛される理由は日頃の活動にあると思います。


 


 

多くの来校者でにぎわう ~城南地区県立高校PTAビーチボールバレー大会

多くの来校者 ~城南地区県立高校PTAビーチボールバレー大会


 7月29日(土)、多良木高校で城南地区県立高等学校PTAビーチボールバレー大会が開催され、12校19チーム、参加者総数190人の方が来校されました。開会式での校長の歓迎挨拶を掲げます。

 「皆さん、ようこそ多良木高校へお越しいただき、有難うございます。八代・芦北・水俣の学校の皆さんには遠く感じられたことと思います。本校が位置する多良木町、そして東側の湯前町、水上村などこの地域は球磨郡の中でも上球磨、あるいは奥球磨と称しており、ここより東にはもう熊本県の高校はありません。本校から車で15分ほど国道219号を走ると湯前町横谷峠にさしかかり、宮崎県西米良村に入ります。

 多良木高校は、上球磨の拠点、多良木町に大正11年に創立され、戦前は高等女学校の歴史を持ち、戦後、新制の普通高校となり、「多くの良い木」の名前のとおり、人材を輩出してきました。昭和40年代には学年8クラスを有し、水上村には水上分校を持っていました。しかし、その後、この地域の少子化、人口減が急速に進み、平成2年に水上分校がなくなり、とうとう本校までもが来年度、平成31年3月をもって閉校の定めとなりました。今年度は新入生はなく、現在2、3年生の計136人が在籍しております。

 しかし、小さくともキラリ輝く存在でありたい、最後まで地域と共に歩み、体育部活動をはじめ活気ある学校でありたいと願い、保護者のご支援のもと生徒と職員が一体となって様々な活動に取り組んでいるところです。多くの方に閉校前の多良木高校に来ていただき、その様子を記憶してほしいとの本校PTAの熱い思いから、この城南地区親睦ビーチボールバレー大会も実現しました。

 城南地区高等学校のPTAの皆様にお願いがあります。現在の2年生69人が多良木高校のアンカーとして部活動に励んでおり、野球、陸上、サッカー、男子バスケット、女子バレー、女子アーチェリーの6つの体育系部活動が来年度まで活動します。本校は平成3年に体育コースが設けられたこともあり、二つの体育館、300mの陸上トラック、専用の野球場とスポーツの施設・設備が充実しており、宿泊できるセミナーハウスもあります。どうか、部活動の練習試合や合同練習等で御来校いただき、本校の生徒と一緒に活動していただけないかと願っております。本日も宮崎県の都城の高校が野球の練習試合に来てくれています。それぞれの学校の部活動でご検討いただきたくお願い致します。

 小規模校のため、PTAのスタッフも少なく、不行き届きな点も多々あるかと心配しておりますが、笑顔と歓声あふれるレクリエーションになることを願い会場校校長挨拶といたします。」


 

 


語り継がれる戦争体験

語り継がれる戦争体験 ~ 同窓生の方からの聴き取り学習

「戦争中の女学校生活で楽しみは何でしたか?」との生徒の問いに、多良木高等女学校の同窓生の方は「楽しみなんてなかったよ。」と語られ、質問した生徒の表情が引き締まりました。7月25日(火)の午後、2年生の「日本史A(近現代史)」選択者25人が、多良木高等女学校同窓生の方から戦争体験を聞き取る学習活動を行いました。

 多良木高校は大正11年(1922年)創立当初から「平和・勤労・進取」の校訓を掲げていますが、その沿革を振り返ると「平和」の時ばかりではありません。昭和12年に勃発した日中戦争、そして昭和16年の太平洋戦争開戦と昭和前期は過酷な戦争の時代が続きました。その時代に当時の多良木高等女学校で学ばれた先輩方の高齢化は進み、80代後半から90代にさしかっておられます。そして本校自体が来年度で閉校です。従って、同窓生の方から戦争体験を聴く機会は今しかないと考え、地域の同窓生の方々の協力を得て、日本史選択者の聴き取り学習の場が実現しました。

 当日は、昭和19年度から昭和21年度にかけての卒業生10人の同窓生の方に御来校いただきました。その他、同窓生の方と親交のある第一高等女学校(現第一高校)、八代高等女学校(現八代高校)、そして戦争中に熊本市健軍の三菱重工熊本製作所(軍需工場)で勤労動員の体験を共有される熊本中学校(現熊本高校)の卒業生の方(唯一の男性)も加わっていただきました。生徒たちが各5人の5班に分かれ、班にそれぞれ2~3人入っていただき、戦争中の体験、当時の思い出や考えていたことなどを生徒たちに1時間ほど語っていただきました。

