校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

ゴルフ場への感謝状

ゴルフ場への感謝状 ~ 体育コースのゴルフコースラウンド実習 

 

 あさぎり町深田に「熊本クラウンゴルフ倶楽部」があります。本格的チャンピオンコースを有する会員制ゴルフ倶楽部です。ここで1214日(金)に本校体育コースのゴルフラウンド実習を実施しました。実習に先立ち、長年のゴルフ実習に対する同倶楽部のご支援に対し多良木高校から感謝状を贈りました。

 体育コースの3年次2学期の体育の授業でゴルフを行います。学校のグラウンドでボールを打つ練習を繰り返し、その集大成として最後は実際に18ホールのコースを回るラウンド実習に挑みます。整備されたゴルフコースをまわる体験はゴルフの醍醐味を知る貴重な機会となります。本来、ゴルフコースを利用することは料金が発生するものですが、「熊本クラウンゴルフ倶楽部」の格別なご配慮により、無償で生徒たちはラウンド実習をできるのです。同ゴルフ倶楽部が平成6年にオープンして以来、24年間継続してコースラウンド実習を支えていただきました。このことに対して、最後の実習に際し感謝状を贈り、学校として深い謝意をお伝えした次第です。

 「これも私たちゴルフ倶楽部の地域貢献だと思っています。」と櫻井大治郎代表取締役はおっしゃいました。誠に有難い言葉です。3年前校長に就任した時、同倶楽部のご厚意で無償のコースラウンド実習が実現できていることを知った時は大変驚きました。恐らく県内の高校では類を見ないと思います。多良木高校の教育活動がいかに地域社会の皆様にご理解いただき、ご支援を受けてきたかを示す典型だと思います。

 ゴルフはフェアプレイ精神を養うに適したスポーツと言われます。なぜなら、他のスポーツと異なり、プレイする場に審判(レフリー)はいません。スコアの申告やルールを守ることはゴルファー個人に委ねられているからです。多良木高校体育コース24人の生徒たちは、恵まれた環境の中で、ゴルフラウンド実習を満喫しました。これまでの先輩たちのように、彼らもきっと近い将来、社会人としてプレイするために「熊本クラウンゴルフ倶楽部」に行くことでしょう。


全員ステージ ~ 最後の文化祭(その3)

全員ステージ ~ 最後の文化祭(その3) 

 

 在籍生徒数が千人を超える高校にかつて勤務したことがあります。9割の生徒は一度も体育館のステージ上で脚光を浴びることなく卒業していきました。大規模校の定めです。しかし多良木高校は違います。最終学年67人の学校です。閉校するとわかっていて敢えて入学してきた生徒たちの気持ちを重く受けとめ、他の学校では得られない特別な体験を積み重ねてやりたいと私たち教職員はこの3年間努めてきました。そして、最後の文化祭「木綿葉フェスタ」では、全員がステージに立つことになったのです。

 「あの日に帰ろう、歌と共に! ~歌で振り返る多良木高校96年の青春~」のテーマを掲げ、午後の2時間半、手作りの歌謡祭を開きました。67人全員が歌、またはダンスなどのパフォーマンスに挑戦しました。脇を固めるのはプロの音響・照明、伴奏が音楽教師と地域の音楽愛好者の方、そして午前中にライブを開かれたORANGEの岩男さんもバイオリンを弾かれました。スポットライトを浴び、五百人の観衆とテレビ局のカメラに囲まれ、生徒達は物怖じすることなく力を発揮し、若さいっぱいの自己表現でした。

 赤いリンゴを手に背筋を伸ばし「リンゴの唄」を歌った女子生徒、五人のバックダンサーの男子を従え着物姿で「お祭りマンボ」を歌い踊った女子生徒、着物姿で女装し「365歩のマーチ」を熱唱しながら観客席を回った男子生徒、派手な衣装に包まれ笑顔いっぱいでキャンディーズやピンクレディを演じた女子生徒達などなど。普段はおとなしい性格であっても、ステージ上で堂々とした姿を見せ、改めて高校生の無限の可能性を思い知らされました。

 入れ替わり立ち替わり生徒たちが大正から昭和の戦前、戦後、そして平成とヒット歌謡を歌い継ぎ、最後は今年2018年に大ヒットした「USA」の生徒全員のダンスは圧巻でした。そして職員も合流し、「いつまでも」(熊本地震復興支援ソング)と校歌を全員で合唱し、フィナーレを迎えました。

 同窓生及び地域の方々、そして保護者など大勢の観客の熱い思いが生徒たちの熱意に火をつけ、生徒一人一人が輝き、最後の文化祭は幕を下ろしたのです。



書の力 ~ 最後の文化祭(その2)

書の力 ~ 最後の文化祭(その2) 

 

 多良木高校の文化祭は、書道選択者による書のパフォーマンスから始まることになっています。少なくとも私が校長就任以来4年間はこのオープニングを続けています。デジタル全盛の時代、書道はその対極のアナログな存在でしょう。しかし、だからこそ価値があるのです。コンピュータで均一な文字を早く作成しても、それは味わいも情緒もなく、個性もありません。一方、自ら筆で墨書した文字は、その人自身を雄弁に物語ります。書は人なり、です。

