校長室からの風(メッセージ)
アンカーの皆さんへ
「新入生の皆さん、皆さんは多良木高校の期待と注目のアンカー(最終走者)です。アンカーを走ることで他の学校ではできない特別な体験ができ、同窓会や地域の方々の熱い応援をうけることでしょう。皆さん、一緒に走り、三年後に感動のテープを切りましょう。」(平成28年度多良木高校入学式)
平成28年4月の入学式で私はこう呼びかけました。閉校する学校と承知していながら、敢えて本校を志望してくれた生徒の皆さんの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」、「多良木高校でしかできない教育」を私たちは目指しました。あの日から3年。予想していた以上の大勢の方のご支援を受け、地域と一体となって行事を創り、生徒の皆さんは多高生としての元気を発信してきました。アンカーとしての使命を立派に果たしたと思います。
アンカーの皆さんは、母校が閉校するという切実な体験をしました。平成に入って人吉球磨地域の少子化が急速に進み、入学者数が減少したことが多良木高校閉校の要因です。人吉球磨地域だけでなく、この状況は全国を覆っています。少子高齢化そして人口減少という大きな社会構造の転換に我が国は直面しています。平成の三十年間の社会を担ってきたのは私たち大人ですが、平成の先の時代の主人公は皆さんです。人口が急激に減少する社会が待ち受けています。この国に明るい展望はないのでしょうか?
そんなことはないと私は思います。生徒数が減少する多良木高校はどんな学校づくりを進めてきたでしょうか?近隣の高校や支援学校と積極的に連携すると共に、地域に開かれた学校として社会人聴講生を受け入れ、地域住民の方と一緒になって学校行事を創り、保育園児から高齢者の方まで幅広い交流をしてきました。そのことで学校の活力は維持され、地域の人々の拠り所としての学校の存在価値を発揮してきました。この多良木高校での高校生活はきっと人口減少社会を打開するヒントになると思います。
子どもから大人まで世代を超えた結びつき、外国人の方や障害のある方とも自然体での共生、このようなことがこれからの社会では益々重要になるでしょう。地域の皆さんに励まされ、見守られ成長してきた多良木高校のアンカーの皆さんこそ新しい社会の担い手になる資質を豊かに持っていると信じます。
生徒合唱「いつまでも」
「思い出している 川に映った夕日
あふれる水の 音とやさしい風
思い出している グラウンドに咲いた花
どこまでも延びる 緑と山の陰
忘れたくない 涙でもう何も見えない
もどかしい 何もできない
だから伝えたい それでも変わらない ふるさとの広い空を
どんなに離れていても いつも想ってます」
(原詞:タイチジャングル)
歌「いつまでも」は、熊本地震復興支援ソングとして、シンガーソングライターのタイチジャングルさんが創られました。故郷への思いが込められた美しいバラードのこの曲に本校の音楽教師が惹かれ、多良木高校最終年度の生徒合唱曲に選びました。歌詞の一部を多良木高校に合わせてアレンジすることをタイチジャングルさんからご諒解を得て、昨年12月に開催した最後の文化祭において生徒・職員の全員で合唱しました。そして、来る3月2日の閉校式においても、生徒が合唱します。
タイチジャングルさんの原詞も、山々に囲まれた人吉盆地、そして球磨川と豊かな自然と温かい風土に育まれてきた多良木高校の情景を彷彿させる世界です。抒情的な旋律の中に、故郷へ寄せる瑞々しい心性が表現されています。熊本地震からの一日も早い復興を願って創られたこの歌には、固有の場所を超えた普遍性があるように思います。
2月に入って二日登校日があり、生徒は体育館のステージで「いつまでも」の合唱練習をしました。まだまだの出来ですが、練習の歌声を聴いているだけで胸が熱くなりました。3月2日(土)の多良木高校閉校式において、この「いつまでも」の生徒合唱と全員による校歌斉唱がクライマックスとなるでしょう。
「いつまでも」の合唱練習風景
最後の大掃除
「ただ今から、地域の皆さんと一緒に大掃除を始めます!」との私の挨拶で、2月19日(火)の午後、多良木高校最後の大掃除を行いました。家庭学習期間に入り2回目の登校日であった生徒達を中心に、教職員、保護者有志の方、そして本校所在の多良木町6区と近隣の7区、8区の住民の皆様にもご参加頂いての大掃除となりました。生憎の雨のため、外庭の掃除はできず、卒業式及び閉校式の会場となる第一体育館を中心に、校舎のトイレや廊下、正面玄関の清掃に取り組みました。
近年、生徒数が減少する中、本校はより開かれた学校として、地域と連携した学校行事作りに努めてきました。体育大会や文化祭には大勢の地元の住民の方が足を運ばれ、生徒に熱い声援を送ってくださいました。また、生徒達も福祉の実習やボランティア活動等で積極的に地域社会に出て、公民館でのレクレーション活動、グラウンドゴルフ、郷土料理と様々な交流を重ねました。多高生は、地域の方々に見守られ、励まされ、成長してきたのです。
