校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝!

1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝! 

 熊本県の県南地域の高校24校が参加して行われた第49回城南地区高校野球大会で多良木高校が優勝を飾りました。4年ぶりの快挙です。4年前は、投手の善君(現 東芝)と捕手の中村君(現 法政大)のバッテリーを中心とした強力チームでした。今年度は多良木高校最後の学年であり、3年生のみの選手18人とマネージャー6人の24人という少人数です。しかし、平野主将を中心にお互いが支え合い「多良木の意地と誇り」を合言葉に練習を重ねてきた成果が、この城南大会で表れたのです。優勝までの軌跡は次のとおりです。

 2回戦 秀岳館高校  1 対 0

 3回戦 八代高校   3 対 2(延長10回)

 準決勝 小川工業高校 1 対 0

 決 勝 八代東高校  2 対 1

 全ての試合が1点差という接戦の連続でした。実力伯仲でまさに勝負は時の運、紙一重の互角の戦いで、どちらが勝ってもおかしくない好試合ばかりでした。多良木高校は一人がミスをしても他の者がカバーして失点を防ぎ、少ないチャンスを生かすという高校野球の基本のような試合を展開しました。接戦になればなるほど百戦錬磨の名将である齋藤監督の采配が冴えわたりました。

 4月29日(日)、県営八代球場で行われた決勝戦は左腕の宮本君が7回まで1失点の好投、そして8回からエース古堀君が登板、8回裏に逆転して1点差の勝利でした。今大会を象徴する「守って勝つ」試合でした。1点差という緊迫した連戦を勝ち抜いた選手の精神力を称えたいと思います。

 僅か1点差。しかし、そこに勝敗の明暗が分かれます。毎試合、大勢の応援が多良木高校側のスタンドを埋めました。保護者、同窓生、地域の方々の熱烈な応援の力が、グラウンドの選手の可能性を最大限に引き出してくれたのだと思います。


 

 

 


最後の五高校体育大会 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

最後の「五高校体育大会」 ~ 人吉球磨地区合同体育大会

 4月27日(金)、爽やかな快晴のもと、人吉球磨地区合同体育大会が開催されました。これは、この地区の五つの高等学校(人吉、球磨工業、球磨中央・球磨商業、南稜、多良木)の体育系部活動の対抗試合であり、会場は各高校をはじめ人吉市スポーツパレス、山江体育館等で行われます。多良木高校では、陸上競技とバレーボールが開催されました。本校が今年度で閉校するため、来年度からは通称の「五高校大会」ではなくなります。本校のグラウンドで行った開会式における校長挨拶を次に掲げます。

 「平成30年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。

春の季語に『山笑う』という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。

 皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。多良木高校は平成31年3月をもって閉校します。遠く大正11年創立以来、綿々と引き継がれてきたバトンが、最終走者である今年度の3年生に渡されました。この67人のアンカーが多良木高校のゴールに向かって、今、走っています。最終年度の本校のテーマは『ゴールに向かって、挑戦!』です。高校生には『挑戦』という言葉がよく似合うと思います。

 多良木高校で行われる最後の人吉球磨地区合同体育大会です。親しまれてきた『五高校大会』という通称も来年度から使われることはありません。時の流れと共に人も風景も変わっていきます。しかし、今日、この多良木高校で、勝利に向かって、記録に向かって挑戦する皆さんの姿は、いつまでもお互いの心の中に残ることでしょう。

 今日の大会が、参加した全ての生徒の皆さんの記憶に永くとどまることを念じ、開会の挨拶といたします。」


 



15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる

 「IT用語は全くわかりません。基礎から学びたい。」、「パソコン初心者です。もっと上達したい。」など15人の方がそれぞれ受講の動機を語られました。皆さん学ぶ意欲に満ち溢れておられます。4月25日(水)午前、科目「情報処理」の社会人聴講開講式を本校で行いました。これから1年間、水曜日の2限・3限の授業において、3年2組の文系1コースの生徒18人と一緒に科目「情報処理」を学習されます。

 「地域に開かれた学校」の理念のもと、今年度も科目「情報処理」の社会人聴講生を募集したところ、これまでで最多の15人の応募がありました。急速な社会のIT化に伴うコンピュータへの関心の高まりに加え、多良木高校の最終年度であるという状況も要因でしょう。受講者の中には、ご自身が、または子どもさんが本校卒業生である方が3分の2ほどいらっしゃいました。

 社会人聴講生の方の多くは中高年世代であり、物心ついた時にはすでにインターネット環境の生活であったデジタル世代の高校生とは著しい差異があります。しかし、例年、社会人聴講生の方々の存在は生徒に大きな影響を及ぼしています。先ず、その学びの姿勢です。教師の説明を一言も聞き漏らすまいと熱心に聴講され、コンピュータ操作に没頭される姿は生徒の刺激になります。そして、コンピュータ操作に関しては生徒が社会人聴講生の方を教える場面が多く見られるのですが、教えることで自分の知識不足やあいまいな点がはっきりするようで、まさに「教えるは学ぶの半ば」を生徒は体験しています。

