校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

阿蘇への震災復興支援旅行

阿蘇への震災復興支援旅行 ~ 阿蘇を応援

 「今の多良木高校生に特別な体験をさせたい」とのPTAと私たち教職員の思いが合致して、閉校に向けてのPTA特別予算による研修旅行が実現。場所は阿蘇地域。昨年の熊本地震で大きな被害を受けた阿蘇地域の復旧・復興の状況を現地に赴き実際に見て学ぶ旅行です。

 6月30日(金)、3年学年全員、貸切バス2台で朝7時30分に学校を出発。断続的に雨が降る中、九州自動車道の小池高山ICで降り、益城町の中心部を通りました。昨年の熊本地震で震度7の地震に二度も襲われた町で、町の中心に更地が目立ちました。大津町から先は国道57号もJR豊肥線も震災以来不通になっており、大規模農道(通称「ミルクロード」)を上り二重峠から下って阿蘇の赤水地域へ入りました。阿蘇地域の高校生で大津町や熊本市方面に通学する者は朝夕この峠の迂回路を通っていることになります。

 阿蘇山上には3本の登山道路が通じていますが、現在、通行可能はJR阿蘇駅前からの坊中線のみです。およそ10㎞の道のりをバスはゆっくり上っていきます。阿蘇ならではのスケールの大きい草原の風景が車窓から見え、生徒は歓声をあげます。また、震災で崩れ落ちた山肌や痛んだ道路の工事風景も目に入ります。午前11時頃、草千里に到着。阿蘇火山博物館に入り、地震の仕組みや阿蘇の被災状況の説明を受け、阿蘇のカルデラ形成の模擬実験も見学。

 午後からは杵島岳トレッキングの予定でしたが、悪天候のため断念。レストハウスで昼食を取ってバスで山を下り阿蘇市宮地の阿蘇神社へ移動。熊本地震で崩れた楼門の修復工事の様子を見学した後、境内をはじめ門前参道の湧水を見て回りました。この湧水は熊本地震でも枯れることなく被災した人々を助けたそうです。カルデラの中で暮らす阿蘇の人々は、噴火や地震という自然の脅威にさらされる一方、豊富な水や温泉、そして風光明媚な景色などの素晴らしい自然の贈り物に囲まれています。火山との共生です。

 熊本地震の影響で阿蘇を訪ねる観光客や研修旅行の児童生徒は減少していますが、今回、震災復興を支援する目的で多良木高校として訪ねてみて、一歩一歩、復旧復興が進んでいることを実感できました。

                         

阿蘇登山道のバスからの草原風景

          阿蘇神社門前町での水基(湧水所)巡り

瞬間の世界に挑む ~ 陸上100競技


瞬間の世界に挑む ~ 陸上100m競技

 3年1組の三浦恵史君が熊本県高校総体陸上100mで優勝したことで本校も脚光を浴びました。三浦君の快挙を伝えた新聞記事には「多良木高校として32年ぶりの優勝」とありました。改めて、男子100mの歴代優勝者を調べてみると、確かに昭和60年に「西 和任」選手が10秒90で優勝の記録が残っています。さらに遡ると昭和49年に「田代博志」選手が11秒2で優勝しています。県高校男子100m優勝者は昭和25年から記録が残っていますが、多良木高校は今回の三浦君を含め3人の優勝者を出しています。

 多良木高校の『創立80周年記念誌』等によると、「田代博志」選手が優勝した昭和49年は、多良木高校陸上部が県高校総体で大活躍し、南九州大会に21人もの選手が進み、その年のインターハイに8人が出場するという輝かしい成績でした。当時の多良木高校陸上部のユニフォームがオレンジ色だったことから、「オレンジ旋風」と称えられたという逸話が伝えられています。

 このような先輩たちの汗と夢の伝統を受け継ぎ、今年の三浦君の走りがあったと思うと感慨深いものがあります。43年前の田代選手の記録が11秒2、32年前の西選手の記録が10秒90、そして今年の三浦君が10秒81と並べると、100m競技で1秒、いや10分の1秒、100分の1秒を短縮することがいかに至難のことかよくわかります。瞬間の世界に挑む短距離ランナーたちの苦闘が想像されます。

 「南東北インターハイ」に向けて三浦君は練習を再開しました。自己ベスト記録更新を目指し、孤独で厳しい自分との闘いです。その後ろ姿を見ながら、多良木高校陸上部の歴史のアンカーとなる2年生たちも練習に取り組んでいます。平成31年3月の「閉校」というゴールに向け、走り続けます。

 

 