 最後の多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」においても、3年生書道選択者の書道パフォーマンスが幕開けとなりました。本校では芸術教科として書道と音楽があり選択科目ですが、1組は38人中11人、2組は29人中4人と書道選択者は少数派です。彼らが自分たちで言葉も考え、練習し、本番を迎えました。美しい文字ではありません。整ってもいません。しかし、彼らの思いが骨太に熱く表されているようで、観る者に生き物のように迫ってきます。

 1組の生徒の作品は、第1体育館のステージ中央正面に吊り下げられました。そして、相対する観客席に生徒のメッセージとして力強く届きます。2組の生徒の作品は立て板に張られた紙に墨書され、同じく第1体育館の入り口付近に観客席を背後から見守るかの如く立てられました。ステージ上の書と呼応するような立ち姿です。文化祭が終了し、会場の撤収作業が行われましたが、この二つの書の作品はそのまま残しました。本日、第1体育館で集会を開きましたが、生徒達の力作は強い気を発したままです。

 パソコンで作成された文字は何年持つのでしょうか。心細くなります。一方、墨の力が千年以上も永く持続されることを私たちは知っています。8世紀の奈良時代、いや7世紀後半の藤原時代の木簡(木札に墨で書かれた記録史料)が今に伝わり、墨痕が鮮やかに残っていることが何よりの証明です。舞台芸術に比べると地味ではありますが、書道作品は多良木高校文化祭の誇るべき成果と言えます。



多良木高校に「マルシェ」出現

多良木高校に「マルシェ」出現 ~ 最後の文化祭(その1) 

 

 「マルシェ」という言葉はもともとフランス語で「市場」という意味ですが、最近日本でも馴染みのものとなりました。屋外の広場や公園に小規模の店舗が集まり、観光客や地域の人がコミュニケーションを楽しむ場として、各種イベントで開かれるようになりました。

 12月8日(土)に開催した多良木高校最後の文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」において、初めての企画「多良木高校スペシャルマルシェ」が実現しました。昨年まではクラス(学級)やPTAのバザー(模擬店)が行われていたのですが、3年生のみの文化祭では生徒や保護者のバザー実施までは困難ということから、地域のご協力をお願いしました。くま川鉄道フェスタをはじめ各種イベントでマルシェの企画運営をされている西希さん(多良木町)にコーディネートを依頼したところ、「最後の文化祭を一緒に盛り上げましょう」と快諾されました。そして、持ち前の行動力で、店舗や諸団体に声を掛けまとめられ、最終的に11のお店で成るマルシェが本校中庭に出現しました。これに、県立南稜高校による「シクラメン」の友情販売も加わり、これまでの文化祭にない賑わいとなりました。

 ハンドメイド雑貨やアクセサリーのお店もありますが、ほとんどは飲食店舗で、メニューも多彩です。多良木町で「こども食堂」(地域の子どもに無料もしくは低額で食事を提供する場)を開設されている方たちは自慢のカレーライス。地域のグリーンツーリズム団体による地産のもち麦ご飯、豚汁。地域の婦人会の手作りお菓子。中華料理店による餃子、小龍包。そして、かつての多良木高校生が愛した懐かしのハム入りパンを復活販売したパン屋さん等いずれも個性が光りました。

 たった一日、それも2時間余りの短いスペシャルマルシェでしたが、多くの同窓生や地域の方々が買い物と飲食、そして交流を楽しまれました。日中の最高気温が10度に届かない冷え込んだ天候でしたが、マルシェは温かな特別な空間を創り上げたのです


「あの日に帰ろう、歌と共に!」

「あの日に帰ろう、歌と共に!」

~歌で振り返る多良木高校96年の青春~  

 

 今年度で閉校する多良木高校の最後の文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」を明日12月8日(土)に開催します。3年生しか在籍していないため、昨年までのような文化祭はできません。また、9月から11月にかけ就職や推薦進学の試験が続き、例年より実施時期が遅くなりました。
 異例の文化祭ですが、大きな特色が二つあります。一つは、地域の店舗のご協力で、マルシェ(青空市場)が実現することです。十の店舗の皆さんが出店予定で、食事、お菓子、アクセサリー小物類等の販売が中庭で予定されています。最後の文化祭を一緒に盛り上げようとの業者の方々の御好意に厚く感謝申し上げます。

 もう一つは、フィナーレ歌謡祭です。午後の2時間半、生徒を中心に職員有志、保護者、同窓生、地域の合唱グループの方たちが歌いまくります。テーマは「あの日に帰ろう、歌と共に!」~歌で振り返る多良木高校96年の青春~です。本校創立の大正11年に生まれた曲「シャボン玉」からスタートし、戦前、戦後の懐メロ歌謡曲から昭和後期、そして平成のヒットソングと30曲が歌い継がれます。その時代の多良木女学校生、多良木高校生が口ずさんだであろう青春ソングを歌うことで、96年を振り返ろうという試みです。
 2学期の音楽の授業はこの歌の練習に充てられてきました。生徒たちにとっては生まれる遥か前の歌を担当することもあります。「リンゴの唄」、「憧れのハワイ航路」、「青い山脈」、「高校三年生」などなど。しかし、生徒たちにとってはこれも新しい出会いです。なかには衣装も往時のものに着替えて登場する生徒もいます。高校生の豊かな表現力を期待してください。

 そして、この歌謡祭の最後、職員と生徒全員で熊本地震復興支援ソング「いつまでも」(作詞作曲:タイチジャングル)を合唱します。離れていても変わらない故郷を思う歌詞が、閉校する多良木高校に寄せる思いと重なり、練習していて胸が熱くなります。

