校長室からの風(メッセージ)
1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝!
1点差で勝つ ~ 野球部、城南大会優勝!
熊本県の県南地域の高校24校が参加して行われた第49回城南地区高校野球大会で多良木高校が優勝を飾りました。4年ぶりの快挙です。4年前は、投手の善君(現 東芝)と捕手の中村君(現 法政大)のバッテリーを中心とした強力チームでした。今年度は多良木高校最後の学年であり、3年生のみの選手18人とマネージャー6人の24人という少人数です。しかし、平野主将を中心にお互いが支え合い「多良木の意地と誇り」を合言葉に練習を重ねてきた成果が、この城南大会で表れたのです。優勝までの軌跡は次のとおりです。
2回戦 秀岳館高校 1 対 0
3回戦 八代高校 3 対 2(延長10回)
準決勝 小川工業高校 1 対 0
決 勝 八代東高校 2 対 1
全ての試合が1点差という接戦の連続でした。実力伯仲でまさに勝負は時の運、紙一重の互角の戦いで、どちらが勝ってもおかしくない好試合ばかりでした。多良木高校は一人がミスをしても他の者がカバーして失点を防ぎ、少ないチャンスを生かすという高校野球の基本のような試合を展開しました。接戦になればなるほど百戦錬磨の名将である齋藤監督の采配が冴えわたりました。
4月29日(日)、県営八代球場で行われた決勝戦は左腕の宮本君が7回まで1失点の好投、そして8回からエース古堀君が登板、8回裏に逆転して1点差の勝利でした。今大会を象徴する「守って勝つ」試合でした。1点差という緊迫した連戦を勝ち抜いた選手の精神力を称えたいと思います。
僅か1点差。しかし、そこに勝敗の明暗が分かれます。毎試合、大勢の応援が多良木高校側のスタンドを埋めました。保護者、同窓生、地域の方々の熱烈な応援の力が、グラウンドの選手の可能性を最大限に引き出してくれたのだと思います。
最後の五高校体育大会 ~ 人吉球磨地区合同体育大会
最後の「五高校体育大会」 ~ 人吉球磨地区合同体育大会
4月27日(金)、爽やかな快晴のもと、人吉球磨地区合同体育大会が開催されました。これは、この地区の五つの高等学校(人吉、球磨工業、球磨中央・球磨商業、南稜、多良木)の体育系部活動の対抗試合であり、会場は各高校をはじめ人吉市スポーツパレス、山江体育館等で行われます。多良木高校では、陸上競技とバレーボールが開催されました。本校が今年度で閉校するため、来年度からは通称の「五高校大会」ではなくなります。本校のグラウンドで行った開会式における校長挨拶を次に掲げます。
「平成30年度、人吉・球磨地区合同体育大会を、絶好のコンディションのもとで開催できることを皆さんと共に喜びたいと思います。
春の季語に『山笑う』という言葉がありますが、市房山をはじめ周囲の山々が、まるで笑っているかのような明るい景色の中、五高校の生徒の皆さんが一堂に会しました。
皆さん、ようこそ多良木高校に来てくれました。本校では、陸上競技とバレーボールの二つの競技が行われます。多良木高校は平成31年3月をもって閉校します。遠く大正11年創立以来、綿々と引き継がれてきたバトンが、最終走者である今年度の3年生に渡されました。この67人のアンカーが多良木高校のゴールに向かって、今、走っています。最終年度の本校のテーマは『ゴールに向かって、挑戦!』です。高校生には『挑戦』という言葉がよく似合うと思います。
多良木高校で行われる最後の人吉球磨地区合同体育大会です。親しまれてきた『五高校大会』という通称も来年度から使われることはありません。時の流れと共に人も風景も変わっていきます。しかし、今日、この多良木高校で、勝利に向かって、記録に向かって挑戦する皆さんの姿は、いつまでもお互いの心の中に残ることでしょう。
今日の大会が、参加した全ての生徒の皆さんの記憶に永くとどまることを念じ、開会の挨拶といたします。」
15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる
15人の社会人聴講生 ~ 科目「情報処理」の社会人聴講始まる
