校長室からの風(メッセージ)
18歳選挙権への期待
2月8日(金)は生徒の登校日でした。2月に入り生徒は家庭学習期間となり、教職員の大人だけの学校でしたが、やはり生徒が登校してくると校内の活気が違います。生徒が存在してこその教職員であり、学校であると改めて認識します。卒業式及び閉校式の予行も実施する一方、主権者教育として18歳選挙権に係る出前授業(多良木町選挙管理委員会)を開催しました。
公職選挙法が70年ぶりに改正され、選挙権年齢が満20歳以上から「満18歳以上」に引き下げられたのは平成27年6月でした。翌年施行されて以来、2年半余りとなります。本校においても、2年生の3学期に多良木町議会傍聴を行うなど力を入れて取り組んできました。特に2年前の多良木町町長選挙では二人の候補者に正門前まで来ていただき、選挙権のある3年生に公約に係る演説を聴かせる企画で注目されました。お蔭で、この町長選挙やその前年夏の参議院選挙における本校生の投票率は85%を超える高いものでした。
卒業する最後の3年生67人にとっては、4月の統一地方選挙が初めての選挙となるでしょう。卒業前、登校日に町選挙管理委員会の方に来ていただき、特別にセミナーを行うことで、主権者としての意識を高める狙いがありました。選挙が近いという理由だけではありません。機会ある毎に生徒達には伝えてきましたが、平成の次の新しい元号の世は、間違いなく彼らの時代だからです。人口減少そして少子化という我が国が直面している大きな変化によって多良木高校は閉校していきます。この社会構造の転換期に、新しい社会を創っていくのは彼らなのです。
多良木高校前身の女学校が創立された大正11年(1922年)は、男性の多額納税者しか選挙権を有していない時代でした。男子普通選挙(満25歳以上)が実現したのは大正14年です。戦前、女性は選挙権を得ることはありませんでした。男女普通選挙(満20歳以上)が実現したのは昭和20年12月でした。選挙権には先輩方の願いが込められていることを、平成最後で本校最後の卒業生に伝えたいのです。
18歳選挙権に係る出前授業の様子
「卒業考査」が終わる
3年生67人しか在籍していない本校にとって、1月29日(火)から31日(木)にかけ3日間行われた卒業考査は、通常の教育課程の最後となるものでした。3年生は明日2月1日から家庭学習期間に入り、3日間の登校日を経て、3月1日の卒業式を迎えます。
卒業考査の最終日の午後、地域の税理士さんを講師として招き、「租税教室」を開催しました。高校卒業に当たり、社会の仕組みを支える税について改めて学ぶセミナーであり、例年実施しています。高校生にとっては、身近な消費税以外、税への関心は低いものです。しかし、卒業生のうち四割は就職することになります。また、進学する生徒にとっても社会の当事者意識を持つ意味で、税の重要性を具体的に理解することは意義が大きいと考えます。高校でも「現代社会」(全員必修)や「政治・経済」(選択履修)の科目で学習してはいますが、税のプロである税理士さんによるセミナーは生徒たちに強い印象を植え付けるようです。
卒業考査が始まる前日、福祉教養コースの生徒14人が調理室でクッキーを作り、それぞれ包装して全職員へ贈ってくれました。校長室にも担当の生徒が持ってきてくれました。クッキーが入った小箱には生徒たちによる手書きのメッセージの紙が添えられていました。「先生方にはたくさん迷惑をかけました。立派な大人になります。」と書かれていました。
14人という少人数での福祉の専門の授業や校外での実習(保育園・介護福祉施設等)が多かったため、濃密な人間関係でした。絆が強まる一方、意見の対立や誤解から衝突することもあったようです。職員と放課後遅くまで話し合う光景も見られました。しかし、そのような人間関係のトラブルを経験することも高校時代は必要だと思います。トラブルを学びに変えることが大切です。異なる自我の存在である他者同士がどうすれば協働して学び、作業できるのか? この3年間で学んだことは大きな財産になるでしょう。
一か月後、卒業証書を手渡す日が待ち遠しくなります。
租税教室の様子
永遠瑠マリールイズさんのお話