 多良木高校は最後まで挑戦しようと「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを生徒に始業式で呼びかけました。年齢を重ねていても新たな学びの挑戦をされる15人の社会人聴講生の姿から生徒たちは大切なことを学ぶことでしょう。67人の3年生だけが在籍する閉校の年度に、15人の人生経験豊富な社会人聴講生の方に加わっていただき、学校はさらに活気が生まれます。

 聴講生の皆さん、1年間、共に学んでいきましょう。そして、生徒との交流を楽しんでください。


 


「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

 4月14日(土)、和水町体育館で県女子バレーボール選手権大会が開催され、多良木高校女子バレー部を応援に行きました。上天草高校相手に一点を取り合う白熱した試合となり声援にも力が入りましたが、惜しくも敗れました。選手6人というぎりぎりの人数での健闘に私は熱い思いに満たされ会場を後にし、同町の「金栗四三(かなぐりしそう)の生家跡」を訪ねてみました。

 和水町は2006年(平成18年)に三加和町と菊水町が合併してできました。体育館を出て菊池川を越え北に向かい、旧三加和町の中林という地区に金栗四三の生家跡が残っています。今では住む人もなく老朽化した家屋ですが、隣接して「体力 気力 努力」の文字が刻まれた石碑と説明版が立っています。 

 日本マラソン界の父と称えられる金栗四三は、この地で1891年(明治24年)に生まれました。旧制玉名中学校(現玉名高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)で学び、1911年(明治44年)の第5回オリンピックのストックホルム大会にマラソン選手として出場し、日本人最初のオリンピック選手の栄誉に輝いています。その後もマラソンで二度のオリンピック出場を果たすと共に、陸上長距離界の指導者として箱根駅伝の創設に関わるなどの足跡を残しました。後半生は熊本県に帰り、1983年(昭和58年)に玉名市で亡くなりました。

 今、金栗四三が脚光を浴びています。来年度のNHK大河ドラマの主人公に決まり、すでにその撮影がスタートしています。生家跡周辺には幟端が立ち並んでいましたが、当日は小雨が降っていたこともあり、見学者は私一人でした。里山に囲まれた静かな集落で、金栗四三が生まれ育った明治時代半ばと風景があまり変わっていないのではないかと思えます。金栗四三の座右の銘である「体力 気力 努力」の力強い言葉を目にし、約130年前にこの地から一人の韋駄天が走り出したことを思うと胸に迫るものがあります。

 なお、あまり知られていませんが、金栗四三は東京高等師範学校を卒業後、地理の教師として働きながらマラソン選手として活躍しています。体育ではなく地理の教師だったのです。海外のオリンピック大会に出場することは、地理の教師として世界を実際に見る絶好の機会だったことでしょう。


 


             金栗四三の「体力 気力 努力」の石碑と生家跡

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践

 多良木高校にとって最終年度が始まりました。平成30年4月9日(月)の1学期始業式には本校のアンカー(最終走者)となる3年生67人が全員出席。「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを掲げて本校は動き出しました。そして午後、NPO法人「カタリバ」によるキャリア学習活動プログラムの「カタリ場」を3年生全員が第1体育館で実践しました。

 「カタリバ」は2001年から全国的に活動している教育NPO法人です。特に中、高校生に対して、教師や保護者の縦(タテ)の関係でなく、同級生や友人の横(ヨコ)の関係でもない、少し年上の大学生という斜めの関係の対話を通したプログラムで、進路意識に火を点す「カタリ場」という学習活動を展開していることで知られています。まだ本県では実践例は少ないのですが、私はかねてからこのプログラムに関心を持ち、カタリバ熊本支部の方との協議や昨年9月に実施された益城中学校での「カタリ場」の見学を通し、先輩も後輩もいない最終学年の始業式の日に狙いを定め、実施することにしたのです。

 今回は、北九州のカタリバが主体となり、熊本、大分からも大学生が集まり総勢27人のスタッフが前日には来校され、本校のセミナーハウスで合宿し事前研修をされました。そして、4月9日(月)午後1時にプログラム開始。第1体育館で生徒たち2人~3人にスタッフ1人が付かれ、「今の自分の生活の満足度」、「今頑張っていること、挑戦していること」、そして自分の「良いところ、もっと伸ばしたいところ」等を語り合いました。さらにグループに分かれ、「先輩の話を聴く」コーナーへ移動します。中学の時にいじめられた、高校では目標がなく無気力だった等、大学生が自らを率直に語る体験談に真剣に聴き入っていました。

 約2時間、「カタリ場」において、自分自身のこと、そして将来のことを真剣に生徒たちは語り合うことができました。「カタリバ」スタッフの方々の周到な準備と熱意が生徒の気持ちを引き出してくれたのです。プログラム終了後、体育館を退場する生徒たちの表情は何かすっきりしていて、輝いていました。「3年生になったなあ」と私は感じました。これからの成長が楽しみです。

           

  
              「カタリ場」で大学生と語り合う3年生

 

 

Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし

ever ending challenge ~ 挑戦に終わりなし


 熊本県立多良木高等学校にとって最後の年度が始まりました。平成31年3月をもって本校は96年の歴史を閉じます。遠く大正11年の創立以来、引き継がれてきたバトンが最終走者(アンカー)の3年生67人に渡されました。

 このアンカーを走る生徒たちは、閉校するとわかっていながら、「それでも多良木高校に行く」と2年前に入学してきてくれました。彼らの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」を行い、「多良木高校でしかできない特別な体験」を通して充実した高校生活を送ることができるよう、教職員一同、使命感をもって取り組んでいきたいと思います。

 「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを年度当初に掲げました。多良木高校は、生徒も教職員も最後まで挑戦する姿勢で臨みます。閉校という重い定めに対して、同窓生や地域の方々には無念の思いや失意、そして喪失感が渦巻いていることでしょう。学校の歴史には終止符が打たれます。
 しかし、この最後の学年の生徒たちには無限の未来が待っています。多良木高校閉校の1か月後には元号が変わります。平成に代わる新しい時代において、アンカーの生徒たちは間違いなく主人公になっていくのです。彼らの挑戦はゴール(閉校)を越え、その先の未来まで続いていきます。
ever ending challenge(挑戦に終わりなし)です。

 最後の年度、県立学校教職員22人、PTA団体任用職員1人、同窓会委託売店職員1人の計24人で、67人の生徒を支援します。これまで応援してきてくださった地域の皆様への感謝を胸に、生徒と教職員が一体となって全力疾走していきたいと思います。

 最終年度において、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

 




「くま川鉄道」に乗ろう

 

「くま川鉄道」に乗ろう 


 今、「くま川鉄道」の沿線は春爛漫です。散り始めた桜と目に眩しい黄色の菜の花が車窓を彩ります。「くま川鉄道」は球磨川に沿って、ゆっくりした速度で落ち着いた感じで走ります。春のローカル列車は趣があると思います。

 「くま川鉄道」は人吉・球磨地域にはなくてはならない公共交通です。JR肥薩線と人吉駅で接続しており、人吉温泉駅から人吉盆地の東端にあたる湯前駅(湯前町)まで約25㎞を結んでいます。平成元年から人吉球磨地域の市町村と民間会社の出資による第3セクター方式で運営されていますが、もともとは旧国鉄の湯前線で、大正13年に開通した歴史があります。乗客の8割は通学する高校生だと云われ、本校の生徒の内、およそ4分の1が列車通学です。この人吉・球磨地域にある五つの県立高校はいずれも「くま川鉄道」の駅から徒歩10分以内に位置しており、安定した鉄道運行が通学に大きな役割を果たしていることを私は赴任以来実感しています。

 普段は自動車に頼っている生活ですが、人吉市での会合や県立学校での会議の際には私も努めて「くま川鉄道」に乗るようにします。乗車する度に発見があり、情趣を覚えます。例えば、「くま川鉄道」の線路はほぼ一直線となっています。球磨川に沿って人吉盆地を西から東へ伸びた路線であり、気持ちが良いほど真っ直ぐな線路が続いています。また、「田園シンフォニー」と呼ばれる観光列車の車両が通勤通学時間帯にも運行しており、木材を使用した温かみのある車内で寛ぐことができます。「観光列車で通学できるなんて、君たちは幸せだよ。」と列車通学生にはよく話をします。また、歴史ある路線で、古い駅舎、鉄橋等が幾つも残っています。特に、湯前駅は大正13年の開業以来、変わらぬ佇まいを見せています。

 学校を支えてくれている大事なインフラ(社会基盤の施設)であると共に、「くま川鉄道」には物語があり、この人吉球磨地域には欠かせない豊かな風景の一部となっているのです。大人の皆さんも時には「くま川鉄道」に乗車し、心地よい揺れに身をまかせ、故郷の四季の情景に浸ってほしいと願います。
     
               
          まっすぐに伸びる線路(多良木駅付近から湯前方面)


湯前駅駅舎(大正13年築造)
 

 


 


「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式

       「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式 

 桜満開の3月28日(水)、多良木高校では教職員の転退任式を行いました。平成30年度熊本県教職員人事異動に伴い、本校から3人の教諭が転任、そして3人の常勤講師が今月で本校を退任して4月から新たな学校で勤務することになりました。人事異動は私たち県立学校に勤める職員にとっては定めです。生徒と共に感謝と惜別の思いで見送ります。

 転退任の6人の職員の皆さんに、私はJR肥薩線「真幸駅」の入場券を贈りました。JR肥薩線の人吉駅から鹿児島県吉松駅までの通称「山線」と呼ばれる区間は、県境の険しい山岳地帯を越えるため今や全国でも珍しい回りながら山を登るループ線や急勾配を折り返しながら登るスイッチバックが残り、明治の終わりころの古い駅舎が今もその佇まいを見せ、鉄道ファンにとっては聖地のようなところです。