         南九州大会100m2位(三浦君)を示す電光掲示板

インターハイへの道

インターハイへの道

 陸上競技でインターハイ(全国高校総体)に出場するには二つの階段を登らなければなりませ。先ず県高校総体で6位以内に入り県代表となること、そして次に南九州四県(熊本、宮崎、鹿児島、沖縄)の南九州大会で6位以内の入賞を果たすことが求められます。今年度の南九州大会は熊本市の県民総合運動公園陸上競技場で6月15日(木)から18日(日)にかけて開催され、多良木高校から3年の三浦恵史君が100mと200mに出場しました。

 熊本県高校総体100mで優勝した三浦君は、16日(金)に予選、準決勝を勝ち上がり、決勝でも力強い走りを見せ、沖縄県の選手に続き2位でゴールに飛び込みました。記録は10秒81。さらに200mは圧巻でした。17日(土)の予選、準決勝を勝ち抜き、18日(日)午前の決勝に進みました。三浦君は県高校総体では3位だったため、私たちは何とか6位以内に入ってほしいと祈るような思いでスタンドから見守りました。連日30度近い暑さの中での競技が続き、疲労も心配されました。しかし、200m決勝では、闘志あふれる表情で力走し4位でゴール。記録は22秒02。100mも200mも自己ベストと並ぶ記録で、インターハイ出場を決めたのです。

 走り慣れている熊本の競技場で開催されたという地の利もあったかもしれません。しかし、南九州各県の代表選手と競うハイレベルな大会で、自分の力を最大限に出し切った三浦君の強さには脱帽です。南九州大会での三浦君の走りは、「戦う」という迫力が感じられました。

 インターハイ(全国高校総体)という高校アスリートの祭典への出場資格を自らの力で勝ちとった三浦君。三浦君にとっては、一つ山を越えるとまた次の高い峰があり、さらなる高峰が先に続いているようなものですが、それを次々と制覇しながら、より高みを目指して成長を遂げている姿に感嘆します。

 今年のインターハイは「南東北総体2017 ~ はばたけ世界へ」として陸上競技は山形県天童市で7月29日から8月2日にかけて開かれます。遠い山形の地に向け、若きアスリートは闘志を燃やし走り続けます


高校総体が終わって

高校総体が終わって

 毎年思うことですが、高校総体が終わると学校の空気が大きく変わります。野球部を除く多くの3年生が部活動を退き、進路に向けての学校生活に切り替わるからです。放課後に進学対策の課外授業も始まります。そして部活動は2年生が中心となります。本校の場合、1年生は在籍していませんので、2年生が多良木高校の部活動の最後の担い手となるのです。

 今年も高校総体では多くのドラマがありました。6月2日(金)の総合開会式(県総合運動公園陸上競技場)で陸上部と女子ソフトテニス部の生徒と共に入場行進をしました。スタンドから見ていた陸上部マネージャーの女子生徒が、「行進の息がみんな合っていて、涙が出そうになりました。」と語ってくれました。午後は、女子バレー部と男子バスケットボール部の1回戦を応援しました。それぞれベストを尽くし、最後まであきらめないプレーで見る者の胸を熱くしてくれました。試合後、女子バレーの選手たちは全力を出した後のすがすがしい表情でしたが、バスケットボール男子の3年生たちはコートで号泣していました。

 3日(土)は、宇土市で開催された女子アーチェリーを応援しました。選手たちは自分との戦いに集中していました。そして、午後から翌4日(日)にかけては「えがお健康スタジアム」において陸上競技の醍醐味を満喫しました。三浦君の100m優勝、200m3位の快挙には部員や顧問職員に歓喜の輪が広がりましたが、部の目標であった400mリレー、1600mリレーでの南九州大会出場を逃し、選手たちは地面を叩いて悔しがる姿が印象的でした。この悔しさはきっとこれからの学校生活の原動力になると思います。

 県高校総体という大きなイベントが終わり、6月6日(月)から学校は平常授業の日課に戻りました。3年生の女子4人で最後の高校総体に臨んだソフトテニス部は、放課後に部室の清掃と整理に取り組んでいました。かつては全国大会にも出場したソフトテニス部ですが、2年生がいないため閉校の1年前にその活動に終止符が打たれることになったのです。ゴール(閉校)が一歩一歩近づいてくることを感じます。


          男子バスケットボールの試合(東海大学)


 