 明日は、多良木高校最後の学年67人の歌声が体育館に響きわたり、きっと同窓生の方たちの胸を揺さぶることでしょう。

               前日のリハーサル風景

「ボッチャ」を楽しむ ~ 球磨支援学校高等部との交流会

「ボッチャ」を楽しむ ~ 球磨支援学校高等部との交流会 

 

 「ボッチャ」という障がいのある人のために考案されたスポーツを知っていますか? 目標球である白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり転がしたり他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競う競技で、パラリンピックの正式種目です。ボールの大きさはソフトボールよりやや小さく、柔らかい素材でできています。

 1126日(月)午前、多良木町内にある県立球磨支援学校高等部の皆さんと多良木高校3年生とのスポーツ交流会を開催しました。昨年までは支援学校の方から本校を訪問され、グラウンドでティーボールを行ったのですが、今年は本校生が支援学校を訪ね、同校の体育館でボッチャを行いました。球磨支援学校高等部1年から3年までの43人と多良木高校最後の学年67人が混合で20チームをつくり、四つのコートに分かれてチーム対抗で実施しました。

 多良木高校の生徒にとってボッチャは初体験だったようです。運動機能に障がいがあっても楽しむことができるため、支援学校高等部の生徒の皆さんと一緒にできる軽スポーツとしては最適で、ボールの転がり方によって形勢が逆転する面白さに多高生も熱中していました。戸外は曇った冬空でしたが、体育館は笑顔と歓声があふれていました。

 2020年には東京パラリンピックが控えており、障がいのある人が楽しむスポーツへの関心が高まっています。その軽スポーツを共に楽しむことで、心の壁を取り払い、親睦を深めることが今日の交流会の目的でした。障がいのあるなしに関わらず、この球磨郡で学ぶ同じ世代の仲間です。自然体で交流する生徒たちの姿は実に爽やかで、心温まるものがありました。ただ一つ寂しく感じたのは、この交流会が今回で最後であるという事実です。閉会式で、これまでの交流への感謝の思いを多良木高校代表の西野君が述べました。

 人々の多様な在り方を相互に認め合える共生社会は、球磨支援学校及び多良木高校の生徒たちによって創られていくと期待しています。

嗚呼、甲子園球場  ~ マスターズ甲子園2018応援2

嗚呼、甲子園球場  ~ マスターズ甲子園2018応援2

 

 阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)は、ホームベースからセンター奥まで115m、レフトとライトの両翼が95mの規模を誇り、スタンド(観客席)の収容人員は4万7千人余りの巨大なスタジアムです。大正13年(1924年)に竣工し、夏の全国高等学校野球選手権大会、春の選抜高等学校野球大会の会場として今日に至っており、高校野球の聖地と称されます。この夏の第100回記念大会では、秋田県立金足農業高校の健闘が大きな話題となりました。また、プロ野球の阪神タイガースの本拠地であり、熱狂的タイガースファンの応援で知られます。この甲子園球場で試合ができることは、野球を愛する人々にとって夢のようなことでしょう。マスターズ甲子園2018のキャッチフレーズは「いくつになっても甲子園球児はカッコいい」です。

 熊本県代表の座を勝ち取り、初出場を成し遂げた多良木高校野球部OBチームは、1110日(土)の開会式直後の8時35分から、福島県代表の日大東北OBチームとの試合に臨みました。マスターズ甲子園大会は、ボランティア応援の仕組みがあり、地元の西宮市や神戸市の中学、高校の吹奏楽部が演奏してくれることになっています。多良木高校OBチームを応援してくれたのは、神戸市立本山南中学校吹奏楽部の皆さんでした。力強い演奏で選手を元気づけてくれ、球場の雰囲気も盛り上がりました。

 多良木高校OBチームはマネージャーも含め50人がベンチに入りました。前半は34歳以下の若手選手が出場します。私もよく知っている近年卒業した7人の選手たちが甲子園のグラウンドで溌剌とプレイする姿を見ていると、こちらも気持ちが明るくなります。後半は35歳以上のシニア選手の出番です。7月まで多良木高校野球部のコーチをしてくださった尾方さんが捕手としてプレイされました。その姿は眩しく映りました。

 マスターズ甲子園は優勝を決める大会ではなく、各チームひと試合です。甲子園球場で試合をすることが目的なのです。高校野球の聖地である甲子園球場は、かつて甲子園を目指した大人たちも温かく迎え入れてくれました。


「嗚呼、甲子園」 ~ マスターズ甲子園2018(その1)

「嗚呼、甲子園」 ~ マスターズ甲子園2018応援(その1)


 甲子園球場のスタンドに一歩足を踏み入れた瞬間、内野から外野、そしてスコアボードと全体が迫ってきて、「ああ、ここが甲子園球場かあ」という感慨にしばし包まれました。巨大ですが、何か「美しい」と感じる空間であり、高校野球やプロ野球のテレビ中継でお馴染みの同じ場所に自分が立っているということが不思議な感覚でした。