 人吉駅を出発すると、大畑駅、次に矢岳駅、ここまでが熊本県で、宮崎県に入って真幸(まさき)駅に到着します。明治44年築造の宮崎県で最も古い駅舎が山の中にあります。真の幸せと書いて真幸と読みます。駅名にちなんで、幸せの鐘がホームにあります。ここの入場券は、「真の幸せに入れる」ということで人気があります。周りに集落のない無人駅ですが、観光列車が止まる時には客室乗務員等が対応されて入場券を購入できるのです。
 この3月でJRの列車の本数がさらに削減され、人吉から吉松方面へ行く列車は観光列車を含め一日に3本しかありません。先週の土曜日に人吉駅午前10時8分発の観光列車「いさぶろう号」に乗り、真幸駅に行ってきました。入場券一枚たった160円ですが、肥薩線に乗って求めてきたという私の思いを込め、転退任の皆さんに贈りました。

 送別の歌として名高い「蛍の光」の歌詞の1番の最後に「さきくとばかりうとうなり」とあります。「どうかお幸せにと願い 歌います」という意味でしょう。6人の職員の皆さんには、真の幸せの「真幸駅」の切符を手に、次の学校に向かって元気に旅立ってほしいと願います。


「ちはやふる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ

「ちはやぶる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ 

 「ちはやぶる かみよもきかず たつたかわ」の上の句が読まれ始めたとたん、 即座に「からくれないに みずくくるとは」の下の句を生徒たちは取り合いました。さすがに高校生はこの在原業平の歌には敏感に反応します。「ちはやふる」という少女漫画(コミック)が人気となり多くの若者に読まれ、映画化もされて話題となっています。百人一首による競技カルタに打ち込む高校生の青春ドラマが描かれているそうです。

 3月20日(月)、生徒会による企画で、多良木高校としては初の試みとなる百人一首のクラスマッチを行いました。現在、本校は2年生の2クラス67人が在籍ですが、クラスごと9チームをつくり、各試合に3人が出場、他に1~2人が審判役を務め、9試合同時展開の全員参加型の競技カルタに興じました。

 競技カルタに取り組んでいる百人一首クラブや同好会がある高校は県内で公私立合わせ10校ほどあると思います。県高校総合文化祭で競い合い、全国高校総合文化祭の全国大会に出場します。文化部ですが、競技はまるでスポーツの試合のような気迫と緊張感が漂います。

 しかし、本校の生徒の場合、「ちはやぶる~」のように覚えている歌は少ないようで、お手つきも多く下の句の札をなかなか取ることができず、笑いや歓声の絶えないクラスマッチとなりました。1組と2組とそれぞれクラスはありますが、67人全員がひとつの大きなクラスのようなものであると感じた、今日のクラスマッチでした。

 「百人一首」は今から800年前の鎌倉時代初期に藤原定家が編纂しました。7世紀の白鳳文化、8世紀の奈良時代、そしてその後の平安時代から合計100人の優れた歌人の代表的な歌一首を選び時代順に並べたのです。1番は天智天皇、2番は持統女帝、3番は柿本人麻呂と続きます。天智天皇や持統女帝などは7世紀、600年代の半ばの人です。21世紀初頭を生きている私たちは、およそ1400年前の歌に親しんでいることを考えると、言葉の永遠性に気付かされます。


 


「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力

「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力


 ◇ 「夢は必ず叶う。諦めなければ。」

 ◇ 「絶対に失敗しない人というのは何も挑戦しない人のこと。」

 ◇ 「ピラミッドは頂上から作れない」

 ◇ 「チャンスはピンチの顔をしてやってくる。」

 ◇ 「私の夢は○○○です。」から「私の目標は○○○です。」へ


 これらの言葉は、3月14日(水)に多良木高校で行われた進路講演会で、ボンボ藤井さんが生徒に熱く語りかけられたものです。ボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは心を大いに揺さぶられました。

 ボンボ藤井さんはウクレレ奏者・指導者、ラジオ放送のDJ、テレビCM制作などのサウンドクリエーターとして県内外で活躍されている方です。経歴は異色で、工業高校で学ばれ自動車会社に就職、その後、自動車修理工場を経営されていたのですが、大怪我を転機に「音楽に関わる仕事をしたい」という少年の頃からの夢を実現されたのです。

 「あなたの夢は?」というテーマのもと、ウクレレの演奏、CM作品(動画)の紹介、そしてアシスタントの木下もえさんと共にラジオのDJ形式で生徒と対話するように進行され、90分が瞬く間に過ぎたような感じでした。軽妙な語りで聴く者を引き付けながら、時に情熱をもって語られるボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは魅了されたようです。また、使ってはいけない言葉として、「うざい」、「きもい」、「意味わからん」等の具体例をあげられ、これらの言葉は何より他者が聴いて不愉快であり、決して前向きになれないものだと生徒たちを厳しく戒められました。

 将来に向かっての生徒の進路意欲に火を点けてくださった講演は、次の言葉で締めくくられました。

 「さ、次!」

 常に前向きに挑戦を続けるボンボ藤井さんの姿勢を象徴する言葉です。

 

 


 