1月19日(土)、大学入試センター試験を受験する多良木高校生7人を会場の東海大学(熊本市)で励ました後、日本教育会熊本県支部の講演会(ホテル熊本テルサ)に参加しました。講師は、ルワンダ人として波乱の体験を経て、日本国籍を取得された永遠瑠(とわり)マリールイズさん(53歳)です。
ルワンダで洋裁の教師として働いていたマリールイズさんは、日本から派遣された青年海外協力隊員と出会い、その協力者として活動したため、1993年に来日してJICA(国際協力機構)の研修を福島県で受けることになります。その時、彼女のホームステイ先の80歳を超えた老婦人が新聞を毎日読む姿を見て、日本という国の識字率の高さに驚きます。さらに日本語の学習をとおして、丁寧に読み書きを繰り返して上達していく教育過程の大切さを知ります。この日本との出会いは、帰国後の1994年に起こったルワンダ内戦に巻き込まれたマリールイズさんを救うことになるのです。日本の知人たちの応援もあり、マリールイズさん家族は「難民」ではなく「留学生」としての来日が認められたのです。
マリールイズさんは2000年に「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、ルワンダに初等教育の学校を設けて日本式教育の導入に取り組まれています。講演の中で、江戸時代以来、「読み・書き・計算」の習得に力を入れてきた日本の初等教育の素晴らしさを称えられ、100年以上も続いている小学校があることを絶賛されました。そして、子どもたちの健康を支える「給食制度」、全員で楽しむ「運動会」などをルワンダの学校においても実現されています。
「社会の平和」と「教育の普及」がいかに尊いものか、マリールイズさんは流暢な日本語で私たちに熱く語られました。学校教育に携わる私たちは、改めて先人の見識に敬意を表すると共に、教育の原点に立ち戻る大切さを認識しました。そして、内戦を克服したルワンダが女性の社会参加を促進し、女性政治家が日本よりもはるかに多いという事実を知り、他国からもっと学ばなければならないと反省したのです。
大学入試センター試験に臨む7人
平成31年度大学入試センター試験に多良木高校から7人の生徒諸君が挑みます。1月19日(土)、20日(日)、東海大学校舎(熊本市)で受験します。受験を前に、17日(木)の昼休みに校長室で激励会を行いました。その時の校長の励ましの言葉を次に掲げます。
「大学入試センター試験は全国で約57万人が受ける大規模なもので、高校3年間の学力の到達度を評価する、教育的意義がとても大きいものです。普通科の高校生には大学入試センター試験の受験を私は勧めています。たとえ秋に推薦入試で合格が決まっていても、冬まで受験勉強を続けて学力を充実させ、春の進学につなげて欲しいのです。
マーク式の選択問題ですが、勘で当たるような生易しいものではありません。思考力が問われます。限られた時間で、問題に取り組み、解答を考えることは、思考力を鍛える最上のトレーニングです。情報や知識の量だけならインターネットに人は叶いません。限られたパターンの中での最適解を求める作業力ではAI(Artificial intelligence)に遠く及ばないでしょう。チェスや囲碁の名人がAIに敗れるくらいです。
しかし、皆さんはその上をいかなければならない。インターネットの膨大な情報やAIの驚異的な演算能力を活用できるようにならなければならない。そのために、自らの思考力を鍛えるのです。皆さんはこれから上級学校へ進学して、答えのない学問の世界へ入っていきます。答えのあるものはAIに任せればよいのです。けれども、学問とは問いを立てることを学ぶものです。自分で学ぶ目的を創りだして、「こうなっているのだろうか」と仮説を立て追求することが学問です。これは人間にしかできないことです。インターネットやAIは責任を取りません。やはり、人が責任をもって考え、問題を追求していくことが必要です。
7人の皆さんを多良木高校の代表としてセンター試験に送り出します。試験に臨む以上は、本番が最も良い結果となるよう、これまで勉強してきた力を十分に発揮してください。」
「箱根駅伝」を走った先輩
