校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

ネット世界の情報モラル

   ネット世界の情報モラル ~ 「情報モラル講話」開催

 生徒と保護者合同での「情報モラル講話」を11月9日(木)午後に本校第1体育館で開催しました。講師は数学科の本田朋丈教諭です。講話に先立ち行った校長あいさつの後半部分を掲げます。

 「皆さん達の多くは、日々スマートホンを使いこなし、友達とのコミュニケーション、関心のある情報検索、あるいはゲーム等を楽しんでいる事でしょう。しかし、ツィッターやラインなどに代表されるSNSでの不用意な書き込みで人間関係がぎくしゃくしたり、ゲームに長時間熱中しての睡眠不足になったり、または安易なネット利用での個人情報流出、法外な使用料金の請求など様々なトラブルに遭った人もいると思います。インターネットはとても便利ですが、使い方を間違えると大変なことになることは皆さんも知っていますね。

 神奈川県座間市のアパートで9人もの遺体が見つかったニュースを皆さんはどう受け止めましたか? ホラー映画のような出来事が現実に起きてしまったことに今、社会は衝撃を受けています。報道によると9人の犠牲者のうち3人は女子高校生だそうです。それも、埼玉県、群馬県、そして福島県。事件現場の神奈川県から遠く離れた県の女子高校生がどうして犯人のもとに吸い寄せられるように近づいてしまったのでしょうか。これも報道によると、SNSで知り合ったということです。恐らく、犯人は仮面をかぶり、たくみな甘い嘘をならべ、女子高校生たちを誘導したのでしょう。ネット上で知り合った人と実際に会うということがいかに危険なことか、今回の事件は教えています。

 皆さん、ネット上で困ったことがあれば、一人で悩まず信頼できる大人に相談してください。ご家族、そして私たち学校、警察は連携して皆さんを犯罪から守ります。皆さん達は大人よりスマートホンの操作技能は長けているかもしれませんが、社会経験はまだまだで、危うい存在です。便利なネット世界には危険な落とし穴があることを改めて認識してほしいと切に願います。

 それでは、講話を聴き、モラルとマナー、そして正しい知識を身に付けてトラブルから身を守ってください。」



投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙

投票率81.6% ~ 衆議院議員選挙   

 

 10月10日告示、10月22日投票の衆議院議員選挙における本校の有権者生徒の投票率は81.%でした。昨年導入された18歳選挙権制度によって、現在の3年生67人のうち有権者は38人います。その38人のうち投票した生徒は31人でした。内訳は期日前投票が7人、22日の投票が24人です。有権者で棄権した7人の内訳は、失念が3人、他は、理想の党がなかった、時間に間に合わなかった等です。

 本校生の投票率81.%は、全国の投票率53.68%、熊本県57.02%と比較すれば非常に高いことがわかります。昨年7月に実施された参議院選挙では85%、今年の2月実施の多良木町町長選挙では75%と本校生の投票率は高いまま維持しています。学校として取り組んでいる主権者教育の一定の成果が出ているのでしょう。

 しかし、それだけではなく、選挙に際して、ちょっとした仕掛けを行い投票につながるよう誘導しているのです。選挙告示の日に有権者の生徒に2枚のプリントを配布し、担任から選挙の意義を伝えます。1枚のプリントは選挙行動に係るアンケート用紙で、「1 投票に行った・行かなかった」、「2 いつ投票したか」、「3 なぜ投票に行かなかったのか (理由記述)」の3項目です。このアンケート用紙を投票日の翌日に担任に提出することになります。
 また、もう1枚は、「一緒に投票に行こう」という保護者への呼びかけです。「子どもさんが20歳になったら一緒に酒を飲むことを楽しみにされているかもしれません。しかし、18歳選挙権を得て一緒に投票に行くことで、子どもさんの成長を実感されると思います。『一緒に投票に行こう』をご家庭で合言葉にしていただけませんか。」という趣旨のお願いとなっています。

 2枚のプリントというささやかな工夫で、生徒の投票行動を促す効果があると思います。投票率81.6%という数値に私は誇りを覚えます。人生で最初に迎える選挙において、責任を伴う国民としての大切な権利を施行できるよう学校が後押しすること、これも教育だと思います。



杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行

杵島岳からの眺望 ~ 2年生阿蘇研修旅行   

 

 晴れ渡った秋空の下、阿蘇五岳の一つ、標高1321mの杵島岳(きじまだけ)に登り始めました。登山口の草千里ケ浜がすでに標高1100mを超えており、登山初心者向きの山と聞いておりましたが、登山道は急勾配で足に負担はかかります。けれども、生徒たちの笑顔は絶えません。

 登るにつれて視界が開け、生徒たちから歓声が上がります。雄大な眺望に思わず足が止まります。煙を噴き上げる中岳の噴火口が手にとるように近くに見え、草千里ケ浜が足元に広がっています。そして、阿蘇外輪山の切れ目の立野付近の山々には、昨年の熊本地震で発生した大崩落現場を望むことができます。畏怖すべき自然の造形力が胸に迫ります。ガイドを務める阿蘇火山博物館の学芸員の方の説明に生徒たちも真摯に耳を傾け、立野の崩落現場を見つめています。テレビのニュース等で幾度も見たはずですが、実際に肉眼で見る体験は得難いものでしょう。

 およそ45分で頂上に到着。熊本地震による斜面の崩壊跡や地盤のずれが生々しく残っています。かつての噴火口跡が頂上の北側に残っています。改めて、阿蘇山は生きて活動している山であることを認識すると共に、自然の脅威を痛感しました。