「みんなで見たい景色がある。」

「みんなで見たい景色がある。」

100回全国高校野球選手権大会キャッチフレーズコンクール 

 
 今年の夏、甲子園球場で開催される全国高校野球選手権大会は節目の第100回を数えます。1915年(大正3年)に全国中等学校優勝野球大会として始まり、途中、戦争での中断を経て100回大会となります。このことを記念してキャッチフレーズコンクールを主催の朝日新聞社が全国の高校生に呼び掛けられました。本校では2学期の国語科「現代文」の授業において、生徒達がそれぞれキャッチフレーズを作り、応募しました。先般、その選考結果が発表され、応募総数11565点の中から100点の優秀賞が選ばれ、本校生2人の作品が入ったのです。

 
 「みんなで見たい景色がある。」

 2年2組の嶋村一馬君の作品です。嶋村君は野球部員で、甲子園出場を目指して日々厳しい練習に励んでいます。夢の甲子園球場のグラウンドに立ち、どんな景色が見えるのかを想像しながら創り上げたそうです。

 
 「歴史をつなぐ100回目の夏」

 2年1組の荒川岬君の作品です。荒川君は陸上部員で短距離の選手です。自らは野球をしていませんが、同じアスリートとして野球部員を応援する気持ちで創ったそうです。多良木高校は96年の歴史で閉校になることから、「歴史をつなぐ」という言葉が思い浮かんだと語っていました。

 
 朝日新聞社熊本総局の西田慎介総局長が3月12日(月)に来校され、2人の生徒に対し、賞状と楯、記念品等を授与して頂きました。

 2018年夏の第100回全国高校野球選手権大会は、来春96年の歴史を閉じる多良木高校にとっては、最後の挑戦の大会となります。みんなで行きたい特別な場所です。


               朝日新聞熊本総局の西田総局長と受賞の二人

 

 

生徒に負けない元気 ~ 教職員サッカー大会

生徒に負けない元気 ~ 教職員サッカー大会出場 

 伸び盛りの活力ある高校生と共に過ごし、教育的情熱をもって教え導いていく役目を担う私たち教職員は、先ず元気でなければなりません。「いつも笑顔で仕事をしてほしい」と職員の皆さんには声を掛けています。教職員が生き生きとしている姿を見せることは、生徒達にきっと良い影響を与えると信じています。

 多良木高校は小規模校ですから教職員も二十余名と少人数ですが、秋の高校教職員ハンドボール大会と冬の高校教職員サッカー大会には毎年出場してきました。今年のサッカーは人数的に難しいかなと思っていましたが、サッカーが専門の体育科の中山教諭が、「今年はミニサッカーですから7人いれば大丈夫です。女性の先生に入ってもらってでも出たいです。」と提案してくれ、学校として出場を決めました。

 3月3日(土)、会場は阿蘇市黒川のフットサル場で県高校教職員サッカー大会が開かれ、多良木高校教職員チームは今年も出場しました。選手は男性職員6人と女性職員2人、そして監督の私の計9人というぎりぎりの人数です。しかし、多良木高校の意地と誇りでは生徒に負けないとの思いで挑戦しました。頼みの中山教諭は制限選手ということでセンターラインより先には攻めることができず守備専念ですので、他の体育科の上原教諭、富﨑教諭に期待が高まります。女性の七田教諭と緒方教諭は交互に出場し、相手ゴール前に張り付いてシュートを狙う作戦を立てました。

 1試合目は先制するも逆転され1対4で敗戦。しかし、多良木高校教職員チームの戦意は却って高まり、2試合目の東海大星翔高校戦は、全員が声を出してよく走り、相手を圧倒し5対0の快勝でした。練習をしていないにも関わらずの大勝に驚くとともに、スポーツの醍醐味を満喫して笑顔で球磨郡に帰ってきました。多良木高校教職員のチームワークによる大きな勝利でした。

 小さくても活気ある学校、多良木高校。その活力の源は教職員のエネルギーなのだと気づきました。


              攻め込む多良木教職員チーム(白いユニホーム)

最後の学年へのバトンリレー

最後の学年へのバトンリレー 

 平成29年度が始まる時、1年生がいない2、3年生在籍の前例なき期間に入るという不安を抱えていました。しかし、学校生活がスタートすると3学年そろっていた昨年度までと変わらない活気が校内にあふれ、例年通りの学校行事を全て実施することができました。さらに、PTAの特別のご配慮により、初夏には阿蘇への防災研修旅行、そして2月には福岡市のキャナルシティ劇場へのミュージカル鑑賞旅行を実現でき、充実した年度だったと思います。これも、3年生がリーダーシップを発揮し2年生をよく引っ張ってくれたお蔭だと考えています。

 2月末に学校評議員さんと3年生の4人の代表生徒との懇談の場を校長室で設けました。多良木町商工会代表、町立中学校長、同窓会役員さんなど5人からなる学校評議員さんから、高校3年間を振り返っての思いやこれからの夢などについて質問があり、生徒達は落ち着いて自分の考えを述べていました。そして、学校評議員さんから「最後に何か言っておきたいことはありませんか?」と尋ねられると、代表生徒たちは口をそろえて「後輩たちが残ります。最後の学年なので、どうか応援をよろしくお願いします。」と言いました。後輩の2年生たちへの気遣いある言葉に胸を打たれました。

