校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

西米良村を訪ねて

                                        西米良村を訪ねて

 宮崎県児湯郡西米良(にしめら)村は私にとって気になる所であり、休日に時折訪ねます。多良木高校から国道219号を東へ走行し、湯前町から横谷峠を越えるとそこが西米良村で、役場のある村の中心地の村所(むらしょ)まで車で30分の距離です。多良木高校から人吉市役所まではおよそ40分かかりますから、県境の村である西米良の方が近いのです。逆に言うならば、西米良村の人にとっても、同じ宮崎県の西都市よりも熊本県の湯前町、多良木町の方が交通アクセスが便利であり、買い物や病院受診(特に多良木町の球磨郡公立多良木病院)で頻繁に往来されています。そして、かつては西米良村の中学生が毎年のように多良木高校に進学してきていたのです。

 先日の日曜日の午後、久しぶりに西米良村を訪ねました。村の面積の9割以上を山地が占める典型的な山村であり、人口は千二百人と過疎化が進んでいます。しかし、村の人々はとても親切で、いつも温かいおもてなしを受けて気持ちが和らぎます。今回は村の歴史民俗資料館を訪ねましたが、そこで「うちの娘も十数年前に多良木高校を卒業しました」とおっしゃるご婦人と出会い、お茶を出していただきました。多良木高校が閉校することもご存知でした。

 西米良村は山の斜面での焼畑農業が盛んに行われてきた所です。今やこの伝統農耕は姿を消しましたが、焼畑に使われた往時の用具が国重要有形民俗文化財として資料館に一式展示されており、興味深く見学しました。また、この地域を江戸時代に治めた領主の米良氏は、中世(鎌倉・室町時代)の肥後国で威勢をふるった菊池一族の末裔に当たります。西米良村は歴史的にも地理的にも熊本と深い因縁のあるところなのです。

 かつて県境の峠を越えて多良木高校に進学してきた生徒たちのことを思うと、西米良村に対してたまらない懐かしさと愛着を覚えるのです。

 


            西米良村の中心地の村所(手前の川は一ツ瀬川)


 

ハープの音色に耳を傾けて

ハープの音色に耳を傾けて 

~ 池田千鶴子さんの音楽講演会 ~

 「わあ、大きい」というのがグランドハープを目の前にしての第一印象でした。ステージに据え付けられたグランドハープは高さが約180cmで重さは約30㎏あり、堂々たる存在感です。著名なハープ奏者である池田千鶴子さんの奏でる音色は優雅で奥深く、ジブリの映画音楽をはじめバロック音楽の名曲等に会場の生徒、保護者、職員一同、魅了されました。

 池田千鶴子さんの「ハープの音色と語り」の会を11月29日(火)の午後、多良木高校第1体育館にて開催しました。池田さんの永年のファンである本校同窓会副会長の味岡峯子さんのご尽力により、この会は実現に漕ぎ着けることができました。池田千鶴子さんは京都府宇治市を活動の拠点とされ、国の内外で幅広く演奏活動や講演活動を展開されておられます。「多良木高校の閉校までにぜひ生のハープの音色を生徒に聴かせたい」という味岡さんの思いを池田さんが受け入れてくださり、遠路、ご来校頂いたのです。またとない機会と考え、当日は近隣の県立球磨支援学校高等部の生徒さん達にも参加してもらい、一緒になって鑑賞することができました。

 池田千鶴子さんはハープの音色が持つ心を癒す力、ケアする力に着目され、内戦の傷跡が残る発展途上国を訪ねたり、阪神淡路大震災や東日本大震災の被災地への支援活動をなさったりと幅広い社会活動をなさっておられます。その体験を基にした命の大切さに係る池田さんのお話が生徒たちの胸を揺さぶりました。一芸に秀でたプロフェッショナルによる演奏と語りは、まさに迫真のライブで生徒たちを感動体験に誘いました。


 


言葉の力 ~ 書道部のパフォーマンス

言葉の力 
~ 
多良木町農林商工祭での書道部のパフォーマンス ~
  

 「とても緊張しました。」と言いながらも、ステージを降りてきた書道部員の表情は充実感に満たされていました。11月19日(土)、多良木町総合グラウンドにて、多良木町農林商工祭が始まりました。午前中は強い雨が断続的に振り、雷も鳴る状況でしたが、次第に雨も小降りとなり、本校の書道部のステージ発表の時には雨も上がり、薄日が時折射すところまで回復していました。

 初めに、友情出演の吹奏楽部の浅田君がトランペット独奏でオープニングを飾り、「上を向いて歩こう」(歌:坂本九)の曲に合わせ、立板に張り付けた紙に、五人の書道部員(荒木さん、橋口さん、権藤君、小笹さん、高田さん)がそれぞれ気持ちを込め大筆で墨書していきました。

  辛い事があっても  空を見上げ笑ってみよう

  下を向いても 後ずさりしても

  何も進まない

  前を向き 一歩ずつ

  踏み出そう

                 多高書道部


 司会者のインタビュニーに対し、「今年は熊本地震があり、多良木高校にとっても悲しい事もありましたが、前向きに歩いて行こうという思いを込めて書きました。」と部員が答えました。その思いは痛いほど伝わり、応援に駆け付けていた保護者、職員の中には涙ぐむ人もいました。

 ステージの催事はダンスと歌のプログラムが続く中、高校生の若さあふれる力強い墨書メッセージは観衆の方々の気持ちを引き付けたのです。可視化された言葉の力を感じました。


 



 