多良木の意地と誇りの走り ~ 県高校総体陸上男子100m優勝

多良木の意地と誇りの走り ~ 県高校総体陸上男子100m優勝

 6月3日(土)、午後4時20分、県高校総体陸上競技会場の「えがお健康スタジアム」(熊本市)は緊張感ある静寂に包まれました。注目の男子100m決勝を迎えたのです。決勝を走る8人の走者の中に多良木高校3年の三浦恵史君がいます。スタンドから見つめる私も自然と体に力が入ります。「オンユアマーク」の掛け声があり、号砲、そして大歓声。スタートから飛び出した三浦君は勢いをさらに加速させ、10秒81の自己ベストタイムでゴールに飛び込みました。会心のレースでした。スタンドを駆け下りて、選手退場ゲートで三浦君と握手。いつも冷静な三浦君も、満面の笑顔を見せました。しかし、その後の記者からのインタビューには、すぐ平静さを取り戻し、落ち着いて対応する姿がありました。この時、「多良木の意地と誇りを胸に走りました。」と三浦君が答えるのを聞き、胸が熱くなりました。
 三浦君は、体格は決して大きい方ではなく、むしろ小柄と言ってよいでしょう。入学してきた時は県のトップレベルの選手ではありませんでした。しかし、陸上部顧問の富﨑教諭の指導を受けながら、黙々と練習に取り組み、記録を伸ばしてきました。2年次の秋の新人大会では3位に入り、九州大会出場を果たして自信を付けたようです。今年度に入ると10秒台の記録を次々と出し、好調を維持して高校総体に臨みました。周囲の期待が高まる中、見事、結果を出した三浦君の実力には驚かされます。競技直前は、いつも一人で気持ちを集中させ、近寄りがたい張りつめた空気が身辺に漂っています。普段の学校生活でも、決しておごらず、浮かれず、自分自身をコントロールできる賢さと意志の強さを持っている生徒です。
 男子陸上100mの優勝は、多良木高校にとっては32年ぶりの快挙であり、三浦君で三人目となります。多良木高校の伝統を感じると共に、閉校まで2年となった今だからこそ大きな価値のある優勝だと思います。学校に元気を与えてくれた三浦君の走りを称えると共に、南九州大会での更なる活躍、そして全国高校総体(インターハイ)への出場を願ってやみません。    


 


ツクシイバラの自生地を訪ねて

ツクシイバラの自生地を訪ねて

 
 昨日の日曜日、高校総体サッカー1回戦を戦う多良木高校イレブンを球磨工業高校グラウンド(人吉市)で応援。3対1で逆転勝利をおさめ、2回戦進出を決めました。部員は12人で、1人怪我をしているためぎりぎりの11人で試合に臨んでの劇的な勝利でした。生徒の頑張りに満たされた気持ちになった私は、多良木への帰途、錦町からあさぎり町にかけての球磨川の河川敷の「ツクシイバラ自生地」を訪ねました。
 ツクシイバラは野生バラの一種で、九州を意味する筑紫(ツクシ)と茨(イバラ)を合わせた名前です。5月下旬から6月上旬にかけて、薄いピンクや白の花を咲かせ、球磨の風物詩となっています。1917年(大正6年)に当時の旧制人吉中学校教諭の前原勘次郎氏がこの地で発見し、今年は100年に当たります。熊本県の絶滅危惧種に指定されている植物ですが、地元の方々の保護活動によって今年も野趣に富むツクシイバラの花を見ることができます。
 錦町木上(きのえ)の球磨川河川敷ではミニコンサートも行われ、多くの見学者でにぎわっていました。傍らを流れる球磨川の清冽な水、周囲の山々の瑞々しい万緑、そして素朴なツクシイバラの群生に包まれると、球磨郡の風土の豊かさをしみじみと実感します。これからの100年、いやその先も長きにわたってツクシイバラの自生が続くよう念じました。


 



自生のツクシイバラの花

いざ高校総体、総文祭へ

いざ高校総体、総文祭へ

 一昨日からの中間考査が今日5月25日(木)の午前で終わり、全校生徒が体育館に集まって第45回熊本県高等学校総合体育大会(高校総体)・第29回熊本県高等学校総合文化祭(総文祭)の選手推戴式を行いました。昨年は、「熊本地震」の影響で総文祭は中止となり、高校総体も総合開会式は行われず、競技会場を県内全域に分散しての開催でした。高校生のスポーツと文化の祭典が通常通りに開催できることを有難く感じます。

 本校からは、高校総体に男子サッカー、男子バスケットボール、女子ソフトテニス、女子バレーボール、陸上(男女)、アーチェリーの6競技に、総文祭には書道と華道の二つの部が参加します。昨年は、高校総体開催時期に入梅が重なり、屋外競技は雨にたたられた印象があります。サッカーは雨の中、まさに泥だらけの試合でした。陸上競技も雨が降り続き、厳しいコンディションのもと行われました。今年は選手一人ひとりがより力を発揮できるような良好な気象条件を望みたいと思います。

 多良木高校の高校総体は来る5月28日(日)のサッカーの1回戦、ソフトテニスの個人戦から始まります。ソフトテニス部は部員が3年生4人であり、この高校総体を最後に部の活動は停止となります。総体にかける生徒たちの思いは深いものがあるでしょう。

