校長室からの風

熊本県高校生ものづくりコンテスト

   第16回熊本県高校生ものづくりコンテストが6月16日(日)に開催され、会場校の玉名工業高校(玉名市)を訪ねました。同校は初めてでしたが、最初に充実した実習棟に目を奪われ、工業教育に最高の環境が整っていることを実感しました。ものづくりコンテストの会場校にふさわしい施設・設備の学校でした。さらに、「工業人たる前に よき人間たれ」のスローガンが校内の随所に掲示され、職員の皆さんが着用されている揃いのTシャツにもこの言葉がプリントされていました。技術だけでなく、挨拶や掃除、教室や実習室の整理整頓を重視されていることが伝わってきます。

   熊本県高校生ものづくりコンテストは、工業系学科及び総合学科に学ぶ高校生に目標を与える場を提供し、技術・技能の継承の推進を図り、本県そして我が国の産業発展を支える人材の育成を目指すことを目的に開かれています。

第16回の今回は次の8部門の競技種目が実施されました。

◇ 旋盤作業   11校11人参加      ◇ 電気工事   10校10人参加

◇ 電子回路組立 7校7人参加    ◇ 化学分析   3校6人参加

◇ 木材加工   5校5人参加    ◇ 測量     6校18人参加

◇ 家具工芸   3校6人参加

◇ 自動車整備  2校3人参加(*この種目だけ会場は開新高校)

 いずれも各学校の代表生徒が練習を重ねて準備して臨んでいます。各会場には緊張感が漂い、限られた時間の中で高い集中力を発揮する生徒たちの熱気が伝わってきて、観る者の胸を打ちました。

 御船高校からは電気工事に3年男子の託麻君、旋盤作業に2年女子の田中さんが出場しました。彼らは放課後、土日と繰り返してきた練習の成果を見事に発揮し、制限時間内で課題をやり遂げました。審査の結果、託麻君は惜しくも4位、田中さんは見事に3位入賞を果たしました。上位は紙一重の競い合いだったようです。全体的に女子生徒の入賞が増えていることが注目されます。

 付加価値の高い製品が求められる中、我が国のものづくりの現場力が落ちていると聞きます。若者の製造業離れが言われて久しいものがあります。しかし、エネルギーを注ぎ込み真剣にものづくりに格闘する高校生がいるのです。当日は県商工観光労働部の担当者や産業界の方、また保護者等が観覧されました。スポーツ(高校総体)、文化活動(高校総文祭)とは違う高校生のもう一つの技術の祭典があることを多くの県民の皆さんに知って欲しいと思います。

「授業は本当に難しい」 ~ 御船高校授業研究期間

 

  「授業は本当に難しい。何年経験を重ねても難しいものだ。」と、かつて同僚だった先生の言葉がよみがえります。県内でも指導的存在のベテランの先生でした。当時の私の拙い授業を参観され、その後の授業研究会で発された言葉であり、20年ほど前のことですが、今も記憶に残っています。

 御船高校では6月4日(火)から14日(金)にかけて「授業研究期間」と位置づけ、すべての授業を公開し職員がお互い自由に参観すること、そして各教科から代表1人が指導案を作成しての研究授業を実施することの二本立てで取り組みました。本校では昨年度から、「授業のユニバーサルデザイン化」(だれひとり取り残さない、わかりやすい授業)を目指しており、今年度はICT(Information Communication Technology 情報通信技術)の積極的・効果的活用を実践テーマに掲げています。

 今回、私が参観した書道、国語(現代文)、数学、音楽、公民(現代社会)の研究授業はいずれもパソコン、プロジェクター、スクリーンの3点セットをはじめ書画カメラ(書道の授業)などが活用され、それぞれの職員の工夫が見られました。期待通り、生徒の授業への興味、関心を引き、授業に臨む集中力も高まる傾向にあります。しかし、生徒自身がもっと主体的に学習活動を行っているか、また教師と生徒、さらには生徒間の対話が生まれているかについては授業で差が見られました。

 従来の高校の普通科目の授業は、どうしても教師の説明が長くなり、教師から生徒への一方通行の「教える」だけが主流でした。これを大きく変えていかなければならない時に来ています。知識や簡単に答えの出るものは今やAI(人工知能)が担う時代です。答えの出ないものに取り組んでいける論理的思考力や創造力、そして協働の姿勢などが求められているのです。疑問を持つ、自ら問いを立てることができるといった主体的な学習姿勢をいかに養っていくかが高校教育の大きな課題となっています。

 本校の教職員の格闘は続いています。「教えるは学ぶの半ば」という言葉があります。人に教えることは自分の力量不足やあいまいな点がはっきりするから、半分は自分の勉強になるのだという意味です。授業実践を重ね、お互い評価しあい、職員も研鑽を積んでいます。生徒同様、教師もまた学校で成長していくものなのです。

 

 

ものづくりの情熱 ~ 熊本県高校生ものづくりコンテストに向けて

 

    放課後によく電子機械科の実習棟へ足を運びます。旋盤をはじめ多くの工作機械がならび、独特のオイル臭もする空間で生徒たちがそれぞれの作業に没頭している姿を見ることができます。最も活気あるグループがロボット部の生徒たちです。常時10人前後の生徒たちが時に話し合いながら、ロボットづくりに取り組んでいます。秋の全国大会(新潟県)での優勝を目指しており、高い目標を掲げている彼らのモチベーションは高いなあといつも感じます。

    一方、個人で黙々と時間を忘れたかのように作業を繰り返している生徒がいます。熊本県高校生ものづくりコンテストに出場する3年生の託麻君と2年生の田中さんです。託麻君は電気工事部門に出場予定で、2時間の規定時間内に木製パネル盤上に電気配線を作り上げることが課題です。担当の吉迫先生がマンツーマンで指導に当たられ、時間を計っての演習で高い集中力を発揮しています。田中さんは本校の少ない工業系女子です。県全体では工業高校で学ぶ女子生徒は増加しているのですが、本校電子機械科では1年生は71人中ゼロ、2年生は61人中3人、3年生は67人中2人という状況です。田中さんは旋盤作業部門に出場予定で、担当の山下先生と二人三脚で準備中です。