「IT用語は全くわかりません。基礎から学びたい。」、「パソコン初心者です。もっと上達したい。」など15人の方がそれぞれ受講の動機を語られました。皆さん学ぶ意欲に満ち溢れておられます。4月25日(水)午前、科目「情報処理」の社会人聴講開講式を本校で行いました。これから1年間、水曜日の2限・3限の授業において、3年2組の文系1コースの生徒18人と一緒に科目「情報処理」を学習されます。
「地域に開かれた学校」の理念のもと、今年度も科目「情報処理」の社会人聴講生を募集したところ、これまでで最多の15人の応募がありました。急速な社会のIT化に伴うコンピュータへの関心の高まりに加え、多良木高校の最終年度であるという状況も要因でしょう。受講者の中には、ご自身が、または子どもさんが本校卒業生である方が3分の2ほどいらっしゃいました。
社会人聴講生の方の多くは中高年世代であり、物心ついた時にはすでにインターネット環境の生活であったデジタル世代の高校生とは著しい差異があります。しかし、例年、社会人聴講生の方々の存在は生徒に大きな影響を及ぼしています。先ず、その学びの姿勢です。教師の説明を一言も聞き漏らすまいと熱心に聴講され、コンピュータ操作に没頭される姿は生徒の刺激になります。そして、コンピュータ操作に関しては生徒が社会人聴講生の方を教える場面が多く見られるのですが、教えることで自分の知識不足やあいまいな点がはっきりするようで、まさに「教えるは学ぶの半ば」を生徒は体験しています。
多良木高校は最後まで挑戦しようと「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを生徒に始業式で呼びかけました。年齢を重ねていても新たな学びの挑戦をされる15人の社会人聴講生の姿から生徒たちは大切なことを学ぶことでしょう。67人の3年生だけが在籍する閉校の年度に、15人の人生経験豊富な社会人聴講生の方に加わっていただき、学校はさらに活気が生まれます。
聴講生の皆さん、1年間、共に学んでいきましょう。そして、生徒との交流を楽しんでください。
「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて
「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて
4月14日(土)、和水町体育館で県女子バレーボール選手権大会が開催され、多良木高校女子バレー部を応援に行きました。上天草高校相手に一点を取り合う白熱した試合となり声援にも力が入りましたが、惜しくも敗れました。選手6人というぎりぎりの人数での健闘に私は熱い思いに満たされ会場を後にし、同町の「金栗四三(かなぐりしそう)の生家跡」を訪ねてみました。
和水町は2006年(平成18年)に三加和町と菊水町が合併してできました。体育館を出て菊池川を越え北に向かい、旧三加和町の中林という地区に金栗四三の生家跡が残っています。今では住む人もなく老朽化した家屋ですが、隣接して「体力 気力 努力」の文字が刻まれた石碑と説明版が立っています。
日本マラソン界の父と称えられる金栗四三は、この地で1891年(明治24年)に生まれました。旧制玉名中学校(現玉名高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)で学び、1911年(明治44年)の第5回オリンピックのストックホルム大会にマラソン選手として出場し、日本人最初のオリンピック選手の栄誉に輝いています。その後もマラソンで二度のオリンピック出場を果たすと共に、陸上長距離界の指導者として箱根駅伝の創設に関わるなどの足跡を残しました。後半生は熊本県に帰り、1983年(昭和58年)に玉名市で亡くなりました。
今、金栗四三が脚光を浴びています。来年度のNHK大河ドラマの主人公に決まり、すでにその撮影がスタートしています。生家跡周辺には幟端が立ち並んでいましたが、当日は小雨が降っていたこともあり、見学者は私一人でした。里山に囲まれた静かな集落で、金栗四三が生まれ育った明治時代半ばと風景があまり変わっていないのではないかと思えます。金栗四三の座右の銘である「体力 気力 努力」の力強い言葉を目にし、約130年前にこの地から一人の韋駄天が走り出したことを思うと胸に迫るものがあります。
なお、あまり知られていませんが、金栗四三は東京高等師範学校を卒業後、地理の教師として働きながらマラソン選手として活躍しています。体育ではなく地理の教師だったのです。海外のオリンピック大会に出場することは、地理の教師として世界を実際に見る絶好の機会だったことでしょう。
