校長室からの風(メッセージ)

2016年12月の記事一覧

女子バレー部の優勝 ~ 球磨郡旗大会

                     女子バレー部の優勝

~ 球磨郡バレーボール協会旗大会 ~

  
  エースアタッカ-の加原さん(1年)の高い打点からのスパイクが決まり、2523。接戦を制し、多良木高校が人吉高Aチームを破って優勝。会場の多良木高校第1体育館は応援に詰めかけた野球部員、保護者等から大きな歓声があがりました。監督の境教諭の目にも涙が光ります。

  12月23日(金)、天皇誕生日の祝日に多良木高校体育館で球磨郡バレーボール協会旗大会が開催され、人吉球磨地域の4高校5チームの女子バレーボールチームが参加しました。気温の低い一日でしたが、どの試合も白熱した好ゲームが続き、体育館内は熱気に包まれました。

  多良木高校女子バレー部は、キャプテンの高尾さん(2年)を中心にチームワークが抜群で、日頃からひたむきに練習に取り組んでいます。部員は10人(2年3人、1年7人)と少ないのですが、きびきびとした動き、大きな掛け声、そして練習の最後には校歌の合唱と、日々の活動をとおして元気を発信し、学校の活力を生み出してくれる存在です。

  一つのボールに集中する姿勢、きらきらとした眼の輝き、お互いを励ましあう連帯と多良木高校女子バレー部の真価が発揮され、この大会での15年ぶりの優勝を勝ち取りました。午前中から陸上部、男子バスケット部、そして午後は野球部と他の部活動の生徒たちも応援に駆け付け、ホームならではの大きな声援が2階席から飛びかい、コートの選手たちと応援団との一体感が醸成され、決勝戦の雰囲気は最高潮でした。

  県大会レベルに比べると小さな大会ですが、その勝利を多くの生徒、職員、保護者の方々と分かち合えたという点で大きな喜びを学校にもたらしてくれました。高校生の躍動感とスポーツが持つシナリオのないドラマに引き付けられた一日でした。


 

2学期表彰式・終業式

 12月22日、年の瀬とは思えない温かさの中、第1体育館で2学期の表彰式・終業式を行いました。終業式での校長講話の一部を掲げます。

  「さて、2学期の始業式で、生徒指導主事の上原先生が印象的な呼びかけをされました。「2学期の多良木高校はごみが落ちていない学校にしよう」と。覚えているでしょうか。

  ごみは自然に生まれるものではありません。誰かが何かを捨てて、あるいは放置してごみとなります。どんな時にごみを捨てるのでしょうか? 恐らく、周囲に人の目がある時にはごみのポイ捨てはしないはずです。誰も見ていない時にするのでしょう。結局、誰も見ていない時にどんな行動をとるかでその人の人間性は決まるのではないでしょうか。誰も見ていない時に黙々と練習する人、勉強する、掃除をする人は、きっと伸びるでしょう。誰も見ていない時にさぼる人、ごみを捨てる人とは大きな差がつくはずです。皆さん、プライドを持ちましょう。皆さんの行いを誰かが見ています。たとえ誰も見ていなくてもあなた自身は見ています。自分自身に誇りを持つと見苦しいことはできないはずです。そんなことをする自分を自分自身が許せない、という気持ちになってくれることを期待します。お蔭で、2学期は校内のゴミも減り、とても気持ちが良いものです。3学期はさらにすっきりした学校環境になることを望んでいます。

  明日が天皇誕生日で祝日、そして明後日24日がクリスマスイブ、25日がクリスマスですね。皆さん、クリスマスとは何を祝う日なのですか? そう、世界で最も信仰する人が多い宗教のキリスト教、その創始者であるイエス・キリストの誕生を祝福する聖なる日です。けれども、イエスキリスト、英語名のジーザス・クライストという人物が12月25日に生まれたという記録はありません。聖書にも書かれていません。では、なぜ12月25日に生まれたことになったのでしょうか? キリスト教が成立し、最初に広まったのはヨーロッパをはじめ北半球です。日本も含む北半球はこの時期が最も昼が短く夜が長くなります。日本では冬至と呼ばれる日がありますね。今年は昨日12月21日が冬至で、1年で最も昼間の時間が短い日でした。夜の暗さに長く支配されていた北半球が光を取り戻し、一日一日、昼間の時間が長くなっていく変化の時期なのです。そのような時に人々に光をもたらす救世主イエスキリストが誕生したのだとヨーロッパの人は考えたのです。

