校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

海のまち山のまち交流会

海のまち山のまち交流会 ~ 鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流


 多良木町は鹿児島県阿久根市と交流事業を実施されていますが、この事業の一環として、去る8月29日(土)に阿久根市にある鹿児島県立鶴翔高等学校の野球部と女子バレー部が来町され、本校で交流試合を行いました。昨年は、本校から野球部と女子バレー部が阿久根市を訪問し、明るい海の街、阿久根で大歓迎を受けており、今年は多良木高校がおもてなしをする番です。

 当日は朝から無情の雨が断続的に降り、午前の交流試合は、野球は途中で打ち切らざるを得ませんでした。しかし、女子バレーは体育館で予定どおり4セットの試合を実施できました。鶴翔高校の女子バレー部は鹿児島県でも強豪として知られており、一つ一つのプレーに強さとうまさがあり、試合をとおし多良木高校バレー部は多くのことを学んだようです。

 午後1時から多良木町の交流館「石倉」で、阿久根市及び多良木町の議会、行政の関係者の方々、そして両高校の職員、部員との交流会が開かれました。交流館「石倉」は、昭和の初めに米倉庫としてつくられた石造りの倉で、現在は改修されて町の多目的ホールとして利用されています。阿久根市の皆さんは、歴史的建造物が利活用されていることにとても興味を持たれました。また、本校野球部の保護者の方々による心尽くしの手料理に大変喜ばれました。生徒達は、同じスポーツを愛好する者としてすぐに気心が知れ、打ち解けて歓談していました。私もまた、近藤伸子校長先生をはじめ鶴翔高校の職員の方や阿久根市訪問団の方々と懇談でき、和やかで有意義な時間となりました。

 多良木高校は全校生徒198人の高等学校としては小規模校です。在籍生徒数が少ないからこそ、他校や地域社会との交流の機会を増やすように努めています。今回は多良木町の御支援のおかげで、鹿児島県立鶴翔高等学校とのスポーツ交流が実現し、望外の喜びです。
                (交流会で校歌を斉唱する多良木高校生)


市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に

市房山登山 ~ 体育コースの生徒と共に

 「望みは遠し 雲居の峰の    髙き市房 み空に仰ぎ」

 犬童球渓作詞の多良木高校校歌にも登場する市房山は標高1722mの高峰で、熊本県水上村と宮﨑県の境にそびえ、学校の校庭からその山容を眺めることができます。古くから、球磨・人吉地域では霊峰として信仰されてきました。

多良木高校1、2年生の体育コース(計46人)は野外活動として8月26日から28日にかけて水上村の市房山キャンプ場で2泊3日のキャンプを実施しました。その二日目、生徒全員と体育科教師5人そして引率団長の校長の私で、市房山登山に挑みました。

 午前9時にキャンプ場を出発。渓流を渡った所に石鳥居があり登山口です。4合目にある市房山神宮までは険しい参道となります。大杉が並び、中には「平安杉」と呼ばれる樹齢千年の巨木もあり、まことに壮観です。段差の大きい石段が続く八丁坂を登り切ると朱色の社殿の市房神宮です。ここまで所要1時間、皆まだ元気です。

 しかし、ここからが本格的な登山道の始まりで、道は急峻となり、6合目から7合目にかけては岩の間を這い上がったり、丸太の梯子をよじ登ったりと全身を使っての奮闘です。私は最後尾に付いていたのですが、8合目あたりから自然に遅れ始めました。改めて、体育コースの生徒の体力、健脚に脱帽です。最後、頂上の手前50m付近で、生徒数人が迎えに来て、私のリュックを持ち、「校長先生、もう少しです。がんばってください!」と励ましてくれました。生徒たちの応援のお陰で、私も無事に山頂に立つことができました。登り始めて3時間半が経過していました。

 山頂は雲が一部かかっており、気温も低く感じられ、さすがに高山にいることを体感しましたが、達成感に包まれて弁当を開きました。私は、学生時代に2度登ったことがありますが、山頂まで来たのはそれ以来で、実に30年振りの頂上で、感慨深いものがありました。

 下山は滑りやすい所が多く、神経を使いながら一歩一歩降りていきました。生徒同士で、「気をつけろ」、「木の根に注意」など大きな声を掛け合い、頼もしく感じました。全員、大きな事故もなくキャンプ場に帰着したのは午後4時でした。まさに1日がかりのタフな登山でした。天然記念物のゴイシツバメシジミチョウには出会えませんでしたが、鳥のさえずり、枝葉のそよぐ音、柔らかな木漏れ日、樹木の匂い、そして爽快な眺望と五感で楽しむことができ、心地よい疲労が残りました。そして、何より生徒のたくましさと優しさを知ることができ、教師冥利に尽きる登山となりました。

                       (市房山頂にて)


鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて

鎮魂のお地蔵さま ~ 宮城県石巻市を訪ねて

 全国PTA連合大会が8月に岩手県で開かれましたが、大会会場の岩手県盛岡市に入る前日、熊本県の高校のPTA役員さんや先生方と共に宮城県石巻市を訪問しました。石巻市は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を受けた所です。震災当時、人口16万2千人の石巻市で死者、行方不明者合わせて4千人に上りました。その石巻の復興の状況をぜひこの目で見たいと思っていました。

 最大の被害地である南浜地区は、大津波が太平洋から押し寄せ、車も家も、そして人も押し流されました。鉄筋3階建ての小学校(門脇小学校)は廃墟として残っており、津波の猛威を実感しました。かつて多くの住宅があった海沿いの平野は広い野原となり、鎮魂のお地蔵さんがつくられていて、私たちは手を合わせることしかできませんでした。自然災害の前には人間は無力なのかと重苦しい気持ちに包まれました。