金栗四三の「体力 気力 努力」の石碑と生家跡
語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践
語り合うことの大切さ ~ 「カタリ場」プログラム実践
多良木高校にとって最終年度が始まりました。平成30年4月9日(月)の1学期始業式には本校のアンカー(最終走者)となる3年生67人が全員出席。「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを掲げて本校は動き出しました。そして午後、NPO法人「カタリバ」によるキャリア学習活動プログラムの「カタリ場」を3年生全員が第1体育館で実践しました。
「カタリバ」は2001年から全国的に活動している教育NPO法人です。特に中、高校生に対して、教師や保護者の縦(タテ)の関係でなく、同級生や友人の横(ヨコ)の関係でもない、少し年上の大学生という斜めの関係の対話を通したプログラムで、進路意識に火を点す「カタリ場」という学習活動を展開していることで知られています。まだ本県では実践例は少ないのですが、私はかねてからこのプログラムに関心を持ち、カタリバ熊本支部の方との協議や昨年9月に実施された益城中学校での「カタリ場」の見学を通し、先輩も後輩もいない最終学年の始業式の日に狙いを定め、実施することにしたのです。
今回は、北九州のカタリバが主体となり、熊本、大分からも大学生が集まり総勢27人のスタッフが前日には来校され、本校のセミナーハウスで合宿し事前研修をされました。そして、4月9日(月)午後1時にプログラム開始。第1体育館で生徒たち2人~3人にスタッフ1人が付かれ、「今の自分の生活の満足度」、「今頑張っていること、挑戦していること」、そして自分の「良いところ、もっと伸ばしたいところ」等を語り合いました。さらにグループに分かれ、「先輩の話を聴く」コーナーへ移動します。中学の時にいじめられた、高校では目標がなく無気力だった等、大学生が自らを率直に語る体験談に真剣に聴き入っていました。
約2時間、「カタリ場」において、自分自身のこと、そして将来のことを真剣に生徒たちは語り合うことができました。「カタリバ」スタッフの方々の周到な準備と熱意が生徒の気持ちを引き出してくれたのです。プログラム終了後、体育館を退場する生徒たちの表情は何かすっきりしていて、輝いていました。「3年生になったなあ」と私は感じました。これからの成長が楽しみです。
「カタリ場」で大学生と語り合う3年生
Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし
Never ending challenge ~ 挑戦に終わりなし
熊本県立多良木高等学校にとって最後の年度が始まりました。平成31年3月をもって本校は96年の歴史を閉じます。遠く大正11年の創立以来、引き継がれてきたバトンが最終走者(アンカー)の3年生67人に渡されました。
このアンカーを走る生徒たちは、閉校するとわかっていながら、「それでも多良木高校に行く」と2年前に入学してきてくれました。彼らの思いを重く受けとめ、「多良木高校だからできる教育」を行い、「多良木高校でしかできない特別な体験」を通して充実した高校生活を送ることができるよう、教職員一同、使命感をもって取り組んでいきたいと思います。
「ゴール(閉校)に向かって、挑戦!」のテーマを年度当初に掲げました。多良木高校は、生徒も教職員も最後まで挑戦する姿勢で臨みます。閉校という重い定めに対して、同窓生や地域の方々には無念の思いや失意、そして喪失感が渦巻いていることでしょう。学校の歴史には終止符が打たれます。
しかし、この最後の学年の生徒たちには無限の未来が待っています。多良木高校閉校の1か月後には元号が変わります。平成に代わる新しい時代において、アンカーの生徒たちは間違いなく主人公になっていくのです。彼らの挑戦はゴール(閉校)を越え、その先の未来まで続いていきます。Never ending challenge(挑戦に終わりなし)です。
最後の年度、県立学校教職員22人、PTA団体任用職員1人、同窓会委託売店職員1人の計24人で、67人の生徒を支援します。これまで応援してきてくださった地域の皆様への感謝を胸に、生徒と教職員が一体となって全力疾走していきたいと思います。
