校長室からの風

運動会(体育大会)の季節を迎えて

 「校長先生、やっぱり体育祭はしたかったです。」と掃除の時間に3年生の女子生徒に声を掛けられました。幾度、このような声を聞いたことでしょう。その度ごとに、なぜ中止の決断をしたかを説明してきました。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、例年5月に実施する体育祭を10月上旬に延期し実施の可能性を探ったのですが、6月末に開催を断念しました。中止の理由は大きく二つでした。一つは、体育の授業において、密接、密集を避けるため集団の演技、競技が難しい状況が続いていること。もう一つは、高校3年生の就職試験が例年より一か月遅くなり、応募書類提出が10月5日から、採用試験開始が10月16日となったことです。このため、3年生の就職採用試験時期と体育大会予定期日が重なってしまったことです。苦渋の決断でした。

 ところが、御船中学校は明日9月12日(土)に体育大会を実施されます。今週は、体育大会に向けての中学校の全校練習の音響が風に乗って本校まで届きます。行進や応援の練習など中学生の活力が伝わってきます。上益城郡の中学校は、感染防止に最大限努めながら、体育大会を実施するという決定をされました。競技種目を精選され、プログラムも午前中で終わるよう短縮されたそうです。そして観覧も保護者だけと限られたようです。中学生、特に中学3年生にとって体育大会はとても重要な学校行事だから、中止は考えなかったと中学校の校長先生が私に語られました。その英断に敬意を表するとともに、本校でも実施の可能性はあったのではないかと省みる今日この頃です。

 御船町では各小学校も10月に運動会を予定されているそうです。運動会は秋の季語になっており、わが国では欠かせない地域行事と言えます。コロナ禍で伝統の祭礼が相次いで中止になるなど社会に閉塞感が漂う中、運動会(体育大会)は児童、生徒の元気発信の場となり、地域全体を励ます役割を担うでしょう。

 学校教育は教科の学習活動が時間的には大半を占めていますが、それだけではありません。ホームルーム(学級)活動、生徒会活動、そして学校行事は総称して特別活動と呼ばれ、この活動が人間形成及びその学校の文化を醸成するのに欠かせないものです。今年度は、未曽有のウイルス感染拡大によって、体育大会やクラスマッチはじめほとんどの特別活動が中止もしくは制限を受けてきました。学科やクラスを超えた交流、そして学校全体の一体感を得ることなく年度の半分が過ぎようとしていることに焦燥感を覚えます。

 感染予防と学校生活の充実という困難な両立への挑戦はこれからも続きます。

 

台風一過

 台風一過(たいふういっか)、澄み渡った秋空です。9月8日(火)、平常の学校生活が御船高校で再開でき、心から安堵しています。

 大型で非常に強い台風10号が9月6日(日)の夜から7日(月)未明にかけて九州の西方海上を北上していきました。4、5日前から気象庁はじめ行政機関等から「命を守る行動を」、「最大限の備えを」と繰り返し注意喚起がなされました。そのため、学校も早くから備えに努め、7日(月)は臨時休校の措置をとりました。戦々恐々、息を潜めるようにしてスーパー台風の襲来を待ちました。今回は無傷ではいられないと覚悟もしました。しかし、台風10号の強風に学校は耐え、何も被害はありませんでした。

 7日(月)の日中はまだ吹き戻しの風が強く、時折雨も降りましたが、職員の協力で校庭に散乱した木の枝や葉の片づけが終わりました。教室、体育館、工業実習棟、廊下、屋根など被害は全く見当たりませんでした。無事に台風が過ぎ去っていったことは奇跡のようにも思えますが、やはり、これは職員一同力を合わせ、台風の備えに全力を尽くしたからだと思います。例をあげると、電子機械科の実習棟周辺に置かれている資材はすべて堅く固定されていたため、落下物一つありませんでした。各教室は机と椅子を廊下側に寄せて並べるなど細やかな対応でした。この度の台風対応の経験から、安心というものは、自らが参加して取り組まない限り守れないものだということを改めて学んだと思います。

 8日(火)朝、何事もなかったかのような整然とした校舎、校庭で生徒たちを迎えることができました。「天神の森」周辺では、涼しい風が立ち、秋の気配を感じました。今日から18日(金)まで教育実習期間となります。平成音楽大学から2人(音楽)、佐賀大学から1人(美術)のフレッシュな大学生が教員免許取得のための関門である教育実習に取り組みます。きっと、生徒の皆さんと爽やかな交流が生まれるでしょう。教育実習生(大学生)の姿を通して、自らの進路を考える生徒もいると思います。

 8月24日から2学期が始まって2週間。そして台風による臨時休校。この休校は、上り始めた階段の最初の踊り場のような機会になったかもしれません。生徒の皆さん、また新たな学校生活の始まりです。今朝の全校朝礼の放送で、新生徒会副会長の1年生の岩山さんが、「みんなが来たくなる学校づくりを目指したい」と言いました。

 台風が過ぎ日常の平穏が戻りました。幸福は日常の中にあります。

                                                                            台風一過の青空

二百十日、野分の頃を迎えて

    御船高校では毎朝8時30分から「まなびの森」と呼ぶ生徒の自学の時間があります。この時間の始まりに合わせ、放送委員が校内放送で朝の呼びかけをします。9月2日(水)の朝の放送は、2年1組の坂口さんが当番で、気持ちがこもった語り口で、思わず聴き入りました。

   「今日は立春から数えて二百十日に当たり、稲が実をつける頃ですが、この時期は台風が来襲して農作物に被害が出る時期でもあります。そのため、先人たちは風を鎮める風祭(かざまつり)や風鎮祭(ふうちんさい)などの行事を取り行ってきました。しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、このような伝統行事が中止となっています。今週は台風が相次いで発生し、九州に接近するようです。皆さん、気をつけましょう。」

    このような趣旨の放送内容でした。趣のある季節の話題について情感を添えて伝えようとしている坂口さんの放送は、慌ただしい朝にあって一服の清涼剤のようなものでした。新型コロナウイルス感染予防のため、全校集会や学年集会などが今年度はできません。その分、全校放送を使っての生徒の呼びかけが効果的のように思われます。昼休みには保健委員の生徒たちが、教室の換気や生徒同士で密接、密着にならないよう呼びかけを行っています。放送に耳を傾ける、情報や注意を聴きとる力を今こそ学校で育てる必要があると思います。

    さて、二百十日前後に吹く強風のことを古語で野分(のわき)と呼びます。野の草を強く吹き分けるという意味で、台風の古称です。そう言えば、夏目漱石に「二百十日」、「野分」の作品があり、特に「二百十日」は阿蘇登山が題材で熊本県民には親しみを感じます。

