校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

それいけ、三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

  それいけ三校合同サッカーチーム ~ 南稜、球磨中央、多良木

 人吉・球磨地域の急速な少子高齢化に伴う入学生徒数減少が要因で、多良木高校は来年度で閉校を迎えます。一方、今年度、南稜(校名は同じ)、球磨中央(旧球磨商業)が開校しています。多良木高校サッカー部は、秋の大会を最後に3年生が引退し2年生5人が残り、南稜高校サッカー部と合同練習を重ねてきました。今後は両校で合同チームをつくり大会に出場するのです。ところが、南稜高校のサッカー部も部員が少ないため、球磨中央高校にも声を掛け、この度の県下新人サッカー大会には南稜から5人、球磨中央から1人、多良木から5人とぎりぎり11人(イレブン)で臨みました。初めての球磨郡の三高校合同チームの誕生です。
 1月14日(日)、熊本市の熊本北高校グラウンドにて同校との1回戦でした。大規模校相手で、かつ完全なアウェー状態でしたが、三校合同チームは溌剌とプレーして大いに見(魅)せ場をつくり、応援の保護者や私たち教職員を喜ばせてくれました。リードされながらもあきらめず、後半はむしろ三校合同チームの運動量が相手を上回り、あと一歩というところまで迫りましたが、非情のホイッスルでタイムアップ。2対3の惜敗でした。最後まで勝つ気持ちで戦ったことが伝わる熱い試合で、選手たちに感謝の拍手を送りました。

 多良木高校と南稜高校はおよそ6㎞離れています。放課後、両校交互に訪ねて合同練習です。球磨中央高校は南稜高校から約10㎞離れています。三校での練習は難しく、試合でも連携不足の面は露呈しましたが、それでも三校の選手たちのファイトは衰えず走り回りました。

 お互い、高校は違えど、元は球磨郡の小学校、中学校でサッカーをしてきた仲間です。球磨スピリットとでも言うのでしょうか、泥臭くてもがむしゃらにボールに向かっていくたくましさを感じます。南稜、球磨中央には4月に新入部員も入ってくるでしょう。球磨郡合同チームが熊本市内の大規模校を倒すことも夢ではありません。朝夕、氷点下の気温が続く球磨郡ですが、そんな寒気を吹き飛ばすホットなスポーツニュースでした。


          試合終了の挨拶をする三校合同チーム(赤のユニホーム)

 

 


 

歴史の大きな流れの中で

歴史の大きな流れの中で

 今年は西暦2018年、平成30年です。歴史の面では、明治維新150年ということで注目されています。西暦1868年は元号で言えば慶応4年でした。前年の10月に徳川幕府は朝廷に政権を返上、いわゆる大政奉還を行い約260年続いた徳川幕府の時代は終わりました。そして正月3日、京都近郊の鳥羽伏見で、薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍と旧幕府軍が戦って新政府軍が勝利し時代は大きく動きます。4月には旧幕府側は江戸城を戦わずして新政府軍に引き渡し、7月には江戸は東京と名称が変わりました。9月に慶応4年は明治元年に改元されたのです。そうして一世一元の制が定められます。一代の天皇御在位の間は一つの元号とするもので、それまでは不吉なできことや大きな災害が起きると元号を頻繁に変えており、中には一年で変わった例もあります。ちなみに最初の元号は大化です。西暦645年の大化の改新で知られています。

 一世一元の制によって、明治、大正、昭和、そして平成と続いてきましたが、現在の天皇陛下は来年の4月30日に退位され上皇となられ皇太子が即位されます。平成の世は31年で終わることが決まりました。平成は私たち大人の時代でした。
 昭和天皇が昭和64年1月7日早朝に崩御され、元号が平成に変わった時、私は高校教諭2年目でした。以来30年、熊本県の教育公務員として働いてきましたが、人間一人が体験できる世界とは非常に限られたものだと実感しています。もっと広い世界がある、出会っていない多くの人がいる、私の知らない物語があることはわかっています。自分の経験などは誠に小さいものでしかありません。だからこそ、人は学び続け、本を読み、旅をして新しい扉を開けていく努力をしていくものでしょう。歴史を勉強する意義もそこにあると思います。

 私たちは誰しも歴史と言う時間の流れの中間ランナーなのだと思います。前のランナーからバトンを受け取り、次のランナーに渡していく存在としてあるのだと思います。平成という時代を大人として生きてきた私には、次の時代を生きる生徒の皆さんにバトンを渡さなければいけない責任を感じています。


          雪景色の九州山地(1月11日多良木高校からの遠望)
 

今年も挑戦の年 ~ 3学期始業式

今年も挑戦の年 ~ 3学期始まる

 1月9日(火)、3学期の始業式です。そして、生徒、職員が体育館に一堂に会し、多良木高校の1年が始まりました。冬休み中、人影が少なかった学校は実に寒々とした様子でした。しかし、こうして生徒たちが登校すると、学校は活気づきます。生徒たちは学校にとって「血液」のような存在で、生徒達が動き出すことで学校は生き生きとしてくるのです。

 年度当初から体育系部活動の生徒たちは元気です。仕事始めの1月4日(木)に出勤したところ、早朝からバスケットボール、サッカー、野球と部員たちが30人余り登校しており、寒さをものともせず練習を始める姿に若い力を感じました。1月7日(日)、県下新人バスケットボール大会が熊本市で開催されました。多良木高校男子バスケットボール部は選手9人、マネージャー1人の少人数ですが、強豪校相手に最後まで負けないという気迫で熱い試合を展開しました。来る14日(日)にはサッカーの県下新人大会が行われますが、多良木、南稜、球磨中央の初めての3校合同チームで臨みます。また、13~14日には全国で約58万人が受験する大学入試センター試験が実施されますが、本校から3年生7人が挑みます。