   「とても肉眼ではわからない精密さが求められますが、ぴたりと数値通りの結果がでたときは、やったあと思います。」と田中さんは旋盤加工の魅力を語ってくれました。山下先生によれば「田中さんの向上心が素晴らしい」とのことです。まだ2年生なので、最終目標は3年次での優勝ですが、今回も目標を3位入賞に置いているとのことです。

   「実践の上に理論が生まれ 理論が実践を効果的にすると共に 実践が理論を発展させる」との先達の言葉が実習棟の壁に大きく掲げられています。そして「定位置還元」のスローガンのもと作業に集中できる環境が整っています。この実習棟(ラボラトリー)で、御船高校電子機械科の生徒たちはものづくりの難しさと奥の深さを体得していくのでしょう。何か、武道における「道場」のようにも映ります。

 第16回熊本県高校生ものづくりコンテストは来る6月16日(日)、熊本県立玉名工業高校と開新高校を会場に開催されます。本校の生徒が出場する2部門の他に木材加工、電子回路組立、測量、家具工芸、化学分析、自動車整備の計8部門で高校生の技術・技能が競われます。期待したいですね。

 

 

 

交通の要地、御船 ~ 舟運、街道から高速道へ

 

 アメリカに本社がある外資系の会員制大型ショッピングセンターが2021年(令和3年)春に御船町の九州自動車道御船インターチェンジ近くに開業するニュースが先日メディアで報じられ、話題となりました。同社の出店は九州では3番目(これまでは福岡県内に2店舗)で、協定締結の際に同社が御船町を選んだ理由として、交通の利便性と立地条件の良さを挙げていたことが印象に残りました。御船町は、熊本県のほぼ中央に位置し、県庁所在地の熊本市中心部からおよそ15㎞の距離です。そして、なんと言っても町内に三つの高速道路のインターチェンジ(九州自動車道の御船IC、小池高山IC、九州中央自動車道の上野吉無田IC)がある交通の要地なのです。

 歴史的に見ても御船町は古くから交通の要地と言えます。現代の私たちは交通と言えば道路のみを考えがちですが、近代以前の交通において河川交通すなわち舟運がとても重要な役割を果たしていました。御船町には御船川が流れており、西隣の嘉島町で一級河川の緑川と合流します。江戸時代、肥後(熊本)屈指の商港であった川尻とは川の道で約20㎞の距離でした。川尻との舟運が盛んに行われ、御船は上益城郡きっての物資集散地(町)として繁栄したのです。「御船」という地名の由来は諸説あるようですが、古くから舟運の拠点であったことを示しているのでしょう。近代に入って舟運の時代は終わりましたが、それでも昭和30年代頃まで河口から運搬船が御船町の中心地域まで上ってきていたと聞いたことがあります。地形的に熊本平野の東端に当たる地域までは舟運が可能だったのでしょう。

 また、かつて日向往還(街道)が御船を通っていました。江戸時代の肥後の四街道(豊後・豊前・薩摩・日向)の一つで、日向(ひゅうが)すなわち現在の宮崎県延岡へ向かう街道です。城下町の熊本から嘉島、御船、矢部(現山都町)を通り日向へと抜けるルートです。日向往還は御船高校がある木倉(きのくら)付近までは平坦部ですが、ここから山間部へと入り道が険しくなります。

 今も旧往還の面影が残っている場所があります。その筆頭が八瀬(やせ)眼鏡橋とその近くの石畳です。御船川の支流の八瀬川にかかる石橋で、安政2年(1855年)に御船の材木商である林田能寛が私財を投入し、肥後の石工で名高い種山(現八代市東陽地区)の技術者たちが架橋しました。橋の長さは62mに及び県内に残る石橋で最長です。風雪に耐えた風格ある石橋と、今にも江戸時代の旅人が現れてきそうな石畳を見ていると、昔も今も社会を支えるのは交通だとの感慨を覚えます。

 

「計る」ことの大切さ ~ 電気計測器の寄贈

 日置(ひおき)電機株式会社代表取締役社長の細谷和俊(ほそやかずとし)様をはじめ同社員の方3人が6月6日(木)に来校されました。同社(本社は長野県上田市)は電気計測器を中心に高品質の製品開発・製造で発展を続けておられ、企業理念に「人間性の尊重」「社会への貢献」を掲げ、東日本大震災、そして熊本地震で被災した工業高校の支援事業に取り組まれています。この度、御船高校に対し、次の製品のご寄贈を賜ることとなりました。

 ・ 放射温度計         1台
 ・ タコハイテスタ(回路計)  1台
 ・ クランプオンハイテスタ   2台
 ・ バッテリハイテスタ     1台
 ・ 絶縁抵抗計         1台
 ・ 持続ケーブル        1本
 いずれも工業教育においては貴重なものであり、誠に有り難いご支援です。

 本校電子機械科のラボ棟(実験実習棟)において、同科の3年生67人と職員で出迎え、贈呈式を執り行いました。細谷社長様からは、「高校生の皆さんに物作りの楽しさを知って欲しい。そして、かつての技術立国日本を取り戻すために将来活躍して欲しい」と励ましの言葉を頂きました。贈呈式の後、日置電機株式会社の社員の方による「電気測定の基礎知識」のセミナーが30分ほど行われ、生徒にとっては貴重な学習の機会となりました。

 考えてみると、温度計、体重計、血圧計など私たちの生活においても客観的なデータを知る計測器は不可欠な存在です。従って、これが科学技術や電気・ガス・水道などのインフラ(社会基盤)の維持、発展にいかに重要かが容易に想像できます。