    坂口さんの放送のとおり、強大な勢力の台風がこの週末に九州に接近してくるようです。風を鎮める伝統行事が中止になっている今年は、自然の脅威に対して一層不安を覚えます。学校としても備えを始めました。

    生徒の皆さん、各家庭で防災の備えに取り組んでください。家族を頼るのではなく、皆さんが家庭の防災リーダーです。屋外の飛ばされそうなものを室内へ移動する、窓の補強、非常食・水の準備、最寄りの避難所の確認などやるべきことは沢山あります。そして、停電に備え乾電池ラジオがあると心強いものです。電気が失われると多くの情報通信技術の機能がダウンします。その時こそ乾電池ラジオからの情報は貴重なものになります。

    生徒の皆さん、安全最優先の行動をとってください。

 

「一瞬を切り取れ」 ~ 御船高校写真部

    本校の第2棟から第3棟(特別教室棟)への2階渡り廊下の東側は、写真部の作品展示スペースとなっています。ここを通る時は写真を観るのがいつも楽しみです。今週、2学期の始まりを機に展示作品が一新されました。令和2年度熊本県高等学校文化連盟写真専門部「前期写真コンテスト」の入賞作品が並んでいます。今回、参加校30校、応募作品1007点の中、写真部員12人全員が入賞を果たし、そのうち3人が優秀賞という特筆すべき結果を収めました。

    写真部は、顧問の橘先生の指導のもと、近年めきめきと実力を付け、県高校写真展では上位を占めるようになっています。この度の入賞作品群も誠に見ごたえがあり、展示スペースの前でしばし見入ってしまいます。4月から5月にかけて新型コロナウイルス感染拡大に伴う臨時休校が続き、写真部も思うような活動ができませんでした。従って、2、3年生は前年度後半の未発表の作品を持っていますが、1年生は学校再開の6月から部活動を始めたため、短い期間での撮影、作品提出となりました。

    優秀賞3人の一人、3年生の大場さんの作品は、「巣立ち」というタイトルが付けられ、前年度の卒業式の日の教室風景でした。きっと一年後の自分の姿を重ねて、先輩たちの巣立つ表情を撮ったのでしょう。同じく優秀賞の2年生の原君の作品は「気配」というタイトルで、学校の廊下、音楽室のピアノ、美術の石膏(せっこう)像の3枚の写真が組み合わされ、人物は写っていないのですが、濃厚な人の気配が漂う学校空間を表現しています。恐らく、臨時休校で無人の学校をモチーフにしているのではないかと思います。そして1年生で優秀賞を受賞した岩山さんの作品タイトルは「雨の匂い」。やはり三枚組の写真で、幻想的な蓮池が舞台で、朦朧とした蓮の花、そして蓮の葉の上の大きな雨滴が印象的です。観る者に雨の匂いが伝わってくるようです。岩山さんの作品は、来年度の全国高校総合文化祭(和歌山大会)の熊本県代表にも選ばれました。

    御船高校写真部のモットーは「一瞬を切り取れ」です。今回の展示作品には、水道の蛇口から水滴がこぼれ落ちる瞬間(タイトル「0.1秒の世界」)、鳥が川面から飛翔する瞬間など、まさにその一瞬を切り取った秀作がいくつも見られます。その決定的瞬間を捉えるためには、粘り強さ、集中力、そしてその瞬間を想像する力などが必要なのでしょう。

    写真部の作品群と対面すると、私たち一般の大人には見えない世界を見る感受性、そして決定的瞬間をアート作品に昇華させる確かな技術が兼ね備わっていることがわかります。

    全校生徒の皆さん、必見です。

 

鉄球を遠くへ ~ パラスポーツ練習風景

    午後3時半を回っても御船高校グラウンドは西からの猛烈な陽射しが照りつけていました。気温は30度を優に超えているでしょう。グラウンドのコーナーで、3年生の見﨑さんが「パラスポーツ砲丸投げ競技」仕様の台に座り、重さ3㎏の鉄球を投げます。パラスポーツの外部コーチの方と本校陸上部顧問の高橋教諭が付いて、砲丸投げの練習が行われているのです。パラスポーツとして砲丸投げを始めてまだひと月の見﨑さんですから、鉄球は3mほどしか飛ばず、鈍い音を立て地面に落ちます。しかし、フォームをチェックしながら、本人は汗をぬぐい、投擲を繰り返します。

 高校生パラアスリートの見﨑さん(3年生)のことは、この「校長室から風」で昨年度も紹介しました。中学時代に交通事故に遭い、日常を車椅子で過ごすことになりましたが、本校入学後に車いす陸上に出会いました。御船高校陸上部員として筋力トレーニングは他の部員と一緒に行いながら、熊本県車いす陸上競技連盟に所属し、水・金・土・日は車いす陸上競技の選手達と県総合運動公園等で練習しています。その運動能力の高さが注目され、パラアスリート強化候補選手(陸上競技)に選ばれ、全国の合同練習会にも参加しました。車いすマラソンに加え、短距離にも挑戦、そして今度は砲丸投げも始めることになったのです。

 「投擲種目は好きです。肩には自信があるんです。だから、頑張れます。」と汗を拭きながら見﨑さんは語ってくれました。コーチの方も支援されますが、パラアスリート仕様の競技台の設定はじめ練習準備は、基本、自分でできることは全て自分で行います。黙々と鉄球を投げます。短く小さい放物線を描き、鉄球は落ちます。距離は伸びません。3㎏の鉄球の重さ、そして暑さがじわじわと本人に負荷をかけていきます。けれども、見﨑さんの眼は輝き、意志の力を感じます。

 昨日が初めて学校での砲丸投げの練習でした。車いすマラソン向けの練習は校外で行っているのですが、砲丸投げは学校でもできるのではないかとコーチと話し合い、陸上部の練習の一環で取り組むことにしたそうです。今後、週に2日程度、御船高校グラウンドで砲丸投げの練習をすることになりそうです。学校としても大歓迎です。見﨑さんのパラアスリートとしての練習風景を多くの生徒たちが目にすることになります。生徒たちは、見﨑さんの車いすマラソンでの実績は知っていても、その厳しい練習の様子を見たことはありません。見﨑さんの練習風景を通じて、初めてパラスポーツを身近に感ずることになるでしょう。

 ちょうど1年後の2021年8月24日、東京パラリンピック開幕です。パラスポーツの普及は、私たちの社会をもっと多様性豊かなものにしていくでしょう。

 

 

御船高校、2学期への船出

 8月24日(月)、御船高校の2学期の始まりです。今回もまた全校放送で表彰紹介及び2学期始業式を行いました。表彰では、男子弓道部、男子バレーボール部、書道部、吹奏楽部の活躍を紹介しました。吹奏楽部は、お盆休み中に実施された県吹奏楽部大会吹奏楽コンテスト高校の部で金賞を受賞しました。新型コロナウイルス感染者が熊本県で増加する中、県立劇場で吹奏楽の大会を実施できたこと自体に私は注目しています。感染対策に最大限の努力をして、高校生のために区切りの演奏会を実現したいという関係者の熱意に敬意を表したいと思います。吹奏楽部の皆さんにとって完全燃焼のステージとなったことでしょう。