 3月1日(木)の多良木高校卒業式において、卒業生代表(前生徒会長)の福田空希君が立派な答辞を述べました。一つひとつの言葉に思いが込められたもので、聴く者を引き込む力がありました。答辞の最後に福田君は次のように述べて結びました。

「後輩の皆さん、私たちは卒業しても多良木ファミリーとして可能な限り学校へ出向き多良木高校を応援します。後輩のみんなは、私たち以上に力があると信じています。」

 遠く大正11年から始まったバトンリレーはこうしてアンカーにしっかりと渡されたのです。

          
           答辞を読む卒業生代表の福田空希君

旅立ちの日に ~ 第70回卒業証書授与式

旅立ちの日に ~ 第70回卒業証書授与式 

 平成30年3月1日(木)、夜半の雨も朝方には上がり薄日も射しはじめる中、午前10時から多良木高校「第70回卒業証書授与式」を挙行しました。

 卒業生67人、一人ひとりの氏名を読み上げながら、手漉き和紙の卒業証書を壇上で手渡しました。笑顔、涙顔、緊張した顔、恥ずかしそうな顔と様々な表情を見つめていると、この三か年を思い起こします。豊かな可能性を秘めた高校生の力を十分に引き出すことができたのか、開花させることができたのかと自問すれば、内心忸怩たる思いになります。もっと多良木高校ならではの教育、今の多良木高校だからこそできる教育が十分にできただろうかと反省の念にかられます。

 しかしながら、前途洋々の若人の姿に接していると、きっとこれから飛躍、成長していってくれるだろうとの希望に包まれます。人生の新しい段階へと進む瞬間の初々しさが、人を輝かせます。

 大人にならないとわからないことがあります。一方、大人になってしまったら、わからなくなることもたくさんあるのです。卒業生の皆さんが今持っている瑞々しい感受性、正義感、理想を失わず、学び続けてください。 

 自分たちで選んだ式歌「旅立ちの日に」の歌声を響かせ、3年生67人は最後の学年にバトンを渡し、多良木高校を卒業していきました。

 「今始まる 希望の道     今日までありがとうね

  思い出の校舎と別れを告げ  今新たな 扉開き

  はるかな年月経て      つぼみから花咲かせよう

  つぼみから花咲かせよう」  

                      (作詞・作曲 川嶋あい) 


 

 


最後の授業 ~ 皆さんは主権者です

最後の授業 ~ 皆さんは主権者です

 3年生は1月末の卒業考査を終えると2月は原則家庭学習期間に入り、自動車学校に通ったり、進学先からの課題の勉強に取り組んだりするのですが、数日は登校日を設け、校外から専門家を招いて「最後の授業」を設けています。税理士さんによる租税教育、八代年金事務所の方による年金の知識、そして2月20日(火)には熊本県選挙管理委員会事務局の担当者の方に来校していただき、「選挙を考えよう」という出前授業を実施していただきました。

 18歳選挙権が導入されて2年がたちました。今の3年生の中には昨年秋の衆議院議員選挙を経験した者もいて、選挙への関心は高いと思います。しかし、主権者になったということは選挙権があることにとどまりません。身近な暮らしの中に疑問を持つことから始まり、地域社会、国、そしてグローバルな問題にまで、広く当事者意識を持つことが求められると思います。3年生のおよそ4割が卒業後は就職します。所得税や住民税等を負担するからには、より社会の中の一員であることを自覚してほしいと期待します。

 わが国は「国民主権」です。自分の一票くらいでは何も変わらないと思うかもしれませんが、18歳の皆さんも、55歳の校長の私も、そして総理大臣も同じく一票しか持ちません。王様や貴族のような特権階級が国や社会の在り方を決めるのではなく、私たち一人一人が選挙を通じて選んだ代表者に委任する間接民主主義、議会制民主主義の国です。議会では異なる意見の持ち主、政党が対立して、その調整には時間がかかります。手続きは面倒に見えるかもしれません。しかし、これまでの歴史の結果、この議会制民主主義を日本は選んでいます。

 自分の一票で社会を、この国をより良くしたいという意志を持ってほしいと願います。誰かヒーローが出現して問題を解決してくれるだろうと待っていても社会は変わりません。未来は皆さん達が創っていくものなのです。


            県選挙管理委員会事務局による選挙出前授業

 

 

保育園児のみなさんからの卒業生へのエール

       育園児のみなさんからの3年生へのエール
 「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」。『星の王子さま』(サン・テグジュペリ作)の有名な冒頭です。保育園児たちの健気な歌、一生懸命のダンスを見ているうちに、ふとこの一節が思い浮かびました。