 今年は西暦2018年、平成30年です。現在の天皇陛下が来年の4月30日に退位され平成は31年で終わることが決まっています。新しい元号は今年中に発表されると云われています。平成はあと1年4か月で終わりますが、多良木高校もあと1年3か月で閉校です。しかし、新しい元号の時代は、間違いなく今の高校生たちが主役、主人公になります。多高生の皆さん、新しいことに挑戦して、次々と扉を開いていってください。皆さんには未知の世界が待っています。

 多良木高校は閉校の時まで新しいことに挑戦し続けたいと思います。


悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

悠久石と巨樹 ~ 槻木の聖地

 「卒業証書の和紙が透きあがりました。」とのご連絡を槻木の椎葉袈史さんから受け、年も押し詰まった1227日に今月二度目の槻木行きとなりました。この「校長室からの風」の12月6日版に「三椏(みつまた)の里、槻木」として紹介しましたが、槻木地域を訪ねるには細く曲がりくねった山道を走行し標高780mの峠を越えることになります。学校を出ておよそ45分で椎葉さん宅に到着。校章の鳩の透かしが見事に入った手すき和紙120枚を有難く受領しました。時間をかけての丁寧な手仕事の結晶であり、頭が下がる思いです。

 現在、槻木峠の通行は時間帯制限がなされており、帰りの時間まで少し余裕があったので、下槻木方面に足を延ばしました。下槻木は、東は宮崎県の西米良村、西は小林市須木地区にはさまれ、まさに県境の地域となります。ここには檜の一木造の弘法大師坐像(県指定文化財)を祭る大師堂があり、その境内には樹齢六百年と推定されるコウヤマキ(高野槇)や銀杏が立っています。どちらも高さ30mをこす巨樹で、その他に杉の大木も数本並び、壮観です。弘法大師像は応永19年(1412年)に制作されたことが台座に墨書されており、同じ時期にコウヤマキや銀杏も植えられたのではないかと想像できます。

 さらに、これらの巨樹の下に「悠久石」と呼ばれる巨大な丸石が鎮座しています。この「悠久石」は、平成187月の豪雨により下槻木地区の山腹斜面が崩壊し、その土砂の中から突如出現したものです。 直径140cm、重さ約4トンもの巨大な丸い石で、人工のものではなく、自然の造形美の神秘を感じます。砂岩が長い時間の中で風化浸食により割れ、流される途中で角が取れ、円形となった砂岩礫(さがんれき)と考えられるそうです。「千年の目覚め」と案内板にはありました。

 槻木は今や人口が120人余りの高齢者中心の地域ですが、大師堂の境内に佇むとこの地域の悠久の歴史に包まれる思いとなります。今年、30代前半の若い夫婦が槻木に移住してきてレストランを開き話題となりました。近い将来、休校中の小学校が再開できる日がくることを願いながら、再び峠道を越えて学校へ帰りました。


                    

                 悠久石                                                             

       右がコウヤマキ、左が銀杏、中央の杉の下に悠久石

門松を立てる

門松を立てる ~ 2学期終業式 ~

 
 多良木高校の正門に立派な門松が立ちました。1221日(木)、PTA有志の方々が朝から多良木町の山に入り竹を伐り出し、一日がかりで作業をされました。最後は野球部員も手伝い、午後4時には高さ3mの門松が完成しました。

 門松は、新しい年の神様が天から降りて来られる目標(「依代」(よりしろ)と言います)となるもので、正月飾りの代表です。竹が空に向かって伸びています。冬でも枯れない青々とした常緑樹の松の枝が飾られています。春を呼ぶ梅の木の枝も供えられています。「松竹梅」の縁起物がそろっているのです。さらに、赤い実の南天やカラフルな葉牡丹も添えられていて華やかです。伝統のものには意味があるのです。これで、私たちの学校も新年を迎える準備が整いました。

 翌日の1222日(金)は2学期の終業式です。夏の盛りの8月25日に2学期は始まりおよそ4か月、様々な行事を経て終業式の日を迎え、感慨深いものがあります。終業式の校長講話では、まず、神奈川県座間市のアパートで9人もの命が奪われた事件の報道を通して、ネット世界の闇の恐ろしさに言及しました。情報モラル、そして情報を正しく取捨選択、発信できる情報リテラシーの育成は学校に大きな責任があります。

 さらに、「誤りを指摘してくれる友達はいますか?」と問いかけ、誤りを指摘してくれるような友達こそ、真の友達であることを語りました。他者からの注意、助言を素直に受け入れられるかどうかで、皆さんのこれからは変わっていくこと、心の柔軟性がある高校生はより良い方向にきっと変わっていけることを伝えました。間もなく年が変わります。自分でも気づいている欠点、短所、悪い癖などを矯正していくには絶好の節目だと思います。