 高校野球OBたちの「大人の甲子園野球大会」であるマスターズ甲子園2018に多良木高校野球部OBチームが熊本県代表として出場を果たしました。その開会式及び試合が11月10日(土)に行われました。OBの快挙は、今年度で閉校を迎える多良木高校を大いに勇気づけてくれました。多良木高校野球部が半世紀挑み続けながら実現できなかった夢をOBが代わって達成してくれたのです。
 甲子園球場のスコアボードに「多良木高校」の名前が記されるのを、この目で見たいと思い、私も甲子園球場まで向かいました。前日の金曜日の夜、鹿児島空港最終便で大阪へ飛び、梅田のホテルに泊まり、当日は阪神電鉄を利用して甲子園球場(兵庫県西宮市)へ朝7時半には到着しました。阪神甲子園駅を降りるとすぐ目の前に威容を誇るスタジアムがあり、その距離の近さに驚きました。

 マスターズ甲子園2018の開会式は午前8時に始まり、全国各地域の代表16校が行進します。行進の先頭の多良木高校について、今年度で閉校する学校にとって悲願の甲子園初出場という紹介アナウンスがありました。地元多良木町をはじめ関西、その他各地から出場選手の家族、友人、野球部関係者等が応援に駆け付けていて、その数は百人近くに達したと思います。

 選手宣誓も多良木高校OBチームの山村さん親子が行いました。「多良木高校は閉校しますが、高校野球への思いや地域への感謝の気持ちは次の100年に引き継がれます。」という言葉が甲子園球場に響き渡りました。

 いよいよ午前8時35分から試合開始です。相手は福島県代表の日大東北OBチームです。試合については引き続き次号で。


 


最後の強歩会

11月9日(金)、最後の強歩会 


 「みんなで歩く、ひたすら歩く、多良木高校最後の強歩会、出発!」と声を掛け、私がスタートの号砲を撃ちました。朝7時50分、正門から65人の生徒が歩き出しました。体調不良で二人の生徒が出場を見送りましたが、チェックポイントの補助を務めることになりましたので、最後の学年67人全員が強歩会に参加したことになります。私も最後尾から歩き始めました。

 学校を出て北の多良木町黒肥地方面へ向かいます。出発した頃は小雨が降っていましたが、次第に雨はやみ、天候は回復傾向です。六百年前に建造された茅葺きの楼門(県指定文化財)のある第1チェックポイントの王宮神社(2.3㎞、多良木町黒肥地)では、氏子さんによって秋祭りの準備が行われていました。里城大橋で球磨川を右岸に渡り、多良木町から県道33号を人吉方面へ進みます。第2チェックポイント覚井観音堂(7.2㎞、あさぎり町須恵)では、地元の方の御好意でお堂を開けてあり、檜の一木造の十一面観音像が私たちを迎えてくれました。第3チェックポイント植深田観音堂(10.2㎞、あさぎり町深田)は高台にあり、球磨川のきらめく水面を眼下に眺められました。

 めいはた橋で球磨川を左岸に渡り、橋の下の芝生広場が第4チェックポイント(10.7㎞、あさぎり町深田)です。ここで昼食。保護者の方々が給水のお手伝いに来ていただき感謝です。生徒はまだ元気で、男子は走り回るほどです。昼食休憩後、午前11時30分に出発し、球磨川の土手沿いの道を多良木町方向へ帰っていきます。後半は次第に先頭と後尾の距離が離れていきます。女子生徒の中には弱音を吐く者も見られました。第5チェックポイントの中島橋(15㎞、あさぎり町須恵)を過ぎると、遠くに多良木高校の体育館が見えてきました。なかなか近づいてきませんが、止まらない限り一歩一歩に近づいているのです。

 さすがは3年生。最後尾の女子生徒2人も一度も止まることなく、想定時間より早い午後2時15分には多良木高校正門にゴール。私も一緒にゴール、達成感に満たされました。沿道の住民の方や交通整理の保護者の方の温かい応援を受け、一件の怪我も事故もない最後の強歩会となりました。

 多良木高校のゴール(閉校)も近いことを改めて実感します。


 

最後の強歩会に向けて

最後の強歩会に向けて 

 多良木高校伝統の鍛錬行事である「強歩会」を11月9日(金)に行います。来年3月に閉校する本校にとって最後の強歩会です。三つのコースを3年間かけて歩き、人吉球磨地域の自然や風土を体感する行事です。今年のコースは多良木町黒肥地地区を巡り、あさぎり町の須恵、深田地区を回って、球磨川沿いに帰ってくる行程です。3年前は広域農道(通称フルーティーロード)を歩いたのですが、スピードを出し走行するトラック等の運送車が多く危険を感じたため、県道に変更し距離は大幅に短縮されました。それでも20㎞余り歩くことになります。

 過去3年、私も参加しましたが、秋の球磨郡の豊かで穏やかな風景の中、歴史や人情に触れることができ、何と平和で心地よい地域なのだろうとしみじみ感じました。人吉球磨地域をかつて訪問した司馬遼太郎が「日本でもっとも豊かな隠れ里」と形容したことが思い出されます。

 今回のコースの見所を紹介します。第一チェックポイントの王宮(おうぐう)神社(多良木町黒肥地)では、室町時代中期(応永23年、1416年)に建立された楼門(県指定文化財)に注目しましょう。そして、あさぎり町に入ると県道33号沿いに観音堂が次々と出迎えてくれます。江戸時代中期から人吉球磨地域で「相良(さがら)三十三観音巡り」の風習が始まり、今に至っています。春と秋の彼岸の時期に観音堂は一斉開帳され、普段は閉まっているお堂が多いのですが、今回は地区の方の御好意で観音様を拝観できる予定です。第2チェックポイントの覚井(かくい)十一面観音堂(二十二番)、永峰(ながみね)如意輪観音堂(二十一番)、第3チェックポイントの植深田(うえふかだ)聖観音堂(二十番)とまさに巡礼の道です。観音様の慈愛の眼差しに見守られながら、歩きます。

