校長室からの風

御船高校のお宝(考古学編)

古代の日本人が「入れ墨」をしていたということは「魏志倭人伝」にも書かれていることだが、御船高校には「入れ墨」をした女性の土偶がある。これは、益城町の秋永遺跡から出土した、弥生時代後期のものであるらしいが、乳房の周りに明らかな入れ墨の文様が見える。海洋民族であった日本人の祖先は、潜水漁法をして魚や貝を捕獲していた。そのときにサメなどの危険な生き物から身を守るために「入れ墨」をしていたが、時代の流れとともに「入れ墨」が装飾となっていったと言われている。御船高校所蔵の、この土偶から、古代は女性も入れ墨をしていたということが分かるのである。

校章の由来

御船高校校章のデザインのもとは旧制御船中学校時代にさかのぼる。そもそも「御船」という地名は、神代のころ景行天皇が九州征伐の途中に、有明海からこの地に「御船(おんふね)」に乗って到着されたことに由来すると言われている。高速道路も鉄道もなかった時代、水運が人や物資を運ぶ手段であり、御船は緑川水系の御船川を擁した一大集積地として栄えた。以前の御船には旅館や造り酒屋が何軒も立ち並んでいたそうである。そこに県下8番目に創設されたのが「県立御船中学校(現在の御船高校)」である。校章には天皇の御船が三つ(三綱領の三と一致する)組み合わされている。



全国PTA大会に参加して。

8月24・25日に静岡県で開催された「第67回全国高等学校PTA連合会大会静岡大会」に、本校の育友会の河地会長・川口副会長、南総務部長と四人で参加してまいりました。「有徳の人」づくりを推進している静岡県のPTA活動の取組をはじめ、全国の先進的な取組を学ぶことができました。全体会の基調講演は、静岡大学の小和田哲男名誉教授による「戦国武将に学ぶ子育てと人づくり」でしたが、NHK大河ドラマの裏話も聞け、大変興味深いものでした。静岡は徳川家康などの戦国武将ゆかりの地。先人の威徳をしのび現代の教育に生かす取組をされてます。我が御船高校も、ふるさと御船の歴史・偉人を生徒に紹介し、動乱を生き抜いた知恵と勇気を学ばせたいと四人で確かめ合いました。この大会で学んだことを本校のPTA活動に生かしていきたいと思います。

書道パフォーマンス甲子園の報告

8月5日から7日まで、全国書道パフォーマンス甲子園に御船高校書道部が出場したため四国に行ってきました。台風5号が接近していたのでフェリーが欠航となり、陸路で四国入りをしました。全国から予選を勝ち抜いてきた強豪校ぞろいの中、御船高校は最後に登場し、熊本地震震災復興の決意と全国からの支援への感謝の気持ちを堂々と書き上げました。会場の拍手は、参加校の中で一番大きかったと思います。熊本県民の思いを伝える立派なパフォーマンスでした。この大会のもようは新聞・テレビでも報道されますので、是非ご覧になってください。また、この大会に出場できることが決まってから、ライオンズクラブや同窓会、育友会などから多くの賛助金をいただきました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。


ゆるキャラ「しこちゅー」

暑中お見舞い申し上げます。

御船高校に赴任して、早くも四ヶ月になろうとしています。昨日は表彰式から始まり、ALTの退任式、一学期終業式、午後は職員会議、職員研修会。夜はイベントの打ち合わせまであり、一日中大忙しでした。しかし、不思議と疲労感はありません。一学期中の生徒の活躍も振り返ることができましたし、先生方の教育活動への情熱も感じることができたからです。校長として、生徒と職員が頼もしく感じる時が一番幸せな時です。
一学期中は学校外の皆様にも大変お世話になりました。私は御船高校は初めての勤務ですが、母の実家が御船であり、母もおじおばも御船高校の卒業生であること、母方の祖父(増岡末政)が御船中学校の校長であったこと、旧制御船中出身の軍神西住戦車長は父方の親戚であったこと、さらには近隣の中学校や小学校の校長先生に高校の先輩や同級生がいたことなどにより、本当に、この「御船町」から温かく受け入れてもらいました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
夏休みには「書道パフォーマンス甲子園」に出場しますし、二学期には御船中や平成音大にもご協力いただき、「震災復興祈念『船高フェスティバル』龍鳳祭」を大々的にやろうと企画しています。地域の皆様に高校生の元気を届けられるような行事を、これからもどんどん企画してまいりますのでご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。

