校長室からの風(メッセージ)

校長室からの風(メッセージ)

神輿を担ぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい

神輿をかつぐ多高生 ~ 伝統文化は新しい
 

 「せいやー、せいやー」と勇ましい掛け声をあげ、神輿をかつぐ多良木高校3年生。沿道から「高校生がんばれー」の声援や拍手、そして時にはバケツやホースで水をかけられます。揃いの法被姿の生徒たちは肩の痛みに耐え、汗を流しながら、満面の笑顔で気勢をあげます。10月20日(金)の午後、多良木町恵比須神社の秋の大祭の神輿が国道219号を練り歩きました。

 わが国には八百万の神様がいらっしゃると云いますが、恵比須神は私たち庶民に最も親しまれる神様ではないでしょうか。恵比須神は生業守護の福神とされ、特に漁民、商人によって広く信仰されています。多良木町の中心地、役場の近くに恵比須神社があります。明治時代後期に商人の方たちが創られたと伝わっています。近年、多良木町ではこの恵比須神(地元では「えべっさん」の愛称)を町の活性化と商売繁盛のシンボルと定め、町内各所に様々な「えびす像」が設置されています。その数は十基を超え、いずれも福々しい笑顔満面の像であり、思わず気持ちが和やかになり、多良木町の名所となっています。

 多良木町恵比須神社の秋の大祭は例年10月20日から21日にかけて賑やかに行われます。10月9日を中心に開催される人吉市の青井阿蘇神社の「おくんち祭り」には、歴史、規模、格式等で遠く及びませんが、上球磨地域では毎年、多くの人が楽しみにされているお祭りです。毎年こども神輿4基、大人神輿10基が参加しますが、恵比須神社奉賛会の特別の計らいで商工会、町役場、公立病院等に交じって、多良木高校の男女がそれぞれ神輿を担ぐのです。

 継承者不足で地域の伝統行事が次々なくなっていっていると聞きます。しかし、適切に機会を設ければ、若者にとっては郷土芸能も伝統文化も新鮮なものに映り、興味をもって参加する姿が見られます。10月上旬に本校で開いた文化祭では、人吉市の鬼木臼太鼓踊り保存会にステージで踊りを披露していただきました。同保存会では小学生から高齢者までが一緒になって郷土芸能を継承されており、小学生たちの踊りも見事なものでした。

 高校生にとっては出会うものがすべて新しいのです。多くの出会い、多様な体験を用意するのが私たち学校の使命と考えています。


笑顔あふれた文化祭

笑顔あふれた文化祭

 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」が終わって一週間以上過ぎますが、まだ校内にはその余韻が残っているような気がします。テーマ「笑顔 ~キラリ輝く多高Smile」のとおり、生徒、職員、保護者そして来校された方々の笑顔あふれた文化祭となり、今でも生徒たちの「文化祭楽しかった」との声を耳にします。やはり、その要因は生徒会の生徒たちの頑張りにあったと思います。

 会長をはじめ生徒会の中核を担う執行部は13人です。通常、生徒会執行部は2年生の7月に組織され、翌年の7月の改選まで1年間担当します。しかし、下級生がいない今の生徒会執行部はこのまま来年度の閉校まで続きます。多良木高校の最後の生徒会なのです。来年度、3年生だけになる学校では従来型の文化祭は難しいでしょう。そのため、今年度の文化祭にかける生徒会の思いは熱いものがありました。執行部のメンバーの多くが体育系部活動の中心選手であり、部活動との両立に苦労したようですが、新生徒会が結成された7月から文化祭の企画、準備に取り組んできました。

 文化祭においてマルシェ(フランス語の「市場」)のような活気を創りだしたいと、クラスや保護者のバザーだけでなく、お菓子、アクセサリー、コーヒー等の専門店にお願いに行き、初めて二店舗、ご協力いただきました。企画、交渉とも生徒たちが行いました。また、「時をかけるトンネル」という企画で、ステージ会場の第1体育館入り口に古い学校生活の写真を展示したビニルハウス型トンネルを設けました。これは同窓生の方々に好評でした。そして、何より、ステージ発表の運営、進行に生徒会の生徒たちが全力で当たったため、ご出演いただいたゲストの方々から、「多良木高校生の皆さんは折り目正しい。」、「純真な高校生ですね。」等の賞賛の声をいただき、恐縮するほどでした。

 もちろん反省材料も多々あります。しかし、文化祭の体験をとおし、協同して大きな行事を創っていく喜び、醍醐味を生徒会の生徒たちは味わい、一回り成長できたと思います。多良木高校文化祭にご協力いただいた全ての方に深く感謝いたします。




よかボス宣言

よかボス宣言


 照れくさい話ですが、この度、「よかボス宣言」を行いました。働きやすく働きがいのある職場環境の実現を目指して、熊本県では蒲島知事を筆頭に「よかボス宣言」が行われ、県教育委員会でも宮尾教育長をはじめ各課長、地方機関の所属長が相次いで行っています。遅ればせながら、私も下記のとおり宣言し、その後、生徒会執行部の生徒たちと多良木高校玄関で記念写真におさまりました。