 6月2日(金)に2年ぶりに実施される高校総体総合開会式で入場行進の旗手を務める恒松朋樹君(陸上部)に校旗を私から授与しました。選手を代表して女子バレー部キャプテンの高尾美喜子さんが決意の言葉を述べてくれました。

最後に野球部全員が太鼓を叩き、威勢の良い激励をしてくれ、会場は大いに沸きました。

 昨日からの雨も朝方には上がり、選手推戴式を終えた頃には強い日差しが照り始めました。さあ、高校総体、総文祭に向けて元気を発信です。



魅せた体育大会

魅せた体育大会

 雨で一日順延となった体育大会を5月14日(日)に開催しました。3学年そろっていた昨年までと異なり、3年生と2年生の2学年136人による体育大会でしたが、生徒一人ひとりが進んで動き、競技、演技も一生懸命さが伝わり、大会運営も円滑に進み、どのプログラムを見ごたえあるものでした。

 また、保育園児とのダンスや玉入れ、老人会の方々とのグラウンドゴルフ、そして保護者の方も参加しての綱引きや男女混合リレーなど交流プログラムも充実しており、地域に開かれた体育大会となりました。

 特に本校体育大会のハイライトとして午前中最後のプログラム「キラリ輝く多高生」は、全校生徒が参加して、男子による伝統の多高体操、女子のダンス、そして体育コース生徒による集団行動、種目別の演技(縄跳び、マット運動、跳び箱)と1時間にわたる多彩な内容で、今年も大いに観衆を魅了しました。きびきびした動き、力強さ、柔軟性、そして豊かな表現力と多高生の力を存分に発信できたと思います。体育コースの生徒たちは、高い身体能力を発揮するだけでなく、個性を加えて高校生のユーモアと明るさをアピールし、魅せる演技に成功しました。

 御観覧頂いた保護者、地域の方々からも「昨年までとそん色ない盛り上がり」、「生徒数は減っても元気があった」、「生徒の出番が多くて楽しめた」等、多くの賞賛の言葉をいただきました。多高生全員の力で創り上げた体育大会として誇っていいと思います。

 ゴール(閉校)まで2年。多良木高校は最後まで元気を発信し続けていきたいと思います。


                                     体育コース生徒による集団演技

体育大会開催

 5月14日(日)、第67回体育大会を開催しました。本来は前日13日(土)に予定しておりましたが、雨天の影響で一日順延となりました。開会式の校長挨拶を次に掲げます。

「風薫る五月の日曜日、多良木町副町長の島田保信様をはじめ多くのご来賓の方、そして保護者、地域の方々に御臨席いただき、熊本県立多良木高等学校第67回体育大会を開催できますことを生徒の皆さんと共に喜びたいと思います。

本日も出演される光台寺保育園の園児の皆さんから可愛いテルテル坊主を頂いていたのですが、雨の影響で一日順延となり今日の開催となりました。しかし、これで良好なコンディションのもと、生徒の皆さんは思い切ってパフォーマンスができるものと思います。

 今年の体育大会のテーマは「多魂情 ~ 熱く強く勇ましく」です。土にまみれてもいい、多少の演技のミスがあってもいい、皆さんの若さと勢いで押し通してください。

3年と2年の2学年による体育大会です。人数が少なくなった分、皆さんの競技種目への出番が多くなります。存分に力を発揮してください。併せて、大会の運営も皆さんが担います。責任をもって自分の役割を果たすことを期待します。今日の体育大会が、笑顔と歓声あふれるものになることを願っています。

 結びになりますが、ご観覧の皆様には、全校生徒136人に対するご声援をよろしくお願いして、開会の挨拶といたします。」
 

介護職員初任者研修課程の開講式

 5月9日(火)の2限目、福祉講義室において2年生福祉教養コースの「介護職員初任者研修課程の開講式」を行いました。その冒頭の校長挨拶を掲げます。

 「介護職員初任者研修課程の開講に当たって、2年1組福祉教養コースの皆さんに、気持ちのうえで一度初心に立ち戻ってほしいと思います。中学3年生の進路を決めなければならない時に、皆さんたちが、多良木高校福祉教養コースを志望した理由は何だったのでしょうか。その時の気持ち、即ち初心に戻ってほしいのです。

 高校は様々な学科・コースがありますが、普通科、農業、工業、商業、体育コース等ではなく、この福祉教養コースを選んだ時の決意を思い出してください。きっと、福祉に関する専門的な知識と技術を身につけられること、そして、介護福祉施設や病院、保育園等での多くの実習に魅力を感じて志望したのだと思います。
 福祉のことを学びたいという皆さんは、心優しい人たちです。けれども、優しさだけでは介護はできません。プロとして働くには専門性が必要です。その専門性の土台となる資格が介護職員初任者研修課程です。何事も基礎が大切です。少々我慢して基礎を身につける時期が必要なのです。基礎をしっかり学び、この課程を修了して自信を付けてください。