「多良木高校が僕の原点です」。
上武大学4年生、駅伝部主将の太田黒卓君(20歳)は高校時代を振り返って語りました。1月2日の箱根駅伝往路の2区(23㎞)を上武大駅伝部のエースとして力走した太田黒君が1月10日に多良木高校を訪問してくれ、校長室にて握手で迎えました。
高校時代、太田黒君は陸上の中・長距離選手として活躍し、3年次では熊本県高校総体の800mと1500mのチャンピオンに輝き、全国高校総体(インターハイ)の800mでは8位に入賞しました。穏やかで実直な人柄は皆から慕われる一方、陸上にかける並々ならぬ情熱と強い意志を持ち、朝夕、グラウンドを黙々と走る姿が印象的で、今も私の目に焼き付いています。そして、「箱根駅伝を走りたい」という夢を掲げ、上武大学(群馬県)に進学し、2年次から3年連続で箱根駅伝に出場を果たしました。
4年生で主将という重責を担い、10月に東京で開催された箱根駅伝予選会ではぎりぎりの11位で通過して本大会に臨むことになりました。結果は、自分自身の2区での設定記録及びチームの目標のシード権獲得(総合10位以内)に届かなかったのですが、やり切ったという満足感が強く悔いはないと語りました。
毎年、箱根駅伝が終わると帰省し、母校に挨拶に来てくれる律儀な青年です。大学の競技生活に区切りがついたため、この度の帰省は長くなりそうで、1月20日(日)の奥球磨ロードレース大会に出場すると聞きました。そして、4月からの社会人生活に向けて、今、自動車学校にも通っていると笑って話してくれました。ひたすら走り続けた大学4年間、自動車学校へ行く余裕はなかったのでしょう。一つのことにひたむきに取り組んだ証と言えるかもしれません。青春を箱根駅伝に賭けたかけがえのない4年間だったと思います。
「母校の閉校はやはりさびしいことです。しかし、春から社会人となり実業団で走り続けます。」と太田黒君は目を輝かせて語ってくれました。
未来に向かって走る青年をこれからも応援したいと思います。
箱根駅伝2区を走る太田黒選手(本人提供)
未来へ ~ 3学期始業式の校長挨拶
「平成31年、西暦2019年が始まりました。時代は転換期を迎えています。
4月30日に天皇陛下は譲位され、30年続いた平成の世は終わります。翌5月1日に新しい元号に改元され、皇太子殿下が新天皇として即位されます。明治維新以来、天皇陛下が亡くなられること(崩御と言いますが)、これをもって元号が変わっていたため、天皇陛下が譲位され上皇となられるのは江戸時代後期以来、実に200年ぶりのことです。
そして、私たちの多良木高校は3月2日に閉校式を迎えます。前日に卒業式を終えた皆さんは、この閉校式において本校最終学年、アンカーとしての最後の使命を果たし、ゴールテープを切ることになるでしょう。
さて、皆さんの2学年上の先輩たちが新成人となり、1月4日の午後、本校で「成人の集い」を開き、40人を超える参加者がありました。高校を卒業し、就職して働いている人、進学して学び続けている人と進路はそれぞれですが、社会という広い世界を旅して、久しぶりに母校に帰ってきてくれた新成人の皆さんは頼もしく見えました。当時の担任の境先生、本田先生も駆け付けられ、時間が2年前に遡ったような懐かしく温かい再会の場となりました。
けれども、その時、皆さん達が新成人となる日のことを私は想像し、切ない気持ちになりました。2年後に多良木高校はありません。皆さんをはじめ全ての同窓生にとって帰る母校はなくなります。最後の校長として、そのことを大変申し訳なく、無念に思います。
しかし、皆さんには未来があります。多良木高校のゴールは3月ですが、そのゴールの先に皆さんの未来は広がっています。未来へ向かってください。多良木高校はやがて記憶の中の風景となるでしょう。けれども、皆さんの心にその記憶をいつまでもとどめていて欲しいと思います。
残り少ない高校生活を大切に過ごし、多良木高校生としての日々を心に焼き付けてほしいと願い、3学期始業式の挨拶とします。」
3学期始業式での生徒表彰
新成人の集い
新成人の集い
新年明けましておめでとうございます。