 皆さん、良いお年をお迎えください。


君たちは大きな高校生

君たちは大きな高校生

~ 校内駅伝大会 ~ 

 1221日(木)、澄み切った冬の青空のもと校内駅伝大会を開催できました。学校周辺の道路を男子は4.2㎞、女子は3.5㎞走り、それを5人で襷をつなぐもので、男女混合の25チームが出場しました。気温も日中は10度を超える絶好のコンディションの中、エントリーした全選手が完走し全チームが襷を繋ぐことができ、私自身は走っていないのですが、爽やかな達成感を覚えました。

 長距離走を苦手とする生徒は多く、内心は走りたくないと思った人もいたことでしょう。しかし、次に待っている人がいる、アンカーの選手にとってはゴールにみんなが待っているという思いが、きつくとも走りぬく力になったのだと思います。いきなり長い距離は走れません。これも体育の持久走の授業の成果だと思います。準備して練習を重ねれば、全員が長距離を走ることができるようになるのです。多良木高校生の持っている大きな可能性を再認識しました。

 11月4日、熊本県高校駅伝大会が熊本県総合運動公園陸上競技場をスタートゴールにして開催され、多良木高校も男女とも出場しました。陸上部員を中心にサッカー部、女子バレー部、ソフトテニス部、野球部などから選手を集め、オール多良木のメンバーで臨み、力走を見せました。沿道の駅伝ファンから「多良木、がんばれ」の熱い声援が飛びました。多良木高校が各種スポーツ大会で健闘したというニュースが発信されることで、地域の元気につながっています。

 多良木高校は規模としては小さな学校ですが、生徒達は小さな高校生ではありません。一人ひとりが大きな可能性を有し、地域にとって大きな役割を担っている高校生たちです。そのことを私はいつも誇らしく思っています。


       

        駅伝大会でスタートする1区のランナー

スポーツが教えてくれること

スポーツが教えてくれること

~ クラスマッチ、支援学校とのスポーツ交流 ~ 

 2学期のクラスマッチ(男女ともバレーボール)を1220日(水)に実施しました。現在、2年生(2学級)と3年生(2学級)の計4クラスですが、それぞれA、B、クラスによってはCまでチームを作って臨みましたので、男子が11チーム、女子が9チームとなり、白熱したクラスマッチとなりました。男子は3年1組Aチームが優勝。本校には男子バレーボール部がないため、いったい誰がうまいのか興味を持って観戦しましたが、3年生体育コースの生徒たちが貫録を見せました。また、女子は2年1組Aチームが優勝。女子バレーボール部のキャプテンとエースアタッカ-のいるチームが他を圧倒しました。

 バレーボールが苦手な生徒も少なくありません。しかし、皆、一生懸命にプレーしており、ミスしても笑顔でかばい合い、お互い声を掛けている姿を見ると温かい気持ちに包まれます。スポーツには競技スポーツとレクリエーションスポーツの二つの面があります。勝負を競い、記録更新を目指す競技スポーツは高校生にとっては部活動の場です。一方、運動が苦手な生徒にも、身体を動かす喜び、スポーツを通した交流の楽しさを体感してもらい、生涯にわたってスポーツに親しんでいってほしいと願います。

 スポーツはコミュニケーションを促進する大きな力を持っています。本校では毎年2学期に球磨支援学校高等部の皆さんとスポーツ交流を行っています。今年も1128日に本校グラウンドでティーボールを実施しました。笑顔と歓声あふれる交流の場となりました。支援学校高等部の皆さんは、毎年このスポーツ交流を心待ちにしているそうです。その理由は、広々としたグラウンドで思い切り運動ができること、そして同年代の高校生と交流できる喜びがあるからだそうです。本校の生徒たちも自然体で一緒にスポーツを楽しんでいました。

 障がいがあってもなくても、運動が得意だろうと苦手だろうと、様々な違いはあっても人はみな対等だということを、スポーツは教えてくれます。


 


自助・共助(互助)・公助 ~ 火災避難訓練

自助、共助(互助)、公助

~ 火災避難訓練 ~ 

 球磨盆地を取り囲む山々の中でもひときわ高い市房山(1721m)が初冠雪。古くから信仰の山であり、頂上付近に冠雪した姿はより神々しく映ります。冬本番です。寒くなると火が恋しくなります。本校でも空調暖房に加え、事務室や家庭科職員室では灯油ストーブを出しています。しかし、空気が乾燥して火災の危険性も高まる時期でもあるため、毎年12月上旬に火災避難訓練を行っています。

 本年度の火災避難訓練を12月11日(月)の4時間目に実施しました。理科の実験中、化学室で火災発生の想定での訓練です。火災は恐ろしいものです。高温の炎、有毒ガスを含む煙に私たちは対処できません。日頃厳しい訓練を積まれ、そして火災に対応した装備を身に付けたプロの消防士に消火を任せるしかないのです。私たちができることは、先ず「逃げる事」、避難です。そして通報です。これが自らを助ける「自助」です。しかし、まだ小火(ぼや)程度で、自分の安全を確保したうえで、初期消火ができる場合もあります。

 全校生の避難が完了した後、上球磨消防署の消防士の方のご指導で消火器を使っての初期消火の訓練を行いました。さらにその後、本校の体育科の上原教諭、中山教諭、富﨑教諭の三人が消火栓操法を実演しました。三人の教諭は多良木高校の職員消防チームとして、11月に上球磨消防署で開催された屋内消火栓操法大会に出場しました。この大会には役場や学校、そして介護施設等の事業所など15チームが参加しました。このように現場の人たちで協力し合い初期消火に努めることが「共助(互助)」と言えるでしょう。三人の教諭のきびきびとした消火栓操法の動きに生徒たちは注目していました。