 これから1年間、医師、看護師、介護福祉士など医療、福祉の現場の専門家の方々が来校され、講義してくださいます。学ぶ内容は易しくはありません。だからこそ学びがいがあります。一人で学ぶのではありません。同じ志を持った14人で学びあい、教えあい、高めあっていってください。

 1年後を楽しみにしています。皆さんは、必ず「キラリ輝く多高生」に成長しているでしょう。」


バレーボールの魅力

バレーボールの魅力

 4月28日(金)、第34回人吉・球磨地区合同体育大会が開催され、多良木高校では陸上競技とバレーボール競技が実施されました。陸上が個の力の競い合いであるのに対し、バレーボールはチームの戦いで対照的でした。本校第1体育館で繰り広げられたバレーボール競技を観戦して、改めてその魅力に引き付けられ、時間が立つのを忘れるほどでした。

 男子バレーボールは、球磨工業と南稜の2校が参加し、戦いました。男子はジャンプ力があり、滞空時間が長く感じられ、まるで垂直に叩き込むようなスパイクの威力は目を見張るほどです。コートに叩き付けられたボールが2階席までバウンドすることもあり、男子のプレーはダイナミックで迫力があります。

 男子バレーボールは近年競技人口が減り、大会に参加する高校も少なくなってきているようです。かつて1972年(昭和47年)にミュンヘンオリンピックで日本の男子チームが金メダルを取った頃は、男子バレーの人気は高いものがありました。当時、私は小学生でしたが、その熱気を覚えています。スポーツの人気も消長があります。かつての人気がなくても、好きなバレーボールに没頭する男子生徒に心からの声援を送りました。

 女子バレーボールは、人吉、球磨中央・球磨商業、南稜、そして多良木の4校が参加し、白熱した試合の連続でした。女子バレーの魅力は6人全員で懸命にボールを拾い、つなぎ、返すチームワークにあると思います。打ち合い(ラリー)が続き、緊張感ある攻防はまことに見ごたえがありました。

 多良木高校女子バレーボールチームは、部員10人(1人はマネージャー)という出場チームの中で最小人数ながら、全員の力を結集して接戦を制し、優勝を果たしました。ミスをしても、リードされても、慌てず諦めずお互いを信じて果敢なプレーをやり抜いた生徒たちを頼もしく思います。高校総体まであと1か月です。この最高のメンバーでバレーに打ち込む時間はそう多くは残されていません。限りある時間を惜しみ、バレーボールを心の底から楽しんでほしいと願います。


 

人吉・球磨地区合同体育大会

 4月28日(金)、人吉・球磨地区合同体育大会を五つの高等学校をはじめ各会場で開催しました。多良木高校では、陸上競技と男女バレーボールが実施されました。多良木高校での開会式の挨拶を掲げます。


 「平成29年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、このような絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。

 春の季語に「山笑う」という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が冬の眠りから覚め、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。

 昨年は、熊本地震の影響でこの大会は中止となりました。今年で第34回となる伝統の行事をあたりまえに実施できる喜びをかみしめたいと思います。

 皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。今、皆さんが立っている300mトラックの陸上グラウンドからは後のオリンピック選手や日本記録保持者が誕生しています。また、皆さんの目の前に広がる野球場からはプロ野球選手も育ちました。皆さん一人一人も豊かな可能性を持っていることと思います。日頃の練習の成果を今日、ここ多良木高校で存分に発揮してください。

 皆さんはアスリートです。ルールを守り、審判に敬意を表し、そして勝っても負けても相手を称えるというアスリート精神をもって競技してください。

 応援の生徒の皆さんは、輝いている選手の姿に惜しみない拍手と声援を送ってほしいと期待します。

 皆さん達は、この人吉・球磨地区の高校生です。今日の大会が、お互いをもっと知り、高め合っていく場となることを念じ、挨拶といたします。」



PTA総会開催(4月22日)

平成29年度熊本県立多良木高校PTA総会での校長挨拶


「本日はPTA総会に御出席いただき、誠に有り難うございます。

 本校は、この春、新入生を迎えることができませんでしたので、在籍が3年生、2年生の2学年となります。3年生67人、2年生69人、全校生徒136人です。学校の使命は明快です。3年生67人全員の進路実現と卒業、そして2年生69人全員の学力向上と進級です。これから多良木高校は前例なき期間に入ります。3学年そろっていた昨年度までとは異なり、すべてが例年通りにはできません。従って、一つ一つの行事について創意工夫に努め、生徒の「出番」の多い、より充実したものになるよう取り組んでいきたいと思います。