 2月26日(月)午前、同じ多良木町内にある光台寺保育園の園児たち二十名ほどが多良木高校にやってきてくれました。同園の園児たちのことは、この「校長室からの風」にこれまで何度か登場していますが、日頃から様々な交流があります。先ず、本校の福祉教養コースの生徒にとって保育実習の場所です。そして体育大会の時に交流プログラムで出場してもらっています。また、光台寺保育園側からは、季節ごとの遠足で来校し陸上グラウンドを駆け回ったり、野球場の外野の芝生で遊んだりする場所になっています。さらに、園児たちの工作物を本校の玄関に展示しています。

 今回は、卒業を控えた3年生に対して、日頃練習している歌とピアニカ演奏、そしてダンスを園児たちが披露してくれました。最後に3年生と園児たちが大きな輪を作り、笑顔のダンスとなりました。大人への階段を上る高校3年生にとって、束の間、童心に返ったかのような時間になったと思います。園児たちのけれんみのない芸、無邪気な表情を見ているとまるで癒されたような気持に包まれました。

 中学校や小学校との教育活動の連携だけでなく、多良木高校ほど保育園との濃密な交流をしている高校は県内には他にないと自負できます。3月1日は卒業式です。今、本校の玄関では、光台寺保育園の園児たちと保育士さんたちのお手製のひな飾りが迎えてくれます。

              光台寺保育園児と3年生の交流ダンス

 



多良木高校玄関の園児たちの作品
 

 

課題意識を持とう ~ 県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会

課題意識を持とう ~ 県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会

 2月17日(土)に熊本大学(黒髪キャンパス)において、第8回熊本県高等学校生徒地歴・公民科研究発表大会が開催されました。高校生が地歴・公民科の学習を通して興味、関心を持った課題を設定し、それを調べる研究活動の発表の場です。地歴・公民の学習が知識の習得だけにとどまらず、調べる技能と態度、課題解決に向けて考える力、そして他者に説明する能力など総合的な学力を養って欲しいという教職員の願いから毎年行われています。理科(物理・化学・生物・地学)では早くからこのような研究発表大会が行われていました。遅ればせながら地歴・公民科でも人文科学の視点から調査研究に取り組ませ、根拠のある意見発表をさせたいとの高校の地歴・公民科の教員の思いから本大会が始まり、第1回大会で私は審査委員を務め講評も行いました。

 この大会に3年ぶりに多良木高校から出場するため、私も3年ぶりに会場に足を運びました。本校2年生の男子二人が、「語り継ぐ『平和』のメッセージ ~ 多良木高等女学校同窓生からの聴き取りを通して ~」のタイトルで発表しました。戦争中に女学校生活を送った卒業生の方々の記憶を聴き取り記録し、地方の普通の女学生たちの戦争中の生活を具体的に浮彫にし、改めて同窓生の方たちの平和へのメッセージを集約する内容を落ち着いた態度で発表し、頼もしく思いました。

 また、本校を含めて10校の生徒の13本の発表が行われました。研究活動はまだ粗削りですが、どの発表も高校生らしい若い感性と高い意欲が感じられ、好感を持てるものでした。高森高校の女子生徒による「有害鳥獣の食肉(ジビエ)活用の課題と展望」では、自ら狩猟免許を取得して、課題解決に向けて社会的な行動を起こすに至っています。小国高校のグループ発表では、人口減少の著しい地元の町の課題である空家対策にアイデアを提案しています。これらの課題は現在の日本の地域共通のものです。

 社会の様々な課題について、誰かが解決してくれるだろうと待つのではなく、高校生が当事者意識を持つことが大切です。「よし、この課題を解決していこう」という積極的に社会に関わっていく人材がこの大会から輩出することを願ってやみません。

           


          多良木高校生2人による発表風景(熊本大学)

 


 

城南地区駅伝大会を多良木高校で開催

熊本県高等学校城南地区新人駅伝大会
~ 多良木高校で開催 ~

 2月3日(土)、県高校城南地区新人駅伝大会が多良木高校スタート・ゴールで開催されました。男子63回、女子24回を数える伝統ある駅伝大会で、今回は男子27校、女子19校が参加しました。この城南地区駅伝大会は、八代、天草、球磨と3地区でそれぞれ3年実施の順番で開いており、昨年までは天草市本渡で行われました。今年は6年ぶりに球磨地区に担当が回ってきて、多良木高校をスタート・ゴール、あさぎり町の上総合運動公園、岡原総合運動公園の周辺を回る男子20.3㎞(5区間)、女子16.4㎞(5区間)のコースでの開催となったのです。

 来年度で閉校を迎える多良木高校としては、この城南駅伝大会をぜひ本校で開きたい、そして学校あげて関わりたいと願っていました。その思いに対し、主催者の県高体連、県教育委員会の格別のご配慮があり、本校が会場校となりました。学校としては前日を代休として2月3日(土)を登校日に振り替え、十日前から準備に取り組みました。生徒会では歓迎の手作り木製看板を作成し、正門に飾りました。書道部は、開・閉会式会場の第1体育館に大会名を力強く墨書して掲示しました。二日前には大掃除をして、グラウンド、体育館、トイレ等をすっきりした環境に整えることができました。