  冬来たりなば春遠からじと言われます。これから一日一日、少しずつですが、太陽の時間が長くなります。新しい年、西暦2017年、平成29年を希望をもって迎えましょう。皆さん、良いお年を。」

次の人に襷をつなぐ ~ 校内駅伝大会

 12月21日(水)に校内駅伝大会を行いました。学校周囲の一般道のコース(男子4.5㎞、女子3.4㎞)を1チーム5人がそれぞれ走り襷をつなぎました。レース後には保護者の方々が作られた豚汁を生徒全員でいただきました。大会後の校長講評を掲げます。

 「2年1組の皆さん、優勝おめでとう。襷をつないだ5人の懸命の走りは力強さがありました。優勝するぞという気迫が伝わってくる走りでした。2年1組は昨日のクラスマッチでは、女子のバスケット、男子のバレー共に準優勝で悔しい思いをしたので、喜びもひとしおと思います。また、惜しくも2位となった1年2組の皆さんの快走にも驚かされました。昨日の1年1組のバスケットの優勝と合わせて1年生のエネルギーを感じました。

 長距離走は多くの人が苦手とするものだと思います。けれども、次の人が待っている、ゴールではみんなが待っていることが走る力となります。多くの熱い声援に支えられ、参加者全員が完走したことを頼もしく思います。さすが多高生です。

 この二日間をとおして改めてスポーツの素晴らしさを感じました。私が小学生のころはソフトボールとドッジボールが人気で、友達と夢中になってやっていましたが、エラーしたり、ミスしたりすると、お互いよく「ドンマイ、ドンマイ」と声を掛けあっていました。ドンマイとは気にするなという励ましの言葉だと思い、使っていました。中学校で英語を勉強して初めて、「Dont Mind」の略語として日本人が使う和製英語だと知りました。本来は、「Never Mind」「Don’Worry」、「Switch Your Mind」などと言うべきなのでしょうが、当時は「ドンマイ」でした。しかし、思うのです。スポーツをしている時ほど、ごく自然に「ドンマイ」のような励ましの言葉が出る時はありません。これもスポーツの持つ力でしょう。

 スポーツの種目によっては得意、不得意があります。いや、スポーツ全般が苦手という人も少なくないでしょう。けれども応援はできます。また、ふだんとは違うクラスメイトや仲間の頑張る姿に気づきます。自分はレギュラーではないけれども、応援でがんばる、サポートで頑張ると様々な役割があっていいと思います。先週のある日の夕方、夕闇の中を3年生の女子生徒が数人で走っていました。「頑張るね」と声を掛けたら、「私たちは遅いんです。でも、最後の駅伝大会だから、クラスに、チームに少しでも迷惑をかけたくないから走っています」と答えてくれました。苦手でも自分の役割を果たすという姿勢に胸を打たれました。

 結びになりますが、この後、正門付近で保護者有志の方と生徒会、野球部の皆さんで門松づくりが行われます。門松は、新しい年の神様が天から降りてこられる目印(「依代(よりしろ)」と言いますが)となるものです。これで学校も新年を迎える準備が整います。来年はさらに私達の学校、多良木高校が輝く年になるという期待がふくらんだ二日間でした。」

エンブリー夫妻と「須恵村」を考える

エンブリー夫妻と「須恵村」を考える
~ エンブリー夫妻来日80周年記念シンポジウムに参加して ~

  ジョン・エンブリーとその妻エラ夫人のことを知っていますか?