 あさぎり町深田の「めいはた橋」で球磨川を渡り、帰路は川沿いの土手道を辿ります。鷺が遊ぶ川面を左手に見ながら進み、薄(すすき)の群生や色づいた柿の実に行く秋の風情を感じることでしょう。

 多良木高校最後の強歩会。みんなで歩く。ひたすら歩く。ただそれだけのことですが、きっと特別な一日となることでしょう。

                王宮神社の楼門

 



                覚井観音堂

正門前の銀杏並木

正門前の銀杏並木 


 「正門前の銀杏並木が綺麗ですね。」と来校者の方からよく言われる季節になりました。先日は、朝、アマチュアカメラマンの方が撮影されている姿が見られました。多良木高校の正門前には銀杏並木があります。町道から分かれ正門までの80mほどの道に片側十本の銀杏樹が立ち並んでおり、今、黄緑色から鮮やかな黄金色に染まってきて、先週から落葉も始まりました。

 正門までのこの奥行の道がとても意味があると私は思っています。朝、登校する時、正門及びその先の校舎や体育館が見え、「さあ学校だ」と自然に意識が学校生活に切り替わる場所となります。夕方、下校する時、正門を出て心地よい疲れに包まれながら「さあ家に帰ろう」と気持ちが解放される場所になるでしょう。銀杏並木の道は、学校と外界をつなぐ不思議な空間と言えます。

 春夏秋冬、登下校の生徒を見守り続ける銀杏並木です。そして、この銀杏並木が最も華やかな装いを見せるのが秋です。毎年、大量の銀杏の落葉があります。一本の銀杏の樹木にいかにたくさんの葉がついているのかに驚きます。昨年まではサッカー部の生徒たちが自主的に朝掃除に出てきて、銀杏の落葉を掃き集めてくれていました。しかし、今年はサッカー部も活動を終えたため、時折、私たち職員有志で清掃を行っています。肌寒くなった朝、銀杏を竹箒で掃き集める感触は秋の風情を感じます。

 現校地に移転して50年、銀杏並木は生徒をはじめ来校者を出迎えてくれました。日が高くなり、銀杏並木の入り口側から正門の方を眺めると、「平和・勤労・進取」の校訓が大きく掲げられた第一体育館、そしてその背景には球磨盆地を囲む九州山地の山並みも遠望できます。この風景こそ、多良木高校を象徴するものではないかと思います。
 しかし、来年の秋はこの風景は見られないでしょう。閉校まであと5か月です。秋はゆっくりと深まっていきます。この秋は、銀杏並木が一層愛おしく、美しく思えます。


 


様々な世代の人と共に在る学校

様々な世代の人と共に在る学校 

 本校ほど保育園と交流している高校は稀ではないかと思います。近隣にある光台寺保育園の園児たちは、しばしば本校まで「散歩」にきて、広いグラウンドを駆け回ります。毎年の体育大会では園児に特別参加してもらい、高校生と一緒にダンスを踊ります。本校玄関には園児たちの絵画や工作品を展示する専用スペースを設けています。園児たちとの交流は日常的です。昨日の1023日(火)も、同園の12人の2歳児さんが保育士の方々に引率され「秋の遠足」で来校しました。玄関で出迎えた担当の生徒たちが、プレゼントのキャラクターシールを手渡し、歓迎しました。

 保育園児と交流する高校生の表情はいつも柔らかく優しいものです。兄弟が少なくなり、身近に幼児がいない環境の生徒も多い中、幼く小さき者と触れ合うことは、高校生に大切なものを思い出させる機会になっています。保育園児が来校する度に、清少納言の次の言葉を思い出します。

 「なにもなにも ちひさきものは みなうつくし」(枕草子151段)

 また、23日(火)午後には、本校福祉教養コース及び家庭クラブの生徒15人があさぎり町深田にある高齢者介護施設の「翠光園」を訪問しました。「翠光園」と本校の交流は長く、およそ40年続いてきました。福祉教養コースの生徒の介護実習、または2年次での職場体験実習(インターンシップ)で毎年お世話になってきましたし、同園に就職している卒業生が幾人もいます。

 昨日は、生徒達の軽快なダンス披露から始まり、用意してきた紙芝居やクイズ等で80人近い入所者の方々と交流しました。最後、生徒達が手作りのカラフルな紙製メダルをお年寄りの首にかけて回ると、握手してその手を離さない方もいらっしゃり、生徒の中には感極まり涙を流す者もいました。交流会の閉式で入所者代表として御挨拶された方は百一歳のご婦人で、ひ孫のような高校生に対して感謝の思いを力強い言葉で述べられました。