 戦争中の女学生と現代の高校2年生はおよそ70歳の年齢の開きがあります。しかし、生徒たちは事前に準備していた質問項目だけでなく、同窓生の方のお話に興味を持ち、予定していた時間を超えて対話が続きました。個々人の体験が語り継がれ、記録されることで、それは歴史となります。教科書の記述で学んだ知識をもとに、同窓生の方の体験談、証言を聴くことで、生徒たちは戦争と平和について深く考えさせられたことでしょう。


 


ともに汗を流して ~ 夏の除草作業

ともに汗を流して ~ 夏の除草作業

 気温35度の猛暑日が連日続いている今日この頃ですが、7月25日(火)の朝、保護者の方々のご協力も得て校内の除草作業に取り組みました。本校は300m陸上競技トラック、野球場等とスポーツ施設が充実していることもあり、学校敷地は6万5千㎡を超えています。在籍生徒数が現在は2学年136人であり、普段の清掃活動でも校庭やグラウンド等には手が回りません。夏季休業に入り、夏草がさらに生い茂ってきたため、除草作業を実施しました。

 当日朝7時に、保護者有志の方、体育系部活動員をはじめ生徒有志、そして教職員とおよそ百人が集まり、約1時間、除草作業を行いました。少しでも涼しい時間帯にと計画したのですが、無情にも7時を過ぎると夏の太陽の日差しは容赦なく、身体から汗がとめどなく流れ出ます。保護者の中には出勤前にご協力いただき、作業が終わると急いで職場に向かわれる方も少なくありませんでした。そのような保護者の姿はきっと生徒たちの気持ちを揺さぶったものと思います。

 草を抜きながら生徒たちと、「雑草のたくましさについて」や「自宅で草取りをするか」など様々な会話をしました。日本の学校において、掃除の時間は特別な教育的意義があると思います。今でも掃除機などの便利な道具はあまり使わず、雑巾、箒、モップ等のアナログな用具で地道に取り組みます。除草剤も原則使わず、手作業で草を抜くのが学校の掃除風景です。生活する場所を清潔に整えることは人として当然の作法であり、生活の基本であるという考えが日本人にはあると思います。掃除の時間はそのことを児童、生徒たちに体得させる大事な教育の場なのです。

 欧米から赴任してくるALTやアジアの教育関係の訪問者が、日本の学校のユニークな点として「児童生徒と一緒に教職員が掃除をすること」を挙げますが、私たちからすると、一緒に掃除をしないことの方が奇異に思えます。ともに汗を流して草を抜き、少しでも自分たちの学校を整えていこうという意識の連帯こそが、教育だと考えるのです。


 



それいけ野球部 ~ 夏の大会ベスト8進出

それいけ野球部 ~ 夏の選手権大会ベスト8進出

「あきらめない夏」を掲げて、第99回全国高等学校野球選手権熊本大会に臨んだ多良木高校野球部は、毎試合、筋書きのない熱いドラマを創りながら、準々決勝、ベスト8に進出しました。

 1回戦の大津高校戦は攻守ともにかみ合い9対0で快勝。2回戦の専大玉名高校戦は緊迫した試合展開で、1対1のまま延長戦に入り、11回裏、主将の若杉君のセンター前ヒットでサヨナラ勝ち。1,2回戦とも2年生エースの古堀君の好投が光りました。

 古堀君は東京都大田区の中学校を卒業して多良木高校に入学してきました。ご両親は多良木高校の同窓生で、高校はご両親の故郷で学びたい、そして強い公立高校野球部で野球に打ち込みたいという本人の意志で、本校を選んでくれました。あさぎり町の祖父母の家に住み、毎日、およそ10㎞の道のりを自転車で元気に通学しています。古堀君のような「孫ターン」の生徒は同学年に他に2人いて、それぞれ板橋区、足立区の中学校から本校に入学し、陸上部とバスケットボール部で活動しています。彼らの存在は、少子高齢化が進む地域に活気をあたえるものです。

 3回戦の八代東高校戦は、前半2対5とリードを許しながらも8回表に一気に5点を奪い逆転。古堀君を救援した3年生の城本君が気迫のピッチングを見せ7対6で勝利しました。8回の逆転劇の時の多良木高校側スタンドは歓喜と興奮に包まれました。多高校野球部の試合には、多良木町をはじめ地域の多くの方々が足を運んでくださいます。有志の「多良木高校野球部応援隊」はじめ、野球部を応援する「じじばばの会」というお年寄りの会もあります。卒業生、そして卒業生の保護者も今年は特に多く応援に来られています。

