校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

青春とは叱られる季節

 4月10日(月)の午前、第一体育館にて平成29年度一学期始業式を行いました。校長挨拶の一部分を次に掲げます。

 「年度初めにあたり、「叱る、叱られる」ということを改めて皆さんに考えてほしいと思います。誰もが叱られるのは嫌です。大人になっても叱られるのは嫌なものです。しかし、皆さんは、学校生活で、部活動で、あるいは家庭で、叱られることが多い日々でしょう。なぜ叱られるのか。それは皆さんがまだ成長できるからです。
 永田和宏という方がいます。70歳を超えた科学者(細胞生物学)で京都大学名誉教授であり、歌人としても知られています。この方がこんな短歌を詠んでいます。

「もうわれを叱りてくるる人あらず 学生の目を見据えて叱る」

 名誉も地位もきわめた永田教授を叱る人は大学にはいません。そのことの寂しさ、空しさを実感しているのです。そして、これから成長していく若い学生に期待を込め、その目を見据えて叱っているのです。私たち教職員は、永田教授のように偉くはありませんが、思いは同じです。皆さんにもっと成長してほしい、伸びてほしいという教育的愛情を胸に叱るのです。そのことをわかってほしいと思います。青春とは叱られる季節なのです。

 全校生徒136人の多良木高校は今日から動き出します。お互い一日一日を大切にしていきましょう。これで平成29年度初めの私の話を終わります。」



多高生のちょっといい話

 この春休みに私が見聞きした多高生のちょっといい話を三つ披露します。

 一つ。サッカー部の皆さんが、春休み中も玄関や事務室・職員室前の廊下を掃除してくれました。春休み中も学校は多くのお客さんがありましたが、お蔭で、さっぱりした環境でお客さんを迎えることができました。

 二つ。野球部のマネージャーの皆さんが、先週の金曜日、雨の中、第二体育館正面の階段を掃除してくれました。あの階段は雨ざらしのため、黒いシミや緑の苔のようなものがたくさん張り付いていたのですが、雨の中、合羽を着て、ブラシを使い綺麗にしてくれました。

 三つ。先週のある日、学校の近くで、体調不良のため歩いては休み、歩いては休みの状態の高齢のご婦人がいらっしゃいました。そこを通りかかった新2年の女子生徒の人が「大丈夫ですか」と声を掛けしばらく介助に当たったそうです。やがて娘さんが車で迎えにこられ大事には至らなかったのですが、翌日、そのご婦人がお礼に来校されました。その女子生徒に私が話をしたところ、本人は特別のことをした意識がなく、自然体で女性に寄り添ったことを知りました。そこが爽やかで私自身もとても良い気持ちになりました。

 この三件の行為をおこなった皆さんに対し、心から拍手を送りたいと思います。以上の三つは私が見聞きしたもので、他に私が知らない、多高生のちょっといい話はたくさんあると思います。みなさんの行いをだれかが見ています。もし誰も見ていなくても、自分自身は見ています。多高プライド。皆さん、誰も見ていない時こそ、自分に恥じないふるまいをしていきましょう。


高等女学校の教科書に想う

高等女学校の教科書に想う

 多良木高校の前身の多良木高等女学校時代の教科書2冊を同窓生の方から寄贈いただきました。いずれも昭和21年3月に印刷、発行された「中等被服一」と「中等物象一」で、当時は国定教科書であったため、著作発行者は文部省となっています。

 最初に驚いたのが、「物象」という教科名です。「物象」とはどんな内容なのかと頁をめくると、物体に働く力、液体・気体の圧力、熱などの物理の内容でした。教育史を調べてみると、太平洋戦争中の昭和17年(1942年)に中学校(旧制)と女学校の「理科」が「物象」と「生物」に分けられたことがわかりました。そして、昭和22年(1947年)、現在の男女共学の中学校制度になると再び「理科」に戻りました。高等女学校は同年に募集停止となっていますので、最後の「物象」教科書と言えます。

 「被服」の教科書を読むと、日常生活の服装のありかた、服の手入れ、そして手縫い及びミシン縫い等について図解入りで丁寧に説明されています。その中の一節に「今わが國は、大きな新しい時代を前にして、はげしい努力を續け、苦難に堪へてゐるのです。」とあり、終戦の翌年という世相を反映しています。