御船町社会福祉協議会様

御船ライオンズクラブ様

自衛隊熊本地方協力本部長様
御船高校同窓会様

進路のしおり(巻頭言)より

「仕事をするということ」  

                             校長  西 澤 頼 孝

 

「まず、自分をこの世に必要な人間とせよ。そうすれば、パンは自然に得られる。」
 (エマーソン,R.W・アメリカの思想家)

 

 まず、自分自身を社会に必要な人間にしなさい。そうすれば、食べ物は自然と手に入れることができる。そういう意味である。生きていくためには食べねばならぬ。食べ物を手に入れるためには収入(金)が必要だ。では、収入(金)を得るにはどうすればいいか。それは、社会で何らかの役に立つ人間になることだ。

 自分はいったいどんな点で社会に必要とされるのだろうか。君たちの中には、自分が社会の中で何ができるのか自信が持てない人もいるだろう。無理もない。それが「若者」だからだ。自分がどんな人間か、これからどんな人生を歩みたいのか、混沌とした思考の渦の中で右往左往するのが青春時代の特権とも言えるのだ。

 学生時代の体験を一つ。21歳の冬、場所は東京。私は親からもらう毎月の仕送りを使い果たし、極度の金欠に陥っていた。アルバイトはしていたが給料日まであと一週間は食いつながなければならなかった。道ばたで配られるギョーザのタダ券を握りしめてライスのみを注文したこともある。一袋100円のさつまいもで二日過ごしたこともある。学生だったからあまりみじめな思いはしなかったが、このままでは体がやられると思った。そんなとき、一晩で8000円もらえるアルバイトに飛びついた。夜8時に品川駅前集合。マイクロバスに乗せられた。学生風は私と先輩の二人だけ。あとは労働者風のおじさんたちだった。着いたのは東名高速道路。トンネルの蛍光灯拭きのアルバイトだった。長時間手を上げている作業がきつかった。下には猛スピードでトラックが走り抜けていく。怖かった。夜中の1時に休憩。路肩で弁当を食べていると、東北なまりのおじさんたちがハイライトを差し出しながら話しかけてきた。「兄ちゃんたち、学生さんかい?」「○○大学です。」「東京の学校?」「はい。でも出身は熊本です。」「熊本からかぁ、えらいねぇ。うちのせがれは中学生でね・・・。」と、家族の話、特に子どもの話をうれしそうにするのだった。秋田の人で、冬の間は東京に働きに出てきて、家族に仕送りをしているのだそうだ。「えらい」と言われて恥ずかしくなった。親のすねかじりのくせに仕送りを使い果たして、食いつめてここに来ているのだから。また、こんなところでと言ってはなんだが、親というものの愛情の深さに心がふるえた。それと同時に「お金をかせぐこと」の尊さを感じた。

 以来、私は仕事がつらいと思ったときは、あのおじさんたちのことを思い出す。仕事はきつくて当たり前、でも誰かのために働けることの幸せ。それは家族のためかもしれないし、世の中の誰かのためかもしれない。自分がやるべきことはやろうじゃないか。自分が選んだ仕事だもの。


「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」
(武者小路実篤)