 多良木高校は3年生67人の小さな学校です。しかし、地域の保育園児からお年寄りまで様々な世代の人々と共に在る学校であることを誇りに思います。



最後の神輿 ~ 多良木町恵比須祭りへの参加

最後の神輿 ~ 多良木町恵比須祭りへの参加


 
「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿(みこし)をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、笑顔で威勢よく神輿を担ぎます。秋晴れの1020日(土)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 我が国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人に広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人たちによって創られたと言われます。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず和やかな気持ちになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年1020日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 今年度末で閉校を迎える本校にとって、最後の神輿となりました。生徒の神輿を中心に例年になく保護者や同窓会の方も数多く歩かれました。味岡建設本社を出発し、およそ1時間半かけて2㎞を練り歩き、終着の「石倉の広場」に到達しました。ここで、来年度から新たに神輿を担ぐことになる多良木中学校の生徒に、多良木高校の生徒から法被や足袋の一式を渡す「引き継ぎ式」を行いました。地域の伝統行事に中学生が主体的に関わることは郷土愛を育むことにつながると思います。本校にとって後顧の憂えが一つなくなりました。




俳優の中原丈雄さんからのメッセージ

「良い仕事をするために、つらい経験がある」 

~ 俳優の中原丈雄さんからのメッセージ ~


 高い演技力と重厚な存在感を発揮し、多くの映画、テレビドラマ等に出演されている俳優の中原丈雄さんは人吉市のご出身です。強い郷土愛の持ち主で、球磨郡の観光大使を務めておられ、しばしば帰省され地域の行事に登場されます。実は、中原さんの御母堂は多良木高等女学校を卒業されており、本校に対して特別な親近感を抱いておられます。この度、多良木町役場の御尽力を得て、本校最後の生徒たちに中原さんからエールを送って頂く場が実現しました。

 1020日(土)の午前、本校第1体育館において、「これからの時を生きる」の演題でトーク&ライブが開かれました。本校の生徒・教職員に加え、保護者や地域の方々も参加されました。前半のトークでは、若い劇団員としての下積み生活の中でも、俳優になるという夢を持ち持ち続けたことを語られました。印象に残った言葉を二つ紹介します。

 「これから、つらいことにたくさん出会う。けれども、良い仕事をするために、つらい経験をしていると考えてほしい。」

 「昨日負けても、今日勝つと思えばいい。今日負けても、明日は勝とうと思えばいい。」

 後半のライブでは、音楽仲間の方と結成しているバンドで再登場され、中原さんはエレキギターを奏で、1950年から1960年代に英米でヒットしたポピュラーソングを軽快に披露されました。中原さんは俳優が本業ですが、絵画も個展を開くほどの腕前で、音楽の才能も豊かな方です。

 あふれんばかりの能力に恵まれた方ではありますが、40代までアルバイトをしなければ俳優だけでは生活ができなかったという長く厳しい体験が土台となり、現在のベテラン俳優ができあがったという真実は、来春に巣立っていく生徒たちにとって何よりの励ましになったでしょう。


多良木高校の剣道部物語

多良木高校の剣道部物語  

 今年度末に閉校が迫り、同窓生や旧職員の方が学校を訪問されることが増えてきました。先日は、旧職員の武井章先生(体育)が来校されました。「剣道の武井」と人吉球磨地域では令名が高く、かつて多良木高校に16年間在職され、剣道部の黄金時代を築かれた方です。御年80歳を迎えられていますが、今も人吉球磨剣道連盟会長職を務め、小学生相手に剣道の手ほどきをされる日々を送られており、背筋がぴんと伸び古武士然のたたずまいです。

 武井先生の多良木高校での思い出話は、多良木高校剣道部全盛期のことに及ぶと一段と熱っぽくなり、その白眉が昭和55年(1980年)の女子剣道部の玉竜旗大会での全国優勝でした。前年、同大会で3位に入りながら、この年の県高校総体県予選では阿蘇高校(現阿蘇中央高校)に惜しくも敗れ全国高校総体(インターハイ)出場を逃していました。それだけに、玉竜旗大会にかける気持ちが強かったそうです。部員たちが日々の厳しい稽古を貫き、部のモットーの「平常心是道」を心がけた結果、優勝を果たすことができたと武井先生は往時を懐かしみ愉快に語られました。

 戦国時代後半から江戸時代初期にかけての剣豪、丸目蔵人(まるめくらんど)は人吉藩相良家に仕え、タイ捨流を創始しました。晩年は一武村(現 錦町一武)に隠棲してお墓も残っています。そして古武道の一派としてタイ捨流は今も伝わっています。丸目蔵人の影響が多分にあるのでしょう、人吉球磨地域は剣道が盛んな土地柄です。その中で、まさしく剣道一筋に武井先生は生きて来られたのです。そして、多良木高校剣道部を鍛え、多くのたくましい人材を世に送られたのでした。

 けれども、多良木高校剣道部は6年前に部員がいなくなり活動を止めました。4年前に私が赴任した時はすでに剣道部はありませんでした。これも時代の流れでしょうか。

 しかし、女子剣道部の玉竜旗優勝は多良木高校96年の歴史の中でも燦然と輝いています。地域の普通の高校が全国大会で優勝したことは永く語り草となっています。現在も本校の玄関展示ケースに優勝記念の旗が飾られています。


 

最後の部活動 ~ サッカー、バスケットボール、駅伝

最後の部活動 ~ サッカー、バスケットボール、駅伝


 7月の甲子園大会県予選で野球部が敗退した後、多良木高校のグラウンド及び体育館における部活動は休止状態となりました。しかし、10月に入り、部活動が再開されました。この時期、各競技の秋の県大会が開催されるため、本校から三つの部が出場することになったのです。今年度で閉校する本校には3年生しか在籍しておらず、3年生で単独チームが結成できるのは10人の部員がいる男子バスケットボールだけです。男子サッカーと駅伝(陸上部)は南稜高校と合同チームとなります。就職の内定、上級学校の合格と進路が決まった生徒を中心に練習を再び始めました。