 今年の夏は、故郷への帰省の自粛が呼びかけられた異常な夏でした。これまで当たり前にできていたことが、当たり前にできない不自由な夏でした。しかし、そのような社会不安と自粛の風潮の中にあって、2020甲子園交流試合が実現されたことに感銘を受けました。春のセンバツ大会に出場予定だった全国32校のチームを甲子園球場に招き、それぞれ1試合だけ行われ、夢の舞台でのはつらつとした高校球児の姿がテレビ中継されました。未曽有のコロナ禍にあって、リスクと向き合いながら、どんなことが可能なのかに挑戦した大きな実践だったと思います。この甲子園交流試合の実現に励まされた教育関係者は多いでしょう。

 高温多湿のわが国の夏の気候において、新型コロナウイルス感染の第二波に覆われました。従来のコロナウイルスの常識が通用しません。熊本県でも連日二桁の感染者が発表され、「レベル4特別警報」(最も重いレベル)が維持されています。このような中、御船高校の2学期は始まりました。私は改めて生徒の皆さんに、手洗いの励行を呼びかけました。最も基本的な対策であるこまめな手洗いでウイルスと不安を洗い流してほしいと思います。本来、学校は、生徒同士が密接、密集しがちな所です。生徒の皆さん一人ひとりがそれを意識して防ぎ、手洗いとマスクの着用で感染リスクを小さくしていく必要があります。

 未知のウイルスとの共存は、私たちにとってこれまで経験したことがない学校生活を新しく切り拓いていくことになります。困難が予想されます。しかし、2学期始業式後の新生徒会長挨拶で、2年の村田君が「感染防止に留意しながら、学校行事を充実させていきたい」と力強く抱負を述べてくれました。生徒の皆さんの新しい発想(アイデア)と工夫を期待しています。

 甲子園交流試合や県高校吹奏楽コンテスト等の成功例を追い風として、御船高校は2学期という広い海に船出します。

 

弥生人の顔が付いた土器 ~ 御船高校の「お宝」

  「貴校が所蔵されている人面付き土器を見せてください」と先日、益城町教育委員会の文化財担当の職員の方達が来校されました。来年で百周年を迎える御船高校には大切に伝えられている「お宝」が沢山あります。最もよく知られているのが、旧制御船中時代以来、輩出してきた画家の皆さんの作品ですが、実は、この「人面付き土器」(弥生時代)も「お宝」の一つと言えます。何より古さが違います。

 「人面付き土器」は、本校玄関脇のケースで大事に保管、展示しています。ケースから慎重に取り出し、益城町教育委員会の学芸員の方たちと丁寧に観察しました。高さは23cm、幅は土台部分で10cm、土器が作られた時代は弥生時代後期の2世紀と考えられています。この土器の最もユニークなところが、顔が付いていることです。残念ながら、発掘された時に顔の大部分は壊れており、五分の四ほどは石膏で補修、復元されています。しかし、その顔は、まぎれもなく今から千九百年ほど前の弥生人のはずです。目は細く、鼻は高くなく、全般的に扁平で、穏やかで優しい印象を与えます。

 昭和50年代、益城町の秋永遺跡で県教育委員会の発掘事業として採取され、歴史教育の教材として最も近くの県立高校である御船高校へ寄贈されたという経緯があります。当初は、土偶(どぐう)ではないかと思われたようです。土偶は、縄文時代に作られた人形で、女性像が多く、豊穣を願うための呪術的なことに使用されたと考えられています。しかしながら、この「人面付き土器」は土器の特徴から見て、縄文時代の次の弥生時代(紀元前3世紀~紀元3世紀)の後期と推定されています。

 弥生時代の「人面付き土器」にしばしの間、見入っていました。顔及び胴体の前面には重弧文(じゅうこもん)と呼ばれる同心円の文様がほどこされています。弥生人の習俗である入れ墨の文様かもしれないとの意見が出ました。全体的にはふっくらした丸みをおび、土偶の系譜と同じ女性像のように見えます。また、背面は割れ目があり、ひょっとして酒などを注ぐ注口(ちゅうこう)土器として使用された可能性もあるとのことです。弥生時代は、縄文時代までの石器に加えて金属器が使用され、北部九州から稲作農業が広まっていきました。社会が大きく変化する中で、この「人面」のモデルとなった弥生人は上益城の地でどんな生活を営んでいたのでしょうか?

 「このような人面が付いた弥生時代の土器はきわめて珍しく、貴重」というのが益城町教育委員会の学芸員の方たちの総括でした。

 生徒の皆さん、私たちのご先祖に当たるかもしれない弥生人のお顔を見に来ませんか。

 

中学生の皆さん、ようこそ御船高校へ ~ 「中学生体験入学」

   中学生の皆さん、御船高校へようこそ。

 8月6日(木)、7日(金)の二日間にわたって御船高校「中学生体験入学」を開催しました。新型コロナウイルス感染に対応するため、6月から慎重に開催のあり方を検討してきました。昨年までのような体育館での全体説明会及び校内見学等をやめ、二日に分け、一定の人数ごと、各教室等での分散開催の形式で臨みました。

 一日目は、普通科(特進クラス、総合クラス)希望者対象です。朝、8時半から9時までが受付ですが、体育館で吹奏楽部が歓迎演奏を行い、多彩な音楽が校庭に響き渡りました。参加者は最初から6教室に分かれ、その教室ごと学校全体の紹介、特進クラス、総合クラス、2年生の「総合的な探究の時間」の成果発表等を担当の生徒たちが行いました。主に2年生が務めてくれたのですが、とても頼もしく思いました。自分の高校生活が充実していなければ、これから進路を決める中学生に対して、責任もって説明できません。御船高校の特進クラス、総合クラスの特色を語り、その良さを本気で伝えていることが感じられました。

 二日目は、芸術コース(音楽、美術・デザイン、書道)と電子機械科の希望者対象です。前日に引き続き参加した中学生もいました。一日目の普通科(特進クラス、総合クラス)の場合は説明中心で、受け身の体験入学でしたが、二日目は中学生自らが活動する能動型の体験入学となりました。特に、音楽専攻は、ピアノ、木管楽器、金管楽器、打楽器、声楽と専門別に会場も分かれての体験レッスンで、教師と音楽専攻の高校生がサポート役として付きました。同じ専攻楽器の高校生から優しく指導を受け、時に一緒に演奏する光景はとても微笑ましく、音楽を愛好する者同士のつながりがあちこちで生まれたようです。