御船高校の生徒諸君、君たちにこの言葉を贈る。

船高のシンボル「天神の森」

御船高校の正門から入るとすぐ真正面に「天神の森」がある。県内の高等学校でも珍しい「立派な森」である。落ち葉もかなりの量なので、毎朝、書道部の生徒たちがボランティアで清掃活動をしてくれている。この「天神の森」は歴史が古く、御船高校がこの地に創設されるずっと以前から存在している。もともとは戦国時代の名将「甲斐宗運」が御船城の守護神として城の東西南北に「天神(あまつかみ)」をまつったことに由来する。その東の天神のあった場所が現在の「天神の森」だと言われている。長い歴史の中で、災害などの痛手をこうむった森であったが、先人たちの努力により養生と蘇生を繰り返し現在の姿になった。御船高校のシンボルとして、いつまでも、在校生や卒業生を見守ってほしいものだ。

東京出張報告

先週、全国高校長会と東京御船会の二つの会合のため東京へ行ってきました。全国高校長会では、文部科学省の合田哲雄課長のお話など、これからの高校教育のあり方について示唆に富む内容の講演や研究発表を聞くことができました。合田課長は、私が昨年度勤務していた県立教育センターの研究発表会にも講師としておいでいただいた方なので懐かしかったです。

また、御船高校同窓会「東京御船会」は、霞ヶ関ビルにおいて出席者75名で開かれました。私は現在の御船高校のようすを中心にお話をさせていただきましたが、同窓生の皆さんの母校への愛情と誇りをひしひしと感じました。全国ロボット競技大会の優勝をはじめ、御船高校の活躍を皆さんのもとにお届けできるよう、頑張らなければならないと身が引き締まりました。
同窓生の足立悦子様から、すばらしい植物の細密画をいただきました。ありがとうごさいました。

西住小次郎戦車長

御船高校の前身である旧制御船中学校の出身で、戦前、軍神として全国に名を知られた人物がいる。甲佐町出身、御船中から陸軍士官学校へと進み、昭和13年5月17日に中国にて戦死した「西住小次郎大尉」である。現在でも地元甲佐町で慰霊祭が行われており、母校である御船高校の校長にも毎年ご案内をいただいている。実は、私はこの西住戦車長とは親戚関係にある。西住小次郎大尉のお母さんは我が西澤家から嫁にいった方で、私の祖父と大尉はいとこの間柄であるのだ。そういった縁で、私の父も陸軍幼年学校に進学している。(すぐ終戦であったが。)
昨日、体育祭の代休を利用して甲佐町の「西住小次郎戦車長顕彰碑」に行ってきた。母校、御船高校生のますますの活躍を見守ってくださるよう、お願いしてきた。





校長室にある西住大尉の写真

御船高校体育祭

一昨日の荒天が嘘のように晴れ渡り、さわやかな五月の青空の下、平成29年度御船高校体育祭が行われました。赤団団長「森 大志」君、青団団長「大塚翔太」君、黄団団長「金澤誠人」君のリードのもと、各団員が心を一つにしてそれぞれの競技を闘ってくれ、見応えのある体育祭となりました。白熱したリレー、個性あふれる部活動紹介、一糸乱れぬ演舞、少し照れもあったフォークダンス、どれも御船高校生らしい元気いっぱいの姿を見せてくれました。本年度のテーマ「自信×努力>実力」~船高生の本気~が示しているように、自信を持って努力することですばらしい力が発揮できた体育祭でした。

御船探訪(熊延鉄道御船駅)