 火災や災害の際、消防署や役場など公的な救援である「公助」を待つだけではなく、その前にどれだけ「自助」、「共助(互助)」ができるのかが重要だと思います。防災避難訓練、火災避難訓練と学校行事が続きましたが、生徒たちには、この「自助」、「共助(互助)」の意識を高めてほしいというのが一番の狙いです。


 




消火栓操法を実演する体育科の三人の教諭

献血ボランティア

献血ボランティア

~ 「人間を救うのは、人間だ。」~
 

 12月8日(金)、熊本県赤十字血液センターから医師、看護師などスタッフの方が献血バス等で来校されました。多良木高校は青少年赤十字活動協力校として、毎年師走に献血ボランティア活動を行っています。先ず1限目相当時間に、後藤善隆医師から「献血セミナー」として生徒に講話を行っていただきました。

 会場の第1体育館は気温が低く冷たい環境でしたが、ユーモアを交えながらの後藤医師のわかりやすく親しみやすい語りに生徒は熱心に聴き入っていました。難病の子どもが輸血してもらうことで少しでも豊かな最期を懸命に生きる映像が流され、血液とは「命をつなぐバトン」という言葉が胸に迫りました。後藤医師が改めて、「献血」という言葉の巧みさに言及されたことも印象に残りました。自らの血液を無償で活用してほしいと誰か不特定の人にささげる「献血」という行為はまさにボランティアそのものだと強調されました。

 2限目以降、年齢や体重等の条件を満たした3年生44人が献血に協力しました。今の3年生の中には看護師や作業療法士等の医療従事者を目指して大学、専門学校に進む生徒が10人ほどいます。赤十字血液センターの看護師さんをはじめスタッフの方々の仕事ぶりに接することは生徒にとって学びの一歩となったことでしょう。

 さて、日本赤十字社のスタッフの方の名刺には「人間を救うのは、人間だ。Our world , Your move.」という言葉が印字されています。深い意味のある言葉だと感じます。国内の大規模災害現場、あるいは国外での災害、紛争地域での支援活動に率先して赴かれる日本赤十字社の方々の精神と行動に心から敬意を表します。


 


地区住民の方との合同防災避難訓練

住民の方との合同防災避難訓練 

 12月7日(木)の午後、本校としては初めて地元住民の方との合同防災避難訓練を実施しました。今年度、全ての県立高校が防災型コミュニティスクールとなったことからの取り組みです。本校が位置する多良木町六区の区長さん方と6月から4回協議し準備してきました。本校防災主任の上原教諭が区長さんと綿密に打ち合わせをして避難訓練の計画を作り、この日を迎えました。私も県から支給された防災服を着用し緊張感をもって臨みました。

 午後1時50分、地震発生を知らせる模擬音響を校内放送で流し、訓練開始です。一時避難場所の校庭に生徒は午後2時に避難完了。今回の地震が大規模であり近隣に大きな被害が出ているという想定で、第二段階に移ります。地区の公民館に避難されている住民を迎えに行く住民誘導班が車いす5台を携え出発。また、逃げ遅れている人がいないか確認する地域見回り班が5グループに分かれ出発。残った生徒と職員で第1体育館を二次避難所として設営開始し、椅子や布団、災害時用備蓄の水、乾パンを用意しました。さらに、災害時に手軽に食べられるα米の用意を女子生徒10人が調理室で行いました。

 午後2時30分頃、地区の公民館から住民の方が生徒たちに誘導されて来校。高齢の方、歩行が不自由な方の5人は生徒支援の車いすでの移動でした。そして、体育館入り口の受付で氏名を記入していただき、救護班の健康観察によって①体調良好、②体調不良、③病院搬送待機に区別し、体育館内のそれぞれのエリアに案内しました。しかし、およそ50人の住民の方々が来校されたため、この受付付近が混雑し、少し混乱が生じました。

 午後2時50分、準備ができたα米を係の生徒が住民の方、次に生徒に配布して防災避難訓練は終了。午後3時、体育館内で、訓練を視察された多良木警察署、上球磨消防署、そして六区区長の長田さんから講評があり、散会となりました。師走の平日にも関わらず、50人もの住民の方々がご協力頂いたことに深く感謝申し上げます。「高校生と手をつないで学校まで避難してきたので心強かった」、「高校が近くにあることは頼もしい」等の感想を住民の方からいただきました。初めての試みでしたが、所期の目的は達成できたと感じました。多良木高校は、閉校まで地域と共に在り続けたいと思っています。

      
        住民の方にα米を手渡す生徒たち

 


三椏(みつまた)の里、槻木

三椏(みつまた)の里、槻木(つきぎ) 

 多良木高校の卒業証書は三椏(みつまた)を原料とした手すき和紙で作られています。今年度の卒業証書の和紙製作の依頼に、多良木町槻木(つきぎ)地区を訪問しました。槻木地区は多良木高校から南におよそ20㎞離れたところにあります。多良木町の南の端に当たり、地図で見るとこの地区だけが宮崎県域にぐいと入り込んでいます。槻木地区は住民が120人ほどで高齢化率は77%に達し、住民自らが「限界集落」と称される所です。

 槻木を訪ねるのは容易ではありません。県道143号を球磨盆地側から上り、曲がりくねった細い道を走行し、標高780mの槻木峠を越えなければなりません。途中、木材を積んだトラックに出合うと離合ができず、道幅の広い場所までバックしなければならず、運転に神経を使います。しかも、現在は、峠付近が工事中で、日中、通行できる時間帯が規制されているのです。けれども、訪ねる度に素朴で清らかな山里の風情に魅了されます。