 当日、心配された天候も青空が広がり早春の光が射す良好なコンディションで駅伝競走大会を行うことができました。多良木町、あさぎり町の住民の方々が沿道に多数出て声援を送られる中、選手たちは懸命の走りを見せてくれました。本校も陸上部を中心に他の部からの応援を得た「オール多良木」のメンバーで男女とも出場、他の生徒たちも大会運営補助や来賓接待、応援と大会に関わることができました。

 宇土高校が強さを遺憾なく発揮して男女とも優勝し、城南地区新人駅伝大会は幕を閉じました。2年生までしか出場できないため本校にとっては最後の城南地区駅伝大会となりましたが、会場校として終日活気に満ちていた情景を永く記憶にとどめたいと思います。


 


フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

フクシマから学ぶ ~ 修学旅行

 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の目的の一つとして、東日本大震災からやがて7年になる福島県の現状を知ることがありました。初日の午後4時半過ぎに田村郡三春町にある「コミュタン福島」(福島県環境創造センター)を訪問しました。通常の開館は午後5時までなのですが、職員の皆様のご配慮で開館時間を20分延長していただき、見学することができました。

 「コミュタン福島」は初めて訪ねましたが、360度全球型シアターをはじめ想像以上に充実した施設であり、放射線や福島県の環境問題について視覚的、体験的に学習できる内容となっています。職員の方の説明、ガイドも親切でわかりやすく、原子力に依存しない安心、安全な持続可能な社会づくりに向けた取り組みを理解できます。もっと時間をかけて生徒たちに学ばせたい研修施設だと思いました。生徒たちも興味、関心をもって見学する姿が印象的でした。

 また、二本松市岳温泉の「陽日の郷あづま館」に宿泊しましたが、夜、女将さんの鈴木美砂子さんによる震災講話を聴くことができました。地震よりも、津波による東京電力福島原子力発電所の事故による影響がいかに甚大だったかを当時の体験を通して語られました。双葉町、大熊町等からの避難民を旅館で受け入れたこと、放射線への恐怖で従業員の方が辞めて県外へ去っていかれたこと、一時は旅館廃業も覚悟したことなどの鮮烈な体験談を生徒たちも真剣に聴いていました。「東京電力福島原子力発電所の事故は、天災ではなく人災だと私は思っています。」との女将さんの言葉は重く響きました。

 「陽日の郷あづま館」の夕食、朝食は過分な御馳走を頂きました。福島県産のお米は全量全袋を対象に放射性物質検査が行われているとのことで、食の安全について徹底されていることを知りました。福島の米、食材への自信、プライドのようなものを感じる御馳走でした。

 現在でも福島県の環境や食品に関して風評被害があるようです。ネットで根拠のない私見を述べている人はきっと実際に福島を訪ねたことがないのだろうと思います。帰還困難地域を除いて、フクシマでは人々が郷土に愛着をもって健やかに暮らされています。そして、頂いた食事は格別に美味しく感じました。


 

             「コミュタン福島」で見学する生徒たち

「旅行は大変だけど、面白い」~修学旅行

 

「旅行は大変だけど、面白い」 ~ 2年生修学旅行


 1月16日(火)から19日(金)にかけて2年生67人の福島、東京への修学旅行の引率をしてきました。天候にも恵まれ、予定通りの行程で全員元気に帰ってくることができました。これも生徒一人ひとりが自らの健康管理に努めた結果だと思います。最終日、鹿児島空港に降り立ち、午後5時頃に九州自動車道の「えびのSA」で解団式をしました。霧島連山が見える絶景の広場で、まだ修学旅行の興奮冷めやらぬ生徒たちに向かって、「旅行は大変だけど、面白いもんだろう?」と語り掛けると、皆が頷いてくれました。
 初日の東京から福島県二本松市岳温泉までの300㎞余りの距離をバスで約4時間かけての移動。長旅でした。二日目の「あだたらスキー場」では多くの生徒がスキーに悪戦苦闘。午後は強い雪が降り、雪国の厳しさも実感しました。三日目の東京での班別自由研修では様々なアクシデントが起きて戸惑い、混乱したようです。列車を乗り間違う、駅の出口を誤り迷う、路上の執拗なキャッチセールスに恐怖を覚える等。しかし、それぞれの班でトラブルを解決して門限の午後7時半までには全員無事にホテルへ帰ってきました。

 家庭、学校を中心とした日常生活と大きく異なり、旅行は思いもよらぬ出来事に遭遇し、予定通りに進まないことがよくあります。初めての体験、出会いも続きます。長時間の移動で身体的に疲労も蓄積するでしょう。しかし、大変だからこそ、面白いのです。大変な目に遭わないと、真の面白い体験は得られないと云えるのではないでしょうか。昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言われるのは、きっと旅は人を成長させるからだと思います。

 修学旅行期間中、私がこれまで知らなかった生徒たちの一面を知ることが多々ありました。きっとクラスメイトや親友同士であっても、お互い新たな発見があったことでしょう。修学旅行によって2学年全体の絆がさらに強まったように感じます。

 

                                   あだたら高原スキー場(福島県二本松市)