 しかし、避難の時、多くの中学、高校生が、幼児や小学生、あるいは身体の不自由な老人を助けたとの話しを聞きました。さらに、避難所では、中学、高校生が実によく働き、動いたそうです。「子どもは強いですよ」と震災体験者がしみじみと言われました。

 そして、石巻市に、震災が起こった3月から12月までの間、延べ10万人を超えるボランティアの人々が全国から集まったのです。ほとんど水に浸かり、元通りになるまで1年かかると思われた中心市街地は、3か月で復旧しました。今や震災の傷跡を見つけることは困難です。震災当時、町のあちこちに高々と積み上げられた瓦礫の山々。一生、この瓦礫の山を見て暮らしていくのだと石巻の人々は覚悟したそうですが、4年目の昨年、瓦礫の撤去は終わりました。壊滅的な被害を受けた海岸部においても、日本製紙石巻工場が1年半後には完全復活を遂げ、国内最大規模の新しい魚市場の偉容を見ることができます。

 地震、津波、あるいは台風など自然の力は確かに凄まじいものがあります。けれども、自然災害から立ち上がり、復興に取り組んでいく人間の力もまた凄いと実感した石巻への旅でした。

  高校生の皆さんへのお薦めの本

『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(佐々涼子著、早川書房) 多良木高校図書室に備えてあります。

                   鎮魂のお地蔵さま(宮城県石巻市南浜町)

未来圏からの風をつかめ

「未来圏からの風をつかめ」

 第65回全国高等学校PTA連合会大会岩手大会が8月20日~21日に岩手県で開催され、参加しました。大会テーマは「未来圏からの風をつかめ ~新時代を担う君たちと共に」。何と詩的な文句だろう、気鋭のコピーライターが作ったのかと思いましたが、岩手県が生んだ詩人で作家の宮澤賢治(18961933)の詩からの引用と知り、深く納得しました。出典は、「生徒諸君に寄せる」という詩です。長い詩のため冒頭部分のみ次に紹介します。

 「中等学校生徒諸君

  諸君はこの颯爽たる

  諸君の未来圏から吹いて来る

  透明な清潔な風を感じないのか

  それは一つの送られた光線であり

  決せられた南の風である。」

   宮澤賢治は、妹のトシの死を悼んだ絶唱の詩「永訣の朝」、永遠の友情を宇宙スケールで描いた「銀河鉄道の夜」などで知られる文学者ですが、4年間、花巻農学校で教鞭を執った時期がありました。その教師時代を振り返って宮澤賢治は次のような断章を残しています。

「この四ヶ年がわたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」

 無名のまま亡くなり没後80有余年の今日、文学者として、思想家として、そして教育者としての宮澤賢治は益々注目されてきているように思われます。

 全国高等学校PTA連合会大会岩手大会では、いじめ問題、スマートフォン依存など現在の高校生をめぐる様々な課題について、講演、意見発表、討論が行われました。ITをはじめ社会の急激な変化の中、高校生は自分の進むべき未来を目指すことができるのかとの危機感が会場では共有されていました。

  しかし、保護者も私たち教師も、これからの新時代を担う君たちに期待しています。きっと君たちは、心を開き、未来圏からの風を感じ、自分の未来を想像し、それに向かって進んで行くだろうと信じています。


(多良木高校野球場)


 


児童1人の小学校のある集落

児童1人の小学校がある集落

~ 多良木町槻木を訪ねて ~

 急速な少子化に伴い、熊本県内では小・中学校の統廃合が進む中、昨年度、7年振りに新入児童を迎えて再開校したのが多良木町立槻木(つきぎ)小学校です。役場から南に約20㎞離れた山間部の槻木には、昨年度の小学校再開校式以来、訪ねる機会がなかったのですが、夏季休暇を利用し、先日訪問してみました。県道143号が槻木には通じていますが、標高700mあまりの峠を越えなければならず、峠付近は折れ曲がった細い道路が続き、対向車との離合は容易ではありません。多良木高校からおよそ40分の運転で槻木小学校に着きました。

 槻木小学校で、槻木の集落支援員をされている上治英人(うえじひでと)さんとお会いしました。上治さんの長女の南鳳(みお)さんが同小にとって7年振りの新入生でした。介護福祉士、ケアマネージャーでもある上治さんは、多良木高校の福祉教養コースに強い関心をお持ちで、高齢社会を支える人材の育成について、知識と経験を活かしたいと熱っぽく語られました。多良木高校の教育活動への地元の強力なサポーターがまた一人増えることになり、有り難く思います。

 槻木小学校からさらに南の下槻木地区まで車を走らせ、室町時代の木造弘法大師像を安置する大師堂や同じく室町時代に建立された四所(ししょ)神社、県指定天然記念物のコウヤマキなどを見学して回りましたが、中でも目を引いたのが、大師堂脇の「悠久石」(ゆうきゅうせき)と呼ばれる、直径140㎝、重さ約4トンの巨大な丸い石(砂岩)です。平成18年の大雨で山の斜面が崩壊し、その中から出現したもので、自然の造形の不思議さに魅了されます。

 槻木は過疎に悩む高齢者中心の集落ですが、都市とは異なるゆったりした時間が流れ、先人から受け継がれてきた歴史と文化があります。そして、このような集落にとって、小学校の存在はかけがえのない拠り所であり、希望となっていることを改めて実感しました。