最終年度において、皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
「くま川鉄道」に乗ろう
今、「くま川鉄道」の沿線は春爛漫です。散り始めた桜と目に眩しい黄色の菜の花が車窓を彩ります。「くま川鉄道」は球磨川に沿って、ゆっくりした速度で落ち着いた感じで走ります。春のローカル列車は趣があると思います。
「くま川鉄道」は人吉・球磨地域にはなくてはならない公共交通です。JR肥薩線と人吉駅で接続しており、人吉温泉駅から人吉盆地の東端にあたる湯前駅(湯前町)まで約25㎞を結んでいます。平成元年から人吉球磨地域の市町村と民間会社の出資による第3セクター方式で運営されていますが、もともとは旧国鉄の湯前線で、大正13年に開通した歴史があります。乗客の8割は通学する高校生だと云われ、本校の生徒の内、およそ4分の1が列車通学です。この人吉・球磨地域にある五つの県立高校はいずれも「くま川鉄道」の駅から徒歩10分以内に位置しており、安定した鉄道運行が通学に大きな役割を果たしていることを私は赴任以来実感しています。
普段は自動車に頼っている生活ですが、人吉市での会合や県立学校での会議の際には私も努めて「くま川鉄道」に乗るようにします。乗車する度に発見があり、情趣を覚えます。例えば、「くま川鉄道」の線路はほぼ一直線となっています。球磨川に沿って人吉盆地を西から東へ伸びた路線であり、気持ちが良いほど真っ直ぐな線路が続いています。また、「田園シンフォニー」と呼ばれる観光列車の車両が通勤通学時間帯にも運行しており、木材を使用した温かみのある車内で寛ぐことができます。「観光列車で通学できるなんて、君たちは幸せだよ。」と列車通学生にはよく話をします。また、歴史ある路線で、古い駅舎、鉄橋等が幾つも残っています。特に、湯前駅は大正13年の開業以来、変わらぬ佇まいを見せています。
学校を支えてくれている大事なインフラ(社会基盤の施設)であると共に、「くま川鉄道」には物語があり、この人吉球磨地域には欠かせない豊かな風景の一部となっているのです。大人の皆さんも時には「くま川鉄道」に乗車し、心地よい揺れに身をまかせ、故郷の四季の情景に浸ってほしいと願います。
まっすぐに伸びる線路(多良木駅付近から湯前方面)
「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式
「真幸駅」の入場券 ~ 転退任式
桜満開の3月28日(水)、多良木高校では教職員の転退任式を行いました。平成30年度熊本県教職員人事異動に伴い、本校から3人の教諭が転任、そして3人の常勤講師が今月で本校を退任して4月から新たな学校で勤務することになりました。人事異動は私たち県立学校に勤める職員にとっては定めです。生徒と共に感謝と惜別の思いで見送ります。
転退任の6人の職員の皆さんに、私はJR肥薩線「真幸駅」の入場券を贈りました。JR肥薩線の人吉駅から鹿児島県吉松駅までの通称「山線」と呼ばれる区間は、県境の険しい山岳地帯を越えるため今や全国でも珍しい回りながら山を登るループ線や急勾配を折り返しながら登るスイッチバックが残り、明治の終わりころの古い駅舎が今もその佇まいを見せ、鉄道ファンにとっては聖地のようなところです。
人吉駅を出発すると、大畑駅、次に矢岳駅、ここまでが熊本県で、宮崎県に入って真幸(まさき)駅に到着します。明治44年築造の宮崎県で最も古い駅舎が山の中にあります。真の幸せと書いて真幸と読みます。駅名にちなんで、幸せの鐘がホームにあります。ここの入場券は、「真の幸せに入れる」ということで人気があります。周りに集落のない無人駅ですが、観光列車が止まる時には客室乗務員等が対応されて入場券を購入できるのです。
この3月でJRの列車の本数がさらに削減され、人吉から吉松方面へ行く列車は観光列車を含め一日に3本しかありません。先週の土曜日に人吉駅午前10時8分発の観光列車「いさぶろう号」に乗り、真幸駅に行ってきました。入場券一枚たった160円ですが、肥薩線に乗って求めてきたという私の思いを込め、転退任の皆さんに贈りました。
送別の歌として名高い「蛍の光」の歌詞の1番の最後に「さきくとばかりうとうなり」とあります。「どうかお幸せにと願い 歌います」という意味でしょう。6人の職員の皆さんには、真の幸せの「真幸駅」の切符を手に、次の学校に向かって元気に旅立ってほしいと願います。