 電気計測器は私たち一般人が購入消費する製品ではありませんので知名度は高くありませんが、日置電機株式会社のような企業は社会から必要とされ続けている存在です。近年、我が国のモノ作りへの信頼を揺るがすような事案が大企業と言われるところでも起きています。しかし、社会生活の根本の安全を守る計測技術開発にたゆまぬ努力を続けておられる企業を知ることができたことは、電子機械科の生徒たちにとって幸運だったと思います。

 

 

和敬清寂の世界に浸る ~ 熊本県高校総合文化祭(その2)

   部活動において、その生徒の普段は見られない輝く場面、秀でた点を発見して驚くことがよくあります。「この生徒は、こんな面があったのか」と人物観の修正を迫られる時は、教師にとって生徒の豊かな可能性を知る時にほかならないのです。今年の熊本県高校総体、そして総合文化祭において、そのような喜びの体験を幾度も味わいました。中でも、総合文化祭初日(5月31日)、県立劇場の茶道部のお茶席での出会いは忘れがたいものがあります。

 書道、美術、写真等の展示作品を見て回っていた私は、偶然、本校茶道部顧問の野崎先生と会い、御船高校担当のお茶席に御案内いただきました。幸運でした。茶道部は裏千家の岩永師範の御指導のもと、3年生9人、1年生1人の計10人で週1回活動しています。赴任して2ヶ月の私にとって茶道部員との初めての出会いが、県高校総合文化祭のお茶席となったのです。名誉にも正客(しょうきゃく)となり、他の相客15人の方と一緒に座敷に招かれました。

   亭主は御船高校3年2組の田上知奈さん、半東(はんとう)が同じクラスの澤村愛さんです。二人とも制服です。半東とは茶事が円滑に進むように亭主をサポートする役で、お菓子や亭主が点てたお茶を客に運びます。お客の人数が多いため、相客には控えの水屋で点てられたお茶が運ばれますが、正客の私には亭主が点ててくれます。亭主の田上さんと相対座して、お点前を間近で見ることができました。

   裏千家の風炉(ふろ)の薄茶平手前で私たちはもてなされました。亭主の田上さんは幾つもの手順を落ち着いて進め、まことに優美なお手前を披露しました。相客にお菓子やお茶を運ぶ部員も楚々とした所作でした。日常の学校生活では決して見ることのできない立ち居振る舞いであり、御船高校生の未知の姿を「再発見」した思いとなりました。

   座敷の床の間には「清流無間断」(清流は間断無し)の掛け軸がありました。この軸を見て、「和敬清寂」という茶道の精神を表した言葉を思い出しました。もともとは禅宗の言葉です。言葉通りまさに和やかで亭主と客が敬いあう対等な関係が生まれ、清らかで静かな空間に包まれて、心地よいひとときでした。

   我が国の伝統文化の持つ型の強さ、奥深さは計り知れないものがあります。令和の高校生にも茶道に親しんでほしいと願っています。

 

「解は無限 導け青春方程式」 ~ 熊本県高等学校総合文化祭(その1)

 

   令和元年5月31日(金)の午前、熊本市の「えがお健康スタジアム」で開催された熊本県高等学校総合体育大会総合開会式に御船高校は生徒、教職員の60人で臨みました。生憎の雨に見舞われましたが、生徒はよく辛抱し笑顔で入場行進、そして開会式に参加しました。

   終了後、私は県立劇場へ移動し、午後からの熊本県高等学校総合文化祭総合開会式に出席しました。オープニングを御船高校書道部10人による書道パフォーマンスが飾り、縦4m×横6mの巨大な紙の中央に「全速前進」と墨書、上部に緑色の墨で「青春エネルギー」と書き上げました。動きは気迫に満ち、10人が息を合わせて作品を創り上げた時は、会場のコンサートホール(1000人収容)でどよめきに似た歓声があがり、割れんばかりの拍手が送られました。

  「令和」は、天平文化(奈良時代)の大宰府での和歌の宴にちなむ元号であり、多くの人が心を寄せ合い文化を創り上げるという願いが込められています。英訳すると「Beautiful harmony」(美しい調和)となり、先般、国賓として来日したトランプ米大統領もスピーチでそのように表現していました。御船高校書道部の書道パフォーマンスはまさに「ビューティフル ハーモニー」にふさわしいものでした。

 高校総合文化祭総合開会式の生徒代表あいさつを担った熊本市立筆由館高校3年の今村美咲さんは、千語近い挨拶文を暗唱し、かつ感情豊かに語って会場をうならせました。そして、スピーチと言えば、2日目の弁論発表(演劇ホール)において、県立盲学校の松下賀雅人君の「呼吸(ブレス)を感じて」の豊かな表現力には圧倒されました。

 5月31日(金)から6月1日(土)にかけて、県立劇場のコンサートホールと演劇ホール、そしてホワイエや地下大会議室等で高校生の日頃の文化活動の成果の発表が続きました。合唱、吹奏楽、バトントワリングのような華やかな舞台芸術から理科研究や書道・美術・写真の作品展示までまことに多彩です。高校生の文化活動のにぎわいが会場に横溢していました。

 高校総合文化祭は高校総体に比べるとメディアや県民の方々の関心が低いようで、残念でなりません。スポーツに負けないエネルギーがあふれています。そして実に多様な興味、関心の広がりが文化活動にはあります。まさに、今年のテーマにあるように文化活動は「解は無限」なのです。

 

92歳の先生

 

 

 御船高校華道部を指導していただいている村上諫(いさむ)先生は、旧制御船中学校20回生(昭和21年3月卒業)で、御船町に隣接する甲佐町にて長く花き農家を営まれる一方、「花の美しさを広く伝えたい」と池坊華道師範免状をとり活動してこられました。御年92歳になられます。