 昭和21年3月と言えば、敗戦という未曽有の危機からまだ半年余りであり、相当の社会的混乱の時期だと想像できます。しかし、その状況下にあって、高等女学校の教科書が国によって整然とつくられていたのです。「被服」は縦14.5㎝、横21㎝の右綴じ、「物象」は縦19㎝、横13㎝の左綴じで、両方とも糸による和綴じ、黒い厚紙で背表紙が付けられています。現代の教科書に比べるとまことに質素な作りですが、戦後の新しい教育の象徴に見え、健気で愛おしく感じます。

 また、もっと胸に迫ることは、女学校時代から七十年もの間、教科書を大切に所持してこられた同窓生の思いです。この教科書の裏表紙には、御尊父の手による生徒名が達筆な墨書で記されています。御嬢さんが女学校に合格された喜びが伝わってくるかのようです。その御尊父の愛情の記憶と共に古い教科書は今日まで伝わってきたのでしょう。



桜咲く校庭

桜咲く校庭

 4月3日(月)、多良木高校の平成29年度の始動の日です。この日に合わせるかのように校庭の桜も咲き始め、穏やかな春風の中、3分咲き程度の花が揺れています。中でも、正門近くの国旗掲揚台近くの桜は、来校者を歓迎するかの如く優美です。

 今年は例年になく桜の開花が遅れ、全国的なニュースとなっています。熊本県も大幅に遅れ4月1日に気象庁の開花宣言がなされました。平年であれば、満開の時期です。球磨郡の桜の名所で知られる水上村の市房ダム湖周辺の1万本の桜も開花が遅れ、先月末の村の「桜まつり」開催の時点では全く花は開いていませんでした。

 桜は日本人にとって春を象徴する特別の花であり、開花の知らせを聞くと、心がざわざわと浮き立つから不思議です。桜の季節になると必ず口ずさむ俳句があります。

 「さまざまの ことおもいだす 桜かな」(芭蕉)

 私たちは桜の花に「凝縮された時間」を見ているのでしょう。四季が巡り、再び春となり、ふと立ち止まって桜の花を愛でながら、過ぎた時間を思い返すのかもしれません。

 この春、多良木高校には新入生はいません。閉校まで2年となり、2年生、3年生の136人が学校生活を送る前例ない期間に入ります。人事異動に伴い、6人の職員が転出しました。しかし、新たに3人の職員を本日迎えました。校庭の桜は、新しい同僚を歓迎すると共に、春休み期間も毎日練習に励む部活動の生徒たちに対し優しく微笑んでいるかのような風情です。


 

平成28年度修了式にあたって

 3学期終業式及び平成28年度修了式を3月17日(金)に第1体育館で行いました。校長挨拶の一部を次に掲げます。

 「皆さんは、一時の感情の赴くままにしゃべり、あるいはネットに書き込んで、後悔したことはありませんか? 防ぐ方法は一つ、ちょっと立ち止まることです。感情的になっている時に、自分の意志で立ち止まることができるか、どうかです。あまりに自分中心になっていないか振り返るために、ちょっと立ち止まってください。
  古代中国の思想家である孔子の教えをまとめた「論語」という本に次のような戒めがあります。

  「師曰く 人の己れを知らざることを患えず、人を知らざることを患う。」

  人が自分のことをわかってくれないと嘆き心配するより、自分が人のことを理解しようとしていないことを心配しなさいという意味でしょう。

  外交官として世界各地の大使館で長年活動された方が興味深いことをインタビューで述べておられました。外交とは、日本を代表し国益のため相手国と交渉し国と国との関係をより良いものにしていく難しい業務ですが、日本の外交官は相手国との交渉において、目指す点数があるという箇所に特に興味を持ちました。外交官は100点や90点は目指してはいけないそうです。では何点を目指していると思いますか?51点が目標だと云われました。残りの49点は相手国にあげると。外交交渉で100点や90点を日本側がとったら、それは日本にとっては完全勝利かもしれないけれども、相手国の反感、反発をかい外交は中断してしまう。かといって50点対50点では事態が変わらないまま平行線です。だから、51点がベスト。1点づつ積み重ねていって、時間をかけ関係を改善していくという粘り強い姿勢で外交に取り組んできたと云われました。
  これは国と国との関係、外交のお話ですが、人と人との関係を考えるうえでも示唆に富むと思い、皆さんに紹介しました。

 結びになりますが、1年間、皆さんと共に多良木高校で過ごすことができ、教師として本懐だと思っています。感謝の思いです。」