「ブライト企業」に注目

「ブライト企業」に注目   

 皆さんは「ブライト企業」という言葉を聞いたことはありますか? 最近、新聞やテレビニュース等で目にするようになった新しい用語で、実は熊本県(商工観光労働部)による造語です。従業員を劣悪な労働条件で働かせる「ブラック企業」に対し、働く人がいきいきと輝き、安心して働き続けられる企業が「ブライト企業」です。「ブライト企業」と認定されるには、従業員とその家族の満足度が高い、地域の雇用を大切にしている、地域社会への貢献度が高い等の要件が求められます。「ブライト」(Bright:輝くような明るさ)のネーミングも巧みで、熊本県のみならず広く普及してほしい言葉と思います。

 熊本県の「ブライト企業」推進事業の目的の一つとして、若者に県内の企業にもっと注目してほしいという期待があります。県内の工業高校の卒業生の7割が県外の企業に就職しています。また、本校の場合も、例年、就職する生徒のおよそ5割が県外へ出ています。全国的に人口減少が続く中、生産労働人口である若い世代の県外流出は、熊本県の活力低下につながります。県内、そして人吉球磨地域にもキラリと輝く企業があることを私たちはもっと知る必要があります。知名度や規模の大小ではなく、従業員を大切にしている企業が身近にあることを生徒と保護者の皆さんに理解してほしいと思います。

 3年生の就職試験のピークは過ぎました。お蔭で、今年度も本校生徒の就職はきわめて順調で、好結果が出ています。これからは2年生と1年生に進路意識を高めてもらうため、2学期の後半は進路ガイダンスに力を入れています。11月2日に職業体験型進路ガイダンス、11月9日には系統・分野別進路ガイダンスを実施しました。いずれも県内外の多くの大学、短大、専門学校等のご協力を得て実現しました。生徒の皆さんの進路意識に火が付く機会となったことと思います。「ここでいい」ではなく、「ここがいい」と自ら決め、目標に向けて努力する高校生は、まさに「ブライト」(Bright)、輝いています

                 職業体験型進路ガイダンスの風景
           

みんなで歩く、ひたすら歩く ~ 強歩会

 

みんなで歩く、ひたすら歩く ~ 強歩会


 11月11日(金)に強歩会を開催しました。今年は、学校を出発して湯前町、水上村と巡り、学校に帰ってくる約28㎞の行程を全校生徒で歩きました。前日の開会式での校長挨拶を掲げます。

 「今回、学校代表の読書感想文で生徒会長の福田君が『夜のピクニック』という小説について書いており、私自身懐かしく読みました。15年ほど前に出版された小説ですが、ベストセラーになり、映画化もされました。作者の恩田陸さんの母校である茨城県立水戸第一高校の強歩会をモデルにした小説です。同校の強歩会は破天荒な伝統行事で知られ、二日間かけて70キロメートルを歩きとおします。一日目は夜12時まで歩き、途中の中学校の体育館で仮眠をとり、また夜明けから歩き出すという大変困難でタフな行事です。『夜のピクニック』は、高校生たちが主人公の青春小説で、きっと皆さんも共感できるでしょう。図書室にありますので一読を勧めます

 『夜のピクニック』では、多くの生徒が最初は、とてつもない距離の長さに不安を覚え、なぜこんなに歩かなければならないのか不満を言う者もいます。そして、足の痛みに耐え、体が重くなり、友達と会話するのも億劫になります。ついに夜になり、風景も見えなくなると自分自身との対話が始まります。疲労困憊し、いつしか、不思議な感覚に包まれてきます。ある3年生女子が言います。「しかし、ほんとうにいい時間よね。毎年思うことだけど、こんな時間にこんなところ歩いているのが信じられない。」。そうして、夜中、お互いの顔さえよく見えないのですが、歩きながら、昼間なら絶対に語れないようなことを語り合います。最後、主人公の女子生徒が「みんなで歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう。」と感慨に包まれゴールを迎えます。

 さて、『夜のピクニック』に比べれば、多良木高校の強歩会はおよそ28㎞と距離も短く、余裕があります。今年のコースは湯前町、水上村を巡るもので、豊かでのどかな里山の風景を楽しみ、五感で秋を受けとめ歩いて欲しいと思います。途中、先人が伝えてきた宝物とも云うべき文化財が点在しています。第1チェックポイントの多良木町の百太郎公園。百太郎溝は、江戸時代の農民たちが球磨川から農業用水として水を引き入れるためにつくったものです。300年前の農業用水路が今も現役で働いています。第2チェックポイントの湯前町の城泉寺阿弥陀堂は、今から800年前の鎌倉時代初期につくられており、県内最古の木造建築物です。お堂の中には品格ある阿弥陀如来像が安置されています。普段、お堂は閉めてあるのですが、明日は湯前町のご厚意で特別に開けてありますから、仏様を拝観できます。第5チェックポイントの水上村の生善院観音堂です。建物は江戸時代初期のものですが、化け猫騒動で知られ、通称「猫寺」で有名です。そして、第6チェックポイントの多良木町の青蓮寺阿弥陀堂。湯前町の城泉寺阿弥陀堂より少し後ですが、それでも鎌倉時代につくられた古いお堂で、15m近くの高い茅葺屋根が印象的です。このように強歩会は歴史を巡る小さな旅でもあります。

 結びになりますが、強歩会は競走ではありません。友達と共に、励まし合いながら、しっかりと球磨の地を踏みしめ、一歩一歩を心掛けてください。私も最後尾から、皆さんの背中を追いながら、歩いて行こうと思います。

 みんなで歩く、ひたすら歩く、ただそれだけのことですが、きっとみなさんが大人になっても思い出す特別な体験になることを願い、挨拶とします。」


                                第1チェックポイント(百太郎公園)