 一昨日、電子機械科の3年B組の「家庭総合」の授業でフラワーアレンジメント講習を企画し、その講師として村上先生に来ていただきました。授業の冒頭、戦争中の過酷な勤労学徒動員の体験を語られたあと、的確に作り方のポイントを示されました。3年B組は男子が圧倒的に多いクラスで(男30、女2)、フラワーアレンジメントはほとんどが初体験でしたが、日頃から物作りに慣れていることもあり、段取りよく進め、手仕事の楽しさを味わっていました。

 また、昨日は華道部の指導で再び来校されました。村上先生の御指導のもと、華道部員が学校玄関に四鉢の作品をつくり展示しました。華やかでそれぞれ趣のある作品の前に立つと、花をとおして生徒たちが伝えたい心が感じられます。これから来校者の目を楽しませることでしょう。

 村上諫先生に対し、今年度の「文化部(華道部)外部指導者委嘱状」を校長としてお渡ししました。ご高齢をおして来校され、ひ孫のような生徒に華道を教えられる村上先生には頭が下がります。今や我が国は高齢者の活躍する時代ですが、それにしても92歳にして高校生に定期的に指導される方は希ではないでしょうか。

 「人も生け花も経験を重ねるごとに成長する」というお考えを村上先生は持っていらっしゃいます。芸の道は無限なのでしょう。本校だけでなく、甲佐町の公民館や甲佐小学校においても生け花を教えていらっしゃいます。

 村上先生のような偉大な先輩との交流によって、生徒たちは御船高校の伝統を意識しているものと思われます。そして、長く生きることは素晴らしいことだと感じていることでしょう。昔話に登場する賢者の翁の風貌を村上先生に重ねたくなります。2年後の創立100周年の式典においても、村上先生が生けられたお花を壇上に飾りたいと願っています。さらなるご長寿を願わずにいられません。

 

母校の思い出の中に故郷がある ~ 東京御船会(その2)

 

 5月26日(日)に出席した御船高等学校同窓会の「東京御船会」(東京都千代田区霞ヶ関「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催)について昨日の「校長室からの風」で触れました。しかし、まだ私の気持ちが十分ではなく、その続きを記したいと思います。

 熊本県人は、出身高校への愛着が強い県民だと言われます。しかし、高校(旧制中学)を卒業して半世紀以上経過し、故郷遠く首都圏で生活をされていても、同窓のつながりを重んじ、母校愛を語られる方々との出会いに私は感銘を受けました。「東京御船会」に出席してからすでに2日立っていますが、いまだにその余韻に包まれています。

 御船高校の三綱領「誠実・自学・自律」について語られた方がいらっしゃいました。高校を卒業して上京し、懸命に働き、やがて会社を興し経営者として現在も活躍されている70歳台の先輩は、この三綱領を実現できているか今も自分に問いかけられるそうです。中でも最も難しいと思われるのが、三つ目の「自律以て己を処す」だそうです。そして、後輩の高校生達へ「三綱領の一つでいい、高校生活の支えにしてほしい。」とメッセージを送られました。

 故郷を離れ首都圏で働き、生活してこられたことを誰一人後悔されていません。胸を張って生きてこられた方たちです。けれども、年齢を重ねるにしたがい、望郷の思いは強くなられるそうです。しかし、たまの帰省は親族、知人の葬儀が多く、過疎が進んだ故郷を目にすると寂しいと言われます。「私にとっての故郷はわいわいにぎやかだった高校時代の思い出の中にあります。」とある方は言われました。高校時代は誰にとっても夢と希望のある伸び盛りの時期です。ことに戦後の復興、高度経済成長の時代は我が国が右肩上がりの社会情勢でした。その時代の青春には今以上の輝かしい未来があったと想像します。

 首都圏では、孫が通学している小学校にふらり出かけると不審者のように見られる、と苦笑しつつ話された方がいらっしゃいました。私は、皆さんにお伝えしたいと思います。今度、帰省された時は、ぜひ御船高校へお立ち寄りください、校長室にいらしてください、と。

 天神の森の学舎は元の場所に変わらずあります。御船高校は開かれた学校です。故郷を遠く離れた先輩方にこそ訪ねていただきたいと切に願っています。

 

母校は遠くにありて思うもの ~ 東京御船会

 

 御船高等学校同窓会の「東京御船会」が、5月26日(日)、東京都千代田区霞ヶ関の「霞ヶ関ビル」35階フロアにて開催されました。「東京御船会」(久米政文 会長)は首都圏在住の旧制御船中学、御船高校卒業生の方から成り、今年で第20回の節目の総会・懇親会でした。

 同窓会長の徳永明彦氏、同窓会副会長で御船町長の藤木正幸氏、関西御船会副会長の井上英春氏と共に校長の私もご招待をうけ、末席を汚しました。出席者は総勢56人。最高齢は旧制中学19回卒業の野口政止氏で満90歳、卒寿を迎えられた大先輩でかくしゃくとされています。会の冒頭、同級生が長崎県大村の軍需工場で米軍爆撃を受けて亡くなられた殉難を悼む詩を朗々と吟詠されました。昭和19年10月25日の出来事ですが、野口氏をはじめ同級生の方々にとって生涯忘れがたい痛恨事であり、志半ばで斃れた旧友の分まで昭和、平成、令和と生き抜いてこられた気骨を感じます。

 出席者の多くは70歳台から80歳台の先輩方で、皆さんの母校へ寄せる熱い思いには胸打たれました。飯田山の向こう側から山道を歩き、毎日2時間かけて通学された方。家庭の経済状況が苦しく家では幼い弟妹の世話や家業の手伝いがあるため、学校の授業ですべて頭にたたき込んで帰るしかなかった方。卵を食べられる事が何よりのご馳走で、いつも空腹を覚えながら高校生活を送った方。令和の今日から見ると考えられない厳しい時代ですが、皆さんがそれぞれ強調されたのが恩師との出会い、同級生との友情といった人と人のつながりの大切さでした。そのつながりが原動力となり年に1回、故郷を遠く離れた東京での同窓会を催されているのです。