かつて御船町に鉄道が走っていたことを話すと生徒は驚くが、50代以上の地元の方はよく覚えておられる。現在の御船小学校の校庭の横に当時の御船駅はあった。

「熊延(ゆうえん)鉄道」。「熊本バス」の前身。JR南熊本駅から砥用までの28.6キロを結んでいた。大正5年春竹(南熊本)~御船開通。大正12年御船~甲佐開通。昭和7年甲佐~砥用開通。昭和39年南熊本~砥用廃止。約50年間、城南地方の足として住民の生活を支えてきたばかりでなく、内大臣や矢部から切り出された木材を運ぶ貨物車としても活躍した。(今でも甲佐や御船、南熊本には木材の集積地が残る)当初の予定では、宮崎県の高千穂線(現高千穂鉄道)と結び、延岡までレールをのばすつもりだったらしい。だから「熊延」鉄道なのである。おもな駅は、南熊本→田迎→鯰→上島→六嘉→御船→甲佐→佐俣→釈迦院→砥用。
十数年前、鉄道愛好の同僚と、南熊本から砥用まで線路跡を歩いたことがある。線路跡は道になっているところが多かったが、それでも意識してたどってみると、ここにかつて鉄道があったことをうかがわせる「遺跡」があった。うっそうとした森 の中に突然、人工の遺物を発見する喜びは、かのムオー博士がアンコールワットを発見した喜びに通じるものがあった。

上島で見つけた鉄橋(2002年撮影)

佐俣にはコンクリート製のトンネルがあった(2002年撮影)

馬門橋から見た橋脚(2002年撮影)
熊延鉄道の甲佐駅には、内大臣から伐採された材木が、狭軌の森林鉄道によって集積されていた。そして熊延鉄道によって南熊本駅へと運ばれたのである。

緑川にかかる森林鉄道の鉄橋の跡(2002年撮影)
このように、私達のふるさとには日本の産業発展に寄与した遺産が数多くある。
先人たちの知恵と努力の結晶である「産業遺産」に関心を持ち、それを調べることは有意義なことであると思う。御船町や御船高校についてもっと調べてみよう。
【おすすめのサイト】
 九州ヘリテージ    九州ヘリテージ kyushu-heritage.jp

御船探訪(御船城と甲斐宗運)

連休中、少し時間があったので御船町をぶらりと散歩してみました。御船は、古くから上益城地方の政治・経済の中心地で、多くの文化遺産が残る町です。地味も肥え、背後に要害の山がひかえることから、中世より戦略上重要な地域でありました。現在の御船小学校の横に小高い丘がありますが、これが「御船城」です。「御船城」城主の中で名高いのが「甲斐宗運」。阿蘇家の重臣として肥後の国でその人ありと言われた名将です。

御船城近景

 

 甲斐宗運(親直)(15151584)は肥後・御船城主。知勇兼備の将として名高い、阿蘇家の重臣てす。

 宗運は、永正十四年(1517阿蘇大宮司惟豊を矢部の「」に復帰させ、それにより地位を確立しました。天文期には阿蘇氏老臣として領国経営に当たりましたが、同十年、阿蘇大宮司に背いた御船房行を御船城に攻め、以後同城の城主となりました。宗運は阿蘇惟豊・惟将の二代に仕えましたが、阿蘇勢力を代表して大友氏と結び、隣国の相良義陽と盟約して外敵に当たるなど、ひたすら阿蘇家を守り、その舵を取り続けました。そのため、島津をして「宗運のいる限り、肥後への侵攻はできぬ」とまで言わしめたのです。

天草での新入生宿泊研修

4月23日(日)、松島町にある県立天草青年の家に行ってきました。新入生がこの日から2泊3日で研修をしているのです。天気がよく、ペーロンやハイキングも気持ちよくできたのではないかと思います。集団訓練で、みるみる機敏な行動がとれるようになっていたのが印象的でした。

一ノ瀬優希選手、頑張れ!


 4月16日(日)、熊本空港カントリークラブで行われた、「バンテリンレディスオープン」ゴルフ大会に行ってきました。本校卒業生の一ノ瀬優希選手を応援するためです。生徒・職員30名の応援団が、そろいのピンクのジャンパーを着て応援しました。一ノ瀬選手は3バーディ2ボギーで回り、通算イーブンパーで6位タイと、すばらしいプレイを見せてくれました。特に最終ホールでバーディパットをきめたときは応援団も大興奮でした。一ノ瀬選手、これからも頑張ってください!