 手すき和紙を作っていらっしゃるのは椎葉袈史さんです。お仕事は林業で、ご自分の山を槻木に所有されています。昨年度まで多良木町教育長を務められました。椎葉さんの手すき和紙の一番の特徴は、原料が三椏(みつまた)である点です。一般的に和紙の原料は楮(こうぞ)ですが、楮より三椏の方が上質のものができるそうです。三椏は育ちにくいとも言われますが、槻木地区の土壌や気候が合うのか、昔から自生しています。今は、椎葉さんが自分の山をはじめ植樹されており、やがて槻木は「三椏の里」と呼ばれることになるかもしれません。

 椎葉さんのご自宅の庭にも三椏が育っています。三椏は枝が三つに分かれることからその名称がおこり、高さは大人の背丈ほどが一般的で、最大でも2mくらいだそうです。ご自宅の三椏は枝ごとにちょうど蕾が付いていました。花は春先に咲くとのことです。手すき和紙作りもこれからが佳境だそうです。多良木高校の卒業証書用に、校章の鳩の絵柄を透かしで入れて頂いています。「この透かしの技がうまくいかない」と椎葉さんは笑っておられましたが、地元の三椏で作られた手すき和紙の卒業証書を卒業生に手渡す日が待ち遠しく思われます。

          椎葉袈史さんと三椏の木(左肩後方)

 

事故の怖さを実感する交通安全教室

事故の怖さを実感する交通安全教室 

 12月5日(火)、2学期期末考査最終日。この冬一番の強い寒気に球磨地域は覆われました。冷たい風が吹く中、午後、多良木高校グラウンドで「スタントマンを活用した交通安全教室」を開催しました。熊本県警察本部とJAくま(球磨地域農業協同組合)の共催によるもので、参加者は本校生(2,3年)と球磨支援学校高等部の皆さんです。高等部の生徒の皆さんは、先週も本校野球場でティボールを楽しむスポーツ交流を行っており、二週続けての来校です。

 この交通安全教室の特色は、スタントマンによる交通事故の迫真の再現です。日頃トレーニングを重ねているスタントマンだからこそできる身体を張った危険な演出となります。歩行者と自転車、自転車と自転車、自転車と自動車といった幾つものパターンによる交通事故の再現が行われ、その度に被害者役のスタントマンは身を投げ出し、道路に転倒します。迫力ある事故シーンを見学していくことで、改めて、私たちは交通事故の恐ろしさを実感していきます。そして、生徒の皆さんが事故の怖さを正面から受け止めることによって、日頃の「まあ大丈夫だろう」という甘い認識や油断を捨て、交通安全に関してより慎重に注意深くなるように変化を期待するものです。

 私たちが暮らす人吉球磨地域は、犯罪や災害が少なく、人情も厚い平和な故郷です。しかし、最も心配されるのが交通事故です。今年度、多良木町やあさぎり町で交通死亡事故が続いていることは憂慮されます。生徒たちの話を聴くと、自転車でスピードを出しすぎた時、不用意に角を曲がる時、あるいは信号のない横断歩道を渡る時など「ヒヤリ」・「ハット」の経験が多いようです。生徒の皆さん達には、絶対に交通事故の被害者に、もちろん加害者にもなって欲しくありません。

 交通事故は一瞬で起きます。事故を防ぐにはどうすればよいのか。およそ一時間半の交通安全教室は、「どんな事故も基本的な交通ルールを守っていれば防ぐことができる」というメッセージを伝えていました。


 


「本物」に恵まれた人吉球磨地域の教育環境

「本物」に恵まれた人吉球磨地域の教育環境 

 人吉球磨地域に赴任して3年が経過しますが、この地域の教育環境は誠に素晴らしいと実感しています。自然、歴史、文化など「本物」に触れ合うことができ、環境保全や文化財保護などを抽象的にではなく具体的に学ぶことができる場所だと思います。

 先般実施した強歩会では、生徒たちは文化財に指定されている観音堂や仏様(仏像)に触れ合いながら歩くことができました。鎌倉・室町の中世の建造物が今も日常風景の中に溶け込んでいる佇まいに、歴史を感じたことでしょう。平安時代の仏像が博物館や美術館ではなく、小さな集落で守られていることに先人たちが大事なものを継承してきた精神を思ったことでしょう。何しろ、この人吉球磨地域は熊本県で初めて認定された「日本遺産」の故郷なのです。

 また、8月に2年生体育コースが登った市房山は、古くから信仰の対象であり、一木一草持ち出してはならないとの慣習が伝えられてきたため、いまだに市房杉をはじめ植生、生物の多様性が維持された「宝の山」です。このような市房山の自然を次代に残すことが「自然保護」だということを生徒たちは実感したことと思います。

 今、学校教育にとって大きな問題は児童生徒の生活に広がるネット社会の陰です。小学生から高校生までネット世界に浸っていることは間違いありません。情報検索や画像、動画、音楽、ゲームにいたるあらゆるコンテンツを自由に楽しめるネット世界は便利で刺激的で、児童生徒を虜にします。しかし、情報モラルや情報リテラシーの教育が後手に回っている現状があり、ネット世界に様々な落とし穴や危険性があることへの認識が弱いと危惧しています。オンラインゲームは仮想現実(ヴァーチャルリアリティ)であり、ネット上の多くのコンテンツは虚構の世界です。ヴァーチャルな世界、虚構の世界に児童生徒の意識や生活が侵されているのです。