 高校4回卒業の江本彌太郎氏は、昭和24年に陸上の県大会で100mを11秒0で走られたそうです。当時、陸上部員が40人ほどいて、400mリレーチームは全国大会出場を決めたそうですが、学校に遠征予算がなく教員は引率できず、生徒4人で会場の栃木県宇都宮市まで列車を乗り継いで行かれたとのこと。何とも牧歌的な話に驚きました。

 「御船高校を頼みますよ。」、「秋のロボットの全国大会は応援に行きます。」等の温かい励ましのお言葉を数多くいただきました。戦後の復興、高度成長と我が国を支えてこられた先輩方のたくましさ、そして情の厚さを強く感じました。会場の霞ヶ関ビルは我が国の高層ビルの先駆けで、高度経済成長のシンボルです(昭和43年竣工)。眼下には首相官邸や国会議事堂、そしいて皇居の深い森が見えます。故郷ははるか遠くに在ります。しかし、自分に恥じない生き方を貫いてこられた先輩方は、我が国の中心に集い、熱い思いを母校に送っておられるのです。

 霞が関ビル

「魂の表現」に触れる ~ 浜田知明「回顧展」

 

 御船高校の前身の旧制御船中学校は美術教育で知られていました。東京美術学校(現東京藝大)出身の気鋭の美術教師、富田至誠先生の薫陶を受け、多くの俊英が輩出しました。その一人が、国際的にも有名な版画家・彫刻家の浜田知明氏です。昨年、百歳の天寿を全うされた浜田氏の業績の回顧展「特別展 わすれえぬかたち」が熊本県立美術館で開催されています。

 偉大な先輩の回顧展で学ぼうという目的で、本校芸術コースの美術・デザイン専攻の生徒たちの県立美術館研修を企画し、その1回目の1年生研修を5月14日(火)に実施しました。1年生15人と美術科教諭、そして私の17人が育友会(PTA)所有のバスで県立美術館本館(熊本城二の丸)を訪ねました。美術館では初めに林田学芸員にわかりやすく解説していただき、作品観賞の視点を生徒たちは持つことができました。

 大正7年、御船町髙木で生まれた浜田知明氏は、昭和5年に旧制御船中学校入学、そして1年早い飛び級で卒業し昭和9年には東京美術学校油絵科に合格するという俊才でした。その後、アカデミックな具象画には満足せず、サルバドール・ダリのシュールレアリズム(超現実主義)の影響を受けます。そして、日中戦争に兵士として従軍。この過酷な戦争体験が、戦後、有名な「初年兵哀歌」シリーズ(銅版画)として結実します。

 戦争の残虐性、軍隊の非人間性の体験から生まれた作品の数々は、具象的ではない分、作者のメッセージが強く伝わってきます。そして、反戦や社会批判の次元にとどまらず、人間の営みの本質をえぐる作者の「魂の表現」(林田学芸員の言葉)に圧倒されます。生徒たちは、戦場の死体や極限状態にある兵士の表現を食い入るように見つめていました。今回の特別展では228点の作品が展示されてあり、浜田氏特有の人間社会を風刺したユーモラスな作風のものも少なくなく、多様な「人のかたち」を終生追い求められたことがわかります。

 「戦場での残酷な死体を描いてあっても、それがグロテスクではない。なぜだろう?」、「とっても興味がある作品がありました。忘れられません。」と鑑賞後に生徒たちは感想を述べました。館内では、生徒たちは実に熱心に学ぼうという姿勢が見られ、私語はほとんどありませんでした。さすがは美術専攻の生徒たちだと私は感服しました。

 16日(木)に2年生17人、17日(金)に3年生13人の美術専攻の生徒たちが偉大な先輩の作品群と対面します。彼らの感想が楽しみです。

 

新時代の風が吹いた体育祭

 

 5月12日(日)、風薫る五月晴れのもと、令和元年の熊本県立御船高等学校体育祭を開催しました。テーマは「一意奮闘、新時代をかける船高の風」。

 体育祭は3人の団長によるユーモアあふれる選手宣誓から始まりました。生徒たち一人一人が自ら動き、ほぼスケジュール通りに進行し、御船高校の力を結集して創り上げることができたと思います。早朝から最後まで多くの保護者、地域の皆様にご声援を送っていただき、深く感謝しています。言いようのない達成感が全校生徒及び職員の間に広がっています。

 プログラムはどれも見応えがあり、生徒たちの一生懸命さが伝わってきました。ゴール目指して疾走する姿は躍動感あふれ爽やかでした。結果は1位2位…と表れますが、自分の走りができたかどうか、自己評価が一番です。御船川下り、ムカデ競争や5人6脚競走、台風の目などの技巧種目は、参加者が気持ちを一つにしないとできないものです。チームワークの難しさを生徒たちは体験したのではないでしょうか。そして、リレーはやはり体育祭の華です。抜きつ抜かれつ、声援、歓声も一段と高まり、会場が大いに沸きました。走る姿は、まさに「新時代をかける風」でした。

 また、団対抗応援合戦は各団の強い思いが伝わってきました。応援団員の袴姿も凛々しく、きびきびと、かつ流れるような動きの演舞は誠に見事で、春休みから練習を重ねてきた成果が発揮されたと思います。そして、美術専攻の生徒が中心となって作成した各団のパネル画は、芸術コースを持つ御船高校らしい完成度の高さで、観客を魅了しました。

