球磨村を思う

 7月4日(土)の未明から朝にかけて起こった熊本県南部の豪雨災害ですが、発生から五日が経過しました。日を追って被害の大きさがわかってきましたが、特に多くの犠牲者が出ている球磨村の悲惨な状況を思うと言葉がありません。前回の「校長室からの風」で触れたように、私は前任地が球磨・人吉地域であり、よく球磨村も訪れました。

 球磨村は人吉市の西隣に位置し、中央部を球磨川が流れていますが、村の約9割は山地です。人口およそ三千五百人の小さな村です。役場や球磨中学校を業務で訪問しましたが、それより休日に同村を巡った記憶が印象深く残っています。

 まず棚田の風景が忘れ難いものです。球磨村大字三ヶ浦の松谷棚田は「日本の棚田百選」に選ばれており、標高150から200mの山腹に広がる情景は一度見たら忘れられません。大小さまざま、形も不規則なたくさんの棚田は四季折々の風情があります。この松谷棚田をはじめ同村の棚田を見て回ると、先人の計り知れない苦労を想像し、何か敬虔な気持ちとなります。山の斜面に人の力だけで作り上げ、維持されてきた棚田は、かけがえのない文化的景観に見えました。山間部に小規模の集落が点在しており、道幅は狭く車の運転には気を遣いましたが、「山林が整備されているから土砂災害が起きないのだなあ」と思ったものです。

 次にJR肥薩線の一勝地(いっしょうち)駅です。この駅がある一勝地が球磨村の中心部となります。同駅は1908年(明治41年)の開駅のままの木造駅舎です。言わば歴史的建造物の鉄道遺産ですが、今も現役の駅として役割を果たしています。この駅には何度も訪れました。駅名が「地に足をつけ一勝する」と解釈できる縁起の良いもので、受験やスポーツ大会のお守りとして同駅の入場券が人気なのです。私も当時勤務していた多良木高校の生徒たちが、大学入試センター試験を受ける時、あるいは陸上部リレーチームが九州大会に出場する時など幾度も同駅に足を運び、記念入場券を購入し、生徒たちに贈ったものでした。

 その他、一勝地の温泉や神瀬(こうのせ)の住吉神社、石灰洞窟、渡(わたり)にある相良三十三観音の一つ「鵜口(うのくち)観音堂」など休日に訪ね歩いた場所が次々に浮かびます。

 平和でつつましい山村は、この度の災害で一変しました。球磨川の氾濫した濁流、そして豪雨による土砂災害とその爪痕は凄まじいものがあります。近年の少子高齢化、人口減少で球磨村は棚田の維持もできなくなってきたと聞いていました。そこに今回の大きな災害に襲われ、危機的状況だと思います。

 被災された球磨村の住人の一部の方が、旧多良木高校校舎に避難されていることを知りました。2年前まで私が勤務し閉校となった同校舎が、球磨村の住民の方の避難所となっていることに万感胸に迫るものがあります。自分に何ができるのか問いかける日々です。