 また、約80人あまりが参加してくれた電子機械科の体験入学では、6班に分かれ、電気配線、エンジン起動、旋盤・溶接、自動工作機械、電子制御(ロボット実演)等の体験コーナーをローテーションで回りました。恐らく多くの中学生にとって初めて見学、体験する施設、設備ばかりだったと思います。強い興味、関心を示す一方、不安に感じる者もいたでしょう。しかし、案内係及び実演担当の電子機械科の2、3年生が「最初はできなくても、みんなわかるように先生方が教えてくれるから大丈夫だよ」などと声をかけ、丁寧に接する姿勢が印象的でした。彼らにとって、見学する中学生は2、3年前の自分だということがわかっているのでしょう。

 二日間でおよそ280人(延べ人数)の中学生が来校してくれました。本校にとっても誠に教育的意義のある二日間でした。中学生との交流を通じて、本校生が大きく成長する機会となったからです。

    御船高校は来週はお盆休み(学校閉庁日)で、学校全体、静かになります。

 

変わらぬ姿、「天神の森」

 7月30日の梅雨明け以来、猛暑が続いています。加えて、新型コロナウイルス感染がとまらず、熊本県でも感染者が増加し、不安感が漂っています。先日、御船町役場を訪ねた際、隣接する「恐竜博物館」入り口前に立つ大きなティラノサウルス像(オブジェ)にマスクが掛けられていたのが目を引きました。恐竜もマスクをする異常な夏です。

 朝から陽射しは強くうんざりする毎日ですが、出勤し、学校の玄関に向かって歩くと、御船高校のシンボルである「天神の森」が迎えてくれます。樹齢400年を超える楠の巨木を中心に樹木が鬱蒼と茂る一角の脇を通る時、ひんやりした微風が感じられ、木陰の涼しさに気持ちが落ち着きます。樹木から出る香りには人の神経をリラックスさせる成分があるそうです。森林浴、森林セラピーは健康に効果があるということで都会人に人気だと聞いたこともあります。「天神の森」は森林という規模ではありませんが、樹木の緑、木洩れ日、木々を通り抜ける風、清浄な雰囲気と、私たちの気持ちを静め、なにか心身を癒してくれる力があるように思えます。このことは、本校にとってかけがえのない教育環境と言えます。

 「天神の森」は四季折々のたたずまいに情緒がありますが、私は真夏の姿に最も心惹かれます。特に、新型コロナウイルスで社会全体が疑心暗鬼の状況にある今年の異常な夏にあって、長い歳月、変わらずこの地にある姿が私たちに安心感を与えてくれます。伝承では、16世紀の後半の戦国時代、御船城を守る聖なる森の一つとして設けられたのが起源とされています。大正11年(1922年)の開校以来、生徒たちを見守り続けきた守護神のような存在です。

 ところが、「天神の森」もかつて危機に瀕したことがあるのです。昭和40年代後半から中心の大楠の樹勢が衰え、保護の取り組みが幾度も行われましたが、平成に入り台風の被害も受け枯死寸前の状態になりました。そこで、平成13年に大掛かりな「大手術」が実施されたのです。大楠をクレーンで吊り上げ敷地の排水処理をして、良質の土壌に入れ替え、さらに根元の土のかさ上げを行いました。これによって大樹は蘇生し、今日に至っているのです。

 「天神の森」は大楠の根の保全のために、普段は敷地内への立ち入りを制限しています。しかし、8月5日(水)の朝、教職員有志20人ほどが「天神の森」内に入りました。繁茂した雑草の除草作業のためです。日向の気温は30度を超えていましたが、「天神の森」の中は涼しく、潤いがあり、作業していて気持ちが休まるような感覚に包まれました。明日、明後日と中学生の皆さんを招いての「御船高校体験入学」を開催します。

 本校は「天神の森の学び舎」です。「天神の森」に手を入れ、より美しくなった姿で中学生を迎えて欲しいというのが私たち教職員の思いです。

                 「天神の森」内での除草、清掃活動

1学期の終業式を迎えて

   7月31日(金)、御船高校は1学期の終業式を迎えました。前日、梅雨明けが宣言されたばかりですが、一気に真夏となり、気温は35度の猛暑日です。前庭の「天神の森」からは蝉時雨(せみしぐれ)が聞こえます。

 終業式は、午後1時半から全校放送形式で実施しました。生徒の皆さんはそれぞれのホームルーム(教室)で聴きます。最初に、「令和2年7月豪雨災害」によって犠牲となられた方々のご冥福を祈り、全員で黙祷を捧げました。

 そして、校長講話。1学期を振り返ると、社会も学校も新型コロナウイルス感染の影響で未曽有の混乱の日々だったと思います。パンデミックと呼ばれる世界的流行が今も続いています。連日、わが国の新規感染者の数値が発表されていますが、異常な出来事であるのにも関わらず、それが数か月続くと、異常に感じられず新型コロナウイルスと共にあるのが日常のように思えてきます。

 目に見えないウイルスへの対策は困難で、誰もが感染する可能性があります。感染者に対して偏見や悪意のまなざしを向けてはいけません。誰も悪くないのです。私たち全員が逃れられない災難に巻き込まれていると考え、支え合い、もうしばらく辛抱していきましょうと生徒の皆さんに呼びかけました。

 わが国全体が新型コロナウイルスによって翻弄されていることに加え、私たちの熊本県は豪雨災害にも襲われました。令和2年7月豪雨災害において、県南部では記録的な大雨に見舞われ、球磨川をはじめ河川の氾濫、土砂崩れ等が発生し、多くの人命が失われ、家屋が流され、道路や鉄道が寸断されました。災害発生から3週間余り立ちましたが、いまだ被災地では復旧が進んでいないと言われています。しかし、その中にあって、被災地の高校生たちが汗だくになって泥をかき出し、流木や水につかった家具などを運ぶ姿が伝えられています。若い力が復旧活動に加わることで、被災地の人たちを元気付けることになります。本校の生徒会有志も明日、被災地の一つである相良村へボランティア活動に赴きます。

 校長講話に続き、生徒会長の田中さん(3年B組)の退任挨拶がありました。田中さんは入学してすぐに生徒会執行部に入り、2年次に生徒会長に立候補して当選し、会長として重責を果たしてきました。田中さんは、生徒会活動を通じて多くのことに気づき、自分自身も変化して成長してきたと述べました。本日をもって新会長の村田君(2年1組)にバトンを渡し、自らの進路実現に挑みます。3年生にとってはいよいよ進路の夏が始まるのです。

 未知のウイルスの脅威、自然災害の爪痕と不安に満ちた社会ですが、御船高校は1学期を終え、次の課程へと一歩踏み出します。

                                                                 教室で黙祷する生徒たち

区切りの代替大会

 