「ちはやふる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ
「ちはやぶる」 ~ 「百人一首」クラスマッチ
「ちはやぶる かみよもきかず たつたかわ」の上の句が読まれ始めたとたん、 即座に「からくれないに みずくくるとは」の下の句を生徒たちは取り合いました。さすがに高校生はこの在原業平の歌には敏感に反応します。「ちはやふる」という少女漫画(コミック)が人気となり多くの若者に読まれ、映画化もされて話題となっています。百人一首による競技カルタに打ち込む高校生の青春ドラマが描かれているそうです。
3月20日(月)、生徒会による企画で、多良木高校としては初の試みとなる百人一首のクラスマッチを行いました。現在、本校は2年生の2クラス67人が在籍ですが、クラスごと9チームをつくり、各試合に3人が出場、他に1~2人が審判役を務め、9試合同時展開の全員参加型の競技カルタに興じました。
競技カルタに取り組んでいる百人一首クラブや同好会がある高校は県内で公私立合わせ10校ほどあると思います。県高校総合文化祭で競い合い、全国高校総合文化祭の全国大会に出場します。文化部ですが、競技はまるでスポーツの試合のような気迫と緊張感が漂います。
しかし、本校の生徒の場合、「ちはやぶる~」のように覚えている歌は少ないようで、お手つきも多く下の句の札をなかなか取ることができず、笑いや歓声の絶えないクラスマッチとなりました。1組と2組とそれぞれクラスはありますが、67人全員がひとつの大きなクラスのようなものであると感じた、今日のクラスマッチでした。
「百人一首」は今から800年前の鎌倉時代初期に藤原定家が編纂しました。7世紀の白鳳文化、8世紀の奈良時代、そしてその後の平安時代から合計100人の優れた歌人の代表的な歌一首を選び時代順に並べたのです。1番は天智天皇、2番は持統女帝、3番は柿本人麻呂と続きます。天智天皇や持統女帝などは7世紀、600年代の半ばの人です。21世紀初頭を生きている私たちは、およそ1400年前の歌に親しんでいることを考えると、言葉の永遠性に気付かされます。
「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力
「あなたの夢は?」 ~ ボンボ藤井さんの言葉の力
◇ 「夢は必ず叶う。諦めなければ。」
◇ 「絶対に失敗しない人というのは何も挑戦しない人のこと。」
◇ 「ピラミッドは頂上から作れない」
◇ 「チャンスはピンチの顔をしてやってくる。」
◇ 「私の夢は○○○です。」から「私の目標は○○○です。」へ
これらの言葉は、3月14日(水)に多良木高校で行われた進路講演会で、ボンボ藤井さんが生徒に熱く語りかけられたものです。ボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは心を大いに揺さぶられました。
ボンボ藤井さんはウクレレ奏者・指導者、ラジオ放送のDJ、テレビCM制作などのサウンドクリエーターとして県内外で活躍されている方です。経歴は異色で、工業高校で学ばれ自動車会社に就職、その後、自動車修理工場を経営されていたのですが、大怪我を転機に「音楽に関わる仕事をしたい」という少年の頃からの夢を実現されたのです。
「あなたの夢は?」というテーマのもと、ウクレレの演奏、CM作品(動画)の紹介、そしてアシスタントの木下もえさんと共にラジオのDJ形式で生徒と対話するように進行され、90分が瞬く間に過ぎたような感じでした。軽妙な語りで聴く者を引き付けながら、時に情熱をもって語られるボンボ藤井さんの言葉の力に生徒たちは魅了されたようです。また、使ってはいけない言葉として、「うざい」、「きもい」、「意味わからん」等の具体例をあげられ、これらの言葉は何より他者が聴いて不愉快であり、決して前向きになれないものだと生徒たちを厳しく戒められました。
将来に向かっての生徒の進路意欲に火を点けてくださった講演は、次の言葉で締めくくられました。
「さ、次!」
常に前向きに挑戦を続けるボンボ藤井さんの姿勢を象徴する言葉です。
登録機関
管理責任者
校長 粟谷 雅之
運用担当者
本田 朋丈
有薗 真澄