 多良木高校サッカー部は部員5人ですが、南稜高校と合同チームを組んでもぎりぎりの11人の状況です。しかし、6月の県高校総体1回戦での逆転負けの雪辱に燃え、10月6日の1回戦(会場:鹿本農高)に大勝しました。そして、13日の2回戦(会場:鹿本商工高)では天草工業高校相手に互角の試合を展開し、2対2のまま延長でも決着せずPK戦で勝つという劇的な幕切れとなりました。合同チームながら、人吉球磨地域で小・中学校からサッカーをしてきた仲間であり、絆は強く、最後まであきらめないたくましさを見せてくれました。

 また、男子バスケットボールも13日に大会(会場:熊本市)に臨み、1回戦は快勝しました。生き生きと躍動し、出場した選手全員がシュートを決める圧巻の内容でした。2回戦では強豪のシード校に敗れましたが、多良木高校単独チームとして輝きを放ったと思います。試合後、バスケットボールをやりきったという達成感漂う選手たちの表情が爽やかでした。

 サッカーの合同チームは20日の3回戦に挑みます。そして、同じく南稜高校と合同チームを組む男女の駅伝は27日に県高校駅伝大会に挑みます。それぞれ自分が選んで続けてきたスポーツで完全燃焼をしてほしいと期待します。

 今月、束の間ですが、放課後、グラウンド・体育館で生徒たちが汗を流して活動し、元気ある声が響きました。多良木高校は最後まで活力を失いません。


            2回戦を勝利した南稜・多良木サッカーチーム

最後まで地域と共に ~ 地区の交流会、防災ヘリの離発着場

最後まで地域と共に ~ 地区の交流会、防災ヘリの離発着場 

 
 昨日、多良木町六区の公民館で高齢者の方々の集まり「いきいきサロン」が開かれました。毎年、9月の「いきいきサロン」には同じ区にある多良木高校にもご案内があります。木曜日の午前中ということで、既に進路が内定した生徒4人(男子3、女子1)、引率教諭と私の6人で参加しました。多良木中学校からも12人の生徒が参加し、およそ30人の高齢者の方々と約1時間半の和やかな交流のひと時を過ごすことができました。

 六区の区長の長田さんは多良木高校卒業生で御年80歳。しかし、いつも元気溌剌、陽気でいらして献身的にお世話に奔走されています。近年、地元六区の方々には学校をいつも支えていただき、感謝の言葉もありません。体育大会での一緒の競技、合同の防災訓練、そして郷土料理やグラウンドゴルフを通しての交流会などの行事はもちろんですが、日常において、生徒達を温かく見守ってくださっています。このことは生徒自身が一番わかっています。

 昨日の交流会で、4人の生徒達がそれぞれ感謝の言葉を地区の皆さんに述べました。どれも心のこもったもので、聞いていて生徒の人間的成長を私も実感しました。地域の方々の眼差しや声掛けが最後の学年の生徒達をどれだけ励まし育ててくれたことでしょう。

 閉校まで半年となりました。「地域に恩返しをしたい」と職員、生徒にはいつも呼び掛けています。できることは限られています。可能な限り、地域の行事や催し物に進路が内定した生徒を参加させたいと思っています。

 実は9月から、多良木高校は緊急時のドクターヘリや防災ヘリの臨時の離発着場の役割を担っています。近隣の上球磨消防署の改築工事のため、代替の場所を引き受けました。広いグラウンドを有し、生徒は少なく、放課後の部活動もなくなったため、体育の授業時など以外は原則受け入れることにしています。既に2度、ヘリの離発着が行われました。地域の防災拠点になることも県立高等学校の役割だと思います。そして、少しでも地域の方々への恩返しになればと願っています

       上)多良木町6区の高齢者の方との交流会(6区公民館)
       下)多良木高校グラウンドで離発着する防災ヘリコプター

塀の向こうには彼岸花が咲いていた ~ ブロック塀撤去完了

塀の向こうには彼岸花が咲いていた ~ ブロック塀撤去完了

 
 多良木高校の正門から南側にかけて長さ約15m、高さ1.5mのブロック塀が立っていましたが、9月18日~19日の工事で撤去されました。去る6月、大阪府北部を震源地とし最大震度6を記録した地震で、高槻市の小学校のプール脇のコンクリートブロックが倒壊し女子児童が亡くなるという事故が起きました。この痛ましい事故の発生を受け、熊本県教育委員会(施設課)による全ての県立学校のブロック塀緊急点検が行われました。その結果、本校においても正門から南側にかけてのブロック塀と、多良木町迫田の職員住宅を囲むブロック塀が撤去対象に該当することが判明し、今回の工事に至りました。

 ブロック塀は、約20年で鉄筋にさびが認められるようになり、抵抗力が弱くなるそうです。日本建築学会の調査によるとブロック塀に期待できる耐久年数は約30年とされています。また、高さが1.2mを超える塀は、安定性を確保するため構造も複雑で、劣化の影響を受けやすく、倒壊した場合の被害も大きいことを緊急調査の際に配布された資料で知りました。本校のブロック塀は高さが1.5mあり、現在地に移転して数年内に築造されたと推定され、すでに40年を超えていました。内側から支える控壁(ひかえかべ)は付いていましたが、経年劣化していると判断されたのです。