 また、在籍生徒数が少ない分、生徒たちの交流人数を増やすように努めます。本校は「地域に根ざし、地域に開かれた学校づくり」を目指しております。これまで以上に、地域社会及び他の学校との交流に力を入れ、出会いと交流を重ねることによって生徒一人一人の社会性やコミュニケーション能力を養っていきたいと思います。 

        ≪ 中略 ≫
 お
子様のことで何か気になることがありましたら、遠慮なく担任や学年主任へ御連絡いただきたいと思います。ご家庭は、やはり生徒諸君にとって寛げる居場所であってほしいと思います。不満や愚痴、弱音をできるだけ、ご家庭で聞いてあげてください。熊本地震でもクローズアップされましたが、悩みやストレスを自分一人で抱え込まずに、友人、家族、専門家に援助を求める力こそ、現代に生きる私たちに重要だと云われています。私たち教職員も、生徒たちの変化を見逃さないよう注意して、「気付き、寄り添い、つなぐ」の姿勢で臨み、ご家庭と密接に連携を取っていきたいと思います。

 保護者の皆様の願いと学校が目指すものは同じだと思っております。「今の多良木高校だからこそできる教育」に取り組みます。学校の教育活動への御理解と御支援を重ねてお願いして、私の挨拶といたします。」



「夢」の実現に向けて ~ 3年生進路ガイダンス

「夢」の実現に向けて

~ 3年生進路ガイダンス ~

 4月19日(水)、1日かけて3年生の「夢実現 進路ガイダンス2017」を開催しました。午前中は全体講話、奨学金の説明、進路別の説明、そしてグループで一般常識テストに取り組む時間と続き、午後は多良木町民体育館に移動し、大学・短大・専門学校の各ブースの相談会に各自で参加しました。それぞれの学校の説明を真剣に聴いている生徒の様子を見ながら、私は青年教師の頃を思い出しました。

 20代から30代にかけて10年連続で担任を持ち、その内、3年生担任を4回経験しました。進路面談では、思いがけない生徒の考え、志望を聞き、虚をつかれた思いになったことが幾度もありました。25年前、トリマー(ペットの美容師)になりたいと言った女子生徒がいましたが、私はその時、トリマーという言葉を初めて聞き、どんな仕事をするのか逆に生徒に尋ねた記憶があります。また、男子生徒が「高校の家庭科の教師になりたい」と語った時も驚きました。そして、驚いた自分の意識の古さを恥ずかしく感じたものです。男女共同参画社会となり、平成6年に高校の家庭科が男女共修となったわけですから、男性が家庭科教師を目指すことは少しもおかしいことではないのです。

 30年間の高校教師生活を顧みると、やはり若者が常に新しい世界を切り開いていくものだと感じます。現代社会の変化は激しく、有名な大企業でさえ数年先の業績の見通しが立ちません。人々のニーズに応じて次々と新しい仕事が出現しています。その一方、ロボットや人工知能(AI)の発展により消えていく仕事もあります。

 自分の進路を考えるということは、どんな仕事に就きたいか、どんな学校へ進学したいかと具体的に問いながらも、最終的には「自分はどう生きたいか」という大きな命題に向かい合うことが大切だと思います。


                             グループで一般常識問題に取り組む


 

あの日から1年 ~ 熊本地震発災1周年

あの日から1年

~ 熊本地震発災1周年 ~

 4月14日です。最大震度7を記録した熊本地震の発生からちょうど1年となります。夜の静寂を破る携帯電話からの緊急警報とほぼ同時に襲った激震の記憶はいまだ生々しいものがあります。熊本地震は未曽有の被害をもたらし、多くのかけがえのない命が失われました。依然、4万7千人余りの人々が県内外の仮設住宅等で仮住まいの不自由な暮らしをされており、道路や鉄道等のインフラ(社会基盤)の修復も道半ばです。熊本地震の前より良い状態をつくる創造的復興(Build  Buck  Better)を熊本県は目指し、国をはじめ多くの支援を受けて復旧、復興に取り組んでいるところです。

 今日、発災から1年という節目に際し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、午前10時、県主催追悼式に合わせて生徒及び職員の全員で黙とうを捧げました。顧みると、熊本地震が発生するまで、私たち県民の間では「熊本で大きな地震が起きることはない」という根拠のない楽観があったと思います。従って、「まさか」の災害となってしまったのです。今生きている私たちが大地震を体験していないというだけで、「熊本に震災はない」という思い込みと油断に陥っていたのでしょう。6年前の東日本大震災の教訓も生かすことができなかったことは残念でなりません。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。私たちは歴史に学ぶことができませんでした。1889年(明治22年)には、金峰山地震と呼ばれる熊本市直下型地震が発生して甚大な被害を受けています。また、このたびの熊本地震の発生源は布田川・日奈久断層帯でしたが、この球磨人吉地域にも人吉盆地南縁断層帯があり、湯前町、多良木町、あさぎり町、錦町、人吉市に広がっています。1968年(昭和43年)には宮崎県えびの市が震源の「えびの地震」が発生し、人吉市周辺で大きな被害が出ています。