 県高校総体に代わる代替大会が7月18日(土)~19日(日)、そして7月25日(土)~26日(日)に開催されました。御船高校からは、陸上(男女)、バレーボール(男女)、バスケットボール(男女)、テニス(男)、サッカー(男)、弓道(男女)、水泳(男女)、バドミントン(男女)の各部が出場しました。

 新型コロナウイルス感染拡大によって、体育系部活動の集大成である6月の県高校総体が中止となりました。この大会を目標としてきた生徒達、特に3年生にとっては大きな衝撃でした。落胆、失意に陥った生徒も数多くいました。そのため、「3年生に最後の活躍の場を設けたい」との各競技の指導者をはじめ教育関係者の熱意から代替大会の模索が始まり、県高校体育連盟(高体連)の英断があり、7月の代替大会が実現したのです。例年の県高校総体より1か月半ほど遅い時期の開催で、進学や就職の準備に取り組まなければならない3年生にとっては難しい選択となりました。部活動を貫く者もいれば、代替大会の出場を諦めた者もいます。しかし、どちらの選択も尊重されるべきと思います。

 代替大会であっても、生徒たちにとっては待望の県大会であり、3年生にとっては部活動の集大成の場となりました。御船高校生は各競技で健闘し、弓道男子団体で準優勝、男子バレーボール部がベスト8という近年にない好成績おさめました。男子団体弓道は顧問も驚くほどの集中力で躍進しました。男子バレーボールは接戦が続きながら、最後は「勝ちたい」という生徒の強い気持ちで勝ち上がっていったそうです。その他の各部も全力を尽くし、日頃の練習の成果を出し切ったとのことで、試合内容を語られる各顧問の先生方の表情が充実感に満ちていました。また、登校してきた3年生からも「完全燃焼しました」、「自分たちの試合ができました」等、達成感の伝わる言葉を聞くことができました。

 代替大会が実施されて良かったと心の底から思います。不完全燃焼で終わるはずだった3年生にとって明確な区切りができました。新型コロナウイルスで3月の春休みから思うように部活動ができず、県高校総体も中止となりました。部活動再開は6月からで実質2か月弱の練習期間でしたが、代替大会という特別な舞台で真剣勝負ができ、もやもやした気持ちが吹っ切れたことでしょう。

 7月30日(木)、熊本県は待望の梅雨明けを迎えました。今年の梅雨は長く、過酷なものでした。7月初旬の記録的な大雨によって県南部を中心に豪雨災害が発生しました。

 明日7月31日(金)は1学期終業式で、8月1日(土)から夏休みです。部活動は1,2年生の新チームに引き継がれます。そして、3年生はそれぞれの進路の実現に向かって大きく一歩を踏み出す夏です。

 

高校球児にとっての特別な試合

 夏の甲子園大会が新型コロナウイルス感染拡大によって5月下旬に中止が発表されました。その後、6月に入り学校が再開され、部活動も始まり、熊本県独自の代替大会が計画されました。高校球児にとっては目標ができ、大きな励みになったと思います。ところが、7月4日(土)未明から朝にかけての記録的豪雨により県南部が甚大な災害に襲われました。この災害のため、7月上旬から予定されていた県大会は変更を余儀なくされ、地域別の大会に縮小されました。今年の熊本の高校球児たちは新型コロナウイルスと豪雨災害という二つの大きな力によって翻弄されたと言えるでしょう。

 御船高校が出場する城南地区大会は7月18日(土)に始まりました。そして、7月23日(木)、県営八代球場で、御船高校・矢部高校の合同チームは人吉高校との1回戦に臨みました。相手の人吉高校は、この度の豪雨災害の被災地(人吉市)にあり、出場が一時は危ぶまれました。人吉高校関係者によると40人以上の部員がいるそうですが、その内10人近くの自宅が球磨川氾濫の浸水被害をうけ、制服や野球の練習ユニホーム、用具などが流されてしまったそうです。しかしながら、部OBの卒業生からの支援があり、部員全員での城南地区大会出場を果たすことができたと聞きました。

 一方、御船高校と矢部高校はお互い部員不足に悩み、昨秋の大会から合同チームを結成し、公式戦に出場しています。御船高校は1年生部員が入り、現在12人で単独チームができるのですが、矢部高校が部員4人のため、県高校野球連盟に申し出て合同チームで戦うこととしました。矢部の大嶋校長先生と一緒に私も県営八代球場へ応援に行きました。

 新型コロナウイルス対策のため一般の高校野球ファンは観覧できないのですが、観客席には保護者のの姿も多く、夏の日差しのもと、選手たちははつらつとしたプレーを見せてくれました。地力に勝る人吉高校が先制。しかし御船・矢部合同チームは矢部の選手のタイムリーヒット等で一時は逆転。合同チームのため守備の連携プレーが課題でしたが、内野ゴロを巧みに処理しダブルプレーに打ち取るなど守備の成長も見られました。

 試合は結局9対3で人吉高校が勝ちました。ホームペース上に距離をとって2列に並び、胸をはって校歌を歌う生徒たちの姿に、御船・矢部合同チームの応援スタンドからも大きな拍手が寄せられました。

 未曽有の新型コロナウイルス感染による社会的な混乱、そして記録的な豪雨災害と球児たちは困難に耐え、やっと試合をすることができました。県営八代球場でプレーする球児たちは皆輝いて見えました。「艱難汝を玉にす」(かんなんなんじをぎょくにす)という古い格言を思い出したものです。

 

もしも鉄道があったなら

   今年ほど、一日も早い梅雨明けを望む年はないでしょう。7月4日(土)未明から朝にかけて熊本県南部に未曽有の豪雨災害が発生したうえに、それ以後も梅雨前線が停滞し、県北部で土砂崩れ、河川の氾濫等の災害が続きました。その爪痕はいまだ深く、広域にわたるため復旧が思うように進んでいません。また、本校のある上益城郡も断続的に強い雨が降り続きました。そのため、生徒の皆さんの多くが保護者の車の送迎となり、朝の登校時は車が長蛇の列でした。

 4月当初の調査では、本校生(全校生徒525人)の通学手段で最も多いのは自転車で約300人。次が単車で約120人、そして路線バスが60人ほどです。残りが徒歩、保護者の車での送迎となっています。平常は20~30台の車で、正門から入って、「天神の森」の前の芝生広場ロータリー付近で生徒を下ろして、Uターンで正門から出てもらう流れです。しかし、雨天時、特に今月に入っての強雨の日は、自転車や単車の通学生たちの多くが車での送りに変わり、百台を超える車で校内及び正門周辺が大渋滞となりました。雨合羽を着用して自転車や単車で通学する生徒も一定数いるため、交通安全の確保のため、雨天時の車は「天神の森」の横の道路に縦列して、生徒を下ろしたら、そのまま校内を通り抜け南門から出るという流れに変更しました。毎朝、数人の職員がローテーションで出て、雨合羽を着て車の誘導に努めました。