1月4日(金)の午後、多良木高校において、平成28年度卒業生の「新成人の集い」を開催しました。2年前の卒業生64人のうち40人を超える参加があり、晴れ着姿の女性も多く、学校は華やかさと活気に包まれました。この「新成人の集い」における校長挨拶を次に掲げます。
「成人式を迎えられたことを心から祝福します。誠におめでとうございます。高校卒業後、就職し働いている人、進学し学び続けている人と進路はそれぞれですが、社会は如何ですか。未知の仲間や物語があなた達一人一人を待っていたことと思います。社会という大海原を航海し大人に成長した皆さんが、こうして母校(港)に帰ってきてくれたことを私たち教職員一同心から歓迎します。皆さんの来校を、教室が、廊下が、そして校舎全体、グラウンドが喜んでいるように私には思えます。
平成28年度卒業の皆さんは、本校にとって3学年そろった最後の卒業生でした。皆さんは、閉校の寂しさや後輩のいない心細さを感じることなく高校3年間を送ったと思います。皆さんが卒業する時点で、閉校と皆さんの新成人の時が重なることがわかっていましたから、2年後に母校に集まってもらうよう、卒業の時に私から案内状を渡しました。こうして多くの卒業生が来校してくれ、新成人の輝く姿を見せてくれたことを感謝します。また、教育的愛情と情熱でもって皆さんを励まし、支え、導かれた担任の本田優美先生、境亜希先生も来てくださり、時が2年前に遡ったようで感無量です。
来る3月をもって本校は閉校しますが、その1か月後には平成の次の新しい元号の時代が始まります。皆さん達の時代です。少子高齢化をはじめ我が国は様々な課題に直面していますが、それらに取り組むのは皆さん達です。誰かヒーローが現れて問題を解決してくれるだろうと待ってはいけません。皆さん達一人一人が新しい時代の主人公であり、日々の生活の中で少しでも良い社会を創り上げていってください。
多良木高校は96年で閉校しますが、皆さんは百年生き抜いてください。そして、できることなら22世紀の世界も見てください。皆さんの人生はこれからです。前途洋洋の新成人の未来を祝福し、挨拶といたします。」
地域の皆さんと一緒に大掃除
地域の皆さんと一緒に大掃除
最後の学年の2学期が終了しました。12月21日(金)の終業式の前に生徒と職員で大掃除をしたのですが、改めて25日(火)の午後4時から再度、第1体育館や図書室の大掃除を行いました。本校の最大規模は昭和47年度で、この時は24学級(1学年8クラス)、生徒数1150人を数えました。この規模の校舎と校地を維持しながら、生徒数は急速に減少し、今年度は最終学年67人が学校生活を送っています。従って、普段の掃除活動は日常使う教室や廊下、生徒用トイレ等が対象で、体育館や特別教室、校庭まで手が回りません。そこで、冬季休業初日の25日に、職員をはじめ生徒と保護者の有志、そして地元多良木町6区と8区の皆さんに呼びかけて、大掃除を計画したのです。
学校の勝手なお願いにも関わらず、年の瀬の慌ただしい中、6区と8区の住民の皆さんが大勢集まっていただき、胸が熱くなりました。これまでも防災訓練や体育大会での合同競技、そして公民館活動での交流等、本校の教育活動に献身的にご協力頂いた地域の方々の学校へ寄せる思いに頭が下がります。また、球磨郡のオートバイ愛好団体の方がサンタクロース姿に扮してバイクで駆け付けられ、生徒達を激励されるサプライズもありました。
大掃除は、第1体育館の清掃、そしてパイプ椅子の選別、さらに図書室の廃棄書籍の運び出し等に全員で当たり、約1時間で終了しました。お蔭で、来る3月1日の卒業式及び翌日の閉校式の会場となる第1体育館の片付けが済み、すっきりしました。地域に開かれた学校として歩んできた本校は、最後まで地域の方々に助けられていると思います。
多良木町6区、8区の皆様、そして多良木高校をご支援いただいた多くの皆様、どうか良いお年をお迎えください。
「一年の心の煤(すす)を払はばや」(正岡子規)
海軍少将の高木惣吉のこと ~ 望(忘)年会
海軍少将の高木惣吉のこと ~ 望(忘)年会にて
