校長室からの風(メッセージ)
宮沢賢治の故郷を訪ねて
宮沢賢治の故郷を訪ねて ~ 岩手県花巻市
宮沢賢治(1896~1933)の故郷である岩手県花巻市をお盆休みに訪ねてきました。7月に本校で宮沢賢治文学の朗読会(朗読:矢部絹子さん)を開催し、現在は、10月の文化祭での発表に向けて生徒有志が「銀河鉄道の夜」の朗読劇の練習に取り組んでいます。私自身、もっと宮沢賢治のことを深く知りたいと思い、花巻を訪問したのです。
5年前に東日本大震災が発生した後、多くの人が宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を改めて声に出して読み、心の拠り所にしたと言われます。今年が生誕120年の節目の年ということもあり、新幹線の新花巻駅の近くにある「宮沢賢治記念館」は駐車場が満車になるほど多くの来館者でにぎわっていました。花巻市は人口が約10万人の都市ですが、緑豊かな平野にあり、市街地の東を北上川が流れ、静かで澄んだ空気に包まれています。宮沢賢治は、自分の文学世界の中で、故郷の花巻を基にして理想郷「イーハトーブ」を創り上げています。
宮沢賢治ゆかりの地を終日かけて巡りましたが、最も印象に残ったのは岩手県立花巻農業高校でした。宮沢賢治は、大正時代に4年余り同校の前身の農学校で教壇に立ち、化学、土壌、肥料等について教えているのです。この教師時代を振り返って次のような断章を残しています。
「この四ヶ年がわたくしにとってどんな楽しかったか
わたくしは毎日を鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云うがわたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」
宮沢賢治がいかに教師生活を愛していたかわかる言葉です。加えて、教師時代に生徒の愛唱歌を作詞しているのです。この歌は、「花巻農学校精神歌」としても今日も歌い継がれています。この歌詞の一節「マコトノクサノ タネマケリ」の文字額が、花巻農業高校の校舎玄関の上に大きく掲げてありました。
しかし、宮沢賢治は農学校を辞め、自ら農業を実践する傍ら、在郷の若手農民に農業を教える私塾「羅須地人協会」を営みます。ここで教科書として書かれた「農民芸術概論綱要」の冒頭に、宮沢賢治の思想の到達点を表す次の言葉が記されています。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
病に倒れるまで一人で自炊し暮らした「羅須地人協会」の建物が花巻農業高校の敷地に移築されています。木造2階建ての簡素なもので、内部は往時のままに復元されています。玄関脇の黒板には、有名な「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と板書されています。花巻農業高校の生徒達は、この建物のことを「賢治先生の家」と呼んでいます。近くには、帽子、コート姿でうつむき加減に思索にふける宮沢賢治の銅像も立っています。
花巻農業高校には100年前の賢治先生の精神が息づいていました。
岩手県立花巻農業高校にて
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