 ラストの全校エール「新時代への叫び」は胸に迫るものがありました。豊かな可能性を持つ生徒たちに新時代、令和を任せていいと思いました。今日、確かに御船高校では新時代の風が吹きました。御船高校は帆をあげ新時代へ船出をしたと言っていいでしょう。

 

 

 

飯田山に見守られ

 

   今日は5月11日。土曜日ですが、御船高校は登校日で、明日の体育祭に向け最後の練習、準備に学校をあげて取り組んでいます。十連休明けで今日が5日目。生徒達の疲労も蓄積しているようですが、各団の団長はじめ応援リーダーたちは声をからして団の生徒たちを指導しています。体育祭への生徒たちの思いの強さが伝わってきます。まさに、今年の体育祭のテーマ「一意奮闘」そのものです。

 グラウンドで体育祭の練習に奮闘する生徒たちも見守っているのが飯田山(いいださん)です。お椀を伏せたような山容で、標高は431m。益城町の飯野(いいの)地区にありますが、本校のグラウンドから間近に見えます。飯田山と言えば、昔、熊本市の金峰山(きんぽうざん 標高665m)と背比べをしたが負け、もう高さのことはいいださん(飯田山)と言ったという伝承で知られます。

   古くから上益城の人々には親しまれている山ですが、この山の中腹に常楽寺(じょうらくじ)という天台宗の古刹があります。このお寺には興味深い伝説が残っており、開山(寺院の創始者)は日羅(にちら)と伝わっているのです。日羅は、古代の肥後芦北地域の豪族出身で、大和政権と朝鮮半島の百済との外交に関わった伝説の人物です。その日羅の名がなぜ開山として伝えられているのか詳しいことは不明ですが、常楽寺の歴史の古さや格式を示すものと言えるでしょう。鎌倉時代の名僧、俊芿(しゅんじょう)が常楽寺で修行した史実から、創建は平安時代末期と推定されています。

   先日、常楽寺を訪ねてみました。林道で同寺まで自動車で行くことができます。歴史ある山寺の風情が漂っています。同寺から飯田山山頂まで歩いて30分ほどです。山頂からの眺めは広く、御船川、緑川、熊本平野、そしてかつて背比べをしたと言われる金峰山などが一望でき、誠に爽快な気分になります。熊本平野の多くは江戸時代以降の干拓や土地改良で開けたことを考えると、この飯田山付近が古代文化の栄えた所という説もうなずけます。

 今日、日中の気温は25度を超えました。青春の汗を流して体育祭の練習をしている御船高校生の姿を飯田山は笑顔で見守っているように感じます。

 

 

令和の学校生活スタート

 

 5月7日(火)。風薫る爽やかな青空のもと、令和元年の学校生活がスタートしました。新元号「令和」となり一週間が過ぎています。天皇陛下の退位、そして即位に伴う特別な祝日が入ったため、4月27日(土)から5月6日(月)まで十連休という異例の長期休暇となりました。平成から令和に時代が変わる時を高校生として迎えたこと、そして十連休の体験について、生徒たちは永く記憶することでしょう。

 昭和から平成に時代が変わったとき、私は高校教師2年目でした。昭和天皇崩御に伴う時代の転換だったため、国民が喪に服し悲壮感が漂ったことを覚えています。今回は大きく異なります。平成の天皇陛下が上皇となられ、次の天皇陛下に円滑に皇位継承をされたため、国中が祝賀ムードで、期待と希望で新しい時代を迎えました。

 今日5月7日が令和の学校生活の始まりです。最初の学校行事が5月12日の体育祭です。テーマは「一意奮闘 ~ 新時代をかける船高の風 ~」。生徒会を中心に昨年度3学期から準備が始まりました。春休みから応援団演舞の練習が盛んに行われています。そして、この連休中、各団のパネル作成も進みました。体育祭は電子機械科、芸術コース、普通科と全校生徒が一体となってつくりあげるものです。

 生徒の中には足が速い人、そうでない人、運動が得意な人、苦手な人などそれぞれでしょう。しかし、体育祭は陸上記録会ではありません。様々な種目、そして役割があります。体育祭への関わり方はみんな違っていいのです。大事なことは、協力することです。みんなで取り組むことで御船高校の一体感が生まれることでしょう。

 午後、赤・青・黄の三団が団長を中心に団別の練習を開始しました。これから5日間競い合い、12日(日)の体育祭本番で新時代到来の風が吹くことを期待しています。皆さんの時代「令和」はいよいよ始まったのです。

 

 

凛とした高校生剣士たち ~ 城南地区高校体育大会

 4月26日(金)、城南地区高校体育大会が開催されました。今年は、主に八代市や宇城市を会場に行われ、本校からは陸上競技、テニス、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、サッカー、弓道、卓球、柔道が参加しました。また、水泳部が芦北町営プールでの競技に臨みました。そして、剣道競技のみが御船高校で開かれました。校長として赴任し三週間あまりの私にとって、本校の部活動生の活躍を広く見て回りたいところでしたが、会場校の責任者として剣道競技を終日観戦しました。

 剣道競技には男子団体8校、女子団体4校、そして男女個人戦に計29人が出場しました。近年、剣道、柔道等の武道系部活動の生徒が減少しています。もともと高校生が減少していることに加え、県内にプロチームのあるバスケットボールやサッカーといった球技に生徒が集まっていると言われます。しかし、そのような状況の中でも、自ら剣道を選んだ生徒たちが集結しました。その姿は「剣士」と呼ぶにふさわしい凛々しいもので、他の競技にはない様式美を感じさせます。

 男子団体は芦北高校、女子団体は八代白百合学園高校が優勝。個人戦では男女とも秀学館高校の生徒が頂点を極めました。どの試合も熱戦で、一瞬で技が決まるため、観る方にも集中力が求められます。御船高校は男子団体が出場しましたが、初戦で八代東高に敗れました。しかし、果敢に攻め込む姿勢が印象的でした。二人が出場した個人戦では共に初戦を突破し見事でした。