 豊かな恵みを与えてくれる一方、時に脅威の存在となる自然と私たちは共存するしかありません。歴史から謙虚に学び、知識を持ち、災害を正しく恐れる態度が求められています。


               弔意を表す半旗

青春とは叱られる季節

 4月10日(月)の午前、第一体育館にて平成29年度一学期始業式を行いました。校長挨拶の一部分を次に掲げます。

 「年度初めにあたり、「叱る、叱られる」ということを改めて皆さんに考えてほしいと思います。誰もが叱られるのは嫌です。大人になっても叱られるのは嫌なものです。しかし、皆さんは、学校生活で、部活動で、あるいは家庭で、叱られることが多い日々でしょう。なぜ叱られるのか。それは皆さんがまだ成長できるからです。
 永田和宏という方がいます。70歳を超えた科学者(細胞生物学)で京都大学名誉教授であり、歌人としても知られています。この方がこんな短歌を詠んでいます。

「もうわれを叱りてくるる人あらず 学生の目を見据えて叱る」

 名誉も地位もきわめた永田教授を叱る人は大学にはいません。そのことの寂しさ、空しさを実感しているのです。そして、これから成長していく若い学生に期待を込め、その目を見据えて叱っているのです。私たち教職員は、永田教授のように偉くはありませんが、思いは同じです。皆さんにもっと成長してほしい、伸びてほしいという教育的愛情を胸に叱るのです。そのことをわかってほしいと思います。青春とは叱られる季節なのです。

 全校生徒136人の多良木高校は今日から動き出します。お互い一日一日を大切にしていきましょう。これで平成29年度初めの私の話を終わります。」



多高生のちょっといい話

 この春休みに私が見聞きした多高生のちょっといい話を三つ披露します。

 一つ。サッカー部の皆さんが、春休み中も玄関や事務室・職員室前の廊下を掃除してくれました。春休み中も学校は多くのお客さんがありましたが、お蔭で、さっぱりした環境でお客さんを迎えることができました。

 二つ。野球部のマネージャーの皆さんが、先週の金曜日、雨の中、第二体育館正面の階段を掃除してくれました。あの階段は雨ざらしのため、黒いシミや緑の苔のようなものがたくさん張り付いていたのですが、雨の中、合羽を着て、ブラシを使い綺麗にしてくれました。

 三つ。先週のある日、学校の近くで、体調不良のため歩いては休み、歩いては休みの状態の高齢のご婦人がいらっしゃいました。そこを通りかかった新2年の女子生徒の人が「大丈夫ですか」と声を掛けしばらく介助に当たったそうです。やがて娘さんが車で迎えにこられ大事には至らなかったのですが、翌日、そのご婦人がお礼に来校されました。その女子生徒に私が話をしたところ、本人は特別のことをした意識がなく、自然体で女性に寄り添ったことを知りました。そこが爽やかで私自身もとても良い気持ちになりました。

 この三件の行為をおこなった皆さんに対し、心から拍手を送りたいと思います。以上の三つは私が見聞きしたもので、他に私が知らない、多高生のちょっといい話はたくさんあると思います。みなさんの行いをだれかが見ています。もし誰も見ていなくても、自分自身は見ています。多高プライド。皆さん、誰も見ていない時こそ、自分に恥じないふるまいをしていきましょう。


高等女学校の教科書に想う

高等女学校の教科書に想う

 多良木高校の前身の多良木高等女学校時代の教科書2冊を同窓生の方から寄贈いただきました。いずれも昭和21年3月に印刷、発行された「中等被服一」と「中等物象一」で、当時は国定教科書であったため、著作発行者は文部省となっています。

 最初に驚いたのが、「物象」という教科名です。「物象」とはどんな内容なのかと頁をめくると、物体に働く力、液体・気体の圧力、熱などの物理の内容でした。教育史を調べてみると、太平洋戦争中の昭和17年(1942年)に中学校(旧制)と女学校の「理科」が「物象」と「生物」に分けられたことがわかりました。そして、昭和22年(1947年)、現在の男女共学の中学校制度になると再び「理科」に戻りました。高等女学校は同年に募集停止となっていますので、最後の「物象」教科書と言えます。