        「よかボス宣言」多良木高等学校長

私は、球磨の風土と歴史を愛し、多良木高校を誇りに思い、職員の仕事と生活の充実を願い、以下の事項を約束します。

1.私は、教育的愛情を持って生徒たちと真剣に向合い、充実した 
  仕事をする教職員を誇りに思います。

2.私は、家族を大切にし、家事や余暇などの生活も楽しめる教職員
  を応援しています。

3.私は、計画的に休みを取るなど、教職員が工夫してオンとオフの
  メリハリをつけるよう努めます

4.私は、教職員の結婚、子育て、介護など、それぞれのライフス
  テージにおける希望や安心が実現できるよう、支援します。

5.私は、教職員と生徒たちと助けあい、励ましあい、ゴール(閉
  校)へ向かって元気に進みます


 


ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭

ようこそ先輩 ~ 多良木高校文化祭「木綿葉フェスタ」

 10月6日(金)の午後から翌7日(土)にかけて1日半、多良木高校文化祭「木綿葉(ゆうば)フェスタ」を開催しました。来年度に閉校を控え、2、3年生だけでの文化祭ですが、2年生主体の生徒会は張り切って夏休み期間から準備に取り組んできました。学校としても少し背伸びをして、例年になく、多彩なゲストを招き、生徒たちが感動的な出会いができるよう企画しました。その1人が、2年前の卒業生の岩田麗(いわたあきら)さんです。

 岩田さんは、本校卒業後、お笑い芸人になる道を選び、大阪へ行きました。そして現在、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、「イワタアキラ」の芸名で若手芸人として研鑽を積んでいるところです。

 文化祭2日目の午前、岩田さんが体育館ステージに登場しました。生徒たちにとっては「ようこそ先輩」の気持ちです。岩田さんは、高校生の時、テレビのお笑い番組、動画等にいかに元気づけられたかという思い出から話を始めました。そして、人を笑わせる仕事をしたいと強く思い、最初は周囲の反対があったものの、自分が最も挑戦したかった道に進むことができたことに感謝していると語りました。2年前、私も岩田さんの進路希望を聞いた時は驚きました。しかし、本人の決意の固さを知り、前途を励ましたことを覚えています。

 トークの後、岩田さんがコントを披露してくれました。文字やイラストを描いた広用紙を何枚も使いながらのユニークな芸で、生徒たちは笑顔で聴き入っていました。孤高の道を進んでいる先輩の姿をとおし、生徒たちは夢を実現することの尊さと大変さの両方を学んだことと思います。私自身は、社会に送り出した卒業生が、たくましく自分で道を切り拓いている姿を目の当たりにして、感無量となりました。



「記憶」を「記録」する

「記憶」を「記録」する ~ 日本史Aの聴き取り学習発表会

 9月25日(月)、2年2組の日本史A選択者の授業において、戦争体験者からの聴き取りを基にした学習発表会が行われました。多良木高等学校の前身の旧制多良木高等女学校の同窓生の方々から、太平洋戦争中の体験談を7月に聴き取り、それを基に、さらに歴史を調べ5グループ(1グループ5人)で発表しました。当日は、聴き取りにご協力いただいた多良木高等女学校同窓生の方5人が来校され、生徒の発表をご覧になりました。また、ソウル大学校名誉教授の全京秀先生(文化人類学)、琉球大学の武井弘一先生(歴史学)、神谷智昭先生(民族学)にも参観いただき、評価コメントをいただきました。

 戦後72年となり、現代の高校生にとって太平洋戦争は歴史の世界です。身の回りにも戦争体験した方はきわめて少なくなってきています。教科書や歴史の本、あるいはテレビの映像でしか知らない戦争を青春時代に体験した同窓生の方々の話は生徒たちの気持ちを揺さぶったようです。

 生徒たちの発表を受けて、武井先生は「記憶」を「記録」することの大切さ、意義を強調されました。戦争や自然災害等どんな大きな出来事であっても、それが記録され伝えられなければ、忘れられていき、その惨禍は繰り返すのだと指摘されました。

 昨年4月に熊本地震が発生した時、私たち熊本県民の多くは「まさか、熊本でこんな大きな地震が起きるとは」と驚き、慌てました。行政も、一般県民も大地震の可能性について全くと言っていいほど予期していなかったのです。しかし、明治22年(1889年)、当時の熊本市でマグニチュード6を超える地下直下型地震が起き、甚大な被害が出ていたのです。その歴史が現代に継承されていなかったため、私たちは、地震への危機感がなかったのでしょう。

 どんなに苛烈な「体験」でも、当事者が亡くなれば次第に忘却されます。当事者から聴き取り、それを「記録」し、「伝える」営みが大切なのです。それが歴史を学ぶということなのです。