 教育はバランスだと考えます。このようなネット社会だからこそ、学校教育は、児童生徒に「本物」を見せ、触れさせ、体験させることで、豊かな感性と考える力を育てることが重要です。自然、歴史、文化と周囲に「本物」が満ち溢れている人吉球磨地域は教育環境として最高の場所だと云えます。 


 

       強歩会でトップでゴールする班(2年1組)

強歩会

「みんなで歩く、ひたすら歩く」 ~ 多良木高校強歩会

 
 全長31㎞。多良木高校の伝統行事「強歩会」を1117日(金)に開催しました。三つのコースを三年間それぞれ歩く鍛錬行事ですが、今年のコースが最も長く31㎞を歩くことになります。朝霧の中、午前7時45分に2年生、3年生の全校生徒で校門を出発。私も最後尾から歩き始めました。

 学校から南に向かい多良木町久米地区の幸野溝沿の山麓を歩き、第1チェックポイントの中山観音堂(4.8㎞)。御本尊の聖観音像は何と平安時代前期の9世紀(西暦800年代)に造立されたものです。千二百年近くの間、先人が守り伝えてきた奇跡の仏様を拝観できました。

 さらに歩きあさぎり町に入ります。第2チェックポイントのあさぎり町岡原の宮原観音堂(7.6㎞)。今では珍しい茅葺の観音堂はおよそ500年前の室町時代後期に創られた品格ある姿です。観音堂を守っておられる地区の方々がお堂を開帳して歓迎していただきました。続く第3チェックポイントのあさぎり町上の谷水薬師(13.4㎞)。昼でも暗く深山幽谷の趣があり、古くから地元の人々の信仰を集めている場所です。そして第4チェックポイントが秋時観音堂(16.4㎞)。面長で優美なお顔の十一面観音像が出迎えてくれました。業務の都合で私はここで脱落し自動車で学校に帰りましたが、生徒たちは第5チェックポイントのあさぎり町免田の岡留熊野座神社(22.2㎞)に向かいます。

 この岡留熊野座神社の裏手の公園で生徒は昼食を取ったのですが、この頃から天気予報通り小雨が落ち始めました。無情の雨で、身体の冷えが心配されたのですが、生徒たちはここから底力を発揮しました。歌を歌ったり、お互い励まし合いながら、小雨に濡れて歩きます。第6チェックポイントのあさぎり町農協「あぐり」(25.2㎞)を経て、多良木高校を目指します。

 ゴールする生徒を正門で私は待っていたのですが、トップの2年1組男子の班は午後2時半に到着しました。そして続々と帰ってきて、最後尾の班も午後4時10分にはたどり着いたのでした。気温が低く後半は雨も降る厳しい条件の中、完歩した生徒たちのたくましさに脱帽です。「みんなで歩く、ひたすら歩く」強歩会は、生徒にとって特別な感動体験となったに違いないと思います。


           31㎞強歩会スタート
  

黄金の時 ~ 正門前の銀杏並木

黄金の時 ~ 正門前の銀杏並木

 「正門前の銀杏並木がきれいですね。」と先日、年配の同窓生の方から言われました。多良木高校の正門前には銀杏の並木があります。町道から分かれて百メートルほどの奥行の道に片側十本の銀杏樹が立ち並んでおり、今、鮮やかな黄金色に染まっています。先週から落葉をはじめていますが、毎朝、有志の生徒と職員で掃き掃除に努めているところです。晩秋の今、明るく装った銀杏並木を歩くと、豊かな実りに包まれたような気分になります。

 本校の養護教諭の毎床教諭が、熊本県教育委員会の永年勤続30年の表彰を今月受けられました。永年勤続賞は10年、20年、30年とあり、30年が最長のもので、これ以上はありません。毎床教諭は昭和62年4月に県教育委員会に養護教諭として採用されて以来、県内の7校で勤務してこられました。その内、多良木高校は二回目の勤務となり、今年で通算11年目を数えられ、教員人生の三分の一に当たります。

 養護教諭は、保健室に在って、全校生徒の健康管理を一手に担う責任の重い仕事です。受賞を全職員でお祝いするため、先日の職員会議において、三十年の教職人生を振り返ってお話をしていただきました。生徒の健康状態もこの三十年で変化してきたそうです。二十代、三十代の頃は、生徒のことで感情的になり、大変なこともあったと笑ってお話になりました。しかし、「養護教諭という仕事をやめようと思ったことは一度もありません。」ときっぱり締めくくられました。この言葉は私たち職員一同の心に響きました。

 私たち教職員の仕事には定年というゴールがあります。それを考えると寂しいような、限界を感じるような切ない気持ちになります。しかし、ゴール目指して日々全力で仕事をされる毎床教諭の姿は、十代の高校生にもきっと大きな影響を与えていると思います。

 熟成の黄金色を輝かせ、登下校の生徒を見守る正門前の銀杏並木は、経験豊かな教師像にも見えなくはありません。


ネット世界の情報モラル

   ネット世界の情報モラル ~ 「情報モラル講話」開催

 生徒と保護者合同での「情報モラル講話」を11月9日(木)午後に本校第1体育館で開催しました。講師は数学科の本田朋丈教諭です。講話に先立ち行った校長あいさつの後半部分を掲げます。