重い防具を身につけ、夏の暑さと冬の寒さに苦しめられ、試合では孤高の戦いとなる剣道。その厳しい道を敢えて歩んでいる高校生剣士を私は心から称えたいと思います。

 剣道、柔道、弓道、茶道、華道と我が国伝統の文武の習いには「道」という言葉が付きます。それは果てしないものです。心・技・体の統一を求めての長い道のりなのです。高校生剣士の皆さんはまだその道を歩き始めたばかりです。今日の城南大会で実力を十分に出せなかった人もいるでしょう。不本意な結果に落ち込んだ人もいるかもしれません。しかし、「道」は長いのです。「あの時、負けたことが自分を成長させた」と思える日が来ます。

 凛とした高校生剣士の立ち居振る舞い、瞬間の技の美しさに魅了された一日でした。

 

新しい文化の時代の幕開け ~ 新元号「令和」に寄せて

「力強い字ですね。墨書の迫力が良いですね」と来校された専門学校の先生が言われました。御船高校の玄関には、書道部の3年生が卒業作品として取り組んだ大きな書が飾られていて、お客さんを迎えます。生徒は卒業していっても、彼らの思いが込められた言葉は残り、学校の文化を醸成しています。

 新元号「令和」が4月1日に発表され、大きな反響を呼びました。元号の出典が従来の中国の古典ではなく、初めて我が国の古典に求められたこと、そしてその典拠が奈良時代に編纂された「万葉集」であることが話題になりました。天平文化(奈良時代)の太宰府において、長官の大伴旅人(おおとものたびと)を中心に官僚たちが梅花の宴で歌を詠んでいる場面から「令和」という元号は生まれました。

 「初春令月、気淑風和   梅披鏡前之粉、蘭香珮後之香」

 (初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、

  梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす)

                                            *「万葉集」巻五

 この情景から、「心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が新元号にはあると安倍首相は語られました。およそ千三百年前の歌が21世紀の今日まで伝えられていることは我が国が誇ってよい文化と言えます。

 時を超え、大切な言葉が先人より後から来る者のために継承されています。そもそも元号がその典型でしょう。大化の改新(645年)の「大化」以来、我が国の歴史と共に続いています。グローバル社会の今日にあって、先進国が利用しているキリスト教に因む西暦で十分という考えもあるでしょう。しかし、年数の羅列ではなく、そこに時代の索引(インデックス)のような元号が名付けられることは大いに意味があると考えます。まさに文化的な装置であり、多くの日本人が支持する所以だと思います。

 新元号「令和」の発表は、改めて言葉の大切さ、古典や伝統文化の意義を私たちに教えてくれたと思います。軍事力、経済力といったハードパワーと違い、文化というソフトパワーはあまり目立ちません。けれども、「令和」の時代、新しい豊かな文化を創造することを指針として、学校教育に取り組んでいくべきではないでしょうか。

 芸術コースを擁する御船高校の時代が来たと思っています。

 

 

「令和」を書く ~ 御船高校書道部「書道パフォーマンス」

 

         「新たな時代の幕開け

          先人の歩みに感謝し

          未来は私たちの手で切り拓こう

          平成から令和

                  御船高校書道部」

 

 御船高校書道部10人(2、3年生)が力強く書き上げ、その大きな紙(縦3.5m、横5m)を披露した時には思わず熱く胸にこみ上げてくるものがありました。平成31年4月1日(月)、熊本朝日放送(KAB)で夕方に放映された「新元号書道パフォーマンス」です。この番組録画を、4月20日(土)に開催した育友会(PTA)総会に先立って体育館で上映し、保護者の皆さんと一緒に観る機会を得ました。

 凛とした袴姿の書道部員たちが「はい!」と声をあげ、太い筆で自分の担当の文字や絵を書いていきます。その動きはダイナミックで躍動感に満ちています。そして流れるように次の書き手につながっていきます。背景に華やかな桜の枝を描き、自分たちで考えた冒頭の言葉を力強く書き、ひときわ大きく「令和」の文字が浮かび上がりました。きびきびとしてさわやかな高校生による書道パフォーマンスであり、テレビ放映を通して県民の方々に高校生の文化活動の成果が伝わったものと思います。

 御船高校には普通科芸術コースがあり、音楽・美術・書道のそれぞれを専攻する生徒たちが創造性と感性を日々磨いています。中でも、近年、書道専攻の生徒たちが属する書道部の活躍がめざましく、様々な行事から声がかかり、高校生としては全国レベルの技能を発揮しています。その活動が評価され、昨年度は「熊本県民文化賞」を知事から頂きました。そして、4月1日、新元号の発表に合わせて、テレビ局から出演依頼があったのです。

 新しい年号の令和は、人々が心を合わせて文化を創っていこうという意味が込められているそうです。出典は初めて国書の「万葉集」から採られています。「万葉集」は8世紀の中頃の奈良時代(天平文化)に編まれた歌集です。皇族、貴族から農民たちが詠った東歌(あずまうた)、防人(さきもり)の歌まで当時の幅広い社会階層の人々の歌、約4500首が収録されています。

 新しい時代の幕開けです。これからの時代の担い手となる高校生が新元号「令和」を高らかに書き上げたことは象徴的な出来事と思えます。

 

保護者の皆さんと共に ~ 育友会(PTA)総会開催

 

   4月20日(土)の午前、御船高等学校の育友会(PTA)総会を開催しました。多くの保護者の方々に参加いただき、総会を行い、続いて各クラスに分かれて学級懇談会、そして午後には新役員さん方の会議が開かれました。総会での冒頭の校長挨拶を次に掲げます。

 