 PTAと学校の共同企画の2年生阿蘇研修旅行を10月27日(金)に実施しました。テーマは「防災教育」です。熊本地震の傷跡が残る阿蘇を訪ねる研修旅行の最大の目的は杵島岳登山でした。阿蘇火山博物館から強く薦められたプログラムでしたが、実際に生徒たちと登ってみて、その価値がよくわかりました。まさに百聞は一見に如かず、です。大自然の前では人はいかに小さい存在であるかを自覚します。しかし、この大自然と共生していかなければならない定めであることも感じ取ります。深い学びの研修旅行となりました。

 山々の斜面には薄の群生の一面銀色の世界が見られます。草原ではのんびりと草を食む阿蘇の赤牛、黒毛和牛などの牧歌的風景も見られます。活火山の中岳からは悠久の煙が上がっています。熊本地震による亀裂は未だ癒えませんが、一歩一歩、人の営みと自然の力の融合で阿蘇は復元に向かっていることを感じた旅となりました。


旧白濱旅館のリニューアル

旧白濱旅館のリニューアル   

 多良木町の校長会が1026日(木)に開かれました。普通、町教育委員会主催の校長会は町立小、中学校で行われるのですが、多良木町の場合は県立学校の球磨支援学校と多良木高校も加えていただき、地域の情報を共有できる貴重な場となっています。いつもは役場庁舎で開催されますが、今回は今月1日にリニューアルされた旧白濱旅館が会場で、興味深く館内外を見学できました。

 旧白濱旅館は、明治時代に旅館として創設され、記録としては明治41年までさかのぼります。東洋大学創始者で仏教哲学者の井上円了はじめ多くの文化人に愛用された旅館ですが、中でも大正8年に来訪した九条武子の宿として知られています。「九條武子殿御旅館」と墨書された大きな木製看板が保存されていることから、いかに旅館にとって名誉なことだったか偲ばれます。

 九条武子は浄土真宗西本願寺の門主の家に生まれ、大正時代を代表する歌人としても名高い人物です。仏教婦人会活動の一環として多良木を訪問しており、白濱旅館では本館の南側に九条武子の宿泊用に増築して迎えています。人吉球磨地域は、江戸時代、相良藩の方針で浄土真宗は禁制であり、明治になって解禁されました。本願寺としても布教活動に力を入れ、九条武子が訪問することになったのでしょう。

 旧白濱旅館が立つ場所は多良木町の中心地の国道219号沿いです。明治22年に町村制が敷かれ、多良木村の初代村長(多良木町となったのは大正15年)が札幌まで視察に赴き、当時としては破格の幅員が五間(約10m)の直線道路を整備しました。通称「五間(ごけん)道路」と呼ばれるこの広い道路沿いに旧白濱旅館は建てられたため、その後も道路拡張の必要はなく古い建物が残されたと云われます。けれども、3年前、私が多良木高校に赴任した時にはすでに旅館は廃業され、老朽化した建物だけが佇んでいました。

 しかし、町の黎明期を物語る歴史的価値が重視され、多良木町は全面的に修復工事に取り組み、リニューアルオープンの運びとなったのです。国道沿いの建物(「明治棟」)は町民が様々なことに活用できるコミュニティスペースとなり、南側の建物(「大正棟」)は簡易宿泊もできる施設として利用されることになります。旧白濱旅館の近くには昭和16年に建造された旧多良木高等女学校講堂(現在は町民集会所)など歴史的建造物が幾つも残っています。地元では、歴史を感じながら街を歩こうと「ブラタラギ」のキャッチフレーズで呼びかけが行われています。


 

 

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂

「最後まであきらめない」多良木サッカーの真骨頂  

 後半になると風雨が次第に強くなりました。横から吹き付ける風に傘を持つ手に力が入ります。グラウンドの選手たちは、全身ずぶぬれになりながら、懸命にプレーを続けます。サッカーの熊本県選手権大会2回戦。場所は熊本県立東稜高校運動場。熊本市立必由館高校相手に多良木高校イレブンは厳しい戦いを強いられていました。前半に2失点、後半さらに1失点して0対3となり、後半も終盤の時間帯となっていました。

 多良木高校サッカー部は3年生6人、2年生5人の11人ぎりぎりでこの試合に臨んでいました。この大会をもって3年生は部活動を退きますので、今後は多良木高校単独チームでの出場は困難になります。多良木高校サッカー部の単独チームとしては最後の試合なのです。その重みは選手たちも、応援する保護者の方々、そして私たち教職員もわかっていました。

 後半も残り10分ほどになった時です。キャプテンでフォワードの西君(3年生)が相手ゴール前に巧みなドリブルで切り込み、シュートを決めました。多良木高校応援団から歓声があがります。「よし」、「あきらめるな」と保護者の方から声が飛びます。監督の中山教諭からも、「時間はある、一つ一つのプレーを丁寧に」と大声で指示が出ます。ここから、試合の流れが変わり、多良木高校の選手たちの動きが俄然良くなりました。

 残り5分を切ったところで、多良木高校が再びシュートを決め、2対3。1点差となります。「いけるぞ」の声があがります。選手たちも最後の力を振り絞って走り、懸命にボールにからみ、攻め込みます。その姿を見ていると、私は胸が熱くなりました。

 試合終了を告げる審判の笛が鳴り響き、選手たちはがっくり膝をつきました。多良木高校サッカー部単独チームとしての試合は終わりました。交代要員もいない11人での戦いでしたが、最後まであきらめない、多良木サッカーの真骨頂を見せてくれたと思います。試合直後は雨と悔し涙で濡れていた選手たちの顔にも、しばらくして笑顔が戻りました。練習の成果を出し切ったという満足感が漂うアスリートの清々しい表情でした。