  エンブリー夫妻は、今から80年前に当時の球磨郡須恵村を訪れ、1年間居住して村人と交流を重ねました。夫のエンブリーは、シカゴ大学の社会人類学研究者で、1935年(昭和10)から1936年(昭和11)にかけて夫人と共に須恵村で暮らし、村の日常生活を中心に観察と記録を行いました。外国人が珍しい時代、恐らくエンブリー夫妻は村及び近郷で驚きと好奇の眼差しで注目されたことでしょう。しかし、1930年代、日米関係が険悪化していく背景があったにも関わらず、村人は疑心なくエンブリー夫妻に接し、交流は深まっていったようです。帰国後、ジョン・エンブリーは、須恵村の人々の生活と社会を描き出した民俗誌である『Suye mura』を刊行し人類学の博士学位を取得しました。

  エンブリーの『Suye mura』は、正確な場所と時間を背景に一つのコミュニティ(共同体)の事実を集積した記録遺産として学界では高い評価を得ました。しかしながら、エンブリーその人が交通事故で42歳という若さで亡くなったこともあり、一流の知日派であったにもかかわらず次第に忘れられていきました。一方、日本語が堪能だったエラ夫人は、戦後も三度にわたって須恵村を訪問し、村民と旧交を温めました。けれども、2003年(平成15)に須恵村は周辺の町村と合併してあさぎり町が誕生するなど時代は変化し、地元でもエンブリー夫妻のことを知る人は少なくなりました。

  1217日(土)、あさぎり町須恵文化ホールで開催された「エンブリー来日80周年記念シンポジウム」では、韓国ソウル大学名誉教授(文化人類学)の全京秀氏が、「エンブリーの『Suye mura』は他に類を見ない記録遺産であり、残された1608枚の写真資料はかけがえのない貴重な歴史資料で、これをさらに研究し活用していくことが大切」と基調講演で訴えられました。続いて、琉球大学の武井准教授(歴史)と神谷准教授(社会人類学)の個別発表が行われ、会場は熱気に包まれました。

  80年前の異国の学者夫妻と須恵村の人々との交流から生まれた遺産を私たちは再認識して、次代に継承していく知恵と行動が求められています。 

                  エンブリー夫妻旧居跡の記念碑

 

冬到来、市房山の初冠雪

冬到来、市房山の初冠雪

  12月16日(金)の朝、多良木高校校庭から仰ぎ見た市房山は頂から7合目付近まで雪に覆われていました。今年の初冠雪です。その山容は神々しいばかりで、しばしの間、見とれました。登校してきた生徒たちも歓声をあげ、眺めていました。8月にイングランドから赴任したALTのジョー先生も「ビューティフル」と声を上げたほどです。

  「望みは遠し  雲居の峰の   高き市房   み空に仰ぎ」

  犬童球渓作詞の多良木高校校歌にも登場する市房山は標高1722mの九州屈指の高峰であり、球磨郡水上村と宮崎県の境にそびえており、古くから球磨人吉地域では霊峰として信仰されてきました。本校の体育コースでは2年に一度、夏季に登りますが、山頂往復に7~8時間は掛かります。昨夏、生徒たちに助けられ、私も喘ぎながら登りました。

  市房山は四季に応じて姿を変え、多良木高校を見守ってくれています。中国の古語にあるように、山容は季節に伴い、春は笑うが如し、夏は緑で滴るが如し、秋は粧(よそお)うが如し、冬は眠るが如しと言われます。しかし、周囲の山々の群を抜き、孤高の存在を見せる市房山の冠雪した威容は、何か崇高な精神の塊のようであり、威厳と共に輝くような美しさを放っていて、魅了されます。校庭に立ち、市房山を眺めるだけで、背筋が伸び、気力が満ちてくる気がします。

  今朝も厳しい寒さの中、陸上部や野球部の生徒たちはグラウンドで自主練習をしていました。また、来週に予定されている駅伝大会の練習をしている生徒の姿も見られました。「持久走は得意ではないので、クラスに迷惑かけられないから走っています。」と話しながら走る3年生の女子生徒がいました。3年生にとっては最後のクラスマッチですから、心に期すものがあるのでしょう。このような生徒たちの姿を見ていると、自然と心が温かくなり、寒さよりも爽やかさを覚えました。

  冬は空気が澄み、より一層、市房山の秀麗な姿が近くに感じます。この冬も生徒たちが頑張る姿を見守ってくれると思います。