 「皆さん達の多くは、日々スマートホンを使いこなし、友達とのコミュニケーション、関心のある情報検索、あるいはゲーム等を楽しんでいる事でしょう。しかし、ツィッターやラインなどに代表されるSNSでの不用意な書き込みで人間関係がぎくしゃくしたり、ゲームに長時間熱中しての睡眠不足になったり、または安易なネット利用での個人情報流出、法外な使用料金の請求など様々なトラブルに遭った人もいると思います。インターネットはとても便利ですが、使い方を間違えると大変なことになることは皆さんも知っていますね。

 神奈川県座間市のアパートで9人もの遺体が見つかったニュースを皆さんはどう受け止めましたか? ホラー映画のような出来事が現実に起きてしまったことに今、社会は衝撃を受けています。報道によると9人の犠牲者のうち3人は女子高校生だそうです。それも、埼玉県、群馬県、そして福島県。事件現場の神奈川県から遠く離れた県の女子高校生がどうして犯人のもとに吸い寄せられるように近づいてしまったのでしょうか。これも報道によると、SNSで知り合ったということです。恐らく、犯人は仮面をかぶり、たくみな甘い嘘をならべ、女子高校生たちを誘導したのでしょう。ネット上で知り合った人と実際に会うということがいかに危険なことか、今回の事件は教えています。

 皆さん、ネット上で困ったことがあれば、一人で悩まず信頼できる大人に相談してください。ご家族、そして私たち学校、警察は連携して皆さんを犯罪から守ります。皆さん達は大人よりスマートホンの操作技能は長けているかもしれませんが、社会経験はまだまだで、危うい存在です。便利なネット世界には危険な落とし穴があることを改めて認識してほしいと切に願います。

 それでは、講話を聴き、モラルとマナー、そして正しい知識を身に付けてトラブルから身を守ってください。」



投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙

投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙   

 

 10月10日告示、10月22日投票の衆議院議員選挙における本校の有権者生徒の投票率は81.%でした。昨年導入された18歳選挙権制度によって、現在の3年生67人のうち有権者は38人います。その38人のうち投票した生徒は31人でした。内訳は期日前投票が7人、22日の投票が24人です。有権者で棄権した7人の内訳は、失念が3人、他は、理想の党がなかった、時間に間に合わなかった等です。

 本校生の投票率81.%は、全国の投票率53.68%、熊本県57.02%と比較すれば非常に高いことがわかります。昨年7月に実施された参議院選挙では85%、今年の2月実施の多良木町町長選挙では75%と本校生の投票率は高いまま維持しています。学校として取り組んでいる主権者教育の一定の成果が出ているのでしょう。

 しかし、それだけではなく、選挙に際して、ちょっとした仕掛けを行い投票につながるよう誘導しているのです。選挙告示の日に有権者の生徒に2枚のプリントを配布し、担任から選挙の意義を伝えます。1枚のプリントは選挙行動に係るアンケート用紙で、「1 投票に行った・行かなかった」、「2 いつ投票したか」、「3 なぜ投票に行かなかったのか (理由記述)」の3項目です。このアンケート用紙を投票日の翌日に担任に提出することになります。
 また、もう1枚は、「一緒に投票に行こう」という保護者への呼びかけです。「子どもさんが20歳になったら一緒に酒を飲むことを楽しみにされているかもしれません。しかし、18歳選挙権を得て一緒に投票に行くことで、子どもさんの成長を実感されると思います。『一緒に投票に行こう』をご家庭で合言葉にしていただけませんか。」という趣旨のお願いとなっています。

 2枚のプリントというささやかな工夫で、生徒の投票行動を促す効果があると思います。投票率81.6%という数値に私は誇りを覚えます。人生で最初に迎える選挙において、責任を伴う国民としての大切な権利を施行できるよう学校が後押しすること、これも教育だと思います。



杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行

杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行   

 

 晴れ渡った秋空の下、阿蘇五岳の一つ、標高1321mの杵島岳(きじまだけ)に登り始めました。登山口の草千里ケ浜がすでに標高1100mを超えており、登山初心者向きの山と聞いておりましたが、登山道は急勾配で足に負担はかかります。けれども、生徒たちの笑顔は絶えません。

 登るにつれて視界が開け、生徒たちから歓声が上がります。雄大な眺望に思わず足が止まります。煙を噴き上げる中岳の噴火口が手にとるように近くに見え、草千里ケ浜が足元に広がっています。そして、阿蘇外輪山の切れ目の立野付近の山々には、昨年の熊本地震で発生した大崩落現場を望むことができます。畏怖すべき自然の造形力が胸に迫ります。ガイドを務める阿蘇火山博物館の学芸員の方の説明に生徒たちも真摯に耳を傾け、立野の崩落現場を見つめています。テレビのニュース等で幾度も見たはずですが、実際に肉眼で見る体験は得難いものでしょう。

 およそ45分で頂上に到着。熊本地震による斜面の崩壊跡や地盤のずれが生々しく残っています。かつての噴火口跡が頂上の北側に残っています。改めて、阿蘇山は生きて活動している山であることを認識すると共に、自然の脅威を痛感しました。