 本校の正門は昭和の終わりに建立されており、幅が狭く、普通自動車の離合ができません。また、正門前の町道も幅が狭く、雨天の朝は、多数の自動車に自転車、単車、そしてバス停から歩いてくる生徒と危険な交通渋滞が起きます。車への生徒たちの乗り合わせや近距離の生徒には雨合羽着用での自転車、単車通学の協力を呼び掛けていますが、根本の解決に至っていません。

 朝の渋滞状況を目の当たりする度、「鉄道があったなら」と思います。前回の「校長室からの風」で触れたように、前任の人吉・球磨地域は第3セクターの「くま川鉄道」があり、五つの高校(現在は4校)は最寄り駅からいずれも徒歩10分以内でした。このため、強雨の日でも、生徒たちは自宅の最寄り駅まで車で送ってもらい、列車に乗って通学してきたので、学校の正門付近が車の渋滞になることはありませんでした。

 実は、この御船町、そして上益城郡にはかつて鉄道がありました。このことも「校長室からの風」で何度か紹介してきましたが、豊肥線の南熊本駅から上益城郡(嘉島町、御船町、甲佐町)を通り、下益城郡の砥用(ともち)駅まで約28.6㎞を結んだ私鉄の「熊延(ゆうえん)鉄道」です。残念ながら昭和39年(1964年)に廃止されており、70歳代以上の同窓生から「汽車通学」の思い出話を時々聴くことがあるくらいです。

 しかし、「もし鉄道があったなら」と令和の今日、思わずにはいられません。

 

 

 

鉄路の復旧、復興を願う

    熊本県南部を襲った豪雨災害から一週間立ちました。復旧は緒に就いたばかりだと思います。メディアで伝えられる現地の状況はまだ茶褐色の土砂や流木が散乱し、被害の甚大さにため息が出てきます。また、気になるニュースが報じられています。くま川鉄道の全線不通のため、沿線の人吉、球磨地域の高校生の通学に大きな支障が出ているとのことです。

 くま川鉄道は、人吉市に本社がある第3セクターの鉄道会社で、人吉市と湯前町の約25㎞を結ぶローカル鉄道です。東西に広がる人吉盆地を球磨川に沿うように運行されている同鉄道は、人吉・球磨地域の貴重な公共交通機関であり、特に高校生にとってはなくてはならない通学手段です。平成元年に旧国鉄の湯前線から引き継がれ、地域住民にとって頼られ、親しまれてきた路線なのです。

 前任の球磨郡の多良木高校勤務時代、私は、くま川鉄道が果たす役割の大きさを日々実感していました。沿線にある五つの高校(多良木高校が閉校となり、現在は4高校)はいずれも最寄り駅から徒歩10分以内という便利さで、多くの高校生が列車通学していました。しかも、その車両は「田園シンフォニー」と呼ばれる洗練さと温かさが調和したデザインで、快適な乗り心地でした。修学旅行で東京に行き、自由行動で朝夕の満員電車を体験した多良木高校生が、「自分たちはいかに恵まれた列車通学しているかわかった」と私に語ったことが印象的でした。大雨などで列車が遅延する時は、学校へファックスでこまめに連絡が届き、鉄道の正確さ、安定性に加え、細やかな配慮を常に感じました。

 今回の豪雨災害で車両全ての浸水被害、橋梁の流出など大変な被害を受けて、くま川鉄道の運行再開は全く見通しが立っていない状況です。通学手段を奪われた高校生たちは、一日も早い代替バス運行を希望しているようですが、人吉・球磨地域のバス車両の多くも浸水被害を被っており、目途がたちません。

    くま川鉄道には、私もよく乗車し、球磨川やのどかな田園などの車窓風景を満喫しました。乗客数は減少し経営は苦しいようでしたが、第3セクターということで、地域住民みんなで支えていました。昭和の終盤、そして平成と全国各地の鉄道が次々に姿を消していきました。地方の過疎化、そしてモータリゼーション(自動車の普及)によって廃線が続きました。時代の流れで仕方がないと思われたこともありました。しかし、エコの観点、高齢者に優しい乗り物などの面から、改めて鉄道の価値が注目されています。例えば、三陸鉄道の復活は、東日本大震災からの復興のシンボルとして被災者の皆さんを勇気づけました。

 くま川鉄道の復旧、そして再開を強く望み、その日を心待ちにしています。

 

球磨村を思う

 7月4日(土)の未明から朝にかけて起こった熊本県南部の豪雨災害ですが、発生から五日が経過しました。日を追って被害の大きさがわかってきましたが、特に多くの犠牲者が出ている球磨村の悲惨な状況を思うと言葉がありません。前回の「校長室からの風」で触れたように、私は前任地が球磨・人吉地域であり、よく球磨村も訪れました。

 球磨村は人吉市の西隣に位置し、中央部を球磨川が流れていますが、村の約9割は山地です。人口およそ三千五百人の小さな村です。役場や球磨中学校を業務で訪問しましたが、それより休日に同村を巡った記憶が印象深く残っています。

 まず棚田の風景が忘れ難いものです。球磨村大字三ヶ浦の松谷棚田は「日本の棚田百選」に選ばれており、標高150から200mの山腹に広がる情景は一度見たら忘れられません。大小さまざま、形も不規則なたくさんの棚田は四季折々の風情があります。この松谷棚田をはじめ同村の棚田を見て回ると、先人の計り知れない苦労を想像し、何か敬虔な気持ちとなります。山の斜面に人の力だけで作り上げ、維持されてきた棚田は、かけがえのない文化的景観に見えました。山間部に小規模の集落が点在しており、道幅は狭く車の運転には気を遣いましたが、「山林が整備されているから土砂災害が起きないのだなあ」と思ったものです。

 次にJR肥薩線の一勝地(いっしょうち)駅です。この駅がある一勝地が球磨村の中心部となります。同駅は1908年(明治41年)の開駅のままの木造駅舎です。言わば歴史的建造物の鉄道遺産ですが、今も現役の駅として役割を果たしています。この駅には何度も訪れました。駅名が「地に足をつけ一勝する」と解釈できる縁起の良いもので、受験やスポーツ大会のお守りとして同駅の入場券が人気なのです。私も当時勤務していた多良木高校の生徒たちが、大学入試センター試験を受ける時、あるいは陸上部リレーチームが九州大会に出場する時など幾度も同駅に足を運び、記念入場券を購入し、生徒たちに贈ったものでした。