1年生の大学訪問

1年生全員で大学を訪ねる ~ 崇城大学・熊本学園大学  

 人吉球磨地域には日本遺産に認定されるほどの数多くの文化財や豊かな自然、清らかな風景などがあります。しかし、この地域にはないものもあります。その一つが大学です。大学とはいったいどんなところか実際に訪ねて、その研究活動や教育内容を知り、施設・設備を見学するために本校では1年生が毎年秋に大学訪問を行っています。10月26日(水)に1年生70人がバス2台に分乗し、熊本市の崇城大学と熊本学園大学に行きました。

 熊本市西区池田にある崇城大学は工学部をはじめ5学部10学科の総合大学で、航空整備や航空操縦を専攻するために熊本空港キャンパスも有しています。本校卒業生の工学部機械工学科3年の元村君から体験談を聴き、入試課の方から英語教育をはじめ学生の自律学修プログラムを重視した教育内容の説明がありました。その後、キャンパスを歩き、ものづくり創造センター等を見学しました。学生の自由な発想で「ものづくり」や「起業」を積極的に進めている進取の精神が学内に満ちていました。

 午後からは同市中央区大江にある熊本学園大学を訪問。商学部をはじめ5学部12学科の総合大学で学生数が5千人を数え、キャンパスは活気にあふれています。本校卒業生の外国語学部英米学科2年の尾方さんから体験談を聴き、入試課の方から各学部の特長や就職実績、そして海外の大学とのネットワーク等の説明がありました。その後、図書館をはじめキャンパスを歩き、自由闊達な気風を感じました。

 二つの大学を訪問した生徒たちは、「大学はスケールが違う」、「自分で講義の時間割をつくったり、空き時間にアルバイトをしたりと大学は自由だなあ」などの感想を口にし、大学の雰囲気を満喫した様子でした。今回の大学訪問については、崇城大学から交通費のご支援を、熊本学園大学から学生食堂にて昼食のご提供を頂きました。両学の格別のご配慮に厚く御礼申し上げます。

 1年生は本校の長い歴史のアンカーを務める生徒たちです。これからも様々な学びを全員で行い、成長していくことと思います。

 


               崇城大学「ものづくり創造センター」にて

保育園児が走り回る高校

保育園児が走り回る高校 ~ 保育園の遠足  

 先週火曜日の秋晴れの一日、本校のグラウンドを保育園児が嬉々として走り回る光景が見られました。本校と同じ多良木町にある光台寺保育園の園児さんたち40人が秋の遠足で来校されました。園児にとって、本校の一周300mの陸上グラウンドはまことに広く感じると思います。20人ずつ分かれ、半周の150mを全力で駆ける姿には思わず笑みがこぼれます。

 光台寺保育園と本校との関係は深いものがあります。春と秋の遠足での来校をはじめ、園外へのお散歩の途中によく本校を訪問してくれます。また、園児たちの工作の作品等を保育士さんたちが定期的に持参され、本校の玄関に飾り付けていただいています。来校者の方々が、「可愛い作品ですね。あれ、保育園児さんのですか?」と驚かれます。本校からも、福祉教養コースの生徒が保育実習で訪ね、また2年生の職場体験(インターンシップ)を園側に受け入れていただいています。このような相互の交流が日常的に行われているため、本校生も自然に園児たちを迎えて接しています。

 陸上グラウンドを走り回って空腹を覚えた園児たちは、直射日光を避けて第2体育館1階のピロティエリアで弁当を開きました。休み時間で出てきた多良木高校生は目を細め、笑顔で園児たちと触れ合っています。保育実習で光台寺保育園に行った生徒は、「お姉さんのことを覚えている?」と優しい表情で尋ねています。高校生にとって10歳以上も離れた幼児と接することは特別な時間となるでしょう。

 中高連携の重要性が説かれて久しくなりますが、多良木高校は、本の読み聞かせや学習支援で町内の小学校と密な交流を行うと共に、このように保育園とも触れ合う機会を大切にしています。

 多良木高校は学校をオープンにしています。保育園児が日常的に遊びに来る高等学校であることを誇りに思います。


 

図書室へようこそ

ようこそ図書室へ ~ 朝読書が始まります  

 多良木高校本館2階の図書室の入り口に、先日、思索する宮沢賢治の立ち姿のシルエットポスターが飾られました。司書の松本さんの力作です。松本さんは、専門の司書職以外に音楽、美術にも造詣が深く、その豊かな創造力を発揮して、紙型を切り抜き一気に宮沢賢治のシルエットを創り上げました。また、その脇には図書委員が作成した宮沢賢治の年表と代表作の説明が添えられています。これで図書室入り口がとても魅力的になり、生徒の皆さんが、自ずと入ってみたくなったのではないでしょうか。

 本校では、年々、生徒への図書貸し出し数が増えており、昨年度は生徒一人当たり年間14.4冊でした。県内の高校生の平均がおよそ10冊程度といいますから、平均を超えていることになります。今年はさらにその貸し出し数を増やすために、司書の松本さんが図書室内のレイアウトに工夫し、居心地の良い空間づくりに努めています。

 読書をしなければと身構えることはありません。今の自分にとって難しいと思えるものを無理して読む必要もありません。「ためになって面白い」のが本来の読書だと思います。自分の興味、関心のある本を手に取ってみましょう。もし、そのような本がなければ、司書の先生に相談してみてください。必ず出会いがあります。デジタル世代の高校生こそ、じっくりと本に向き合って、一人の時間を過ごすことが大切だと私は思っています。

 一人でいても好きな本を読んでいる時は、決して孤独ではありません。一人でいても豊かな時間があるのです。いつも友達とLINEで連絡を取り合っている人には、一人で本を読む時間は逆に新鮮ではないでしょうか。

