校長室からの風(メッセージ)

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「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

「体力 気力 努力」 ~ 金栗四三の生家跡を訪ねて

 4月14日(土)、和水町体育館で県女子バレーボール選手権大会が開催され、多良木高校女子バレー部を応援に行きました。上天草高校相手に一点を取り合う白熱した試合となり声援にも力が入りましたが、惜しくも敗れました。選手6人というぎりぎりの人数での健闘に私は熱い思いに満たされ会場を後にし、同町の「金栗四三(かなぐりしそう)の生家跡」を訪ねてみました。

 和水町は2006年(平成18年)に三加和町と菊水町が合併してできました。体育館を出て菊池川を越え北に向かい、旧三加和町の中林という地区に金栗四三の生家跡が残っています。今では住む人もなく老朽化した家屋ですが、隣接して「体力 気力 努力」の文字が刻まれた石碑と説明版が立っています。 

 日本マラソン界の父と称えられる金栗四三は、この地で1891年(明治24年)に生まれました。旧制玉名中学校(現玉名高校)、東京高等師範学校(現筑波大学)で学び、1911年(明治44年)の第5回オリンピックのストックホルム大会にマラソン選手として出場し、日本人最初のオリンピック選手の栄誉に輝いています。その後もマラソンで二度のオリンピック出場を果たすと共に、陸上長距離界の指導者として箱根駅伝の創設に関わるなどの足跡を残しました。後半生は熊本県に帰り、1983年(昭和58年)に玉名市で亡くなりました。

 今、金栗四三が脚光を浴びています。来年度のNHK大河ドラマの主人公に決まり、すでにその撮影がスタートしています。生家跡周辺には幟端が立ち並んでいましたが、当日は小雨が降っていたこともあり、見学者は私一人でした。里山に囲まれた静かな集落で、金栗四三が生まれ育った明治時代半ばと風景があまり変わっていないのではないかと思えます。金栗四三の座右の銘である「体力 気力 努力」の力強い言葉を目にし、約130年前にこの地から一人の韋駄天が走り出したことを思うと胸に迫るものがあります。

 なお、あまり知られていませんが、金栗四三は東京高等師範学校を卒業後、地理の教師として働きながらマラソン選手として活躍しています。体育ではなく地理の教師だったのです。海外のオリンピック大会に出場することは、地理の教師として世界を実際に見る絶好の機会だったことでしょう。


 


             金栗四三の「体力 気力 努力」の石碑と生家跡