 閉校が来年度に迫りながら、それを感じさせない野球部の活躍に卒業生はじめ地域の方々が喜んでおられることを感じます。多良木高校野球部の試合はいつもハラハラドキドキの展開です。炎天下、こんなにも多くの人が一喜一憂し、勝っても負けても涙し、世代を超えて校歌を合唱する光景が見られるのは多良木高校ならではと思います。


               3回戦の試合前


インターハイ壮行会 ~ 全校生徒の寄せ書きで送る

インターハイ壮行会 ~ 全校生徒の「寄せ書き」で送る

 
 7月14日(金)は多良木高校にとって節目の日です。この日が1学期終業式の日であると共に、いくつもの行事を実施しました。先ず、ALTのジョセフ・ランザ先生の退任式。イングランドから赴任したジョー先生は、1年間の任期を終え、この1学期末で帰国されることになりました。身体を鍛えることが好きで、放課後、第2体育館のトレーニングルームで筋トレに励む姿が印象的なジョー先生は生徒たちにとても人気がありました。

 続いて、「南東北インターハイ2017」の陸上競技100m、200mに出場する三浦恵史君(3年)の壮行会。同窓会の味岡峯子副会長にもご出席いただきました。そして、全校生徒が布に寄せ書きを行い、それを生徒代表が贈って激励しました。小希望校ならではの心温まるメッセージです。三浦君にとっては何よりの励ましとなったことでしょう。
 先日の7月8日、熊本市で開催された国体最終選考会において、少年の部100mで10秒75の自己ベストで優勝し、愛媛国体の県代表にも決まっています。着実に自己記録を更新して成長を遂げている三浦君を頼もしく思います。「熊本 多良木」の名前を背負い、アスリートの祭典のインターハイで自分の力を最大限に発揮してほしいと期待します。

 終業式を終え、午後、体育部活動のキャプテンやマネージャー等を集めて、教職員との合同の救急法講習会を第1体育館で行いました。上球磨消防組合消防本部から隊員の方に来ていただき講師をお願いし、心臓マッサージやAEDの使い方についての研修に取り組みました。安全こそが部活動の大前提です。自分たちの命は自分たちで守るという心構えを持っていてほしいと思います。

 ようやく昨日7月13日に南九州は梅雨明けしました。明日から夏季休業。多高生には大いに汗を流し、身体を動かしてほしいと思います


 


地震を知る ~ 阿蘇火山博物館の池辺館長のご講演

地震を知る ~ 阿蘇火山博物館の池辺館長のご講演

 今年度から、多良木高校は地域の方と一緒に防災活動に取り組むこととなりました。「防災型コミュニティスクール」です。昨年まで学校だけで防災学習、そして避難訓練等を実施してきましたが、昨年の熊本地震の体験をとおして、改めて地域との連携の大切さを知り、今年度から全ての県立高校は防災型コミュニティスクールとなったのです。

 その最初の取り組みとして、7月4日(火)の午前、地震に関する講演会を開催しました。本校が位置する多良木町六区からも区長さんをはじめ20人余りの方々が来校され、生徒及び教職員と共に一緒に聴講されました。学校と地域の方が共に学ぶことが、コミュニティスクールの第一歩です。

 講師は公益財団法人阿蘇火山博物館館長の池辺伸一郎先生で、演題は「地震を知る」です。池辺先生は、長年、同館の館長を務めておられ、火山及び地震の専門家でいらっしゃいます。お話は、(1)地震のメカニズム、(2)熊本地震について、(3)人吉球磨地域の断層、(4)自然災害から身を守る、の四つの項目に沿って進み、プロジェクターでスクリーンに投影された図、資料を使われ、とても具体的でわかりやすいものでした。

 また、「地球は生きている、火山活動、そして地震について予知はできない」、「地球が何を考えているかわからない、地球科学の分野はまだわからないことが多い」と専門家ならではの謙虚な表現が印象に残りました。そして、地震、火山噴火、台風などの危険な自然現象(Hazard)は日本列島で生きていく以上、避けようがない、しかし、自分が生活する地域のハザード(Hazard)の理解を深めることで、防災、減災に結び付け、生活に多大な被害が生じる災害(Disaster)が起こらないよう努力すべきだと結ばれました。

 熊本地震で阿蘇地域は大きな被害を受け、池辺館長の阿蘇火山博物館も復旧の途上にあります。火山及び地震の研究者としての使命感と復興に挑む気概が込められた、内容豊かなご講演でした。「地震を知る」という初めの一歩を多良木高校は地区の住民の方々と共に踏み出すことができました。