 学校は安全で安心な場所でなければなりません。大阪府高槻市の小学校のブロック塀の危険性が見逃されていたために悲劇が起きました。この事故が起きなければ、私たちも多良木高校のブロック塀の危険性を意識することがありませんでした。日常見ていても、意識しないと危険性を見出すことはできません。2年前の熊本地震において球磨郡は最大震度4を記録しましたが、ブロック塀に異変は生じませんでした。油断があったのです。

 ブロック塀がなくなり、今まで塀で遮られていた風景が見通せるようになりました。何かとても風通しが良くなった気がします。撤去されたブロック塀の向こうには、真っ赤な彼岸花と緑から黄色に変色している稲穂の田園風景が広がっています。この夏、記録的な猛暑、台風や地震の自然災害に日本列島は見舞われました。まだその傷跡は癒えておりませんが、ようやく実りの秋を迎えようとしています。


 

3年生を励ます ~ 3年生進路激励会

3年生を励ます ~ 3年生進路激励会

 進路を決める高校3年の2学期を迎えました。

 自らの進路達成に挑戦する皆さんに対し、追い風が吹いていると私は思っています。今年度で閉校する多良木高校の最後の学年である皆さんは、入学以来、期待と注目の存在です。96年の歴史のアンカーです。同窓生の方が、地域の方が、そしてメディアまでもが注目し、応援してくれています。そのことは皆さんも実感していることでしょう。

 閉校すると分かっていながら多良木高校を志望した皆さんの選択は間違っていなかったと思います。他の学校ではとうてい得ることができない、特別な体験を重ね、多くの方の応援を受けてきたからです。それは皆さんの強みです。

 小・中学校、高校とこれまで横並びの歩みでした。しかし、高校卒業後の進路はそれぞれ全く異なります。人それぞれです。「この道より我を活かす道なし この道を歩く」(武者小路実篤)という決意、覚悟が問われます。

 「皆さんは豊かな可能性を持っている」と私はよく口にしますが、それは二つの根拠があるからです。高校の教員として32年間、多くの高校生の卒業後の活躍を見てきたこと、そして多良木高校長として4年間、多良木高校の諸先輩たちの活躍を見聞きしていることです。皆さんもきっとできます。

 公務員試験はすでに始まり、一般企業の採用試験は9月16日解禁です。専門学校、大学等の推薦試験も近づいています。就職、そして進学の推薦試験において必須となる面接についてのアドバイスを贈ります。多良木高校だから学べたこと、体験できたことを伝えてください。地域に開かれた学校である多良木高校の生徒として、多くのボランティア活動や地域の方との交流活動を展開してきました。また、少子化が要因で閉校となることを同窓生や地域の方がいかに惜しまれているかを皆さんは知っています。これらのことは他校の生徒では決して話せないことです。

 多良木高校は3年生67人の小さな学校です。しかし、多良木高校生は小さな高校生ではありません。大きな可能性を持っています。その可能性を発揮し、全員、進路希望を実現しましょう。私たち職員全員で支えていきます。


 


槻木地区の高齢者の方との交流活動

槻木地区の高齢者の方との交流活動

~ 槻木「希望いきいき学校」 ~    

 昨年度から児童がいなくなり休校状態にある多良木町立槻木(つきぎ)小学校へ、8月30日(木)、3年生の福祉教養コースの生徒14人を引率して行きました。槻木小は多良木高校から南におよそ20㎞離れたところにあります。槻木は多良木町の南の端に当たり、地図で見るとこの地区だけが宮崎県域にぐいと入り込んでいます。槻木地区は住民が120人ほどで高齢化率は77%に達しています。槻木を訪ねるのは容易ではありません。県道143号を球磨盆地側から上り、曲がりくねった細い道を走行し、標高780mの槻木峠を越えなければなりません。ジャンボタクシー2台を貸切り向かいました。

 今年度、休校中の槻木小学校で毎月1回、地域の高齢者の方が集まって「希望いきいき学校」という社会教育プログラム活動が行われています。多良木町教育委員会からの依頼もあり、福祉教養コースの生徒たちはこの活動に参加するため赴きました。会場にはおよそ20人の方が私たちを待っておられ、歓迎してくださいました。

 午前10時にプログラム開始。最初に生徒たちがダンスを披露。次に介護予防体操を行いました。そして、身体を動かしながらのゲームに興じました。生徒も交じって二班に分かれ、初めに大きなバレーボール、次に小さい卓球のボールを後ろの人に振り向かずに頭の上で手渡ししてリレーするもので、笑い声が絶えませんでした。休憩をはさんで、後半は福祉教養コースでどんなことを学習してきたかを生徒が発表し、最後は生徒と高齢者の方で協力しながら小物づくり(ピンクッション)に取り組みました。針穴にさっと糸を通される高齢者の方の慣れた手つきに感嘆の声を上げる生徒もいました。

 午前11時15分にプログラム終了。皆さんと別れを惜しんだ後、小学校の傍らを流れる槻木川の中にある天然の河川プール(コンクリートで簡単な囲いのみ)に生徒たちは素足で入り、冷たい清流の感触に喜んでいました。日頃は静かな別天地の山里に、高校生の明るく元気な声が響き渡りました。多良木高校所在地より気温が3~4度は低く、秋の気配を感じました。

 閉校まで残り半年余りですが、最後まで地域と共に歩みたいと思います。