熊本地震復興祈念コンサート


  4月15日(土)、陸上自衛隊の熊本地震復興祈念コンサートが、熊本県立劇場コンサートホールで開かれました。被災地からは益城中・木山中・西原中・南阿蘇中の吹奏楽部が共演し、すばらしい音楽を聴かせてくれました。我が御船高校からも、書道部が書道パフォーマンスを披露。多くの聴衆に元気を与えてくれました。

入学式式辞(抜粋)




入学式式辞より
(抜粋)

                                    校長 西澤 頼孝

 新入生の皆さん、入学おめでとう。私たち職員は、皆さんの新たなるスタートを祝福するとともに、心から皆さんの入学を歓迎いたします。

 御船高等学校は、大正十一年に、熊本県で八番目の旧制中学校として創設され、今年度九十六年目を迎える、県下でも屈指の歴史と伝統を持つ高等学校です。現在も、ロボット競技大会での活躍は言うに及ばず、芸術活動の面、部活動の面などにおいても輝かしい実績を上げています。

 この御船高等学校で、多くの先輩方の心の根幹を育て上げてきたものが、初代校長、岩口石蔵先生が開校時に定められた三綱領、「一つ、誠実以て人に接す」「一つ、自ら進んで学を修む」「一つ、自律以て己を処す」の精神です。いつの時代においても、先輩方は常に、学校の輝かしい歴史・伝統に大きな()誇りを抱き、この三綱領の実現に努めてこられました。「人を思いやる豊かな心」、「積極的に自ら学ぶ姿勢」、「自ら考え行動するたくましさ」。この三綱領の精神を生かしていくことこそが本校の伝統をよりよく発展させていくものです。新入生の皆さんも、一日も早く校風に慣れ、三綱領の精神を自らのものとして、新たな伝統づくりに加わってほしいと思います。

 さらに、本年度は、「熊本地震」震災復興元年の年であり、本校は被害の大きかった地域の高等学校として、復興、防災の中心的役割を果たしていく使命があります。皆さんの若い力を、地域の復興及び活性化のために大いに役立ててください。

高校時代は、自らの将来について具体的に模索する重要な時期であり、これから生きていくために必要な「自己形成」の第一歩です。目標を立てて勉学に励み、体と心を鍛え、自主自律の精神や規範意識を身につけることで、人間的に成長してほしいと思います。そして、勉学に、スポーツに、若き情熱を傾けてくれることを切に願っております。

学校長あいさつ

校長顔写真
校長 西澤 頼孝

 本校、第26代校長の西澤頼孝と申します。この度は、熊本県立御船高等学校のホームページをご覧いただき、まことにありがとうございます。
 御船高等学校は、大正11年(西暦1922年)に、熊本県で8番目の旧制中学校として創設され、昭和23年の学制改革により御船高等女学校を併合して新制高等学校となった、今年度96年目を迎える、県下でも屈指の歴史と伝統を持つ高等学校です。そして、現在も、全国高等学校ロボット競技大会での活躍をはじめとして、芸術活動の面、部活動の面などにおいて輝かしい実績を上げている高等学校です。
 御船高等学校の三綱領である「誠実以て人に接す」「自ら進んで学を修む」「自律以て己を処す」の精神は、大正・昭和・平成と時代は移り変わっても、本校生の中で脈々と受け継がれていると感じます。「人を思いやる豊かな心」、「積極的に自ら学ぶ姿勢」、「自ら考え行動するたくましさ」。この三綱領の精神を本校教育の根幹として生かしていくことが本校の伝統をよりよく発展させていくものであると確信しております。
 また、本年度は、熊本地震震災復興元年の年であり、本校は被害の大きかった地域の高等学校として、復興、防災の中心的役割を果たしていく使命があります。若い力で、地域の復興及び活性化に大いに貢献していきたいと考えております。
 歴史と伝統を重んじ、先人の威徳に学びつつ、未来を切り拓く「創造力」と「想像力」を兼ね備えた「人間性」のある人材の育成に努めるとともに、防災等の連携を深めることで、地域に信頼される学校をつくっていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

平成29年4月

座右の銘

座右の銘画像