 昨年度、ある図書委員の女子生徒がお薦めの本として『忍ぶ川』(三浦哲郎著)を挙げていたのには驚きました。昭和45年に発表され、同年の芥川賞受賞作です。今では古典作品と云ってよい、清らかな純愛物語ですが、平成の高校生にとっても魅力ある小説なのです。いつの時代も高校生の感受性は鋭敏でみずみずしいと私は思います。

 10月24日(月)から2週間の朝読書が始まります。「みんなでやる、毎日やる、好きな本でよい、ただ読むだけ」をモットーに朝8時30分から15分間行います。
 皆さん、気軽に図書室へ足を運びましょう。



朗読劇「銀河鉄道の夜」

朗読劇「銀河鉄道の夜」  

 朗読活動家の矢部絹子さんのご指導を受けた生徒有志による朗読劇「銀河鉄道の夜」(原作:宮沢賢治)の発表会を10月8日(土)に第1体育館にて行いました。矢部さんがナレーターを務められ、多良木町出身のプロピアニストの牧光輝さんがピアノ演奏をしてくださるなど、プロの方々に支えていただき、生徒有志6人がそれぞれ登場人物の役を務めました。

 振り返れば、7月下旬の夏休みから練習を始めましたが、最初は抑揚を付けることもできない棒読みで、感情を込めて表現する朗読の難しさを生徒たちは痛感したようでした。何度も繰り返し、それでも表現力がなかなか伸びず、目に涙を浮かべる生徒もいました。けれども、矢部さんの教育的情熱に基づくご指導が続きました。
 矢部さんは熊本市から鹿児島本線、肥薩線、そしてくま川鉄道と乗り継がれて、8月後半以降は毎週のように土曜日に来校され、多良木町に宿泊されて翌日もご指導に当たられました。その熱意、献身的姿勢に生徒たちは励まされ、次第に変化していきました。初めは戸惑い、そして朗読の難しさで不安に陥っていた生徒たちが、最終段階では進んでやりたいという意欲を見せるようになりました。

 学校で疎外感を覚えていた孤独な少年ジョバンニ。彼の唯一の友であるカンパネルラと一緒に不思議な銀河鉄道の旅に出て、みんなのために自分の体を燃やし続け空の目印になっているサソリや船の遭難事故で亡くなり天上へ向かう人々等と出会います。そして、「きっとみんなの本当の幸福(さいわい)を探しに行く。僕たちいっしょに進んでいこう。」とカンパネルラに呼び掛けます。しかし、旅の最後にカンパネルラは車内から忽然と消えるのです。ジョバンニは悲嘆にくれながらも、カンパネルラが人の幸せのために旅立ったことを悟ります。「みんながカンパネルラだ」という考え方に、ジョバンニはたどりつくのです。唯一無二の友達という考えから、出会う人すべてが友達になりえるという考えに転換できる可能性が示されます。

 
 生徒有志6人は役になりきり、感情を込めて朗読しました。かれらが創り上げた、永遠の友情をテーマとした「銀河鉄道の夜」の世界は多良木高校生の胸を大いに揺さぶったと思います。


 

 

 


全校合唱「群青」

全校合唱「群青」  

   「ああ、あの町で生まれて 君と出会い 

    たくさんの思い抱いて  一緒に時間(とき)を過ごしたね」

 合唱曲「群青」は、福島県南相馬市立の小高(おだか)中学校で2013年に生まれました。その2年前、東日本大震災で同校は被災し、津波で犠牲者が出ました。さらに福島第一原発事故によって校区が警戒区域に指定されたため、学校あげて避難することになりました。生徒たちは全国に散り散りとなり、大震災の時におよそ100人在籍していた1年生が2年次に進級した時には10人以下に減少しました。少なくなった生徒たちと共に、音楽教諭の小田先生が卒業の歌として創られたのです。

   「またねと手を振るけど 明日も会えるのかな

    遠ざかる君の笑顔   今でも忘れない」

 この「群青」を全校合唱しましょう、と本校の音楽担当の石尾先生が提案され、先日、体育館にて全員で歌いました。多良木高校全校生徒およそ200人が気持ちを込めて歌いました。男子の力強い声、女子の優しい声が調和して、体育館に響き渡り、全員の気持ちが大きく一体となったようなハーモニーを創り上げました。聴く私たち教職員の胸に熱くこみ上げてくるものがありました。歌詞の「あたりまえが 幸せと知った」というフレーズには重みがあります。

 指揮をされる石尾先生の頬には涙が伝い、最後に生徒たちに「多良木高校はあと2年あまりで閉校となるけれども、その後もみんなで会いましょう。」と涙声で呼び掛けられました。

   「きっと また会おう あの町で会おう

    僕らの約束は 消えはしない 群青の絆」

 

  『群青』福島県南相馬市立小高中学校 平成24年度卒業生 構成 小田美樹


 

野球部の二人のコーチ

野球部の二人のコーチ ~ 多良木高校野球部を支える地元の力  

 「多良木高校野球部の試合を見ていると、つい笑顔になり、やがて涙が出てくる」とある高校野球ファンが私に語られました。超高校級の選手は一人もいませんが、心の底から野球が好きという少年たちがひたむきにボールを追いかけ、いつもハラハラ、ドキドキさせる試合を展開します。残り2年で閉校の定めで、今の1年生が多良木高校の歴史のアンカーを務め、次年度以降に新しい部員は入ってきません。しかし、そのような寂しさを感じさせない明るい笑顔と大きな声を出す野球部員の姿は応援する人の胸を打つのでしょう。