 その他、一勝地の温泉や神瀬(こうのせ)の住吉神社、石灰洞窟、渡(わたり)にある相良三十三観音の一つ「鵜口(うのくち)観音堂」など休日に訪ね歩いた場所が次々に浮かびます。

 平和でつつましい山村は、この度の災害で一変しました。球磨川の氾濫した濁流、そして豪雨による土砂災害とその爪痕は凄まじいものがあります。近年の少子高齢化、人口減少で球磨村は棚田の維持もできなくなってきたと聞いていました。そこに今回の大きな災害に襲われ、危機的状況だと思います。

 被災された球磨村の住人の一部の方が、旧多良木高校校舎に避難されていることを知りました。2年前まで私が勤務し閉校となった同校舎が、球磨村の住民の方の避難所となっていることに万感胸に迫るものがあります。自分に何ができるのか問いかける日々です。

 

水害の恐ろしさ

   「これまでに経験したことがない大雨」、「数十年に一度の豪雨」など、気象予報で最大限の警告を近年よく聞くようになりました。そして、毎年のように梅雨末期の7月には、日本列島のどこかで大規模な水害が発生してきました。しかし、それらは遠い地域で起こったニュースであり、私自身、水害の真の恐ろしさがわかっていなかったと思います。

 7月4日(土)の未明から朝にかけて、熊本県南部に「短時間大雨情報」が幾度も発出されるような記録的豪雨が降り、一級河川の球磨川水系が広い地域で氾濫し、土砂崩れや洪水など大災害となりました。50人を超える人命が失われ、人吉市、球磨郡、芦北地域等、甚大な被害が出てしまいました。災害発生から今日で3日目となりますが、交通手段や通信網が寸断され、被害の全容さえ把握できていない状況です。見知った場所が、茶褐色の土砂に覆われ一変した光景をテレビのニュース映像で見ると言葉を失います。

 御船高校に赴任する前、私は4年間、球磨郡の多良木高校の校長を務めていました。人吉・球磨地域は、鎌倉時代から江戸時代まで相良氏によって統治され、熊本県の他の地域とは歴史、風土とも異なり、個性ある文化に恵まれたところです。そして、その景観の中心に存在するのが球磨川です。日本三急流の一つと言われ、勾配が急で流れの速さで知られますが、清流と呼ぶにふさわしい川です。球磨川沿いにJR肥薩線が走っていますが、黒煙をあげばく進する「SL人吉号」が川面に映る姿はまるで一幅の絵のようでした。

 「かはちどり 鳴けばみおろす 球磨川の

         瀬の音たかし 霧のそこより」(中島哀浪 歌碑)

 この歌碑が立つ人吉城跡の岸から、球磨川とその向こうの旅館街、市街地をよく眺めたものです。人吉、球磨の冬の風物詩の川霧が現れると、幻想的でもあります。あの情緒ある城下町の風景が損なわれたことがいまだ信じられません。

 さらに、第3セクターの「くま川鉄道」が鉄橋崩落をはじめ大打撃を受けたことがとても心配されます。「くま川鉄道」は、球磨川沿いに開けた盆地の人吉市及び球磨郡を東西につなぐ貴重な公共交通機関です。特に、高校生は通学手段にこの鉄路を利用しています。安全でのどかなローカル鉄道の復活を願います。

 刻々と報道されるニュースで被害が拡大しており、不安が増すばかりです。しかし、人吉・球磨の高校生たちが泥だらけになり、市街地の土砂を掻き出すなど復旧ボランティアに汗を流していることも伝えられています。たとえ時間を要しても、若い力が復旧、復興の中心となるものと信じています。

 

地域とともにある学校 ~ コミュニティスクール始動

 第1回学校運営協議会を7月3日(金)の午後、本校セミナーハウスで開催しました。12人の学校運営協議会委員の皆様にご出席いただきました。学校運営協議会とは聞き慣れない言葉かもしれません。御船高校は今年度から総合型コミュニティスクールへ移行しました。昨年度までは、防災型コミュニティスクールとして地域住民の皆さんと一緒に防災訓練を行うなど、地域と協働で防災教育に取り組んできました。今年度から、あらゆる面で地域と協働し、生徒を育てていきたいと考え、総合型コミュニティスクールへの移行を決めました。この総合型コミュニティスクールを運営するのが学校運営協議会です。

 学校運営協議会委員の方々は、御船町を中心に教育関係者、行政、商工会、住民代表等、それぞれ高い見識をお持ちの方ばかりで、心強く思います。本校の生徒たちは、かねてから様々な分野で地域社会の皆さんのご支援を受けてきています。2年生全員のインターンシップ(就業体験)、家庭科の保育園実習、音楽専攻者の平成音楽大学での特別レッスン、また多くのボランティア活動の機会提供など幅広いものがあります。これまでも「地域に開かれた学校」を掲げ、個別の分野でご協力、ご支援を受けていたのですが、それらをまとめ、総合型コミュニティスクールとして地域と学校で高校生を育成する仕組みに変えたのです。

 御船高校は大正11年に創立以来、変わらずこの地にあり、地域の皆様に支えられてきました。来年は百周年の大きな節目を迎えます。変化の激しい社会の中で、この「天神の森の学び舎」がこれからも地域になくてはならない存在として維持発展できるのか、岐路にさしかかっていると言えます。私たち教職員は人事異動が定めで、長い在職でも10年程度で代わります。それゆえに、御船高校は地域とともにある学校(コミュニティスクール)だという基軸をここで設け、地域の皆さん方に受け継いでいっていただければ、御船町及び上益城郡の拠り所としての役割を永く果たしていけると期待できます。

 現在の御船高校には多くの課題があります。しかし、それ以上に大きな可能性もあります。私たちは学校の課題をオープンにして、委員の皆様と一緒に知恵を絞り、検討を重ねていきたいと思います。1回目の学校運営協議会においても委員の皆様から積極的な質疑、意見が出され、誠に有難く思いました。

 「御船高校があって良かった」と地域の皆様から思われ、「私たちの学校」という意識が広く浸透していくよう、次の百年に向けてコミュニティスクールづくりを推進します。

 

 

前進する芸術コース

 「美術は、人と異なったことをして褒(ほ)められることはあっても、叱られることはありません。美術、芸能だけが、人と違って褒められることがある唯一のジャンルです。」

 この言葉は、哲学者の鷲田清一氏が京都市立芸術大学学長としてかつて卒業式で述べた式辞の一節です(『岐路の前にいる君たちに ~ 鷲田清一 式辞集』朝日出版)。美術及び芸術の本質をつかんだ表現で、深く印象に残っています。

 御船高校には、音楽、美術・デザイン、書道の三つの専攻分野から成る芸術コース(普通科)があります。音・美・書の三分野そろった芸術コースは本県の県立高校では本校にしかありません。毎年、広く県内各地から志望者がありますが、今年度は書道専攻で県外からの入学者もいました。学校の平常授業を再開して1か月ですが、芸術コースの動きがとても活発です。