 PTAと学校の共同企画の2年生阿蘇研修旅行を10月27日(金)に実施しました。テーマは「防災教育」です。熊本地震の傷跡が残る阿蘇を訪ねる研修旅行の最大の目的は杵島岳登山でした。阿蘇火山博物館から強く薦められたプログラムでしたが、実際に生徒たちと登ってみて、その価値がよくわかりました。まさに百聞は一見に如かず、です。大自然の前では人はいかに小さい存在であるかを自覚します。しかし、この大自然と共生していかなければならない定めであることも感じ取ります。深い学びの研修旅行となりました。

 山々の斜面には薄の群生の一面銀色の世界が見られます。草原ではのんびりと草を食む阿蘇の赤牛、黒毛和牛などの牧歌的風景も見られます。活火山の中岳からは悠久の煙が上がっています。熊本地震による亀裂は未だ癒えませんが、一歩一歩、人の営みと自然の力の融合で阿蘇は復元に向かっていることを感じた旅となりました。


旧白濱旅館のリニューアル

旧白濱旅館のリニューアル   

 多良木町の校長会が1026日(木)に開かれました。普通、町教育委員会主催の校長会は町立小、中学校で行われるのですが、多良木町の場合は県立学校の球磨支援学校と多良木高校も加えていただき、地域の情報を共有できる貴重な場となっています。いつもは役場庁舎で開催されますが、今回は今月1日にリニューアルされた旧白濱旅館が会場で、興味深く館内外を見学できました。

 旧白濱旅館は、明治時代に旅館として創設され、記録としては明治41年までさかのぼります。東洋大学創始者で仏教哲学者の井上円了はじめ多くの文化人に愛用された旅館ですが、中でも大正8年に来訪した九条武子の宿として知られています。「九條武子殿御旅館」と墨書された大きな木製看板が保存されていることから、いかに旅館にとって名誉なことだったか偲ばれます。

 九条武子は浄土真宗西本願寺の門主の家に生まれ、大正時代を代表する歌人としても名高い人物です。仏教婦人会活動の一環として多良木を訪問しており、白濱旅館では本館の南側に九条武子の宿泊用に増築して迎えています。人吉球磨地域は、江戸時代、相良藩の方針で浄土真宗は禁制であり、明治になって解禁されました。本願寺としても布教活動に力を入れ、九条武子が訪問することになったのでしょう。

 旧白濱旅館が立つ場所は多良木町の中心地の国道219号沿いです。明治22年に町村制が敷かれ、多良木村の初代村長(多良木町となったのは大正15年)が札幌まで視察に赴き、当時としては破格の幅員が五間(約10m)の直線道路を整備しました。通称「五間(ごけん)道路」と呼ばれるこの広い道路沿いに旧白濱旅館は建てられたため、その後も道路拡張の必要はなく古い建物が残されたと云われます。けれども、3年前、私が多良木高校に赴任した時にはすでに旅館は廃業され、老朽化した建物だけが佇んでいました。

 しかし、町の黎明期を物語る歴史的価値が重視され、多良木町は全面的に修復工事に取り組み、リニューアルオープンの運びとなったのです。国道沿いの建物(「明治棟」)は町民が様々なことに活用できるコミュニティスペースとなり、南側の建物(「大正棟」)は簡易宿泊もできる施設として利用されることになります。旧白濱旅館の近くには昭和16年に建造された旧多良木高等女学校講堂(現在は町民集会所)など歴史的建造物が幾つも残っています。地元では、歴史を感じながら街を歩こうと「ブラタラギ」のキャッチフレーズで呼びかけが行われています。


 

 

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂  

 後半になると風雨が次第に強くなりました。横から吹き付ける風に傘を持つ手に力が入ります。グラウンドの選手たちは、全身ずぶぬれになりながら、懸命にプレーを続けます。サッカーの熊本県選手権大会2回戦。場所は熊本県立東稜高校運動場。熊本市立必由館高校相手に多良木高校イレブンは厳しい戦いを強いられていました。前半に2失点、後半さらに1失点して0対3となり、後半も終盤の時間帯となっていました。

 多良木高校サッカー部は3年生6人、2年生5人の11人ぎりぎりでこの試合に臨んでいました。この大会をもって3年生は部活動を退きますので、今後は多良木高校単独チームでの出場は困難になります。多良木高校サッカー部の単独チームとしては最後の試合なのです。その重みは選手たちも、応援する保護者の方々、そして私たち教職員もわかっていました。

 後半も残り10分ほどになった時です。キャプテンでフォワードの西君(3年生)が相手ゴール前に巧みなドリブルで切り込み、シュートを決めました。多良木高校応援団から歓声があがります。「よし」、「あきらめるな」と保護者の方から声が飛びます。監督の中山教諭からも、「時間はある、一つ一つのプレーを丁寧に」と大声で指示が出ます。ここから、試合の流れが変わり、多良木高校の選手たちの動きが俄然良くなりました。

 残り5分を切ったところで、多良木高校が再びシュートを決め、2対3。1点差となります。「いけるぞ」の声があがります。選手たちも最後の力を振り絞って走り、懸命にボールにからみ、攻め込みます。その姿を見ていると、私は胸が熱くなりました。

 試合終了を告げる審判の笛が鳴り響き、選手たちはがっくり膝をつきました。多良木高校サッカー部単独チームとしての試合は終わりました。交代要員もいない11人での戦いでしたが、最後まであきらめない、多良木サッカーの真骨頂を見せてくれたと思います。試合直後は雨と悔し涙で濡れていた選手たちの顔にも、しばらくして笑顔が戻りました。練習の成果を出し切ったという満足感が漂うアスリートの清々しい表情でした。