 多良木高校野球部は本当に地域の力に支えられています。監督は、元多良木高校長で現在は多良木町教育委員会にお勤めの斎藤健二郎先生。67歳という現役の高校野球監督としては県内最年長の百戦錬磨の名将です。そして、この監督を支えるのが、馬場さんと尾方さんの二人のコーチです。馬場さんは50代前半、尾方さんは40代後半の年齢で、お二人とも多良木高校野球部OBであり、それぞれ地元で自営業をなさっておられます。

 お二人のコーチはほぼ毎日お仕事の合間を縫ってグラウンドに来られ、生徒たちを指導されます。学校から指導手当ても出すことができていないのですが、お二人は「後輩のために好きな野球を教えられるだから、こんな楽しいことはない」と言われます。長年、多良木高校野球部に関わっていらっしゃるため、多良木高校生の特徴や癖をよく知っておられ、一人ひとりに応じたきめ細かな指導をされます。

 馬場コーチは、豊かなユーモアのセンスで生徒たちの意欲を引き出される一方、地道なトレーニングを徹底されます。尾方コーチは、多良木高校時代、後にプロ野球で活躍した野田投手とバッテリーを組んだ方で、ノックが実に巧みで緊張感ある質の高い練習時間を創り上げられます。お二人は斎藤監督の野球の教え子でもあり、三人の息はぴったり合います。この他、近年の野球部OBの方が入れ替わりコーチの手伝いに来られ、まさに地元に支えられています。

 今日も放課後にはお二人の姿が野球場に見えることでしょう。そして、お二人の叱咤激励に対し、野球部員が懸命に応える熱い練習が繰り広げられます。


 


野球部を応援する謎の青年

野球部を応援する謎の青年 ~ なぜ多良木高校野球部を応援するのか 

 多良木高校野球部の試合会場で、その青年に気付いたのは昨年の春でした。野球部の試合の応援に行くと、スタンドでよく見かけるのです。多良木高校の応援団の近くの席に居る方なので、最初は卒業生だと思っていましたが、野球部の保護者の方たちによると、「卒業生ではない、多良木町や球磨郡出身でもない」、しかし「多良木高校野球部を応援したい大学生」とのことでした。 

 名前はTさんと云い、県北にある大学に在籍していて、とにかく多良木高校野球部を応援したい一心で熊本市の藤崎台球場、八代球場と駆けつけてくれる奇特な方で、次第に、この学生さんのことは野球部員や保護者の方、そして応援に来られる多良木町民の間で知られるようになりました。今年度に入ると、多良木高校野球部応援隊のシャツを着て、Tさんは野球部保護者の応援の輪に入って声援を送り、共に喜び、悔しがり、多良木高校野球部の応援席にはなくてはならない存在になりました。私も球場スタンドで会うたび、笑顔で挨拶を交わすようになりました。

 さて、今、秋の熊本県高校野球選手権大会の開催中です。去る9月25日(日)、県営八代球場で多良木高校野球部は水俣高校と2回戦を戦い、9対2で勝利しました。この試合でも、Tさんはスタンドに来て、私たちと一緒になって熱烈な応援をしてくれました。試合後、Tさんが私に、なぜ多良木高校野球部を応援するのかという理由を語られたのです。Tさんは旧蘇陽町(現山都町)出身で、熊本県立蘇陽高校の卒業生でした。蘇陽高校は生徒数の減少に伴い、「県立高等学校再編整備等基本計画」により、平成24年3月末日をもって61年の歴史に幕を閉じました。この最後の学年19人の一人がTさんでした。母校が閉校となる寂しさ、口惜しさを体験したTさんにとって、同じ定めの多良木高校野球部を心から応援したいとのことでした。「僕もこの秋は就職活動をしなければなりません。神戸で就職するつもりですので、甲子園で待っています。」とTさんが言われました。

 閉校まであと2年ですが、多良木高校野球部はTさんの思いも受けて夢の甲子園出場に向けて果敢に進んでいきたいと思います。


                                        
                         県営八代球場

 


 

3年生よ狭き門より入れ ~ 3年生進路激励会

3年生よ、狭き門から入れ ~ 3年生進路激励会

 高等学校卒業予定者の就職試験が9月16日(金)から始まります。今年度の3年生64人のうち29人が就職を目指しています。進学希望者についても、大学のAO入試(自己推薦型入試)が9月中旬から随時始まります。これまで本校で学んできたことの集大成として、進路実現の時を迎えます。就職試験解禁の一週間前の9月8日(木)の6時間目に3年生全員が視聴覚教室に集合し、進路志望の達成に向けての激励会が行われました。この場で、私は大きく次の三つのことを伝えました。

 一 自分のルーティンを大切にしよう

   試験が近づいたからといって特別なことをするのではなく、確立された
   自分の生活リズムを守り、心身を整えて本番に臨んで欲しいのです。

 二 進路実現へのモチベーションを高めよう

   だんだん試験が近づくと、不安になったり、他人と比較して焦ったりと
   動揺しがちです。しかし、そのような時こそ、志望している企業、学校

   のホームページを閲覧して、半年後はここで働いている、学んでいる
   自
分の姿を思い描き、やるぞという意欲をかき立てて欲しいのです。

 三 量は質を高める

   進路実現に魔法はありません。勉強も面接も日々の繰り返しの中でコ
   ツ
をつかみ、自分のものになっていきます。絶対的な勉強時間や面接
   の練
習時間が最後は支えてくれます。量は質を高めてくれると信じ、
   試験当
日まで地道な努力を続けて欲しいのです。

 今の3学年は近年にないほど出席率が高い学年です。ほとんど欠席する者がいません。多少、体調が思わしくなくても学校に来る生徒達です。即ち、自分の生活のルーティンをしっかりと確立しているのです。これは最大の強みでしょう。きっとそれぞれの狭き門をくぐり、自分の進路を切り拓いていってくれることと期待しています。