 前回の「校長室からの風」で紹介したように、美術専攻1年生のアクリル画がデビュー作として高い完成度を示しており、学校ホームページにアップしたところ保護者の方々から大きな反響がありました。芸術の場合、作品が何より雄弁です。作品を通じて、作者である生徒の成長がわかります。

 また、書道専攻生全員が所属する書道部に朗報が届きました。第39回熊日新鋭書道展の結果発表が6月末に行われ、3年の西村さんがグランプリ、3年の友田さんと2年の坂口さんが特選に輝きました。これらの作品は、4~5月の臨時休校期間、自宅で取り組み、時々登校して先生から指導を受ける中で出来上がったものです。担当の書道の古閑教諭は、「一時の屈は、万世の伸なり」(吉田松陰)の言葉で休校中の生徒を励ましたと聞いています。

 そして、今週、音楽専攻の2年生、3年生が平成音大へ特別レッスンを受けに行きました。同じ町に九州唯一の音楽大学である平成音大があることは、本校の音楽専攻の生徒たちには大きな強みです。年間5~6回、授業の一環として平成音大でそれぞれの専門楽器の指導を先生方から受けており、今年度初めての音大レッスンが今週実現したのです。高いレベルの指導を受けた生徒たちは顔を輝かせ帰校してきました。

 令和2年度御船高校芸術コース紹介パンフレットが、音楽、美術・デザイン、書道の先生方の努力で完成しました。非常勤の先生も含め10人の教員の写真や専門領域が掲載されています。まさに顔の見えるパンフレットであり、芸術コース教員の意気込みが伝わってきます。多くの中学生の皆さんが手に取って、御船高校芸術コースの魅力を感じとってもらえればと期待しています。

                                                               芸術コース紹介パンフレット

 

 

混沌(カオス)から生まれる創造 ~ 美術の授業

    御船高校の芸術コースには音楽、美術・デザイン、書道の三つの専攻があります。今週の授業公開週間にそれぞれの授業を参観しましたが、専攻ごとに特色があり面白いと感じました。音楽はハーモニー(調和)を重視した授業で、生徒たちは高価な楽器を丁寧に扱い、整然とした雰囲気です。書道は、研ぎ澄まされた集中力が求められ、めりはりの利いた授業展開で、心地よい緊張感が漂います。

    一方、美術・デザインの授業はどうかと言いますと、まず美術教室の雰囲気が異なっています。本校には美術教室が3部屋あるのですが、長年の絵の具の跡が床や机に見られます。また、様々な造形物も創作するため、おもちゃのようなユニークな数々のモノ(作品)が棚や教材用机の上に並んでいます。今回、木曜日の3・4限目の1年の芸術コース(4組)の授業を参観しましたが、デッサン用として「生シイタケ」まで用意されていて目を引きました。雑然と言うより、何か混沌(カオス)とした雰囲気が美術教室から伝わってきました。

   美術専攻の1年生が今取り組んでいる学習課題は、自分自身で写真を選び、それを鉛筆で転写(トレース)しアクリル絵具で彩色するものです。色は3色以内に制限され、シンプルさの中に対象の特徴を浮き出させることができるかが問われます。生徒たちの制作のスピードはそれぞれです。時間をかけ細やかな部分まで注意深く彩色している生徒がいます。まさに「美は細部に宿る」精神の実践です。アクリル画を完成させ、友人と批評し合っている生徒もいます。また、次の課題の鉛筆デッサン(ペットボトルやシイタケ等を描く)に黙々と打ち込んでいる生徒もいます。

   それぞれのペースで取り組む14人の生徒たちに対し、担当教諭は、色の明暗や光の当たり方等の技術的なアドバイスをして回りますが、生徒の主体性を尊重しています。生徒たちは生き生きと創作活動を楽しんでいる様子です。

   授業を再開してまだ約1か月ですが、美術専攻の1年生のアクリル画の完成度の高さに私は驚かされました。「1時間ごとにうまくなっています!」と担当教諭も太鼓判をおしていました。

  「芸術コース美術1年生の活動のようすを紹介します」の表題で御船高校ホームページに早く出来上がった生徒のアクリル画作品を紹介しています。保護者の皆さんにぜひご覧いただきたいと思います。

   高校生の成長には目を見張ります。

 

「教えあい、学びあう」学級(クラス)へ ~ 授業公開週間

 今週の御船高校は「授業公開週間」です。すべての授業が公開されており、教職員同士がお互いの授業を気軽に参観できます。私も月曜から水曜までの三日間ですでに6時間の授業を見て回りました。校長となって、すっかり授業から遠ざかりましたが、長年授業をしてきた経験から、授業ほど難しいものはないと実感しています。かつて大学の特別講師に就任した落語家が、「毎日、同じお客さん(学生のこと)にうける噺をすることは至難の業」と嘆息したという逸話があります。円熟の域に達した話芸のプロも、寄席に来るお客さんを引き付けることはできても、長期間、同じお客さん(学生)を相手にして、そのお客さん(学生)を変容させていくことが簡単でないことを悟ったのでしょう。

 さて、授業参観を通じて様々な発見や気づきがありました。授業でのICT(Information Communication and Technology情報通信技術)化は御船高校の近年のテーマです。書道の授業で、すっかり定着した書画カメラが利用され、教師のお手本の書き方がスクリーンに大きく映し出されていました。また、生徒の主体的な学習活動が一層重視されるようになり、英語では、教師がほとんど板書せず、生徒たちが時にはペアとなり、発音を繰り返し、言語音声が途切れることがありませんでした。また、教科「情報」の「社会と情報」(1年生履修科目)では、「ワンクリック詐欺、架空請求、フィッシング」などのインターネット上のトラブル対応を学習する授業で、まさにリアルタイムの社会問題が教材となっており、生徒たちも当事者意識で臨んでいました。

 そして、最も印象的だったのが、どの教科・科目においても、「お互い教えあおう」と教師が生徒たちに声を掛けていたことです。生徒たちは教科に応じて得手、不得手が当然あります。また、学習の進度や理解の仕方も個人差があります。その実態を教師が柔軟に受けとめ、学級(クラス)において、「教え合い、学び合う」雰囲気を醸成していこうという姿勢が感じられました。

 苦手意識のある教科・科目について、生徒は自発的に教師に質問しない傾向があります。だからこそ、級友から教えてもらうことが大切なのです。教える方にとっても効用があります。「他者に教えること」こそが、学習したことを自分の中に定着させるうえで最も効果のあることが各種研究で確認されています。

 教室は間違うところです。恥ずかしいことはありません。授業は学級(クラス)全体で受けるものであり、「教え合い、学び合う」のが学級(クラス)なのです。