「本日は育友会総会に御出席いただき、誠に有り難うございます。

   本校は、4月8日に180人の新入生を迎え、全校生徒534人で今年度をスタートしました。ロボットをはじめものづくりの面白さを追求する電子機械科、音楽・美術・書道を通して創造性と感性を磨く芸術コース、幅広い学びの中から自らの進路と夢を探していく普通科。御船高校はテクノロジー(技術)とアート(芸術)の両翼をもつ総合力ある全日制高校です。職員全員が教育的情熱をもって、生徒一人ひとりの豊かな可能性を引き出すことに全力を尽くします。

 また、本校は「開かれた学校づくり」に努めます。保護者の皆様をはじめ地域の方々が学校行事等に大勢足を運ばれ、生徒の活動を応援していただきたいと願っています。一方、学校の方からも積極的に学習成果を地域社会及び県全体に向かって発信し、御船高校の魅力を伝えていきたいと思っております。

 なお、来る5月12日(日)に体育祭を実施します。テーマは「一意奮闘 ~  新時代をかける船高の風 ~」です。生徒会を中心に生徒たちが主体的に準備に取り組んでおり、全校練習も本格的に始まりました。どうか、ご家族で御観覧くださるよう御案内申し上げます。

 最後になりますが、お子様のことで何か気になることがありましたら、遠慮なく担任や学年主任、または部活動顧問などに御連絡いただきたいと思います。ご家庭は、やはり生徒諸君にとって寛げる居場所であってほしいと思います。不満や愚痴、弱音を聞いてあげてください。3年前の熊本地震でもクローズアップされましたが、悩みやストレスを自分一人で抱え込まずに、友人、家族、専門家に援助を求める力こそ、現代に生きる私たちには必要だと云われます。私たち職員も、生徒の変化を見逃さないよう注意し、「気付き、寄り添い、つなぐ」の姿勢で、ご家庭と密接に連携を取っていきたいと思います。

    保護者の皆様の願いと学校が目指すものは同じだと思っております。本校の教育活動への御理解と御支援を改めてお願いし、挨拶といたします。」

 

 

富田至誠先生と教え子たちの物語

 御船高校校長室は美術ギャラリーの雰囲気があります。文化功労者の井手宣通(いでのぶみち)(旧制御船中3回卒)、日展審査員・会員の坂田憲雄(さかたのりお)(旧制御船中6回卒)といった大家の油絵が壁にかかっているのです。さらに、本校セミナーハウスには、世界的版画家の浜田知明(はまだちめい)(旧制御船中9回卒)の作品も飾ってあります。そうそうたる画伯、芸術家を輩出してきた本校の貴重な証と言えるものです。

 「美術教育の御船」の名は、かつて全国にとどろいていました。それは一人の美術教師の赴任から始まりました。その名は富田至誠(とみたしせい)先生。熊本県鹿本郡鹿本町(現在の山鹿市)に生まれ、東京藝術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科に学んだ富田先生を、旧制御船中学校初代校長の岩口石蔵(いわぐちせきぞう)先生が招聘されました。芸術の最高学府で学んだ若き俊英を開学時に招いた岩口校長の見識に敬服します。

 富田至誠先生は大正11年の創立以来、戦後の御船高校時代まで27年にわたって美術教育に精魂を注がれ、この間、多くの芸術家を世に送られたのです。昨年百歳で逝去された浜田知明氏は、生前、富田先生から励まされた時のことを次のように回想されています(浜田知明「私の学生時代」より)。

 「『目的に向かって一生懸命やれ。』私は今もその時の先生のお言葉と、めがねの奥のやさしいまなざしを昨日のようにはっきりとおぼえている。」

 美の群像の歴史を誇りに思います。旧制御船中学校以来の美の伝統は脈々と今日まで続いています。平成16年には普通科に芸術コースを設け、音楽・美術・書道をとおして感性を磨く教育を展開しております。

 教師は自分よりも「大きな者」を育成しなければなりません。富田至誠先生とその教え子たちの物語は、教育の原点を教えてくれます。

 

 

「恐竜の郷」、御船町

 御船高等学校が立地する御船町(みふねまち)は熊本市の東の近郊にあり、古くから交通の要衝として知られ、上益城(かみましき)郡の中心地として栄えてきました。九州自動車道の御船インターチェンジから約3㎞で中心街に来ますが、最初に来訪された人は、いくつもの恐竜のオブジェ(物体作品)に驚かれることでしょう。そして、町役場の隣には平成26年(2014年)にリニューアルオープンした「御船町恐竜博物館」があり、目を引きます。

 御船町と恐竜の関わりは、昭和54年(1979年)に町内で肉食恐竜の化石が発見されたことから始まりました。その後、白亜紀後期の御船層群という地層から多数の恐竜化石が産出され、現在においても盛んに発掘調査と研究がなされています。私は20年ほど前、旧館時代の「恐竜博物館」を見学したことがあるのですが、このたび御船高校に赴任が決まり、春休み中に新しい「恐竜博物館」を訪ねてみました。県内外から多くの家族連れの観覧者で賑わっていました。

 館内の展示は一新されており、そのスケールと充実した内容に魅了されました。特に「恐竜進化大行進」と名付けられた立体的な骨格展示は圧巻で、迫力があります。そして、恐竜の世界にとどまらず、生命の誕生から人類の進化、さらには地球の環境変動に至るまで深いテーマが示されていて、見応えがあります。さらに、「オープンラボ」の考え方にもとづき、研究作業室や標本作製室等も通路から見学できるようになっています。

 「わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう」という大きな命題を考えながら、「恐竜博物館」を後にしました。

 恐竜だけでなく、御船町にはその他、教育・文化資源が豊富です。しかも、九州屈指の音楽大学「平成音楽大学」も存在しているのです。小・中・高(御船高校)・大学の連携が実現できる地域です。より「開かれた学校」づくりに努め、「御船高校でしかできない学習体験」、「御船高校だからできる教育」を進めていきたいと思います。