                進路激励会で代表生徒による誓いの言葉


 

多良木高等女学校の先輩

多良木高等女学校の先輩 ~ 勤労動員の青春

 昭和20年3月に多良木高等女学校を卒業された大先輩のお二人が、先日、校長室を訪ねてこられました。湯前町在住の東さんと岩木さんで、御年88歳ですが、かくしゃくとして誠にお元気です。東さんは今でも自動車の運転をなさり、軽自動車を自ら運転し岩木さんを乗せて来校されました。戦争中、沖縄から多良木に疎開され、多良木高等女学校で学ばれた方について琉球大学の歴史の先生が調べておられ、依頼を受けた私が高等女学校時代の思い出話を伺いたいとお願いしたのです。

 終戦から71年となり、遙かな歳月の彼方ですが、お二人の記憶は鮮明で、まるで昨日のように高等女学校時代のことを語られました。お二人は小学校を終え、昭和16年4月に多良木高等実科女学校に入学されました。多良木高等実科女学校は裁縫、調理等の家政科を中心とした教育課程で、地域社会における良妻賢母の育成を目指し、4年制、1学年定員は100人でした。昭和18年に実科女学校から高等女学校に名称が変更されました。沖縄から疎開してきた同級生のこともよくおぼえていらっしゃいました。

 そして、お二人にとって最も強く印象に残っていることは4年生になって赴いた勤労動員でした。戦局が悪化し、女子学生が軍需工場で働くことになり、多良木高等女学校の4年生は、昭和19年10月から学校を離れ、熊本市健軍にあった三菱航空機製作所で働いたのです。東さんは航空機部品の組み立て、岩木さんは工作機械の旋盤担当で、全員が「神風」の鉢巻きを締め、防空ずきんを着用しての作業の日々でした。昭和20年になると日本の空をアメリカ軍が支配し、連日のようにB29爆撃機の空襲を受けました。軍需工場は特に標的にされ、爆撃により多くの工場の職員、勤労女学生が命を落としました。

 昭和20年3月、工場の寮において、勤労動員の女学生合同の卒業式が行われました。終戦後も、多良木高等女学校同級生の絆は強く、定期的に同級会や親睦旅行をされてきたそうです。やはり、生死を共にした勤労動員体験がお互いを強く結びつけていたのだろうと語られました。

 戦後の学制改革により高等女学校はなくなり、新制多良木高校も昭和44年に現在の地へ移転しました。その時、高等女学校時代の旧正門も新校舎の野球場入り口に移しました。体験談を語り終えられた東さんと岩木さんは、帰られる際、この旧正門である古い石柱をなでて懐かしがっていらっしゃいました。

                   多良木高等女学校時代の旧正門

宮沢賢治の故郷を訪ねて

宮沢賢治の故郷を訪ねて ~ 岩手県花巻市

 宮沢賢治(18961933)の故郷である岩手県花巻市をお盆休みに訪ねてきました。7月に本校で宮沢賢治文学の朗読会(朗読:矢部絹子さん)を開催し、現在は、10月の文化祭での発表に向けて生徒有志が「銀河鉄道の夜」の朗読劇の練習に取り組んでいます。私自身、もっと宮沢賢治のことを深く知りたいと思い、花巻を訪問したのです。

 5年前に東日本大震災が発生した後、多くの人が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を改めて声に出して読み、心の拠り所にしたと言われます。今年が生誕120年の節目の年ということもあり、新幹線の新花巻駅の近くにある「宮沢賢治記念館」は駐車場が満車になるほど多くの来館者でにぎわっていました。花巻市は人口が約10万人の都市ですが、緑豊かな平野にあり、市街地の東を北上川が流れ、静かで澄んだ空気に包まれています。宮沢賢治は、自分の文学世界の中で、故郷の花巻を基にして理想郷「イーハトーブ」を創り上げています。

 宮沢賢治ゆかりの地を終日かけて巡りましたが、最も印象に残ったのは岩手県立花巻農業高校でした。宮沢賢治は、大正時代に4年余り同校の前身の農学校で教壇に立ち、化学、土壌、肥料等について教えているのです。この教師時代を振り返って次のような断章を残しています。

 「この四ヶ年がわたくしにとってどんな楽しかったか

  わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした

  誓って云うがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」

 宮沢賢治がいかに教師生活を愛していたかわかる言葉です。加えて、教師時代に生徒の愛唱歌を作詞しているのです。この歌は、「花巻農学校精神歌」としても今日も歌い継がれています。この歌詞の一節「マコトノクサノ タネマケリ」の文字額が、花巻農業高校の校舎玄関の上に大きく掲げてありました。

 しかし、宮沢賢治は農学校を辞め、自ら農業を実践する傍ら、在郷の若手農民に農業を教える私塾「羅須地人協会」を営みます。ここで教科書として書かれた「農民芸術概論綱要」の冒頭に、宮沢賢治の思想の到達点を表す次の言葉が記されています。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」


 病に倒れるまで一人で自炊し暮らした「羅須地人協会」の建物が花巻農業高校の敷地に移築されています。木造2階建ての簡素なもので、内部は往時のままに復元されています。玄関脇の黒板には、有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と板書されています。花巻農業高校の生徒達は、この建物のことを「賢治先生の家」と呼んでいます。近くには、帽子、コート姿でうつむき加減に思索にふける宮沢賢治の銅像も立っています。

 花巻農業高校には100年前の賢治先生の精神が息づいていました。


                     岩手県立花巻農業高校にて

            