12月21日(金)に多良木高校は2学期終業式を行いました。残暑厳しい8月28日(火)の始業式以来4か月の期間、67人の生徒たちの高校卒業後の進路は決まりました。終業式の校長講話では、改めて多良木高校96年の歴史を振り返り、先輩たちから襷が継承されてきた結果、「最終走者として皆さんが今ここにいる」ことを意識させ、アンカーとしての使命感を訴えました。
その夜、人吉市の旅館で職員の忘年会を催しました。本校の忘年会は、敢えて字を変え、「望年会」としており、新年を望むという気持ちを込めています。望年会の場所は、人吉市出身の海軍軍人の高木惣吉ゆかりの旅館で、離れに記念室が設けてあります。本校の職員をはじめ地元の人吉市、球磨郡においても高木惣吉のことを知らない人が多いため、敢えて、望年会冒頭の校長挨拶で紹介しました。
高木惣吉(1893~1979)は人吉市西瀬の出身で、小学校卒業後、苦学して海軍兵学校、海軍大学校で学び、知性派の海軍軍人として最後は海軍少将にまでなりました。しかし、よくある立志伝の軍人ではありません。彼の真骨頂は、太平洋戦争の絶望的な戦局の中、身を挺して終戦工作に奔走したことにあります。海軍首脳の米内光正、井上成美らの密命を受け、このまま戦争を継続すれば我が国は滅亡するとの危機感から、危険な終戦工作に当たります。軍人でありながら、戦争をやめることに命を懸けた少数の良識ある人物がいたことは後に知られるようになります。戦後、高木は公職には就かず、大戦中の実相について著述に取り組み、湘南で穏やかな晩年を過ごしました。熊本県教育委員会は平成27年度「熊本県近代文化功労者」として高木惣吉を顕彰しています。
高木惣吉と比較することはまことに気が引けますが、私たち多良木高校教職員も、最終学年の生徒の教育に全力を尽くす一方、学校を閉じる業務に努めるという相反することを両立させなければならない立場にあります。「難しい仕事ではありますが、使命感をもって全員で事に当たっていきましょう」と望年会で職員を励ましました。
2学期終業式での生徒表彰
「体力向上優秀実践校」受賞
「体力向上優秀実践校」受賞 ~ 最後のクラスマッチ・駅伝大会
12月19日に百人一首とバレーボールのクラスマッチ、そして翌20日に駅伝大会を開催しました。駅伝は、男子が1区間4.2㎞、女子が1区間3.5㎞を走り、男女混合5人編成で1チームつくります。全体で12チームが参加し、学校及びその周辺道路のコースで競いました。体育の授業で冬季は持久走があり、その成果発表の場として毎年駅伝大会を行っています。多くの保護者の方が大会に協力され、コースの各ポイントに立っての交通指導、そして競技後に全員で楽しむ豚汁作りに取り組まれました。
持久走を苦手とする生徒は少なくありません(特に女子)。しかし、生徒達は苦しい表情を浮かべながらも自分の役割を果たして次の走者に襷を渡し、最終走者のアンカーをチーム全員で迎える光景は誠に爽やかでした。日頃から交流のある近隣の保育園児も応援に駆け付け、歓声が響き渡りました。
出場した選手全員が走りぬき、達成感を覚えながら全員での豚汁の昼食となりました。私たち職員も頂いたのですが、肉や野菜など豊富な具材に加え、お母さん方の「愛情」という調味料が入った味は絶品で、身体が温まりました。
さて、先月、熊本県教育委員会から「体力向上優秀実践校」表彰を本校は受けました。2年前に続いての受賞です。この賞は、生徒達が毎年1学期に受ける8項目の体力・運動能力テストの記録が良好であること、そして学年進行に伴い順調に伸びていることが評価されます。現在の3年生は、男子が8項目全て、女子も5項目で県平均・全国平均の記録を上回っています。
「体力向上優秀実践校」受賞の理由は大きく三つあると思います。一つは、体育の授業及びその成果発表の場である体育的行事が充実していること。二つ目は、体育系部活動への生徒の加入率が高いこと。そして三つ目は、生徒一人一人が健康を意識し自己管理できていることだと考えます。
多良木高校最後の学年の生徒達は平均の高校生よりはるかに体力・運動能力を有しています。高校3年間、いや学校生活12年間で彼らは人生の土台を築き上げたのです。そのことをとても頼もしく思います。
校内駅伝大会 走り出す1区の選手
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