欧米では、教会が中心となりコミュニティーが形成されています。一方、わが国では明治以来、学校が人々の拠り所として町の中心にあると言われます。「学校と共に」という人々の気持ちが反映しているのだと思います。多良木高校は創立以来97年間、いつの時も地域と共にありました。大掃除のお話を地域の区長さん達にお願いしたところ、「声をかけてくれてうれしい」とまで言ってくださいました。地域の皆さんの学校だと意識してくださっていることを誠に有難く思います。
約一時間の大掃除終了後、第一体育館に全員集まり、記念写真を撮りました。
体育館を出ると、雨が上がり薄日が射していました。この日は、二十四節気の一つの「雨水」(うすい)に当たるそうです。水がぬるみ、草木の芽が出始める頃と言われます。雨上がりの校庭に立つと、温かい土の匂いが漂っていました。来週は弥生三月です。
大掃除の後の集合写真
閉校記念誌の完成
多良木高等学校閉校記念誌が完成して、2月14日(木)の午後、印刷会社から本校へ納品されました。サブタイトル「人生(よ)の幸福(さち)やがて茲(ここ)に生れん」は校歌の一節から取ったもので、表紙の墨書は本校書道担当の土肥先生にお願いしました。表紙写真は、学校正面玄関を斜めの角度から撮り、裏表紙は九州山地を背景に二棟の体育館と校舎が写っています。どちらも爽やかな白雲と広い青空が印象的な明るい仕上がりになっています。
この閉校記念誌は昨年の1学期から同窓職員を中心にチームをつくり作成に取り掛かりました。同窓会とPTAからも担当の方が編集作業に加わっていただきました。そして、編集方針として「写真集」を目指そうということになりました。本校には戦前の女学校時代の古い写真が少なかったため、同窓生や地域の方に御協力を呼び掛けたところ、貴重な写真や資料の御寄贈、御寄託が相次ぎました。現存する最古の卒業アルバムは昭和8年「熊本縣立多良木實科高等女學校」卒業のものです。卒業生は47人。針やミシンでの裁縫や調理の実習、そして農作業、修学旅行などセピア色の写真から昭和初期の青春が伝わります。
大正11年(1922年)に上球磨地域の九ケ村組合立の女学校として創立、戦後の学制改革で男女共学の高等学校として再出発、施設拡充のため昭和43年に現校地に移転、平成に入って生徒数が減少するも地域にとって大きな役割を果たしてきた学校でした。平成31年(2019年)に閉校となり、97年間の歴史に幕を下ろしますが、いつの時代も地域と共に在った学校でした。
閉校記念誌の冒頭部分では、県教育委員会の宮尾教育長、歴代の校長先生方の玉稿が並びます。そして20頁から185頁まで「多良木高等学校思い出の97年」として、主に卒業アルバムからの生徒写真が卒業年次ごとに続きます。ページをめくりながら、写真の中の女学生、高校生の視線の先には何があるのだろうと考えました。それはやはり「未来」だったのだろうと思い至りました。多良木高校は、若人たちが未来に向かって夢を育んだ学び舎だったのです。
卒業を間近に控え ~ 学校評議員会
学校評議員とは、開かれた学校づくりのため、学校運営について意見や助言をお願いする方たちです。本校では、町の教育委員、中学校長、元PTA会長、地域の商工会代表、同窓会代表と5人の方が務められ、年間を通して授業や学校行事を参観していただいています。そして、年度末の2月に学校評価をお願いしているところです。
多良木高校最終年度の学校評議員会を2月13日(水)に校長室で開催しました。前半は、代表生徒と評議員さんとの懇談の時間です。毎年恒例となっているもので、生徒は、1組の体育コースから畑野君、福祉教養コースから税所さん、2組から森屋さんの3人です。
高校3年間を振り返り最も印象に残ることを話してほしいとの評議員さんからの要望がありました。畑野君は、体育コースとして2年次に挑んだ市房山キャンプ(2泊3日)を挙げました。体育コース24人の団結力が強まった行事だったと述べました。税所さんは、校外での実習体験(保育園、老人ホーム等)を挙げました。そして、実習先の施設で「多良木高校がなくなるのはさびしかねえ」と多くのお年寄りから声を掛けられたと話しました。森屋さんは、2年次に出場した県高校英語スピーチコンテストを挙げ、語学においては伝える気持ちが大切であることを学んだと語りました。
三人とも、学年が上がるにつれ先輩たちが卒業して生徒数が減り、空き教室が増えていく状況には寂しいものがあったと述べました。評議員さん達からは、「閉校するとわかっていて、多良木高校に入学してくれて本当に有難う。」と感謝の言葉があり、最後は涙ぐまれる方もいらっしゃいました。
「最終学年」、「多良木高校のアンカー」と3年間注目されてきた67人の生徒達です。きっと内心は、そのことが重荷になったこともあったでしょう。後輩もいる、普通の高校生でありたいと思ったこともあったでしょう。しかし、地域の方々から見守られ、励まされ、ここまで来ました。3月1日(金)の卒業式では、畑野君、税所さん、森屋さんの3人が卒業生を代表して「決意の言葉」を述べることになります。彼らの晴れ姿が今から楽しみです。
学校評議員さんと代表生徒との懇談
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