 

 

2学期始業式(8月25日)

8月25日(木)、2学期始業式での校長挨拶を次に掲げます。

「南米大陸で初めて開かれたリオデジャネイロ夏季オリンピック大会。今週月曜日に17日間の日程を終えて終了しました。皆さんも様々な競技のテレビ中継、あるいは特集番組に見入ったことでしょう。皆さんにとって、最も印象に残った場面、シーンは何でしょうか? 私が最も印象に残ってことを話します。

 それは開会式で参加国が入場する場面で、最後は開催国すなわちブラジルが行進することになっているのですが、最後から2番目に「難民選手団」の10人が入場してきた姿に、目を奪われました。オリンピックは各国の代表として参加し、国別に競う大会です。ところが、今回、オリンピックの歴史で初めて、どこの国にも属さない「難民」としての選手団が認められたのです。10人の選手は、それぞれ中東のシリアやアフリカの南スーダン、コンゴといった、国が内戦状態でスポーツをする環境にはないため、国外に逃れた人達です。彼らは国の代表としてではなく、個人のアスリートとしてオリンピックに参加したのです。平和の祭典と言われるオリンピックに、「難民選手団」として参加しなくてはならない人達がいるということは、あらためて国際平和の難しさを感じました。4年後の東京オリンピックの時には、「難民選手団」が存在しないのか、それとももっと増えているのか、大変気になるところです。4年後に向けて国際社会に与えられた宿題と言ってよいでしょう。

 もう一つ印象に残った事は、大活躍し、金メダルを取った日本選手の多くが、優勝後のインタビューで、コーチへの感謝の気持ちを伝えていたことです。これまで、怪我や不調、スランプなどがあったなか、コーチを信じてきてよかった、支えてくれたコーチに感謝です、というコメントを多くの選手がしていました。オリンピック選手のようなきわめて秀でた運動能力に恵まれた人達でも、いやそういう人達だからこそ、一人でできることは限られている、自分一人ではやっていけないのだということを実感しているのでしょう。
 ちなみに、私たち日本人はコーチという言葉を指導者という意味で使っていますが、英語のコーチ「
Coach」の本来の意味は馬車です。馬が引いて乗客を運ぶあの馬車です。目的地に乗客を迷わずに連れて行く馬車「コーチ」の言葉が、目標に向けて教え励まし、目標達成に導く指導者という意味に変化し今日広く使われるようになったのです。

 生徒の皆さんの右手に、後方に、多良木高校の情熱あるコーチの方がそろっておられます。多良木高校のコーチ陣は皆さんの可能性を引き出し、きっと目標に向かって導いていってくれます。1学期以上に、先生方を頼ってください。多良木高校コーチという馬車に安心して乗ってください。

 結びになりますが、2学期は今日8月25日に始まり12月22日に終業式を迎えますので、およそ4ヶ月の長きにわたります。一日一日を大切にしていきましょう。一日一日の積み重ねで、学力をはじめ様々な力を養い、大きく成長できる学期です。特に3年生は、これからの人生の歩む道を決める大事な学期です。自分の弱さに妥協せず、狭き門から入るという覚悟で取り組んで欲しいと願っています。これで2学期始業式の挨拶とします。」


新ALTの紹介(校長挨拶)

 「新しく赴任されたAssistant Language TeacherJoseph Lanza(ジョセフ ランザ)先生を紹介します。

 ジョセフ先生は、イングランドから来られました。

 ところで、私たち日本人はイギリス、イギリスと言いますが、正式にはイギリスという国名はありません。私たちがイギリスと呼ぶ国は、正しくはUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国のことです。このUnited Kingdom 連合王国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四つの国から構成されます。その中で最も人口が多く、面積も広いのがイングランドです。イングランドは、サッカーのワールドカップには一つの国として出場しますが、オリンピックには単独では出ず、United Kingdom 連合王国として参加します。

 では、「イギリス」という呼び名はどこから生まれたのでしょうか?どうも、「イングランド」という英語が江戸時代にポルトガル語やオランダ語で日本に紹介され、発音変化して、エゲレス、イギリスになったと言われます。そして、United Kingdom 連合王国、この連合王国を私たち日本人は総称してイギリスと呼ぶようになりました。イングランドとUnited Kingdom 連合王国の両国の関係を知っておいてください。 話しが少し脱線しました。
 さて、ジョセフ先生は学生時代から日本語及び日本文化に関心を持ち、秋田県の国際教養大学で6週間、日本語学習の短期留学の御経験もあります。8月3日に熊本に来られ、多良木町久米にある教職員住宅に住み、日本の生活を始められました。この夏休み期間、君たちが使っている英語の教科書等を調べ、英語科の先生と打合せを重ね、教材研究に取り組まれており、皆さんと学習することを楽しみにされています。皆さんの方から、積極的に英語で話しかけ、英会話を楽しんで欲しいと思います。

 では、ジョセフ先生から挨拶してもらいます。」


キャプテンラストの精神で ~ 新チームキャプテンへの期待

キャプテンラストの精神で ~ 新チームのキャプテンへの期待

 夏季休業中も、多良木高校の野球場、グラウンド、体育館等では生徒達の元気の良い声が飛び交い、活気があります。また、恵まれた体育施設を有していることから、多くのチームが練習試合や合同練習に来てくれています。例えば、8月2日から4日にかけ大津高校陸上部が来校し、セミナーハウスを利用して本校陸上部と合同合宿を行いました。8月2日には福岡県内の2つの高校野球チームが来校し、本校を含め3校での練習試合を展開しました。また、8月9日には女子バレーの合同練習試合を本校で主催し、熊本市の第二、東稜の2校をはじめ球磨人吉地域の3校と合わせて5校が来校し、終日、汗を流しました。