 「被服」の教科書を読むと、日常生活の服装のありかた、服の手入れ、そして手縫い及びミシン縫い等について図解入りで丁寧に説明されています。その中の一節に「今わが國は、大きな新しい時代を前にして、はげしい努力を續け、苦難に堪へてゐるのです。」とあり、終戦の翌年という世相を反映しています。

 昭和21年3月と言えば、敗戦という未曽有の危機からまだ半年余りであり、相当の社会的混乱の時期だと想像できます。しかし、その状況下にあって、高等女学校の教科書が国によって整然とつくられていたのです。「被服」は縦14.5㎝、横21㎝の右綴じ、「物象」は縦19㎝、横13㎝の左綴じで、両方とも糸による和綴じ、黒い厚紙で背表紙が付けられています。現代の教科書に比べるとまことに質素な作りですが、戦後の新しい教育の象徴に見え、健気で愛おしく感じます。

 また、もっと胸に迫ることは、女学校時代から七十年もの間、教科書を大切に所持してこられた同窓生の思いです。この教科書の裏表紙には、御尊父の手による生徒名が達筆な墨書で記されています。御嬢さんが女学校に合格された喜びが伝わってくるかのようです。その御尊父の愛情の記憶と共に古い教科書は今日まで伝わってきたのでしょう。



桜咲く校庭

桜咲く校庭

 4月3日(月)、多良木高校の平成29年度の始動の日です。この日に合わせるかのように校庭の桜も咲き始め、穏やかな春風の中、3分咲き程度の花が揺れています。中でも、正門近くの国旗掲揚台近くの桜は、来校者を歓迎するかの如く優美です。

 今年は例年になく桜の開花が遅れ、全国的なニュースとなっています。熊本県も大幅に遅れ4月1日に気象庁の開花宣言がなされました。平年であれば、満開の時期です。球磨郡の桜の名所で知られる水上村の市房ダム湖周辺の1万本の桜も開花が遅れ、先月末の村の「桜まつり」開催の時点では全く花は開いていませんでした。

 桜は日本人にとって春を象徴する特別の花であり、開花の知らせを聞くと、心がざわざわと浮き立つから不思議です。桜の季節になると必ず口ずさむ俳句があります。

 「さまざまの ことおもいだす 桜かな」(芭蕉)

 私たちは桜の花に「凝縮された時間」を見ているのでしょう。四季が巡り、再び春となり、ふと立ち止まって桜の花を愛でながら、過ぎた時間を思い返すのかもしれません。

 この春、多良木高校には新入生はいません。閉校まで2年となり、2年生、3年生の136人が学校生活を送る前例ない期間に入ります。人事異動に伴い、6人の職員が転出しました。しかし、新たに3人の職員を本日迎えました。校庭の桜は、新しい同僚を歓迎すると共に、春休み期間も毎日練習に励む部活動の生徒たちに対し優しく微笑んでいるかのような風情です。


 

平成28年度修了式にあたって

 3学期終業式及び平成28年度修了式を3月17日(金)に第1体育館で行いました。校長挨拶の一部を次に掲げます。

 「皆さんは、一時の感情の赴くままにしゃべり、あるいはネットに書き込んで、後悔したことはありませんか? 防ぐ方法は一つ、ちょっと立ち止まることです。感情的になっている時に、自分の意志で立ち止まることができるか、どうかです。あまりに自分中心になっていないか振り返るために、ちょっと立ち止まってください。
  古代中国の思想家である孔子の教えをまとめた「論語」という本に次のような戒めがあります。

  「師曰く 人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。」

  人が自分のことをわかってくれないと嘆き心配するより、自分が人のことを理解しようとしていないことを心配しなさいという意味でしょう。

  外交官として世界各地の大使館で長年活動された方が興味深いことをインタビューで述べておられました。外交とは、日本を代表し国益のため相手国と交渉し国と国との関係をより良いものにしていく難しい業務ですが、日本の外交官は相手国との交渉において、目指す点数があるという箇所に特に興味を持ちました。外交官は100点や90点は目指してはいけないそうです。では何点を目指していると思いますか?51点が目標だと云われました。残りの49点は相手国にあげると。外交交渉で100点や90点を日本側がとったら、それは日本にとっては完全勝利かもしれないけれども、相手国の反感、反発をかい外交は中断してしまう。かといって50点対50点では事態が変わらないまま平行線です。だから、51点がベスト。1点づつ積み重ねていって、時間をかけ関係を改善していくという粘り強い姿勢で外交に取り組んできたと云われました。
  これは国と国との関係、外交のお話ですが、人と人との関係を考えるうえでも示唆に富むと思い、皆さんに紹介しました。

 結びになりますが、1年間、皆さんと共に多良木高校で過ごすことができ、教師として本懐だと思っています。感謝の思いです。」