 この時期、どの部活動も3年生が退き、1、2年生主体の新チームに移行して夏の練習、合宿等に臨んでいます。新しくキャプテンに任命された生徒が校長室に挨拶に来てくれます。その時に新キャプテンに「キャプテンラストの精神で頼むよ」と語ります。キャプテンとは本来、英語で船長を意味します。船長は、常に船と共に在り、もし船が難破して沈むことになっても乗客や船員を先に降ろし、自分は最後まで船に留まる責務があります。それだけの強い責任感があってこそ船員達もキャプテンに従うのです。従って、部活動においても、練習の後片付けや部室の整理などを下級生部員に任せるのではなく、最後まで自ら責任を持つ姿勢をキャプテンに望むのです。キャプテンが最後までチームと共に在るという姿勢を見せれば、きっと他の部員も協力してくれることと思います。

 新チームのキャプテンとなった生徒たちはみなとても良い表情をしています。急に大人になったかのような強い意志と自覚を感じます。大事な役割を任されたことによって若者は大きく変化します。キャプテンラストの精神で、多良木高校部活動の新チームのキャプテン達は自らの役割を全うしてくれることと期待しています。

大津高校陸上部と合同練習

教えることは学ぶこと ~ 地域未来塾の講師を務める多高生

教えることは学ぶこと ~地域未来塾の講師を務める多高生

 今年度の夏季休暇から、多良木町において地域未来塾(多良木町教育委員会主催)が始まりました。同町の三つの小学校(多良木、黒肥地、久米)の4~6年生に対し、午前中2時間の学習時間を設け、それを断続的に6日間行い、学習の基礎基本を確立させる事業です。他の幾つかの自治体ですでに始まっている「町営学習塾」の多良木版と言えるものですが、最大の特色は、講師役として、小学校の教師や学習支援員に加え、多良木高校生が加わるという点です。

 「高校生に講師役を!」という多良木町教育委員会から御提案があった時、私はとても有り難く思い、即、協力する旨を伝えました。教えるということはとても貴重な体験であり、教えることで多くのことを学ぶことができるからです。本校は、地域に開かれた学校として、これまでも様々な地域貢献に努めてきましたが、高校生による小学生への学習指導という機会はありませんでした。多良木高校生により豊かな体験をさせたい、多くの出番を与えたいとの多良木町教育委員会の温かい御配慮によるものと深く感謝します。

 多良木町地域未来塾は、7月21日(木)、黒肥地小学校から始まり、同小に5人の生徒が赴きました。そして、25日(月)からは多良木小学校でも始まり、同小には6人の生徒が、26日(火)から久米小学校でも始まり、同小にも6人の生徒が参加し、計17人の意欲ある多高生が先生役として活動しています。私も参観に行っていますが、教えることの難しさを実感している生徒の様子が見えます。自分では理解していても、それをいかにわかりやすく言語化して他者に伝えるかは思ったよりも困難な作業なのです。

 「礼儀正しい」、「さわやか」と先生役の多高生の評判はすこぶる良いようです。学校に帰ってきた生徒達に感想を聴くと、皆、異口同音に「教えることは難しい、けれど楽しい」と笑顔で答えてくれます。教えることは学ぶことです。地域未来塾で育つのは小学生だけではありません。


 

               地域未来塾(黒肥地小学校)で教える多高生

あきらめない夏 ~ 7月18日の高校野球逆転勝利

あきらめない夏 ~ 7月18日(月)高校野球2回戦の逆転勝利

 9回表、2点差を追う多良木高校の攻撃もすでにツーアウト、ランナーはいません。7回の攻撃で一度は逆転を果たしたものの8回裏に専大玉名高に再逆転を許し、試合の流れは明らかに劣勢となっていることをスタンドで応援する私たちも感じていました。バッターは7番の梅木君。バットを振り抜くと打球はショート正面へ緩いゴロが転がりました。万事休す、終わったと私は目を瞑りました。ところが、思わぬ歓声が回りから上がります。目を開けると、ファーストベースに頭から滑り込んでいる梅木君の姿と、横一文字に両腕を広げセーフと示している一塁塁審の姿が飛び込んできました。専大玉名の外野手は勝ったと思い内野に向かって駆け寄って来ていました。最後まであきらめない、という梅木君の執念のヘッドスライディングでした。

 ここから流れが再び変わりました。高村君、代打の赤池君がつないで1点差となり、1番の岡本君に打順が回ります。応援の人数で圧倒する多良木高校側のスタンドは総立ちで声を枯らして声援。岡本君のタイムリーヒットで同点となり、大歓声に包まれます。そして、2番の若杉君のセンターオーバーの逆転2塁打が飛び出し、スタンドは興奮の渦です。9回裏は、1年生の古堀君が落ち着いた投球で相手の攻撃を3者凡退で退けて、見事大逆転の勝利を得ました。13対11、壮絶な打撃戦を制したのです。
 勝利の校歌をグラウンドの選手とスタンドの応援団とで一緒に歌いながら、私は興奮冷めやらぬ気持ちでした。強豪校相手にも臆することなく果敢にプレーし、土壇場で底力を発揮しての同点、逆転劇に私は生徒の持っている力の大きさに驚嘆しました。9回ツーアウト、ランナー無しの追い詰められた状態からの逆転勝利はドラマ以上に劇的であり、このような試合を見せてくれた選手達に心から感謝したいと思います。

 7月18日(月)海の記念日、県営八代球場で多良木高校が逆転勝利をおさめた日に熊本県の梅雨明けが宣告されました。多良木高校野球部の「あきらめない夏」は続きます。